「洋もの」不振の背景
日本経済新聞を見ていて、「洋もの」不振とか、「消える欧米品信仰」といったタイトルの記事がいくつか目についた。日本人の消費行動、消費心理が奥深いところで変化していると直感した。また、その含意するところは意外にも広く深いのではないかと思う。
まず、日経新聞一一月七日の文化欄はこう報道する:−
「『洋もの』が売れない。日本の音楽・映画市場は『邦高洋低』が鮮明だ。
(中略)まず音楽では、背景にあるのは若者の洋楽離れだ。海外の歌手が自国の聴き手向けに作った『洋楽』では、もはや日本の若者には響かない。(中略)日本レコード協会によると、〇八年の洋楽のCD生産額は六四六億円と、ピークの九五年比六割減。九八年のピークから半減した邦楽に比べても落ち込みが大きい。〇七年以降の洋楽市場は毎年百億円以上縮んでいる。
(中略)『洋もの』離れは映画でも進む。日本の年間興行収入における洋画と邦画の比率は、〇三年頃までは七対三だったが、〇八年は四対六と邦画が上回った。ハリウッドの映画製作会社は、ついに役所広司、佐藤浩市主演の時代劇『最後の忠臣蔵』を日本で製作するまでに至った。
(中略)海外の文化に過度な憧れを抱かず、信奉もしない。『洋もの』コンプレックスを持たない若者の志向云々…」
また、日経新聞一二月二日の「ブランド変調」という連載記事の第一回目で次のように報告されている:−
「『信仰』とまで評された日本の消費者の高級ブランド志向が昨秋のリーマンショックを境に薄らいでいる。割安な中古品ですら手が伸びないのだから、新品を扱う海外ブランドの日本法人はどこも苦しい。仏VMHモエヘシネー・ルイヴィトンの日本国内の一〜九月期売上高は前年比一九%減、「カルティエ」などを持つスイス・リシュモンの四〜九月期は同二五%減だ。大手海外ブランド各社はリストラや撤退が相次ぐ。
(中略)経営者の声から浮かぶのは、景気後退による一時的な買い控えではなく、背伸びを止めた消費者の姿だ。(中略)消費者は従来のイメージにとらわれずに、自分に価値のある商品か見極めようとしている…」
こうした日本の消費者の「洋もの」離れの背景には、二つの世界史的な要因があると思う。一つは、一九世紀以来の米英を中心とする欧米の世界における主導的地位の低下。もう一つは、日本自身の自国文化回帰だ。
第一の点については、特に音楽・映画によく現れている。日本における洋楽の不人気は、ビートルズを嚆矢とした米英音楽の世界席巻時代の終わりであり、邦画の洋画凌駕は、ハリウッド映画の全盛期の終焉を意味している。サブプライム問題を契機とする金融危機と膠着するイラクやアフガニスタンでの軍事行動とが象徴するように、米英が経済力でも軍事力でも絶対だった時代は過ぎ去ろうとしている。と同時に、音楽や映画のような若者文化においても米英の魅力が減じつつあるのではないだろうか。恐らく、若者文化における米英の影響力減退は日本に対してだけではなく、他のアジア諸国・中南米・アフリカといった発展途上国に対しても同様ではないか。
第二の日本自身の自国文化回帰については、さらに二つの要素から成る。ひとつは、日本の文化的長期波動という要素である。周辺文明の宿命として(「周辺文明」の概念については、拙文「比較文明論の視座」をご覧下さい)、日本は古代から外来文明を取り入れるのに貪欲であった。しかし日本は外来を取り入れつつもその換骨奪胎・日本化も行っており、歴史上、外来の摂取とその消化吸収の時期を繰り返してきた。大和朝廷成立から奈良時代までは中国文明を積極的に取り入れた外来の時期であり、平安時代はそれを消化して「国風文化」を開花させた「隠(こも)り」の時期だった。戦国時代はスペインやオランダなど欧州からの文物を取り入れると共に日本自身も積極的に東南アジアに進出した。続く江戸時代は所謂「鎖国」によって現代にまで連なる日本文化を開花させた。明治維新以降百数十年は、欧米化にひた走り世界における存在感を飛躍的に高めつつも、時折「国風」回帰の気分も生じた。こうした文化的長期波動を見ると、今回の米英をはじめとする欧米諸国の影響力減退は、日本がしばらく前から望んできた外来消化と日本化の過程への本格的回帰を可能にしているように思える。
日本の自国文化回帰のふたつめの要素は、日本文化自身の高度化、世界の諸文化に対する優位性や影響力の高まりである。現代日本の生んだアニメやゲームやポップ音楽や映画などが世界中で人気を博している。日本人にとって、もはや欧米文化は崇め奉る対象ではなくなっており、その魅力が減じて見えるのもやむを得ない。私自身の感想としても、近年のハリウッド映画の(とりわけCG技術に依存してからの)魅力の無さには嘆息せざるを得ない。それは、目には訴えても心に訴えない映画である。最近、民放の「洋画劇場」で「特別放送」されていた藤沢周平原作・山田洋次監督による日本映画「武士の一分」(二〇〇六年)を見たが、原作の素晴らしさはあるにしても、その味わいを慈しむかのような心に染み入る映像と人物造形の見事さは到底ハリウッド映画には期待できない。
日下公人氏が、雑誌「WILL」二〇一〇年二月号で、「世界が羨む日本の良い点十五」を挙げておられる。そのタイトルだけ紹介すると:−
一 長生きができる
二 安心して眠れる
三 友人が多い
四 娯楽が多い
五 子供に行動と消費の自由がある
六 食べ物が旨くて安心
七 収入が多い
八 詰め込み教育をしてくれる
九 ホームレスになっても暮らせる
十 文化的・文明的な刑務所に入れる
十一 日本語が自然に身に付く
十二 頭が良くなる
十三 外国に教える楽しみがある
十四 誰でも首相気取りで話をすることができる
十五 日本には日本批判を専らとし日本を暗く描くマスコミがあるが、これがちょうど良いワサビになっている
これら十五項目について「一体何のことだろう?」と思われた方は、ぜひ、本文に当たっていただきたい。タイトルだけではわかりにくい点も、日下氏の明晰な予見力に基づく日本文化の優位性についての解説を読めば思わず納得してしまうだろう。
実は、日本文化の優位性は伝統文化についても言えることである。このあたりは、故・立原正秋が作家らしい鋭敏な感性で、日本の伝統文化の欧州の伝統文化に対する優越性をしばしばエッセイで書いていた。立原の立論は、自ら経巡った日本や朝鮮半島各地の神社・仏跡と、スペイン、ギリシア、イタリアなど欧州の遺跡・文物との体験的な比較考察から生まれており、決して机上の空論ではない。彼の鋭い視線は、狩猟文明の残虐性が刻印された欧州文化の限界を見抜き、農耕文明である日本や古代朝鮮の生んだ豊穣な文化を慈しむのである(例えば、紀行集「風景と慰藉」を参照のこと)。
以上、「洋もの」不振の背景について考えてきたが、さて、米国を中心とする欧米の世界に対する影響力の減退について、当の米国人たちはどう考えているのだろうか。米国のジャーナリスト、ポール・スタロビン氏の近著「アメリカ帝国の衰亡」(松本薫訳・新潮社)は、世界各地での取材に基づいてなかなか興味深い考察をしている。スタロビン氏は、米国が衰退した後の世界のリーダーシップのあり方について、五通りのシナリオを描いて頭の体操をしている。このうち、私にとって特に興味深かったのは中国に対する氏の見方である。中国が経済的、軍事的に世界のトップに並ぶだろうことはほぼ確実で、これは容認せざるを得ないだろう。スタロビン氏は、台湾は既に中国に「実効支配」されていると見ている。また、中国は、きっと「屈辱の近代」への復讐を試みるだろうから、その場合は日本が第一の標的になるだろうとも想定している。これは日本人にとって脅威だが、あり得ることと覚悟のうえ、腹を据えて対応を考えておくべき課題だ。
しかし中国が世界の指導者になるために、まだ決定的に欠けているのが、世界を惹きつける文化的魅力である。スタロビン氏の言葉で言えば「磁力」であり、世界のリーダーとして認められ得る「物語」である。確かに、現代中国には軍事的脅威や経済的驚きは感じるが、(少なくとも日本人にとっては)人としての生き方や文化に何ら魅力が無い。雑誌「VOICE」二〇一〇年一月号の田原総一朗、井上寿一、庄司潤一郎各氏の対談「近衛文麿内閣の教訓」において、学習院大学の井上寿一教授は、「中国に何か新しいライフ・スタイルがあるかというと、アメリカのライフ・スタイルをもう少し戯画化した、成金の人たちが日本に来てブランド品を買い漁るといったものに過ぎません」と述べ、ジャーナリストの田原総一朗も中国でのシンポジウムで「僕らが子供の頃は、教養と言えば中国だった。詩で言えば唐詩で、李白であり杜甫だった。物語なら三国志で、思想も孔子、孟子、朱子、老子などを非常に勉強した。それをあなた方は全部捨ててしまった。これはどうしたことなんだ!」と、日本人が素晴らしいと思う伝統的中国文化を破壊した中国共産党を怒り、責めたという。
スタロビン氏は、共産中国はおそらく、屈辱の近代を辛抱強く凌いで二一世紀にはようやく欧米の尊敬を勝ち得たという「物語」−しかも欧米型の民主政治に依らずに成功を勝ち得た物語−を、中南米やアフリカの発展途上国に刷り込む戦略を採るだろうと述べる。ただ、途上国はともかく、欧米で「中国の物語」や中国文化が敬愛されるようになるには、根深い人種問題もあり、相当の時間を要するだろうと述べ、その前に中国の経済的発展が止まるようだと、世界における指導的地位獲得も難しくなるだろうと予想する。
こうした欧米衰退後の世界のリーダーシップに関する冷静で偏見の無い戦略的なシミュレーションは、我が国にとっても極めて重要である。民主党政権の「国家戦略室」は、経済成長や社会保障のような内向きの課題以前に、こうした骨太の世界戦略をまず考えるべきである。
平成二一(二〇〇九)年一二月三〇日