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近況メモ(平成20[2008]年11月〜12月)

 

平成20(2008)年〜「実り多き藝術の秋」から「変化の予感する年末」へ

 

11月2日(日)晴れ

 10月25日に府中の森藝術劇場で府中市民藝術文化祭の催し物の一つ、「各流合同謡曲大会」がありました。これは年一回の府中市内の宝生、観世、金剛の各流派の謡曲や仕舞の合同発表会です。今回、小生は「高砂」の仕舞を舞った(右写真)ほか、連吟「小袖曾我」の五郎時致のお役もいただきました。あとで家内が撮った写真を見ると、 体が棒立ちになっているような舞姿で、やはり本人が思っているほどには美しい型になっていないようでした(^^; 我が宝生流からは、写真のもう一人の方が仕舞「経政」キリを舞われました。この方は若い頃に学生能をされており、近年また「復活」され、プロの能楽師にもついて謡と仕舞を習っておられます。この日、小生が控え室で紋付・袴に着替えていると、隣にいた観世流の長老Kさんが「あなたの家紋は“丸に横木瓜(よこもっこ)”ですね。私と同じ紋ですが、どちらのご出身ですか」と問いかけてこられました。小生の父方の実家が愛知県豊橋市であることを告げると、Kさんも実家が豊橋とのこと! 家紋を通じて見知らぬ方とご縁を結ぶことができたのはうれしいですね。会の後、各流合同の打ち上げ会があり、さらに我が宝生流の仲間で深更まで飲み語らいました。


 さて、その前々日の23日には「北とぴあ」でハイドン作曲の歌劇「騎士オルランド」を拝見しました。ハイドンの歌劇が上演されること自体日本では非常に稀ですので、是非見ておきたかったのです。ハイドンの音楽自体は、この日の指揮者の寺神戸亮氏も演奏会の解説書で述べておられるとおり、確かに素晴らしいものでした。人物や場面に応じた音楽の作りは見事です。古楽界の力量ある演奏家たちからなるオーケストラの音色もうっとりするような典雅さでした。しかし、音楽とは正反対に、台本の拙さは救い難い代物(しろもの)でした。男女の出会いと別れの無意味な繰り返しが延々と続き、それゆえ、同じような趣向のアリアが同じ歌手によって繰り返し歌われるのには閉口します。怒れるオルランドも怒りの必然性が感じられません。この歌劇の上演は、劇場形式ではなく演奏会形式にして、アリアや重唱だけを味わえれば充分です。そして、日本人が演ずる西洋歌劇はやはり「みっともない猿真似」だと改めて感じないわけにはいきませんでした。いちばん出番の多いアンジェーリカ役の歌手は、東ちづるのようにも見え、また観音様のようにも見え、日本人としてとても好感が持てる美しい女性ですし、歌も上手でしたが、イタリア人やイギリス人歌手たちと交じると、顔かたちが浮いてしまいます。日本人男性の歌手たちはやはり「無惨」な姿にしか見えませんでした。そこには明治以来の日本の近代化の彼我の差の省察を欠いた「上滑り」(夏目漱石)が象徴されています。日本男性が西洋男性に扮する演劇や歌劇は全てやめたほうがいいでしょう。その意味でも歌劇は純粋に音楽だけを楽しめる演奏会形式にした方が望ましいと思います。

 

11月9日(日)曇り時々小雨

 立冬も過ぎ、朝夕めっきり寒くなり、日暮れも早くなりました。11月はクラシック音楽で小生好みの演奏会が立て続けです。11月3日(祝日)には、バロック・ヴァイオリン奏者のジュリアーノ・カルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラの演奏会で三鷹市芸術文化センターへ出かけました。稲妻の光のような驚くべき快演でした。その感想を電光石火のヴィヴァルディと題して記しましたのでご覧下さい。昨日は、横浜のみなとみらいの小ホールで催された「第15回横濱・古楽の秋」と銘打つ演奏会へ出かけました(左写真はみなとみらいに浮かぶ帆船「日本丸」)。小生が敬愛するチェンバロ&フォルテピアノ奏者、渡邊順生氏らが5年前から運営している古楽シリーズの15回目です。この日は、12時からバッハ、15時からモーツァルト、19時からベートーヴェンと、三大巨匠の多彩な名曲を集めた丸一日がかりの演奏会でした。バッハの二台のチェンバロのための協奏曲ハ長調(BWV1061)の知的な華麗さ、モーツァルトのピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調(K452)の古雅な管楽器たちの音響、ベートーヴェンのチェロソナタ第3番イ長調の男性的なダイナミズムなどが特に印象に残りました。さすがに時折疲れて居眠りもしましたが、晩秋の一日、古楽を心ゆくまで堪能しました。


 

11月22日(土)晴れ

 暦の上では今日は「小雪」。雪が少し降る頃とされますが、実際今週は日本列島が急に冷え込み、北海道や東北ではかなり雪が積もり、西日本各地でも初雪が観測されていました。小生の職場のエレベーターホールから、この季節は朝方、富士山の頂が見えるようになりますが、昨日見た富士山はすっかり冠雪して真っ白な姿でした。

 さて、我が家では「藝術の秋」よろしく、ここのところ、「美」を求めてあちこち出かけています。9日(日)には、我が家からほど近い一橋大学の兼松講堂(左写真)で催されたフォルテピアノ奏者の渡邊順生氏とザ・バロックバンドによるモーツァルトとベートーヴェンの演奏会に妻と出かけました。この演奏会は前日の「横濱・古楽の秋」のプログラムのダイジェスト版でしたが、みなとみらい小ホールとは音響がかなり違い(兼松講堂の方が残響がずっと少なく自然で軽やかな音響です)、同じ曲でもずいぶん響きが違って聞こえました。この日の曲目の中では、何と言っても、最後に演奏されたベートーヴェンの第四協奏曲が出色の出来映えでした。渡邊氏が所有しこの日も弾いたフォルテピアノは、1818年にナネット・シュトライヒャーというウィーンの女流ピアノ製作者が製作した楽器で、ベートーヴェンはこのシュトライヒャーのピアノをとても気に入っていたそうです。現代ピアノよりも2オクターブ鍵盤は少なく、音量も小さめですが、全体に音色は明るく柔らかで、低音と高音の音色が違って聞こえます。とりわけ最高音部はきらきらときらめくような独特の音を出します。この楽器で聞くと、ベートーヴェンが第四協奏曲のあちこちで高音部分の美しいきらめきを効果的に使っていることがよくわかりました。


 我が家の娘は9日から13日まで友人と韓国へ旅行に行っていました。彼女の大学へ留学していた韓国人の友達に現地を案内してもらって、充実した旅行だったようです。学生生活も残り4ヶ月。このところの景気悪化で今の三年生は就職活動が厳しさを増しているようですから、我が娘たちの学年は恵まれていたことになります。企業業績の悪化を新卒採用削減によって調節する日本企業の慣習は必ずしも褒められたものではないと小生は感じています。若い人にシワを寄せる前に、中高年の処遇も考慮しないと、企業としての活力が失われることにならないでしょうか。

 さて、15日(土)は終日妻と出かけました。午前中、月例の謡の稽古の会に出た後、午後は両国の江戸東京博物館で催されている「ボストン美術館展」を拝見しました。ボストン美術館所蔵の浮世絵版画、肉筆画などこれまで殆ど外部に出たことの無かった品々も含めた159点が展示されていました。保存が良く、色彩の鮮やかさは驚くばかりです。浮世絵の初期から幕末まで時系列で展示されていたため、画のあり方がダイナミックなものへと大きく変遷したことがよくわかりました。また、浮世絵は歌舞伎と切っても切れない間柄なのだということも、歌舞伎を題材にした画の多さから実感できました。この美術展では、歌川國政の歌舞伎役者の個性を捉えた顔の画や葛飾北斎の構図の斬新さや歌川國芳のダイナミズムも印象的でしたが、とりわけ小生が気に入ったのは、比較的初期の鈴木春信(1725年?〜1770年)の清楚なタッチの美人画です。右写真の源氏窓を背景に若い男女が睦ましくしている画など、青春の恋の喜びが匂い立つようです。


 15日の夜は、浜松町の自由劇場で、劇団四季の公演「解ってたまるか!」を観劇しました。これは福田恆存の風刺劇で、小生は2005年にも一度見ていますが、この日は小生もメンバーになっている「福田恆存読書会」に来てくれた劇団四季の方より再演のお知らせをいただいたことから、妻とともに見に行ったのです。「解ってたまるか!」については2005年5月21日付「近況メモ」をご参照下さい。主役を演じた加藤敬二さんは、前回も演じていましたが、言葉数が多く修辞も複雑でめっぽう早口の福田恆存の台詞を、今回は見事に自分のものにしてこなしていたように思いました。妻もけっこう喜んでいました。翌16日(日)には、その福田恆存読書会の方々と例会の番外編として、大磯の福田恆存の墓にお参りに行きました。海風を感じる大磯駅からほど近い福田の墓は、飾り気のないごく簡素でもので、彼の強靱なストイシズムが表象されているようでした。

 18日(火)と翌日は所用でお休みをとり、福井県の敦賀に出かけました。敦賀では北陸でも最古の神社のひとつ、気比神宮に立ち寄りました(下の写真)。小生は気比神宮の気品ある佇まいが大好きです。また、敦賀原発の関連施設「プラザ萬象」でちょうどその晩「能を楽しむ会」が催され、京都の観世流のシテ方、味方玄(しずか)さんが舞う能「鞍馬天狗」を拝見しました(左写真)。小生、味方さんの大ファンで、6月には大鼓方・亀井広忠さんの主宰した演奏会形式の「歌・舞・音・曲」での舞囃子「邯鄲」を、8月には郡上大和の薪能で能「くるす桜」を拝見し、今回は「鞍馬天狗」です。味方さんのフォルムは、比較的荒々しい役柄の大天狗になっても見事に均整が取れ、しかも力強いものでした。ぜひ大成してほしい能役者さんです。


 

    
気比神宮の銀杏                    気比神宮の紅葉と松            北陸線特急車内から撮した日本海

 

12月7日(日)晴れ

 暦の上では今日は「大雪」ですが、東京地方は穏やかな日々が続いています。久しぶりに家の周辺を散策してみると、冬らしい景色に遭遇します(下の写真をご覧下さい)。冬空は空気が澄んでいますので木々の色彩が鮮やかに見えますね。先週は娘がアルバイト先の販売成績で日本一になり、褒美に高級バッグをもらえることになりました。何事にしろ、結果を出して達成感を味わうことは自信にもなりますので、いいことだと思っています。

 さて、発足後2ヶ月半を経過した麻生太郎内閣の求心力が急低下しているようです。麻生首相が外務大臣の頃の演説や講演をまとめた「自由と繁栄の孤」(幻冬舎文庫)は、日本外交のあるべき方向性を明快に示したものとして大変面白かったので、小生は個人的には麻生さんは嫌いではありません。失言も多いですが、自分の言葉でメッセージを発することができる(従って国際的に通用する)数少ない日本の政治家だと思います。首相就任当初から世界的な金融危機が到来しましたが、麻生首相は素早く「景気対策最優先」を打ち出し、衆議院選挙を先送りしました。「ばらまき」と言われようが何と言われようが、その言葉通り景気対策をスピーディに実行に移していれば、果敢に危機に対応する首相というプラスの評価を得ていたでしょう。しかし、まず定額給付金の所得制限問題で躓きました。麻生首相自身は「所得制限を設けず全所帯に支給する」と表明したのですが、与謝野馨経済財政担当大臣が所得制限が必要だと述べ、これを押し切れずに所得制限するかどうかは地方自治体に委ねるという無責任な決着にしてしまいました。以後、道路特定財源の一般財源化や郵政事業の株式上場問題で自民党内部の様々な声を統御できず、ついには追加的な景気対策である第二次補正予算の提出を来年の通常国会に先送りしてしまいました。これでは「景気対策最優先」が看板倒れになってしまいます。

 米国発の金融危機から世界経済の急速な減速が明らかになっています。各国政府とも、国際協調を維持しつつ、金融安定化と景気対策になりふり構わず邁進している中で、日本政府のもたつきぶりが目立つようになりつつあります。危機時の迅速な意思決定と政策実行−21世紀の政治に求められる資質を日本政治が持ち得ないのは何故でしょうか。90年代以降、日本政治においても、政府の実行力を高めるために、首相への集権化をもたらす様々の制度改革がなされ、小泉純一郎元首相は集権化された政治制度をそれなりに統御・活用しました。しかしそれ以後の安倍、福田時代にはそうした動きが後退しています。日本政治はどこへ向かっているのでしょうか。

 そんなとき、ちょうど、その疑問に答えようとする著書が出ました。それが、今回、日本政治の歴史的、世界的な立ち位置を確認する書―野中尚人著「自民党政治の終わり」を読む―(第一回)と題して書評の第一回目を記した学習院大学の野中尚人教授の著書です。ここで、野中教授は、麻生さんの個人的資質のいかんに関わらず、自民党を中心に回転した従来の政治システムが時代にそぐわなくなっていることを歴史的視点と日本同様に議院内閣制を採る欧州各国との比較政治によって明らかにしています。野中教授の言う「欧州標準の議院内閣制」を実現するには、経済政策について言えば、小さな政府か大きな政府か(それとも「第三の道」か)といったわかりやすい論点での政党配置が不可欠です。今の政党では、自民党の中に自由主義路線の人と従来型の日本的平等主義路線の人が混ざっていますし、民主党に於いても自由主義の人と社会保障重視の平等主義の人が同居しています。小生は「主義主張」に基づいた政界再編を強く望む者です。

 

      
我が家の庭のいささ紅葉  枯れ葉を敷き詰めた森の散策路   黄色に色づく山法師(ヤマボウシ)の木       冬空に映える柿の木

 

12月28日(日)晴れ

 右の写真は先週の晴れた朝、新聞を取ろうと玄関を開けると、金色の朝焼けが目に飛び込んできたので、さっそく撮影しておいたものです。さて、今年も押し迫ってきました。年末は何かと気ぜわしいものですが、とりわけ今年の年末は、金融危機が国内外の経済・社会に大きな影を落としており、小生の仕事上も、なかなか気の休まらない年の瀬になっています。業務上ないし職場での忘年会などもほとんど無くなりました。そんな中ですが、ここ二週間の間に、家内が六本木の新国立美術館に書を展示した(もちろん何百人の作品の中のひとつですが・・・(^^;)ので見に行ったり、レニングラード国立歌劇場管弦楽団の演奏会を聴きに、一橋大学の兼松講堂に出かけたりしました。この演奏会では、家内が好きなラフマニノフのピアノ協奏曲第二番がお目当てでした。

 来年も世界の情勢は予断を許さない状況ですが、逆に、こういう時こそ、大きな変革や転身を行うには良い機会だとも言えます。小生も、一段の飛躍を期したいと念じています。では、皆さんも良い新年をお迎え下さい。


 

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