BACK_HOMEトップのページ   BACK世界史のページ   年表5年表5に戻る

1949年 中華民国政府が台湾へ移転


 蒋介石の率いる国民党政府(中華民国政府)は、日中戦争終結後に再発した中国共産党との戦闘で後退を続けた。1949年1月22日に北平(現在の北京)を失い、4月24日には中華民国の首都であった南京を奪われた。国民党政府は政府を南京から広東(10月15日陥落)へ移し、その後も重慶(11月30日陥落)、成都(12月10日陥落)へと移転を続けた。
 成都でも持ちこたえられなかった国民党政府は、1949年12月7日、台湾の台北への遷都を決定。最後まで残っていた蒋介石も、12月10日に輸送機で台北へ向かった。
 これにより中国大陸は中国共産党政府(中華人民共和国)の支配下に入った。
 なお、海南島も、翌1950年4月24日に国民党政府が撤退し、中国共産党政府の手に移った。

 中華民国は、はじめは台湾での存続も危ぶまれたが、現在まで台湾を保持しつづけており、2つの中国政府が存在するという複雑な国際関係が続いている。



【台湾の状況】
 中国大陸から台湾へ渡った人の数は、150万人とも200万人ともいわれている。台湾では、大陸から移った人を「外省人」、元から台湾にいる人を「本省人」と呼んだ。
 台湾は、日清戦争の講和条約(1895年)によって、中国(清国)から日本へ割譲され、第二次世界大戦の終わる1945年まで日本領となっていた。第二次世界大戦後の日本との講和条約はまだ結ばれていなかったが、連合国は中国へ返還されることを認めており、終戦後は実質的に中国国民党政府が支配していた。





【LINK】
LINK 両岸関係史 - Wikipedia
LINK 中華民国 - Wikipedia
LINK 中華民国の歴史 - Wikipedia
現代の中台関係
LINK YouTube ≫ 【台湾CH Vol.105】日台分離70年−知るべき「台湾光復」「一つの中国」の虚構[桜H27/10/30]
LINK 産経ニュース【中台首脳会談】 中台「一つの中国」の原則確認 独立派を牽制、会談「定例化」は見送りか(2015年11月7日付の記事) 〜2015年11月7日、シンガポールで、中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が会談した。
LINK 産経ニュース【中台首脳会談】 「握手」中継も…台湾総統の音声はカット 中国国営テレビ、民主主義への言及警戒?(2015年11月7日付の記事)
LINK 産経ニュース【中台首脳会談】 習主席、台湾提案に「ゼロ回答」 主導権ガッチリ…“アメとムチ”政策強める(2015年11月8日付の記事)
LINK 産経ニュース【台湾・総統選】 台湾8年ぶり政権交代 女性初の総統に民進党の蔡英文氏 国民党・朱立倫氏が党主席辞任表明(2016年1月16日付の記事)
LINK 産経ニュース【台湾新時代−蔡英文の挑戦・上】目指すのは理念の近い日米との連携強化だが 民主主義の力が通用しない「巨大な中国」とどう向き合うか(2016年1月16日付の記事)
LINK 産経ニュース【台湾新時代−蔡英文の挑戦・中】深まり過ぎた経済の対中依存をいかに是正するか 東南アジアやインドとの関係強化へ(2016年1月18日付の記事)
LINK 産経ニュース【台湾新時代−蔡英文の挑戦・下】いらだつ中国「島民に何ができる」…「統一」の功績狙う習近平主席(2016年1月19日付の記事)



【参考ページ】
1874年 日本が台湾に出兵
1894年 日清戦争(〜1895)
1895年 日本が台湾総督府を設置(リンクのみ)
1945年 日本がポツダム宣言を受諾して降伏
1945年 中国で国共内戦が再開(未作成)
1947年 中華民国が新憲法を公布(未作成)
1947年 台湾で二・二八事件(リンクのみ)
1947年 中国共産党が総反抗を宣言(未作成)
1949年 中華人民共和国の成立(主席毛沢東)
1949年 中華民国政府が台湾へ移転 〜このページ




参考文献
「講和条約 戦後日米関係の起点 第二巻」児島襄著、新潮社、1995年


更新 2016/1/19

  <広告>
  cover


  <広告>


 BACK_HOMEトップのページ   BACK世界史のページ   年表5年表5に戻る