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近況メモ(平成21[2009]年11月〜12月)

 

平成21(2009)年〜「鶴亀を舞う」から「白妙の袖」へ

 

11月8日(日)曇り

 昨日は旧暦の「立冬」。朝の空気も日増しに引き締まって、冬が近づいてきたことを感じさせてくれます。さて、下の写真は、さる10月24日に「府中の森芸術劇場」で催された各流合同謡曲大会における我が「府中宝生会」の仕舞や謡の一コマです。小生、今回は、基本に返って「鶴亀」を舞わせていただきました。型は一応無難にはこなしましたが、どうも顎が出る悪いクセが本舞台になると直りません(^^; 家内も参加した素謡は二曲ともけっこうよくできたと思います。習い始めてまだ2年くらいの方々も、立派にシテ・ワキなどのお役を務められましたし、地頭の金子先生に皆がぴったりと声を合わせて謡えました。

 民主党政権が発足して2ヶ月。今回は、民主党政権の経済政策について印象を記しました。民主党政権印象記その2〜新しい経済理論の出現?をご覧下さい。


    
仕舞「鶴亀」を舞う管理人          素謡「小鍛治」を謡う府中宝生会の面々       素謡「紅葉狩」を謡う府中宝生会の面々

 

11月14日(土)雨のち曇り

 左写真は、先週所用で訪れた東大駒場構内の美しい並木道です。この日、少し早めに行き、駒場博物館で公開されていた「観世家のアーカイブ」を拝見しました。この展示会には、観世流宗家に伝わる世阿弥直筆の伝書や能本をはじめとする貴重な資料の数々が展示されていました。「風姿花伝」第六「花修」と第七「別紙口伝」の断片や、能本「難波梅」や「松浦之能」などの直筆本に見る世阿弥の筆致は、決して達筆とは言えませんが、丹念で、伝えたいことをわかりやすく伝えようとする意図が伝わってくるような丁寧さを感じさせてくれるものでした。

 能と言えば、前回書き忘れたのは、10月27日に宝生能楽堂で行われた宝生流若手能楽師たちによる「青雲会」です。素謡「竹生島」、仕舞「嵐山」「熊野(ゆや)」、舞囃子「鶴亀」「雲雀山」「鞍馬天狗」それに能「田村」が演じられたこの会、若手能楽師たちのひたむきさが伝わる気持ちのいい会でした。女性だけの素謡「竹生島」も、凛として春の風情が伝わってくるような爽やかなものでしたし、舞囃子「鶴亀」の威風堂々振りも見事でした。小生が習ったことのある基本の曲も多くて、今後の参考にもなりました。

 11月6日には、オペラシティで催されたマルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊の演奏会に行きました。ハイドンの交響曲三曲に、アンコールが30分以上も加わる贅沢な演奏会でした。古楽オケらしい切れの良い爽快な音楽は実に楽しいものでした。


 

11月29日(日)曇り

 いよいよ冬らしい気候になってきました。写真上段は、先々週から先週にかけて出かけた各地で撮った冬の空です。左は実家に帰省した際に電車の車窓から見えたきれいな筋雲を、中央は所用で出かけた新宿センタービル53階の展望コーナーから東京の東側の澄んだ空を、右は「皇室の名宝展」で立ち寄った上野公園の雲一つ無い冬空を、それぞれ撮ったものです。冬はこうした空の様々な表情を見せてくれますね。

 さて、写真下段の左二枚は、バリトンという楽器です。この楽器を主役にしたエステルハージ・アンサンブルの演奏会で所沢の松明堂という小さなホールに行った際、演奏の休憩時間に自由に撮影させてくれたものです。バリトンは今では滅びてしまった楽器で、現代の楽器ではチェロに似た形をしています。バロック時代から古典派時代の18世紀頃まで南ドイツやオーストリアの王侯貴族の間で愛好された、ヴィオラ・ダ・ガンバと同族の楽器です。ガンバと同様、7本のガット弦を弓で引いて演奏しますが、楽器の首の部分の裏側にも十数本の弦が張ってあり、これを左手の親指で弾(はじ)くことができるようになっています(写真下段中央をご覧下さい)。つまり、左手の親指以外の指で表側の弦を押さえて右手で弓を引きながら、左手の親指は裏側の弦を弾(はじ)いて鳴らすという至難な演奏技術が求められるのです。また表側の弦を引くと裏側の弦が共鳴して独特の音色を醸し出します。ハイドンが仕えたハンガリーの大貴族、ニコラウス・エステルハージ侯がこの楽器の愛好家だったため、ハイドンはバリトンを含む室内楽曲を140曲近くも作曲しています。
 この日の演奏会では、ハイドンの作品を中心に、バリトンの二重奏曲1曲とバリトンにヴィオラとチェロが加わった三重奏曲4曲が演奏されました。今年はハイドン没後200年という年ですので、彼の交響曲や弦楽四重奏曲や宗教音楽などの演奏会が数多く催され、ハイドン・ファンの小生は、できるだけこの機会を逃すまいとこうした記念演奏会を追いかけまくっていますが、このバリトン演奏会が最も稀少性が高いと言えましょう。このウィーンの団体・エステルハージ・アンサンブル、よくぞ来日してくれたものだと思います。この日演奏されたバリトンを含む室内楽曲は、おおむね優雅な宮廷音楽で、とりわけ、バリトンの裏側の共鳴弦がハープのような音をポロンポロンと響かせると、匂い立つような優雅さが会場に広がります。しかしハイドンはおおむねワンパターンの音楽の中にも、ときおり、はっとするようなシリアスな情調を組み入れます。特に、イ短調(HOB11ー87)などは古典派独特の「疾走する悲しみ」の情調を湛えた「名曲」でした。
 松明堂は小さなホールですので、演奏家の指使いまで間近で見ることができましたが、エステルハージ・アンサンブルを率いるミヒャエル・ブリュッシングさんの指は白魚のように白くて細いもので、その細い指が自在にこの演奏が難しい楽器を操ります。バリトンという楽器を復元し維持管理し、しかも日本まで来て演奏会を開く彼の一途な職人気質を、小生は愛してやみません。

 先週は、上野の国立博物館で催されている「皇室の名宝展」に行きました。正倉院の御物などはその工芸の技術の高さに目を見張りましたし、書や絵画も、美術や歴史の教科書で見たことのある品々の「本物」に出会えて感激です。「蒙古来襲絵詞」もそうですし、藤原為信・豪信父子が描いた「天子摂関御影」のうち、崇徳天皇、後白河天皇、後鳥羽天皇、後醍醐天皇などの肖像は、歴史の教科書を懐かしく思い出させてくれました。特に後醍醐天皇がいかにも偉丈夫の顔つきをしているのが印象的です。しかし何と言っても、「春日権現験記絵(かすがごんげん・げんきえ)」の、鎌倉時代当時の人々の生活が活き活きと描かれ、笑い声や息遣いまで聞こえてきそうな見事な絵巻物語には驚愕しました。これはまさに現代の「劇画」の先祖です。書では、西行法師の直筆の書状が残っていることに感嘆し、家内が今ちょうど書道で手本にして取り組んでいる王羲之の「喪乱帖」の本物があったのにも、偶然とはいえ、驚きました。


    
愛知環状鉄道の車窓から初冬の空        新宿センタービルから初冬の空         上野公園の青空と銀杏の木々


      
    バリトン(表側)       同左(裏側)と奏者のブリュッシングさん      皇室の名宝展の入り口看板(国立博物館)

 

12月5日(土)雨

 きょうの関東地方は冷たい雨の降る一日でした。下の写真は、今週撮った冬景色です。2日の夜がちょうど旧暦神無月(十月)の十六夜に当たります。涼やかな満月が光り輝いていましたが、携帯のカメラではうまく撮れません(^^; 紅葉も見頃を過ぎようとしています。銀杏の葉を敷き詰めた広場の様子が美しい季節になりました。

 さて、昨日は、九谷焼の陶芸家、谷敷正人さんに久しぶりにお目にかかりました。谷敷さんは、小生が金沢にいたときに知り合った同世代の陶芸家で、今回、池袋東武の美術画廊で催されている「九谷焼伝統工芸士展」の展示で上京されたのです。同世代ということもあり小生と馬が合う谷敷さんの作風は、古典的風格が基調となっており、奇を衒わない正統な作風に小生は好感を持っています。この日は、夜、バロック音楽などのお好きな谷敷さんといっしょに、大久保の淀橋教会で行われたモーツァルト・アカデミー・トウキョウ(MAT)の演奏会に行きました。前半はハイドン兄弟の教会音楽、後半はこの日が命日のモーツァルトを偲んで彼のレクイエムが演奏されました。MATは毎年モーツァルトの命日の12月4日にレクイエムを演奏しています。
 前半二曲目の兄ハイドン作曲のト短調の「サルヴェ・レジナ」(Hob.]]Vb:2)は、ハイドンが若い頃書いた教会音楽の中でも傑作の一つです。この曲と同趣旨の聖母マリアに憐れみを乞う内容の教会音楽をハイドンは4曲も書いています。音楽学者のロビンス・ランドンは、こうしたハイドンの聖母マリアへの熱心な信仰を、ハイドンの悲しい失恋と関連づけてこう述べています。「生涯に亘って思いを寄せた女性が女子修道院に入るのを見ながら、もう二度と会えないと悲嘆に暮れるハイドンが、聖歌隊席から感情を露わにしてサルヴェ・レジナを指揮する様子を思い浮かべてみよう。」確かに、「涙の谷に泣き叫ぶ私たちを憐れみたまえ」という歌詞の内容や、最後にひっそりとピアニシモで消え入るこの曲のもの悲しげな情調は、ランドンの想像を確かなものに感じさせます。オルガンのソロが活躍しますが、それはハイドン自身が指揮しながら弾いたのではないかとランドンは推測しています。
 モーツァルトのレクイエムを通して聴いて今回感じたのは、やはり弟子のジュスマイヤーが補作した曲の中央部は音楽が精彩を欠いており、最初の部分の圧倒的な迫力や精緻さと比べるとどうにも弛緩していることでした。それにしても、曲の前半に見られる独唱のリリシズム、合唱の緻密さ、バセットホルンの深々とした響き、時折咆哮する金管の激しさなど、いつもながらモーツァルトの音楽には心の奥底を強くえぐられ揺り動かされます。MATの演奏もモーツァルトの美点を知り尽くした見事なものでした。

 さて、前回書き漏らした11月23日の「喜宝会」のことを記しておきます。「喜宝会」は、宝生流能楽師・武田孝史師の素人弟子さんたちの発表会です。小生が一緒に謡や仕舞を習っている府中宝生会のメンバーである田中さんと嘱託の金子先生が武田師のお弟子さんとして仕舞で出られるのを応援かつ鑑賞に出かけたものです。田中さんは「玉葛」を、金子先生は「高野物狂・クセ」を舞われました。「高野物狂」の仕舞は、ゆったりした、さほど変化に富んだものではなく、こうした曲で「魅せる」のは中々大変です。しかし金子先生は、さすがに型の美しさと「間合い」の見事さで魅せてくれました。会の最後に、武田孝史師が登場し「井筒」を舞われましたが、これがまた驚異的でした。その動きは精密機械のように精緻を極めた滑らかなもので、一寸の隙もありません。しっとりした場面のゆったりした舞なのですが、圧倒的な存在感で見る者の目を釘付けにしてしまう迫力は、プロの鍛錬を感じさせてくれました。


       
旧暦神無月(十月)の十六夜の満月                広場一面に広がる銀杏の葉      

 

12月13日(日)曇り

 年の瀬も押し迫ってきました。我が家でも、和室の障子を入れ替えたり、年賀状を買ったりと、ぼちぼち新しい年を迎える準備を始めました。

 さて、10月30日にフランスの文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロース氏が死去しました。101歳になる直前のことでした。小生はレヴィ=ストロースが大好きで、20歳代の頃、よく彼の著作を読んでいました。その後、いつまで経っても亡くなったという話を聞かなかったので、きっともう忘れ去られているのだろうとばかり思っていました。まだ存命だったとは驚きです。しかも報道によれば、亡くなる間際まで現在の世界情勢に強い関心を持っていたとのこと。日本の文化・歴史にも造詣が深く、日本人の職人芸を愛していました。
 右写真は、みすず書房から出ているレヴィ=ストロース著「人種と歴史」です。簡潔なエッセイ集で、彼の感性や思想のエッセンスを知るのに適した入門書です。この装幀は2005年に出た新版で、小生の手元にある本とだいぶ違っています。彼の代表作「悲しき熱帯」も、今では中公クラシックスのシリーズに収められており、小生が昔読んだ中央公論社の分厚い本ではなくなっているようです。
 レヴィ=ストロースは構造主義の元祖と言われますが、彼を理解するには、何々主義者というようなレッテルを貼っても無駄です。あらゆる優れた思想家がそうであるように、彼は特定の主義を主張するというような狭く堅いことは一切していません。私たちは、彼の感性がいかに研ぎ澄まされていたか、いかに歴史への洞察力が並はずれていたかを彼の著作から感受すべきだと思います。詳しくは、拙文レヴィ=ストロースの感性をぜひお読み下さい。


 

12月30日(水)晴れ

 今年も残すところあと2日。テレビ番組などもすっかり年末年始のモードになり、通勤電車もめっきり人数が減りました。小生は、先週の急な寒さと空気の乾燥に負けて喉の痛む風邪をひきましたが、一週間ほどで回復しました。皆さんもお気をつけ下さい。

 さて、左写真は、毎年12月中旬に六本木の新国立美術館で開かれる全書芸展で展示された家内の書です。今回はかな文字に挑戦しました。書の内容は、西本願寺三十六人集のうち、紀友則集からの和歌です。

  花見つつ 人待ちをりは 白妙の  袖かとのみぞ 誤たれける

  (私は花を眺めながら人を待っていますが、その時に真っ白な菊の花がそよぐのを見ると、
   私の待っているあの人が白い袖を振って来るのかと見間違えてしまいます)

という歌です。昔は着物の色鮮やかな袖が翻ると、恋人の目には相手の思いやメッセージが鮮烈に伝わったことでしょう。秋の菊の花と見紛うような鮮やかな白い袖が翻る様が目に浮かびます。

 今年は政権交代という歴史の節目の年になりました。願はくは、国内事情ばかり斟酌する政治ではなく、目を世界に向けて世界の中の日本の立ち位置を戦略的に考える政治にしたいものです。今回本文に記した「洋もの」不振の背景をぜひご参照下さい。では、良い新年をお迎え下さい。


 

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