アメリカ合衆国を考える〜T
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自由とアメリカン・ドリームの国である一方、徹底したマキャベリズムの国でもあるのがアメリカである。近代史上、アングロサクソン(米国・英国)と軍事的、政治的、経済的に競合・対立して勝利した単独民族はない。スペイン、オランダ、ナポレオンのフランス、カイザーとヒトラーのドイツ、戦前の日本、戦後のソ連と、アングロサクソンが敵対勢力に勝利してきた歴史が近現代史だと言ってもいいほどだ。一九七〇年代のヴェトナムとともに、一九八〇年代に日本の製造業は例外的にアメリカに勝利を収めたが、その後アメリカは製造業をあきらめ、金融産業、情報産業での優位を通じてアメリカに流入するカネの流れの固定化し、半永久的な経済覇権構造を築こうとしている。この試みは成功するのだろうか。唯一の超大国アメリカはどこへ行こうとしているのか。「パックス・アメリカーナ」の世界はどうなって行くのか。我々はこの超大国とどうつきあって行くべきか。
こうしたことを考える時、日本人のアメリカについての知識は意外と底が浅い。アメリカの「はやり物」についての情報はほぼリアルタイムで入手できるが、アメリカの歴史や思想について、我々はいかほどを知っているだろうか。孫子が忠告するように、我々は、自分たちの運命に重要な影響を持つかの国をもっと戦略的な見地から知らなければならない。
夏のある日、僕は、アメリカ合衆国の原点を考えるために、独立期の英雄たちの残した言説や、トクヴィルの「アメリカにおけるデモクラシー」を読もうと思い立った。ジェファーソンやハミルトンら「独立の父」たちの言説は、情熱的でいてしかも現実的であり、政治の生きた教科書になる興味深いものであった。一方トクヴィルの著書は、フランスの若い貴族が、独立後半世紀を経たアメリカを九ヶ月にわたって旅行し、その政治、社会を観察した記録である。トクヴィルは、アメリカのデモクラシーの表裏を洞察し、我々デモクラシーの民が保つべき視座を提供してくれる。こうした「アメリカを知るための古典」を読み解いてゆこう。
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まず、アメリカ独立宣言の起草者にして第三代大統領であるジェファーソンの言説をひも解いてみよう。肖像画に見る彼の面構えは、きりっとくちびるをひきむすび、理想に燃える熱情と鋼鉄のような意志の強さを感じさせるのであるが、実際、彼の言説は、「自治」と「共和制」への強い意志に貫かれている。たとえ戦争という非常事態にあっても議会の権限を一人の人物に委譲してしまうことは絶対不可であり、「共和制の政府は最も厳しい試練に対処しても充分にやってゆける」と説く。その困難への覚悟は立派である。ジェファーソンの毅然とした信念は、「私は、静かに黙っている奴隷の制度よりも、騒々しく危険を伴う自由を選びたい」(マディソンへの手紙より)という言葉に端的に表れているが、信教の自由や小さな政府の主張もおよそ徹底したものである。ジェファーソンはまた、古きよきアメリカの独立精神と勤勉主義の徒である。彼は、天と自分の土地と勤勉だけを頼りとして生きる農民を礼賛し、商業を徹底的に軽蔑する。
「自分の生存を顧客の気まぐれに依存せしめている人々は、阿諛や金銭絶対主義を生み、徳の胚胎を窒息させ、野心のたくらみに都合のよい手先を生む。…(中略)…ひとつの共和国を生き生きと保つものは人民の態度と習俗である。(商業のような)これらの堕落は、共和国の法律と憲法の中枢にまで食い入る潰瘍である。」(「ヴァージニア覚書」より)
これを、情報産業や金融業を基盤とする国家に変容しつつある現代アメリカの人々はどう受け止めるか。時代遅れの農本主義と決めつけられるだろうか。
熱情家である一方、ジェファーソンはクールな観察眼で人間と政治を懐疑的に見ることを怠らない。例えば、選挙によって選ばれたアメリカの議員たちが、ヨーロッパ大陸の政治家たちのように権力を濫用したり汚職にまみれたりしないという保障はどこにもない。
「人間性は、大西洋の向こう側とこっち側とで、異なるものではない」「議会が政府の全部を押さえてしまった後では、議会は定足数を勝手に決める権利を有するから、その定足数を一名にしてしまうことがあり得る」(以上「ヴァージニア覚書」より)
後のファシズムや共産主義国家が「民主主義」や「共和国」を名乗ったことを考えると、彼の懐疑は全くもっともであり、立法府の専横を防ぐために三権の対等性と相互牽制には充分意を用いなければならず、それが保障されないなら人民に革命権がある、との彼の主張は充分首肯できる(戦後日本のデモクラシーでは、立法のほとんどを行政府の使用人にすぎない官僚がやっている。これをジェファーソンが見たら「日本はデモクラシー国家にあらず、官僚独裁国家だ」と言うだろう)。
ジェファーソンは民主政治におけるリーダーの重要性も見逃していない。彼は、フランス革命の主体であった都市下層民の資質を政治の担い手としては肯定的に見ておらず、普通選挙を良しとしながらも大衆民主主義を想定せず、「自然な貴族」という言葉で彼が表現する、徳性と才幹を有したリーダーに政治が導かれることを期待しているのである。
僕は、政治家ジェファーソンの理想主義の熱烈さと現実主義の賢明さに敬意を表するが、彼の著作を読んで、また、もうひとつの感想を持った。それは、彼を独立へ駆り立てている情熱の源泉がアメリカ人の強烈な経済的欲望にあることだ。例えば、ジェファーソンの「イギリス領アメリカ人の権利の要約」は、イギリス本国のアメリカ植民地への圧迫に抗議し、アメリカ各植民地がイギリス本国と対等の地位にあるべきことをヴァージニア植民地議会で決議するための決議案文として書かれたものであるが、これを読んで僕が強く感じたのは、自分たちの経済的利益が侵害されることに対するアメリカ人の強い憤り、欲望の達成を妨害する者への彼らの激しい怒りである。当時イギリスはアメリカ植民地に対して、第三者との自由貿易の制限、アメリカからイギリスへの輸出品への関税の賦課、農産物、毛皮、鉄の加工禁止などを次々と立法化していた。イギリスは、アメリカ植民地が自分たちと同等の経済力を身につけるのを嫌い、それを高圧的に押さえつけようとしたのであるが、これに対する植民地側の反発はイギリスの予想をはるかに上回るものであった。このアメリカ人の経済的欲望の強さを読み間違えて、イギリスはアメリカ植民地を独立へ駆り立ててしまった、といってもよい。アメリカは源初から「メイク・マネー」の国だったのである。
アメリカ人の経済的欲望の強さ、それを阻害された時の怒りのすさまじさは我々も肝に銘ずるべきである。ジェファーソン起草の有名な「独立宣言」に言う「幸福追求は人間としての自然権である」といった高邁な普遍論も、むしろ目の前の経済的利害を正当化し美化するために付加されたもの、といった印象が強い。「独立宣言」は、高邁な人権論だけでなく、アメリカ人の経済的利益を侵害するイギリス国王の「悪業」をこれでもかこれでもかと書き連ねた執念深さにこそ着目すべきである。
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独立期アメリカの最も偉大な著作は「ザ・フェデラリスト」だと思う。そこに見る冷静な人間観察、共和制における「統治」の困難さを自覚した上での実用的な処方は、現代でも優れた政治の教科書たり得る。「ザ・フェデラリスト」の三人の著者、ハミルトン、マディソン、ジェイが、歴史をよく知っており、歴史的教訓から学ぼうとする態度も素晴らしい。政治はまさにこうした態度、発想で思考されるべきである。本書の特色がよく顕れている箇所をいくつか見てみよう。
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まず、この著書は、甘言を弄し、人民に取り入ろうとする政治家の危険性について注意を促す。「歴史の教えるところでは、人民の友といった仮面の方が、強力な政府権力よりも、はるかに専制主義を導入するに確実な道程だったのである。事実、共和国の自由を転覆するに至った連中の大多数は、その政治的経歴を、人民への媚びへつらいから始めている。即ち、扇動者たることから始まり専制者として終わっている。」(「ザ・フェデラリスト」第一篇)
ヒトラーや共産主義者が、当初どんなスローガンを掲げていたかを想起すれば、この言葉がいかに人間と政治の真実を衝いているかがよくわかる。むしろ、人民に耐乏や我慢を説く厳しい顔の政治家の方が、本当に人民のことを考えているかも知れないのである。
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アメリカの国際政治におけるマキャベリズムも極めて冷静な人間理解に基づいている。「人間性にとって何とも不名誉なことだが、一般に国家は、戦争によって何事か得るところがあると予期できる時には、いつでも戦争に訴えるものである」(「同上」第四篇)
この言葉などはまさにリアリズムの極致だ。アメリカの建国者たちは決して甘っちょろい平和主義者などではなかった。彼らは国防を政治の最重要課題とし、国際社会を徒手空拳で乗り切れるなどとはさらさら考えない。彼らは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)したりはせず、まして「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(日本国憲法第九条)ことなど絶対にあり得ない。アメリカ自身、「戦争によって何事か得るところがあると予期できる時には」、ハワイを併呑し、フィリピンを奪うことに何ら躊躇しなかったのである。
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国内の統合と国民の団結は、他国に侮られないために必要不可欠である。「もし我々が有効な政府を持たないか、或いはアメリカが三ないし四の独立した、相互に対立する共和国に分裂し、一つはイギリスに、他はフランスに、第三のものはスペインに傾くということになり、これら三国によって互いに敵対するように操られるということにでもなれば、アメリカはいかにも哀れむべき国として諸国の目に映ずることあろう。もしそうなれば、アメリカは諸外国の軽侮の的となるのみならず、侮辱をも受けかねないことになろう。」(「同上」第四篇)
重要な政治的課題について、優れたリーダーシップが発揮されず、理性的で骨太で歴史の教訓を踏まえた議論がなされず、国論がいつも二分三裂し、曖昧な「空気」で事が決せられる日本は、戦前も戦後もアメリカに侮られ続けているといってよい。
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人民の自由を守り権力の専横を防止するにはどうべきか。これも建国時アメリカの重要なテーマであった。これに対する本書の回答も極めて冷静な人間観察に基づいている。「単なる憲法成文上の宣言をもってしては、政府各部門をその法定の権限内に抑制しておくには不十分である」(「同上」第四十九篇)
「外部からの抑制方策は全て有効でないことが判明した以上、政府を構成する各部分が、その相互関係によって互いの領分を守らざるを得ないようにするしか手段はない。…(中略)…野望には野望を以って対抗せしめなければならない」(「同上」第五十一篇)
権力の分割と相互牽制の思想は、性悪説の人間観から来ているのである。「人間が天使のような存在なら、そもそも政府などというものは必要ないであろう」(同上)という観察から、各権力を相互に競わしめ、抑制せしめるという三権分立の仕組が作られるのだ。
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官僚がほとんどの立法を実質的に取り仕切っている現代日本と異なり、当時のアメリカは立法府に比して行政府の力が弱く、民主的な諸権利との調和を図りつつ行政府をどう強くするかが本書の著者たちの問題意識であった。「行政府を強力たらしめる要素としては、第一に単一性、第二に持続性、第三に適当な給与上の措置、第四に充分な権限があげられよう。これに対して自由や権利の安全性を保障する要素として、行政部が、第一に人民にしかるべく依存していること、第二に人民に対してしかるべき責任を負っていることがあげられよう。」(「同上」第七十篇)
こうして「四年任期で強大な権限を有し選挙で選出されるただ一人の大統領」が生まれた。当時の多数意見は複数行政官制や行政監察官制度を是としていたが、ハミルトンらは、行政府は意思決定の機関ではなく立法府によって決められたことを執行する機関であるから、単一者にしないと権限の奪い合いや責任のなすり付け合いで国政が滞り、人民へのアカウンタビリティも落ちるとした。また、任期が短いと、行政責任者は十年先を見て仕事をしようとせず、その場を取り繕って問題を先送りしたり、自己の信念を貫くより人民に迎合して得点稼ぎばかりしようとしがちである。人民は誤ることがあり、リーダーは時に大衆の誤りを諭し毅然として自己の信念を貫徹しなければならないことがある、と本書は言う。これらも人間や権力への優れた洞察である。
翻って日本の行政トップたる内閣総理大臣はあまりに任期が短く、かつ、行政官僚組織が強固にタコツボ化して縄張り争いと責任のなすりつけ合いに終始し、首相がそれを統御できていない状況ではないか。首相の責任と権限をもっと大きくして、彼(または彼女)を官僚の御輿に担がれたロボットでない、中長期のヴィジョンを火のような情熱で実行する存在に変える必要があるのではないだろうか。いずれにせよ、単に仕組としての「三権分立」や「大統領制」を理解するだけでは本当のアメリカの政治を理解することはできない。それらの仕組が生まれた背景に、いかなる人間観察、いかなる権力への洞察が存しているかを理解することが重要である。
著者のひとり、マディソンの肖像画を見ると、芯の強い、百戦錬磨のしたたかな政治家といった面構えである。何と見事な人間観察者であり、ぬかりのない政治機構の設計者であろう!
(一九九九年一二月一日)
ジェファーソン(一七四三年〜一八二六年)
ヴァージニア州の辺境開拓者の家に生まれる。初め弁護士となり、やがて地方議会に入り、政治の世界に踏み出す。そこでパトリック・ヘンリーに会い、その革命的情熱にうたれ、英国のくびきを脱し、自由と独立を求める信念を固める。生来の文才を活かし「独立宣言」を起草して世評を高める。州知事、国務長官等を経て、一八〇一年第三代大統領就任。ルイジアナ購入など実績を挙げ一八〇九年に引退。
ハミルトン(一七五七年〜一八〇四年)
西インド諸島出身。独立戦争時、ワシントンの副官として活躍。戦後ニューヨークで弁護士を開業。三十三歳で初代財務長官となり、保護貿易主義と工業の育成を図る。だが北部に有利なこうした「連邦派」流の政策は、ジェファーソンら南部の「分権派」の反発を招き辞職。一八〇四年、政敵との決闘で死亡。
マディソン(一七五一年〜一八三六年)
ヴァージニア州の裕福なプランターの家に生まれる。州議員、国会議員、国務長官を経て、一八〇九年に第四代大統領就任。一八一二年〜一八一四年の第二次対英戦争を遂行。多くの政治論文を残した。
ジェイ(一七四五年〜一八二九年)
ニューヨークの豪商の家に生まれる。独立戦争後の対英和平交渉アメリカ代表として活躍。初代連邦最高裁長官、ニューヨーク州知事を歴任。
〈参考にした文献〉
世界の名著
第四十巻「フランクリン、ジェファーソン、マディソン他、トクヴィル」松本重治編(中央公論社)