道教と仙学 第4章

 

 

3、各派の丹法の要訣

 

 

 仙学の修練は深遠であり、どの派にも口訣があって、真運行のありさまを詳細に示している。こうした口訣は、丹経や道書の難解な部分に対して付けられている。人々は身をもって知ろうとしないと、読んでもわからず、深く理解することなく終わってしまう。実際の丹法の流派に着目し、その鍵となる修練法を概括しよう。

 

(1) 南宗

 南宗の丹法は、命功を重んじ、まず命を修めてから性を修める。男女双修の陰陽栽接の術も伝えている。張伯端以下、陸彦孚、劉永年、翁葆光、陸子野、陳致虚、戴同甫、甄九映、陶素耜、仇兆鰲などがこれを伝えた。《悟真篇》には、「陽の中にある陰精の本質は剛ではなく、一つの物を独り修めれば羸[痩せた蛇]に転ずる」、「巧偽を功力として施すのをやめ、他家の不死方を認めて取り、鼎の中に延命酒を施し添え、壷の中に返魂漿を収め取る」などと書かれている。これらはすべて男女双修の要訣である。陳致虚は「男子の体の中はすべて陽であり、もし自分だけで修習することにとらわれていたら、どうしてその元をその本に返し、何でもって陽を回し骨を換えることができるだろうか?」(《悟真篇四注》)と述べている。南宗の上乗功法は、体を隔てて神を交えることである。男は衣を脱がず、女は帯を解かず、陰と陽が向かい合って座り、神と気を互いに通わせ、お互いの情に応じるようにして、二気を交感し、双方を接ぎ合わせて双方を補い、合して丹を成すのである。南宗の丹法は、全てに火候があり、薬物の運用は絶妙で、煉己鋳剣の法を最も重んじる。その丹法の手順には凝神定息、運気開関、保精煉剣、採薬築基、還丹結胎、火符温養、抱元守一などがある。南宗の煉剣(「天龍」とも言う)は、丹法のもっとも重要な部分である。関を開くには積をたくわえる]と聚を集める]の二つの方法があり、積の方法は遅く、聚の方法は速いが、どちらも口訣秘伝がある。

参考 ⇒ 南宗丹法(清修)

(2) 北宗

 北宗は性功を重んじ、まず性を修めてから命を修める。自分自身で陰陽交合する清静丹法を伝えている。北宗の丹功は命功を三分説明し、性学を七分説明する。性を修めることは心を修めることであり、命を修めることは術を修めることである。はじめに心を煉り性を修めるが、その内容は要約すると清静無為ということである。心を明らかにし性を理解すると、次に仙術を修練し、還虚合道の仙人の境界に到達できる。全真道には出家住庵の制度があって愛欲を断つことは広く知られている。精が漏れなくなることを小周天が完成した印とし、陰陽栽接を邪術であるとして斥け、仏教の禅の長所を吸収している。

 北宗の命功において重要な点は清浄からとりかかることである。清はその心の源が清いことであり、浄はその海が浄いことである。心の源が清いというのは外物によって乱されないことであり、海が浄いというのは邪欲に触れないことである。呼吸を調えて落ち着くようにしてずっと静を極め生を動かしていくと、先天の元陽が芽生え、竅を開く。先天の真気を集め、天地の真陽を盗み、自分の体内で交合して丹を完成すると、次第に陽が長じ陰が消えていく。そして、純陽の体が練り上がると命功は完成する。清静無為で、思いも気掛かりもなくし、を養って神を完全にし、神を凝らして虚を極める。そうすれば、神とは天と地の間に充ちて、自然に虚に戻り道と一つになることができる。

 全真教の七真人はそれぞれ流派を創始したが、その中で邱処機の龍門派が最も盛んである。邱処機は19歳で家を出て26歳の時王重陽に師事して丹訣を得た。まだ若く元気だったので、清静丹法を修練して道を完成させた。彼が言うには、「私の流派ではもっぱら性を知ることを貴び、水と火の配合はその次である。主に呼吸によって意識を集中することが基礎であり、性によって空をはっきり理解することが実地である。知識を忘れさえぎるものを取り除くという効用がある。龍虎や鉛汞を見ることはないが、すべての人が法の姿を見て、物事にとらわれることがない」《長春祖師語録》。その丹功の要訣は、神を凝らして静かに意識をかけるという回光の法である。人間の二つの目の中には心性の霊光が宿っている。目を閉じて一念も生じないようにし、内を見ることによってその心性の霊光を回す。神を凝らしてを集め、それらを溶け合わせる。やがて陽が増して精を生じ、酔ったように全身が温暖になり、次第に佳境に入っていく。このやり方は、禅功参悟の長や儒家品徳修養にもある。この派は、道家と道教の煉養の術に取り入れ、三教の真を全て一つにして「真人」の境地に登っていくのである。

参考 ⇒ 王重陽の丹法

(3) 中派

 李道純は内丹学によって儒家の書を解釈した。彼は、当時の理学家が高く評価していた《四書集注》の《中庸》篇の「喜怒哀楽の未発を中と謂い、発し而して皆中節であるを和と謂う」とという句と、《尚書》の「人心これ危く、道心これ微、これ精これ一、まことにその中を執る」という句に特に悟るところがあり、《中和篇》を著し、「守中」を丹功の要訣としている。「中」というのは玄関一竅であり、この丹法は人体の中と天地の中を感応させて天と人が一つになるという金丹大道である。

 伊真人(伊志平)が口述しその高弟が著した《性命圭旨》も中派丹法に属する。清代の道士の黄元吉が著した《道徳経注釈》、《楽育堂語録》、《道門語要》などもまた中派清静丹法である。中派丹法は中黄直透であり、後ろから上げて前から降ろす方法を用いず、開合のことも言わず、面壁の方法も用いず、すぐに仙境に昇る。その丹法は北宗の丹功と同じ清浄な方法であるが、丹を動くことを防いだり面壁して陽神を出すというような種々の危険はない。龍門派第11代道士閔小艮(道名一得)は、《古書隠楼蔵書》および《金蓋心灯》などを著し、ヨーガのチャクラの修練方法を内丹術に取り入れ、中黄直透の丹法を伝えた。これも中派に属している。

 《参同契》には、「黄中が通ると、潤いが肌膚に達する」と書かれている。このために丹家の中には黄道を修める一派が形成され、修中脈と称した。体の前にある任脈は赤道であり、体の後ろにある督脈は黒道である。中脈は人体の中央正位にあり、前でも後ろでもなく、下は坤土(色は黄)を中心とし、中黄のを得るので、黄道と言う。内丹家は中脈を衝く方法と、密宗[チベット仏教]の中脈を扱う修練方法とは暗合していると言っている。中脈を通すとその脈路上の7つの孔(7つの門とも言う)は浄化し滞りがなくなるが、これはヨーガの7つのチャクラを通す功法と暗合している。おそらく天下の事は道筋が違っても同じところに行き着き、百の思いも一致し、人体の秘密も結局一つに集約されてしまうのではないだろうか。《黄庭経》にすでに「7つの孔」「7つの門」のことが説かれているし(「7つの孔が通じると老いを知らず」、「中に真を有する人巾は金巾、甲を負い符を持ち七門を開く」)、黄中、衝脈、黄道を説いているのは古い丹経にも見える。これは中国の古代の丹家がむかしから修練してきたが、不伝の秘となっている。

 

(4) 東派

 陸潜虚の創始した東派の丹法は夫妻双修の正宗丹法である。陸潜虚には《方壷外史叢編》などの著作がある。陸潜虚は《玄膚論》、《金丹就正篇》、《金丹大旨図》、《七破論》などの書の中で男女双修の道について、「先天の精を自分で積み、先天のを彼から取る」、「金丹の道は陰陽相合して成るものである。人道は順に施すが、仙道は逆に取り、坎で薬を取り、離で丹を造る。何を疑うことがあろうか?」と述べている。

 東派の功夫は、すでに破体している老年夫婦の双修に適し、竹が破れたら竹で補い、人が破れたら人で補う法を用いる。東派の丹法は逆用逆修が原則であり、気を借りてを修め、命を仮りて命を続け、気を集めて関を開き、追って摂取し移植する。その訣はあえて軽く伝えないが、その訣を得た者は、清修百日の後、一度真鼎を用い、わずかな時間で丹を結ぶことができる。この法は修練を行う男女の双方に成果があり、利があって害はない。だから、明末の朴真道人は《玄寥子》で、「東派の開関展竅訣、提吸追摂訣、過関服食訣は、インドのヨーガやチベット密教の双修法と較べても、特に上乗で簡妙である」と言っている。清代に傳金銓が伝えた男女双修丹法の源流も東派であるが、上乗功夫ではない。

 

(5) 西派

 李涵虚の創始した西派丹功も陰陽二品大丹法であり、男女双修の中上乗功夫である。李涵虚の著作には《道竅談》、《三車秘旨》、《後天串述》、《無根樹詞解》、《圓内篇》などがあり、独創的なものを備えている。

 西派丹法はまず清静によって自然立基し、その後男女双修によって丹を完成させる。西派の功法はまず念を整えて落ち着かせ、打坐して意識を集中する。9段階の煉心の法があり、修身妙道と言う。静定の中にもすべてカリキュラムがあるが、静定の功に上達すると、すばらしく自然になる。

 先天未破の童子は自分だけで清静し胎仙を得ることができるが、破体の人はすべて女鼎(彼家)を借りて気を真にして丹を完成させる。その法訣は、すべて口伝秘授が必要である。西派丹法は、手順の区分が細緻で、丹功は細かすぎて煩わしく複雑である。築基を小築基と大築基に分け、煉己も内煉己と外煉己に分け、煉心を9段階に分けるといった具合である。この派は近世でも依然として伝える人がある。

 

(6) 文始派

 文始派丹法は《老子》、《荘子》が本来のかたちであり、《文始真経》に代表される。この派の丹功は虚無を根本とし、性を養うことを主旨とする。丹法の中でも最上の一乗虚無大道である。この丹法は人に悟ることを教えるだけであり、為すことも行うことも有することも何もない。虚を極め静を篤くし、自分の元陽神を天地の元陽神と一つにし、天地虚無の真機[真の機能]を盗んで自分の神の真機と一つにし、人もなく我もなく天もなく地もないという宇宙精神と通じる境地へ入っていく。丹を煉ったり成したりはしない。思慮をなし、是と非を斉しくし、他人と自分を同じくできると、天地と合して虚無の境地に帰り、道と相合すると言う。

 文始派丹法は一種の頓法[急速に進む方法]である。最も上の段階である神を煉り虚に還ることから始め、直ぐに虚を極め静を篤くすることに至る。精は自ずとと化し、は自ずと神に変わる。精や気のことは言わないが、神がをコントロールするのだから、性を理解できると自然と命を理解できる。これは自分自身が自然と合しそして虚無に帰るという丹法である。

参考 ⇒ 文始派修真要旨

(7) 三

 三派丹法は文始派と少陽派の特徴を総合した体系である。最初の修練法は、有為にも無為にもとらわれないようにすることである。陰陽栽接の清静法門であるが、南宗と北宗の長所も吸収している。

 張三は《道言浅近説》で、「心を臍下に止めることを凝神[意識を集中すること]と言い、気を臍下に入れることを調息[呼吸を調える]と言う。神と息は互いに依存しあっているが、その清静自然を守ることを勿忘[忘れてはならないこと]と言い、その清静自然に順うことを勿助[助けてはならないこと]と言う。忘れることなく助けることなく、黙をもって柔をもって、息は活発でそして心は自在で、すなわち鑽[錐で穴をあける]字訣を用いる」と言っている。その基築の方法は、まず性を煉り心を修めることからはじめ、心が定まり性が清らかになると自然に薬が生じる。薬は内外に分けられる。内薬は性を養うことであり、自身に生じる元精である。外薬は命を立てることであり、身外の虚空の中の先天の一である。心性が静に定まると元気が長じ、元神が活発になり、次第に先天無極の境地へ返っていく。

 三派は陳摶の創始した臥功「蟄龍法」も伝えている。神が黙し気が冥くなり、眠っても醒めていると、元は和らぎ内が働く。この修練法ではそれよって道を得る。これは老人の修練に適している。

 

(8) 青城派

 青城丹法は青城丈人が創始したもので、李八百などが伝えた。《青城秘録》、《大道玄指》などにその修練法が書かれ、南宗の男女栽接術と北宗の清修法の長所を合わせ持っている。その修練法は上、中、下の三乗に分けられ、伝える法訣は人によって異なる。

 青城派の上乗丹法は「無」の一字をもって相伝され、無心無念、無人無我、無天無地、無法無道を要する。一切をなげうって無を守り虚と合致し、無為の中に有為が生じるようにする。最上層の修練法は中、下層の修練法にも通じ、後天から先天に到達し、再び先天から後天に帰り、最後には先天と後天を合一して丹を完成する。上乗栽接術は、「千里神交、万里心通」という心の働きを感応させる方法である。天地陰陽の精気を採り、自分の精気を補い、それによって陰陽相合し、交わり感じて丹を成すのである。

 蕭天石氏が主に編纂した《道藏精華外集》の中に、彼自身の著した《道家養生学概要》と《道海玄微》が収められている。これらは各派の丹法をかなり緻密に論述し、青城派の丹法についても詳しく述べている。彼が見た《青城秘録》および《青城玉房訣》などの道書によれば、青城派の丹法には陰陽逆用法、乾坤返還法、大灌頂法、小灌頂法などの方法と用女鼎之対鼎器訣、結丹訣、煉己訣、還丹訣、脱胎出神訣、還虚合道訣などの秘訣があり、紛れもなく双修双補の正統大道である。

 

(9) 三峰採戦の泥水丹法

 泥水丹法は、閨丹ともいい、房中術から発展したものである。この派の丹法は明代に一時盛んに伝えられたが、正統丹家から旁門邪術として斥けられた。三峰採戦の法には修練のための秘伝が多い。丹訣を得なければ、戦っても採ることはできず、採っても補うことはできず、己を損して人を害し、いい加減に採りいい加減に煉っていると、反対に早死にすることになる。

 この派の丹法は、煉己鋳剣の法によって基を立て、鼎を選び鼎を用いて気を集めて関を開く。神剣を用いるのが絶妙で、龍を降ろし虎を伏し、陰陽を転化して功に用いる。功を行う時には大鎖金関訣、倒吸西江水訣、過関服食訣、吹笛訣、神用訣などの秘法があり、採真機要、顛倒造化、玉液接命、金液煉形などの段階がある。丹功を実践するには非常に繁雑で、法門も多い。破鼎、中鼎、老鼎を用い、最後に一真鼎をもって成るものがあり、九鼎を用いて体を補い一鼎で丹を成すものがあり、五兌一坎を用いるものがある。《玄微心印》と《三峰丹訣》などの道書を見ると、この派の概要がわかる。この種の丹法は、儒家の倫理から脱却してしまった時代には、知ることはできても学ぶことはできない。現代社会の精神を加えて改造しよい面をのばし悪い面を捨てるが必要である。

 

 そのほかの門派丹法も多いが、一々列挙しない。

 

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