過去の雑記 99年 8月

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8月21日
先日来調子の悪かったMD/CDプレイヤーを修理に出す。最低1.5万という予想修理費には愕然としたが、今のままではMDの編集に支障を来たすので、仕方が無い。販売店を選んで保証期間を延ばすのは重要なことなのだなあ、と思ったことであるよ。

洗濯をしていたら時間が中途半端になったので映画を見に行くのは諦めて、夕方からユタ。先週とは一転して人がいない。最終的な参加者は、小浜徹也、雑破業、高橋良平、林、深上鴻一、藤元直樹、三村美衣、宮崎恵彦(アイウエオ順、敬称略)。主な話題は、前回コミケ感想を中心とした創作論など。高橋良平先生の、「年寄りの批評・創作などの焦点がぼけるのは耄碌したのではなく、多くのことが見えるようになってしまったので多くのことを書いてしまうからだ。例、『引き潮のとき』」ってのが一番印象に残ってます。実は、深上さんから聞いたレリクス2の話や、ボーステックのレリクスサイトではレリクスのPC98版が無償ダウンロードできるという話の方が印象に残っていたりもするけど、それはまた別の話。
ちなみに深上さんも旧トム・ジェリは見ていてもドルーピーは覚えていないらしい。だんだん、そういうものかもしれないという気になってきたな。

帰りがけに<異形コレクション>『GOD』『SFバカ本 ペンギン篇』、イーガン『宇宙消失』を購入。
しかし、「2034年云々」と始めた文章を「世紀末ハードSF!」で終らせるのは何か違う気が。

8月22日
昼から渋谷に出て「テックス・エイヴリー 笑いのテロリスト」のBプログラムを見る。視界の隅にやたら笑う奴(しかも、しかるべきときに笑わないし)がいたのも不運だったが、心の中で美化しすぎていたのも問題だったかも、という訳で全体的な評価は今ふたつ。
特に、前半の『おかしな赤頭巾』『のろまな早起鳥』『狼とシンデレラ』あたりまではかなり退屈。確かに、エイヴリーの高速ギャグはすばらしいのだが、ネタの使いまわしが多く、また話の構造にも似たものが多いので思ったより早く飽きが来てしまう。それに、一連の<ドルーピー>ものや、『呪いの黒猫』、『月へ行った猫』などの超一流の作品に比べるとキレが無いので、トム・ジェリでさんざん見てきた僕からするとわざわざ二級品を見せられているような不満を感じる。
さらに字幕だったのも残念な点。MGMのカートゥーン、特にエイヴリーの作品は速さが身上なので、字幕でゆっくり意味を追っていると面白さが半減してしまう。予算的に無理だろうとは思うが、ぜひとも吹き替えで上映して欲しかったところだ。

とはいえ、そんな数々の不満も、ゴシックホラーの舞台のような幽霊屋敷での恐怖の一夜を描く傑作『恐怖よさらば』が始まったあたりで吹き飛んではいる。トム・ジェリで見た記憶のある『恐怖よさらば』『チャンピオン誕生』『森の小さな靴屋さん』『腹話術は楽し』『太りっこ競争』の5作はどれも文句無しに楽しめる名作。言葉が実体を帯びる、アニメーションであることを自覚的に扱う、一つのネタを徹底的にエスカレーションさせる、書き文字の面白さ、徹底した繰り返し、など一つ一つのネタは他の作品と同系なのだが、間の取り方が圧倒的に上手いのだ。「ギャグはネタではなく間である」ということを強く再認識させられたことである。確かに、名作を楽しんだと言っても、サゲの5秒前に笑っている自分に気づくたびに「昔を懐かしんでいるだけじゃないのか」という思いが沸いてきたことは否定できないが。
いやまあ、何にせよ、2作以上連続してみるには向いてない作風であることだけは確かだな。

そのまま帰ってもよかったが、せっかく渋谷に来たのでついでにBook 1stへ。噂には聞いていたが、印象がずいぶん変わっている。開店当初は蔵書量がそこそこ多いだけで、何の面白味も無い印象の薄い店だったのだが、いつのまにかかなり味のある棚が出来ている。特に、幻想/ホラー/SFの棚の充実ぶりは驚くばかり。あんまり見るべきものが多いので、逆に1冊も買えなかったほどである。しかしこのマニアックな棚で、渋谷の客層に受けるんですかね。

西葛西に戻り食事をしながら「エイヴリー」のパンフを眺める。巻末の作品リストに、『こんなお家は』『すてきな自動車』『うらやましいテレビ』などの一連の作品も載っていたのには驚いた。トム・ジェリの真ん中の話って、ひょっとして全部エイヴリーなのか?ああ、まとまった時間が出来たらトム・ジェリ放映リストを探さなきゃ。

8月23日
そんなこんなでグレッグ・イーガン『宇宙消失』(創元SF文庫)を読了。傑作。今年のベストなんてのは当然。交渉次第ではオールタイムベストだって考えんでもないぞ。

読み始めはつらい。文章の出来が良くない上に、用語解説のほとんどを頭の数十ページで行うので、読みにくいことこの上ない。正直、何度か読むのを止めようかと思ったほどだ。<バブル>や<奈落の子ら>などの魅力的な設定があったとはいえ、イーガンという作家に期待していなかったら読み進むことが出来なかったかもしれない。

しかし、安心して欲しい。努力は必ず報われる。なあに、努力と言ったって、しょせんは『エンディミオン』よりは苦労するという程度。『レッド・マーズ』の苦痛に比べれば、ほとんど無視できる程度のものだ。そして、冒頭の数十ページをクリアしたその先に得られるものもまた、『レッド・マーズ』とは比べ物にならないくらい素晴らしい。

冷静になってしまえばバカとしか言いようの無い設定を、ベイリーのケレンにも、ラッカーの笑いにも、バクスターの無骨にも、ソウヤーのあざとさにも流れず、徹底して知的に、冷静に展開していくあたり、さすがはイーガンという他無い。

そう、SFとは、イデアとしてのSFとは、キャラクターを描くものでも、ガジェットを描くものでも、世界を描くものでも、物語を描くものでもない。それは、論理を、世界そのものを構築する論理を描くものだ。イーガンは、見事にその論理を描き出している。

「SFとは何か」。その一つの答えがここにある。

# いや、拙いところもいっぱいあるんだけどね。

8月24日
電車が止まっているらしいという噂を背に会社を出、中野駅につくと噂通り見事にすべて止っている。停電様の前には東西線が地下鉄であるという些細な事実(対台風などでは有利に作用する。所詮、東陽町までだが)も役に立たなかったらしい。しかたがないので、サンモールのマクドナルドで貧しい夕食を取りつつ、ウィリス『リメイク』(ハヤカワ文庫SF)を読了。

映画への愛がたっぷりと詰め込まれた、さわやかでちょっぴり苦いラブ・ストーリー。蘊蓄たっぷりの話をいやみに感じさせずにさらっと読ませるウィリスの技巧は認めるが、いかんせん趣味じゃない。

8月25日
バリントン・J・ベイリ(珍しい表記だね)『時間帝国の崩壊』(久保書店)を読了。ああ、頭が悪かった(注:かなり褒めている)。「時間帝国」で「崩壊」というあたりで、みな話の落ちは読めていると思うが、だいたいその通りになる。しかし、そこにいたるまでの話の展開の無謀さ(注:褒めている)は、「まさにベイリー」としか言いようが無い。7世紀にも渡る広大な時間帝国と、最終兵器「時間歪曲装置」を駆使する覇権大国の激闘を背景に、罠にかけられ貶められた航時艦隊の艦長、突如消え失せた最愛の妹の死体を探す皇子、カルト教団に生け贄として追いかけられる女性、それぞれを主役とする三本のプロットが一つにまとめられていく様は、狂気の沙汰(強く褒めている)とでも形容する他はない。小説としてはともかく、ベイリーとしての出来は『カエアン』より上かも。

これほど優れた作品ではあるのだが、残念な点が一つだけある。そう、これで邦訳のあるベイリーの長篇は読み終わってしまったのだ。創元にはとっとと公約通り"The Grand Wheel"を出して頂きたい。

SFM10月号を購入。和田毅がむちゃくちゃ久しぶりに復活しているのにはびっくり。この人(笑)の原稿は基本的に穴埋めでしか載らないはずだから、と編集後記を見てみると、例によって「大原まり子、落ちる」の記述が。さすがは、火浦功に原稿を落とすというアイデアを教えた作家である。

8月26日
柴田よしき『ゆび』(祥伝社文庫)読了。もったいない。
発端は非常に魅力的だ。ある日突然、どこからともなく現れた「指」。「指」は、かすかな悪意を示しながらさまざまなボタンを押してまわる。ボタン式信号、エレベータ、非常ベルを。街はしだいに混乱してゆく……。

ここまでは非常に魅力的だったのだ。この方向に進んでくれれば、見事な幻想小説になっただろう。しかし、残念ながらそうはならない。「指」はやがてボタンを押すことをやめ、より直裁的な行動に出るようになる。そして、それに歩を合わせるように、物語は急速にSFの方向に向かう。
これで、SFで話がまとまったのであれば、それはそれで納得はした。展開としてはややありきたりだが、読みやすさと、シチェーションの異常さは兼ね備えているのだから、それはそれで十分だろうと思った。
それが、なんでこの落ちに向かうか。

落ちさえなければ、もう少し評価できたかも。

8月27日
SFマガジン8月号やっと読了。
特集の「20世紀のSF映画ベスト100」は見事に中途半端なものになってしまっていて、実に使えない。ライターの個性によりかかって見せるのであれば、重複を許し、手に入るかどうかも気にせずに、作品を選ばせるべきだし、トータルが100ということに拘るのなら、せめて半分程度は教科書的な年代順選択などにするべきだったのではないか。だいたい、テレビシリーズが平気で混ざっている(それだけの枠があるのは別に問題ではないが)ってあたりから納得が行かない。ジャンル分けしてバラエティあるリストにしようとしてるのはわかるけど、結果がどうにも中途半端なんだよね。こんな半端なリストを読むくらいなら、ファビュラス・バーカー・ボーイズのベストとか、唐沢俊一のベストとかの方が読みたかったことである。
その外で気になったのは、日下三蔵「日本SF全集[第一期]」。長篇で『声の網』をとりあげる辺りや、全集収録作品としてとりあげた作品の、現時点での収録書籍名が記載されていることなどは高く評価しているのだが、1点小さな疑問がある。中で、ショート・ショート一〇〇一篇が83年10月の『どんぐり民話館』で達成されたと書かれているのだが、1001篇目の9作(変な表現だが事実だから仕方が無い)を含む作品集は『これからの出来事』のはずなのだ。だいたい、1001篇目はほぼすべて各誌の83年12月号に掲載されているのだから、83年10月奥付けの本に収録されるわけが無いではないか。なんで、こんなことになったんだろう。

とあるところで、先日の『宇宙消失』の冒頭が読みづらいという記述に対して、反論を受ける。いや、読みづらかったんだよ、と思いながら読み返してみると、そうでもなかったり。あれ?
いや、それなりに読みづらくはあったのだ。ダッシュを多用して修飾を加える文体にはかなり引っかかった。45ページで第1節が終るまでは作品に入り込むのにかなり苦労している。しかし、「文章の出来が良くない」とまで書くほどではなかったような。入り込むのに時間がかかった理由は、多分、「イーガンの主人公のくせに「おれ」で語るな」って奴だしな。

8月28日
前日の作業が予定より長くかかったので、やや睡眠不足気味ながらなんとか目が覚めたのが午前11時。ちょこまかと必要な作業をしていると、集合時刻に間に合うかどうか本当にぎりぎりのところになってしまったDASACON2当日だ。残念ながら、集合時刻1分前につく電車には乗り損ねたが、なんとか1分後につく電車に乗り込み、水道橋到着。私的基準では完全セーフである。

ルノアールで作業確認などをしてから会場へ。前回の知識があるだけにスタッフ皆の動きにも余裕という物が感じられる。
細かいミスはあったものの、開場予定の午後6時には一通りの準備が終了したり。驚く程の順調さである。もちろん、この順調さの裏には大きなどんでん返しが待っていたのだが。

あまりに作業が順調だったので、つい受付に座ったらいつのまにか開演してしまった。なんとなく人が来続けたので、そのまま乾杯直前まで受付ですごしてしまう。前回以上に盛り上がったという噂の寮・東対談を聞き損ねたのはやや残念。まあ、そのかわりまるでスタッフ仕事をしたような気分になれたので良しとしよう。

乾杯が始まる頃には人の流れが途絶えたので、受付を閉めて大広間へ移動。とりあえず、幻想文学のバックナンバーを山ほど買い込んだりして時を過ごす。雑誌だと、いくら積んでおいても心の痛みにならなくて良いね。
# 麻痺しているだけだという説もある。
とりあえず買うべき物を買った後は、方々を回って挨拶すべき方にご挨拶。コレクター道を邁進する代島さんには、SFM'83/9増刊、「キャプテン・フューチャー」を譲って頂いた。僕があれほど探した本を、あっさりと見つけるとはさすがコレクター界期待の星。なにはともあれ、ありがたいことである。

そうこうするうちに時は過ぎ、次の企画、架空書評勝負の決勝が始まった。決勝は、投票上位6作によるトーナメント形式で争われたのだが、これがなんだか。上位6作それぞれに対するコメントを用意するなど、解説担当・ジョニイ高橋はちゃんと準備をしていたようなのだが、司会担当・林の司会があまりにも場当たり的なため、盛り上がりに欠けるものになってしまった。司会のように咄嗟の判断力を要求される場には、多少なりとも適性を持つ物を配置するか、もっと徹底的に準備させるべきだったのだろう。書評募集・投票とも多くの協力を得て、大盛況だったにもかかわらず惜しいことだ。関係者、特に司会担当者の猛省が望まれる。

その後はいくつかのグループに分かれての企画が始まった。
最初は、オークションの1番手として登壇。ラファティの絶版2冊を中心とするラインナップで、そこそこの反響を得た。その後はオークションにはほとんど参加しなかったので詳細は不明だが、企画自体としては(開催時間、スタッフの投入人数、会計方法などについて今後の課題もあるとはいえ)概ね上手く行ったようだ。喜ばしいことである。

続いて、カードゲーム「書棚の帝国」を説明役も兼ねて2回ほどプレイ。ゲームとしては練り込みが甘すぎるきらいはあるが、ウケ狙いに主眼があったのでこれはこれで成功でしょう。キャラクター性を前面に出すという戦略は大成功でしたね。

「書棚」2回目に6000点台後半を叩き出して優勝した後、志村さんに後を任せてしばし休憩。昔の少女マンガなどについてしばし雑談を交わしていると、何やら問題が発生した様子。どうやら、純白の麻雀卓を2卓まで用意してもらった麻雀部屋に牌がなかったらしい。開場前の準備中に、麻雀部屋の卓を確認しておきながら牌までは確認しなかったという油断が産んだ、衝撃の大どんでん返し。この事件、やがて一部邪悪な人々の間で、とある流行語を生み出すまでにいたるのだが、さしさわりのある話なのでこれ以上触れないでおく。教訓。失敗は取り返しのつくうちにリカバーしよう。

そんな事件のことは2秒で忘れ、雑談を続けていると大森望さんの司会による「山岸真・『宇宙消失』を語る」という企画(違う)が始まったので早速参加。ちなみに参加人数は大森さん、山岸さんを含め平均3.5人くらい。いろいろと『宇宙消失』の疵を確認した上で、でもこの作品は傑作であると再認識させられた企画であった(だから企画じゃないって)。『順列都市』も楽しみだ。

この辺りで、担当だったホラーカルタの展開をする必要があったのだが、周囲の面々の反応を見て躊躇してしまった。いや、ほら、いずれ劣らぬクイズ魔人たちが、みな無理だって言うんだもん。後でよく考えてみれば、ホラーネイティヴの人を対象に始めればよかったんだけどね。まあ、しかたがないのでそれを発端に、嫌なカルタについてしばし盛り上がったりする。ローダン表題作じゃない方カルタは嫌だよな。

カルタのネタも尽き、居場所を失いかけたその時、大広間の中央で、世界を生み出す「言葉」があった。その後の展開についてはむこうの世界にまとめたとおり。いつどんな時でもスマッシュヒットを見せてくれる田中さんは、やはり得がたい人材であることを痛感させられた。もちろん、今回の展開は、邪悪の殿堂・京大SF研OBの方々のサポートあってこそなわけではあるが。

その後も、DASACON大賞の発表だの、片づけだの、ルノアールでの雑談だの色々あったわけだが、田中世界の感動の前には霞んでしまって何も覚えてはいない。なんとなく楽しかったはずという印象だけを持ったまま帰宅し、とある忘れ物について回答した後、就寝。
# 何もオチまでつけてくださらなくても。> 田中さん

今回の反省:結局、SFセミナー常連の人と話していた時間の方が100倍くらい長かったような気が。SFセミナーではダサコンな人と話すようにしよう。< 人、それを本末転倒と言う


8月30日
日曜午後4時に眠りについてからとった睡眠が10と4時間。午前4時になんとなく目が覚めかかる。が、朝食を摂って少し休もうとしたらそのまま眠りについて次に起きたのは8時半過ぎ。コアタイムぎりぎりの出社となってしまった。
しかし、この長時間の睡眠がなんの役にも立ってない。普段から日中は眠い眠いと思いながら過ごしているが、今日はいつもの12倍は眠い。その状況下でも、無事仕事は進んでいくのだから小人さんたちはよほど優秀なのだろう。後日、作業分を見返すとバグだらけではあったが。

そんな苛酷な環境の中、我が身に鞭打ちラッセル『超生命ヴァイトン』(ハヤカワSFシリーズ)を読了。「なぜ、そんなものをいまさら」というのは読んだ当人が一番強く感じているのだから今更指摘されるまでもない。

中身の方は、オカルトな謎がSFの言葉で解き明かされる典型的なサスペンス型SF。幻想的な謎が提示され、段階を踏んで事実が明らかになっていく過程と、世界が破滅していく過程が速度を競い合うという構造は、先日読み終えた『ゆび』とよく似ているのだが、こちらは明らかにSFになっている。用意された真実の非現実性だけを比べれば大した違いはないのに、これだけ違うジャンルに見えるとなると、その差はどこに起因するのだろう。叢書の違いだけにはないと思うのだが。

8月31日
SFマガジン9月号を読了。この号は「世紀末ホラーの混沌」とまで題して徹底的にホラーを前面に出した号なのだが、収録作品だけだといつもとの違いがよくわからなかったり。だってほら、怖い話は一つもないし。

ジャンルはともかく面白かったのはアダム=トロイ・カストロ「燃料」。設定の奇矯さだけという気もするけど、これだけの設定ならそれで充分じゃないかと。

特集の他の小説は今一つだったが、特集全体としてはまあまあ。巻末の読書ガイドは良く出来ていたし、何より解説エッセイが魅力的。幻想的掲示板でのホラー・ネイティヴの方々の反応を見ると盲信は危険なようだが、未知ジャンルの状況を理解する取っ掛かりとしては充分に面白かった。

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