過去の雑記 99年 8月

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8月11日
日蝕はニュース画像で見ても美しかった。やはり一度は生で見るべきですね、これは。2009年は奄美諸島かあ。36歳の経済力なら行けるかな。

鶴田謙二の美しくもレトロ感溢れる表紙のおかげで、終ってしまった未来の雰囲気が否が応にも盛り上がるSFM9月臨時増刊号「星ぼしのフロンティアへ」を購入。だから「星ぼし」は止めようよってばぁ。
中身はまだ読んでいないが、目次を見る限りではまあまあだろう。野田昌宏による作品紹介が無いってのは驚きだが、いつまでも大元帥でもあるまいという気もするし、それもまた良しだ。とにかく、出たという一事だけでも素晴らしい。
ただ、おそらく入門用という位置づけの本で、1650円という価格が気になりはする。もちろん、定常スタッフの少ないSFマガジンの増刊で、普段の倍近い厚さなのだからこの値段になってしまうのは当然なのだが……。もう少し、気を抜いて作って1200円に抑えた方が良かったんじゃ。もちろん、「昔のマニアに売るために作った」のなら適正な厚さであり、価格なんすが。

8月12日
ヴァーナー・ヴィンジ『遠き神々の炎』(創元SF文庫)読了、って読み始めたのは一ヶ月前だよ。

こんなに時間がかかってしまったのは、やはり長すぎたからか。読み始めればほぼ一気に読み進むことが出来るのだが、一度止まると残りの長さにうんざりして手に取ることが出来なくなる。人物の書き込みや政治や科学などの"水増し"ではなく、アイデア一本直球勝負で長くなっているのは好印象ではあるけど、だからと言って長いもんは長いんだよね。もう2割短ければ、評価はもう1段高まっただろう。

が、長さ以外に対する不満はあまり無い。確かに、後半の物語展開はやや急すぎると思うが、一応許容範囲内。疫病体の脅威を今一つ実感できなかった点も気になるが、なんとか許容範囲内。大きな世界の物語が今一つ迫力を持たず小さな世界の物語に負けてしまっているのは大きな欠点だが、それでもぎりぎり許容範囲内……、ひょっとして下巻を読むのに時間がかかったのは上巻に比べてつまらなかっただけなんじゃ。

いや、それでも全体としての評価は中の上から上の下クラス。特にメインアイデアの出来は一級品だ。際涯圏の設定なんて、覇権拡大型ボードマルチゲームにしたらきっと素晴らしいものに仕上がるだろう。
低速圏に近い領域からだんだん上に登っていって際涯圏の支配を目指す。油断するとメイン種族が超越してしまって支配領域が一気に減ったりする。うまく際涯圏に留まり続けても種族的寿命で衰退していく。低速圏からの新興種族を如何に使うかがポイント。イベントによっては疫病体が発生してしまったり……。あ、なんか本当に面白そうだぞ。誰か本気でゲーム化する奴はいないか。

8月13日
昼休みに近所の本屋で一部で話題沸騰となっている殊能将之『ハサミ男』を買ってみる。それは良いんだが、ついでに金田一春彦『日本語』なんて本まで買っていたりしているのは我ながら謎だ。きっと何か深い洞察力が働いたのだろう。

夕方休みに古本の定点チェックのため中野ブロードウェイへ。
ふだん、あまり客のいないまんだらけ女性向同人誌店に行列が出来ていたので驚く。しばしそこに佇み考えた末、今日が8月中旬の金曜日だからだ、という結論を得た。
夏ですね。

イアンド・バインダー『ロボット市民』(創元推理文庫)読了。これも読み始めたのは1ヶ月くらい前かな。だいたい買ったのが8年以上前だし。そんな本をわざわざ読み終えるなんて、我ながら生真面目にも程がある。
アシモフが『われはロボット』の原型のひとつとまで言っているので、そういうもんだと思って読み始めたのだが、これがなんだか。確かにロボットが誕生し、博士殺害に関する容疑を晴らして人間としての権利の一端を認められるまでを描く第1エピソードは、ロボット(=異種知性)がはじめて登場したときに人間は、社会はどのような反応をするかということに対する考察をメインテーマとしており、『われはロボット』の先祖という肩書きにふさわしい内容だ。が。その後のエピソードでは、次第に思索性は薄れ、ロボットの超人性のみが強調されていくようになる。人類の敵をロボットが超人的な力でやっつける最終エピソードなど、もうどうしようもないほどのスーパーマン・ストーリー。歴史的価値は認めるが、いま読む価値があるかどうかはかなり疑問だ。

8月14日
目が覚めると昼過ぎだった。
昨日時点では、有明→新宿→中野という案もあったのだが、いくらなんでも無理な時間になってしまったのであっさりと放棄する。「ストロボ式」のハィッバーコップ本は買いに行きたかったんだが、まあ仕方が無い。これも運命というものだろう。

有明を諦めてしまうと急にスケジュールが楽になったのでしばし休憩。豪雨が止むのを見計らって、新宿伊勢丹の古書市に行ってみる。
大規模な古書市ということで、心のどこかでは収穫を期待していたのだが、残念ながらSFマガジン、SF宝石、SFの本などで欲しいものはなかった。やはり、3日目の午後遅くに到着していては、見るべきものも無くなっているということか。それでもそれなりに欲しいものもあったのだが、金額的になっとくが行かなかったので見送ることにして、銀背数冊(タッカー『超能力エージェント』、ミード『地球誘惑作戦』、アンダースン『審判の日』)と第2期奇想天外数冊を購入するだけにした。銀背は、安くもないが少なくとも高くはない値段。奇想天外は、高くはないが、決して安くはない値段だった。得だったかどうかはわからない。

立食い蕎麦屋で軽くブランチ(ランパーの方が実態に合うか)を取った後、「山梨、長野方面にお出かけの方は旅行を取りやめてください」というのんきな放送を聞きつつ中野へ。ずっと楽しみにしていたチェコアニメ映画祭'99を観に行く。

中野で、映画を御一緒する東洋大OPの人々(大熊君、小菅君、蔭山さん)と合流。まずは中野名物、オタクの殿堂ブロードウェイビルを案内する。わずか30分そこそこという時間の制約もあり、1個所数十秒というペースで周ってしまったので、ブロードウェイの魅力をちゃんと紹介できたかどうかは自信が無い。やはりブロードウェイビルは数時間かけてまわらないと面白くはないからなあ。
まんだらけや、まんだらけや、まんだらけや、トリオや、まんだらけや、まんだらけや、トリオや、まんだらけや、古書ワタナベや、まんだらけを紹介するうちに上映時間も間近になったので、ブロードウェイビルを出て武蔵野ホールに向かう。

適当に席を取り、やがて始まった広告フィルムを見るとも無しに見る。「いかにも小規模の映画館だね」というフィルムが次々と流れていくうちに、「テックス・エイヴリー 笑いのテロリスト」という文字が映し出された。「変わったタイトルだな」と思っていると、それにどこか懐かしいアニメが続く。アニメはいかにもMGMという色彩。そこでは常にスピーディーなアクションが展開され、場面が次々と切り替わる。これは、僕の知っている、僕の大好きな何かだ。憑かれたように画面に見入るうちにアニメは見事に落ちをつけ再度タイトル。そして、あの英雄が現れた。そう、そこには、あのドルーピーがいた!
己の不明を恥じなければならない。あの幼年時代の英雄ドルーピーの生みの親、エイヴリーの名を知らなかったことは、百万言の非難を受けても当然と言える失態だ。しかし、その業績の偉大さについては良く知っているつもりだ。アニメーション(いや、そんなお上品で気取ったジャンルではない)栄光あるカートゥーンの産んだ最高傑作、「ドルーピー/つかまるのはごめん」。10数年前、名古屋テレビで何十回と無く再放送された「トムとジェリー」のなかで、日本のアニメなど束になっても及ばない完成度を誇る「トムとジェリー」という大傑作すら凌駕する印象を与えたのが、この作品だ。その圧倒的なまでのスピード感、思考停止を誘うほどのナンセンス、そして完璧な間。映像で展開されるギャグのすべての用件を完璧なまでに満たした名作。それが、映画館のスクリーンで見られるなんて!ああ、もうチェコアニメなんてどうでもいいぞ。

いやまあ、それはそれとしてチェコアニメだ。上映されたのは以下の8作品。
  • ヴラディミール・イラーネク『文明からのレポート』
  • 『Pat&Mat』
    • 「鍵」
    • 「ドア」
    • 「屋根」
    • 「家具」
    • 「大掃除」
  • イジー・トルンカ『草原の唄』
  • イジー・トルンカ『手』
一本目のイラーネクは、今一つ。線画で書かれた映像はなかなか良かったが、ストーリーが安直な近代文明風刺では高い評価はし難い。悪くまではないんだが、少なくとも良くはない。

出だしが今一つだったので、やや不安になったが次の『Pat&Mat』で、その不安はほぼ払拭された。2体のかわいいパペットが無言でドタバタを繰り広げる、典型的なパペットアニメ。パットのボケとマットのボケの掛け合いは見事の一言。ほとんど何の不満も無い仕上がりだったが、オープニングとエンディングをまったく省略していないのにはやや閉口した。いくらなんでも5回連続で見せられるとさすがに飽きる。

その次のトルンカ『草原の唄』は、やや冗長な仕上がり。西部劇のパロディをやっていることはわかったが、いらないくすぐりが多く、全編観るのはつらかった。個々のシーンの人形の演技はさすがに上手いんだけどね。もう3割短ければだれなかったかも。

最後のトルンカ『手』は一転して文句無しの傑作。
一輪の花のために植木鉢を作り続けるアルルカンのもとに現れた「手」。「手」は、暴力、恫喝、金、名誉、女など、さまざまな力を駆使してアルルカンに「手」の像を作ることを強制する。しかし、アルルカンは断じてその強制に従わない。「手」の執拗な強制にしだいに追いつめられていくアルルカン。ついに、「手」に囚われ、「手」の像を作らされるはめとなったアルルカンは完成した像を蹴倒して、「手」のもとを逃げ出す。が、しかし。
暗喩に満ちたストーリーもさることながら、なんといってもアルルカンの造形と演技が素晴らしい。人形のズボンの端々までも自然に動く精密さ。人形と、人間の手というタイムスケールの違うものを同一画面で動かす高度な技術。これぞパペットアニメーション。期待に違わぬ見事さだった。

『手』の感動に浸りつつ近くの一文銭で飲む。例によって東洋大の近況を聞くのが中心ではあったが、ここで一つ驚いたことがあった。当然、エイヴリーは見に行かなきゃいけないね、という話題を振ったのだが、なんと他の人々はドルーピーを覚えていなかったのだ。
だってドルーピーだよ?ウッドペッカーとか、ミッキーマウスなんかの有象無象ならともかく、MGM最大のスターだよ?いくら、4つ下とはいえそれは無いだろう。
日本の文化程度の低下について、考えさせられた事件である。

帰宅後、金田一春彦『日本語』(岩波新書)を読了。余りの面白さに明け方まで読みふけってしまった。
日本語は野蛮な言語でも、非論理的な言語でも、不便な言語でもなく、他の諸言語と同程度に高度で、論理的で、便利な言語である、ということを論証するメインの流れはどうでもいいんだが、高句麗、百済で日本語に良く似た言葉を使っていたという話や、ハンガリー語はヨーロッパ諸語に引きずられて目的語の位置がひっくり返ったという話など、細かいエピソードはめっぽう面白い。大嘘に信憑性も持たせるための、道具としての雑学に満ち溢れた好著。事実と事実の狭間で人をからかう芸風の持ち主にお薦め。

8月15日
DASACONスタッフとしての仕事があったので(口実)有明に向う。コミケ(あるいは類似する同人誌即売会を含め)に参加するのは初めてだったが、野田さんと森さんというベテランの人についていったのでその辺は安心だ。

が、いくら優秀な先達がいても、物理的な環境については実感するまでわからない。喫茶店でしばし体勢を整えた後、会場に入った時点ではそれなりに気力もあったのに、東館に入って5分もしないうちに体力がつきかけてしまった。人の会議本能に関する実験をやっているわけではないのだから、一個所にこんなに人を詰め込んではいけない。「人一人100W」(80W、50W説もある)という言葉を唐突に思い出す夏の日の午後である。

一応、東館では深上君の関係しているブースに行って、「美女DE野獣」を買おうと思っていたのだが、とてもじゃないがそんな事が出来る環境ではない。少なくとも、ブースの場所どころかサークル名すら思い出せない状況で何かを探すなんてのは出来ない相談なのであった。ああ、しかし人が多い。

すっかり疲労困憊した状態で西館に移動すると、こちらは一転して好環境(特にSF周辺)。なんといっても風が通るというだけでもすばらしい。これなら人間の環境として認知できそうだ。不人気なジャンルのファンになるとこんなメリットがあるとは。SFの冬万歳。

そんなわけですっかりSFのあたりにいついて時を過ごす。結局、買った(ないしもらった)のも、東洋大SF研のASOV20号、京大SF研のWORKBOOK63、64号、西方猫耳教会の「PEGANA LOST」1〜4号、補完機構の「あるふぁらるふぁ大通り」11、Lacmhacarhの「基礎アーヴ語会話」とファンジンばかり。同人誌は買ってないというあたりに気合の無さが伺える。これならSF大会のディーラーズで充分じゃん。
あ、でも「PEGANA LOST」はここでしか手に入らないか。恐れ多くも畏くも最大最強の幻想作家ダンセイニ卿の翻訳・研究誌。ファンジンまでも網羅した翻訳作品リストなども載っており実に充実している。本日最大の収穫。

ある程度買い物をした後は、顔見知りの方と話をしたり。とりあえずu-kiさんと鈴木力氏では、鈴木力誘い受けなんだそうだ。だからなんなのかは良くわからないが。
他にも、いろんな話はあったが何より驚いたのは、同世代以下の人間のほとんどがドルーピーを知らない、ないし覚えていないという事実。そりゃウッド・ペッカーの真ん中でやってたペンギンの話の主人公を覚えてないとか、ロードランナー&コヨーテと一緒にやっていた正装のコブタの名前が出てこないってーのならわからんでもないけど、天下の「トムとジェリー」の中で放映された作品について覚えてないなんてとてもじゃないが信じられない。聞いてみると「トムとジェリー」のエピソードすら覚えてない人が大半のようだし。少なくとも、冷蔵庫でスケートをやる話や、花火で戦争をやる話、晩餐会会場で戦う話や、ジェリーのおじさんの話くらいは普通覚えているもんだろうに。関係者の猛省を促したいところである。

その後、いろいろあった後、近くの喫茶店に場所を移して森さん謹製の某カードゲームをテストプレイ。予定よりも遥かにプレイ時間が長くなったのは気になるが、全体としては悪くない。あとはややマニア受けを狙いすぎている感もあるネタを、DASACON参加者が理解してくれるかどうかが勝負か。

帰宅後、殊能将之『ハサミ男』(講談社ノベルズ)を読了。ミステリを読んで「まあまあ」ではなく「本気で」面白いと思ったのは初めてかも。
細かなくすぐりを含めて文章が実に小気味良く、自然と作品世界に没頭することができた。おかげで仕掛けの類には見事騙され続けることに成功。本を読んでいてこんなに心地よく騙されたのは本当に久しぶりだ。ミステリの個人的オールタイムベスト暫定1位に認定。
# ミステリって全部で20作読んでないけど。

8月16日
見たい映画があまりにも多いという事実に気づいたので、「ぴあ」を買ってきてチェックしてみる。結果を信じると、今週から来週にかけて二日に一作程度のペースで映画を見に行く必要があることになってしまう。諦めてエイヴリーだけ見に行くか。

サンモール横の古本市(ってほどじゃない)で佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』を購入。きっと買っただけに終るだろう。

「一冊買ってしまった以上、一冊読み終わらねば」というわけで。『ホラーを書く!』(ビレッジセンター出版局)を読了。ホラー作家10人に対するインタビュー集。興味深いエピソードも散見される比較的良質な本ではあったが、インタビュアーのキャラが立ちすぎている分、そのホラーに対する位置どりが時に変化する点が気になった。
あるときは「ホラーの文法」を賞賛し、あるときは「まず小説ありき」と断言する。あるときは「真の恐怖は人の心の闇」を肯定し、あるときは「超常こそ恐怖」とぶちあげる。もちろん、それぞれの声を上げたのはインタビューイの方だ。インタビュー集でいきなり「お前のホラーなんてホラーじゃない」と言い出せるはずが無い。インタビュアー、東雅夫の真意はきっとその間のどこかにあるのだとは思う。それが、インタビューイの発言に引きずられて矛盾があるように見えてしまっただけなのだろう。しかし。
だとすれば、あれだけインタビュアーのキャラが立ってしまっているのは不利なことだったのではないだろうか。

縁あって「少女革命ウテナ」生徒会編の再放送を観る。なるほど、こりゃ面白いや。今日見た範囲ではいまいちスタンスに戸惑っている感があって、それが若干気になったが、開き直ってしまえばさぞや面白いものになるに違いない。アニメはやはり破綻してなんぼだね。

8月17日
近所の宝飾店が3ヶ月ほど前からずっと閉店セールをしている。今日通りかかった折りに、ふとポスターを見てみると、こんな文字が書かれていた。
「閉店い」
どう読むんだ、これ。

もののついでに、名大OB(4-13)MLで、「ドルーピーを知らないなどという非常識な人間が世の中には結構いる」という話を振ってみる。驚いたことに、俺も知らないというリアクションが次々到着。ドルーピーは意外なほど知られて(あるいは、覚えられて)いないらしい。駄目だ、みんな。世の中間違っている。カートゥーンは人生を送る上での基本なんだから、もう少しまじめに勉強しておこうよ。

8月18日
さて、14日から続いてきた「ドルーピー問題」だが(まだひっぱるか)、偏ったサンプルからの聞き取り調査だけでは情報が偏るということに気がついたので、より客観的な調査法を導入してみた。そう、検索エンジンである。

まず、「ドルーピー」という単語をinfoseek Japanで検索。すると何と驚くなかれ、39841件ものページがヒットした。早速、1件目のページ名を見ると、
MacWEEK : RFI Report:Apple株価50ドルの可能性
……違う!どうやら「ドル」という部分を切り出して検索しているらしい。何をやっても「ドルーピー」という一語で検索することが出来なかったので、続いて「ドゥルーピー」で検索してみる。いままで、映画のチラシにあった「ドルーピー」という表現を使ってきたが、個人的には「ドゥルーピー」の方がしっくり来る。きっと、こちらならうまく検索できるに違いない。期待を込めて検索してみると、結果は……4件。
まあ、引っかかっただけマシか。

日本の文化状況に関して暗澹たる気持ちを抱きながら、続いてgooで検索してみる。まずは「ドゥルーピー」。こちらは6件が引っかかった。幸先の良いスタートだ。続いて、「ドルーピー」。こちらはなんと29件がヒット。しかもどれも、本当に「ドルーピー」について書かれている。なんだ、やっぱり、それなりに知られているんじゃないか。

というわけで、なんとかドゥルーピーメジャー説を唱える精神的支柱ができた。周囲の無理解に迎合することなく、今後もドゥルーピー主義を貫いて行こうと思う。

ちなみに、gooでR・A・ラファティを検索すると59件がヒットした。ドゥルーピーのメジャー度はラファティの半分程度ということになる。

おまけ:調査の過程で見つかったトム・ジェリサイト。素晴らしい。

8月19日
八房龍之助『宵闇眩燈草紙』(電撃コミックス)を購入。前作、『仙木の果実』は西洋の街を舞台とした錬金術ものだったが、こちらは和風の街で繰り広げられるなんでもあり(笑)の幻想譚。
比較的輪郭のはっきりした線でかかれた絵は、ともすればくどくなりかけるが、常にぎりぎりのところで踏みとどまってあっさりした印象を残すことに成功している。この良い具合に力の抜けた絵に、怪異・妖異を力技で解決すると見せかけて実はなりゆきに任せる物語が見事にマッチして、独特の味のあるユーモアを生み出している。
軽いアクションと、淡いユーモアと、薄いオカルト趣味と、そしてなにより黄昏の雰囲気を愛する方にお薦め。

もちろん角川な本であることも確かなんだけどね。

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