次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・1999年〜2000年編」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

日本型投資銀行とは何か(承前)

 

X 組織戦略

 

分社化について

 分社化は、原価計算上のバーチャルなものでよい。しかしそれは、経営資源を効率的かつ公平に配分する為に、整備され、常に営業の第一線まで開示され共有されていなければならない。どの部門、部店がどれだけリスクをとり、収益を挙げているか、情報の共有が必要である。

 一方、物理的な分社は当行の規模では不要であり、過去の失敗が分社不可を雄弁に訴えている(例えば、かつてのノンバンク三社の暴走や、分社経営者の特異なキャラクターで勝手に「独立」してしまい、本体の営業に協働せず「役立たず」に陥っている信託子会社や総合研究所を見よ!)。組織は、営業部門を核として、できるだけコンパクトにまとまっているべきだ。それが当行の「強み」の一つである「機動力」を発揮できる最善の組織のあり方である。

 一九九〇年代後半の「金融法人営業部門の強化」は、当行の営業政策の歴史の中で最も成功した施策のひとつであり、かつ、あるべき組織の姿を示唆している。本体の金融法人担当と証券子会社とに資金調達営業が分断された長銀では、機関投資家向けの力強い一体的な営業が展開できず(証券子会社が金融債の販売を任されたため、本体の金融法人営業が弱体化した)、資金繰りが窮する原因のひとつとなった。当行では、証券子会社を作らず、その分本体の金融法人営業に人材を投入し、顧客本部である営業企画第一部が、行内諸機能を金融法人営業部門に結び付ける努力を精力的に行った。その結果、IRから短期資金から金融債販売から債券流通市場情報の提供からデリバティブから不良債権の買取から海外撤退の指南に至るまで、首尾一貫して金融法人営業ラインが主導し、機関投資家とのパイプを維持できたのである。

 自分自身の経験からも「小回り、機動力が効く組織の利点」を強く感じたのは、デリバティブ内蔵定期預金の開発をしていた時である。伝統的商品である定期預金と新しい商品であるデリバティブの複合商品を作る場合、内部でいろいろな部署に根回しが必要となるが、ある都市銀行のデリバティブ担当者と情報交換してわかったのは、根回し必要部署の数が、当行と都市銀行とでは倍くらい違うことである。

 このように、都市銀行のような巨大組織では物理的な分社化が意味を持つが、当行には不要であるのみならず害悪になる(ただし、繰り返しになるが、部門毎のリスク・収益把握、きちんとした原価計算は必須であり、かつその情報を営業の末端まで共有すべきである)。仮にファイヤーウオールの都合などである部門を別会社化しなければならない場合も、グループ力の発揮、戦略の一貫性を確保するために、関係会社は基本的に一〇〇%子会社とすべきである。最近、ソニーが、収益の出ているエンターテインメント部門の上場三社を一〇〇%子会社化することを決めたのもこうした企図によるものである。「関係会社に自主性を持たせる」などということは経営上全く意味をなさない。本体と無関係に自主運営する会社の株を保有する意味は(純投資の見地以外には)無いのである。一方で、中高年の受け皿として本体に依存するだけの関係会社を保有する余裕も当行には無いはずである。

 

企業文化、人事評価

 「行員一人一人の高い素養」を生かしたリベラルの伝統を磨き(ノルマ主義やスパルタ主義の排除)、「機動力」を生かすための「協働」に最大限の価値を置きつつも(セクショナリズムの排除)、組織の目標と結果に対する評価を明確化し(官僚の作文のような業務運営計画は不可。今期どんな業務でいくらのROEを実現するのか、具体的な組織目標が必須)、それを行員が共有し(業務運営計画に対する実績評価を公表する)、馴れ合いや許し合いのない競争的風土を醸成する――当行の企業文化の長所を生かした「強い組織」作りの要諦はこのようにまとめることができるだろう。

 当行行員も含めた日本人の一般的な企業観は、「企業は売買すべき対象物にすぎない」という了解ではなく、「企業は利害のみならず志をも共有する人間の共同体である」という実感である。その雇用観は、「雇用とは労働の対価を受け取る労使契約にすぎない」という了解ではなく、「雇用とは自らの生きがい(の少なくとも一部)を実現すべき場への参画」という考えが強い。こうした日本人のモラールを否定的にとらえる主張が近年非常に目立つが、どれだけ自分の頭で熟考した末の主張だろうか? ただ米国の流行を追いかけるだけ、或いは経済マスコミの論調に追随するだけでは自己を喪失してしまう。短所があるからと言って自己否定ばかりしていては長所すら無くしてしまうことになるだろう。我々は周囲の言うことに右往左往せずに自らの個性を冷徹に見据えて企業経営すべきである。

 当行の行員も、組織運営に参画することへの熱望を持ち、企業へのコミットメント、思い入れが強い。また、その能力、素養は、比較的均質でレベルが高い。我々は行員の自然なモラールの高さと均質的な能力の高さを活かした人事制度を作るべきである。例えば人事評価の方法としては、長期的視野での人の評価、断片的になりがちな実績評価だけではなく全人的な能力評価の併用、固定した組織を前提にした機械的な職能評価ではなく柔軟な役割設定を前提とした評価が用いられるべきである。何百ページにもなるような詳細なジョブ・ディスクリプションは不要である。

 一方で、人事評価の公開、ガラスばり化や業務毎の評価基準の明確化(詳細化ではない)は徹底的に行うべきである。経営の姿を正しくディスクローズし、行員の高い経営参画意識を活かし、大いに議論することを当行の企業文化にしたい。率直に部下と人事評価について語り合うオープンさがあった方が良い。「知らしむべからず」の人事は人を徒らに疑い深くするか極楽とんぼにするかに陥り易い。

 長期的視野での評価、全人的な能力評価、柔軟な役割設定を前提とした評価は、単純な短期実績主義での評価と異なり、部下に対して具体的な評価を言葉で言い表しにくいかも知れない。しかし判断を停止してはいけない。評価はきちんとすべきだ。特に業務実績はきちんと具体的に何が達成出来、何が駄目で、その要因は何かを伝えるべきである(そもそも官僚の作文のような期初業務計画は不可。今期この業務でいくらのROEを実現するのか等、具体的な組織目標群が必須である)。目標と評価を上司と部下が共有することによって、緊張感の高い組織を作ってゆきたい。評価をあいまいにして(あるいは知らせずにおいて)多くの行員がぬるま湯につかっているような心理状態にしてはいけない。馴れ合いや許し合いは排除しなければならない。

 当行の強みは弱みでもある。それは均質ゆえの弱さである。即ち、仲良しクラブに安んじて緊張感が欠如しがちである反面、一方向へ突っ走り易いといった点である。一時期かなりの規模で行なった中途採用は、異質の存在を組織に取り込めるかが問われたわけだが、一部は根づいたものの多くの人は再び他所へ去って行った。我々には「異能」を活かす度量と工夫が必要である。組織への帰属意識は低いが専門分野での抜群の能力を有する人を活かす人事コースを整備することも必要であろう。業務柄営業まわりの部署より評価の難しい本部、機能部の評価は、営業部店からの評価も参考にすべきかも知れない。組織全体に緊張感を保たせるために、外部(顧客、市場、地域社会、一般大衆)からの評価を重視した業務評価システムができないか検討してみるべきであろう。

 いずれにせよ、基本的には、当行は行員の高いモラールと素養を前提にした性善説人事管理をすべきであり、締め上げや恐怖による管理では行員の力は出ない。こうした考え方による組織運営の一つの参考事例を挙げよう。

テルモの和地孝社長は一九八九年に富士銀行から同社へ転じた。ワンマンの前社長のため「社員が萎縮している」と感じた和地社長は、従来と正反対の「語りかける経営」を実践、全国の職場−それもあえて地味な職場を狙って行脚した。また、五五〇〇人の社員全員に目を向けていることを示すために、働く社員の姿を紹介する四十巻に及ぶ社内ビデオニュースの編集を指示した。

テルモには能力給や年俸制はない。「やりたい仕事を納得してやれば、すごいエネルギーが発揮される」というシンプルなポリシーを追求する。今春には、社員が各部門の募集カタログを見て好みの職場に応募出来る社内公募制を採用、年間千人が動く人事異動の根幹に据えた。「米国の会社と違って日本の会社は制度を整えただけでは動かない。日本の社員はお金だけでは本気で働く気にならない」と和地社長は語る。(一九九八年五月三〇日付日本経済新聞「新しい会社」より)

 

人材育成、研修プログラム

 当行は人材育成をオン・ザ・ジョブに依存しすぎている。若手か否かを問わず、新規の業務に携わる時と一年程度経過した時には日常業務を離れた集中研修が必要である。融資・審査の初級研修や市場業務の基礎研修は毎月実施すべきである。そして基礎研修を土台にして、各業務毎のプログラムが定期的に実施されることが望ましい。業務の基礎的な事項は電子掲示板に張りつけておいて各行員に勝手に勉強させればよい、という無責任なやり方は即刻やめるべきだ。少数の行員を「精鋭」にするには彼らにたっぷりと栄養を補給しなければならないのは当然である。

 このほかに、当初、意識改革のためにも、商業銀行家を投資銀行家に改造するための「当行マン大改造講座―実践投資銀行業務研修―」を開設したい。事業法人担当は大企業コースと中堅中小企業コースに分け、それぞれの市場における「課題解決型投資銀行」のありかたを学び、金融法人担当は、金法ネットワークを単に金融債消化だけにとどめず、多様な証券・デリバティブ商品をセールスできる営業マンに改造することを目的とする研修である。部店長層も対象とし、証券会社始め外部への派遣、見学も大々的に併用したい。

 今後の研修は、取引先の実例や成功事例、失敗事例など、ケーススタディを数多く取り込み、机上の知識でなく、営業に即役立つ内容にするべきである。投資銀行業務に軸足を置いた興銀の新しい若手養成プログラム(一九九九年四月一五日付「銀行新報」参照)に負けない内容の若手養成プログラムを作りたいものである。

(一九九九年八月五日)

(続く)