日本型投資銀行とは何か(承前)
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業務戦略
実践的「投資銀行化」のイメージ
商業銀行から投資銀行への急激なカルチャーの変革(例えば「当行は明日からJPモルガンになるんだ」といった大上段の議論)には抵抗が大きいかもしれない。しかし我々にとって投資銀行業務は、従来には無い仕事を初めてすることではなく、これまでの「総合営業」の経験とノウハウをさらに発展させ、我々の仕事の中心に据えることにすぎない。抽象論を振りかざすのではなく、合理的かつ急速にカルチャーを変えてゆくにはどうしたらよいか、実践的なプログラム、タイム・スケジュールを作ることが肝要である。
事業法人営業を例に営業活動のイメージを考えると、営業担当者の一日の仕事の内、融資業務のウェイトを極小化し、その他の業務を広げることから始めたい(営業斡旋、不動産情報の提供でも良い)。営業活動における融資業務のウェイトを落とし(顧客との話題の中に占める貸出の比重を落とす)、グループの持つ経営資源を自由に活用し、かつ、各営業担当者、管理職が自らの経験から得意とする分野、スタイルで、経費とリスクに見合った収益を挙げてゆく、といった営業スタイルに変えてゆきたい。
グループにファシリティが無ければ他業者を紹介し、紹介料をとればよい。取引先企業の設備投資に際して損害保険を斡旋してその損保会社から預金をもらう等、既にやって来たことである。顧客ニーズをよく分析しないでファシリティを作る「ファシリティ主義」はもうやめたい。
貸出業務の改革
貸出は、LIBOR比に換算したスプレッドの考え方を徹底し、信用リスク控除後かつ経費控除後のNPV(現在価値)で収益性を考えるべきである。基準スプレッドの考え方を徹底し、こうした収益性基準で測って間尺に合わない貸出は取り上げない。このように取り上げ基準を明確化した上で、貸出業務は大幅な合理化が必要である。当行の事業法人営業担当者の一人当たり担当先数は興銀・長銀と比べても少ない。業務手順が煩雑すぎるのが原因と思われる。不動産外部鑑定の活用、事務フロー・決裁手続きフローの簡素化(総与信限度制度と専決権限を明確にリンクさせることも必要)等により、個別案件決裁に要する時間は今の三分の一程度に圧縮するべきである。
一方で、本部またはリスク管理部門での与信ポートフォリオの合理的管理を徹底し、与信後、定期的に当該与信のパフォーマンス分析を行い、営業部店にフォローのための作動を起こさせる体制を作るべきである。そのために必要な本部ないしリスク管理の要員は増強する。入学試験(貸出取り上げ)でギリギリ絞るよりも卒業(完済)までの継続的な管理の方が重要である。「貸した後はほったらかし」では、ポートフォリオの偏り(リスクの集中)や資産劣化に気づかないままでいる恐れがある。現場を離れたクールなクレジット・リスク管理者が資産全体のバランスを見ながらタイミングよく警告を発すれば、売却、保全強化などの対応を臨機応変にとることも可能であろう。本部またはリスク管理部門が営業部店に業況などをフォローさせる積極的な動機づけを行い、定期的に各営業部店のフォロー状況と保有資産の時価での評価を行い、これを営業部店に還元するような枠組みを作りたい。
真の営業企画(マーケティング)機能の創生
従来の営業本部は、一部の例外を除き、単なる個別案件の処理と営業総務をやっていたにすぎない。本部は単に営業部店の業務目標を貼るだけで(しかも融資量とか預金量とか新規先数とかの二十年前と同じ古めかしい体系の目標!)、だれもマーケティングをやらない。市場分析、顧客分析は専ら営業部店任せになっていたのは驚くべきことである。一体どんな顧客を持ちたいのかについて何も経営が考えない企業などどこにあろうか。
顧客分析について言えば、まず既往先のバランスシート分析を行いたい。これは従来の信用リスク分析の延長線上にある作業である。せっかく信用リスク分析の見地からバランシートを見ているのなら、一歩進んで、把握出来た顧客の強み、弱みをコンサルに活かさない手はない。その際の要諦が少なくとも三点ある。まず第一に「実質バランスシート」から提案すること。簿価と時価の差額に着目し、例えば株式の含み益を使って低利資金調達を行うスキームの提案を行う等。第二に、勘定科目の数値推移から提案すること。異常値、飛躍値は何か事業上、財務上の大きな変動の反映であり、ニーズの源泉である。第三は、財務諸表の「注記」欄は商材の宝庫であり、子細に分析することである。
こうした取引先分析は、本部、各機能部、営業部店の共同作業で行うことが望ましい。「取引先戦略会議」とでも名づけられようか(金融法人営業では、実際の営業活動への展開が不十分ながら既に一部実施してきている)。そのイメージはこんな具合である。まず営業部店が当該取引先の概要と当行との付き合いのヒストリーを述べる。次に審査部が業界事情や当該取引先の特性、弱点などを述べる。そして各機能部がそれぞれの機能から見たアプローチ手法のアイディアを出す。こうして出て来たアイディアを実行する。営業本部がフォローアップと成果の総括を行い、次回の会議につなげる…。
当行はホールセールであり、金融法人顧客も事業法人顧客も抽象的なマスとしてとらえるのではなく、何地域、何業種の「〜企業グループ」単位で具体的に戦略を考えることが大切である。各企業グループ毎に、当行の得意分野とのマトリックスをつぶしてゆく作業をする。これが本部、営業部一体となったマーケティング活動であり、「この企業はこの切り口でのアプローチ如何?」を常に問いつつ「Plan、Do、See」を繰り返すことにより、「課題解決型投資銀行」としてのノウハウが蓄積される。
こうした個別企業分析のほかに、営業本部は、マクロ的な見地からの市場分析、マーケティングのテーマ探しを行うべきである。例えば、日本経済の現状からずれば、当面の営業課題は取引先のリストラへの対応であることは明らかである。企業の経営再生に必要な過剰設備・不採算部門の整理、高付加価値・高収益分野構築へのコンサルティングやM&A、海外撤退アドヴァイスなどをテーマにした営業活動を主導するのが本部の役割であろう。また、新規顧客の開拓についても、営業部店任せではなく、成長分野等の開拓すべきターゲットについてのマーケティングを営業本部が行うべきである。こうしたマーケティングには産業調査機能をフルに活用するべきである。
営業部店においても従来以上に顧客とのつきあい方、顧客戦略をよく考えながら営業することが求められる。各営業部店は、貸出と金融債販売以外で収益を挙げるための施策、具体的収支計画を持つべきである。また、期初に、取引先毎の「今期の重点事項」を作成、本部とそれを共有し、本部はその進捗をチェックする仕組を作ってはどうだろうか。取引先にも部店長から期初に、「今期の重点事項」つまり「今期当行は貴社のためにこんなサービスを考えている」ことを説明、アピールすべきではないか(部店長は単なる慶弔接待要員であってはならない。自部店の将来ヴィジョンを示してリーダーシップを発揮するとともに、顧客とのつきあいの中で具体的な商材の掘り起こしができないような部店長は必要とされない)。
貸出周辺の非金利収入の充実
貸出周辺のフロービジネスは、従来の商業銀行のカルチャーからも入り易く、将来性もあり、大いに注力すべき分野だと思われる。実際、非金利収入の比率の高い米銀の「非金利収入」勘定の内訳を見ても、実はデリバティブやトレーディングの収入が主たる項目ではなく、自行のカードローンや不良債権の証券化に付随した貸出関連手数料が太宗を占めているのである。我々も、貸出のコミットメント料(含む当座貸越)、シンジケート・ローンの組成手数料、自行貸出債権の流動化鞘、デリバティブ内蔵貸出のデリバティブ鞘などの獲得を意識した貸出業務運営を展開すべきである。
証券化業務の方向性
日本における金銭債権証券化業務の最大の課題は流通市場の形成であろう。現状、投資家は貸出資産を購入しても転売が出来ず、これでは長期貸出、リースなど長期の金銭債権の買い手は増えない。第三者対抗要件といった法制度の手当はできつつあるので、あとは妥当なプライスでマーケットメイクできる仲介業者の出現が待たれる。当行は、かつて国際優良機関向け円ローンの流通市場での仲介を行った経験があり、かつ証券化のオリジネーションでは相当の実績を積んでおり、自行が保有する長期貸出を流動化するニーズも高い。また近年はクレジット・デリバティブの発達にも促されて「既発貸出」のプライシング・スキルも確立されつつある。以上の背景から、当行こそが日本における貸出など金銭債権の流通市場の創出、マーケットメイクを目指すのにふさわしいと思料する。日本におけるローンのセカンダリー・マーケットの主要マーケット・メーカーたりたい。
次にジャンクボンド市場の創生も大きなテーマである。日本におけるジャンクボンド市場の開発―これこそ中堅・中小企業の為の投資銀行業務の極めつけである。即ち、米国でかつてマイケル・ミルケンらが創造したジャンク市場を日本でも作ることである。もちろん、ミルケンのように欲の皮が突っ張ってしまって不正行為でお縄を頂戴するようではいけない。しかし彼の開拓者精神と着眼の素晴らしさは大いに見習うべきである。もちろんこうした市場ができれば、自行の中堅・中小企業向け投融資を流動化することもできる。まずはオリジネーションから始め、ジャンク債マーケットメイクを志向するヴァイタリティに満ちた新興証券会社とも連携して市場を作って行きたい(プリヴェ・チューリッヒ証券、アクシーズ・ジャパン証券などがこうしたジャンク債マーケットメイクに名乗りを挙げている)。
ジャンクボンドと同じく、広範な投資家のカネを導入したい分野が、不良債権ファンドである。アジアもの不良債権も含めて小口証券化し、広く日本国民や海外投資家に保有してもらう。マクロ的にもこれが最上の不良債権対策、金融安定化策である。個人投資家が買い易いように、郵便局でも販売するようにし、税制優遇もしたい(マルユーまたは十五%源泉分離課税等)。信用補完などの投資家インセンティブを付与してもいいだろう。既に当行は、地銀などからの不良債権の買取り、それに伴うデユーデイリジェンス業務、アドヴァイス業務では相当の実績を積んでいるし、子会社でサービサー業務も開始する。あとは上述した公的サポートを得て不良債権をファンド化し、これを購入する投資家を開拓することと流通市場を創生することが課題となる。
不動産分野での投資銀行業務
当行は伝統的に不動産に強く、不動産、建設業界の大手企業とは大半取引関係を有し、各種不動産プロジェクトにも深く関わってきた。また、不動産証券化の分野では、早くから米国の手法紹介、理論の展開を行うとともに、新宿における国鉄清算事業団の持ち分転換権付ローンの支援、初の国内完結型不動産証券化商品の開発など実績を積み重ねてきた。日本の不動産市場は依然機能が衰弱した状況だが、本来は、都市機能の充実、より良い住環境の創生、自然環境の保護・育成など、日本が二十一世紀に向けて取り組むべき不動産関連の課題は多いはずである。
我々は、従来培ってきたノウハウを活かして、取引先の保有不動産の活用、処理のプロセスに積極的に関与してゆくと共に、PFIの主導、ノンリコース金融の組成、不動産証券化のオリジネーションと証券化商品の販売ネットワーク拡充など、社会基盤整備を円滑に進めるための不動産金融手法の開発、実践で日本のリーダーたりたい。
デリバティブ業務・資本市場業務
当行のデリバティブ業務は、近年の格付低下で様々な制約を受け、また人材の流出もあったが、それでもまだ、フロント(ディーリングと営業)、ミドル(リスク管理)、バック(事務、法務)、R&D(商品開発、数理)の各部門いずれも相当の実力を残している。ALMと連携して安定的に収益を挙げているディーリング部門、優れたニーズ把握力とそれに基づく「かゆいところに手が届く」サービスを提供している営業部門、外部監査のお墨付きも得たレベルの高いリスク管理部門、外部からの受託事務も請け負うノウハウを持つ事務・法務部門、クオンツ(金融数学、テクノロジー)のスタッフが充実し、高度な数理解析力と新規分野に対する柔軟な対応力を有する商品開発部門…。これら各部門一体としての市場価値はまだ相当高いものがある。
デリバティブ業務の今後の方向性は、引き続きコンサル力を強化することと、実需に根差した高度なリスクヘッジ商品を開発、提供することである。株価リスクのヘッジ商品はもちろんのこと、例えば、気象、地震等イベント・リスクのヘッジ商品には大いにニーズがありそうである。資本市場業務は、公共債セールスを投資家の顔つなぎ商品として使いつつ、目指すべきは、ユーロ債や私募債といった箱にデリバティブや証券化スキームなど収益性の高い仕組を載せた特注商品のオリジネーションとセールスである。
トレーディング業務の位置付け
よく日本のマスコミは、日本の銀行や証券会社は外資系業者に比べ「金融技術力に劣る」と言うが、これは正確な言い方ではない。例えばデリバティブの技術・知識についての「勉強」は、大手銀行では外資系と比べて劣後してはいない。問題は、合理的リスク管理を前提に、「実際に」マーケット・メイクする「度胸」が組織として無いことにある。いくら知識は身につけていても実際にみずからパイオニアとなってリスクを取り、市場形成する努力をしなければ、いつまで経っても新しい金融商品は市場に登場しない。日本の金融機関はよく勉強はするが、パイオニア精神に欠けるのである。トレーディング業務の意義は、日本の金融機関の苦手とする「合理的管理に裏付けられたリスクテイク力」を組織として涵養することにある。
いくら商品開発力があり、営業が顧客を見つけて来ても、ポジションをとり、市場リスクをとり、プレーンな商品で効率よく収益をあげつつ、複雑な商品や目新しい商品を損を出さずに在庫管理するスキルがなければ、投資銀行は「絵に書いた餅」にすぎない。セールスとトレーディングは投資銀行の車の両輪であり、トレーディングは、メーカーで言えば「工場」にあたる、投資銀行の生命線である。トレーダーの動機づけや評価もこの基本から出発しなければならない。インセンティブ・ボーナスや出来高制の導入だけではトレーディング業務の正しい運営はできないだろう。自行ALM、顧客の資産運用を含む広義のトレーディング力(ポジションをマネージし、収益を挙げる力)は、投資銀行業務を推進する基本である。トレーダーのインセンティブも、自分たちのオペレーションが当行存立の根源であるとの自覚と誇りにこそ求めるべきである。
(一九九九年八月五日)
(続く)