1945年 広島、長崎に原子爆弾投下1945年(昭和20年)、太平洋戦争での日本の劣勢が確定的となってきていた。 同盟国のドイツは1945年5月に無条件降伏しており、ドイツの戦後処理問題などを協議するため、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンが、1945年7月にドイツのベルリン郊外にあるポツダムで会談した。 この会談中の7月26日に、アメリカ、イギリス、中国の3か国の名前で日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表された。 日本政府はこの宣言を無視したが、アメリカは8月6日に広島へ原子爆弾を投下し、つづけて8月9日には長崎へ2発目の原子爆弾を投下した。 一方、それまで日本とは交戦していなかったソ連が、8月8日に日本へ宣戦し、日本が占領していた満州(現在の中国北東部)へ侵入し戦闘を開始した。8月20日には樺太(サハリン)へも上陸している。 8月14日、日本政府はついにポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。 【広島への原爆投下】 1945年8月6日、西太平洋テニアン島の基地を午前1時45分に発進した長距離爆撃機B29(このB29は「エノラゲイ」と呼ばれた。)は、広島市上空に到達し、午前8時15分17秒、原子爆弾を投下した。 投下された爆弾は、ウラニウム爆弾で、直径71cm、長さ3.05m、重さ約4トン、TNT火薬2万トンに相当し、「リトルボーイ」と命名された。 第1目標は広島、第2目標は小倉、第3目標は長崎であった。周辺には厚い雲の壁があったが、広島の上空は雲ひとつない良い天気であった。高度9600mから爆弾を投下、50秒後に高度570mで爆発した。 爆心地から半径500m以内では、95%以上(「約90%」とする文献もある)の人が即死した。11月までに死亡した人数は約14万人という推計がある。 1950年の広島市役所の発表によると、原爆症も含めて1950年までに死亡した人は推定で24万7000人とされた。 【長崎への原爆投下】 同年8月9日、長距離爆撃機B29(このB29は「ボックス・カー」と呼ばれた。)は、午前2時49分にテニアン基地を発進した。第1目標は小倉、第2目標は長崎であったが、小倉上空は雲に覆われて目測できないため長崎へ向かった。午前11時前に長崎市上空に到達したが、長崎上空も雲が覆っていた。燃料の関係からレーダーによる爆撃態勢に入ったが、最後の瞬間に雲の切れ間が見え、午前11時1分(「午前11時2分」とする文献もある)、2つ目の原子爆弾が投下された。 この爆弾は、プルトニウム爆弾で、直径1.52m、長さ3.25m、重さ4.5トン、「ファットマン」と呼ばれた。 長崎では、市域の36%が破壊された。死者は7万3884人、重軽傷者7万4909人を数えている。 翌8月10日、アメリカ機から1日遅れの警告ビラが、原爆で廃墟となった長崎にまかれた。 【核爆弾の開発】 次のサイトを参考にさせていただきました。 1939年8月に、L.シラードらの要請により、アインシュタインからアメリカのルーズベルト大統領にあてて手紙がだされた。ウラニウムにより新型爆弾がつくられる可能性があること、および、ドイツが開発する可能性があることを警告した。 アメリカは、1939年10月に、ウラニウム諮問委員会を発足。1942年8月に、軍部主導によりマンハッタン計画を発足させた。 1944年9月18日、アメリカのニューヨーク州ハイドパークで、ルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が会談し、日本への原子爆弾の使用と将来の核管理について秘密協定を結んだ。ハイドパーク協定と呼ばれており、1972年に初めて公開された。 1945年7月16日、アメリカのニューメキシコ州アラモゴードで初めて原子爆弾の実験に成功した。 【トルーマン大統領】 ポツダム宣言を無視した日本に対して原爆投下を行なったときのアメリカ大統領は、トルーマンであった。日本占領と戦後のソ連に対する優位を確保するねらいがあったのではないかといわれている。 トルーマンはルーズベルト大統領のとき副大統領であったが、1945年4月12日にルーズベルト大統領が脳溢血で急死したため大統領となった。彼は上院議員を10年間務め、1945年1月に副大統領に就任したばかりであった。ほとんど無名のまま大統領となったが、第二次世界大戦の終結と戦後処理で指導的な役割を果たした。 彼は、戦後の米ソ対立が顕在化するにつれて、ルーズベルトの米ソ協調態勢を転換させ、戦後の冷戦構造をつくりあげていった。 【現在の原子爆弾保有国】 アメリカに続いてソ連が、1949年8月29日に、原爆実験を成功させた。 現在、原子爆弾を保有している国、開発している国については、次のサイトが参考になります。 【参考ページ】 1945年 日本が無条件降伏 1945年 HP作者の叔父が樺太で戦死【LINK】 広島 長崎 原爆 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「20世紀全記録」講談社、1987年 「クロニック 世界全史」講談社、1994年 「ジャパン・クロニック 日本全史」講談社、1991年 「講和条約 戦後日米関係の起点 第二巻」児島襄著、新潮社、1995年 更新 2006/8/24 |