近況メモ(平成一七[二〇〇五]年一月〜二月)
平成一七(二〇〇五)年〜「雪一面」から「梅咲く新春」へ
一月九日(日)雪
明けましておめでとうございます。金沢は雪です。きょうの雪はやや湿った感じの霙(みぞれ)のようなもので、降っても地面に積もりません。積雪となるような堅い粒の雪ではありません。いずれにせよ、今からしばらくがここ北陸の一番寒い時期です。さて、お正月はいかがお過ごしでしたか? 小生は、三十日の仕事納めの後、特急「しらさぎ」で愛知県の実家に立ち寄り、翌大晦日に東海道新幹線で東京の自宅に帰りました。関ヶ原あたりの雪で新幹線が大幅に遅れていた上に、東京にも雪が降り、西国分寺の我が家のあたりも数センチの積雪が凍って足が滑り、家に辿り着くのにえらく時間がかかりました。
明けて正月一日は、カラッと晴れた好天になりました。我が家は娘が大学受験なので、家族三人で菅原道真ゆかりの国立(くにたち)の谷保(やほ)天満宮へ初詣でに行きました。我が家から国立までの道すがら、一橋大学のキャンパスの彼方に丹沢の山々を従えた真っ白な富士山が見え、新年らしい晴れやかな気分になりました。晴れてはいましたが空気の冷たい日で、帰りに立ち寄った喫茶店の熱くほろ苦いコーヒーが体に染みました。翌二日、娘は早くも予備校の自習室へ出かけたため、夫婦二人で国分寺の殿谷戸(とのがやと)公園に散歩に行きました。殿谷戸公園は、戦前このあたりにいくつかあった財界人の別荘の一つで、今は東京都の管理する公園になっています。茶室を伴った和洋折衷のこの回遊式庭園は、広さ二万平方メートル強、国分寺崖線の南縁にあたるため、段丘状の地形の園内には湧き水が湧き、昔からの武蔵野の野草や昆虫が見られます。この日はここで甘酒の振る舞いと雅楽の演奏があり、地元の人たちで賑わっていました(写真参照)。
さて、三日には金沢に戻り、四日から新年の営業開始です。早朝、管理職六名で尾山神社へ「営業目標必達!」の祈願に行き、開店前の朝礼では、支店全員の前で「羽衣」キリの謡を披露して新年らしい雰囲気を醸成しました(正月にこれに備えたリハーサルを兼ねて妻と娘に「羽衣」の謡を教えていたのです(^_^;))。この日は引き続き紋付き袴で年賀のお客様を迎えましたが、男性が和服で正月を過すことが少なくなってきた昨今、けっこうお客様には印象的だったようです。こんなことができるのも、金沢で宝生能に出会い、謡や仕舞を習ってきたお陰です。では、本年もこのウェブページにおつきあい下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。(^^)/
一月一六日(日)雨
寒い日が続きます。金沢は、今のところ、雪も大したことなく朝の最低気温も東京と大差ありませんが、最高気温が5℃前後と昼間の寒さが応えます。先週水曜日、富山市に出張しましたが、富山は50センチほどの積雪でした。火曜日には、ある会合で、「ひがしの茶屋街」にあるお茶屋に出かけました。「芸どころ」金沢には、今でも東、西、主計(かずえ)の三つの茶屋街があり、特に「ひがし」は、格子戸と二階造りを特徴とする前田家藩政時代の面影を残すお茶屋や料亭がしっとりと並んでいて見事です。小生も公私のお客様を案内してこの街並みは時々通るのですが、お茶屋の中での宴席に侍る機会はそんなにあるわけではありません。この日は、新年ということで、芸妓さんたちも黒紋付の正装で登場し、華やかに唄や踊りを披露してくれました(携帯で写真を撮っておきましたので雰囲気を感じ取って下さい。 写真右は芸妓さんたちの名刺代りのシール)。
一月二二日(土)雪時々みぞれ
今週央は東京に出張していました。羽田から小松に向う帰りの飛行機から外の景色を眺めると、東京のカラッと晴れて乾いた空に飛び立った飛行機は、富士山を見下ろしながら南アルプスや中央アルプスを斜めに突っ切って進み、やがて現れた分厚い雲の上を日本海側に入って行きます。冬の飛行機にとっては、この分厚い雲を掻き分けて地上に滑り降りるのが一大難事です。小生の乗った便でも、出発前に「気象条件によっては羽田に引き返すこともあり得ますのでご承知の上ご搭乗下さい。」とのアナウンスがありました。幸い小生の乗った便は、小松空港上空にあった巨大積乱雲が去るのを待つために上空で20分ほど旋廻しただけで無事に地上にたどり着きました。遅れが無ければわずか50分の羽田から小松までの飛行時間に、乾いた太平洋側の青空から分厚い雲が支配する日本海側の空へと、自然は激しい変化のドラマを演じていました。さて、分厚い雲の下に降り立つと、そこは、雪やみぞれが降り、時として大風が吹き雷が鳴る世界です。我が国土の神々が日本海側の人々に与え給うたこの厳しい冬の気候と、しかしそれがもたらす水や米や魚の豊かな恵み…。風土が人々の暮らしや歴史を条件づけるのだということを改めて実感させられた旅でした。
出張から帰ると、金沢の景色を描いたきれいな木版画の葉書が届いていました(写真参照)。はてどこかで見たことのある版画だと思って、葉書の端を見ると、「クリフトン・カーフ」という作者の名前が見えます。そうです、数日前の地元紙「北国新聞」に登場した、金沢在住のアメリカ人木版画家、クリフトン・カーフ氏の作品なのです。同新聞によれば、カーフ氏はアメリカ・ミネソタ州生まれ、米軍占領下の日本に軍人として来訪。平原の広がる故郷とは異なる「山と川の国」日本の風景を愛し、昭和30年に再来日して京都、広島、岐阜などに住み、平成8年から金沢に居を構えた由。かつてお茶屋だった三階建ての建物を住居兼アトリエにし、名刺は「絵師 佳風(カーフ)」。生活スタイルは純和風で「目方は20貫、背丈は5尺8寸5分、飲むお茶は玉露、下着はふんどし」とのこと。カーフ氏は、浅野川界隈に広がる金沢の伝統的な街並みを愛し、その良さは木版でしか表現できないと言う。「お茶屋や町屋の格子の直線が緊張感を生む。背筋が自然に伸びる感覚。日本の木造建築の美しさはこの点に尽きます。」「格子の直線は、ベタベタ塗り重ねる洋画では絶対に描けない。木造のリズム感や風情は、木を彫ることで初めて出せます。」
この美学、小生にもよくわかりますし、彼の木版画の「日本的叙情」は甘ったるくならないから好きです。カーフ氏のように本物の日本の良さが分かる人は、ためらわず純和風の生活をするものです。むしろそれを捨ててしまったのが日本人自身です。私たちが自らの美学を自覚的に生活の中に残し活かそうとしていないのは残念なことです。
一月二九日(土)快晴
今週は、出張に接待と、忙しい一週間でしたが、期末に向けてさまざまな業務上の課題の方向性が少しずつ出てきて、充実感のある週でもありました。月曜日は敦賀に出張しましたが、少し時間があったので、「気比(けひ)神宮」と「気比の松原」に立ち寄ってみました。気比神宮は、古来、北陸道の総鎮守とされる古い神社です。主祭神は「伊奢沙別命(いざさわけのみこと)」で、古事記では「御食津大神(みけつのおおかみ)」と称される、土俗信仰に発する食物の神様です。他の六神は、気比神宮に参詣した神話的人物やその関係者ですが、特に、神功皇后の命で参詣した皇太子(のち応神天皇)が、主祭神の伊奢沙別命と名前を交換したことが記紀に記されており、土豪が支配していたこの地への大和朝廷の進出の象徴ともとらえられる興味深いエピソードです。また、この神社は宮司自らが兵を率いて戦うことしばしばで、後醍醐天皇を奉じて足利氏と戦った気比氏治や、朝倉氏を支援して織田信長と戦った気比憲直といった宮司の名前が残っています。東神門の格子造りの清潔さや階段を備えた拝殿の直線の美しさが印象的でした。その気比神宮の神苑だったのが敦賀湾の「気比の松原」です。この日は天気も良く波穏やかで、湾内には日本海を苫小牧まで行くフェリーも停泊していました。古来大陸からの船の玄関口であり、北前船の通り道であったここ敦賀が、天然の良港であることがよくわかりました。
さて、昨日今日は久しぶりに青空が澄み渡る好天でした。今朝の地元紙「北国新聞」には、澄んだ青空の下、雪に覆われた白山の姿をヘリコプターから撮った写真が掲載されていました。はるか遠方には立山連峰まで写っています。白山と立山を一度に見られるほど澄んだ空だということです。柔らかな稜線の白山と衝立てのような峻険な立山の対比が美しい写真でした。
二月五日(土)みぞれ・風強し
節分、立春と過ぎ、旧暦ではもうすぐ新春ですが、春の手前の今が一番寒いようです。ここ金沢でも毎日どんよりした空から雪やみぞれが降り続いています。下の写真は携帯で撮った金沢のあちこちの雪景色です。特に下段は、下堤町交差点から尾崎神社を通り、旧・検事正官舎と旧・高峰譲吉邸宅を経て、金沢城大手門の前を過ぎ、白鳥路に至る、小生のお気に入りのレトロな味わいたっぷりの散歩道です。
今週某日、若手政治家二人が参加したある会合に出席しました。お二人とも昭和40年生まれの39歳、当選一回の新米衆議院議員ですが、非常に腹の据わったしっかりした考えの持ち主たちでした。会合では、防衛、外交、選挙や参議院のあり方など多岐に渡って話し合われましたが、彼ら二人は、真の国益とは何かをよく理解し、しかも世界的な視野で物を見ています。小生は、ビジネスや政治の世界の指導者層における古典教養の大切さと、主義主張がもっと明確に分れた形での保守政党と比較的リベラルな政党への政界再編の必要性を申し述べましたが、彼らもその見解に鋭敏に賛意を示してくれました。こうした有能で意欲旺盛な若手政治家たちが早く大きな舞台で活躍できるようにと願って止みません。
二月一三日(日)曇り時々雪
旧暦の新年に入った週末三連休は東京に帰っていましたが、近所のあちこちで白梅・紅梅が花を咲かせているのを見かけました(写真をご覧ください)。東京でもまだまだ空気は冷たいですし、ここ金沢ではまだ雪の降る日がしばらく続くと思いますが、季節は着実に春になっているのを感じました。
さて、台湾の前総統、李登輝氏が年末年始に来日し、その時の氏の日本印象記が「VOICE」3月号に掲載されています。今回の訪日では、李氏が大東亜戦争中に士官として過した名古屋、氏の敬愛する八田與一や西田幾多郎ゆかりの地である金沢、そして学生時代を過した京都を訪問されています。李登輝氏については、今回アップロードした「武士道の蘇生―日本におけるノブリス・オブリージュ確立のために(V)」をお読みいただきたいのですが、「VOICE」では、ようやく実現した今回の訪日の印象を、こう総括されています。
「今回の旅行で強く記憶に残ったのは、さまざまな産業におけるサービスの素晴らしさである。金沢では一流旅館ならではの木目細かいサービスに驚嘆したし、新幹線でも車内サービスの充実振りに目を見張った。そこには戦前の日本人が持っていた、生真面目さや細やかさがはっきり感じられた。『今の日本の若者はダメだ』という声も聞くが、私は決してそうは思わない。彼らは戦前の人たち同様、日本人の美質をきちんと保持している。」
この日本への激励の言葉を、私たちは真摯に受け止め、誇りを持った政治・経済・文化活動をしてゆきたいものです。
さる金曜日(祝日)には、我が家から程遠からぬ「府中の森芸術劇場」のウィーンホールで、ハイドン・シンフォニエッタ・トウキョウの演奏会があり、夫婦で出かけました。この演奏会については、「私の音楽鑑賞メモ(二〇〇五年)」に詳しく書きましたのでご覧いただきたいのですが、今回楽しかったのは、この小さな演奏会の後、関係している方々とお会いしてお話しできたことです。この会の常連であり小生のウェブページを見て下さっていたSさんに初めてお会いできたほか、主宰者でホルン奏者の広實さんやコンサート・ミストレスのFさんともお話しできる幸運を得ました。Sさんとは我ら夫婦と昼食までおつきあいいただきました。
この方も筋金入りのクラシック音楽ファンで、かつては五味康佑氏の求道者のような音楽鑑賞道に私淑され、今では小生と同様、古典派のマイナー音楽家に入れ込んでおられます。宇野功芳さんや鈴木秀美さんといった音楽家の方々とも直接会っておられ、特筆すべきは、鈴木秀美さんにヴァンハルを演奏するように何度も進言された結果、ついに来る6月のオーケストラ・リベラ・クラシカ(「リンク集」参照)の演奏会でヴァンハルが取り上げられるようになったことです。Sさんのこうした行動力は素晴らしいものです。このような同好の士に巡り合えることは人生の楽しみの一つですね。
二月二〇日(日)曇りのち時々雪
今日は、縁あって、富士通の子会社で、能登半島の付け根の宇ノ気というところにあるコンピュータ関連機器メーカー、PFUの女子バレーボール部の試合を応援に行きました。PFU女子バレーボール部は、Vリーグの一歩手前のV1リーグに属しており、昨年度はVリーグとの入替戦にも出場した強いチームです。会場は合併して白山市となった松任(まっとう)の総合運動公園内の体育館(ずいぶん立派な施設でした)、対戦相手は柏エンゼルクロス。練習の様子を見る限りは柏も相当に力が有りそうでしたが、試合は、先攻して波に乗ったPFUがあっさり3対0でストレート勝ちしました。
久しぶりに間近でスポーツの試合を見て感じたのは、スポーツも鍛えられた技や形が「美」となっているということでした。その「美」には「強さ」と「速さ」と「センス」とがあると思いました。強さの美とは、相手が捕捉不可能なくらいの力で正面に叩き付けるアタックとかさらにそれをしっかりと返してしまう受け止める力の強さとかいったことです。速さの美とは、相手がついて来られないくらいのスピードのボールを打ったり素早くフォーメーションを替えたりすることです。センスの美とは、意表を突いたフェイントや空いた場所を的確に見抜いてそこにボールを打ち込む技のことです。鍛えられた選手たちの「型」はピシッと決まっています。人間やはり、だらしない格好や猫背の姿ではなく美しい型で生きてゆきたいものです。
二月二七日(日)曇り
昨年七月二四日の「近況メモ」で記した、成田美名子さん作の能マンガ「花よりも花の如く」の第三巻が出ました(白泉社刊)。今回の巻に含まれる三編の物語の主題は、三曲の能「二人静」「石橋(しゃっきょう)」「淡路」にそれぞれ関連付けられています。はじめの「二人静」は、源義経の愛人である静御前の亡霊とそれにとり憑かれた女の同装での相舞(同じ装束で同じ動きに舞う舞)が見物(みもの)の能です。マンガのお話は、ようやく住み込みの身分から独立しようとしている若いシテ方能楽師、「憲人」君が、やや偏屈な性格の先輩と「二人静」の相舞を舞うことになり、先輩に合せようとする意識と無意識の心の抵抗とにさいなまれますが、実は一見自信に充ちたこの先輩も自分の家庭についての内心の苦しみを隠し持っていたというようなお話が、例によって淡々とした調子で描かれてゆきます。人間の心の「光」と「影」を、二人静の相舞に象徴させながら物語は展開します。
二つ目の「石橋」は、中国の霊獣である獅子が牡丹の花に戯れ遊ぶ姿を豪快な舞に仕立てた能です。憲人君は独立記念にこの曲を舞うことになりますが、その稽古と並行して、父祖たちの七十年に及ぶ能の営みの重みを感じさせられるエピソードが展開します。このお話もしみじみした味わいですが、能の伝統に対する成田さんの讃歌だとも感じました。
三つ目の「淡路」は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の国土創生を語り祝う能です。伊邪那岐命の矛の先からこぼれた一滴から淡路島が出来たと記紀にあるのに依っています。憲人君がこの曲のシテ、伊邪那岐命を演じるのですが、シテとしての演出の工夫へのこだわりやそれを支える人々の純粋さが熱っぽく描かれています。また、最後の場面の大自然を背景にした野外能の野趣もすがすがしく感じられます。
いずれのお話も、若い能楽師、憲人君の人間的な成長の姿がさわやかに描かれています。また、周囲の人々の善意にも、わざとらしさは感じられず、淡々としていて好感が持てます。成田さんの奥深い「人間への信頼」を感じます。さらに、マンガのお話と能の主題とが密接に関連付けられながら巧みに物語が展開するのも、能楽ファンの小生としてはうれしい限りです。少女漫画だとバカにしたものではありません。皆さんにもご一読をお勧めします。成田さんのウェブページの掲示板もファンの声援で盛り上がっています(その内の何人かの方がここの掲示板にも書き込みをしていただきました)。