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2014年9月14日

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◆今週の記事

◆スコッチ不安になってきた?

 スコッチ(少し)どころか、イギリス政界は大いに不安になってるようだ。ここでも以前話題にした「スコットランド独立」をめぐる住民投票が今月18日に迫るなか、とうとう「独立賛成」がわずかながら「反対」を上回る世論調査が初めて出てしまったためだ。
 この住民投票が決まった当初は「大差をつけて否決される」との観測が多かったのだが、あと半年に迫ったあたりから「意外に賛成が多そう」との報道が出て来て、否決されても自治権の拡大を余儀なくされるのでは、と噂され出していたのだが、その後独立支持派の数はグイグイと伸びるばかりで、9月に入ってとうとう一部世論調査で賛成派が反対派を越える数字まで出てしまった。まさかの「スコットランド独立」が現実味を帯びてきたのである。

 日本では昔から「イギリス」と勝手に呼んでるが、正式国名は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」で、イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの四つの国が共通の君主を戴く連合国家だ。中でもスコットランドはほんの300年前までイングランドとは全く別の王国を続けてきた歴史があり、もともと自立意識は強かった。あちらに行った経験のある知人から聞いた話では、オリンピック開催中でも「我が国のメダル獲得者」として報道されるのはイギリスの選手ではなくスコットランド選手限定だそうである。
 いちおう「同じ国王を戴く別の国」という関係になってるとはいえ、現実には世界で「イギリス(英国)」といえばほぼ「イングランド」をイメージしていることは間違いないし、ロンドンを中心としたイングランドが政治的経済的にイギリスを代表していて、スコットランドはあくまでその一地方と扱われていることは否定できない。スコットランドの独自性はウイスキーのスコッチや、バグパイプ、キルトといった文化的アイテムに限定されていると言ってもいい。そんなわけでスコットランド人の中にはイギリスというよりもイングランドからの独立を志向する声は結構くすぶっていたようだ。
 それと、もともとスコットランドでは左派系市民が多く、独立派の政党が福祉国家志向であることも強く影響しているらしい。スコットランドでいくら左派系政党が支持を集めてもそれがイギリス国政に影響するとは限らず、特に保守党政権になるとスコットランド市民の多数派の意向がほぼ無視される形になるため、「税金が中央政府に吸い取られている」といった再分配への不満も背景にあるとの説明も聞く。同じことはヨーロッパの他の国でも聞かれる話で、日本だって「大阪都構想」を掲げてる例の政党(執筆時点で正式名称がモメてて決まってなかった)など地方レベルで自治権拡大を求める動きはあってそう他人ごとでもない。

 まさかと思っていた「独立」がひょっとすると現実化しそう、と騒がれ出した8月には、独立回避を呼びかけるイギリス文化人らによる「スコットランド人への手紙」なるものまで公開された。名を連ねたのはポール=マッカートニースティーブン=ホーキングジュディ=デンチミック=ジャガーといった各方面のそうそうたる面々。それに名を連ねたかどうか未確認だが「ハリー・ポッター」の作者J=K=ローリングさんも反対を表明していたはずだ。独立賛成派の有名人と言えばなんといってもショーン=コネリーがいるが(そういや映画「史上最大の作戦」でもスコットランド部隊にいたな)、とりあえず他には名前を聞いていない。賛成派に元007、反対派に現「M」役がいるところが映画ファン的にはニヤニヤしちゃうところだが(笑)、007ことジェームズ=ボンドは映画のコネリーがスコットランド訛りであるために原作の方でもスコットランド人設定になってしまっており、もし「独立」なんてことになったら現在のボンド君はどうするつもりなのか興味のあるところ。

 賛成派が上回る数字が出たことで、それまで表向き静観の態度を見せていたキャメロン首相がいきなり動き出した。野党党首ともども国会を休んで急遽スコットランド入りし、「我々は『家族』が引き裂かれることは望まない」と独立阻止のアピールを始めたのだ。また財務大臣が独立を思いとどまれば徴税権など自治権拡大もありうると「アメ」をちらつかせてもいる。スコットランド独立派では「独立」実現後もイギリスと同じくポンドを通貨とする「通貨同盟」の構想を表明しているが、それについてはイギリス政府や中央銀行は拒絶の姿勢を示していて、こちらは「ムチ」の方だ。金融業界や小売業界でも「独立」ということになればスコットランドでの業務見直しや値上げ措置といった対応をちらつかせている。

 象徴的だったのが、ダウニング街の首相官邸の屋根に、イギリス国旗「ユニオンジャック」と並んでスコットランド国旗をいきなり掲げたことだ。「イギリスとスコットランドは一体だよ〜!」という呼びかけのつもりらしいのだが、今までそんなことはしてなかったわけで、首相周辺の狼狽ぶりをかえって見せつける結果になった気がする。おまけにそのスコットランドの旗の掲揚に初め失敗して旗が落っこちるという、これまた象徴的なハプニングも起こしてその映像が世界中でネタにされてしまった。ホント、かえってすっことランド独立派を勢いづかせてしまったんじゃないだろうか。
 なお、スコットランドの独立支持派でもどの程度の「独立」にするのかは温度差があるようで、穏健派では独立しても今まで同様ウィンザー家の国王を戴いてもいい、ということを言ってるらしい。つまりはかつてイギリス植民地で現在は「イギリス連邦」の一員であるカナダやオーストラリア、ニュージーランドといった国々と同様の位置づけということみたい。

 日本で言ったら、ほんの150年前まで独立国だった沖縄に例えることもできそうだが、イメージ的には東北と北海道がまとめて独立しちゃう方が近いと思う。かつての「蝦夷」やその流れをくむ可能性のあるアイヌのことを思えば、ありえない話でもない。実際日本の敗戦直後、連合国側のごく一部で北海道にアイヌ独立国家を、というアイデアがあったという話はあったようだし。
独立後の外貨獲得作戦 北海道や東北が独立国になるケースを想定してみれば、スコットランドが独立国になって経済的にやってけるんだろうか、と思う人は多いだろう。ただスコットランドの場合、イギリスを一躍石油輸出国に押し上げてしまった「北海油田」の存在があるため、独立派は十分にやっていけると主張している。といって、北海油田の権利が全部スコットランドのものになるわけでもないような気がするし、油田だっていつまでもあるわけじゃないしなぁ(一応2050年までは大丈夫と予測されてるそうだが)。あとはスコッチウイスキーの輸出とか?
 ハッ、来月から始まるNHKの朝の連ドラ、スコットランドでスコッチウイスキー製法を学んできた「ニッカ」創業者夫婦が主役では?もしかしてNHK、これを見越していたのか!(嘘)

 冗談はさておき、仮にスコットランドがホントに独立、って事態になると、イギリスの他の地域、ウェールズや北アイルランドにも飛び火する可能性もささやかれている。特につい最近まで紛争地だった北アイルランドなんか下手するとヤバいかも。またEU内でもスペインのカタルーニャ地方とか(実際、つい先日大規模な独立支持デモが行われた)、ベルギーの南北対立とか、イタリア北部同盟だとか、各地でくすぶる分離独立運動に火をつけちゃう恐れも出て来ている。スコットランド独立派は独立したうえでEU内にはとどまる意向、というのだけど…。
 この記事を書いている時点での最新情報でもスコットランドの世論調査は反対賛成拮抗状態。どっちに転んでも僅差になりそうなのだが、現実的な話をすると僅差で反対が上回った方がスコットランドへの「見返り」が大きいんじゃないかなぁ。



◆あの団体が会員募集

 シリア・イラクで暴れている「イスラム国」のおかげで、これまでイスラム過激派組織といえば誰もがすぐ頭に浮かべた「アルカイダ」の影が薄くなってしまったとの話も聞く。そもそも「イスラム国」は「アルカイダ」と路線対立で分派した連中が作ったとされていて、あの「アルカイダ」より過激だというんだから恐ろしい。この手の「過激派」というのは過激派だけに強気で過激な意見を言う者がドンドン突っ走って内ゲバを起こし分裂していくのが定番でもある。「イスラム国」がまがりなりにもイスラム国家樹立を「実現」しちゃったことで過激派の人的資源もそちらに流れ、「アルカイダ」が焦っているらしい、との報道も出て来ているのだ。
 先日、アルカイダが「インド支部設立」を発表している。インドはイスラム国家のパキスタンと対立関係にあり、インド国内にも少なからずイスラム教徒を抱えていて、今度政権をとったモディ首相がヒンドゥー至上主義団体が支持母体にあって一部イスラム教徒から警戒されていることなどから、インドにアルカイダに共鳴するイスラム教徒が出て来るとの読みがあるのだろうが、それと同時に会員獲得のための「新規市場」を開拓しなくちゃという焦りの現れと見る分析も出ている。もちろんインド当局は警戒するとしているが。


 ところで会員募集といえば、こんな話がアメリカから伝わって来た。CNN日本語版サイトの記事より。
 いま、全米各地であの「KKK」の会員募集活動が活発化しているというのだ。「KKK」は「クー・クラックス・クラン」と読み、南北戦争の敗北後に南部白人たちの中で結成された「白人至上主義団体」(秘密結社ともいう)。古典的名作映画「国民の創生」「風と共に去りぬ」でもその発生が肯定的に描かれているように(さすがに「風〜」の映画版は少しボカしたが)、黒人奴隷制が敷かれていた南部白人たちにとっては「自己防衛」のつもりであったとされる。「国民の創生」では子どもたちが布をかぶって遊んでいる光景を見て登場人物が真っ白な覆面姿で黒人を攻撃するアイデアを思いつくシーンまであり、その白覆面姿はKKKのシンボルともなっている。「シャーロック=ホームズ」シリーズの一編「五粒のオレンジの種」ではKKKが犯罪的秘密結社として描かれているのでさすがにイギリスでは批判的に見られていたようだが。

 KKKなんて昔の話かと思ってしまうがさにあらず、相変わらず熱心に活動している連中はいるようだ。敵視の対象は黒人にとどまらず、ユダヤ系やラテンアメリカ系、アジア系にまで及んでいるという。そのCNNの記事によるとニューヨーク州では住宅地でKKKの会員募集のチラシがビニール袋に入れられ、入会案内書と一緒になぜか「フルーツキャンディ3個」も入れられた状態で各戸配布されていたという。その地域は白人住民の率が高く、ラテンアメリカ系住民が増えると白人は仕事を奪われると煽るような内容であったらしい。もっともその記事ではそのチラシを入れられて困惑しているコロンビア出身の非白人の人のコメントが紹介されていたが。
 他にもカリフォルニア州やサウスカロライナ州の一部でもこの「フルーツキャンディ入りチラシ」が配布されていたという。それにしてもなんでフルーツキャンディなのか?まさか文字通り「飴で釣ろう」としてるわけじゃあるまい(募集対象が子供ってわけじゃなさそうだし)。「五粒のオレンジの種」みたいな暗号じゃあるまいしなぁ…なんかこういうところも秘密結社っぽくて不気味。

 テキサス州ケイティーでは「米国の国境を守るための戦い」への参加を呼び掛けるチラシがまかれた。テキサス州と言えばメキシコのすぐ隣ということもあり、国境警備問題に関心を抱いていたある黒人男性がチラシにあった電話番号に問い合わせたところ、「100%コーカサス系(白人のこと)じゃないとダメ」と告げられ、実はKKKの募集チラシであったことがわかったという。人種・民族のほかにとっつきやすい領土や国境問題で煽るのは右翼の常套手段だもんな。

 記事によれば、KKKの監視をしている弁護士団体の話としてこの手の募集チラシはここ半年ほど盛んにばらまかれているらしい。ただ活動の活発化といえばそうだが、KKKも最近は内ゲバや裁判での負け続けなどで組織が弱体化しており、その状況を変えるためにまずは会員のかすを増やそうとしての動きではないかとも指摘されていた。だがその一方で、ボストンマラソンの爆弾テロや「イスラム国」へのアメリカ市民の参加などで移民問題議論がまた騒がれだしていることや、先ごろミズーリ州ファーガソンで白人警官が黒人少年を射殺したことから軍も出動する暴動状態になってしまったことなど、KKKが「チャンス」と思いそうな状況になっていることも事実だ。
 日本でもこの手の排外的、他者弱者排除の動きが目につくようになって来てるし、まったく他人事ではない。



◆これがほんとの「ヤミ」商売?

 何の話かと言えば、産経新聞に載っていた、台湾離島の少数民族に関する話題。
 台湾本島に山岳先住民族がいることは知っていたが、離島地域にもいることはこれで初めて知った。台湾本島の南東沖の太平洋に浮かぶ「蘭嶼」という50平方キロほどの火山島には約4000人の住民がいるが、その9割がフィリピン北部のバタン諸島(台湾から190kmくらいしか離れてない)から移住してきたとみられる「タオ族」という少数民族だ。産経の記事では別名の「ヤミ族」でほぼ統一していたが、ウィキペディアで調べてみたら彼らの自称はあくまで「タオ(達悟)」であり、彼らを「ヤミ族(雅美族)」と名付けたのは日本の文化人類学者・鳥居龍蔵だとのこと。なんでそう名付けたのか分からないのだが、各国語版ウィキペディアでも「タオ」が多数派で「ヤミ」は英語版くらいだった。

 そのタオ族が住む蘭嶼だが、産業は伝統的な漁業・農業と観光業が主で、島民のかなりの数が台湾本島に出稼ぎに行っているという。タオ族は海沿いの6つの集落に分かれて住み、一部には昔ながらの「地下屋」と呼ばれる台風対策をほどこした半地下家屋も残されている。もっとも最近ではさすがにこの島にも近代化の波が押し寄せていて、コンクリ二階建ての住居が多くなってきているのだそうだ。

 さて、そんな島をめぐって、今年の7月、ひと騒動がもちあがった。きっかけはこの島にあの「セブンイレブン」が初出店するとの計画が持ち上がったことだった。台湾では「統一超商」(食品系「統一企業」のグループ)という会社が台湾版「セブンイレブン」を展開していて、日本同様の24時間営業。蘭嶼の漁民たちは夜中の1時・2時に帰って来ることも多いので、24時間営業のコンビニがあると便利だし、台風が来るなど悪天候になると島内の商店から品物がなくなるといった問題があったため、島民には歓迎する声が多いようだ。
 しかし出店が発表されると台湾の芸能人や作家などから、コンビニの出店はタオ族の文化や共同体を破壊するものだといった批判の声があがった。これに賛同する声も広がり、台湾行政院の「現住民族委員会」までが「部族の人々の決定を尊重する」との声明を出し、コンビニの出店は現地住民とよく協議するように、と言い出した。これを受けて「統一超商」も8月に予定していた出店の延期を発表、現時点ではほぼ白紙に戻った状態とのこと。

 台湾本島から蘭嶼に移住した漢族で、島のコンビニの共同出資者だという人は「なんで島外の人間が反対するんだ。先住民だってスマホを使う時代。台北で享受できる生活を蘭嶼の人が享受してはいけない理由はない」と怒りのコメントを出していた。確かに、少なくともこの報道からすると、コンビニ出店には島の住民はそう反対でもなさそうなのに、島の外の文化人レベルでの反対意見、つまりは「先住民の伝統文化を守れ」という論法で現代文化の象徴であるコンビニ進出を批判する声が大きいようで、記事の見出しを見た時に直感しがちな「現代化を拒否する伝統社会」な構図とはむしろ逆になってる気配がある。そのむかし僕がツアーで中国旅行をした時に、杭州の観光地・西湖で遠くにビルが林立する光景に「興ざめ」と言っていた同行者がいたのをフッと思い出した。

 なお、この蘭嶼へのセブンイレブン出店計画が発表された日の二日前の7月9日、JR四国が駅構内のコンビニ・売店(要するに「キヨスク」)36店舗を順次「セブンイレブン・キヨスク」の看板に変えていくと発表している。四国はなぜか長らくセブンイレブンが未進出だった地域で、ようやく昨年3月に初進出し、現時点ですでに170店舗に拡大しているとのこと。四国が着実にセブンイレブン色に染められていく一方で、伝統的なキヨスク文化が消滅していくというわけである。
 「セブンイレブン」といえば本来「7時から11時まで」の開店時間に由来するのだが、現在では世界的に24時間営業が当たり前になり名前の由来も意識されなくなっている。だがこの「駅セブンイレブン」はさすがに24時間営業はせず、それこそホントに「7時から11時まで」になりそうで、こんなところで「伝統文化」が守られたりするのかもしれない。



◆あれやこれやの発見ばなし

 このところ続いた、「発見」関係の話をひとまとめに。

 発見自体は2012年とやや古い話なのだが、ドイツでナチスの略奪品とみられるピカソマチスルノワールシャガールなどなどなどの美術品およそ1400点(時価総額約1400億円相当とか…一点1億かよ)あまりが、脱税調査を受けていたミュンヘンの収集家の家で発見された。ことがことだけに慎重に鑑定が進められ公表されなかったのだが昨年秋にメディアにスクープされて大騒ぎとなった。この収集家の父親がナチス幹部ゲッベルスと付き合いがあった画商であったためひそかにこんなコレクションをしていたらしく、その息子もその財産を受け継いでポツリポツリと売りながら生活していたのだそうだ。
 で、9月6日の毎日新聞に出ていた話だが、この収集家が今年の5月に亡くなり、遺言ではその収集品はベルン美術館に寄贈されることとなっていた。だが美術館の方でもそんなもの贈られても困ってしまう。当然ながら略奪品については「元の持ち主に返すべき」との声があるし、とくにナチスの略奪美術品については元の所有者もしくは相続人へ返還することが1998年の「ワシントン原則」で定められている(ただ記事によると法的拘束力はないらしい)。うっかり寄贈を受け入れてしまうと元の所有者の特定や返還をめぐる面倒ごとに巻き込まれること確実なので、ベルン美術館はこの寄贈を「青天の霹靂」と声明し(ドイツ語で何て言うんだろ?)、弁護士と受け入れに関して協議をするとしている。結論を出すのに数カ月はかかるんだとか。


 これも同じ毎日新聞に出ていた記事で、やはり「発見」自体は昨年で、今度博物館で初公開されることからようやく報じられたもの。幕末に和宮が将軍徳川家茂に嫁いだ際、幕府から朝廷に献上された(結納品みたいなもんか)名刀「島津正宗」が、実に150年ぶりに確認された、という話題だ。「正宗」という刀の名前は、それを作った鎌倉末〜南北朝時代の刀匠正宗に由来し、正宗の刀といえばまさに国宝級の名刀なのだ。天皇の妹を将軍正室に迎えることを幕府がどれだけ重視していたかの表れでもある。
 それにしても「150年ぶり確認」といったら、和宮降嫁の直後からずっと行方不明だったということである。どういうこったい、と記事を読んでみたら、そもそもこの「島津正宗」は昨年まである個人が所有していて、昨年京都国立博物館に寄贈されている。そしてその個人は1969年に、元上級公家で公爵家ある近衛家から譲られたとしているそうで、つまりは近衛家がずっと預かっていた(もしやネコババ?)ということになる。幕府からは島津正宗と一緒に金千両も添えられたというのだが、そっちの行方も気になっちゃうところ。
 この「島津正宗」、実は正宗の銘は入っていないのだが、正宗の刀の特徴からほぼ当人の作に間違いなしとみられていて、8代将軍徳川吉宗が編纂を命じた刀剣鑑定書「享保名物帳」にもその名とサイズが記されている。今回その記述と、やはり江戸時代の刀剣カタログである「継平押形」に記載された刃紋の特徴をもとに寄贈された刀が「島津正宗」そのものと鑑定されたのだという。しかしこの手の話を聞くと、所在不明になってる美術品って結構あるんだな、と改めて思う。
 幕末がらみでは新選組副長の土方歳三が、新撰組が宿を借りていた西本願寺にすし詰め状態の解消や資金提供を要求をしていたことを示す記録も西本願寺の資料調査中に見つかった。まぁ西本願寺としてはいい迷惑だったことが良く分かる(笑)。


 これも報じられたのは8月末で、前回取り上げたかった話題なのだが、江戸時代も末に近い時期の琉球国王・尚育王の「書」が見つかった、という話題もあった。琉球新報が伝えたもので、鎌倉氏に在住している尚家の子孫が保管していたものが沖縄の財団に寄贈されたのだそうだ。
 尚育王(1813-1847)は琉球最後の国王・尚泰王の父親で、父親が病のため15歳で摂政のような形で実質的に即位し、22歳で正式に即位したが34歳で若死にした人物。士族教育のための学校を設立したこととか、フランス・イギリスの船が来航してその入港を認めたことなどが在位中の事績に挙げられるくらいで、特に目立った話はない。ただ優れた書家として評価はされていたのだそうだ。今回確認されたのは尚育王が自身の書の師である冊封使(琉球国王を『任命』する中国からの使者)林鴻年にあてて書いたもので、絹の上に唐の詩人・宋之問の漢詩がしたためられているとのこと。記事によると絹の上に書くのはなかなかの高等技術であるらしい。
 琉球王国は1879年の「琉球処分」で消滅し、国王の尚家は家族とされ東京に移された。そのとき尚家のもつ文化財も一緒に運ばれ、この尚育王の書はその孫にあたる女性が嫁入り時に継承し、そのさらに孫にあたる存命の方が保管していて、このたび本人から「手元に置いておくより沖縄に戻したい」と「沖縄美ら海財団」に寄贈が申し出られ、9月11日に寄贈式が鎌倉で行われたとのこと。
 

 9月9日には、カナダ政府が19世紀半ばに遭難したフランクリン探検隊の船一隻が、キングウィリアムス島沖のビクトリア海峡の海底に沈んでいるのを発見した、と発表している。
 フランクリン探検隊とはイギリスの海軍大佐ジョン=フランクリン(1786-1847)に率いられた総勢134名の探検隊で、北アメリカ北岸をまわって大西洋から太平洋へ出る航路を開拓を企図したもので、1845年5月にイギリスを出航、7月にグリーンランド西岸まで到達したことが確認されるものの、それっきり消息不明になってしまった。その後フランクリン隊の行方の捜索が十数年にわたって続けられ、やがて発見されたメモなどの遺物やイヌイットらの目撃証言により、一行の悲惨な末路が確認される。
 一行の船二隻は1846年9月にキングウィリアムス島付近で氷に閉ざされてしまい、そのまま動けなくなってしまった。食糧は三年分は積まれていたがビタミン不足で壊血病にかかる者が続出、フランクリン自身も1847年6月11日に死亡した。残された部下たちは1848年4月に船を放棄して陸路南下したが飢えのために人肉食をするところまで追いつめられ、結局全滅したと見られる(当然ながら最後の様子は記録にない)。この遭難は世界探検史上でも有名なもので、さまざまな検証が行われているが、彼らが持っていた缶詰に使われていた鉛が鉛中毒を起こし、彼らの精神状態をおかしくしたのではないかとの説もある(遺体から実際に鉛が検出された)。また一方で「文明人」のプライドから現地のイヌイットの生存の智恵に学ばなかったのではないか、との批判もあるそうだ(日本の冒険家・植村直己も言ってるそうで)
 そのフランクリン探検隊の船が発見されたというんだから、そりゃ確かに歴史的ニュース。カナダのハーパー首相自らが発表し「歴史的」と表現したのも無理はない。フランクリン隊は二隻の蒸気船に分乗していたが、今回発見されたのがそのどちらかはまだ分かっていない。遠隔操作の海底探査機による調査によるとかなり原形をとどめているとのことで、未解明部分も多いこの遭難事件に新たな光が当たる可能性もある。


 9月10日には、イギリスの考古学者らが同国南西部のソールズベリー平原にある新石器時代の遺跡「ストーンヘンジ」について、興味深い発見を報告している。彼らは4年にわたって、地中探知レーダーや磁気探知機、電磁センサー、レーザースキャナーなどを駆使してストーンヘンジとその周辺12平方キロ、その地下3mまでも調査した。その結果、ストーンヘンジと同時期のものとみられる木や石で出来た構造物を17個も確認、さらには大型の古墳も含めた埋葬塚多数、巨大な穴も複数発見したという。これまでもストーンヘンジ周辺には有力者の墓とみられるものが見つかっているが、今回の発見はそれがより大きなスケールを持つことを示唆している。プロジェクトリーダーのヴィセント=ガフニー教授は「これにより我々のストーンヘンジの見方が変わるだろう」とまで発言している。
 ストーンヘンジだけでなく、すぐ近くにある「ダーリントン・ウォールズ」と呼ばれる同時期の外周1.5キロもある遺跡についても同様の調査をしたところ、こちらでも未確認だった柱や石が60個置かれていることが確認できたという。
 この地が一種の「聖地」であったことは間違いなさそうで、今度の発見はその規模がこれまで思っていたよりもずっと大きいものであることを示すわけで、非常に興味深い。ただ、この手の話はもうしばらく様子を見る必要があると思う。


 さて、以上だけでこの記事は十分埋まったな、と思っていたら、アップ間際に新たな「発見」情報が入って来た。戦後日本政治史に重大な足跡を残した吉田茂に「ノーベル平和賞」を受賞させようと、その弟子といえる佐藤栄作が首相現役時代に画策していたことを示す文書が確認されたのだ。
 吉田茂は敗戦直後の混乱期に首相となり、日本国憲法の制定から朝鮮戦争、サンフランシスコ平和条約調印による独立達成と日米安全保障条約によるアメリカとの軍事同盟関係樹立など、「戦後」を規定するあらゆるものに関わっている。吉田茂が単純に平和論者だったはずはなく「平和賞」というのもどうなんだと思うのだが、1965年当時の首相である佐藤栄作はサンフランシスコ平和条約を理由に吉田にノーベル平和賞を受賞させたいと推薦状を書いていたのだ。この件はすでに証言などで明らかにされていたそうだが、このたび外交史料館が保管する文書の中からその推薦状が発見されたのだそうだ。その推薦状が実際にノーベル賞委員会に送られたかどうかは不明だそうだが…
 この件、知ってる人には皮肉に思える。日本初のノーベル平和賞は結局1974年にその推薦した側である佐藤栄作に贈られているからだ。理由の一つに「非核三原則」の発表が挙げられているが、この時も国連大使の加瀬俊一らによるロビー活動が功を奏したともされていて(だからよく言われる「日本はロビー活動が下手」というのは思い込み。東京五輪だって結局勝ち得てるし)、2001年にノーベル平和賞百周年を記念する本の中でわざわざ佐藤の受賞に対する疑問が書かれる事態も起きている。当時の「史点」を振り返ってみたらそこでも「ノーベル委員会は日本の陳情にだまされた」と一部で報じられていたことが触れられていた。
 それにしてもその佐藤栄作は現首相の大叔父にあたり、吉田茂は現副総理兼財務相の祖父にあたるわけで、ホントに政界って、狭いムラ社会なんだなぁ。


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