1937年 中国で通州事件このページは、まだ記述しておりません。 「通州事件」は、冀東保安隊(中国人部隊)が日本人(朝鮮系を含む)二百数十人を虐殺した事件です。 まずは、リンクをご覧下さい。 【LINK】 通州事件 - Wikipedia 徳島の保守 ≫ 通州事件の惨劇 (Sさんの体験談) 日本人皆殺しの地獄絵・其の一 同 其の二 同 其の三 同 其の四 同 其の五 〜調 寛雅(しらべ かんが)著『天皇さまが泣いてござった』 からの引用のようです。 YouTube ≫ 通州事件の真実 Sさんの体験談 YouTube ≫ 支那 通州事件の記録写真を南京大虐殺と捏造. (注:残酷な映像が多いので、注意して下さい。) ねずさんの ひとりごと ≫ 【拡散希望】通州事件を忘れるな(2) (注:残酷な映像があります。) ねずさんの ひとりごと ≫ 通州事件・・・「友愛精神」が招いた惨劇 ねずさんの ひとりごと ≫ 7月29日は通州事件のあった日 ねずさんの ひとりごと ≫ いまと似ている通州事件前夜 かつて日本は美しかった ≫ 通州事件 余命3年時事日記 ≫ 日中戦争、日韓(朝)戦争と安倍イズムF 〜通州事件についての記述あり。(リンク切れ) 余命三年時事日記 ≫ 383 余命の近況と南京通州事件 〜通州事件については後半部分。 戦史研究所 ≫ 資料集 ≫ 在通州居留民(内地人)人名簿 在通州居留民(鮮人)人名簿 保守速報 ≫ 【世界記憶遺産】「通州事件」 ユネスコ申請へ 中国軍による日本人200人殺害 新しい歴史教科書をつくる会「世界に知ってほしい」(2015年12月12日付) 〜当時の「東京日日新聞」の記事の画像もある。 産経ニュース ≫ 邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触(2017年1月4日付の記事) 重要 |
この記事の全文を引用します。なお、引用文中のタイトル以外の太字と赤字は、当サイト管理人が施したものです。 『 2017.1.4 09:18 邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触 日中戦争(1937〜45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織に離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也) ◇ 通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。 共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで、近年相次ぎ公表された。 それによると、河北省周辺での地下活動を統括した共産党北方局(劉少奇書記)の下で、「黎巨峰(れい・きょほう)」「王自悟(おう・じご)」という工作員が、35年の冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築した。 この接触で、共産党は「抗日救国に一致団結する大義」を張らに植え込んだほか、保安隊内への浸透も進めた。 さらに、盧溝橋事件に始まる日中戦争以前に華北一帯で頻発した抗日活動も、共産党の工作が奏功したものだと指摘。 実例として、36年11月、河北省昌黎県を列車で移動中の山海関守備隊長、古田竜三少佐ら日本軍将校5人が、同じ保安隊の兵士に拉致された事件について、共産党に影響された張硯田の指示だったことを明らかにした。 35〜36年当時、毛沢東率いる共産党は、陝西省北部の根拠地で国民党軍の包囲を受けつつ、党勢の立て直しを模索。国民党や親日勢力を取り込む「抗日民族統一戦線」の構築を方針に掲げ、国民党などの支配地域で地下工作を進めていた。 保安隊工作にあたった黎巨峰は、小学校の教員を務めた地下党員。「通州兵変(クーデター)の推進役」として評価される。事件後は河北省東部(冀東)地区で共産党武装組織の幹部となり、38年8月に同省楽亭県での暴動を組織した。 張慶余らは、盧溝橋事件(37年7月7日)で日本軍と衝突する二十九軍の軍長などを務めた国民党の宋哲元らと事前に通じ、資金を供与されていたとされる。 通州事件で、保安隊は7月28日の深夜から行動に移り、第1総隊が日本軍守備隊の攻撃、第2総隊が外部との連絡切断、教導総隊が駅の制圧と日本軍増援部隊の阻止を担当した。共産党が蜂起計画に直接関与したのか、あるいは一般居留民の被害まで想定していたのかはなお不明だ。 蜂起を指揮した張慶余らは通州事件の後、国民党軍の中将となり、戦後まで生存。中国では「抗日将領」として評価されている。 ◇ 【用語解説】通州事件 日中戦争開始直後の1937年7月29日未明、北京の東にある通州(現・北京市通州区)で、親日地方政権「冀東防共自治政府」(殷汝耕=いんじょこう=政務長官)の保安隊が蜂起した事件。自治政府、日本軍の関係機関のほか、日本人居留民が襲撃され、朝鮮半島出身者を含む200人あまりが死亡した。多くの女性や子供が、きわめて残虐な方法で殺害されたことで、日本の国内世論を激高させた。 』 |
【参考ページ】 1937年 廬溝橋事件(支那事変へ)(更新作業中) 1937年 中国で廊坊事件(未作成) 〜中国軍が日本軍を攻撃した事件 1937年 中国で広安門事件(未作成) 〜中国軍が日本軍を攻撃した事件 1937年 中国で通州事件(リンクのみ) 〜このページ 1937年 中国(内モンゴル)でチャハル作戦(未作成) 〜日本軍と内モンゴル軍が察哈爾省・綏遠省を占領し、徳王らが蒙古連盟自治政府を樹立した。 1937年 中国の上海で大山中尉殺害事件(未作成) 1937年 第2次上海事変(未作成) 1937年 日本軍が南京を占領 私の思うところ ≫ 日本の歴史認識 私の思うところ ≫ 反日宣伝に関するリンク集 私の思うところ ≫ 南京大虐殺論争 更新 2017/1/7 |