lesson_1:序  章

独学パントマイム

★パントマイムの意味★
パント....【pantos:すべての】
マイム....【mimos:まねをする】

人間でも、物でも、自然現象でも、
すべてがパントマイムの題材になる。
その題材を使って感情を伝えること。


パントマイムを演じるということは?

◆パントマイムは人に見てもらって楽しんでもらうものです。ですから、まず第一に言えることは「照れながらやってはいけない」ということ!演じる側が照れると見ている者はもっと照れますから。

◆パントマイムは無対象(実在の物を使わないこと)で、無言で、日常生活で起こりうるほとんどのことを表現できます。『ほとんど』と言ったのは、決まった表現を習わないと出来ないこともあるからです。それは無対象では物理的に不可能なこと、つまり、階段を上がる・下がる、自転車やバイクに乗る、泳ぐ、空を飛ぶ、落ちる、(これらは地面から両足が離れなければいけない)そのほか時間(過去・未来)の移動などです。

◆どんな分野でも感情を伝えることが絶対条件であるという前提で。
パントマイムと、ダンスや手話との違いは、記号としてのしぐさが決められているかいないかです。日本舞踊で泣くしぐさ。フラダンスで魚。手話で家。「記号としてのしぐさ」は日常生活でもよく使うことがありますね。「OK!(人差し指と親指を輪にする)」「女(小指を立てる)」「ダメ!(腕をクロス)」「飲みに行こう(人差し指と親指を輪にして横へひく)」などなど。そういった記号を使うと無言でも結構人に言いたいことが伝わってしまうのですが、それはパントマイムとは言えません。パントマイムとは実物は使っていないけど、観客にそこにあると感じさせ、観客の五感に再現する芸です。

◆変な話ですが、きっとみなさんも子供の時、こんなことやったことがあるのではないですか?“ハナクソとばし”・・・しかも、本当のハナクソではなく、ほじったマネをして飛ばしたつもり・・・友達も飛んできたつもりで汚そうに指先でつまむ・・・それをだんだんボールのように大きく丸めて飛ばす・・・これって、パントマイムなんですよ。「無対象での表現」難しく言えばこういうことになるでしょ。


コラム:映画に近い演出

パントマイムは舞台で演じられますが、演劇よりもやや映画に近い考え方をしています。
例えば歩いているシーンで、マイム・ウォークを使って歩くと、舞台上では場所は一歩も動かないのにどんな遠くへでも行けます。それは映画のカメラワークと似ていて、歩いている俳優を同じ速度で追いかけるとしたら、俳優が止まっているように見えて、背景が動いているように見えるのと同じです。それから、前進している表現の時にわざとマイミストが後ろへ進んで行くこともありますが、これも、カメラが俳優を追い抜いて行けば、俳優が後ろへ行ったように見えるのと同じです。
また、映画ではフィルムをカットして急に違う場面や時代に話が飛んだりすることがありますが、パントマイムでもマイミストが身体を回転させるだけで時間も空間も別のところへ行けます。また、映画で二人の人が話している場面を取る時に、一人一人をアップで取ってカットでつないでいることもあるでしょう?パントマイムでも一人のマイミストがある一瞬、右の人間から左の人間に変わって二人の人間を表現することがあります。これは落語の技法とも似ています。


いきなりショート・マイム

では、一度やってみましょうか。
「飲みてェ〜!!」*冬バージョン*
新しいブラウザで見られます。

いきなりショート・マイム No.2

今度は違ったパターンのマイムに挑戦してみてね。

エチュード「…未確認物体!!…」
新しいブラウザで見られます。

【注意点】
1. 身体に感情を表す。そのためには、自分が感じること。それから身体が感じた通りに表現しているか確かめる。はじめての人はとりあえずエチュードの通りの形をまねてください。経験者の方は、自分で工夫してください。
2. 一つ一つ、コマごとに動作を止めていく。
3. 次のコマへ移る動作は、すばやく次の形で決める!
4. 画像の横に状況説明と、感情言語が書いてあるので、「こうなった時に、自分だったらどう思うだろうか」と感情を分析してほしい。
5. 画像ではわざと手を描いていませんが、それは、手でサインマイムをしてしまうことが多いので、胴体で感情を表現しなければならないことを、まず、肝に銘じてほしいからです。
6. チコの考え方:ディズニーのアニメは人間の動作に近づけるためにセル画の枚数が多いと聞きます。反対にパントマイムは人間の動作をセル画に置き換えて、動作に表していくものだと思います。セル画の枚数がすくない方が面白い作品もあれば、枚数を増やして流れるような作品もあるでしょう。このセル画一枚一枚の形(勿論感情も含めて)を止めていくことで、わかりやすいパントマイムになると思います。


落語とパントマイム

参考資料:桂米朝著「落語と私」(文春文庫)

落語とパントマイムに共通点があるのだろうか?と思う方もおられるでしょう。最大の共通点は、どちらも観客がイメージを描きながら楽しむ芸であることです。落語は言葉を、パントマイムは身体を手段として使います。落語は座布団の上に座り、足の自由をうばわれています。パントマイムは言葉をうばわれています。そして、どちらも舞台装置は使わないし、衣装は登場人物を表すものでもない。それぞれに制約を受けた表現方法で、観客に登場人物がいる場所(外の景色・部屋のインテリアなど)を想像(創造)してもらって楽しんでもらいます。一人で何人もの人物を演じ分けることも共通点ですね。

少し長い引用になりますが、米朝師匠の文章を書き写させていただきます。

「こんにちは」「おう、まあこっちへおはいり」・・・という要領ではじまる落語はいくつあるかわからないほどありますが、厳密に言えばこれがみな一つ一つちがうので、これだけ聞いても「うまいな」「本格の修行をしてるな」とか、「これは聞きおぼえの我流だな」とか、力量なり、芸の程度が判ってしまうことがあります。

「こんにちは」と言っても「ごめんください」と言っても「コンニチハ」とやっても「ごめんッ」とやっても威勢良くやるのと物静かに言うのとでは、大変にちがいのあるもので、男女の別、老若のちがい、さらに職人か商売人か、そそっかしい男と落ち着いた人、それに、「こっちへおはいり」という受け手の人物とどちらが目上かということ。また、訪問の目的が、べつに用事もないが、むだばなしにやってくる時と、借金でもしようと思ってくる時とは、調子がちがって当然です。さらにまた、暑いとき、寒いときという季節の点も考えにいれておかなければなりません。(略)

「こんんちは」とはいってくる人物の場合と同様に、それを見て「おう、まあこっちへおはいり」と言う人の語調や視線や態度もさまざまにあるわけで、「おう」と相手を見た瞬間にいつもやってくる隣人である場合と、めったにこない珍客の時と、来るはずのない意外な人のばあいと、それぞれ受け方にちがいがあるのは言うまでもありません。それに落語の内容によって、顔を見たらきびしく意見をしてやろうなどと思っている相手であった時なんか、顔の表情にもそれだけの演技がいるわけです。(以上 P40&41)

パントマイムでは身体の形と表情を使って、上記のような人間関係を表現します。落語も同じですが、ただこうすればよい・・・というマニュアルはなく、自分を通して人間の心理を観察し、演じるときに感情を再現しなければ、単なるフリに終わり、見抜かれてしまいます。それと同時に、どう身体を使うとよりよく人に伝わるかという練習も必要になってきます。


では、次のレッスンで基礎的な訓練を積んで、更に分かりやすいマイムに仕上げてください。(あ、基礎的な訓練は身に付くまでに何年もかかりますので、あきらめずにネ!)

★lesson_introduction★
★lesson_1★
★lesson_2★
★lesson_3★
★lesson_epilogue★
★F A Q★