日記みたいなもの


 日々感じた事を記していきます。まあ、日記みたいなものです。「日記」としないのは、自分の日記をWebで公開するのはどうか、という思いがあるからで す。
 今更ながらですが、ノンフィクション + アルファー(一部加筆)です。
 なお、1998年に書いた「昔の日記みたいなもの」はここ1999 年に書いたものはここ、2000年に書いたものはここです。

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2004年11月21日(日) 誕生

 本日、私と妻との第一子が誕生しました。
 予期せぬ早朝の破水に始まり、陣痛がおこらず様子見が続き、結局子どもを守るために帝王切開となりました。
 生まれてきた赤ちゃんは、元気そのものの男の子。保育器の中でも、手足を大きく動かし、泣き叫んでいました。
 この子を見た途端、自然と涙が出てきました。頑張って生んでくれた妻への感謝、生まれてきてくれた子どもへの感謝、この子のために頑張ろうと思うこと… 色々な思いが混ぜ合わさり、涙となりました。
 この今日の日の思いを、この子が成人する20年後まで持ち続けよう。

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2004年7月4日(日) 徒然に…

 気づけば半年以上日記も書いていませんでした。
 この間何かあったか、といえばありましたが、無事に生きて生活しています。

 最近ではオフラインでしこしこ文章を打ってアップロードしなくても、ネット上で文章を打てばそれで終わり、というサービスも盛んで、現に日記やBlog を書かれているほとんどの方がこれらのサービスを利用しているように見受けられます。
 確かに、面倒なHTMLの決まりを覚えなくとも良いし、BBSに書き込むが如くアップロードできるこれらのサービスはとても便利です。インターネットの 初心者が利用するのも無理はありません。
 ただ、私はそういうのを使わないで、こうしてシコシコ文章を打っている方が性に合うように思います。他人のサービスを利用するということは、過去に打ち 込んだものが消えた場合の事や、何かの理由でサービス提供が打ち切られた時のことを考えると、今ひとつ不安があります。自分が書いたものは、やっぱり自分 の手元に確実に残しておきたいと思います。

 先日行われたカナダの選挙で、短命政権になるのではないか?と危惧されたマーティン政権が、何とか続くこととなりました。スキャンダルもあり、野党の躍 進を許したことから、不安定な政権となりました。
 今後どのように政権が運営されていくのか、注目したいと思います。

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2003年12月21日(日) Paul Martin

 カナダから一週間前に帰ってきました。何とか社会復帰してやっています。
 旅行そのものは旅行記に記載したいと考えていますが、12月12日(金)のカナダ首相交代(クレティエン→マーティン)の時にカナダにいたというのは、 ちょっとない経験でした。日本と違ってカナダの政権は10年以上続きますから、旅行者がこういう機会に遭遇することはほとんどない、ということになりま す。
 この旅で一番気に入ったのは、オタワでした。24時間もいなかったのですが、この街のコスモポリタンな所がとても気に入りました。次のカナダはオタワを 中心に考えたいと思いました。

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2003年11月22日(日) カナダへ

 私のこれもカナダ話題が続いていますが、もう一つカナダねたを。

 来月第2週の6日間カナダに行くことにしました。カナダといっても、イギリスまで4時間というセント・ジョンズ(ニュー・ファンドランド&ラブ ラトリー州)もあれば、日本まで8時間程度というバンクーバー(ブリテッシュ・コロンビア州)もありますし、冬でも最低気温が摂氏0度程度比較的温暖なビ クトリア(ブリテッシュ・コロンビア州)もあれば、北極圏の街もある訳ですが、この時期といえばウィスラー(ブリテッシュ・コロンビア州)にでも行ってス キー?と考えるのが普通でしょうね。実際、12月にカナダに行くと言ったら、多くの人にスキーか?と尋ねられました。
 で、私が行くのは東部ケベック州のケベック・シティと首都オタワの川向こうガディノー(旧ハル)です。ガディノーは翌日の飛行機のために1日滞在するよ うなものですので、メインはケベック・シティです。

 ケベックというと、北米最大のフランス語圏とか、カナダからの独立問題とか、そういうことが思い出されるでしょう。実際、私もカナダのことを良く知らな ければ、そのくらいしか思い浮かびません。
 で、なぜケベックかと言われれば、ケベックの冬は美しいらしい、カナダのフランス語圏に行ってみたかった、ということになります。これまで、カナダのバ イリンガル地域(といっても英語が優勢ですが…)であるPEIには2度行っています。あまり観光客の行かない所にも行くので、英語で話しかけられて意味が 分からず戸惑っていると、すぐさまフランス語で話しかけられたことがありました。また、スーパーで買い物をしていた女の子達が、レジの店員とは英語で、自 分達同士はフランス語で話していて、あ〜バイリンガルってこういうことか、と感心した思いがしました。これの逆の状況というのを身を持って感じたくて、ケ ベックを選びました。
 ケベックの冬…これは1月のウィンター・フェスティバルを知っていれば分かりますよね?

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2003年9月21日(日)  Mosaic or Melting Pot

 本屋で偶然「カナダのカナタ」(ジーコ・シトウ著、文芸社)という本を目にして、購入しました。カナダ好きとしては、今まで読んだ色々な本に書かれてい る事も多かったのですが、旅行者ではなく生活者としての視点でカナダのことを書かれている点に好感が持てましたし、こんな事もあるんだ、と思うことも多く ありました。カナダに興味がある方は一読あれ。

 カナダという国の歴史を学ぶと、世界の歴史と現代の世界の事を深く考えずにはいられません。それは、カナダという国がフランスとイギリスの植民地として 出発、英仏間の争いに巻き込まれたり、アメリカ合衆国の独立に際しアメリカ合衆国から度々侵略を受けたこと、第二次世界大戦後は紛争地域の難民を積極的に 受け入れてきた、など我が道を行く隣の大国と違って世界情勢に大きな影響を受けてきたからです。
 その大国は「人種のるつぼ」(Melting Pot)と言われます。移民達は自分のバックグラウンドを捨てて星条旗の価値を受け入れれば自由が保障されるという、この考え方が中世ヨーロッパの宗教を 背景にした侵略主義に似ていて私は嫌です。そんな…と思う方、中東での彼の国の考え方はまさしくこれじゃありませんか?
 カナダは「人種のモザイク」(Mosaic)と言われています。各々のバックグラウンドを尊重して共存しようとする、多文化主義をとっています。各エス ニック・グループが自分達の文化芸能を発表するお祭りとかが各地で開かれているようですし、よく見かける光景では、食べ物のパッケージ、空港や道路の表 記、機内のアナウンスなどは必ず英語とフランス語で行われています。街ではターバンを巻いたシーク教徒のおじさんを見かけましたし、イスラム教徒の女性、 ユダヤ教徒の男性も見かけましたが、街の誰も奇異な感じで見てはいませんでした。カナダ沿海地方では、英語がおぼつかないと分かるとフランス語で話しかけ てくれたり、ということもありました。

 一つの価値にみんなを溶け込ましてまうのが良くないことは今の世界を見ればよく分かると思う。私は同一の価値を押しつけようとする文化は嫌。各々の価値 は認めた上で穏やかな連合体組織であって欲しい…私のカナダ好きはこれをやろうとしている国だからということもある。
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2003年8月29日(金) カナダでの 悲しい出来事

 2001年の6月、カナダのノバスコシア州(Nova Scotia)ダートマウス(Dartmouth)でのこと。
 アトランティック・カナダを巡る車の旅も終盤で、ダートマスのホテルの一室でボーとしてTVを見ていた。ニュースになって、画面に出た風景に驚いた。ど う見ても日本の学校、どう見ても日本人、アナウンサーの言葉に耳を傾けると"murder"(殺人)とか"school"(学校)とか"Japan"(日 本)だとかいう単語が聞こえてくる。
 カナダで日本のことが報道されることはまずない。隣国アメリカの事は良く報道されるし、アメリカの番組がそのまま流れていたりする。そんな中で日本のこ とが報道されるとは余程のことに違いない。そう思って、パソコンをインターネットに繋いで、日本のニュースサイトを見た。

 これが池田小での事件を私たちが知った時の模様である。このカナダで知った日本の悲しい出来事の犯人に対して昨日死刑判決が下された。判決は死 刑だが、反省の様子は全くないようだ。犯人の死を持って償えるものとはとうてい思えないが、私にとってこの事件は忘れることの出来ない事件であり、亡く なった子ども達や心の傷をもってしまった子ども達、親たちの事を考えるとやるせない思いでいっぱいである。
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2003年7月21日(月) 冷夏

 今年の夏は本当に涼しい。例年ならば7月も中旬と言えば長野でも30度を超す暑い気候なのに、今年はせいぜい最高気温は27度程度。朝夕は15度くらい なので本当に涼しい。まるで清里か野辺山にでもいるかのような涼しさである。
 夏は暑い方がいいか?私は暑い方が絶対にいい。冬も寒い方がいい。夏は夏らしく暑く、冬は冬らしく寒い方が、それぞれの季節のありがたさというものがよ く分かる。
 暑い夏なら、泳ぐ楽しさ、スイカやトマトの美味しさがよく分かる。寒い冬なら、スキーやスケートの楽しさ、鍋物の美味しさがよく分かる。人類が育んでき た自然との関わりとその楽しみ方というのがとても良く工夫されたものだと感じる。
 今年の寒い夏、梅雨はいつあけるんだろうか?7月中にあけないとしたら、信州の夏は本当に短い夏になってしまいそうで残念である。
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2003年4月19日(土) 極楽浄土への道

 善光寺御開帳という事で多くの人が善光寺を訪れています。普段何気なく境内を往来していますが、実は重要文化財というものが文化財としてあるのではな く、現役として使われていたり、今の時期には花見帰りの酔っぱらいが境内でお参りをしたり回向柱に触れている、というのはいかにも庶民のお寺、善光寺らし い光景といえましょう。古都と言われる所にあり、拝観料を取るようなお寺でこのような光景が見られるのか、興味があるところです。

 で、本題です。
 回向柱に触れると幸せが約束される、らしいんですが、本当にそんなに安易でいいんでしょうか。
 一生懸命生きているのにも関わらず不運にも幸せに縁遠い人、そんな方には是非幸せになってほしいと思います。
 しかしながら、人の迷惑を顧みず好き勝手に生きた人、そんな人が何もせず拝んだりするだけで極楽浄土に行く、というのは何とも納得がいかない。それがお 釈迦様の寛容なところですよ、と言われればそうなんだろうけれど、一生懸命誠実に生きた人が真っ先に救われるべきだと思いますよ。今の世の中ならなおさ ら。

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2003年4月5日(土) 善光寺御開帳始まる

 7年に一度の善光寺御開帳がいよいよ始まります。
 私が長野に来て二回目の御開帳となのですが、前回の時はあまり善光寺の由来とか意識しなかったのですが、今回色々と調べて、善光寺の歴史に驚いてしまい ました。一応天台宗と浄土宗がありますが、善光寺には宗派がないこと、天皇家が直属に設立した寺であり起源は聖徳太子の頃まで遡ること、善光寺の庇護ほし さに戦国大名達が善光寺を長野から色々の地に移転した、等々です。
 こんなすごい歴史の寺でありながら、拝観料無料(お階段巡りは有料ですが)、観光客がいない時間帯は地元民の散歩コースだったり登下校コースでもある、 非常に庶民的な所でもあります。
 多くの人が御開帳期間中に参拝すると思いますが、穏やかな世の中になるよう祈りたいものです。

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2003年3月15日(土) 春は名のみ

 「早春賦」は春まだ浅い安曇野の様子を歌ったものですが、今の長野はまさしく早春賦の如く、日差しは春なのに、寒さは真冬のままとなっています。一年前 は、恐ろしく早く春が訪れてしまったために、花見の時期がずれてしまったということがありましたが、今年は平年並みか少し遅くなりそうです。

 雪国とそうでない所との違いを最も感じるのがこの時期。
 関東では早咲きの桜が咲いたりしていますが、こちらではまだ雪が降っていて、梅や桜の花どころではありません。新幹線が開通する前、長野県側の風景はま だ冬なのに、碓氷峠を越えて横川に着いたとたん、雪など全くなく、梅の花が散っていて、桜が咲き始めているのを見て、季節の違いを感じたものです。
 そんな季節の違いが極端に分かるのは、碓氷峠という極端に標高差があるもので隔てられたからかもしれませんが、そういう所は滅多にないかも知れません ね。

 スケーターにとって春は仲間との別れの季節。「また来シーズンリンクで会いましょう!」この言葉を言うのは寂しいものです。

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2003年1月20日(月) スポーツ報道

 この週末は日本人のスポーツ選手が世界中で活躍しました。
 自動車のパリ・ダカでは増岡浩が二年連続優勝。アルペン・スキーW杯回転では佐々木が二位入賞で、アルペンの強くない日本人としては何と1988年の岡 部以来。フリースタイルのW杯では、モーグルの上村が悲願のW杯初勝利。そして、スピード・スケートの世界スプリントでは、新谷が二位入賞し、腰痛の清水 も今シーズンのベスト記録を出しました。

 これだけのピックニュースがありながら、TVのスポーツ番組は相撲と野球…。上記の日本人の活躍は、終わりの方にちょっと触れただけ。画像も写真だけと いう始末。
 相撲は良いでしょう。国技だし、横綱貴乃花引退か、というネタもあったし。
 問題は野球。オフシーズンなのにそんなに報道する必要があるんですかね?それだけの労力を、オンシーズンのスポーツ取材に注いでほしいと思います。イン ターネットがこれだけ普及して各国のスポーツ報道を見れるようになると、日本のそれはあまりに貧しくて悲しくなります。

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2003年1月18日(土) 最近のWebデザイン

 色々なホームページを見ていて不思議に思うことがあります。それは最初のページ、まさしく「ホームページ」に関することです。
 どうして「index.html」のファイルにコンテンツ・メニューを置かないので、別のファイル(大抵ファイル名はmenu.html)にメニューを 置くという、見る側に手を煩わせるような作りにするのが流行っているのでしょうか?
 index.htmlの所では、中身が分からないので、否が応でもクリックしてコンテンツ一覧が出ているファイル(menu.html)を開かざるを得 ないので、上記のような事は全く無意味だと思うのですが…。

 今日、UBSメモリを買いました。ホームページのデータを全てUSBメモリに移して、今、更新をしているのですが、これはなかなか便利ですね。

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2002年12月30日(月) HTMLその2

 別に30日を「日記みたいなもの」の更新日と決めているわけではないし、12月30日に一年を総括するべく更新しなければいけない、という決まりがある わけではないのですが、なぜかこういう事になってしまいました
 一年の総括…毎年同じような感じだなぁ。進歩ナシ。
 というわけで、前回の続きのような話しです。

 このホームページの作成は基本的にNetscape Composerでしています。最初は4.x、そして今は7.01と代替わりが進んだため、このホームページのソースを見ると結構汚くなっていました。そ れに、この日記のようにコピー&ペーストをしていると、表示上は何でもないのに、何でここにこのタグがあるのか?という類のものが結構あります。
 ということで年末のお掃除よろしくHTMLソースを直接いじって少し整理しました。「少し」というのは、やっているうちに疲れたから…。

 2003年もスローペースながら更新していきたいと思いますので、皆さんよろしくお願いしますm(_ _)m

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2002年11月30日(土) HTML

 スケート以外のホームページに良く行くようになりましたが、ホームページを作ったばかり、という方がスタイルシートやJava Scriptを駆使していて圧倒される事が良くあります。どこでその技術を?、と思ってソースを見るとWebエディタだったりして。こういうサービスがあ る事を初めて知りました。
 私がホームページを作り始めた頃は、自分でHTMLを勉強してやるしかなかったのですが、HTMLやFTPの知識がなくともホームページを作ることが出 来るようになったとは、インターネットが大衆化しているんだなぁと思う反面、そういうWebエディタで作られたものでは、フォントに**ゴシックとかいう 指定がしてあったりして、あれ???と思うこともあります。全てのコンピュータに某社のフォントがインストールされている訳じゃないから、フォントの種類 は指定しちゃいけない、って私は教わったんですが…。

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2002年11月23日(土) 花火大会

 花火=夏、というのが一般的ですね。実際、お盆の時期を中心に夏には花火大会が各地で開催されます。
 信州で花火というと、何と言っても毎年8月15日に行われる諏訪湖花火大会、そして9月第一日曜日に行われる新作花火大会でしょう。後者は一度行ってみ たいと思っているのですか実現していません。前者は行った事がありますが、地元のちんけな花火しか知らなかった私にとって、カルチャーショックと言っても 過言ではないほど凄い花火ばかりでした。

 現在私の住んでいる長野市で花火、といえば夏ではなく11月。長野市では毎年11月23日に「長野えびす講煙火大会」が開かれているのです。
 いままできちんと見に行った事はなかったのですが、会社に来ていた招待券をゲットしたので、招待席で見に行ってきました。何しろ打ち上げる場所は 200mほど先、という良い場所で、飲み物とおつまみ、おでんも付いていました。重装備していったので寒くはなかったし、夏と違って虫はいないし、車が渋 滞したのは仕方ないけど、良かったですよ。招待席での感想?いやー最高でした。どう最高かって、花火を言葉に表すのは難しいので言えませんね〜。

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2002年10月20日(日) 諏訪にて…

 私の愛車はH3年式日産パルサー5DHBというマニアック?な車に10年以上乗っているのですが、昨日初めて体験しました。ファンベルトが切れるという ものを。
 もともと、エンジンの脇からシャカシャカ音がしていたものの、8月の車検では異常なしだったし、その後も普通に動いていて、2月の6ヶ月点検の時にでも 言っておくか、という程度に思っていたので、全くのノーマークでした。こんな事ならディーラーの工場に嫌がられても良いから、もっと強硬に言っておくべき だったと後悔しました。

 下諏訪町の国道20号線を塩尻方面から諏訪方面に向かっていて信号待ちをしていた時、キィーという自転車のブレーキのような音がして、いきなりエンジン が止まりました。セルを回すとエンジンがかかったのですが、5分ほど走るとまたエンストして、今度はボンネットの運転手側から白煙が…。さすがにこれはヤ バイと思ってすぐに路肩に止めた所、道路の反対側にガソリンスタンドがあったので見てもらいました。この時、パワステが効かなくなっていました。
 「ファンベルトが切れちゃってますね。ウォーターポンプもダメみたいです。自動車屋さんへ行った方が良いですよ。」と言われ、日産のディーラーを教えて もらい、騙し騙し運転していきました。ディーラーまでの道のりは生きた心地がしなかったです。エンジンはふかさず、低回転で運転して行ったのですが、水温 が上がり始め、しかも信号で引っかかるわ、踏切はあるわで…。信号待ちではエンジン切ったり、下り坂ではニュートラルで運転したり、学生時代原チャリで オーバーヒートを経験したのがこんな時に生きるとは思いもよりませんでした(^^;

 不幸なトラブルでしたが、真っ昼間だったこと、ディーラーが近くにあったこと、部品があったこともあったので、夕方には完璧に修理して長野に向かって帰 ることが出来ました。真夜中だったり、工場が遠かったりしたらどうなっていることか考えたら、不幸中の幸いでした。
 事故発生が13時、修理完了が17時30でしたが、その間、温泉(片倉館)に浸かって時間をつぶしました。これも不幸中の幸いでした。

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2002年5月26日(日) 久しぶりの更新(言い訳?)


 このホームページを見ていただいている熱心なファンの方から「たまに見るんだけど、全然更新してないね」というお叱りを頂きました。そ奴の期待に応える べく久しぶりに日記を更新します。
 # これ見てほくそ笑んでいるだろうね(^^)
 だからと言ってネタがあるか…と思ったら去年のカナダ行きの話がほとんど手つかずじゃん。これをやるか、と思ったものの、今日はいい天気だし、妻が外出 するわけでもないので、またの時にしようっと。
 じゃあ、日記。う〜ん、書きたいことはあるが、ここではまずいでしょう。って事で日記もネタ不足で、このようにどうでもいい内容になりました。

 そういえば、先頭ページの画像も変えないといかんなあ。4年前のはちょっと厳しい?

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2002年2月3日(日) Salt Lake City 2002

 長野オリンピックから4年、アメリカはユタ州の州都ソルトレークシティを中心にまたオリンピックが開催されます。あのオリンピックのわくわくする感じが また来るんだなあ、と思うと渡米せねば、と思うものの、1〜5月は一番仕事の忙しい時期でもあり、とても渡米できません。4年前に「前回開催地の代表とし て、ソルトレークに行くぜ〜」などと意気込んでいたものの、食べるためにはその野望も断念せねばなりません…。
 そこで、考え方を変えました。今回はTVをよく見ることとして、ソルトレークへは今年の夏にスケート靴を持って行く(カルガリーにも行く)。4年後のト リノ(イタリア)でも、それ以降でも良いから、死ぬまでにあと一回は最低あの冬季オリンピックの雰囲気を味わいに行く、これを野望に生きていきたいと思い ます。

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2001年12月30日(日) 2001年を振り返る

 2001年も残すところあと2日となりました。皆さんはどうすごしているんでしょうか?
 この時期、TVはすごくつまらないか、すごく面白いかのどちらか両極端で、困ってしまいます。今でこそインターネットが常時接続になりましたので、TV がつまらなければWebサーフィンをしていれば良くなりましたが、以前は暇をつぶすには仕事でもするか、混んでいる中ドライブでも行くしか手段かありませ んでした。暇つぶしに事欠かさなくなったというのはすごく便利なことですね。

 さて、年末なので今年一年というものを振り返ってみますと、相変わらず仕事の忙しさに振り回されていたように思います。ホームページの更新もスケートの 回数も非常に滞ってしまいました。こういう事をやりたい、とは思うものの、絶対的な時間がない中で、気合いを入れてやっていくのはとても厳しい状況でし た。ましてや、結婚していると同居人の相手もしなければなりませんので、そう簡単にいくものではありません。
 言い訳ばかりになってしまいましたが、来年も今の状況が変わるとはとうてい思えませんが、少しずつやっていたいと思います。ソルトレークシティ冬季オリ ンピックもありますしね。

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2001年11月18日(日) スケーターの習性

 我が家から見える志賀高原や菅平も雪景色となりました。信州は冬の準備ができあがったようです。
 こうして家にいて、夕方ふと空を見ると、どうにも哀愁を誘う感じがしてなりません。スケーターの習性か、スケートをやっていた頃よく見た夕方の空の感じ を思い出します。
 「あ〜スケートに行かねば…」、そうは思うものの、独身時代と違って結婚するとどうも余裕がありません。その上、仕事で十分に休めていないので、週末く らいは家でゆっくりしたいと思ってしまいます。リンクに行けば色々と頑張って下さっている先輩・後輩がおり、申し訳ない気持ちはあるのですが…。

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2001年10月8日(月) アフガニスタン砲撃


 ついに米軍がアフガニスタンに砲撃をはじめた。英国軍と共同で行い、アフガニスタンに対しピンポイント攻撃をしたらしい。
 武力によって問題が解決するのかは分からないと思う。湾岸戦争もそうであったし、ベトナムではアメリカは明らかに敗北した。中東政策の根本的な見直しが 真っ先ではないかと思うものの、共和党政権では絶望かも知れない。

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2001年9月16日(日) 米でテロ続発


 アメリカ合衆国のニューヨークとワシントンDCで次々とテロが起き、多くの人が亡くなりました。世界貿易センタービルに民間航空機が突っ込む様は映画の ようでしたが、映画ではなく悲惨な現実でした。
 イスラム教過激派が犯人とされていますが、アメリカが報復措置を行ったとしても、アメリカの中東政策が劇的に変わらない限り、イスラム対アメリカの構造 は根本的には変わらないと思います。
 第3次世界大戦発生、などといったことのないよう、アメリカはもちろん、日本にも冷静な対応をしてほしいと思いますし、我々自身も冷静に考えなければい けないと思います。

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2001年6月16日(土) 再度カナダ


 6月6日(水)〜13日(水)の8日間、カナダへ行って来ました。
 新婚旅行の時は、北米大陸を横断したのですが、今回はいわゆるAtlantic Canadaのみでした。具体的には、Prince Edward IslandとHalifaxに行きました。
 タンポポが咲く気候で、長野では4月下旬の気候でしたが、日差しが強く、気温ほどは寒さを感じませんでした。数週間後には夏休みに入る、ということで休 み前の静かな時期でした。
 しばらくしましたら、カナダ旅行記その2としてアップしたいと思います。

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2001年4月29日(日) No Spam E-Mail Again


 GWがやってきました。年末年始以来の休みですので、この間にホームページのいろいろな所を更新しようと思います。ホームページ開設以来3周年も過ぎま したし。
 さて、携帯電話に出会い系のメールが来て迷惑する、という話は回りでも良く聞きますが、私はE-Mailアドレスにこういう出会い系のものやDMの類が 来ます。メール配信を自分から希望した類のものは良いとしても、この手のくだらないメールをチェックせざるを得ないのは迷惑この上ありません。
 携帯電話の場合は、メールアドレスが携帯電話番号なので、ランダムにアドレスを打てば良いんでしょうが、そういうことのないE-Mailの場合は、明ら かに何らか恣意的にやらないと送ることが出来ません。どこから私のアドレスを知り得たのか、検索エンジンでもなかなか引っかからないこのホームページをわ ざわざ調べるなんて面倒なことをやっているんでしょうかね。
 1997年頃はSpam Mailが来て腹が立ったのですが、今回はそれ以上に腹立たしく思います。アダルト系のみならず、コーヒー店などが、こういった迷惑なメールを送りつけて くるのには、それ以上に呆れます。

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2001年2月18日(日) (やっと)新世紀初

 21世紀も明けて50日余りがたった今日が、新世紀初の「日記みたいなもの」の更新となりました。言い訳をすれば、本当に仕事が忙しくて、ホームページ の更新どころではなかった、というのが理由です。更新はマイペース、というのが私のモットーなので(?)、お楽しみにされている方はご辛抱下さい。

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