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近況メモ(平成18[2006]年1月〜2月)

 

平成18(2006)年〜「ゆったりした正月休み」から「水ぬるむ早春」へ

 

1月8日(日)冬晴れ

  あけましておめでとうございます。お正月はいかがお過ごしでしたか? 小生は12月31日から明日まで十連休をいただき、豊田市の小生の実家と浜松市の家内の実家へ帰郷したり、東京で歌舞伎や落語に出かけたりと、久々にゆったりした休日を過ごしました。この間、天気には恵まれ、ほとんど雨や雪には降られませんでしたが、ここ何年間かの正月とは違い、大変寒い日が続きました。朝方も氷点下の最低気温ですし、日中の最高気温も5〜6℃くらいまでしか上がりません。日本全体で見ると、北海道・東北地方や日本海側の地方などは記録的な大雪にみまわれ、各地で大きな被害が出ています。小生も金沢で暮らした経験から、大雪のときの不安感、孤独感、閉塞感は多少実感できますが、とにかく、雪でご苦労されている方々に心からお見舞い申し上げたいと思います。

  さて、暮れの31日に家族三人そろって東京から豊田に帰りました。最寄りの西国分寺駅から東京へ出て、豊橋まで新幹線(近年は豊橋に停まる「ひかり」が増発され、便利になりました)、豊橋から岡崎まで東海道線、岡崎から豊田まで愛知環状鉄道(この線は第三セクターのローカル線だったのですが、愛知万博の基点駅ができたことから、車両も新調され立派になりました)を乗り継いで、約4時間の旅です。

  愛知環状鉄道の中岡崎駅のすぐ裏には「カクキュー」ブランドの合資会社「八丁味噌」の本社と工場があります(写真上段左)。八丁味噌は大豆と水で作った自然食品です。当社のHPから引用させていただくと、「蒸した丸大豆を味噌玉にし、それを豆麹にして塩水で仕込み、足かけ三年もの間、天然熟成させます。永く仕込み置くため色も濃く固いので、辛口と思われますが、塩分は比較的低く、植物性不飽和脂肪酸も多く含まれ、また大豆蛋白質もアミノ酸に分解されており、消化吸収の良い栄養食品です。食品添加物は一切使用していませんし、加熱殺菌処理もしていませんので、生きた自然食品といえます。」とのことです。江戸時代初期に、徳川家康が生まれた岡崎城より西へ八丁はなれた八丁村で、早川久右ヱ門が味噌の仕込みを始めたのが、八丁味噌の起こりだそうで、今のご当主は第十九代目の早川久右ヱ門さんです。八丁味噌は、素材の素朴さといい、醸成期間の長さといい、質朴で我慢強い我が三河地方の人々の気質を象徴するような食品だと思います。カクキュー以外にも当地には味噌の製造業者がいくつかあります。味噌は、その自然性が評価され、今では結構海外にも輸出されているようです。さて、そこから列車は矢作(やはぎ)川を溯って進みますが、岡崎と豊田の境あたりの車窓から村積山がよく見えます(写真上段中&右)。標高262メートルのこの山は、小生が、中学校時代に、往復16キロのマラソン大会で登った懐かしい山です。こうして大晦日の夕刻に、家族三人、我が実家にたどり着きました。

  明けて元日には、実家の父母も一緒に五人で挙母(ころも)神社へ初詣に出かけ(写真下段左)、翌2日には浜松の家内の実家へ移動、さらに3日には名古屋へ出て小生の高校時代の旧友夫妻と夕食を一緒にし、その日の夜、東京に帰りました。ややあわただしい日程でしたが、小生の両親や妻の両親と妹弟たちの家族、そして旧友との打ち解けた団欒を楽しんだ年末年始でした。小生の方も妻の方も、両親ともに一応元気で居てくれるのは何よりありがたいことです。

             
合資会社「八丁味噌」本社(同社HPより) 愛知環状鉄道電車から臨む矢作川。遠方に見えるのは村積山 村積山の山頂近くの村積神社(「Dry and Wet」より)


              
   挙母(ころも)神社               実家玄関に掲げられた正月飾り      実家の庭の赤ナンテン      同じく黄ナンテン

 

  東京に戻って、5日には家族三人で浅草へ出かけました。浅草公会堂で催された「新春浅草歌舞伎」を見に行ったのです。この感想は別途「新春の浅草歌舞伎を楽しむ」として記しましたので、ご覧ください。歌舞伎の引けた後は、浅草の定番コースを回りました。雷門から正月の人出で賑わう仲見世通りを通って浅草寺へお参りし、それから「梅園」でお汁粉をいただき、「神谷バー」を見学します。浅草公会堂のあたりは芝居や寄席の劇場も立ち並び、連なる屋台で一杯飲んでいる人々も多く見かけます。浅草は江戸や戦前の東京の雰囲気を感じさせてくれ、そのくつろいだレトロなたたずまいが小生は好きです。最後に小生が一度乗ってみたかった「水上バス」に乗って、隅田川の川下りです。いろいろな橋をくぐって浜松町の日の出桟橋まで、昔日、隅田川が江戸の主要な交通手段だったことをしのばせてくれる30分程度の船旅でした。7日には、府中の森芸術劇場の「ふるさとホール」へ、林家いっ平や橘屋圓蔵(=かつての月の家円鏡)の落語に出かけ、今年の初笑いを楽しみました。

     
浅草公会堂前の「新春歌舞伎」の案内                    同左               「新春浅草歌舞伎」のポスター


     
浅草寺の雷門                    隅田川を下る水上バスの正面から蔵前橋を臨む               水上バスの後ろから

 

1月15日(日)晴れのち曇り

  ここ数日は雨が降り急に暖かくなりましたが、しばらくは天気が変わりやすく気温も大きく変動するようですので、体調にはお気をつけください。小生は、この週末、出張で富山、金沢へ出向いたついでに、昨日、能の師匠である藪俊彦先生のご自宅で催された新年会に出席させていただきました。

  北陸地方も何年ぶりかの大雪で、飛行機や電車がちゃんと動くか心配しましたが、幸い週末はずいぶん暖かな日和で、交通機関もほぼ普段どおりの運行でした。行きは電車で富山まで行きましたが、上越新幹線で越後湯沢に着くと、さすがに2メートル以上の積雪です。越後湯沢から在来線の特急「はくたか」で富山まで行くのですが、「はくたか」がすっぽりと覆われてしまうくらいの雪の量です(左の写真参照)。やがて発車した列車の両側には雪の壁が迫り、すべての地上の音がかき消されたような静謐な世界を列車も静かに滑ってゆきます。雪に埋もれ外界から閉ざされた世界で、そこだけ雪が掻き分けられた二本の鉄路は、唯一人間の往来を支える頼もしい存在に感じられます。この越後湯沢あたりと比べると、富山市や金沢市は雪の量も少なく、大げさに言えば、普通に経済活動ができる都市に着いてほっとした気分にさえなります。

  さて、土曜日の藪先生宅での新年会は、先生が教職を辞して能の道に入られてちょうど30年になるのを記念して、茶会と能会が組み合わされて行われました。1月4日から、先生のお弟子さんはじめ関係者を順次ご自宅に招いて行われるこの会、小生たち東京からの訪問者3人を含む5人でお邪魔したこの日で何と14回目だそうです。準備もさぞかし大変だろうと思いますが、先生自身の言葉を借りると「袖ふれ合った方々への感謝とこれからの夢を語り合えるようにと」設(しつら)えられた、とても和やかで楽しい会です。この日は、5人の客がそろったところで、まず、ご自宅の一角にある「篁庵」と称する簡素で清涼なお茶室へ入らせていただきます。そこで藪先生が点てられた濃茶の回しのみをし、さらに薄茶をいただきながら、由緒ある茶器の数々を拝見します。この日は、正客に陶芸家の谷敷正人さんがご一緒していただいたので、一層お話も弾み、小生はじめ茶道具のことは何も知らない面々も興味深く拝見できました。もちろん谷敷さんの作も随所に置かれています。少し威儀正しい雰囲気のお茶会の後は、「修篁堂」と称する能舞台のある部屋へ移り、各人謡や仕舞を披露しながら、お酒やお食事をいただきます(右の写真参照)。ここではより賑やかな雰囲気で楽しく過ごさせていただきました。小生も慌ててこの一週間で稽古し直した謡「羽衣」と仕舞「玉葛」をさせていただきました。金沢にいた頃、初めて先生のお宅のお茶会に伺った時もそう感じたのですが、この会は、ただ楽しく過ごすだけではなく、何かしら勉強すべきことがらがさりげなく盛り込まれており、小生も、こうした会での会話や所作のあり方を学ばせていただく良い機会になりました。藪先生や奥様、そして同席の皆さまに感謝します。

   
        越後湯沢駅(左は出発を待つ特急「はくたか」)        篁宝会の新年会(左は謡「巻絹」のTKさん、右は仕舞「鶴亀」のYKさん)

 

1月22日(日)晴れ

  大寒を迎え一年で一番寒い季節です。東京はきのう終日雪が降り、5センチほど積もりましたが、この程度は北陸地方で暮らした経験からはどうということもありません。小生は、金沢で使った長靴を久々に履いて、宝生流の若手能楽師を中心にした例会「五雲会」へ出かけました(水道橋の宝生能楽堂にて)。この日は、「竹生島」「花月」「東北」といった、一足早い早春の曲が演じられ、春待つ気持ちを高められます。こうした早春の曲たちを拝見しているうちに、小生は、先週お伺いした藪先生のお茶室「篁庵」に掲げられていた掛け軸の「瑞雪」という文字を思い出しました。「瑞」という漢字は、めでたいことの兆しないしは徴(しるし)ですが、昨日の雪がまさに、今年一年良き年であることの徴になってくれればいい、と思った次第です。

  さて、ライブドアの証券取引法違反の容疑が話題になっていますが、小生が感じたのは、投資家にも倫理や法令遵守ということを徹底すべきだということです。企業経営者や従業員に対しては、法令遵守ということがやかましく言われるようになりましたが、近年、企業は株主のものだという主張が高まった中で、投資家が王様扱いされたせいもあり、「投資家倫理」の確立が遅れているのではないでしょうか。小生は、投資家も企業の一利害関係者に過ぎないと考えます。なぜなら株式会社における投資家(株主)は投資した範囲の有限の責任しか負っておらず、自分の財産をはたく責任を負っていないからです。有限の責任しか負っていない者は有限の権利しか持たないはずです。株主絶対主義はこのことを無視した誤った議論だと思います。「経営者倫理」や「従業員倫理」と並んで「投資家倫理」の確立が待たれます。小生は、近年証券市場でプレゼンスを高めている投資ファンドが匿名を許されているのも、投資家倫理の上からは疑問だと感じます。「2ちゃんねる」で発言する人たちの無責任さを思い出していただければわかるように、人間は匿名を許されると無責任になりやすく、倫理的に堕落しやすいものだからです。

         
我が家の庭先       近所の公園(子どもが作った小さな雪だるまはどこ?)     赤いナンテンに白い雪       寒椿に白雪

 

1月28日(土)晴れ



  今日も東京はからっ風が強く、寒さが骨身に染みます。この冬はことさら寒いので春が待ち遠しいのですが、先日家に帰ると、ほのかな梅の香りがします。錯覚かな、と思って窓辺を見ると、花瓶に挿した一枝の白梅です(左写真)。室内で育てられた梅を家内が知人から分けてもらったとのこと。「昔の人の袖の香ぞする」(在原業平)懐かしくほのかに甘い香りです。



 

2月4日(土)晴れ


  昨日は冬と春とを分かつ「節分」(我が家でも、家内の実家近くの浜松の八幡さまでいただいた豆を、元気な掛け声とともに家の内外に撒きました)、今日は春の気立つ「立春」です。旧暦(月の満ち欠けを基準にした、今の暦より季節感にフィットした暦です)では、この立春が一年の始めとされ、八十八夜などの季節の節目がこの日から起算されます。今でも日本以外のアジア各国では旧暦で「正月」が祝われることが多いのです。まだまだ寒い日が続きますが、既に夕方の日はしだいに長くなりつつあり、梅だよりも間もなく聞こえるようになります。そうしたことを考えると、今を一年の初めの「新春」としている旧暦の方が私たちの季節感に合ったものといえましょう。東京ではこの週末はまた厳冬に逆戻りで、今日も冷たい北風が吹いていますが、日差しは確実に春の日差しになりつつあるのが感じられます。

  さて、今週の日曜日(1月29日)、築地の浜離宮朝日ホールで催された「オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)」の演奏会に家内と出かけました(左はそのポスター)。ハイドンの交響曲第76番変ホ長調、モーツァルトのフルート協奏曲第1番ト長調K313(K第6版=285c)(オリジナル楽器フルートの独奏は有田正広さん)、同じくモーツァルトの交響曲第35番ニ長調「ハフナー」(K385)の三曲が演奏されました。日曜午後にふさわしく心楽しい演奏会でした。その感想を「良質なワインの味わい―オーケストラ・リベラ・クラシカの演奏会にて」と題して記しましたのでご覧ください。



 

2月11日(土)晴れ

  今週は、ビジネスを通じて「同郷の誼(よしみ)」や「同郷の絆(きずな)」の重さ、大切さを感じさせられました。まず週初、川崎のP社を訪ねた時、同社の顧問で小生の高校の大先輩に当たるK氏が、わざわざ小生を部屋に呼んでくださり、親しくお話しさせていただきました。同社ではK氏の人望が厚いことはこの会社のいろいろな方と話していると強く感じるのですが、普通はなかなかお会いするのは難しい偉い方なのです。しかし学校の先輩後輩、同郷の誼ということで、こうして親しくお話しできるのはありがたいことです。また、別の日には、我が行のM社長が福井県出身ということで、まだお取引の無い福井の有力メーカー・S社のK社長と昼食をご一緒する機会があり、小生も陪席させていただきました。このK社長も大変発想力の豊かな能力の高い経営者で、同郷の誼でもなければ簡単には会えないVIPです。ところが、お互い青春を同じ場所で同じ言葉で過ごしていたというだけで、こんなに話が弾み、会社同士の関係まで近しくなるとは、驚くべきことです。とかく情報技術とか専門性とかが重視される昨今ですが、ビジネスも人間が演じる「人間劇」だということを改めて思い知らされた次第です。

  さて、今週後半は金沢に出張し、久々にかの地の雪景色を堪能しました(写真参照)。今回泊まったのは、アパホテル金沢中央という金沢の繁華街・片町にあるビジネスホテルですが、このホテルには天然温泉がついており、宿泊者は無料で入浴できるのです。小生はビジネスホテルの西洋式バスタブがどうも苦手です。お湯を張って浸かろうとすると頭を洗うのに大変不便です。お湯を張らずに頭と体を洗うだけではお風呂に入った気になりません。それに、トイレと同じ場所に設(しつら)えられているのが何ともいやになります。日本のホテルなのに、なぜ日本人のお風呂に対する美意識を無視した作り方をするのでしょう? その点、アパホテルのチェーンでは、かなりの数のホテルが天然温泉の大浴場を設けており、ゆったりと温泉に浸かれるのがいいですね。この日泊まったアパホテル金沢中央では、最上階に温泉大浴場があり、屋上の露天風呂にもつながっています。夜はしんしんと降る雪を浴びながらの「雪見の湯」、早朝ははるかに白山連峰の雪姿を眺めながらの「山見の湯」を楽しめば、旅の疲れも取れようというものです。

            
      金沢21世紀美術館の雪景色(左右とも)

 

2月18日(土)晴れ

  明日は二十四節季のうちの「雨水」。雪も雨に変わる季節です。東京も、今週の前半はずいぶん春らしい日がありましたが、その後は寒い日が続いています。先日会社の近くを歩いていると、赤いぶどうの房のような美しい実をたわわに垂れ下げた木を見つけました。ネットで調べると、イイギリ(飯桐)という木でした(写真左)。別名ナンテンギリとも言われ、落葉後も実は長く残ることが多いと書いてありますが、鳥の餌にならないほどおいしくないのでしょうか。桐とは別種ですが、葉が桐の葉に似ていて御飯を包むのに使われたことから飯桐という名になったようです。冬の枯れ木の群の中で美しい赤い実をつけた姿は目を引きます。さて、今日は、好天に誘われて、妻と、我が家の近くの都立府中病院の裏手にある雑木林(写真右)を通って、その先の梅林へ散歩しました。もう「梅見の集い」をやっていましたが、この寒さでまだ少ししか梅は咲いていませんでした。しかし、梅の近くに植えられた木に咲いた満開の黄色い花からは甘い香りが流れてきます。これはロウバイ(蝋梅)という木でした(写真中)。下向きに咲いた黄色の花が蝋(ロウ)の様に融けそうなことからつけられた名のようです。

      
赤い房の実をつけたイイギリ(飯桐)       芳香を放つロウバイ(蝋梅)の黄色い花             落ち葉枯れ敷く冬枯れの雑木


  今週火曜日には、我が母校、岡崎高校の首都圏在住の同学年生が十名ほど集まる機会がありました。最初は、中学も高校も一緒の三人で集まる予定だったのですが、いろいろなツテで声をかけたところ、十人ほど集まったものです。公務員やら会計士やら自営の人やら、活躍分野もさまざまでしたが、皆それぞれに使命感と問題意識を持って仕事をしており、小生も大いに刺激を受けました。会は大いに盛り上がり、11時半まで飲み語りして、久しぶりに「午前様」になりました。その日集まった仲間のひとりで、小生と中学も高校も一緒の男が、地元情報をよく送ってくれるのですが、その中に中日新聞の正月の連載記事「この国のみそ」というのがあります。「この国のみそ」とは、愛知県が味噌の産地であることと、「ナゴヤは日本の象徴ないし縮図」というこの連載の見方とをひっかけたタイトルです。まあ、この記事のナゴヤ論の内容自体は従来言われてきたことで、取り立てて新味はありませんが、1980年代以降のあの地方のさまざまな経済事象や人々の動きを取材したユーモラスなタッチは味わい深いものがあります。そもそも1980年代、タモリの名古屋への嘲笑とオリンピック候補地争いでソウルに敗退したことのショックで、ナゴヤ財界はおおいに萎縮してしまいます。しかし結果としては、もともと堅実な風土もあり、その後のバブルに踊らずに済み、1990年代には、他の地域がバブルの後遺症で苦しむ中、製造業を中心に堅実に発展を続けます。そしてトヨタ自動車の好業績、名古屋駅前のツインタワーや中部国際空港の開業、愛知万博の成功を経て、ナゴヤ・ウェイへの評価は高まっています。また、かつては「ダサいナゴヤ」と定評のあった風俗文化さえ、若い女の子のファッション雑誌に「ナゴヤ嬢」が紹介されるなど、様変わりの態です。この連載記事では、近年の成功によって、あの地方の人々の意識が東京・大阪への劣等感から解放されつつある様子も生き生きと描かれています。「ナゴヤは日本の象徴ないし縮図」というこの連載の見方は、小生も以前からまさにそう感じていたことなので、とても共感を持ちながら読みました。製造業を基幹とする「匠の国」。これはまさに日本のあるべき姿ではないでしょうか。

  さて、今週の日曜日、妻が書道を習っていることから、彼女に付き合って、上野の国立博物館で開催されている「書の至芸」展を見に行きました。膨大な数の大家たちの代表作が並べられた企画です。中国では、四世紀の「書聖」王羲之、宋代の文章家・蘇軾、朱子学の創始者・朱熹など、それぞれ個性豊かな字体に興味をそそられます。日本では、聖徳太子、空海、小野東風、一休宗純、本阿弥光悦、良寛などなど、これまた多様な書体に圧倒されます。聖徳太子の几帳面で緻密な書体は、この人が類まれな利発な頭脳の持ち主だったことをうかがわせます。太子の綿密で膨大な文字群を見て小生は「天才とは努力し得る才である」という言葉を思い浮かべました。また、平安時代に開発されたかな文字は、墨文字が豪華な色彩を施された紙に書かれて一層映えています。紙と一体になった芸術品という趣です。家内も達人たちの筆遣いにおおいに感じ入っていたようです。またその日の午後は、渋谷のセルリアン・タワーの地下にある能楽堂で催された公演に出向きました。茂山千作さんが太郎冠者を演じた狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」が素晴しく、また、小生は初めて拝見する流派である金剛流で、宗家の金剛永謹さんがシテを演じられた能「土蜘蛛」も好かったです。しかし長くなりますので、これについては改めて記すことにします。

   
「法華経義疏」聖徳太子筆      「金剛般若経・開題」空海筆       「和漢朗詠集」源兼行筆          「一行書」一休宗純筆

 

2月26日(日)雨


  だんだんと春の気配が濃くなってきた今日この頃です。毎日の天気予報で伝えられる最低気温や最高気温はそれほど高くなってはいませんが、日差しのせいでしょうか、体感する気温はずいぶん高くなっているような気がします。小生もスーツの下に着ていたベストをやめました。先週は福井、金沢に出張する機会がありましたが、朝夕少し冷え込むくらいで、日中は東京と変わりありませんでした。金沢では、久々にわが社の金沢支店の人たちと親しくお話しする機会もあり、皆さんの元気そうな姿を見て懐かしく思いました。

  さて、昨日、好天に誘われて、小生お気に入りの神楽坂の「矢来能楽堂」で催された「若竹能」という催しに行ってきました(お目当ては能「小袖曾我」です)。ちょうど能楽堂入り口の紅梅が咲きはじめており、早春にふさわしく梅に迎えられたような気分でした(あまりうまく撮れませんでしたが左がその梅です)。きょうは一転して一日中雨降りでしたが、妻と、渋谷の観世能楽堂へ「第七回 岡田麗史の会」を見に行きました(お目当ては能「隅田川」です)。観世能楽堂には、今回初めて行きましたが、東急文化村から坂を登った松涛(しょうとう)という高級住宅街の一角にあります。これら週末の能楽観賞について、前回のセルリアン・タワーでの演能の感想とともに、「私の能楽メモ(二〇〇六年)」に記載しましたので、ご覧ください。



 

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