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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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私の能楽メモ(二〇〇五年)

 

間近に見る面と装束

 今日、今年初の金沢定例能があり、「翁」「鶴亀」「巻絹」と、新年にふさわしい祝祭的な演目が並べられていました。「翁」における千歳、薮克徳さんの若々しく颯爽とした舞いや、笛方の新鋭、高島敏彦さんの成長を感じさせる安定感ある演奏や、「鶴亀」におけるふたりの子供たちの舞う鶴と亀の可愛らしい舞姿が印象的でした。今回小生は最前列で鑑賞してみましたが、面や装束のディテールがよく見え、その美しさを味わうにはいい席でした。翁の着した微妙な光沢を含んだ狩衣や、落ち着いた中にも華やかさを含んだ小豆色の指貫、また、「巻絹」のシテ(巫女)の着した白の上衣と緋の大口袴の鮮やかな対比や、その女増髪の面の巫女にふさわしい神秘的で微かな微笑(見所からはそう見えました)などが印象に残りました。

平成一七(二〇〇五)年一月一〇日

 

演者・観客一体の能の感動

 能漫画「花よりも花のごとく」の作者、成田美名子さんが、愛知県豊田市の能楽堂で「能をコミックに」というタイトルで講演会をされ、成田さんのウェブページの掲示板にその要旨が報告されていました。そのレポートに、成田さんがかつて能「葵上」をご覧になった時、「舞台の上と客席が一体になっている感じで、客席も一緒に参加しているような」感激を味わわれた、と書かれていました。この成田さんの感動は、まさに能の(というよりおよそあらゆる演劇というものの)本質に迫った感動だと感じました。洋の東西を問わず、演劇の原初は神事であります。神事では演者は神の化体であり、観客と一体となって天下泰平・寿福増進・悪霊退散等々を祈念したわけです。神事と無縁になってしまい、演者と観客が遠く隔てられてしまった近代の劇場舞台と異なり、能舞台が客席に向ってせり出しているのは、能が、単なる「芝居」ではなく、演者・観客一体となった「祈り」を含んでいるからではないでしょうか。つまり、成田さんは、古代神事から能に引き継がれた、演者・観客一体のエクスタシーの世界を目の当たりにされたわけです。

 小生も、自分自身の反省として、能をただの観劇だと考えていたフシがあり、何かが欠けているのではないか、という思いがあったところへ、この成田先生の感想を見つけ、「そうだ、観客も演者といっしょに祈る場なのだ!」と思いついた次第です。今後はそういう心持ちで能楽堂に出かけてみようと思います。

平成一七(二〇〇五)年二月二日

 

「春日龍神」と「桜川」

 今日は、能「春日龍神」「桜川」他が演じられた金沢定例能に出かけました。能「春日龍神」は、仏教の奥義を極めるため唐天竺への渡航を志す明恵上人を、春日明神の宮守が思い留まらせ、龍神が現れて釈迦の生涯を明恵上人にさながらに見せるという物語。周辺文明たる日本の知識人は昔も今も海外への憧れが強く、この物語では、それを我が国土の神々が諌めるような内容に出来ています。特に、

「『我を知れ』釈迦牟尼仏世に出でて、…(中略)…小機の衆生の益無きを、悲しみ給ふ御姿、…(中略)…粗弊の散衣を着しつつ、四諦の御法を説き給ひし…」

の部分の詞章は、唐天竺の流行りものを追うのではなく仏陀の原初に立ち返れ、という力強い原典主義の主張とも考えられ、海外の流行りものに安易に飛びつく現代日本の知識人へのメッセージにもなり得ます。

 今日の演能では、ワキの明恵上人の装束がいかにも位高く品格ある知識人のものらしい美しさだったほか、早笛の激しい太鼓のビートに乗って現れる後シテの龍神がキビキビした力強い所作を見せたのが印象的でした。

 もうひとつの能「桜川」は、人買い商人に身を売った我が子を探し求めて常陸の国に現れた母が、狂おしく「失った我が子も桜子、この川の名も桜川、今時しも桜まっさかりなのに、何故我が子は咲き出でぬのか」と嘆いて、網で散る花びらを掬い上げますが、その様を見て、僧が、連れていた稚児こそ桜子だと悟って、母子は再会する、というお話しです。

 古典に依らないパターンの世阿弥の作に特徴的な、桜幻想曲とでも名づけたくなる濃厚な詞章が連なる曲です。特に、「網の段」と呼ばれる、「あたら桜の…」から「…我が桜子ぞ恋しき」に至る、シテ(母親)が網を持って舞うくだりがその頂点を成します。今日の演能では、シテの渡邊筍之助師が、ゆったりと間を取った謡でその濃厚さをよく表現されていたと思いました。再会を喜ぶ、両手を蝶の羽のように振り下げる所作も印象的で、それまでうつむきがちだったのとは対照的に、母の表情が歓喜に充ちたように見えました。

平成一七(二〇〇五)年二月六日

 

健気で純粋な「籠太鼓」の女

 今月の金沢定例能で演じられた能「籠太鼓(ろうだいこ)」が素晴らしかったです。「籠太鼓」は、牢破りをして逃げた夫の代りに牢に入れられた妻が、夫恋しさのために物狂いとなり、時刻を告げるために牢に懸けた太鼓を打ち、領主が牢から出してやると言っても「牢は夫の形見」と応えて出ようとしません。領主は妻の愛情の強さと健気さに打たれて、夫婦ともに赦免する、というお話です。

 この曲は、始めに、夫の脱獄の顛末を描くワキ(領主)とアイ(領主の下人)の対話がてきぱきと進み、舞台に緊張感を醸成します。ここでのアイ(狂言方)の活躍は印象的です。そして、シテ(妻)の出は、彼女の只ならぬ悲しみを感じさせてくれました。どんな能でもシテが登場する時の第一印象は重要ですが、この日は、シテの出から発散する気迫を感じ、小生はぐぐっと舞台に惹き付けられました。しかし何といってもこの曲の見せ場は、音楽が急に速くなり緊張感が高まる見事な構成の「カケリ」から、シテが鼓を打つ所作をするあたりまでで、この間、謡と所作とで、妻の物狂いが頂点に達する様が表現されます。この妻は、脱獄した夫の身代わりとなり、入牢の苦しみに耐え、遂に領主の同情を得て赦免を勝ち取るわけですから、大変気丈な女とも解釈できますが、この日のシテは、むしろ、夫との別離を深く悲しみ、ひたすらその無事を祈る純粋で健気な女性と描いていたように思われ、これがまた大変好もしく思われました。牢と太鼓の出し物は夫婦の絆の象徴と感じられました。シテの島村明宏さん、ワキの苗加登久治さん、アイの炭哲男さんがそろって好演でした。

平成一七(二〇〇五)年四月一六日

 

力強く爽快な鞍馬の天狗

 金沢の夏の夜の恒例となっている「観能の夕べ」が始まりました。今年は、大河ドラマの主人公、源義経に関係する番組が特集されています。初日の今日は、義経幼少の頃の鞍馬伝説から採られた「鞍馬天狗」が演じられました。「鞍馬天狗」は小生が謡を習った曲で、そのあらすじは今年一月一六日付の「近況メモ」をご参照ください。実際に舞台で演じられる能を拝見すると、天狗の力強く颯爽とした所作が印象的で、爽快な後味が残る曲だと感じました。前場の大勢稚児たちが登場する長閑(のど)やかな花見の様子も牧歌的で好いのですが、何といってもこの曲の眼目は後シテの所作の爽快さです。各地の天狗たちを紹介するじっくりとした所作から「谷に満ち満ち峯を動かし・・・」と急にテンポが早くなる「緩急の対比」は、演劇的にも音楽的にもとても楽しめます。また、「張良の履(くつ)拾い」語りからハタラキへ展開し最後に牛若と一体となって平家打倒を約して去ってゆく、息もつかせぬ躍動的な所作の連続も見ごたえがあります。シテ・鞍馬天狗は高橋右任師が力強くきびきびと演じられました。

平成一七(二〇〇五)年七月二日

 

美しき弁慶

 「観能の夕べ」二日目の今日の演目は義経シリーズ第二話の「橋弁慶」。京の五條大橋での牛若丸と弁慶の出会いを描いたお話です。少年牛若が、名にし負う剛の者、弁慶を散々に打ち破り、降参した弁慶は牛若と主従の契約を結びます。この曲を金沢で拝見するのはこれで二度目です。一度目の印象記は、「古典派からのメッセージ(二〇〇三年〜二〇〇四年)」に「能『橋弁慶』に見る武士の規範の見事さ」と題して記しましたのでご参照ください。今回も斬り合いの場面でのシテの所作の美しさが印象的でした。特に、堂々と威張っていた弁慶が、牛若に切り込まれて長刀を打ち落とされた刹那の「さしもの弁慶合せかねて 橋桁を二三間しさって 肝を消したりけり」の謡に合せて驚愕し狼狽する所作や、牛若に負かされて降参し心服する所作には、強気できかん気の弁慶が弱々しく従順に変容してゆく心理の様子までも浮き彫りにされているようで、面白く拝見しました。

 シテ・弁慶は藪俊彦師が演じられました。今日は地謡も元気で力強く、見事に曲を盛り上げていました。なお、藪師は、八月八日に韓国全州市での演能でもこの曲のシテを演じられる予定です。能楽は、その淵源のひとつが中世ユーラシア大陸の諸芸能にあるとも言われていますが、室町・江戸期を通じて、武士の美学に合うように、純日本的に洗練され変容してきました。現代のアジア諸国で日本独特のこの芸能がどのように受け入れられるのか、興味深いものがあります。

平成一七(二〇〇五)年七月九日

 

昔を今に成すよしもがな

 「観能の夕べ」義経シリーズの本日の演目は「吉野静」。頼朝に追われる身となった義経は、吉野山に隠れますが、吉野山の衆徒たちが頼朝方に通じたため、そこを脱出しようとします。能では、義経から敵を防ぐように命ぜられた佐藤忠信(=ワキ)が、静御前(=シテ)と諮り、衆徒たちを取り成し、また静の舞う舞に彼らを惹きつけて時間を稼ぎ、無事に義経を吉野山から脱出させるというお話になっています。先般小生が拝見した歌舞伎「義経千本桜」(吉野山の段)の原典がこの能です。能「吉野静」は、歌舞伎と比べるとはるかに簡潔ですっきりした品格がありますが、能としては取り立てて深さや陰翳のある曲ではありません。しかしその中にはいくつか興味深い見所がありました。ひとつは、前半、ワキの佐藤忠信が衆徒たちの評議に聞き耳を立て、ついにズカッと彼らの前に居座る場面。ワキの緊張感あふれた所作が印象的でした。そしてなんと言ってもこの曲の見せ場はシテ・静御前の中ノ舞です。

    賤(しづ)やしづ 賤の苧環(おだまき)繰り返し 昔を今に成すよしもがな
    (卑しい女の巻く苧糸を繰るように、繰り返し昔に戻る術(すべ)があればよいのに)

という歌に示される、静の義経への慕情を込めた舞が、しっとりと舞われます。この歌もそれほど品格の高い歌というわけではありませんが、素直で可憐な調子が哀れを誘う歌です。本日シテを務められた松田若子師の舞は安定感があり、ひとつひとつの型も美しいと感じました。クセの部分でずっと舞台中央に座り続ける姿も見飽きませんでした。

平成一七(二〇〇五)年八月二〇日

 

気迫の山伏集団

 「観能の夕べ」義経シリーズ最終日の本日の演目は「安宅」。頼朝から追われる身の義経一行は奥州平泉へと北陸路を落ち下ります。頼朝は義経たちが山伏に変装していることを知って各地に新たに関所を設け、山伏を取り締まっています。能「安宅」は、加賀の国の安宅関(現在の小松市安宅)にたどり着いた義経一行が、関守の富樫某との息をもつかさぬ熾烈なやりとりの末、ようやく関を通り抜ける場面を描いています。人間の内面を主題にした静的で象徴的な世阿弥や元雅の世界とは正反対の、力と力のぶつかり合いを描くダイナミックな作品で、能としては最大級の登場人物(シテ・弁慶、ワキ・富樫、子方・義経のほか、ツレ・山伏[実は義経の家来たち]六人に狂言方二人)が舞台に登場します。しかしダイナミックな作品ではあってもやはり能ですから、形式美は厳格に保たれ、緊張感と力強さには美しい品格が伴い、詞章も凝った名文句が連ねられています。

 この能「安宅」を原拠としているのが有名な歌舞伎「勧進帳」です。小生は、テレビで一度「勧進帳」も見たことがあります。もちろん能よりもさらにスケールが大きく華やかですが、能には能の、歌舞伎には歌舞伎の面白さがあるのだと今回よくわかりました。能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」の決定的な違いは、関守・富樫の人物造型の仕方です。能では、富樫はひたすら頼朝に忠実な、実直で粗野な武士として描かれています。義経一行を見咎めて、「昨日も三人山伏を斬り殺した」と言い、弁慶に「斬り殺したのは義経だったか」と痛い所を突かれても「問答無用だ、ひとりも通さぬ」と突っぱねるあたりに、富樫の無慈悲で荒々しい性格がよく出ています。今日の演能では、人間国宝でいらっしゃる宝生閑さんが、こうした富樫の荒々しい個性を、能の品格を保ち得るぎりぎりまで表現されていたように思いました。ところが歌舞伎では、富樫は懐の深い大人として描かれています。彼はこの山伏たちが義経一行であることを実は悟っていたという設定になっています。弁慶が、持ち合わせもせぬ勧進帳の代わりのまっさらな巻物を開いて必死で勧進の文句を読み上げたり、義経と見破られた強力(ごうりき=荷物持ちの下人)を涙ながらに打ち据える姿に感動し、武士の情けで一行の通過を許すというわけです。最後に富樫が舞台から退く際にチラッと義経一行を振り返るのが大変かっこいいのですが、これは明らかに「判官殿、ご無事で。」と心で祈る姿を観客に見せているのだと小生には感じられました。

 能は、「武士の情け」というような江戸期に形成された倫理規範がまだ浸透してなかった弱肉強食の室町期に作られた作品だけに、歌舞伎のようなある意味で甘ったるい人情劇ではなく、是非でも関を押し通ろうとする弁慶たちと必死でそれを食い止めようとする富樫たちの真剣勝負として物語が展開します。偽勧進帳の読み上げや義経打ち据えは、そのあまりの気迫に富樫が気押されて、これは本物の山伏だと認めざるを得なくなるのです。ですから、この能では、山伏集団に扮した義経の家来たちの結束、気迫が見所なのです。はじめに「皆殺しだ」と言われて「是非も無い、最期の勤行を勤めよう」と覚悟を据えて勢揃いして勤行を行い、富樫の仏罰必定と恐喝に及ぶあたりの謡の迫力。また、勧進帳を読み上げる弁慶の後ろに整列してしっかりと支える山伏たち。そこでは大小鼓も加わって弁慶の気迫を盛り上げます。そして、義経打ち据えも認めぬ富樫に対し、全員刀の柄に手を掛けつつ「強力だけを通さぬは荷物を盗む魂胆か」と、こちらも刀に手を掛けた富樫と押し問答するすさまじい力感。最後に、後悔して一行に酒を振舞う富樫にも油断せず、サーッと素早い摺り足で舞台から出てゆく颯爽とした一行の姿も印象的でした。息つく暇も無い迫力の舞台に感激です。

平成一七(二〇〇五)年八月二七日

 

悲しき姉弟

  先週は、四日(金)夜に、小生が習っている能の流派である宝生流の能楽堂へ初めて行きました。水道橋の東京ドームのほど近くにある宝生能楽堂までは、小生の職場から歩いて一五分ほどで行けます。この日はチケット予約のために行ったのですが、たまたま当日「都民劇場能」という催しがあり、能「蝉丸」が演じられるとのことだったので、衝動的に入ってしまいました。「蝉丸」は、金沢にいた時、藪先生の社中「篁宝会」の大会で、どなたかがご夫婦で演じられていたのを拝見して、その悲しい風情が心に染み入ったことがあったので、機会があればまた拝見したいと思っていた次第です。この日は、姉の逆髪(さかがみ)に観世喜正さん、弟の蝉丸に観世喜之さんという配役の、観世流での演能でした。台本無しで拝見しましたので、内容の詳細がわからないところもありましたが、蝉丸は肉体的な、逆髪は精神的な障害を負った存在であり、人間の孤独と悲しみが抽象化され表象化されているのを強く感じました。能としては異例の、解決がもたらされないまま逆髪が去って行く筋書きも大変印象的です。髪が逆立っていることを子どもたちに馬鹿にされた逆髪が、「人間の順逆の観念など相対的なもので無意味だ」というようなことを述べる場面がありましたが、この一言がたぶん曲の主題と深く関っているのだろうな、という気がしましたが、詳しく台本を読んでまたいつか観賞してみたいと思います。能「蝉丸」は、人物の動きが少ないことが却って悲哀の情感を高めています。それだけに地謡の役割が大切だと感じましたが、この日の地謡は大変気迫のこもった充実したもので、感激しました。余談ですが、その地謡の中に中所宣夫さんという能楽師がいらっしゃいました。このお名前、どこかで聞いたことがあるな、と思い、あれこれ調べてみると、何年か前の東京西部の多摩地方のタウン誌に、国立や国分寺の喫茶店で「能ライブ」をやっている能楽師がいるという記事があり、それが中所さんでした。今でもそんなライブをしておられるなら見に行ってみたいものです。

平成一七(二〇〇五)年一一月六日