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「古典派からのメッセージ・1999年〜2000年編」目次へ戻る
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湯島聖堂にて

 

 正月にお茶の水にCDを買いに行ったついでに、湯島聖堂に立ち寄ってみた。湯島聖堂は、学問好きの五代将軍綱吉が孔子を祭った聖堂で、林家の私塾を移設して昌平坂学問所も併設した。後の東大のルーツである。孔子にも儒教にも興味を持つ人はいなくなりつつあるご時勢、きっとだれもいない静かな境内だろうと思って足を踏み入れたが、意外なことに、若者も含めて大勢の人が列を成して参拝していた。

 本堂には、明末、朱舜水が清に圧迫されて日本に亡命してきた時に携えて来たという孔子像が祭られていた。像は、驚いたことに、功なり名遂げた柔和な老人の顔ではなかった。巨顔に飛び出しそうな大きな目、そして二本の突き出た前歯を持つ、縄文時代の偶像のような異様な表情であった。学問とは、こんな厳しい、イカつい、激情にかられた顔でするものぞ、と孔子の声が聞こえて来るような気がした。なぜなら、学問とは、人間のあるべき姿を問い自らもそれを希求することであり、そうした真摯な探求は心を焼き焦がし、身を擦り減らすからだ。己の生き方を脇に置いたまま、空調の効いた部屋で、インターネットで集めた情報を切り張りするような「作業」をするが如きは、学問とは呼べない、と、僕も孔子に怒られているような気がした。「憤せざれば啓せず、緋せざれば発せず」注1という彼の言葉は、思った以上に厳しいニュアンスを含んでいると思う。

 本家の中国で共産党が儒教を否定したり、日本でも最近は学校教育の中で漢文が疎かにされるため、「論語」を読まない人が多くなり、孔子を「封建道徳の元祖」というようなステレオタイプでしか見ない人が多いのではないだろうか。しかし、孔子という人は、誠実な求道者、善き教育者であると同時に、政治向きの野心より風流に身を任せるほうが時に好ましいと感じたり、何日間も食事の味を忘れるほど音楽に没頭したりすることもある柔らかな感性を持った人でもあるのだ。偏見を捨てて、素直な心で「論語」に接してみれば、今でも孔子の言葉から教えられ、考えさせられることは極めて多い。また、時に心慰められ、勇気づけられる、今流行りの「癒し」の要素も多々含んでいるのが「論語」という書物である。

 恐らく、あまり読んだことはなくても、「論語」がこうした魅力を持っているのではないかという直覚は、多くの日本人に残っているのではないだろうか。孔子の言説に触れてみたい、孔子スクールに加わってみたいという潜在的な興味は強いと思う。しかしどこから入ったらいいのか、足掛かりがないのだ。でも関心はあるから、とりあえず湯島聖堂にでも寄ってみようか、という人がこんなにも大勢孔子を参拝に来ているのではないだろうか。

 僕は、高校の漢文でいくつかの章を習ったほかは、「最後の儒者」とも言うべき吉川幸次郎の孔子の伝記や、井上靖の小説「孔子」や、山本七平の「論語の読み方」などをかじり、そして明治書院の「論語」本体を読む、というプロセスを経た。今にして思えば、「論語」はそんなに膨大な量はなく、かつ、一節一節は短いので、伝記や解説書ばかり読まず、最初から注釈と日本語訳のついた「論語」本体にもっと早く接するべきだったと反省している。今挙げた本は孔子への入門書としては悪くないと思うが、決定版とも言い難い。現代日本人に合った「論語」への善き入門書が現われてほしいものだ。

 湯島聖堂は神社ではないので、新年の祈願に柏手は打たない。香を薫じて一回礼拝するだけである。香のほのかな香りが新春の空に舞っている。僕はこのあたりの神田の風情が大好きだ。湯島聖堂のすぐ近くには、江戸の守り神、神田明神があり、先頃亡くなられた、僕が敬愛してやまない仏教学者中村元氏の私塾、東方学院もある。

 今日は天気もいいので、大勢の人が神田明神に初詣に来ており、このあたりもいつになく賑わっている。でもそれはがさつな賑わいではなく、新春にふさわしい落ち着いた賑わいである。正月は人々を落ち着いた善男善女にする。湯島聖堂の本堂には孔子の言葉「教え有りて類無し」注2の四文字が掲げられていたが、この言葉は、まさに人間の善性を信じた孔子が、善男善女たりうる可能性を蔵した全ての人類に対して捧げたメッセージである。こんな伸びやかで笑顔に満ちた、人を暖かく抱擁するようなヒューマニズムも、僕の大好きな孔子の一面である。

(二〇〇〇年一月三日)


<注1> 「論語」述而篇にある言葉。教えを受けんとする者は、発憤の気持ちが表に出るくらいでなければ、私はこれを啓き教えようとはしない。必死に何か訴えようと顔を赤くさせるくらいでなければ、私は端緒を発して導きはしない、の意。「啓発」という言葉の語源。要は、学問は他人から与えられるものではなく、自ら志し、ほとばしるほどの情熱を持たなければならないと説く。


<注2> 「論語」衛霊公篇の言葉。教育を施せばどんな人も成長するものであり、生まれついて人に区別があるわけではない、の意。