辛五郎(しんごろう)
嘉靖倭寇の大物首領・徐海の副将をつとめた日本人。大隅(鹿児島県東部)の出身と言われる。一部に「新五郎」と書く史料もあり、こちらのほうが日本人らしく正しいと思われる。

彼と徐海がいかなる経緯で結びついたかは全く不明であるが、徐海が叔父の徐銓の借金の質として大隅にいたころから関係があったのではないかと私は考えている。だからこそ徐海集団の副将という重要な地位についたのではないだろうか。

彼の名前が明確に現れるのは嘉靖35年(1556)の徐海入寇時である。この時数万の大倭寇集団を率い破竹の勢いだった徐海は、桐郷包囲戦で総督胡宗憲の投降の誘いを受けて撤退し、さらに胡宗憲の離間策にかかって連合していた葉麻陳東を次々と捕らえて官軍に突き出してしまい、葉麻や陳東の残党はもちろんのこと、ついてきた日本人達も彼を見限って海へと向かってしまう。辛五郎もそうした情勢の中で徐海を見限り、日本へ帰るべく海へとこぎ出した。
 この時、舟山群島の金塘山付近で明水軍の武将・盧ドウ[金堂]が辛五郎と遭遇し、自らの船に彼を招いた。この時別いちおう徐海らと明軍は表向き和睦している形だったので、辛五郎はこの誘いに乗って盧ドウと酒食をともにした。宴が終わって辛五郎が船を下りようとすると、いつの間にか帰るための船がない。盧ドウが食事中に部下に合図を送って辛五郎の帰路を絶っておいたのである。死地に陥ったことを悟った辛五郎は海へ飛び込んで死のうと図ったが、左右から取り押さえられ、明軍の捕虜となった。

 その後明確なことは書かれていないが、当然の成り行きとして処刑されたものと思われる。

主な資料
鄭若曽「籌海図編」

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