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#300 
山添 99/06/02 02:17
張学良

すげー。生きてはったんや。50年前の歴史人物って、世界でも珍しいのでは?
# やっぱり、「ニュースな史点」は、毎週蓄積してほしいです。1週間に1度だと、つい見逃がすおそれあり。



#299 
かずさ 99/06/01 22:09
うお(@@

そうだったのかぁ(^^;>江戸時代初期
しかし、なぜ。。なぜ。。秀忠が。。秀忠が西田敏行なんじゃー(爆)
全然私のイメージが違うぅ。
秀忠のイメージって、もっと線が細くて頼りなげで、そのくせ悪知恵は働くという
イメ−ジなんだけどなぁ。
鄭成功救援論が由比正雪・宇喜多秀家なんかと絡んで、江戸幕府転覆失敗のドラマに。。。。(笑)どっかの架空小説の話ですけどね(^^;
ではまたです^0^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#298 
徹夜城(物好きな管理人) 99/06/01 16:13
例の本の専用掲示板作りました。

というわけです(笑)。ツリー型掲示板となっております。僕のアシモフコーナー行った方はお分かりでしょうが、あそこのツリー型掲示板の改造です。
いくつかツッコミを書いておきましたので興味があったらご覧ください。

どこにあるかといいますと、ちょっと面倒かも知れませんが「歴史本の広場」の「戦慄歴史本」コーナーから入れるようになっています。
…面倒とは思ったんですけどトップページにあれ専用の掲示板を張り出すのはちょっと気が引けましてねぇ(^^;)。裏モノっぽくて良いでしょ(笑)。



#297 
徹夜城(更新の遅い管理人) 99/05/31 15:12
なんと「しりとり人物館」が復活・更新!

さぁて、トップページ見て気が付いた方がおられるでしょうか。なんと、あの休眠状態だった「しりとり人物館」が更新しました!去年の8月以来の更新という何とも凄まじく遅れた更新であります。取り上げる人物はとっくに決まっていてチビチビ書いてはいたんですけどね…。
「な」から始まる人物とは誰か!?実に僕好みの奇人変人を選んであります(笑)。資料の方も更新してありますのでご覧ください。

次回からは弟と交代で担当し、更新ペースを早めることにしたいと思います。次回は弟が担当で「け」から始まる人物となります。もう決まってますよ。予想宜しく。



#296 
徹夜城(大河に釘付けの管理人) 99/05/31 00:02
来年の大河は!

>かずささん。
来年の大河ってモロに江戸初期ですよぉ、かずささん(^_^;)。
「葵〜徳川三代」とかいうタイトルで家康・秀忠・家光を描きます。脚本はジェームズ三木ですから過去の例からいくとまぁ外しはないでしょう。家康は津川雅彦、秀忠が西田敏行とまぁ見事にジェームズ三木人脈になっております。家光は誰だったっけ…(笑)。
なんでもハイビジョン撮影による作品になるそうで(しつこいよなぁ、NHK…)あの上下に黒い枠が出る映画サイズの画面になるみたいです(たぶん)。
鄭父子は話のタネに無理矢理出すことも不可能ではないはずですけどね。実際鄭成功は江戸幕府に援軍を求めているわけだし(もちろん拒絶されましたが)。

ところで「元禄繚乱」ですが盛り上がってますねぇ。とりあえず城明け渡しの次回までは目が離せない。その後はちと辛いところかな



#295 
かずさ 99/05/30 23:40
北条ですかぁ^0^

「北条時宗」…なんとマニアックな(笑)主人公でしょう。
ていうか普通の人はだれか知らないぞ。時宗(笑)

田舎国王が国際法無視して戦争おっぱじめ、偶然にも天災によって勝った人ですね(笑)
毎年台風やら梅雨やらで大嵐になる地域ですから当然の災害でしょうけど。
光栄のタイアップ>蒼き狼・・ですか
今年発売したから2年後。目茶光栄の新作ペースですね。たぶん作るでしょう(笑

今年の大河ドラマもちょっと前私ン所の田舎の城「備中松山城」の明け渡しが出ました。
ロケ無かったので案の定、既往録画とセットでした(笑)

個人的には大河ドラマで江戸時代初期とかしてほしいですね。
そしてもちろん鄭成功が登場すると(笑)うはは(^^
いや鄭芝竜・成功の大河ドラマが(爆)

ところで、来年の大河ドラマは何でしたっけ???(笑)
ではまたです^0^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#294 
徹夜城(最近睡眠不足?の管理人) 99/05/29 00:06
徐福についてちょっとしたネタ。

>タロイモさん。
いやぁ、どうも。読んでいただけましたか、例の書評。アレ専用の掲示板も近々公開するつもりなんですが、我ながらよくやるもんだと思います(笑)。あそこに書いたのはあくまで全体論でして、細かい各論になるとこれがまた凄いんですよ(^^;)。専攻の人でなくても「中国史ファン」ぐらいの人なら十分ツッコミが入れられます。専門外とはいえ「教授」の肩書きがある人なんだけどなぁ…さらに言えばあんな本に絶賛の推薦文を載せるお二人の気も知れないところ(まぁ前から知ってはいましたけどね)。
あれにこのところ集中したもんだから、「事件簿」執筆が遅れてしまった(汗)。

うってかわって徐福の事ですが。
「徐福伝説」って日本ではいつごろから言われ出したのかな、という点に僕は興味を持っています。仮に彼らが実際に日本に来たとしても「伝説化」しちゃうわけですよ、時期的に。
僕が倭寇関係の資料にあたってた時、中国側で作成した当時の日本地図に「徐福墓」と言う書き込みを発見して驚いたことがあります。その地図はかなり不正確なので明言はしにくいんですが、確か紀伊のあたりに書かれていたはずです。こんなころ(16世紀)にも話が日本・中国双方であったんだ…と驚いたのです。
ところで山口県には「楊貴妃の墓」があるんだそうで(!)、以前中国の学者がこれを証拠として「楊貴妃日本逃亡説」を唱えたとか新聞で読んだことがあります。まぁこの手の話は世界中どこ行ってもあるんですが…



#293 
タロイモ 99/05/28 00:19
「北条時宗」はホームドラマ風とか・・

ガイドラインとタイアップ・・・私以外にもそんなこと考えた人いるんですかね
何しろあの法案が衆院通過した次の日に「北条時宗」の発表があった
もので・・北条時宗についてですが、高橋さんの原作は「放送文化」という
雑誌かなんかに連載中だそうです。
ドラマは時宗と父、兄の関係を中心に北条一族のホームドラマとして
描かれるらしいです。実は時宗の兄、六波羅探題だった北条時輔は1272年に謀反の疑いで
時宗の命令によって殺されてしまうので、そのあたりも見所かとおもいます
この事件の舞台は京都なので「とはずがたり」の人々が出てくるのか気になるところです。


中国4000年の真実のコーナーとてもおもしろかったです。聞きしにまさる
トンデモぶりですね。自分で買う気はおきませんが・・
ところで中で徐福について言及してましたが、やっぱり日本ではまゆつば
扱いですか・・中国の研究者の間では真面目に議論されているようです。
中心は徐州師範学院の羅其湘教授という方らしいです。(この人が徐福村
について考証したらしいです)
中国では徐福東渡についてだいたい六つの意見にまとめられるようです。
1・肯定論・・・徐福は実在のひとで漢人のうちで日本に渡った者の一部で
ある。徐福村の発見と徐福の東渡を学者が考証している。
2・否定論・・・徐福は推測された人物で、日本に渡ったのは虚構である。
3・存疑論・・・史料には肯定と否定の両方の徐福の記事があり、確証が
ないものとして疑いをもっている。
4・牽強附会論・・・徐福は日本の神武天皇だと一方的に判断している。
5・未到日本論・・・徐福は実在し渡海を企てたことはある。しかし、日本に
到着したことはない。
6・移民代表論・・・徐福およびその業績は史記にあるから疑いはないが、
日本に到着したかどうかは確証はなく結論はだせない。しかし、この時代
大量の中国移民が日本に到着したことは確実である。そして日本の文化
と生産の発展に寄与している。
以上です。参考にした本は「徐福ロマン」(羽田武栄著・亜紀書房)です。
この本はトンデモ本じゃないと思いますよ。参考文献を見た限りは・・・
私は6の移民代表論に関心があります。



#292 
徹夜城(ゲーム雑誌も割とチェックしてる管理人) 99/05/27 00:35
時宗の予想

>アール・ケイさん。
「北条時宗」…僕はこの発表を聞いたとき、まずは江戸・戦国から離れたことは歓迎しました。しかし「少々やっかいな人になっちゃったな」とその次に思いましたね。
僕も時宗個人についてはそう知っているわけではないんですが…少なくとも鎌倉幕府のモンゴルに対する外交上の対応は、当時の感覚でも誉められたもんじゃなかったと思ってます。使者を斬っちゃうのはいくらなんでも乱暴です。
結果的に勝っちゃったから彼は「救国の英雄」扱いされてしまいましたが、一歩間違えたら亡国を招いた暗君と言われたかも知れない。
彼を主人公にする以上、大河ドラマでは彼自身はポジティブに描かざるをえんでしょうが…おっしゃるとおり「平和外交を望んだのに戦争になってしまった」ってな描き方が予想されますね(この手の描写は「徳川家康」が凄かった)。たぶん日本攻撃に反対する高麗人・中国人なんかを出してバランスをとるとみた。
僕の専攻から意見具申するなら、当時の世界史的視野にたった立体的なドラマ作りをしてほしいですね。単なる「侵略撃退もの」にしちゃったら最悪です。一部では「新ガイドライン法とタイアップか?」などと勘ぐられてるんですから。

全然話題が違うけど、今日「ログイン」買ってアジアゲーム情報見てたら、韓国の三国時代ネタSLGを発見。やっぱあるんですねぇ。なんでも百済は知性が高く、魔法能力が強いそうだ(おいおいおい)。古代史って事でファンタジー要素もまぜちゃったらしい。ではぜひ初代国王は卵から生まれたりして欲しいものです(笑)。
「時宗」大河ドラマ化ということで早速「コーエー」あたりが蒙古襲来シミュレーションに着手していそうだな。それとも「蒼き狼と白き牝鹿」の新作ですかね。



#291 
アール・ケイ 99/05/26 21:47
変な質問ですが(再来年の大河ドラマについて)

私も、いわゆるトンデモ本については
ネガティブな意味で興味がありますが、「ミイラ取りがミイラ」になるのが恐くて(笑)、専ら『と学会』印の本でカバー?しています。
長山靖生さん(まちがってたら御免なさい)による、歴史捏造(よくいえば伝説の誕生ともいえますか)のメカニズム解読には納得させられました。

さて、大河ドラマファンの私としては、今再来年(2001年)の『北条時宗』について、お節介な心配を某HPのBBSでしております。
簡単に言えば、そんな取っ付きの悪いものを製作して、大河ドラマを潰す気ですか、大丈夫ですか、と(馬鹿ですね)。
どうすれば多くの視聴者を引付け、うまくいけば歴史ファンを唸らせるようなドラマが作れるのか、思案しています。(別にNHKに企画書を出すつもりはありません。全く意味の無い心配なんですけど)

そこで、こちらにお出での諸兄にご質問申し上げますが、
北条時宗、という人物像について、どうお考えですか?
特に知りたいのは、無謀とも思える元との戦に突入していったことの評価です。
ドラマの主人公が決断したことですから、本来ポジティヴに評価して話を進めるべきなんでしょうが、私には無理があるような気がします。
すると作劇上は、「主人公は本当は戦争は嫌だったが、状況が許さなかった」とするしかないということになります。史実は別として、テレビドラマですから。
どうも、すっきりしないのです。それは時宗という人物がイメージとして浮かんで来ないせいかも知れません。
なにか、ご教授をお願いします。



#290 
徹夜城(多趣味な管理人) 99/05/24 23:55
趣味の合う人っているもんです。

>アール・ケイさん。
やぁ、どうも初めまして。
いやー案外いるもんですよ。歴史好きで映画好きでアシモフ好きって。以前にもこの掲示板に出入りがあったんですけどね。
確かにこれら、重なるところの多いものかもしれません(アシモフもあれで結構歴史ファンのようですし)。そう、確かに「手塚治虫」ってキーワードは全てを結びつけてしまいますね。僕も大好きです。あ、これはアシモフ掲示板に書くネタでしょうかね。先ほど観てきたんですが、アール・ケイさんも「濃い」ですなぁ…(^^;)
出入りするのは憚らないでください(笑)。別にガチガチの学術専門HPやってるつもりもないので。歴史映画や大河の話なんぞ面白いと思います。

どうでも良い話ですが(笑)、先日衛星放送でやってた「エリック・ザ・バイキング」という超B級コメディ歴史ファンタジー劇(?)を観てしまいました。北欧のバイキングがネタだったのでみたんですが…参った(^^;)。コメディとはいえ脱力することしきり。関根勤が出ていたのには驚きましたが(日本語でしゃべってます。英語字幕はデタラメ!)。あの人たまに海外のB級コメディ出てるからなぁ、油断が成らない(笑)。

>中西さん。
どうも、早くも読んでいただけましたか(笑)我ながら書いてて楽しかったですよ(爆)。あの本を読んだ上でネット検索であのページ発見する人がいたら面白いことになりそうですね(^^;)。掲示板は近日中(俺ってこの言葉乱用してるかな?)に公開予定。

「倭乱」についての議論は僕も以前に耳にしました。僕自身はあんまり気にしてないんですが…ただ、以前僕の大学のゼミであの韓国製作ドラマ「壬辰倭乱」上映会をやったところ、先生が「差別表現があるぞ」と指摘してました。たぶん「倭軍」や「倭奴」のことを言ったんだと思いますが…。
 ひょっとしたらお読みかも知れませんが、「消えた王国」という三国時代(もちろん半島の)と古代日本の歴史をテーマにした韓国の小説を読んだことがあります。あれで「白村江の戦い」に日本軍が百済救援に向かったことを韓国の教科書は書かない、と批判している個所がありました。日本の教科書も良くないが、我が国の教科書も変だ、というわけ。あっちでも歴史記述についてそれなりに議論はあるんでしょう。
 そういえば先日書店で「トンデモ本1999」を買ったんですが、あの中で北朝鮮・韓国の歴史修正問題が取り扱われています。なかなか面白いですよ。「それってどっかで聞いた話」という姿勢に共感しました(笑)。



#289 
アール・ケイ 99/05/24 20:22
遅れましての、はじめまして!

私、「大河ドラマの歴史」のBBSにほとんど居候状態の
出鱈目男、アール・ケイと申します。
お見知り置きを。
お誘いを受け、こちらにやってきてびっくりしております。
歴史好きで、映画ファンで、アシモフファンの方が
私のほかにいたなんて…
(まあ、落ち着いて考えてみれば結構ファン層重なりますけど)
尤も、歴史ファンといっても、こちらにお出でになる方のレベルには
到底及ばぬトーシローですので、
あまりここに出入りするのははばかられるような気がします(笑)。
他のBBSにお邪魔させていただくことの方が多くなるかも知れません。
ではまた。

追伸
私の場合、これらの接点として「手塚治虫」という人が存在します。



#288 
中西豪(赤穂事件については山本常朝の批判に与したい) 99/05/24 07:22
「あの」本

 「あの」本の特別コーナー拝見しました。もう、これだけで満腹、という感じですね。各論までやったら、ホント膨大だ。
 と、言いつつ、掲示板開設に備えて、壬辰戦役関係の書込用の原稿を、研究会発表準備の合間に進めるとしましょう。
 しかし、この壬辰「戦争」、私も以前から「倭乱」と呼称するのに抵抗があったのです。「文禄慶長の役」と呼ぶのに対しては、
「侵略の事実を歪曲しようとしている」といった向こう側の批判があったりして、そりゃおかしいのではないか、「倭乱」というのは
「倭が乱す」で、朝鮮に臣従していた「倭」が叛乱を起こした訳じゃないぞ、中国側は「万暦東征」じゃないか、「朝鮮征伐」と
同レベルなのに、いいのか! なんて思っていたので、ニュートラルな意味合いで「壬辰戦争(戦役)」と呼んでは、などと
数年来九州史学会朝鮮学部会の懇親会などでオルグを続けていたのですが、ここのところ井沢元彦やらそちら系の連中が
同じ主張をしだしたもので、出発点が同じと思われるのが癪で、最近は黙っていました。「あの」本でも大々的に主張していますね。
 ちょいと辛いものがある。
 ところで、あの著者が金忠善のご子孫、金在徳氏と会っているという記述は、事実でしょう。ただ、腹を割ってきちんと話し合ったり
してはおりますまい。「降倭の里」、友鹿里は近年日本からの観光客が多く、ツアーの順路ともなっています。先日お知らせしたJR
九州のやつでも入っています。とりあえず、歓迎してくれるようです。五年前、まだ観光客もまばらだった頃に初めて、大規模ツアー
(大型バス2台で訪れた歴史散歩友の会ツアー)が押し掛けたときには金氏はえらく不機嫌だった、ということを漏れ聞いています。

>元禄瞭乱
 非常に辛口なテレビ時代劇評で知られる島尾功緒氏(現代思想社文庫『時代劇博物館』の著者)が週刊誌で褒めていたので、
驚いて見始めました。確かに、近年にない出来の良さだと思います。個人的には大高源吾がどれだけ活躍するか、といった些末
なことが気に掛かります。三船が内蔵助をやった「大忠臣蔵」での御木本伸介扮する源吾のかっこよさが、脳裏に刻み込まれて
しまっているので。ほとんど『三国演義』の趙雲なみの大活躍なのですよ。



#287 
徹夜城(今日はアシモフとともに忙しかった管理人) 99/05/24 01:10
歴史本の広場が更新だ!

いきなりですが、「歴史本の広場」のコーナーを公開しました!なんと半年ぶりの更新。何をやってるんでしょうね(^^;)。いくつか最近読んだ本の書評を書いてあります。
そして…!あの「4000年の真実」には特別コーナーを設けました!とりあえず専用掲示板はまだ作ってません。今後の状況により考えることにします。
読めば分かりますが、あくまで今回は全体的な「ツッコミ」にとどめました。それであれほどの量になるんですからホント凄い本です(笑)。それぞれの時代や細かい部分のツッコミは後日追加と言うことで。

話は打って変わりますが。今日の「元禄繚乱」、面白かったです。どうも忠臣蔵みたいな定番はついつい「あの場面はどうなる?」という関心だけで見てしまいますな(笑)。また忠臣蔵か、とバカにしていた僕ですが、最近は結構ハマって観ています。
浅野内匠守の長寿記録を大幅に更新した(笑)東山紀之さん、御苦労様でした!



#286 
徹夜城(相変わらずそそっかしい管理人) 99/05/23 12:53
ありゃりゃ、よく見たら。

やぁどうも。例の本のことですが、カバー外して良く表紙見たらドクロじゃなくて地球が描いてあったんですね。なんとなく印象からドクロかと思っていた。今にして思うと何でそう思ったか我ながら不思議(^^;)。本のおどろおどろしい印象がそうさせたかな。この本の著者にも言えることですが、人間「思いこむ」ということがあるので要注意だな(笑)。

今作業している最中ですが、例の本専用に掲示板作ろうかな、と考えてます(いちおう期間限定の予定)。その本の話題はそっちで扱ってこちらとは切り離そうかな、と。



#285 
中西豪(降倭多化時) 99/05/21 19:36
鳥銃量産は難しい

 うろ覚えなので、明日また立ち読みに行こうとは思っているのですが、あの本の趣旨、降倭の戦力で日本軍を押し返した、
といったものであった筈ですが、さて、降倭は何人くらいいたのか?
 申忠一という、この時期対女真交渉(ヌルハチに面会したりもしている)で活躍する武官がいるのですが、彼が女真側に対
して「降倭は五六千」いるぞ、と言っています。まあ、日本兵の精強を伝え聞く女真に対する恫喝なんですから、割り引くべき
でしょう。実際北方に転戦する降倭部隊は、百人未満を単位としています。慶長期の海岸地帯での日本軍との正面対決でも
数百人というところではないか?
 だいたい、明式装備訓練の新式軍隊、「訓錬都監」も、戦争中には一万程度だったのですから。
 降倭とセットで語られる鉄砲の移入も、その国産化は確かに努力はされていますが大量生産はやはり戦争中にはいまだし、
の感があります。中央の兵曹軍器寺(兵器工廠)よりも、南方の利舜臣の軍営内で生産されたものの方が質量ともに優れて
いたり、最終的には捕獲鉄砲の方が数的にも多かったようです。
 1619年のサルフの戦いの時には、少なくとも五千挺は揃えて赴援しているのですけれどね。
 それではまた。これから反省会(笑)です。



#284 
徹夜城(やっぱりそそっかしい) 99/05/21 15:38
情報追加

そうそう、掲示板で無制限に協力を呼びかけておいて、その本のタイトルをここまで書いてませんでしたね。まぁ書店の中国史コーナー行けばすぐわかりますが・・・

杉山徹宗著・「侵略と戦慄・中国4000年の真実」って本です。不気味なドクロが目印(笑)。
恥ずかしくって電車の中ではカバーかけて読んでます(笑)。
出版元は五島勉のノストラダムス本ほか「トンデモ本」の宝庫として知られる祥伝社。
さっきここのサイト行ったら凄かったなぁ。新刊本の幅広さとトンデモなさに圧倒されます。



#283 
徹夜城(すばやいレスする管理人) 99/05/21 15:31
早いレス、ありがとうございます

>中西さま。
おおっ!ちょっとよそに行っている間に書き込みが!中西さん、どうもです。
実は僕の知る限りでも「沙也可=雑賀」説は沈寿官さんが言い出した(あるいは番組スタッフが言わせた?)説だったと記憶しています。それを見て後から司馬さんが修正した可能性もあるかな、と気になったところだったのです。
そもそも鉄砲技術導入がそんなに大逆転になったのか?って疑問は当時からありましたけどね・・・「雑賀」と名乗るのも妙な気がしますし。あの「例の本」でそのことが日韓の教科書に載る、とか出てましたけどほんとなんですかね?そういやあの筆者、金忠善の子孫に面会したと書いてましたが・・・この辺は確認しようもないですかね。

で、その本叩きの件ですが、急ぐことは急ぎますが、そのぶん内容は徐々にくみ上げていく形にしたいと思います。読むに連れて、僕もあれやこれや突込みが入れられるところが増えてきちゃいましてね・・・(^^;)。とりあえず、ぱっと見て思い付くところからはじめましょうか。
他の方でもこの掲示板見ていたら、ご協力くださる方はジャンジャン申し出てね(^^)。



#282 
中西豪(反司馬史観の旗手たらん) 99/05/21 14:47
では、可及的速やかに

>沙也可について
 司馬遼太郎が「沙也可」に言及したのは『街道をゆく』の「韓のくに紀行」が最初で最後ではないかと思います。
 「この国のかたち」あたりで触れ直しているか、と私も粗々見たのですけれど、見つけられませんでした。
 この件について最初に言い出したのは、管見では先代沈寿官氏であるようです。日本放送協会のテレビ番組、
「歴史誕生」内のことです(同番組は書籍にもなっています。そちらでも確認できます)。鉄砲を巧みに使うのだか
ら雑賀衆に違いない、というわけですが、当時の鉄砲普及率を考えればねぇ、なにも雑賀衆でなくてもいいのに。
 それに、当時の朝鮮側史料に残る降倭の名前の表記は、大半は「姓」ではなく「名」なのですが。沙也可と同じ
記録中に見える連中も「劉汝文」(利衛門?)とか「孫時老」(孫四郎?)といった、音を写した当て字なのです。
きちんと姓名ともに記録に残る「部将」級は、正しい漢字表記がなされています。身上書でも提出したものでしょう。
 沙也可の子孫が著した『慕夏堂集』、百年後には出自も分からなくなっていて、「姓は沙、名は也可」なんて書いて
います。それを信じて、平戸に「沙」(いさご)という姓があるからこれだ、と一冊本を書いた人もいます。やれやれ。
 とりいそぎここまで。今から李朝後期邑誌講読(吏読文)ゼミにもぐりで出席です。



#281 
徹夜城(そそっかしい管理人) 99/05/21 14:48
訂正

すいません、うろ覚えで書いてしまった。今自分のhpで確認。
村井さんの本の正しいタイトルは「海から見た戦国日本」です。



#280 
徹夜城(今日は久々に大学からアクセス) 99/05/21 14:45
種子島論争について

>タロイモさん。
橘屋さんの情報、ありがとうございます。なかなか面白い人ですね、これも。時間ができたらちょっと調べてみましょう。今ゼミの発表が重なって忙しいところでして(^^;)

種子島についての「大論争」というのはプロの学界のでの話です。まぁ中にはプロとはいい難い
人もいたようですが・・・とにかく1543年とは断定できない部分も多々あるのです。
僕も近日中に「事件簿」で書きますが、すでに出版されている本にもこのあたりを書いているものがあります。宇田川さんの「鉄砲伝来」(確か中公新書・・・?)ですとか村井章介さんの「アジアから見た戦国日本」(ちくま新書)などに論及があります。とくに村井先生の本は「中世倭人伝」などオススメです。最近も中世日本と海外関係をまとめた一般向けの本が出ていました(買ったんだけどタイトル忘れちゃった)。




#279 
タロイモ 99/05/21 00:24


こんばんは。こちらでは、おひさしぶりです。
海上史事件簿、近日中に公開とのことで楽しみにしています。
橘屋又三郎について、自分でいろいろ調べました。
とりあえずわかったことだけ、書いてみます。
「橘屋又三郎」
生没年不詳。戦国時代の堺の貿易商。1543年、種子島に鉄砲が
伝来した時、又三郎は偶然種子島に滞在していて、その制作法と
射撃術を学び、堺に帰って鉄砲の生産を始め、畿内一円に
広めたという。堺を鉄砲の一大生産地にした功労者として
鉄砲又の異名をとった。

以上です。「偶然種子島に滞在していて」、というところが、いとをかし。
ところで鉄砲伝来について過去に大激論があったとのことですが、
それは歴史フォーラムでのことですか?それとも別のところでですか?

あと、「新平家物語」のビデオ、昨日注文しました。
到着するのが楽しみです。



#278 
徹夜城(トンデモ歴史本ファン?) 99/05/20 23:31
例の本について

>中西さま。
そうですねぇ…リンクの件はじゃあもう少し後ってことにしましょうか。
ただ申し訳ないんですが、例の本叩き(おちょくり)は少し急ぎたいところなのです。ああいうのは鮮度(笑)が第一と愚考しますので。夏頃になると話題から消え去るか大幅に「信者」が広まっているかどちらかになるかなぁと。前者の方が可能性高いでしょうけど(笑)、その一方で「反中国バカ」どもが取り上げて(引っかかって)騒ぎそうな予感がしています。「ゴー宣」とかやりそうだなぁ、なんだか(笑)。その時に「おちょくり」がネット上に出ていると面白いかな、と。
早い話で何ですが、僕としては「仮」で良いから来週にはブチ上げたいんです(!)。後からおいおい追加していくことは可能でしょう。
壬辰倭乱についてはお任せします。ただ僕も専門がら言えることはあると思うので突き合わせをしてみましょう。メールが無理でしたら掲示板書き込みで結構です。あとでこっちで編集することとして。

実は例の本、僕の大学の中国史の先生にはお見せしました。「読みたかったんだ!」とのこと(笑)。でも金を払うのもやなので…とのことで、僕が買ったと知ったら「貸してくれ」とのことでした(^^;)。ちょっと読んで大爆笑してましたが…特に巻末の参考文献のトップに山川の「中国史」があったのには参ったみたいです。「卒論でもOK出さんぞ!」とのこと。
とりあえず僕の企画には面白いとは言っていただけました(^^)。ただ「まじめにやるなよ」とのこと。ごもっとも。

そうそう、一つ気になっていることがあります。そちらの掲示板に書こうかな、とも思ったのですが流れでこっちに書きます。
あの本の壬辰倭乱のくだりで「沙也可」のエピソードを紹介しますね。あれを出すことで日本の「侵略」をカモフラージュするウルトラC(笑)なわけですが、「司馬遼太郎によるとこれは雑賀のことだという」って文が出てきます。これって司馬が言ったんでしたっけ?
気になったのでこの本の参考文献に挙げられている「この国のかたち」にザッと目を通したのですが該当するところはありません。司馬の「街道をゆく・韓の国紀行」では「沙也可は沙也問(サエモン)の誤り」とあるんですよ。
どうもこの著者、「司馬が言った」という表現が目立ちます(自由主義史観にも言えることですが)。だけどどうも引用の仕方があやしいような気がしますねぇ。司馬遼太郎も草葉の陰で迷惑していることでしょうな。



#277 
中西豪(九州王朝はなかったけれども今後作っちゃろうたい同盟首領) 99/05/20 22:34
業務連絡です

>中国史トンデモ本叩き
 やりましょう。できれば明代についてもあの壬辰倭乱関係は私にまかせていただけませんか?
 ただ、経済的問題等から現物の入手が少々先になりますので、精査ができません。ぼちぼち、と進めませんか?
 盆前にはメールアドレスも取得できるでしょう、メールで投稿、という形を取りたいと思います。

>リンクについて
 完全独立を果たしてからの方がそちらにとってもよろしいのでは、と愚考いたします。もうすぐハッタリ満載の表紙
だけは掲げるつもりですが。コンテンツの冒頭に来るのは「壬辰戦役新史」、ついで「銅馬帝通信」「偏狭狷介三国志」
「鎮西府謄録」「仮想戦記彷徨談」……。「1979年4月より52話の予定でテレビ朝日系列にて放映されたが低視聴率
にあえぎ43話で打ち切りの憂き目を見た、全高18メートルの人型汎用兵器が活躍するアニメ」について熱く語る頁
も予定されていて、まあそれでもジャンルは「歴史全般」ですよね(笑)。



#276 
徹夜城(マサカドとは同郷人) 99/05/17 23:35
リンク先増えました。

>中西さん。
なるほど、言われてみれば九州ってそうかも。尊氏の件には南北朝ファンなもので(俺ってホントいろんなもののファンになりますね)なんか納得しました(笑)。懐良親王も後醍醐の皇子のクセに九州制圧したら独立しちゃいましたもんね。そういや司馬遼太郎の「花神」で読んだんですが、大村益二郎(村田蔵六)は死ぬ前に「九州から尊氏のごとき者が来る」とか言って西南戦争を予見していたそうですね。
「備忘録」については僕は即答できません。明実録にはそんなの無かったと思いますが…

>かずささん。
おやおや、これはなかなかうまい(笑)。ビートたけしの歴史本(ってのがあるんですよ)を思い出しました。
彼は太平洋戦争をこんな風に言ってましたね。正確は期せないんですが…

「若い兄ちゃんが酔った勢いでヤクザの大親分にポカリと一発入れてみた。それで「おう、アンちゃん、なかなか度胸あるじゃねぇか」と感心されるかと思ったらボコボコにされてしまった」

確かこんな趣旨だったと思います。読んだとき「うまい事言うなぁ」と思ったもんです(笑)。ホントそんな感じだったんじゃなかろうか。
ユーゴの件ですが、なんかますます怪しい雰囲気になってきましたね。なんか例のCIAの地図の一件も「疑惑」が浮上しています。なんか数年前の地図で見ると周囲に他に建造物がなく「間違える」はずがないんだそうですよ、どうも。…ってことは?
新聞によるとアメリカ議会では一部議員が「中国叩き」に奔走してるそうです。「クリントンの謝罪電話に反応が遅い」「中国政府が大使館への投石を奨励した」とか騒いでるそうな。最近妙に「核スパイ疑惑」で騒ぐのも似たようなもんじゃないかな。どうもこういうところ、アメリカって好きになれん。まぁどこにでも変な議員ってのはいるもんですが…
そうそう、かずささん、鄭成功の続き、早く読ませてね。

そういやリンク先が昨日付けで増えました。「大河ドラマの歴史」というその名の通りNHK大河のデータベースサイト。「歴史映像マニア」としては大変面白いサイトです。



#275 
かずさ 99/05/17 22:41
空爆空爆^0^

こんばんわー^0^
派人の喧嘩に正義ずらして、しゃしゃり出てきた熱血男漢。
勝手に弱い方の味方をしてしまう。
でも、どうゆうわけか振り上げた腕は近くにいた、怖いおっさんに当たってしまう。
やり場のない熱血漢は「そこで喧嘩してる奴が悪い!」と開き直り。
唖然とあきれる人が多い中、「そうだそうだ!」と同調する貧相な小男一人(^^;;

まあ、ことはこんなに単純ではないのでしょうけど(笑
ではでは^0^
追伸
ただいま長安烈日っていう黄巣の乱を舞台にした小説読んでます。
結構面白いです(笑)
その前に鄭成功の話書かなくては(^^;;



http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#274 
中西豪(莫迦やって庶人に貶される) 99/05/17 01:07
すみません、訂正です

なれない打ち込みするもんじゃありませんな。正しいアドレスは以下の通り(の筈)です。

http://www.pp.iij4u.or.jp/~t-isao/DAIBA_html/rekiai.html


#273 
中西豪(使持節都督・九州諸軍事・鎮西大将軍・石城王って、誰から冊封されるの?) 99/05/17 01:01
いや、筑紫国造磐井のほうが

先じゃないでしょうか(笑)。
十年ほど前、対馬の厳原に資料調査に行ったとき、ちょうど直木賞作家の白石一郎さんが講演会をなさっていて、
そのあと宴会の席に連なって親しくお話しすることもできたのですが、その時の話題、「九州はそのエネルギーを
天下統一を目論む奴の中央復帰に利用され続けている」というものがありあました。足利尊氏なんかがそうですね。
また、「九州はそれ以東の日本全国を相手に二度も戦争をしている」ともおっしゃる。島津の対秀吉戦と西南戦争
だそうで。そこで「いや、磐井もいますよ」と笑ったものです。
火野葦平に『革命前後』という長篇があります。戦争末期、西部軍所属の広報担当となった葦平が、一部にあった
九州独立(そして徹底抗戦する、という)企てに関わっていく実録小説です。文庫で手軽に読めるといいのですが、
残念ながら不可能です。親本も滅多に見かけないのでは。まあ、実現性のほとんどない、夢を追いかけて右往左
往、残るは虚しさばかりというはなしではあります。
さきの九州征伐・西南戦争の一方の当事者、薩摩隼人どもは意気軒昂、天下を相手に何するものぞ、という気概
が見えますが、これが葉隠武士になるとちょっと自虐的。『葉隠』に見える鍋島直茂のことば二題「肥前はどこそこ
の要地を守れば天下を相手に戦うことが出来る」「つねに唐入りの時の苦労を思い、天下を相手に七年は戦える軍
備を整えていなければならない」それを忠実に守り、幕末にはそれこそ日本中の軍勢(勿論薩長も)を一蹴できる
くらいの軍備を揃えた、ってわけではないか。

ホームページのアドレスを上げておきますが、まだ掲示板しかございません。備忘記(王命を伝える文書にあら
ず、ところで明代古文書様式で「備忘記」ってのはありますか?)がわりにつかっておりますが、お暇ならお訪ねください。
盆前にはなんとかメールアドレスも取得して独立するつもりですが。

http://www.pp.iij4u.or.jp/~t-isao/DAIBA_html/rekiai/html


#272 
徹夜城(茨城人) 99/05/14 09:51
「独立」の元祖は平将門かな?(笑)

>山添さん。
うん、確かに関西人には独立傾向があるといえばあるかもしれない。でも文化的なものであって別の「国家」をつくる動きにはどうもならないようですね。京都なんかでは「天皇帰還」を求める声もあると思いますが…東京遷都はホントに不意打ちだったようですからね。
ところで関東人の僕などは関西に行った際、「周囲が全て関西弁」であることに恐怖心すら抱いたものです(笑)。電車の中の会話が全て漫才に聞こえてくる…いや、差別じゃなくてね、やっぱ違う文化圏に入ったという、ちょっとしたカルチャーショックを感じたもんです。
網野善彦氏も言っていたような気がしますが、日本は東西に大きく分かれるってのは確かにあるかもしれないですね。

朝鮮半島の話ですが、これについては実際に行った方に書いていただきたいところ(特に「たっきー」君、頼む)。
ただ、僕の知る限りでも(聞いた話も含む)、旧三国(高句麗・新羅・百済)は厳然として残っているようです。大統領選なんかで物凄い地域差がでるようですし。もっとも最近はソウルに人口が集中してやや入り混じってきているかも。
僕がよく知る朝鮮史の先生は「統一したら連邦制にすべき」と言ってました。これがまたほぼ三国時代の配置になります。ついでに済州島も連邦の一国扱いです。あそこも歴史的には耽羅という独立国でしたから(この辺、沖縄と似てる)。



#271 
山添 99/05/14 02:43
けっこう独立したいんですけどね。

関西人は、そもそもこの国をまとめた大和朝廷の土地じゃというに、尾張やら三河やら長州やら薩摩やらのいなかもんに、天皇陛下を傀儡にされ、強制的に外国に出兵させられたりして、未だに関西弁差別とかあって、さんざんですわ。
もういやじゃ。独立したる。
でも、わし1人で独立したら、首相から外務大臣から造幣から国防までたいへんなのでやめとこ。

やっぱり必然的ではあるでしょうが、奇跡的な面もありますよね。< 明治以後の統一
朝鮮半島は大変らしいですからなぁ。いまだに三国時代と聞きます。詳しくはどんな感じですのん?

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#270 
徹夜城(歴史知識は映画から得る?) 99/05/13 01:01
コネリーって…

>sibanekoさん。
なるほど、ショーンとはそういうことでしたか。しかしアイルランド系スコットランド人かぁ…入り組んでますなぁ、ヨーロッパは。しかしあの調子でみんな独立しちゃうとヨーロッパは大変なことになっちゃいますね(笑)。「民族」の範囲がやたら狭いというか何というか。
もう日本に帰化されたと思いますが、あのC.W.ニコルさんは確かもとはウェールズの方じゃなかったかな?何でもあそこもイングランドとは全然違うのだそうです(こっちから見てるとサッパリ分からないなぁ)。
アイルランドについては先日、映画「マイケル=コリンズ」を見て少々ですが勉強になりました。コリンズがダブリン城明け渡しの儀式に遅刻してイギリス軍人に「7分遅刻だ」といわれ「そっちは700年も待たせたんだ、7分ぐらいなんだ」というセリフが印象的(笑)。しかしあの辺の話は今でも尾を引いていますね。

日本も案外地域差はあるのですが、「独立」運動は起こりませんね(敢えて言うと沖縄の一部にそういう意見があるが)。明治になってから強引に統一国家を作った割にはよくまとまってるもんだと思います。



#269 
shibaneko 99/05/12 14:08
ショーン・コネりーって

最近読んだ「世界人名物語」(講談社現代新書)に、
ショーン・コネりーのスコットランド人魂について、書かれていました。
彼の本名はトマス・ショーン・コネリーですが、
イングランド的なトマスを外して、スコットランド的なショーンを芸名にしたところに、
彼のポリシーが表れているようです。
ちなみに、ショーンはイングランド風に綴ると、シェーン。あの、「シェーン」です。
コネりーというのはアイルランド系の名前で、
ショーン・コネリーは、正確にはアイルランド系スコットランド人だそうです。

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html


#268 
徹夜城(スパイ映画も結構好きな管理人) 99/05/11 00:16
CIAとか007とか

>かずささん。
いやホント、NATOの相次ぐ誤爆は目を見張るものがありますね(爆)。まぁそもそも「誤爆」って言葉が出てくる戦争自体が妙なんですが。
あの「史点」を書いた後で聞いたニュースによると、作戦を立てるに当たって参考にしたCIA提出のベオグラード市街図が古いものだった(!!!)そうで、新しい建物を見つけて「おおこれか」って感じで撃っちゃったらしい。何をやってるんだ、天下のCIAが(笑)。中国国民の間には「誤爆ではない、故意だ!」との声が上がってますが、そう思うのも無理はないです。そんなに米軍やCIAがボケてるとはちょっと信じがたいとこですからね。まぁあんなのはそう優秀じゃないほうが世界のためには良いのかも。
 しかし日本も他人事じゃないんですよね。ニュースでやってたけど中国大使館の隣の空き地は日本大使館の移転予定地だったそうです。こうまで「誤爆」が続くとユーゴ国内に安全地帯はあり得ないってことになりますよね。

>UKのこと。
あのフルネームなら日本人は「グレブリ」とか呼ぶようになるでしょう(笑)。イギリスはたぶん「イングリッシュ」じゃないのかな?ちなみに「英吉利」は中国で作られた当て字でして、日本には中国経由でこの国の名前が入ってきたみたいです(アヘン戦争ショックというやつだな)。
ところでそのUKですが、あれも一歩間違えると分裂・独立の可能性を秘めてますね。スコットランドなんかまた一部で盛り上がってるみたいですよ。あのショーン=コネリーが熱烈運動家になってましてねぇ…元「英国諜報部員007」が何をやってるんだか(笑)。



#267 
かずさ 99/05/10 23:06
誤爆誤爆(爆)

お久しぶりです。
NATO軍の誤爆と責任転換の嵐。笑っちゃいけませんが笑えてしまいますな(笑)
ミサイルって前もって目標設定しておいて現地に到着後発射スイッチ押すだけちゃうんかい。
トマホークに至っては艦船から発車前の設定で数十キロ先の目標物を誤差数メートルで当てるはずだが。
つくづく2000年問題を迎えた兵器の垂れ流しが事実に見えてくるなぁ(笑)
アメリカ軍では「今年中に使わないと、アメリカ本土で誤爆するぞー」って噂が広まってたりして(爆)

下の書き込み見てあったのですがイギリスって名称は何から来てるんでしたっけ?
イングランドだったかなあ?
でもまあ、外来語を省略したがる日本人は、あの国を正式名称で呼ぶ人は少ないでしょうねえ。
ではまた^0^

追伸
HPバナーを変更しましたので、よろしければ暇なときにでも差し替えて下さいませ。

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#266 
徹夜城(歴史映像オタクの管理人) 99/05/10 00:16
歴史映画三昧な日々…(至福)

このところの僕の肩書き(カッコ内)を見ればお分かりでしょうが、GWから今日まで完全に歴史映画三昧の日々を送っておりました。一つには「歴史映像名画座」コーナーが一応の「仮完成」となり、充実を図ろうとしているってこともありますが、まぁようやくちょっとは時間が出来たと言うことです。
ちょっとこのところ観たものを並べてみましょう(歴史映像コーナーに掲示済みも含む)。

「西部開拓史」
…DVDで購入。19世紀のアメリカ西部開拓の歴史を三代に渡る家族の物語として描く大作です。リンカーンもチラッと出てきて南北戦争も描かれるのですが、思えばアメリカって案外大統領そのものを主役にした映画がありませんね。「ニクソン」が最近あったけど。

「マイケル・コリンズ」
…やはりDVDで購入。アイルランド独立運動の指導者で後の「IRA」のもとを作った男の生涯。見終わって思ったのは、こういうタイプって長生きできませんね、ということ。なんか歴史はこういうヒーローが多いよなぁ。

「王妃マルゴ」
…公開中に見れなくてくやしがっていたやつ。NHK衛星でやってたのでようやく見ました。いやー、人間関係が全然わからん(笑)。観賞後勉強してようやく分かりました。分かってくると面白い。フランス人にはこの辺は常識なんでしょうね。「聖バルテルミの虐殺」はよほど映画向きのようで何度か映画化されてます。マルゴの母カトリーヌ・ド・メディシスってどっかで聞いた名前だと思ったら、かのノストラダムスとの関わりで聞いてたんですな。

「シン・レッド・ライン」
…公開中(もうそろそろ終わり)の「ガダルカナルの戦い」を描いた戦争映画。アカデミー賞にノミネートだけはやたらされたけど何ももらえませんでした。でもやっぱなかなかの力作です。あの戦いって日本軍がとんでもない無謀・無策を繰り返したことが有名ですが、こうして見るとアメリカ兵もいろいろあったんだな、と改めて思いますね。全体に哲学臭が強いので嫌う人は嫌いそう。

「激動の昭和史・軍閥」
…東宝オールスターの昭和史映画。大傑作「日本のいちばん長い日」の流れを汲んでますね。226事件からサイパン陥落までが描かれます。小林桂樹が東条を演じてまして、なかなかの名演!去年「プライド」でハマッちゃったりした人には良薬でしょう(笑)。「報道の責任」を追求するなど強烈なメッセージ性がありました。うーむ、探せばいろいろあるもんだ。

「わが命つきるとも」
…ついさっき見終わりました。「ユートピア」の著者トマス=モアの信念の闘いを描くドラマ。ロバート=ショーがヘンリー8世。こいつが妃を離婚して愛人アン・ブーリンと結婚しようとし、これにモアが反対するわけなんですが、アン役はバネッサ=レッドグレイブ!うーん、若い頃のは初めて観た(ちょっとしか出ないけど)。彼女の印象はピョートル大帝の姉ソフィア(知る人ぞ知る女傑)が強烈だったもので。

ついでに「始皇帝暗殺」も再度観てました(笑)。いやー、まだまだいろいろあるものです。歴史映画の世界は奥が深い…
そういや中国テレビドラマ「水滸伝」のビデオがついに日本上陸。うーむ、しかし高いよなあ…



#265 
山添 99/05/09 03:34
だいたいわかりました。

「伝統中国」てゆうときますわ。



#264 
徹夜城(今日は「軍閥」なんて観てた) 99/05/09 00:54
調べてみましたが

すいません、いつも長い文で(^^;)。
そろそろこのログも整理せんとなぁ…

>山添さん。
下の書き込みを拝読してからちょっと調べてみました。実は僕も「対華二十一ヶ条要求」って名称は気になっていたんです。良い機会だと思って手元のもので調べたのですが現時点では明確な資料を見つかりませんで(^^;)。ただひょっとすると「対華」という言い方は後からくっつけた可能性はあるな、と感じています。実は我が家の古い百科事典で引いたら「対華」という部分がついていなかったのですよ。そういえば僕が中学校で歴史を習った際もついていなかったような記憶があります。今の中学教育では確実に「対華」をつけますが。

それでその百科事典の「二十一ヶ条の要求」の項目を引きましたら、21ヶ条のうちの一つの条約の写真が掲載されていました。その冒頭には日本文で「日本国皇帝陛下及支那共和国大統領閣下」という文言が書かれていました。もう「中華民国」の名称はあったと思うので、日本側が敢えて「支那」を使った例として挙げられるとは思います(「総統」も使ってませんね…翻訳したのかも)。
ちなみに最近ゼミで読んだ渋沢栄一の文章では「支那」を使いつつ「中華民国」との表現がありました。これは辛亥革命直後の文じゃなかったかな?

日本の「中国地方」についてですが、鎌倉期にすでに「中国探題」とか職名で使用してたはずです。辞書引いたら「中国」とは初めは「近畿」と「遠国」の間の国を漠然と指す言葉だったようです。それがいつしか現在の中国地方をまとめて指す言葉になったみたいです。単純に前後問題って事で言ったら、あちらの「中国」の方が圧倒的に早いわけですが、これはもうそれぞれ独自に発生した言葉と考えて良いのでは。

「トラディショナル中国」って表現なら学界用語でも「伝統中国」って言い方がありますが…だいたい同じ様なニュアンスじゃないかな。



#263 
山添 99/05/08 04:27
長い!

上から下へ読むものが下から上へ書かれているとスクロールがたいへんだぁ。あきらめて上から下にしましょう(てきとう)。
私自身は、中国とゆうたとて中華思想を肯定してるつもりはありませんが、なんかこう、「トラディショナル中国」をひとことであらわしたいなぁというくらいです。
明代には中国というのが自国およびその領域を表すのに一般的であったと。日本の「中国地方」というよびかたとの前後関係はどないなっとるんでしょうな。
袁世凱にぶちつけた、「対華21か条要求」てあったと思いますが、これは当時の日本の呼び名ではなかったっけ。当時は「対支」とかゆうてたんかなぁ。
まぁろくに全国統一してなかった中華民国ごときに何いわれても要求のむかい!て思ってたんでしょうな。日本人も、日本の中で「天下統一」とかゆうてたくらいやしね。

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#262 
徹夜城(今日はついてないや) 99/05/08 00:43
切れてもうた(^^;)

久々に長文書いたら、回線の調子が悪かったみたいですね。切れちゃってます。以下、続きです。

中国政府から変更を要求されても拒絶した事実があるそうですよ。ということは相手を「中国」と呼びたくない、「支那」と呼びたい、という意図があったと考えざるをえないのです。現在でも右翼(あるいは反中国を唱える人)が「中国」でなく「シナ」の使用に固執するのはこの流れを汲んでいると思えます。小林よしのりクンみたいに「中国」って呼び方が一般的だった世代の人が急に「シナ」呼ばわりするようになるのも、なんか意図的にそう呼ぶように運動している人がいるからとしか思えませんね。
恐らくですけど「中国」と呼びたくないってのが最大の理由じゃないでしょうか。そうよんだ時点で相手を「中華」と認めちゃう事になると。ひょっとすると「シナ」じゃなくても良いのかも知れませんよ(笑)。
現在の中国人でも日本人に「シナ」と言われるのは嫌います。その語自体に罪がないことは先述のとおりですが、中国人が「シナ」を差別語と認識するようになったのはそれなりの歴史的背景があるととらえるべきだと思います。

じゃあ「中国」はどうかということになりますが。
僕は古典に全部目を通したわけではないので完璧は期せませんが(しかも古代史は専門外なもんで)、「書経」にすでに出てくるそうです。しかもやはり自国を指す言葉として。この辺の解釈は専門でも分かれるのかもしれませんが(古代史の方、読んでたら救援ください(^^;))、「中国」って言い方も案外古くからあったことは確かです。
僕が日頃資料を見ていて断言が出来るのは明代です。ちょっとした資料にも「中国」という表現はごく普通に登場します。例えば僕は倭寇とか海外貿易が専門ですけど、その構成員として「中国の人がいる」といったように使用します(確か「華人」って表現もあったと思いますが)。使い方は今日の「中国人」とそう大差ないと思います。実例は見つけてませんが領域内の人であれば漢民族でなくても「中国人」と言ったかも知れません。「明」は国号ですから自国民は使いません。少なくとも「中国」って言葉は明代には同様の意味で使っていたと考えて良いと思います。まぁ近代国家の話とは一緒にできない部分はありますけど。

で、「中国」と「支那」の使い分けの件ですが。
まぁこれは日本ならではの問題ですね。現在の欧米人は悩まないだろうなぁ(笑)。ただ帝国主義華やかかりしころ、欧米人も「清」と「チャイナ」を使い分けることで、その分割を合理化しようとした節はありますよ。チベットなんてまさにその論理で植民地化されかかっていたってのも事実ですから。日本の満州進出も論理は同じです。「支那」と呼ぶことで漢民族とそれ以外の領域を切り離す効果があるわけで。ちなみに同じことを日本でやりますと北海道と沖縄は独立しなきゃいけません(敗戦時ホントにアメリカがそう考えたようですが)。

まぁ僕としてはそういう歴史的背景を考えた上で、好きな方を使ってくださいと人には言うでしょう。僕個人はとりあえず相手が嫌がってる呼び名を目の前で言うようなことはいたしません。これは人付き合いの問題です。
そういや、先日来話題にしている「とんでも中国史本(実名は忘れた)」の中では「中華帝国」という表現は使いつつ、やっぱり「シナ」という言葉へのこだわりをみせてる個所がありました。「諸外国はみんな「シン」に由来する名称で呼んでいるのだ!」とか。そりゃそうだけど、ホントにこだわってますね(笑)。中国に直接文句言いに行けばいいのに。結局この手の本って日本人向けにのみ書いてるんですよね。



#261 
徹夜城(今日はシンレッドライン) 99/05/08 00:33
けっこう長文です、ご容赦。

>山添さん。
お久しぶりです。
「ニュースな史点」のその回をもう一回載せるというのも面倒なので、ご質問の回答と絡めてまとめて書いておきたいと思います。文脈上、一部にこれまで書いたこととダブってきますが、その辺はご容赦を。

まず「支那」という言葉ですが。
これはごく一般的に言われているように「秦」の音訳です。まず西域、インド・ペルシャ方面で「シン→シナ」という言葉が現在の中国方面をさす言葉になります。これが西洋に行って「チャイナ」になるわけですね。だから語源は完全に同一と考えて良いでしょう。「支那」という表記は仏典などを翻訳するうちに中国人が当て字したものです。ですからその言葉自体に何の罪もありません。中国は自国を指す英語はやはり「チャイナ」を使ってますから。

で、日本ではいつから使ったかというと確認してる限りでは江戸時代の新井白石が著書で使用したのが最初みたいです。以後とくに蘭学者が使用していたとか聞いてます。しかし日本では江戸時代を通じても必ずしも一般的な言葉ではなかったはずです。この段階であえて使った人は「支那」を使用したと僕は思います。理由として考えられるのは「中華」の否定です。女真族である清が中国を統一した時点で日本では従来の「中華」は消滅したとみなされた…じゃないかな、と(朝鮮でも同様の部分があります)。「清」と書かずに「支那」と書くことによって日本と対等な二文字の「一地域」として認識できるという効果がありますから。

明治以後は蘭学の流れもあるでしょうが、西洋文化の導入で完全に「支那」と呼ぶようになりますね。もちろんそこに差別的意図があったかどうかは人によるところでしょう(チャンコロみたいな完全な差別語もありましたので)。ただ「中華民国」が成立した際も日本政府はしつこく「支那」という呼び名に固執しています(たぶん敗戦までそうだったんじゃないかな?)。中国政府から変更を要求されても拒絶した事実が



#260 
山添 99/05/07 01:15
で、そのニュースな史点のその回を見逃してるんですが。

もう見られないんですか?

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#259 
山添 99/05/07 01:07
ほらやっぱり。

やっぱり、文章長いからって読むのめんどくさがって、1か所だけ読んで気になったからかきこんだら、ほかにもいろいろ話ありますやん。
すんませんでした。

で、「中国」という言葉自体は、私も古い時代のもので見た覚えがあったのですが、その文脈では、かの国を表すのではなく、「国の中央」というほどの意味でした。
少なくともそういう例があったので、すべての人に、「中国」ってゆうのがおれたちの国の名前だぜ、って意識はなかったと思います。
世の中のほとんどに定着した時期がいつごろなのか、というのが問題になるのではないでしょうか。

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#258 
山添 99/05/07 00:50
シナ?

ふと逆リンク(referer_log)をたどって来ました。おひさしぶりです。
「中国」という名称は、ごく最近までなかったと聞きましたが、違うのでしょうか。

辛亥革命後の国家の名称を何にしようか、というとき、そういや、うちの国は、王朝の名前はあるが、国号はいまのいままでなかったねえ。どないするよ(この状況は、プトレマイオス朝エジプト王国が、仮にエジプトという名前を持たないという状況に相当するんでしょう)ということになった。
それでいろいろ「華夏」やらなんやら全然違う名前が出たあと、結局梁啓超か誰かが言った「中華」を採用したとのこと。

中華民国以前は、私の知る限り日本でも中国、中華といった名前ではなく「からのくに」とか「清国」とかいってたと思います。
もし古くから中国という名前があれば、日本の山陰山陽地方を「中国地方」とは称さなかったはずでは。

現在確かに中国という名前が日本では通ってますが、これも世界的に見ればごくわずかな地域によった呼び方でしょう。
べつに日本語では日本の流儀で呼べばいいと思いますが、最近私は「イギリス」という呼び方に抵抗を覚えて「UK」と呼ぶこともあります。
「中国」も、私としては中華人民共和国のことを称するものであって、私が旅行した、漢民族地域は「トラディショナル中国(何語やねん)」とか「シナ」と呼んで区別することがあります。
べつに英語でも同語源のことばを使ってるんだから、シナでもいいんじゃないでしょうか。「右翼」の人々が使いたがる気持ちとはまた別です。
シナといわれて嫌やったら、日本人見て「ミーシミシ」てゆうな!(中国では日本人はそうゆうてメシを食うことになっている)
また、もうひとつかの国を中国と呼ぶのに抵抗があるのは、清王朝の領土が我々の民族の固有の領土と称して、シナから出てチベットなど他民族を「侵略」(べつに使いたくはないが、向こうが使う言葉だから)している国が、昔からの概念としてのかの国と違うように思えるからです。

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#257 
徹夜城(実はトンデモ歴史本愛好家?) 99/05/06 23:36
見つけた、見つけた。

中西さんが先日お書きになっていた「とんでも中国史本」、見つけましたよ。いやー、完全に予想通りの内容。この手の本書く人ってオカルト本のたぐいと一緒でオリジナリティってもんがないですね。
少なくとも3ページに一回は間違いを指摘できそうですね。まぁ重箱の隅をつつくような趣味はあまりないんですが、ご要望があれば専門分野に関してはやってみましょう。この著者は概説書の中国史しか読んだことないみたいですね、どうみても。あとは司馬遼太郎から都合の良いところを引っ張ってます。司馬が生きていたらさぞ激怒したことでしょうな(笑)。
こんなんで中国通史の本を出版できるんだから気楽なもんだなぁ(出版するほうもするほうだが)。こんな内容じゃ院生でも袋叩きにされますぜ(笑)。
ま、金払う気も起きなかったので大まかにしか読んでませんが、要するに中国の悪口を言うことで自信喪失の日本を慰めようという、何とも情けないテーマが一貫してます。中国史にやたら虐殺があることと南京虐殺は幻だということは全然関係がないと思うんだけどなぁ。
推薦文書いてる渡辺昇一氏もそうですが、最近の愛国知識人(笑)の中国たたきはいささか見苦しいものがありますね(やっぱり「シナ」って書くんだ、これが)。もちろん中国が全部良いとは僕も言いませんが(むしろ問題点は多々あると思ってます)、東アジアの主導権が中国に奪われるという危機感があるんでしょうな、日本の一部のこういう方々には(とっくに奪われてると思うけど)。みんな揃って同じことを言い出すので勉強会でもやってるんじゃないかと思うぐらい。

この本についてはそのうち本コーナーででも取り上げることにしたいと思います。久々に更新する気になりました(笑)



#256 
徹夜城(昨日録った「王妃マルゴ」を見終わった) 99/05/04 00:25
とんでも歴史本

>高橋克彦さんのことで。
まぁ僕はこの人の小説は未読なので、内容については何も言えないんですが。
小説家として一定の支持があるぐらいですから、面白いのだろうとは思っています。「炎立つ」の原作者になったのは確かあの人が岩手出身だったからでは?あの時は試みとしてドラマ製作と同時進行ぐらいで原作が書かれたんですよね。僕のみていた限りでは第一部が一番面白かったなぁ。
ただどうもオカルトっぽいところがあるらしいので…個人的に信じるのは勝手ですけど広めようとすると困るんですよね。小説だけならいいんですけど。

「とんでも歴史」ってのも古来1ジャンルとしてあるわけですが、まぁ面白いものもありますね、読んでいるぶんには。ハマルと危ないですけど。
僕が読んだトンデモ歴史本の傑作(?)としましては「姓名学でみる太平洋戦争」とかいう本がありました(タイトルは確か違うと思います。内容がそうだったのでとりあえずそう書きます)。
太平洋戦争に絡んだ人物を姓名判断(ほら、「笑っていいとも」でもやってる人がいるでしょ)で読み解くというもの。凄いんだよなぁ、全部ズバリ当たってるんです(爆)。その人の名がついた時点で全ての運命がそこに暗示されてるってんですよ。もちろん漢字名しか通用しない論法ですので相手国のアメリカ人については一切触れません(笑)。
どう見ても結果を見てから姓名判断やってるわけで、これなら何だって言えますわな(^^;)。

>sibanekoさん。
「額田王」の情報、有り難うございました。
まぁNHKが飛鳥時代にしりごみするのは皇室関係ってことはあるかもしれません。もっともそれでタブーとされていた「太平記」はもうやってしまいましたので(チョイ役天皇も出てましたし)、一頃ほどアレルギーはないと思っています。半島関係ってことでいうと「北条時宗」はまさに危ないネタなのですが…



#255 
shibaneko 99/05/03 10:27
高橋さんは

純粋に、エンターテイメントとして小説は、楽しめるので好きですよ。
歴史としてみるならば、「とんでも」になるのかもしれませんね。
この方の浮世絵殺人事件シリーズなんか、面白かったです。
「炎立つ」も、話的には面白かったんですが、映像化するとつまらなくなってしまって・・。
歴史物を面白く映像化するのは、難しいんですね。

<北条時宗 また、大変なところを選んだモノですね。(^^)
原作本は出ているのでしょうか?読んでみたいな・・。

<飛鳥時代物 「額田王」の情報は徹歴の方に書き込みました。
日本古代史こそ、「とんでも」が跳梁跋扈する(笑)時代ですからね。
NHKもそんなところに手は出せないのでしょう。
半島情勢との絡みもあるでしょうしね。
最近は小学生向けのマンガで読む「万葉集」といった本も出ていて、
万葉時代の熱愛・悲恋ものなど、結構詳しく出ていたりします。
単純に恋愛ドラマなら出来るのかもしれませんが、
政治的背景などがわからないと、ドラマとしては薄っぺらになってしまいますね。



#254 
徹夜城(今ローマ史マニア) 99/05/03 01:00
歴史映像名画座が全体像公開です!

>251番の書き込みですが…
ええと、どなたか分かりませんが、文字化けしてますね。たまに環境により起こることなんです(特に大学等のネットワークから入っている場合)。どうしても書き込めないけど書きたいことがございましたら、メールで僕に送ってみてください。

>タロイモさん。
こちらでは初めまして。さっそくのお書き込み有り難うございます。
そうですか、鑑真号で行かれましたか。僕も船で行って倭寇気分に浸りたかったんですけどね(笑)。
江南あたりは結構倭寇史跡が残っているようですよ。お話にある砦のことも何かのガイドブック(だったかな?)で読んだことがあります。嘉靖36年(1557)というと王直も捕らえられて嘉靖倭寇の最盛期が過ぎつつある頃ですね。

>中西さん。
ついさっき「徹歴」の方にも書いてましたけど、そうなんですよ、「北条時宗」の原作、高橋克彦さんなんです。そこがちと不安の種でして(笑)。
「炎立つ」の一件はどうも高橋さんが「義経の蝦夷逃亡」を信じていることから起こったんじゃないかな〜と、以前から邪推しています。確かになんでここで再登板なんでしょうね。
その「とんでもない中国通史」も気になりますね。渡辺昇一氏が推薦文を書く時点で内容がなんとなく推測できてしまった(^^;)。詳報お待ちしますけど、僕も自分で探すかも知れません。

話は飛びますが、最近図書館から借りだしてる「ローマ皇帝歴代誌」が滅法面白い!歴代皇帝列伝ってスタイルなんですけど、図版も資料も多く一般向けで読みやすいです。ホントにマイナーなやつまで歴代が全部載ってまして、暴君どももなかなか公平に扱われてます。個人的に好きなディオクレティアヌス帝も大きく扱われてますね。

そうそう、「歴史映像名画座」がついに完全オープン!といいつつまだまだ載せてない映画が多いんですが、とりあえず全体像が見渡せるようになりましたので覗いてみてくださいな。



#253 
中西豪(高麗探題) 99/05/02 22:41
『北条時宗』の原作って、

あの、高橋克彦ですよね。
このひと、単純なオカルト信奉者で、山本弘(と学会会長)から相当きつい調子で糾弾されたりしています。
今年人類社会が亡びることを信じていた筈だけど、仕事はしているのですな(笑)。
しかし、昔『炎立つ』の原作を書いていたときも、まったく間に合わなくて、実は脚本家のオリジナルだった、
とあとで暴露されていましたが、再び登板とは、なにか裏があるのか。
それから、とんでもない中国通史を店頭で見つけてしまいましたが、詳細は又後日。
ま、たとえば新末東漢初の人口激減は光武帝による赤眉勢力大虐殺によるといった内容のオンパレードです。
でも、岡田英弘先生が、渡部昇一とともに推薦しているのが不可解。



#252 
タロイモ 99/05/02 15:08
中国旅行

どうもはじめまして、タロイモと申します。徹歴ではお世話になってます。
私も中国旅行したことがあります。鑑真号で行きました。かなり前ですが・・
徹夜城さんは倭寇の研究をされているのですね。倭寇に関する記述、
内容が濃くてとても興味深かったです。
倭寇といえば中国へ旅行したときに、関係する史跡がありました。
蘇州の寒山寺の近くに鉄嶺関という砦があったのですが、
これは明の嘉靖36年に倭寇を防ぐために造られたものらしいです。
運河の真ん中の中州に造られていて、それほど大きな建物では
なかったです。
ではこれにて失礼します。




#251 
$B%?%m%$%b(J 99/05/02 14:45
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#250 
徹夜城(歴史映像マニア) 99/05/01 00:43
再来年度大河ドラマ決定!

次々回の大河ドラマが決定しました!ご存じの方いるかな?
なんと「北条時宗」ときました!要するに「元寇」のドラマ化であります。
鎌倉時代物としては「炎立つ」の最終部以来。とりあえず初めてのテーマに挑むことにしたNHK大河スタッフの勇気に敬意を表しましょう。ちなみに映画では前例があるのですよ(歴史映像コーナー参照のこと)。

ただどう描くかというのは難しいですね。
時宗のやったことというのは正直なところ「正しい」とは言い難いところなので…というより国際法無視の乱暴きわまる行動で、いたずらに国難を招いた暴挙という見方もありますし。その辺、どう描くつもりなのか。日蓮が確実に出てくるでしょうが、これも描き方を一歩間違えると危ない(理由はご想像にお任せ(^^;))。
それに確か32ぐらいで死んじゃうのでどうやって一年もたすつもりなんでしょうか。まぁ「慶喜」でも一年やったけど。

しかし平安以前にはやはりいかないな。飛鳥時代なんて大当たりするとおもうんだけど、一向に手を出す気配がない。ちなみに最古のネタは平将門の乱(風と雲と虹と)です。



#249 
徹夜城(執筆の遅い管理人) 99/04/25 23:27
ようやく「倭人襲来絵詞」続編公開だ!

ふあああああ、眠い。昨日から今日にかけてやや強行軍をしてしまった。
あれこれ執筆していたわけで(中には論文がらみもある)、おまけに選挙まであるんだもんなぁ。
とにかく遅れに遅れた「倭人襲来絵詞」の続編を公開。しかし当初予定していた完全公開とはいかなかったのが情けないところ。結局「三日目」だけの公開です。南京から杭州まで書き上げました。
書き出すとあれもこれもと思い出してしまいましてね、我ながらよくと思うほど細部まで記憶があります。今回はちと倭寇歴史談議が多いような気もしますけど。本来ああいうのは「海賊」コーナーの「事件簿」に書くべきなんですけどね。ま、苦痛だったらそこは飛ばしてお読みください(^^;)

ところで…ちょっと遅れたネタなんですが。
先日、NHK教育で「万里の長城」の番組ご覧になった人いますかね?
僕は都合で前半を見逃しました。後半は明代の話だったのでちょうどよかったわけですが。
見ていたら倭寇史ではおなじみの戚継光が出てきてビックリ。いや、長城に行って活躍したのは知ってたけど、わざわざ俳優が演じて出てくるとは思わなんだ(笑)。

この番組、英仏米で製作したようで、湾岸戦争の司令官シュワルツコフが長城についてコメントしているのが面白かったですなあ。なんか聞くところでは向こうの上級指揮官って歴史(軍事史)に詳しい、というかよく教育されるらしいですね。映画で見た話でなんですけど、あの第二次大戦のパットン将軍もかなりの歴史オタクだったみたいです。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/TETUYA.HTML


#248 
徹夜城(CM鑑賞者) 99/04/18 14:34
日生のCM

なんだか近頃自分で書き込んでませんねぇ。新学期になっていろいろとやってるとなかなか手を出すヒマがなくなってきちゃって。いろいろとやってる私がいけないんでしょうけどね(笑)。
かずささんが「5M突破」に触れてらっしゃいましたが、歴史コーナーのこの程度の分量では1Mちょっとというところでしょう。他のコーナー(PC−FX、映画、旅行、スポーツ、アシモフ)で相当取っているのです。実はこの上さらに小説と漫画を載せる計画があり…とくに漫画は食いますねぇ。本音を言えば15Mは必要なんですよね。
「ニュースな史点」はどうにか週刊更新。「旅行記」はなかなか終わりません(涙)。後半部は倭寇歴史話が圧倒的に多くなりますので。

旅行といえば、中西さんがお書きになっていた「文禄・慶長の役」ツアーは凄い企画ですねぇ。僕ももう少し時間と金があれば見てきたいです。韓国もそのうち行ってみたいところでして。海外旅行はいっぺんやるとクセになるのかな。対馬まで行って目と鼻の先までは行ったんですけどね。

どうでも良いことですが(笑)、最近日本生命のCMで織田信長と坂本龍馬が出演してますね。「改革者」のイメージでの採用なんでしょうが、おそらく日本史人物人気投票でもこの両者がトップを争うという事情もあるんでしょう。しかし僕には別の意味でこの二人が生命保険会社のCMに使われていることに気が付きましたぜ。

そう!人生はいつなんどき急に終わるか分からない!保険に入っておきましょうね!

冗談ですけど、そこまで考えていたら凄いぞ、日生。一歩間違えると「非業の死」コンビ。先日の新聞広告ではこの二人が「対談」までやっていましたが(笑)。しかし今後も歴史人物出演CMは続くのであろうか。誰なら面白いかな〜?



#247 
かずさ 99/04/14 21:42
こんばんわ

こんばんわ。かずさです^0^
東京都知事に舛添氏が落選してちょっとがっくししてます。
良くも悪くも政治が面白く(けたたましく?)なりそうなのは
舛添氏かなあっと思ってました(笑)

旅行お疲れさまです^0^
帰還直後にHPを更新されるとはすごいですね。
旅行の熱い息吹が感じられそうです(笑)
今度じっくりと画像拡大してから読ませていただきますね(^^
しかし文章と画像少々で5M超えるとは、感動的な情報量ですねえ。

最近は私は本業(というか副業というか)の作曲ばっかり
してますので歴史HPの更新は小話を細々追加してるだけです。
時間がありましたらうちのHPにネタ書いてくれ〜♪(爆)

かずさでした(^^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#246 
中西豪(高麗探題) 99/04/14 20:32
明治期軍人の国際性

自称官職・封号が仰々しくてすみません。ま、お遊びということでご寛恕願います(今回の奴も、洒落にならんかも)。
明治期の軍人、日清日露時の将官クラスは、大概欧州留学経験がありますからね。
あの大山巌元帥もフランス留学が長く、後妻(大山捨松)は津田梅子と一緒に渡米したことで有名な人だし、自宅の日常会話は英仏チャンポンだった、とも聞きます。次男の大山柏博士(考古学者)の回想記等を読むと、本当に洋風で、父親を「パパ」なんて呼んでいる。
上原勇作元帥(日露戦時第四軍参謀長)も仏語ぺらぺらで、観測気球運用の教官の仏軍士官を徹底的にやりこめて、「本国の参謀総長よりおっかない」と冷や汗を流させたりしています。
些末なことですが、ちょっと駄弁を。

ところで、JR九州が慶尚南道の倭城跡などをぐるりと巡る「文禄慶長の役」ツアー4日間を組んで、さすがに地の利、往復ジェットフォイルでいけるから安上がり、五万円前後です。しかし、失職中の身、指をくわえて見てないといけない、ああ情けなや。



#245 
徹夜城(徽王・浄海王) 99/04/14 00:20
中国現代史の群像とかその他

>中西さん。
こちらこそご無沙汰してました。なんだかお書き込みになるたびに肩書きが増えているような…(^^)

今週の「ニュースな史点」に朱鎔基首相の「欧米流」のことを書いた後で、「産経抄」にもこの話題が載っていたのを読みました。やはり欧米マスコミには相当受けが良いようです。また朱首相も事前に相当準備しているようです。ま、欧米の政治家だって必ずしもみんなアドリブでやっているわけではないようですし。

朱首相のやる方を見ていると思い起こされるのは周恩来ですね。先日NHKで「ソールズベリーの中国」を再放送(本放送は天安門事件の直後)していたので観たのですが、ソールズベリーは「非常に聡明な外交官」として周恩来を高く評価していました。
ちょうどソ連との仲がギクシャクしていたころですが、ロシアでのパーティーで周恩来が英語で各国の人達に挨拶し、完全にその場の主人公となっていたそうです。するとソ連の外相がいまいましげに「ここはロシアなんだから、得意のロシア語で話してみては」とちょっかいを入れた。すると周恩来「あなたも中国で話されては?」「中国語は難しくてね」「いえいえ簡単ですよ。明日中国大使館にいらっしゃい。我々がレッスンして差し上げます」
いやぁ…なかなか粋な会話です。毛沢東はあまり得意じゃない領域ですね(笑)。

トウ小平(ああ、なぜ「トウ」の字がないのだ)についても面白いエピソードが出てきます。中ソ論争で中国代表となったトウ小平がソ連の論客を完全に論破してしまった。感心したフルシチョフが毛沢東に「君のところのあの小男が、我が国の大男をやりこめてしまったよ」と言ったところ、毛沢東は「あの男を甘く見てはいけません。蒋介石が選りすぐった百万の兵を破った男ですよ」と言ったそうです。なんか警戒しているようにも見える発言ですね。

つくづく思うんですが、毛沢東一人でも相当なもんなのに、周恩来、朱徳、トウ小平と、中国共産党って異様に高いレベルの人材が集まっていたような気がしますね(他にも色々いますけどね)。もちろん妙な事もいろいろとありましたけど、あの中国を統一しようという人間は、やはり大陸スケールで大物である必要があるのかも知れません。
現在ではあまり高くは評価されない蒋介石だって、直接やりとりした日本の某政治家は、なかなか懐が深くスケールの大きい人物という印象だったと記していました。

ところで秋山好古のお話が出ていましたのでこっちにもチラッと。
と言っても僕の知識は司馬遼太郎の「坂の上の雲」からだけですけどね。
やはり日本人離れした豪快な人物だったようですね。外見も西洋人そっくりだったとか。思うんですけど、明治の海外留学経験のある軍人達って割と欧米流スタイルだったんじゃないかなぁ?
「坂の上の雲」に出てくる話ですが、好古は「ロシアは社会主義国になる」と予言していたそうですね。乃木希介と一緒にフランスに訪問した際も、乃木に「社会主義とは平等を愛する主義です」と説明したと言います。乃木は「じゃあ武士道の方が上だ」という凄い答えをしたそうですが(笑)。



#244 
中西豪(使持都督・九州諸軍事・鎮西大将軍・石白王 99/04/13 00:26
欧米風のやり方

御無沙汰しております。朝鮮史くずれです。
「ニュースな史点」を拝読し、ちょいと思ったこと。やっぱりパーソナルなものではないかと。
 畑違いなのですが、以来があって日露戦争関係の原稿を書いている最中で、秋山好古将軍の伝記を読んでいて、軍縮会議席上、ほんとに当意即妙それでいて寸鉄人を刺す発言をしているのにぶつかりました。
 英雄待望論じゃないけれど、まっとうな政治家を上に戴きたいですね。



#243 
徹夜城(遅い管理人) 99/04/11 00:17
ようやっと公開…!

やれやれ、一応予告通り公開しました。と言っても今はもう日付が変わってますね(汗)
いちおう夕方7時ごろに公開したのですが、つい先ほどネスケでみたら一部文字サイズに狂いが生じていましたので、修正しておきました。
それにしてもまだ半分なんだよなぁ…(^^;)下手するとまだ三分の一という説も。
ま、気長に構えていてくださいな(笑)。



#242 
徹夜城(原稿執筆が遅い奴) 99/04/10 00:08
明日「旅行記」公開!(…予定)

えーい、予告してしまえ。明日、僕の中国歴史紀行文をついに公開します!
と言ってしまえば、明日公開せざるをえんでしょうから(笑)。
書いているうちに厖大な量(図版もあるので)になってきてしまい、とりあえず前半のみを明日公開させていただきます。こいつのおかげで僕のHP容量がついに無料枠の5Mを越すので増量手続きもしておきました。
イラストなんかもつけますので、結局明日いっぱいはかかるかも(^^;)。



#241 
徹夜城(帰ってきた管理人) 99/04/02 23:12
またまた「支那」について

>望月さま。
こちらこそ、はじめまして。
えーとですね、「支那」という言葉については先々週あたりの「ニュースな史点」に書いてあったんです。そこにインド経由だということは書いておきましたよ。仏典中に中国を指して「シナ」とあったので中国人が音訳したのが始まりです。
ですからその言葉事自体は差別語でも何でもありません。

ただ、繰り返しになりますけど、日本のある時期からある一部の人々(さすがに全員とは言いません)は意図的に「中国」を避けて「支那」と読んだのは事実です。今でも右翼系の人が「支那」ってしつこく言うでしょ。どう考えてもすでに「中国」って呼び方が一般的なのに。
結局「中国」って呼んでしまうと相手を「中華」として認めてしまう事になる、という意図が根底で働いていると思われます。戦前に陸軍が編纂した文禄・慶長の役の戦史でも明の皇帝を「王」と書いたり実名で書いたりしてるみたいですよ。
歴史的に言いますと、日本は秀吉あたりから江戸時代にかけて自らが中華になろうとする思想が段々に育っていたんです。満州族による清朝設立がこれを決定的にしたようにも見受けられます。朝鮮でも「小中華思想」なんてのが出てきますけどね。江戸時代のそんな空気の中、新井白石あたりから「支那」と呼び始め、あの大陸の国を「中華」と認めない風潮が明治にまで続いたのだと思っています。
まぁちょっとこの辺の話は専門的なところまで突っ込まないと分かりにくいところもあります。質問がありましたらお気軽に書いてみて下さい。

ところで一部で有名な話らしいですが(僕は最近知りまして)、ある漢詩に「中国」という言葉が出てきまして、それに昔の日本の漢学者が「国の都の中ということか」などという注をつけたことがあるそうです。中国って呼び名が古くから存在していることを知らず、あくまで「支那」としてしか考えてなかったことによるチョンボのようです。

そうそう、中国行っていたものでブランクがありました。「ニュースな史点」更新は明日に延長です(^^;)。



#240 
望月秋津 99/04/02 12:29
はじめまして

こんにちは 歴史マニアとしてはビギナーの望月と申します。
ここいろんな人が来ていておもしろいですね。
ところで、徹夜城さん、支那っていうのはインドが中国を読んだ言葉を音訳した物らしいですよ。(大辞林かな?)
だから、それがどうして失礼な言葉に当たるのかが解らないんですけど、うーん、戦争の影響かな。
知っている人がいたら教えて下さい。
私の専門は日本中世史なんでなんか面白いことがわかったらまたかきこみますね。
白石一郎さんの小説はやっぱり面白い。感覚が古びていないし。
あと中世史なら網野善彦先生はお勧め。




#239 
徹夜城(旅人) 99/04/02 00:05
帰ってきました。

実はすでに昨日のうちに帰っていたんですけど、へばっていたのでネットに書き込み等はしませんでした。とりあえず無事帰国しましたので、ご報告まで。

今日からすでに「旅行記」の執筆に入ってます。やっぱ忘れないうちに書いておきませんとね。その代わり「ニュースな史点」は辛いですね。日本にいなかったもので今ひとつネタが…。まぁなんとかしますけど。

ちなみにこのたびの「倭寇」の最大の戦利品は無錫の「恵山泥人形」です。水滸伝の108人全部が揃った奴があったので思わず衝動買い(笑)。「西遊記」「三国演義」シリーズもあったんですけど、揃いがピッタリしてませんしね。それに海賊専門家としては政治家・軍人の英雄より山賊の方が好きです(笑)。
「水滸伝」といえばあちらで放映されたドラマのビデオCDの全巻セットが売られていました。予算の都合で泣く泣く断念。NHK衛星あたりが放映してくれるような気もするんですけどね。



#238 
たけや 99/03/30 18:47
ついに訪中ですか!!

お久しぶりです。下の伝言を見て、ちょっとというか、かなり驚いています。

ついに、ついに中国へ行かれるのですね。

ツアーということですが、生の中国を目の当たりにして、徹夜城さんがどんな体験をされどんな
感想を持つのか、今から楽しみです。帰還後(?)はいろいろ感想を書いてください。

江南の地はまるっきり普通語でないので、言葉的には発見はないかもしれませんが、その海賊的
性格は所々に見受けられることでしょう。楽しみです。ではまた。ツエーウエイ(上海語のさよなら)



#237 
徹夜城(旅人) 99/03/26 22:19
ちょっくら中国行ってきます。

つい先ほど「徹夜城」のトップページに告知を出しましたが、わたくし明日から中国旅行に出かけてきます。実は初めてのことなんですが、突然決定しました。
初めてなもので旅行社のツアーで行くんですが、しっかり専門としている江南諸都市のコースを選んでみました。上海・蘇州・無錫・南京・杭州と、まぁ有名どころばかりではありますが、僕の目には「倭寇被災地めぐりツアー」にしか見えません(爆)。とりあえず現場を見てきてイメージを膨らまして見たいと思います。まぁ当時とは随分違うとは思いますけど(一部は地形も違うしなぁ)直に見てくる体験は大切でしょう。五島や対馬でもそう思いましたから。徐海や王一枝や蕭顕、兪大猷や湯克寛や廬ドウが駆けめぐった土地を見てこれるというだけでもワクワクしてます。あ、部外者には知らない人ばかりですいません。人物事典に何人かは載せてますので宜しく(^^;)。
帰ってきたらこのサイトに旅行記が載る予定なのでお楽しみに。
あ、留守中は弟の「K・E・N」が管理を代行しますのでこちらも宜しく。



#236 
徹夜城(管理人) 99/03/21 23:26
「中国」の話の続き

その後改めてちょっと調べてみました。
漢和辞典で「中国」って引いてみたら…なんだ、すでに「書経」にある言葉なんじゃないか!ってことは少なくとも漢代には存在していたわけですね。
まぁ国名と言うよりも「中つ国」とでも言いましょうか(←日本神話や指輪物語でおなじみ)、ようするに文化の中心地ということなのかな。「支那」なんかよりずっと古い言葉でした。

ついでに「支那」について。
確認される限り日本で中国のことを「支那」と呼んだ最初の人はあの新井白石のようです。
言い出したのが江戸時代の儒学者(というよりは幅の広い人ですが)ってところはポイントですね。やはりそこには「中華」として相手を認めまいとする発想が感じられます。その後は蘭学者達の間でよく使われていたようです。こちらはヨーロッパ文献からの訳かもしれませんが。



#235 
徹夜城(管理人) 99/03/21 00:13
ぼちぼち色々更新したいですね。

>かずささん。
いやーどうも。「ニュースな史点」もどうにか「週刊」にしてるんですけど、ズルズルと更新曜日がずれてますね(^^;)。最初は水曜だったんですが、もう金曜夜に更新してます。

「シナ」という名称については以前某所で議論になったので少しばかり知識を得ました。まぁ確かに「シナ」が差別語なら「チャイナ」も同様なので、その語自体に罪はないんですが、石原さんみたいに確信して乱発されるとイヤになりますね。よくみると文化人系でも結構「支那」って使う人多いですよ。使用にあたって意図があるかどうかは文面でだいたいわかりますけどね。
しかしまぁ今回書いてて思ったことですが、「中国」って言葉はいつから使ってたんでしょうかね。「史点」にも書きましたが、16世紀の資料にはチャンと出てきます。

名称ってことで話を続けますけど、世界の国や地域の名称って結構各地で勝手に呼んでますよね。日本も「JAPAN」よばわりされてますし(個人的にはオリンピックの時ぐらい「NIPPON」と書いたらどうだと思ってますけど)、「イギリス」って国も本来存在しませんもんね。「スペイン」だって英語読みな訳だし。あげればキリがありません。
お隣の韓国・朝鮮なんかは「KOREA」という英語名で統一できて逆に便利になってるところもありますね。日本人がこの半島の国を呼ぶとき、どうも一瞬迷ったりしませんか?「在日韓国・朝鮮人」という長ったらっしいニュース用語もこの一例です。もう廃れたような気もしますけど「統一したら「高麗」にしよう!」という意見もあったんですよ(そういや高麗大って大学ありますね)。KOREAの語源だしちょうどいいわけで。なんだか現代地図に「高麗」が出現すると楽しそうですね(^^;)。

ところで皇なつきさん、そんなものまで書いてましたか。いやー、やはり三国志一辺倒の日本中国史マニアの現状に辟易してるんでしょうかね。田中芳樹も似たような事を言って時折三国演義への憎悪すら覗かせますが(笑)。わからんでもないですけど、大変なことですよ、実際他を開拓するのは。結局「三国演義」の延長上でとらえてることが多くなりがちです。
それでも「開拓」は意義がありますから、人気のある人に先にやっておいてもらった方が後続が楽だ、ってところもあります(^^)。
近頃私は中国近現代史にもちょっとハマってましてね。辛亥革命から中華人民共和国成立までの歴史も大変な人間ドラマの宝庫です。最近「宋家の三姉妹」観まして、余計にハマりつつあります。

>shibanecoさん。
どうも、Resが遅れました(^^;)
しかし現代でもイエズス会って元気なんですねぇ。ここまで来ると感服せざるを得ませんね。
16世紀から17世紀では中国布教でも宣教師達が大活躍してくれます。中には満州族と戦っちゃったなんて人もいたような記憶があります。



#234 
かずさ 99/03/20 22:16
ニュースな史点読んだよ

いつも精力的に書かれてますねえ。楽しませていただいてます(^^
私は「支那」って言い方好きですよ。いや、別に意味合いとかから好きなのではなくて
「shina」っていう音が「CYUUGOKU」より味わいがあるなと(笑)なんのこっちゃ

最近皇なつきさんの書いた漫画読んでます。明末の動乱の時代を書いた「黄土の旗幟のもと」とかいろいろ。うーん鄭成功もいいが李自成陣営も面白いな(すぐ感化される私)
この時代ってとっても個性的な人物ばかりでとてもエネルギッシュな時代なんだけどかなりマイナーだよなあ。
日本では戦国(封神演義)・後漢末(三国志)・宋末(水滸伝)ばかりだもん(笑)
まあ日本の歴史も戦国か幕末ばかりもてはやされてるから同じか(笑)
ではでは。また読みに来ますね(^^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#233 
shibaneko 99/03/10 13:50
イエズス会といえば・・

16世紀のイエズス会も面白そうですね。
ご存じかもしれませんが、イエズス会第3代総長はフランシスコ・ボルジア。
チェーザレ・ボルジアの甥の息子に当たります。
プロテスタントに対するカトリックの尖兵となったイエズス会の、
組織の安定をはかりました。列聖されて、聖人となっています。
ところで、現代のイエズス会の話をひとつ。
宗教の自由が認められたとはいえ、ロシアでの布教は厳しい状況が続いているそうですが、
共産政権下のソ連時代にも、イエズス会は教会をモスクワに持っていたそうです。
ただし、神父は一人だけ。ミサも教育活動も無し、ということだったそうですが、
イエズス会は神父の他に、料理人、庭師、掃除夫、等の雇い人の名目で
何人もの神学生を、育てていたそうです。(現地人らしい)
共産政権が倒れた途端、布教活動を開始できたというのは
「さすがイエズス会」と言ったところでしょうか・・。

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html


#232 
徹夜城(旅から帰った人) 99/03/06 23:44
帰ってきました。

あっさりと一日で帰ってきました。旅っていっても「総の国」から外には出ませんでしたが(^^;)

>ともよさん。
うんうん、フリードリッヒ大王ですか、確かに面白い人ですよねぇ。少年時代と国王になってからのギャップ(本人はそうでもないんでしょうけど)の面白さは格別です。父親との凄まじい確執、マリア=テレジアとの宿命の対決など、見せ場に事欠かない人物ですね。
たぶんドイツじゃ最大級の大物ですから小説なり映画なりあるとは思うんですけど、日本にはなかなか紹介されませんね。僕も「フリードリッヒ大王」って本を一冊持ってますけど、これはあくまで一般向け伝記ですしね。

 話が飛ぶようですが僕は西洋系の君主ではロシアのピョートル大帝が好きですねぇ。もっとも彼の生涯が面白いってだけで、現実にああいうのを君主にいただくと国民は大変だとは思いますが…(^^;)。ちなみに僕のピョートル入門はアンリ=トロワイヤの小説でした。すっげぇ面白い。
その後「歴史映像」コーナーでも取り上げているアメリカの大型ドラマも観ましたが、こっちはあんまり面白くなかったです。

>都知事選。
そういや野末陳平降りちゃいましたね。これは石原慎太郎が出馬するって噂は本当ってことかなぁ…?



#231 
ともよ 99/03/05 23:05
本が読みたい

誰かフリードリッヒ大王を主人公にした小説を書いてくれないかなあ。




#230 
徹夜城(旅人) 99/03/04 23:42
旅にでも行くかなぁ…

えーと、ちょっと旅に出ます。といっても近場にわずか一泊。
近々もっと大がかりな旅行にも出かける気では有るんですが…。

さて、「ニュースな史点」を更新しました。どうにか「週刊」を保てる自信が出てきたので(笑)、入り口にもそのように明記しました。おかげで最近マスコミを見る目がすっかり変わってしまった(笑)。ネタ探しに奔走(ってほどでもないけど)していたりします。
でもこれって自分も勉強になりますよね。ちょっとバラしますと、今回取り上げた「君が代」のネタは前から知っていた部分もあったんですが、百科事典のお世話になってもいます。それに、マレーシアに王様がいたとは知らなかった…いや恥ずかしながら、ホント。

とにかく来週中には目下書いている論文の仮完成を目指す徹夜城でした。




#229 
徹夜城(海賊史専攻) 99/02/24 16:49
イエズス会は面白いんですよ〜!

>sibanecoさん。
「大ザビエル展」、実は物凄く興味があったのですが、都合で行けませんでした。お話にある通り、ザビエルとイエズス会というのは実は「倭寇」どもと深ーい関係にあるんですよ。
ホントはこの辺のことも「海上事件簿」「海上人名録」に載せる予定なんですけど、ちょっと時間と資料がないのでして。現時点ではメンデス=ピント君だけが西洋人代表で一人ガンバって載ってます(笑)。

ザビエルが中国人の船に乗って日本へ来たのはその通りなんですが、実はザビエル本人その他の資料ではその船長は「海賊」と明記されています。名前は「ワン(王)」とあります。これを最初見たときは「まさか王直じゃあるまいな」とチラと思ったのですが、ありふれた姓ですし一応違うようです。なんでも家族総出で船に乗っていたようで日本への渡航の途中彼の娘が死んだとかいう話も載ってました。

そもそもザビエルを日本に連れてくるキッカケとなったヤジロウ(アンジロウ)は鹿児島人(武士?)で殺人を犯したためマラッカに来たとされています。彼はザビエルを日本へ連れてきた直後に逃走し、「倭寇」となって中国で戦死したとフロイスは記してますね。
先ほど「王直じゃあるまいな」と書きましたが、実はザビエルと王直の間に実際に何らかの繋がりがあったらしいのです。鹿児島布教に失敗したザビエルは平戸に入りますが、その動機には平戸の王直の庇護の元に多くのポルトガル人が存在していたことが挙げられています(安野先生の「港市論」など)。
それとイエズス会そのものも実は「貿易商社」の側面を持っていたようで、その辺からも王直との関わりは案外深そうです。

ここからは「歴史学」を離れた「小説」の空想世界になってしまいますが…
僕はザビエル、イエズス会と王直を結ぶ接点として「人名録」に挙げた「世紀の大ボラ吹き(笑)」ピント氏を疑っています。全て状況証拠なんですけどね。ピントの活動範囲があまりにも王直のそれと一致すること(例えばどちらも「鉄砲伝来」論争に必ず登場します)、それでいながら彼の著作に王直と思しき人物が全く登場しないこと、後に彼がイエズス会に入会しながら突如原因不明の失踪を遂げイエズス会の記録から存在が抹殺されたこと、それが王直の退場時期とほぼ一致すること、などなど。まぁ詳しくは(詳しくもないか)「人名録」のピントの項をお読みください。

「史点」へのエール、どうもです。今書いてる最中だったりします(^^;)。



#228 
shibaneko 99/02/24 13:24
ザビエルと海賊

先日川崎ミュージアムで開催中の「大ザビエル展」へ行って参りました。
ちょうど、上智大学の高祖先生の講演会もあったので参加してきたのですが
その中で面白かった話があります。
一つはザビエルを日本へ連れていったのが中国人船長の船だったということ。
マラッカのポルトガル人総督(?)がスポンサーになって、
中国人船長の家族と財産を担保にとって、ザビエルを日本まで送り届けさせたとか・・。
ポルトガル人は、日本で商売になるとは考えていなかったので、船を出してくれなかったそうです。
また、上川島で亡くなったのも、中国への密入国の手引きをしてくれる船を待っている間に
病にかかったとか・・。
ザビエルに中国人(海賊?)が、結構関わっていたというのは、発見でした。
16世紀というのは本当に面白い時代のようですね。
<ニュースな史点、更新がんばって下さい。楽しみにしています。(^^)

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html


#227 
徹夜城(海賊史専攻) 99/02/22 23:43
海賊ってやっぱロマンなのかな(笑)。

>タキッテンボローさん。
どうも初めまして。
中国の海賊に興味を持っていただいていたとは嬉しい限りです。
学界ではなんだかハヤリの雰囲気なんですが(先生方はもちろんのこと、僕も含めて今院生やってる人に多いのですよ)、海賊そのものを専門にした本はなかなか無いのが実状ですね。

松浦先生の「中国の海賊」はこのジャンルでは必読でしょう。かなり一般向けに書かれていますし、通史的に追えるところが良いですね。
個人的には16世紀倭寇の捉え方にはかなり違いを感じますが…まぁこれは僕が今やってる論文のネタですから、ここでは置いておきましょう(^^;)。

うーん、これ以外で専門的でない良書となるとやはり難しいですなぁ。
「俺たちゃ海賊!」コーナー(そういえば随分更新してませんね)で「倭寇関係」ならいくつか本をあげておきましたけど。田中健夫さんの「倭寇−海の歴史」なんかは結構読めると思いますよ。ただし倭寇(実質はほとんど中国人海賊)の話だけです。
鄭成功に関しては小説をお薦めします。最近出た白石一郎さんの「怒濤の如く」、陳舜臣さんの「旋風に告げよ」「風よ雲よ」(この二作で鄭父子が読めます)、荒俣宏さんの「海覇王」など。他にもいろいろあるはずです。やっぱ近松以来人気のあるキャラクターなんですよね。

実は鄭成功に匹敵するキャラクターとして林鳳という男がおります(松浦先生の本にも出てましたよね?)。実は最近こいつの小説が書きたくてしょうがないんですよ(気の多い奴です)。16世紀の後半に東シナ海を暴れた男で王直とは「知り合いの知り合いの知り合い」ぐらいの関係にあるらしい、という人です。「鳳」って名前がカッコ良いじゃないですか(笑)。
福建出身で他の海賊や官軍と抗争、やがて台湾に拠点を構えフィリピンへ進出、マニラをめぐってスペイン軍と抗戦します。マニラでは撃退され一時ある要塞に封鎖されますが、奇略でスペイン軍を出し抜き脱出、明に帰ります。どうもその後は東南アジアへ行ってしまったらしい(死に場所は不明)。スペイン側の資料には「リマホン」と記録され副将は日本人「シオコ」であったと分かっています。
集めれば結構資料のある人間なので書きたいなぁ、と思っています。論文の手が空いたらいきなりHP上で公開するかも。
…いかん、最近個人HPで連載を抱えすぎてるような(笑)。まぁ締め切りがないからいいか。



#226 
タキッテンボロー 99/02/22 12:46
はじめまして

どうもはじめまして。
素人丸出しの中国史サイトみたいなのを作っているものです。
以前からちょくちょくアクセスしていたんですが、書き込みするのは初めてです。

実は一年ほど前から中国の海賊というのに興味を持っていて、
東方書店の『中国の海賊』を発見するや大喜びして読みふけったりなどしています。
鄭成功の鉄人部隊なんてかっこいいよなぁとかいうミーハーなやつですが、よろしくお願いします。

ところで中国の海賊について他に何か書籍は出てるんでしょうか?
なにぶん仕事の合間にちょこちょこ本を読んでるだけの素人なので、あまり専門的なものだと
萎えちゃったりしちゃうんですけど、もし良書がありましたら教えていただけないでしょうか?

では今日はこの辺りで失礼いたします。

http://www.din.or.jp/~taki/


#225 
徹夜城(時々名前が中国人やら朝鮮人に間違えられる奴) 99/02/14 23:43
「八紘一宇」っと、

おお、変換できますね。「八紘」の方は一発じゃなかったけど選択肢にありましたね。ほとんど死語なのですが。
「八紘一宇」といえば僕が「ニュースの史点」でネタにした某紙の連載でもこの言葉が出てきましてね。神武天皇のおっしゃった言葉で、大変良い意味だと(笑)。戦後「侵略用語」として否定されたが本来は…(以下略)ってな解説がとうとうとされていました。しかしこの言葉に異様にこだわっているところがどうもヘンですね。何やら「紀元節が侵略戦争を引き起こしたように言われるが、そもそも戦争とは思想から始まるのではなくて経済的な理由が先にあり、思想は後付されるものだ!」とかいう主張も書いてありました。これを言うことによって「紀元節」を擁護したいらしいんですが、なんかヤブヘビになっているような。これ言っちゃうと「大東亜共栄圏」なんてまさに「後付の思想」だよなぁ(笑)。書いてる人、思わず真理を突いてしまったような。

話を「八紘一宇」に戻しますが、この言葉がいつごろやたらに使われるようになったのか、というとやはり昭和10年代に入ってからのようですね。おそらく例の「紀元二千六百年(昭和15年=1940)」がピークなんでしょう(ちなみに僕の親父はこの年の生まれ)。この世代にやたら「紘一」さんっていますよね。政治家の加藤紘一、ゴジラの特技監督の川北紘一とか。他は思い浮かばなかったけど有名人で何人かいるはずです。
戦後は死語になったはずなんですけど、あの競艇のお爺ちゃんが「世界は一家、人類みな兄弟」とか翻訳してましたっけね(笑)。



#224 
兜蟹老師 99/02/14 17:15
私の親爺は・・・

私のオヤジは満州の国民学校に勤めた経験で、創氏改名についてはこう語っておりました。
明治天皇が日露戦争で「四方の海、皆兄弟と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ」というステートメントだか
和歌だか(和歌にしちゃ芸も趣向もないけど)をアメリカ大統領へ贈ったのが、当時世界世論に
非常にうけたもので、日露戦争後の朝鮮経営に際して、例の(四方から拡大したか)「八紘一宇」なる
スローガンを採用して国際的認知を図っておこうとしたというんですね。内容は「8民族みな一家」みたいな
もんだけど(この場合の8は全部という意味ね)まあどっかの宗教団体の標語と大差ないですわね。しかし
実際に朝鮮全土、満州建国以降は満州全域に「八紘一宇」の石碑を建てまくった訳ですね。無論これが
明治天皇の和歌のようにプレスタイトルになる訳もないんだけども、こういう言葉が国際的に聞こえが
いいんだと思いこみがどうも日本人の国際感覚の限界なんでしょうね、或いは今も変わらぬ行政官僚の
無能なのか、少なくともこのおかげで朝鮮民族は兄弟、同族であるとしなければならなくなっていった
というかね。創氏改名には政治的な狙いも効果も見込まれてなくて、ただこの標語における
自縄自縛的結果として生み出された程度の代物だよというのがオヤジの持論でした。どうも私も
この戦前日本の自己欺瞞は数名の愚直な官僚によるものであって国策と呼べるような代物でもなかった
んじゃないかと思ってますね。

http://www.dd.iij4u.or.jp/~umixday/index.shtml


#223 
徹夜城(姓は難読) 99/02/12 23:47
名字の話つづき。

>sibanekoさん。
どうも、どうも。お読みいただきまして有り難うございます。
反響にお応えすべく毎週更新を目指して以前より新聞・雑誌・テレビに目を光らせるようになってしまいましたね(笑)。

ところでお話に出ていた「姓」の話なんですが、ちょっと参考までに小話を。
ご存じの方も多いでしょうが、お隣韓国は中国と同様、夫婦別姓です。というより「姓」というのは「個人」に生涯密着しているもので「姓を変える」なんてのはもともと考えられないわけです。
ところで日本の植民地朝鮮でいわゆる「創氏改名」という政策がありましたよね。もっぱら朝鮮人の名前を「金田太郎」だとか日本風に変えさせたことが強調されますが、実は真のねらいは「日本流の家族制度の強制」にあったという意見があります(ちゃんと専門の方から直接聞きました)。本音を言えば名前じたいは朝鮮風で構わなかったらしいんですよ。問題にしたのは一家庭内に別姓がいるという状態だったらしい。日本流(といっても明治以後ですが)の家族制を持ち込むことに重点が置かれたというのです。「創氏」という表記にご注目ください。
で、なんでそんなことをしたのかというと戸籍制度、ひいては徴兵に都合良かったからでは、さらに言えば皇室まで汲み上げられる「国民は一家」システムに組み込もうとしたのでは…というわけです。実際「創氏改名」って案外後になってから実行してるんですよね。



#222 
shibaneko 99/02/12 14:25
ニュースな史点面白かったです。

ごぶさたしています。ニュースな史点面白く読ませていただきました。
名字といえば、「アラブムスリムの日常生活」(講談社現代新書)の中で、
テクノニミーについての記述が面白かったのを覚えています。
両親は長男が生まれた時点で、その子の名が自分たちの呼び名になるというものです。
日本式に言えば、「ひろきくんのお父さん」「ひろきくんのお母さん」。
男の子が産まれなければ、長女の名前だそうですが、子どもが産まれないとどうなるんでしょう・・?
日本の姓の話ですが、
女性が実家の姓に属していたというのは、財産分与権と関わりがあるのではないか、と考えています。
実家の財産を引き継ぐ権利を失ったあたりから(江戸時代あたりでしょうか?)
夫の家の姓を名乗るようになったのではないでしょうか。
夫婦同姓の起源は案外、浅いと言えます。
戦後の民法改正で、また女性にも相続権が発生して50年以上になりますが、
夫婦別姓は、(歴史が)また元に戻っただけ、というのが正直な感想です。
とりとめのない感想になってしまいましたが、
次回もまた楽しみにしています。(ついでに、しりとり人物伝の方も。^^)

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html


#221 
徹夜城(姓は難読) 99/02/11 22:24
名字のお話

>かずささん。
あ、どうもどうも。「ニュースな史点」読んでいただけましたか。感謝感謝。
「フセイン大統領」って言い方は確かにいつから始まったんでしょうかねぇ…あのお方はあくまで「サダム」のはずなんですよね。「フセイン」は父の名前で。欧米じゃどう表記してるんでしょうか(余談だけど「アラブの大義」は日本人の名訳のようです)。

イスラム圏は基本的に名前のみでして、父親の名を名前代わりにするんですよね。なんでも身分の高い人ほど名前を列挙できるとか聞きました。だから「フセイン国王」クラスになるとズラズラとムハンマド時代までさかのぼって表記するのが正式らしい(ホントか?)。インドネシアなんかでも「スハルト」「スカルノ」だけですもんね。
トルコについては「しりとり人物伝」のケマルの回に書きましたが、ケマルが改革しちゃったのであそこは姓を持ってます。

でもどうやらヨーロッパだって事情は同じなんですよね。昔は「誰々の息子(サン、ソンなど)なになに」と名乗ってたようですし(西洋系ファンタジー小説でよくある表現。「指輪物語」とか)。あの「スティーブンソン」だの「リチャードソン」だの「アンデルセン」なんかも本来はそういう事らしいです。

日本だって国民のほとんどは姓なんて持ってませんでしたしね(屋号はあったが)。姓を持ってる家でも今みたいに夫婦同姓って事はなかったようですし(むかし某社の「私本太平記」の広告で尊氏の妻を「足利登子」と堂々と書いていたものだ。いちおう「北条」なり「赤橋」と呼ぶべきらしい)。本来は中国や朝鮮と同様だったようです。もっとも「家系」に関する観念はだいぶ違いますが…



#220 
かずさ 99/02/11 19:26
ニュースな史点読んだよ^0^

さすが詳しいですねえ。あの新聞ならではの記事を徹夜城さんならではの読解。
非常に面白く読ませていただきました(^^
そういえばニュースにフセイン国王死去って踊ってるけど、もうアナウンサーが数限りなく間違えてますよね。フセイン大統領って(笑)大丈夫かいな。まあ、日本の国際感がよくわかる間違いですね(^^

さて私のHP入れ替えましたが、早速のメールありがとうございます。
もののけ姫の話、裏設定本等も読んだのですけど、映画を見ただけの情報でってことで書いてます。徹夜城さんの指摘は非常にためになりますねえ(^^今後とも宜しくね(^^

そうそう怒濤のごとく読み終わりました。非常に勢いよく無理のない内容でした。
ただいま2回目読書中(笑)そのあとに私も再開しよっと(^^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#219 
徹夜城(管理人) 99/02/10 23:49
「ニュースな史点」始めました。

トップページご覧になった方はお気づきでしょうか。唐突に新コーナーが出現しています。
ページ全体のあちこちにまだ未完成部分があるくせに、急に思い付きでこういう新コーナー作ってしまうんですね、ここの管理人は。人生全て思いつき(^^;)。

思いついたら一気呵成に記事を書いてしまいました。まぁちょうど書きたいネタがいくつか集まってましたし、いくつかタイミングを狙わなきゃいけないのもありましたから。あと、今回ネコミ付属のコンポーザーなんぞ使ってみましたのでちょっといつもと見かけが違います。そのせいか、今入ってみたらカウンターの画像が妙なことになっていましたが(4777!何かいいことありそうなっと)。

「今週の記事」とか書いちゃいましたから毎週更新が目標ですけど、まぁたぶん無理でしょう。隔週ぐらいだと思ってます。
…それより早いとこ「しりとり人物」更新しないとダメですね。記事の半分は出来ているのだが…論文書いてるくせにこんなことしてていいかいな。



#218 
徹夜城(歴史映像探求者) 99/02/10 00:51
大河ドラマな話

>砂漠のネツキさん。
いやー、お久しぶりです。しかし10月以来とすると大して変わってませんよね、このページ(^^;)。そちらもお忙しかったようですが、こちらも論文作成でしてねー。しかも他のコーナーの更新もやってるからちょっと「歴史」についてはほったらかし状態になっています。人間そうそういろんな歴史を同時にはやれませんで。
…とか言いつつアシモフ百科事典はしっかり更新しているのだが(笑)。

さて、今年の大河ですがまぁ平たく言ってしまえば忠臣蔵です。ただ物語の開始が事件の20年前に設定されていて「松の廊下」まで時間がかかってます。なんでもスタッフとしては「元禄」を描くことが主眼だそうです。
はじめバカにしつつ見始めたら萩原健一の綱吉にはまってしまった(笑)。キレとるなぁ。
スタッフのコメントを見たんですが、どうも「討ち入りは幕府の差し金」的な展開になるようですよ。やらせたというか黙認したというか。
根拠は一応ありまして、47士が事前に誰一人捕まらず討ち入りを実行できたことがそもそもヘンだ、というもの。由井正雪にしても大塩平八郎にしても他の陰謀はだいたい密告やらなんやらで事前に洩れるのが自然なのに、なぜ大勢の赤穂浪士にそれが可能だったのか?幕府が知ってて黙認したと考えた方が自然では、ということのようです。
まぁ「忠臣蔵」もあれこれいろんな解釈を相変わらずされてますね。確かに根強い人気です。以前外国の人(たしかフランス人)が書いた「悪人列伝」って本を読んだら日本代表で吉良が出てました(笑)。ちなみに中国代表は曹操。まぁ趣旨は「悪役にされちゃった気の毒な人達」ということなんですが。



#217 
砂漠のネツキ 99/02/09 23:52
今年の初書込み

毎度のことですが、お久しぶりです。
それに、明けましておめでとうございます(タハッ
年も明けたのに挨拶もできなくって(^^;
最後に書込んで以来、10〜12月は深夜に飛脚がマークの某宅急便でバイ
トをしていて、1月はずっと帰省していたもんで。
実家にもPCはあるんですが、接続するだけで一苦労なもんで、所用で東京
に戻ったのでこれを機会に挨拶をと思いまして。

今年の大河ドラマは平たくいって忠臣蔵ですか?
年末にさんざ放映してるので、個人的に1年間とはちょっとウンザリです。
では戦国かといわれれば、食傷気味ですし・・・
今から考えると『太平記』や『炎立つ』が新鮮に思えます。



#216 
徹夜城(歴史映像オタク) 99/02/07 00:25
来年の大河は…

えーと、ご存じの方も多いでしょうが、来年の大河ドラマは「葵〜徳川三代〜」であります。
脚本がジェームズ三木、スタッフはだいたい「正宗」「吉宗」と同じ陣容です。
家康が津川雅彦(ジェームズ三木ときいた時点で予想できるな)、秀忠が西田敏行(「吉宗」で縁者になってしまったな)という配役。三代目の家光は未定(というか未発表)だそうです。語り手(「吉宗」の近松で味をしめたな)がなんと水戸黄門(徳川光圀)でこれには中村梅雀があたってます。
津川の家康と言いますと「独眼竜正宗」ですでにやってますね。確か梅雀さんは「真田太平記」で秀忠役をやっていました。そして「吉宗」では彼は家重をやって吉宗役の西田敏行と親子役でしたが今回は叔父・甥役(つっても年がやたら離れてるが)ってことになるわけね。
…うううっややこしい(笑)。
それにしても「慶喜」「元禄」「葵」と徳川時代が良く続きますね。
よく友達と冗談で言ってるのですが、いっそのこと「徳川十五代」シリーズとかやったらどうだ(韓国には「朝鮮王朝500年」ってシリーズがあるが)。ネタがまるでない人も数名いるが(笑)。家斉にいたってはNHKで放映できるか?
それにしても戦国以降に偏りすぎですな、大河も。そろそろいい加減に飛鳥時代とか手を出しませんかねぇ。冒険を出来る人がいないとダメですか。
そういえばそろそろ再来年の大河の発表があると思うのですが…



#215 
徹夜城(体質脆弱な奴) 99/02/03 13:08
個人的連絡

某大学院の皆様、今日は私は呼吸器系不調のためゼミは休ませていただきます。
風邪ではないんですけど、家族に次々と風邪が蔓延しています。僕も用心した方が良さそうです。
以上、私信でした。



#214 
九大歴愛会中西派(名島城址二の丸あたりに居住) 99/01/29 14:14
どなたかご教授願えれば有り難し

寒中お見舞い申し上げます。
城ネタが続き、大変面白く読ませていただいていたのですが、非常に良心的な復興天守、奥州白河城について、昨年、とある大判の建築専門雑誌でその在来工法(というのですかね)による復元の詳細を掲載しているものがあったのですが、当時(今はもっと酷い)手元不如意で購入できませんでした。最近思い出して、何という雑誌名だったか思い出せず、苦慮しています。
どなたか御存知の方、お教えくださいませ。



#213 
徹夜城(最近旅してない旅人) 99/01/27 00:05
怪しげな史跡ども

怪しい歴史観光名所ってのは中国にはいっぱいあるらしいですね。
まぁ日本も人のことはいえないでしょうが…(^^;)徐福の墓はおろかキリストさんの墓まで作っちゃう国ですから。あ、楊貴妃の墓もあるんだった(確か山口県)。これを見つけた中国の学者が本国で「楊貴妃逃亡説」を発表していたりしたそうな。鹿児島に秀頼の墓があるようなもんですか。
前にも書いたことですが、平戸に行ったら(現物は見なかったものの)「鄭成功手植えの松」とかいうのもあるそうです。非常に怪しい。それ言ったら成功の母親が浜辺で彼を生むときにしがみついたという「児誕石」もかなり怪しいような気もしますね。あとで有名人になっちゃったもんだから、いろんな話ができちゃったんと違うかな。

そういえばはるか昔に鎌倉の鶴岡八幡宮に学校で行った時、石段の脇にある木に実朝を殺した甥っ子が隠れてたって説明を受けましたけど、あれもどうなんですかねぇ。



#212 
族長 99/01/26 15:41
掛川城が偽者だったとは・・・

な・・・なんとお〜!
掛川城って、高知城だったんですか。知らなかった・・・っていうか
それならそれで断りを入れてほしいぞ掛川市。いくら天守閣がジオングの
足みたいなものだとしても、ここまで適当に考えられてると悲しい気がし
ます。現地の説明ではそんなことは一言も無かったなあ。
確かに元は何も無かったような小城でも「天守閣を建てたい」という気持
ちは解らなくはないです。見栄えが良いし、観光客受けも良いでしょう。
しかし、だったら「この天守閣はイメージによる復元であり、現実とは若干
異なります」とか、一言欲しいし、そこまで言わないまでも「完全復元」な
どと銘打たないで欲しいものです。
800円返せー!

このような、怪しい観光名所と言えば、こんなことがありました。中国に旅
行に行った時の話なのですが、山東省の某所に孫子の墓があるというのです。
因みにそこは宋代以前は海の底だった筈なのですが・・・。



#211 
徹夜城(映画オタク) 99/01/24 00:00
桝田作品といえば…

一歩間違えると個人の中傷になっちゃいますが(^^;)、確かに桝田監督って良くも悪くも平均的かつ凡庸な監督のような気がします。それでも次々と作品を作れるところを見ると結構人望があるんでしょうかねぇ(クロサワを見れば分かるように必ずしも才能のある人=人当たりのいい人ではないですから)。東映内ではなかなか存在感があります。監督で関わらなくても「監修」とかしてますよね。
映画版「宇宙戦艦ヤマト」も彼が監督だったりしますが、ほとんどテレビ版の再編集なのに、何をやったんでしょう?

僕が観た桝田作品の中で割と面白かったのが「二百三高地」です。
ご存じ日露戦争の旅順攻撃の苦闘を描いた戦争大作。予告編・宣伝にやや軍国調のノリがありましたが、観てみると割と反戦映画でした。
ちょうど司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ直後にビデオで見たもので、比較していて面白かった。
やっぱ仲代の乃木がはまりすぎでしょう。ちゃんと彼の愚行を描いてますしね。それでいてどこか憎めないあたり、実際にあんな感じだったかもしれません。
それと姿は似てはいないものの存在感で圧倒した丹波哲郎演じる児玉源太郎。すっげーカッコいいんですね、これが。
日本で作った戦争映画の中では結構観られる部類に属すると思います。
このヒットで調子に乗って作った「大日本帝国」と「海ゆかば」は酷いもんでしたが…



#210 
兜蟹老師 99/01/23 01:52
■すみませーん!

気がついたんだけどね・・・へえ。これでいいかな。
某桝○監督の話が書いてあったので、ひとこと。一度、○田監督の映画、参加したつーか
シナリオ書いたんだけども、・・・・・・・・日本の平均的、典型的な映画監督さんです。という
ことは、多くは望まないようにって・・・・(笑)←いいのか、こんなこと書いて!
日本映画、とくに時代劇って・・・・・もう小学校以来見たことないかも。短い映画畑の経験
からいうと、たちまち妙なところばっか目がいくでしょうねえ。照明や大道具方なんかの
ぼやきが見えるとか・・・。仕事してしまうと邦画見るのが地獄です。(T_T)

http://www.dd.iij4u.or.jp/~umixday/index.shtml


#209 
徹夜城(管理人) 99/01/23 00:07
ちょっとすいません。

>兜蟹師匠。
ちょっと以前にも書き忘れたことのですが、ホームページのアドレス書くときは「http://」からお願いします。下の状態ではリンクになっていません。今時こんな形式あんまりないですけどね。
そのうち書かなくても良いようにしようとは思ってたんですが(大したことじゃないのは分かってるんですが)、ついそのまんま放置していました。
生来のものぐさって事もありますけど、ちょっと何かいじると僕は事故も良く起こすので(最近アシモフ掲示板で大ポカやりましてね。ま、おかげさまで復活できましたが)どうも気軽に手を出せなくて(笑)。

ところで今年の大河ですけど、いろいろやってますね。つい二回目も見ました。
綱吉就任時のイザコザ、酒井忠清(だっけ?)とのトラブルなど、結構面白く見ました。
って言うのもこの辺りのネタは東映の「江戸城大乱」(桝田利雄監督)で観たことがあるのでちょっと知ってまして。といっても史実のことではないです。比較して面白かった。
「江戸城大乱」って「東映メチャクチャ時代劇」の最後の作品だったんじゃないかな。どうせだからオチをばらしながら書きますが、家綱が変死を遂げ、跡継ぎ候補の甲州(だれだったか名前忘れた)も暗殺される。そして酒井(松方弘樹)は宮様を迎えようとし、綱吉の命が狙われる。綱吉は堀田(三浦友和)に助けられて、酒井に挑戦する。しかしラストには意外な結末が!実は綱吉は酒井の子で、酒井の本心は綱吉を将軍にすることだったのです!ラストにそれが明かされて酒井はわざと討たれて死ぬ(切腹だったかな?)…というもの。
東映時代劇をよく見ている方には、これだけやっても意外でも何でもない結末ですね(笑)。確かこのオチは「激突・将軍家光の乱心」でも使われてます(家綱が緒形拳の子供だった)。未見ですが「女帝・春日局」では家光が春日局と家康の子って設定だったとか聞いたけど。

とまぁ笑いながら書いちゃいましたが、同様のオチはアカデミー作品賞までとった「ブレイブハート」(メル=ギブソンがスコットランドの英雄描いたやつね)でも使われてます。最近では「仮面の男」とか(未見だった人、ごめんね)。もう英仏の王室の家系までメチャクチャ。洋の東西、娯楽時代劇の考えることは同じようです。
最近こういうツッコミがいのある娯楽時代劇映画が日本では少なくて寂しい。東映にはガンバってもらいたいんですけどね。



#208 
兜蟹師匠 99/01/22 18:17
■ではまことの城ってええと

AKさんに掛川城はほんまもんとちゃうち一蹴されたので、去年訪れた城で、これはどうかいな
というのが奈良、郡山城、これ筒井順慶の城でんがな。天守閣なんかないです。素朴ーな、
建物がちらほらと。お堀なんかもう、これ埋もれてるんとちゃうかという手入れの悪さ。しかし
なんとも古いという実感があります。しかし、狭いところに点景を盛りこんだ高層アパートの
屋上庭園もまっさおな庭は、あれはアベックには隠れ場所が多くてよいかも・・・って何の話。
あの城ならAKさんも文句あるまい。

www.dd.iij4u.or.jp/~umixday/index.shtml


#207 
へーはち 99/01/22 17:42
私信で申し訳ないんですが

>族長へ
例のページのアドレスです.

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/b5-vandion4/bbs/ENTRANCE.html

パチンコファンの友達がやってるページなんですが、
族長と同じバイトをしてるやつで、日記にかれも登場しています。
他の方々もよろしければ…。




#206 
徹夜城(先祖は城持ち←しつこい) 99/01/18 00:24
またまた城ネタ。

>AKさん。
おー、これはどうも。さすがは日本中世史専攻の激しいお言葉(笑)。
やっぱ「天守閣が好き」って言うより「どうせ作るならカッコ良いものを」ってことなんでしょうね。
おかげで漫画なんかでは日本の戦国時代の城というと天守閣を描くのが当たり前のようになってますね。まぁ絵になるのは確かですが…
前にも書いたネタですが、映画でも黒澤の「影武者」「乱」では姫路城とか熊本城でロケが行われていますね。もっともあれは一種の「確信犯」みたいで、同監督の「蜘蛛巣城」なんかでは結構「戦国の城」という雰囲気が出ています。
そういや「暴れん坊将軍」で江戸城に天守閣があるのは有名な話。
笑い話で、大阪城を見学に来た外国人がエレベーターに乗って「近代的な城だな」と感心したって話を聞いたことがあります。
最近行ってないのでどうなったか知りませんが、千葉市にある千葉城も天守が建ってまして、プラネタリウムなんかが中にあったりしました(笑)。

ちなみに僕の先祖が持ってたらしい宮城の奥の方の城ですが、いわゆる典型的な山城みたいです。空堀のあとなんかが発見できると聞いています。
まぁ戦闘なんかあったとは思えませんね。太平洋戦争中、米軍が近くに爆撃に来たらしいが(笑)



#205 
AK 99/01/16 23:18
城ネタ1発

どうも〜。お久振りでござります。おっと、新年のご挨拶もまだでした。明けましておめでとうございます。

えーと、私も日本中世史を専攻していたものとして城ネタを少々。
 いや、ホントに日本人の「天守閣好き」には辟易しとります。天守閣がない城は無い、と思いこんでいる
御仁が多いです、実際。で、日本各地にある城というのは中世の城がほとんどであり、天守閣を持つ城とい
うのは少し下った近世の城なんですけどね。それを町おこしに復元? しようとして地元の観光課とかが関
与するから、いい加減な、何の根拠もゆかりもない城が創造されてしまうんですね、まったく。
 私の地元には石神井城という、当時東京23区北西部を根拠にしていた豊島氏の居城)があるんですけど
(ちなみに、あの太田道灌に攻め滅ぼされた)、一時、天守閣復興(!)計画が持ち上がったことがありま
す。「オイオイ、最初からそんなモンはないだろー!」と思っていたら、沙汰止みになりましたけど (^^;;。
まあ、どこでも現状はこんなもんですね。
 数年前、遠州の掛川城天守閣が鉄筋・鉄骨を用いず、木材・石・漆喰等だけで復元(これも?)されまし
た。この掛川城天守閣は絵図や図面が残っていなかったので、そのモデルとされた城があります。ほかでも
ない高知城でして、なぜかといえばどちらの城も、あの奥さんの話で有名な山内数豊が築いたから、という
程度のものです。
 これでも、前述のように現代の建材を用いなかったりして、かなり良心的な復元(?)の例なんですよ。
これじゃあ、半可通のアメリカ人が、日本人は床の間に座って挨拶をする、と思いこんでいるのを見ても笑
えやしませんゼ、まったく。
 
 と、今年最初の書き込みが激烈な口調になってしまいました。そんなこなんで(??)、今年もよろしく
お願いします。




#204 
徹夜城(管理人) 99/01/14 00:08
元禄繚乱(←この字出すのは苦労する)

>兜蟹さま。
わぁ〜、その城はいいなぁ。ホント喜びますよ、ボク(笑)。
いかにも海賊連中の発想ですな。

>かずささん。
「怒濤のごとく」買えましたか。僕はまだ買ってません。ちょっとこのところ本関係の出費があるので…僕の書籍代というのは結構かかってると思います。
やっぱ専門書は高すぎる(泣)。
「怒濤のごとく」、市立図書館が買わないかな〜リクエストしますか。

>「元禄繚乱」
新大河ドラマ、始まりましたね。「また忠臣蔵かい」とバカにしつつ見てしまいましたよ、第一回。
新機軸は「松の廊下」までが異様に長いことですね(四月頃になるらしい)。東山紀之は歴代最長の浅野役になりそうな気が。そういえば歴代の浅野さんって二枚目系だが線の細い役者がやる、というのが定番ですね。しかも早く退場できる(笑)。
綱吉役の萩原健一がキレまくった演技で楽しませてくれそうです(^^)。



#203 
かずさ 99/01/11 22:52
あはは(^^

世紀末ですか。2000年も20世紀だって知らない人も結構いたりしますね(笑)
ノストラダムスのペテン師ぶりをHPに書いてみようかな。
詳しくはないけど(^^;
さっそくネタ切れ気味の歴史コーナーを抱えるかずさでした(笑)



#202 
かずさ 99/01/11 22:42
私の家の前にも天守閣があるよ(^^

私の家の前にも山の中に天守閣があります。
「備中松山城」日本一高いところにある天守閣だそうだ。
最近昔のようにお城が見えるようにと
城の周りの木を切断してしまいました。
樹齢が城の建てられた年数より遙かに大きいのだけど(笑)
「これで昔殿様が住んでた頃に戻った」と宣伝してます。
殿様は最初から山裾の街の武家屋敷通りの建物で暮らしてたし
建てた頃から廃墟同然だったんだけどね(笑)面白いもんだ(笑)

そうそう。やっと鄭成功の小説「怒濤のごとく」買えました。
車2時間も走って大手本屋に行って来ました(^^
これから読むところなんで、また今度感想書きますね。
ではまた(^^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#201 
兜蟹書生 99/01/11 08:25
徹夜城さんの喜びそうな城だったんだが・・・

うちんちの先祖の城は、玄海灘に向かって水門を開く海城です。大名でもなんでもないのに
石高だけは結構すごくて一族合わせて3万石だったそうな。鍋島について竜造寺虐めをやってたらしいけど、なんたって松浦党の子孫だもんね。今は石垣の痕跡程度しか
残ってないすけどね。上屋敷も見えないところに、座敷の横の納戸からいきなり船に乗りこんで
逃げられるという(笑)。忍者屋敷だなあれじゃあ。ホントに水が好きな先祖だったわけだ。
維新で一発転落、財産も田畑も山もみんな水に流してしまいおって(笑)




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