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「古典派からのメッセージ・1999年〜2000年編」目次へ戻る
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アメリカ合衆国を考える〜U

 

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 次にトクヴィルの名著「アメリカにおけるデモクラシー」に進もう。九ヵ月にわたりアメリカ各地を探訪して、トクヴィルが最も賛嘆したのはアメリカ人の自治の精神である。自治の精神は、教科書や思想書から学ぶものではなく、必要だったから自然に発生したのである。トクヴィルは言う:――

「政府が口出ししない結果、個人が自分自身で何でもやる習慣がつく。他からの助けを求めず、自分で考え、自分で対処する。大学、病院、道路などを作ろう、改良しようとする時、政府に陳情することなど考えもしない。計画を発表し、自分で実行に移し、他の人々の援助を求め、困難を乗り越えるため一生懸命働く。実際には、政府に任せておいた方が効率的かもしれない。しかし大きな目で見れば、こうした個人の自助努力から得られる総合的な恩恵は、政府が介入する場合をはるかにしのぐ。さらに、こうした習慣が人々の公的私的な習俗に与える影響を考えれば、多少の非効率を補って余りあるだろう。」(阿川尚之「トクヴィルとアメリカへ」に引用されたトクヴィルの手紙より)

 「法律によって与えられた参政権を、住民がいやいやながらとしか見えない態度で受け取る国」(トクヴィル。以下の引用も同様)とは正反対に、あらゆる人々が政治的活動に参画しようとする「騒々しくも自由な社会」を見事な筆致で活写し、トクヴィルは、人々の自主独立の精神が「あふれんばかりの力」を社会に生み出すことこそデモクラシーの最大の長所であるとする。実に正確な見立てである。

 「公共の利益に奉仕することは自分の時間を奪われる」と考え「狭い利己主義の中に閉じこもり」がちな現代日本人は、アメリカ的自治の精神から最も遠い存在である。それというのも、戦後のデモクラシーが自ら勝ち取ったのではなくGHQから与えられたものだからで、借り物のデモクラシーに愛着が湧かないのは当然である。「自主憲法」制定に本気で取り組まない限り、日本人に自主独立の精神は育たず、日本に本当のデモクラシーは発現しないだろう。

 アメリカでは人々は裁判さえ自分たちの手で行う。陪審員制度がそれである。この制度も人々の自治精神涵養に大きな意味を持つと、トクヴィルは次のように言う:――

「陪審制度が果す政治的役割は非常に大きい。人々に、自分たちの問題を自分自身で解決することを教え、社会的解決を自分自身の仕事と見なすようにさせる。司法権の行使を外部の人間に委ねきり、司法府が人々から遠いものになるのを防ぎ、特に政治的問題を解決するのに有益な大きな力を、司法に与える。」

 

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 このように、アメリカ市民の自治精神に共鳴しつつも、トクヴィルは市民に「無限の可能性」など見出しはしなかった。彼の現実を見る目は、そんな歯の浮くような空想を許すにはあまりに冴え渡っていた。偉大なフランス貴族の精神を引き継いだ彼には「市民」の素養の限界は明らかであった。市民は、本当に自分たちのことを考えてくれる良心ある政治家と、単なるご機嫌取りの区別がつかない。だから「あらゆる種類のいかもの政治家が民衆を喜ばす秘術をよく心得ていて、本当の民衆の友たちはたいていの場合民衆を説得するのに失敗するのである」。トクヴィルは、普通選挙によって選ばれた下院議員たちの多くがとてもその任にふさわしい者ではなく、選挙民におべっかを使い、大衆と交わり一緒に酒を飲んで議員に選ばれた類であることに嫌悪の情を隠さない(ただし彼の慧眼は、デモクラシーの衆愚政治化に対する牽制として、間接選挙で慎重に選出される上院議員と終身身分を保証された裁判官の「崇高さ」や「貴族性」がアメリカ社会の堕落を救っていることも見逃していない。また、市民は、一旦衆愚的で誤った判断をしても時間が経てばその害悪を悟り自ら改める場合もあることを否定しない。「アメリカ人の大きな特権は失敗の矯正が可能なこと」なのである。クリントン大統領の女性スキャンダルも、時間と共にどうでもいいことだとアメリカ市民は悟ったようである)。

 トクヴィルは、ジェファーソンやアダムスなどアメリカ建国世代の人々の偉大さと半世紀経った当世代の矮小さを対比してこう述べる:――

「文明が広まるとなぜ抜きん出た人物が少なくなるのだろうか。下層階級が消滅すると、どうして優れた階層も姿を消さねばならないのだろうか。アメリカはこうした疑問を提示するがその答えはまだ見つからない。」

デモクラシーを人類の発展、進歩などと見るのは空想の産物にすぎない。せいぜいそれは、人々の活力が高まり皆が中流になることで、革命などの激変が起こりにくい社会を作ったにすぎず、その代償として、デモクラシー社会は、トクヴィルも言うように、貴族社会の持っていた「精神の高み」や「寛容」や「偉大な献身的行為」や「高尚な作法」や「花咲く芸術」を失うことになったのである。

 人々の均質化、総中流化は、かえって羨望の感情を助長する。デモクラシーが平等を謳いながらも平等は完全には実現せず「永遠に逃亡を続ける」からである。アメリカでは、多数の名の下でいつも執拗な嫉妬心が働いており、嫉妬の対象は上流階級の人士だけではなく、富、才能、働きによって自分たちの仲間から抜きん出た人にも及んでいる、とトクヴィルは述べる(デモクラシー社会の嫉妬深さについては、現代日本の週刊誌をみれば一目瞭然であろう。その誌面は、ありとあらゆる低劣な嫉妬心と覗き見趣味と人の足をひっぱろうという気分に満ち満ちている)。

 トクヴィルは、早くもアメリカ社会に見えてきた「多数の横暴」というデモクラシーの持つ宿痾を見逃さなかった。世論に対する隷従こそがデモクラシーが抱える最大の危険である。そこでは、数に左右されない正しさがあるという感覚が失われがちである。自由に物を考えているように見える人でさえ、無意識に多数派を意識し多数派に同調していることをトクヴィルは鋭く観察する。君主制の国では物理的強制が問題だが、デモクラシーの国では精神的強制が問題となる。そこでは、世論が人々に同じ考えをすることを強い、そうしないと異端児とされる。「アメリカでは精神がすべて全く同一のモデルに則って形成され、全く同一の道を辿る」。そこには真の精神の自由はなく、孤独で偉大な思想家、芸術家は出ない。リーダーの資質も低下しがちである。彼によれば、当時のジャクソン大統領などは「多数者の奴隷」であり、「多数者の意志、願望、本能に服従している」存在になり果てている。また、南部のある新聞記者が英国との戦争を批判した時、戦争を熱烈に支持する群集が激情にかられ、新聞社の印刷機を打ち壊し、記者を追いまわして殺害してしまうという事件が起こったことを、文字どおり多数の横暴の例として報告する。

 トクヴィルは、アメリカではジャーナリズムの権力が非常に強いことを見て、それが人民主権にとって必要なこととしているが、一方でジャーナリズムが「破壊好みであり横暴さを持っている」とし「出版は奇妙なことに善悪を混合して持っている異常な力である」とする。全く正しい観察である。僕はこうしたマスコミの力に抗するのは知識人の大事な役割だと思う。デモクラシーの世界で、多数意見に疑問を呈し、マスコミの高める市民の情緒のヴォラティリティ(=変動性)を下げるように努めるのが知識人の役割である。人々の頭を冷やし、みんなそう言うがもう一度よく考えてみようよ、と呼びかけるのが知識人の仕事である。マスコミがこれ見よがしに物事をセンセーショナルに報道し、特定の人やグループを断罪し、新しい流れに乗り遅れるなと煽り立てるのに抗して、歴史や古典の教訓を教え、自らのアイデンティティを思い出させ、冷静な判断を求めるのが知識人のあるべき姿である。流行の思想、考え方の尻馬に乗り、多数の流れを煽るのは単なる扇情家や売文家にすぎない。現代日本にはあまりにも知識人が少なく売文家が多い。

 さて、世論の支配する国アメリカの弱点はその世論にある。トクヴィルも、アメリカは貴族が統導する国家と異なり、一時的な愛国心は熱狂的だが、より冷静さと熟慮を要する長期の戦争には耐えられないと述べている。アメリカに戦争や論争で勝つには、アメリカ国内の世論を自国に有利になるように巧みに操作することが何よりも重要である。反戦運動が盛んになり、厭戦気分が充溢してしまったヴェトナム戦争がアメリカの敗北に終わったことは、我々の貴重な教訓になろう。また、トクヴィルも言うように、黒人と世界各国から流入してくる都市下層民の統御の困難さもアメリカの大きなアキレス腱である。この層に相応の富を配分できなかったり、反米的、反政府的思想を植え付けられたりするとアメリカは苦境に陥ることになろう。

 

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 「アメリカにおけるデモクラシー」第九章に、トクヴィルが西部開拓者に置き去られた集落跡にたたずみ、自然の豊かさと人間のはかなさに思いを寄せる一節がある。僕はこの部分を読んでいて、彼が無常のわかる人であり、感性の研ぎ澄まされた人であることに深く共鳴した。彼の鋭い観察、自由で公正な視点は、こうした彼の柔らかな人間性から発露したものだったのである。

 トクヴィルの考察は常に祖国フランスに思いを寄せながら進んで行く。例えば、北米大陸でフランス人植民者はイギリス人植民者に駆逐されつつあったが、その原因について彼はこう考える。北米大陸に渡ったフランス人はあまりに風土に溶け込みすぎた。彼らはインディアンを軽蔑し決して交わろうとしなかったイギリス人と異なり、インディアンと混血した。頑なに自分の習俗をどこでも押し通し、先住民を駆逐して西へ西へと進む強烈なエネルギーを持つイギリス人と違い、フランス人は土地の風俗に親しみ溶け込み、それ以上前へ進まなかった。これこそ彼らがイギリス人植民者に敗れ、わずかにカナダのケベック地方にフランス人のコミュニティを残しただけに終わった根本的な原因である、と。フランス人は、確かに、イギリス人と比べ、他の文明に対するシンパシーを持ちやすい良い意味での文化相対主義者だと僕も思う。

 トクヴィルは相次ぐ革命、反革命の連続で社会が混乱していた当時のフランスの現実を憂える。貴族の出身であった彼は、貴族が主導する社会と貴族文化の偉大さに深い愛着を抱きつつも、デモクラシーの進展、人々の平等化の進展は歴史的に不可避であると観じ、デモクラシーが極端に進んだ国アメリカを観察し、その善と悪を余すところ無く解明する。彼は祖国フランスの人々にイギリス系アメリカ人のデモクラシーを模倣せよと言っているのではない。「自由がどこにおいても同じ表現をとるとするならば、それは人類の大きな不幸」であるとして、文明の多様性を尊重する。デモクラシーが政治形態としては最も優れかつ普遍性を持つとしても、それは各文明の持つ独自の習俗によって変容を余儀なくされることを彼は充分わかっていた。しかし最終的には、祖国のあるべき姿として、デモクラシーの悪を最小限にとどめ、その善が支配する世界を次のように決然と希求する:――

「そこで私は次のような社会を構想する。そこでは全ての人が法を自ら作ったものとして愛し、それに服するのを少しも苦痛としない。また政府の権威は必要として尊敬されるが、神聖視はされない。国家の首長に対して抱く愛情は決して熱烈ではないが、理に適って穏やかである。各人は権利を持ち、それを保障されているので、全ての階級の間に男らしい信頼の関係が打ち建てられ、高慢とも野卑とも遠い、相互に対する一種の寛容が生まれる。民衆は自己の真の利益が何であるかを学んでいて、社会の福祉に浴するには義務をも負わなければならないと理解するであろう。…(中略)

 このように構成された民主的国家においては、社会は不動ではなく、社会の変動に節度があり、前進的であると思う。貴族制国家におけるほどの光輝は無くとも、貧困は少ないであろう。極端な享楽は見られまいが、福祉は一層広く行き渡る。知識の高さでは劣っても、文盲ははるかに少なくなるであろう。精気には欠けていても、習性は穏やかになろう。道徳に欠陥は目立っても、犯罪は減るであろう。

 熱誠と熱烈な信仰とには欠けるが、啓蒙と経験を積むから、市民は時折自ら進んで大きな犠牲を払うであろう。各々が等しく弱小であるから、同胞の等しく持つ要求に感じるところがあろう。そして、協力しなければ仲間の支持も得られないことを知っているので、自己のためにも私益と公益とが融合することを見出すのは容易であろう。国民全体としては光輝に乏しく、恐らく強力でもなかろう。しかし、市民の大多数は一層豊かな生活を楽しみ、人民は平和に見える。向上の機会に絶望しているからではなく、それらに恵まれていることがわかっているからである。」(「アメリカにおけるデモクラシー」序より)

この美しい文章は、我々日本人が自国のデモクラシーに対して臨むべき姿勢、心構えでもあろう。

 

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 さて僕はここで、アメリカ人が二つの民族に対して冒してきた罪に触れないわけにはいかない。即ち黒人とインディアンに対する罪である。特に黒人奴隷は、キリスト教が古代以来守ってきた「隷属の禁止」の教えを西洋史上初めて破るものであり、彼らのキリスト教信仰がいかにご都合主義か、エゴイズムに勝てない水準かをよく示している。リンカーンに先立って奴隷廃止を訴えたジェファーソンも、自身は黒人奴隷の所有者であった。白人の身内に対する「自由」や「平等」の麗しいヒューマニズムや人間的善意の陰に、他民族に対する独善と傲慢が頭をもたげている。トクヴィルは、法的には黒人奴隷が廃止されている諸州において人種的偏見は一層激しいと見ているが、これは今日なお正しい観察である。近年の黒人に対する各種の優遇は、裏を返せば偏見がそれだけ大きいことを示している。

 インディアンについては、イギリス系アメリカ人の「西部開拓」が、古代以来繰り返されてきたある民族による他民族への「侵略」のひとつ(それも歴史上まれに見る大規模なもの)として位置づけられるべきである。十六世紀のスペイン人による中南米侵略や、十九世紀の欧米各国によるアジア、アフリカ植民地化、古代から近代に至るまでの日本によるアイヌ民族圧迫などと同じく、れっきとした侵略である。「開拓」とは、イギリス系アメリカ人の立場から見た勝手な言い方にすぎず、客観的にはインディアン各部族の領土に対する侵略に他ならない。ただしインカやアステカを滅ぼしたスペイン人と違い、その侵略は一見対等な領土譲渡契約に基づくかのような巧みな侵攻ぶりであった。トクヴィルの筆を借りればその様子はこんな具合である:――

「白人の入植者がインディアンの土地に近づくと、合衆国大統領は使者を送って、インディアン自身の利益のために西へ移住したらどうか、と持ち掛ける。もちろん祖先が何世紀も住んできた土地はインディアンのもので、この権利を否定しはしない。しかしこれらの土地は未耕作の原野、森、沼であって良くない土地ではないか。ミシシッピー川の向こうには素晴らしい土地が広がっている。狩りの獲物となる動物がまだ入植者の斧の音に追い散らされていない。白人は決してそこまで行かない。百リーグ(約五百キロ)も彼方なのだから、と説得する。これに数々の贈り物が加わる。そしてもし断ったら武力を行使する可能性も仄めかす。かわいそうなインディアンたちはついに移動を始める。年老いた両親を腕で支え、母親は背に子供を背負って、部族全体が荷物をたたんで移動を始める。千年も祖先が住んできた土地を捨てて、見知らぬ原野で新しい生活を築くために。しかしそこにも白人がやって来るまでに十年とかからないだろう。」

チェロキー族はジョージア州を相手取って訴訟を起こし、最高裁もチェロキー族の土地の権利を侵害するジョージア州の法律は憲法違反だとした。しかし時のジャクソン大統領はこの判決を無視し、結局チェロキー族は故郷を追われオクラホマへ移住させられる。これがイギリス系入植者たちの「西部開拓」の実態だったのである。イギリス系入植者を「最も貪欲な民族」と呼ぶトクヴィルの視点は公平である。「人道の法則をこれほどよく尊重しながら、しかも人間をこれほどうまく破滅させることはできないであろう」と彼が言うイギリス人の狡猾さは、会田雄次が「アーロン収容所」において観察したのと同じ性質のものである。アングロサクソンのマキャベリズムは天性なのであろう。我々日本人は「西部劇」で白人の側に立って拍手喝采するのはやめて、我々アジア人の先祖が旧石器時代に枝別れしてアメリカ大陸に渡った人々の子孫たるインディアンたちの悲惨な境遇に涙すべきだと思う。

 

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 アメリカ合衆国はヨーロッパ合理主義と啓蒙主義の申し子である。合理主義、啓蒙主義は、人間の欲望を肯定し、そのエネルギーによって科学技術と経済の発展を促す。一方で合理主義、啓蒙主義は、人間の欲望を社会秩序と調和させるために、契約による社会規範の確保を図る。国家や政府は人々の社会契約によって現出した機構でなければならない。アメリカ人はこうした合理主義、啓蒙主義を普遍的なものとしてどんな世界にも適用できると考える。

 こうしたアメリカ的合理主義、普遍主義に対しては、必然的に、ロマン主義の立場(理性の優位に対し人間の情緒生活を重視する立場)と文化人類学の立場(普遍的文明を否定し各文明の個性を擁護する立場)から批判がなされてきた。しかし、少なくとも政治機構については、デモクラシーという名の啓蒙主義の産物を上回る機構は出現していない。啓蒙主義政治思想は、古代ギリシアのプラトン、アリストテレスや古代中国の儒教の説いた「賢人による徳治主義」よりはるかに現実的であり、アメリカに対峙したファシズムや共産主義といった近代的専制体制よりはるかに人間的であった。政治についてデモクラシー以上の形態は今のところ見出しにくい。

 しかし地球上のフロンティアが消滅しようとしている現在、アメリカ文明が前提とした無限の欲望の解放には限界が来つつある。アメリカ文明は欲望の解放と右肩上がりの経済発展(フロンティアの存在)を前提としている。その欲望は行き着くところまで行くしかないように見える。遺伝子技術や臓器移植もどんどん進んで、人間のクローンが出来る寸前までは間違いなく行くだろう。われわれ人類は、欲望を肯定しつつも理性によって地球上の自然と共生する道を見つけることはできないのだろうか。

 もちろんどんな繊細な文化や人間的な情感でさえ欲望が基礎になっていることは否定できない。だが、小林秀雄が本居宣長を咀嚼して述べているように、「実生活で情と欲とが、どんなに分ち難く、混り合っていようとも、求めるばかりで、感慨を知らぬ欲を、情と呼ぶわけにはいかぬ。欲は、物を得んとする行動のうちに、己れを失うが、情は、物を観じて、感慨を得、感慨のうちで、己れに出会い、己れの姿を確かめる」のである。己れを見据えた人は自己を周囲と調和させようとするが、物にとらわれ己れを見失った人は決して満たされることが無い。アメリカ文明に決定的に欠けているのがこの「情」という心の働きなのである。人間は、アメリカ的な行動科学が我々に信じ込ませようとしているような「問題を解決する」だけの存在ではない。問題を感知しそれを「受容する」存在でもある。そしてこの意味での「情」を知る者こそが、ブッダの説く「生きとし生けるもの全てへの慈悲の心」を持ち得るのである。自制(足るを知ること)、簡素の美学、エコロジーといった自然との共生を説く考え方の哲学的基礎がここにある。慈悲の思想を欠いたエコロジーは、石油危機などが起こった時だけのご都合主義と化す恐れがある。アメリカ型の欲望無限拡散のカタストロフィーから抜け出し、人類が持続可能な成長と自然との共存を実現するためには、科学的理性とブッダの慈悲心とを併せ持つ必要があるのだ。

(一九九九年一二月一五日)

 

トクヴィル(一八〇五年〜一八五九年)

フランスの政治学者、政治家。名門貴族の家庭に生まれ、パリで法律を修めた後、裁判官になる。二十六歳の時、親友ボーモンとともに、政府から派遣されてアメリカの行刑制度視察に出かけ、約九ヶ月アメリカ各地を旅行。その時の体験をもとに「アメリカにおけるデモクラシー」を著し、アカデミー・フランセーズ会員の選ばれる。後、政治家になるが、不成功のまま引退し、四十六歳以降は著述に専念した。

 

〈参考にした文献〉

世界の名著 第四十巻「フランクリン、ジェファーソン、マディソン他、トクヴィル」松本重治編(中央公論社)

トクヴィル「アメリカの民主政治」井伊玄太郎訳(講談社文庫)

阿川尚之「トクヴィルとアメリカへ」(新潮社)