過去の雑記 99年 9月上

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9月 1日
ディレーニ『アプターの宝石』読了。気力が無かったんでメタファーの類は読み飛ばし、冒険小説として読んだら見事につまらなかった。教訓、ディレイニーを読むときは本気で。

いやまあでもしかし、無気力に読もうとすれば読めてしまうのなら、冒険小説レベルをもう少し面白く書いて欲しい、ってこれは高望みかなあ。

9月 2日
SFM9月増刊「星ぼしのフロンティアへ」第1部読了。ラインナップを見て期待した通りというか、諦めていた通りというか。

シリーズ本編の三分の一も面白い作品は一つも無いので、その程度の期待で読むのが無難。ああ、こんなものを読むくらいならレイクの外伝が読みたいんだが、なんとかならんのか、火浦功。

9月 4日
昼過ぎに中野に出てチェコアニメ映画祭'99のBプログラムを見る。上映されたのは以下の9作品。
  • ヴラディミール・イラーネク『ニワトリに何をしたか』
  • ヴァーツラフ・メルグル『カニ』
  • 『Pat&Mat』
    • 「ビスケット」
    • 「サイクリング」
    • 「レンガ」
    • 「寄せ木細工」
    • 「幌つき自動車」
  • ヤン・シュヴァンクマイエル『男のゲーム』
  • ヤン・シュヴァンクマイエル『対話の可能性』
『ニワトリに何をしたか』のとぼけた味わい、『カニ』のグロテスクなイメージ、『Pat&Mat』の安定感ある破壊性など、どれも良かったが、中でもシュヴァンクマイエルの2作は飛びぬけて素晴らしかった。

『男のゲーム』は、サッカーファンの男がテレビのサッカー試合を観戦し始めるという実写映像から始まる。なんだアニメじゃないのかと油断していたら、いつのまにかとんでもなくシュールな世界に行ってしまっていた。前半一部見逃してしまったことが大変惜しまれるところであることよ。テリー・ギリアム調のアニメと、実写映像と、クレイモデルを駆使した映像の意味の無さは見事なもの。モブシーンの観客(おそらくニュース映像から切り取ったもの)を除いて、登場人物(主人公、サッカー選手、審判、救護班)がすべて同じ顔というあたりからして、かなり異様な画なのだが、それがナンセンスなストーリーにうまく馴染んでいる。潰され、切られ、貫かれ、砕かれ、電車を通され、水道から絞り取られ、引き出しに仕舞い込まれるサッカー選手の顔を見たことだけでも千数百円の元がとれた気分。ああ、しかし前半数分寝ちまったのがなあ。

『男のゲーム』で完璧に目が覚めたおかげで、『対話の可能性』の方は、気合いを入れて見ることができた。こちらは、『男のゲーム』をさらに上回る傑作なんだから驚く他はない。第1部の食い物で出来た顔と、食器で出来た顔と、文具で出来た顔の争い、第2部の粘土の男女の会話、第3部の粘土の二人の男、いずれもその画のシュールさに驚かされる。そりゃクレイアニメ自体はNHK教育で散々見てはいるが、この『対話の可能性』はレベルが1段も2段も違う。おそるべしシュヴァンクマイエル。

シュヴァンクマイエルの感動も覚めやらぬままに高田馬場へ移動してユタの例会へ。思わず芳林堂で「夜想」35号を買ってしまったあたり、本当にシュヴァンクマイエルが気に入ったのだなあ。

例会参加者は福井健太、林、宮崎恵彦、小浜徹也、三村美衣、添野知生、志村弘之、藤元直樹、大森望、高橋良平、雑破業、深上鴻一、さいとうよしこ(きっと到着順・敬称略)。主な話題は、とある話ととある話と改変世界の話。「とある」が何かは、小心者の僕の指からはとても打てない。SFの人は邪悪だね。
当たり障りの無い話題の中で、個人的に重要な話題だったのは大森さん&志村さんから頂いた「書棚の帝国」改定案。ゲーム性を上げるにはどうしたら良いかについていくつか示唆を受けた。基本的には、流れた書籍カードを再登場させる案と、手持ちイベントの採用などプレイヤーの作戦の幅を広げる案が中心だったかな。魂が変化しすぎる点についても指摘があったけどこれは対策が難しいんで保留中。とりあえず、この辺については後日お伝えします。> 森さん

9月 7日
少し間が開いたが、SFM9月増刊「星ぼしのフロンティアへ」第2部をやっと読了。ブラケットとセイバーヘーゲンはさほどでもないが、ローマーとアンダースンの短篇はかなりの面白さ。やっぱりあれですね。レティーフだのなんだのという軽いシリーズは、ある程度クズを読み慣れてからの方が、存在価値が良くわかりますね。

9月 8日
作業は無理矢理終らせて、定時をすぎた瞬間に会社を出て、中野武蔵野ホールへ。いくらなんでも、平日5時30分からの回を見ようとするとは、我ながら無謀な計画という気もするが、会社から徒歩5分の映画館だけに何とかなってしまうのだから仕方が無い。

というわけでチェコアニメ映画祭'99 Bプログラムの2回目を見る。もちろん、目当てはシュヴァンクマイエルだ。
若干睡眠不足気味だったこともあり、『Pat&Mat』は一部寝てしまったが、他はかなり集中して見ることができた。特に、『男のゲーム』は前回、見過ごしたネタがあったので、ほとんど初見のように楽しめた。うーん、何度見てもモンティ・パイソンだよな、これ。
また『対話の可能性』もすばらしい。次にどんな画が出てくるか完全に知っているのに、それでも感動があるというのは、卓越した技術の賜物ですね。本当にどうやって撮ったんだろう、これ。

映画を見終わった後は、そのまま東中野へ移動。しばらく歩き回った末、ミスタードーナツに入って夕飯を食うことにする。なんか、店の選択が消極的な気が。
まあ、せっかく長居できる店にはいったのだからと、飯を食いつつSFM9月増刊「星ぼしのフロンティアへ」を読み進む。読み終わったのは、田中啓文「銀河を駆ける呪詛」、岡本賢一「超機甲戦士・野谷」、野尻抱介「太陽の簒奪者」の三作。
特筆すべきは、「太陽の簒奪者」だろう。SF的飛躍と、技術描写のリアリティのバランスがうまく取れているだけでなく、キャラが必要十分に立っている。会話や語調、内面描写ではなく、行動でキャラを見せているのは高く評価すべきところだ。この抑制されたキャラ描写があるおかげで、他の部分が活きている。ネタの広がりはあるいは「沈黙のフライバイ」の方が上かもしれないが、作品としての完成度はこちらが上。99年SFマガジンベスト国内部門の暫定候補。
「超機甲戦士・野谷」はイマイチ。設定の割に、いろんな意味で善良すぎるのが難点。この展開できれいにまとまってしまっちゃあ駄目でしょう。
その点では、「銀河を駆ける呪詛」はすばらしい。もう、なにがあろうとまとまるもんかという強い意志だけが感じられるという。欠点はまとまらなきゃ良いってもんでも無いということくらい。このレベルの飛躍なら、もう少しまとまっている方が良かったかも。

そんなこんなを読み終わったあたりで上映時間が来たのでBOX東中野へ移動。そう、ここに来たのは「テックス・エイヴリー 笑いのテロリスト」のAプログラムを見るためなのだ。平日に映画2本と雑誌1/3を読むくらいなら休日にやれよ、とか、架空書評の最新版はどうしたという声が聞こえるような気もするがきっと幻聴だから気にしない。

それはそれとしてエイヴリーのAプログラム。前回見たBプログラムはやや不満が残ったので、さほど期待していなかったが、これがどうして。最初の「人の悪いリス」からいきなりハイレベル。A、B両プログラムでこんなにレベル差があるとは思わなかった。特に、「人の悪いリス」の出来はBプログラムの「さぼり屋リス」とは雲泥の差がある。カートゥーンの基本型「追っかけっこ」の面白さを完璧に活かしながら、セル・アニメーションのクリシェを徹底的にからかう意地の悪さは「さぼり屋リス」とは比べ物にならない。逃げ役が追っかけ役をわざわざ呼び出して追っかけさせるという冒頭からずっと、定型を見事に外し続ける。それでいながらエンターテインメントであるという一線だけは絶対に外さない。これぞ「笑いのテロリスト」エイヴリーの面目躍如。
以後の作品にも傑作が多い。技法の追求では「人の悪いリス」に及ばないが、「ドルーピー/つかまるのはごめん」でドゥルーピーが見せる徹底したポーカーフェイス、「月へ行った猫」で描かれる狂気の月世界の異様さ、「ねむいうさぎ狩り」で紹介される「眠れなくなる方法」の数々など、それぞれに独自の魅力を持っている。
中でも、「呪いの黒猫」は群を抜いて秀逸な作品だ。犬が白猫を、黒猫が犬を、犬が黒猫を、追っかけるという三段の追っかけっこ構造は、カートゥーンの基本型のヴァリエーションにすぎないわけだが、物語を貫く徹底した論理性がこの作品を傑作にしている。話を支える論理は唯一つ、「黒猫が目の前を横切ると不幸になる」だけ。これを「黒猫は目の前を横切ることで不幸にさせる」と読み替えることにより、物語は動き出す。
序盤の構造は単純だ。起きるのは、白猫が犬に追いかけられる→白猫が助けを呼ぶ笛を吹く→黒猫が犬の目の前を横切る→犬が不幸になる(頭に物が落ちてくるだけ(笑))と、これだけ。これだけの構造でありながら、黒猫の登場シーン(空缶の中から出てきて排水管に消えたりする)と、落ちてくるもの(植木鉢だったり、金庫だったり)、そして何より演出の間だけで、前2/3を見事に持たしている。
しかし、さすがに飽きが出てきた頃、次なる論理の飛躍が起こる。「黒猫は目の前を横切ることで不幸にさせる」という規定を「黒い色の猫は目の前を横切ることで不幸にさせる」とずらすのだ。すなわち、犬が黒猫をペンキで白く塗ってしまうわけだ。白い色の猫になった今、(元)黒猫がいくら目の前を横切ろうと呪いは発動しない。立場は逆転。強者の側に立った犬が、サディスティックな笑い声を響かせながら(元)黒猫に迫る。危うし、(元)黒猫!ここで、この窮地を誰がどうやって救うのかは書くまでもないだろう。ご想像通りの展開で、(元)黒猫は窮地を脱する。
ここまでなら、(卓抜した演出を除けば)よくある展開だ。だが、ここからがちょっと違う。作品の前半を支えたアイテム、「黒猫を呼ぶ笛」が最後に効いてくるのだ。
再逆転で窮地に陥った犬は誤って「黒猫を呼ぶ笛」を飲み込んでしまう。しかも、「笛」の音が自分に不幸をもたらしたその直後に。笛を飲み込んだ犬がしゃっくりをすると、高らかに「黒猫を呼ぶ笛」が鳴る。そして、その途端、何故か天から物が降ってくる。彼のしゃっくりは止まらない。しかるが故に天から落ちてくるものも止まらない。彼は、追いかけられるように、地平線の彼方へ去っていく。
本来、「黒猫を呼ぶ」だけだった「笛」は、最後の瞬間、吹くだけで不幸を呼ぶアイテムに変化している。それは、何故か。そう、もちろん犬が、あまりに何度も不幸に遭ってしまったからだ。元来「笛→黒猫→不幸」とあった構造が、何度も繰り返すことによって「笛→不幸」となってしまっていたのだ。まさにパブロフの条件反射の実験そのままである。なんと論理的。なんと科学的。これぞ傑作と言わずして何といおう。
# 物語を支える論理は一つだけだったはずじゃ無いかという突っ込みは却下。

そんなこんなでエイヴリーを堪能し満ち足りた気持ちでの帰り道、そのままの勢いで「星ぼしのフロンティアへ」を読了、って残っていたのは巻末の読書ガイドだけですが。
読書ガイドの中身は、こんなものか。書籍は、原則品切れ/絶版禁止という縛りのおかげで、スタンダードな作品でいくつも漏れがあるという中途半端な内容になっている。それでも海外は、創元の「在庫僅少」は「目録には載っている」からO.K.という謎の基準のおかげでかなりマシだが、国内は惨澹たるもの。完結していない<ソルジャー・クィーン>や、何をかいまさらの<ハイスピード・ジェシイ>とまでは言わないが、<クラッシャー・ジョウ>や<銀河乞食軍団>が無いスペ・オペのリストというのはさすがに違和感がありまくり。リスト作成者の苦労が偲ばれる難しいリストになっている。手に入る/入らないなんて些細な事実に拘泥するより、「スタンダードはこれだ」という強い意志を提示する方が「教育的」だと思うんだがどうでしょう。
そんななか、ダントツに面白かったのが、渡辺麻紀による実写映画ガイド。映画はぜんぜん駄目なんでリストの面白さは今一つわからないんだけど、紹介文だけでも十分楽しめる。「こりゃ、話がいくらつまんなくても燃えるってもんでしょう」とはなかなか書けないよ、普通。やはり、ガイドはどこまで趣味に走れるかが勝負ですね。

今日の気になったこと:アニメのリストで、バイファムのOVAオリジナルが「84年」に出た「1作」とように読めるのはなぜだろう。バイファムのOVAオリジナルは「85年」に「2作」出ているはずなんだが。

9月 9日
きっと読まずに終るだろうと思っていたサラ・ゼッテル『大いなる復活のとき』(ハヤカワ文庫SF)の上巻を読了。まだ、解かれるべき謎が提示された段階だが、登場人物の誰もが陰謀を抱く状況はなかなか楽しい。この調子で、すべての謎がきれいに解けてくれれば『第二ファウンデーション』くらいには評価してもいいな。『第二ファウンデーション』の評価がどの程度かはおくとして。

SFマガジン10月号を読み始める。やっと現在に追いついたわけだ。とりあえず、今日読んだのは冒頭のカードの短篇のみ。
カード「聖エイミーの物語」は「やっぱ科学なんて捨てて、エコロジーで、キリスト教で、人類愛っすよ」というお話。さすがにカードなんで、一面的な主張にはせず、いくつもの見方を許しているわけだが、その辺を含めて全体が気持ち悪くってしょうがない。なんかこう、上手い下手とか、面白い面白くないなんてのは、合う合わないに比べれば二の次三の次の評価軸だと思い知らされる作品であったことであるよ。

夜中にふと油断して絶対無敵ライジンオーの再放送を見てしまう。ラヴとミキ(だっけか?)が主役の回で、作画・脚本ともひどい代物なのだが、そんなこと全く気にならなくなるくらいバンクシーンが美しい。
司令室始動、パイロット搭乗、剣王・鳳王・獣王発進、無敵合体、ライジンソード、ゴッドサンダークラッシュ後の決めポーズ。それは無茶だろうというレベルにまで詰め込まれたバンクシーンの各々が、見事なまでに稚気とケレンに溢れ、カッコイイったらありゃしない。プールの水面が揺れ、ロープが収納されていくシーンを見ただけで、91年、はじめて「学校が変形する」瞬間を見たときの衝撃が蘇ってきてしまった。
ああ、いいもん見た。

9月10日
昼休みに、近所のおもちゃ屋でモンスター・コレクションの最新エクスパンション「黄金樹の守護者」を3パック買ってみる。前評判はさして良くなかったので期待はしていなかったが、これがなかなか拾い物。徹底的なアイテム対策と重儀式対策がなされており、基本戦略間の能力差がかなり小さくなりそうだ。やや、対策カードに傾きすぎているきらいもあるが、これは172枚のカード全体を見てみないと確かなことは言えない。とりあえず、4箱くらいまでは買ってみてもいいな。

夜からDASACON2の反省会打ち上げ。結局、ほとんど反省はしなかったような気がする。まあ、スタッフMLでさんざんやったんでいまさらというのはあるよな。
ただの飲み会だったので建設的な話題は別に無い。邪悪な人は心底邪悪であることを痛感させられたことだけが強く印象に残っている。

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