〔出雲〕入線 (東京) |
2002年、冬。JR線が (北海道を除けば) ほぼ片づいたわけで、そうなると次は私鉄各線。四国・九州に続いて中国地方の片付けに乗り出しました。時刻表をひっくり返して練りだした走破計画は、延々と続く乗り継ぎに徒歩連絡まで入って……
日本海側からスタートして…… - 若狭鉄道・水島臨海鉄道 -
東京 21:10-(出雲)-7:56 鳥取 9:26-10:13 若桜 10:26-11:10 鳥取 12:31-(いなば4号)-14:34 岡山 14:38-14:45 倉敷/倉敷市 15:07-15:34 三菱自工前 15:42-16:13 倉敷市
2002年12月27日。年末にかけて日本海側の山沿いを中心に雪が降るという予報が出た。これから乗る〔出雲〕は山陰つまり日本海側を走る。餘部(あまるべ)付近の強風が心配だったが夜明け過ぎに通過し、定刻どおり鳥取に到着。構内にラッセル機関車DE15など除雪車両が留置しているのが雪の地方らしい。
余部橋梁から見る黎明の余部集落 (鎧-餘部) | 前頭に横綱のイラストが描かれたラッセル車 (鳥取) |
乗り換えの待ち時間があるので喫茶店で一休み。若桜(わかさ)鉄道 (旧JR西日本・若桜線) に向かう。列車は鳥取から直通し、智頭急行の車両も走っている。郡家(こおげ)から若桜鉄道に入り、タブレットキャリアが渡された。一つめの八頭(やず)高校前までの運賃は「大人」60円。高めの運賃となる地方私鉄ことに第三セクターのなかで、日本でもっとも安い運賃の一つだ。
若桜線で見かけた手荷物用と思われる「はかり」 (丹比) |
山奥、というわけではないが、内陸部に入るにつれて雪が積もり、山の木々もうっすらと凍っている。
若桜駅は国鉄からの駅舎が残っている。窓口で鳥取までのきっぷを買うと硬券だった。隣駅・丹比(たんぴ)までの乗車券も記念と増収貢献。
また1時間ちょっとの間が空いた。前後どちらかに30分くらいずれていれば、鳥取砂丘にでも行く気になるのだが、またコーヒーにするのもなんなので、南口の駅前に出る。と、「100円バス」のポールが立っていて、市内巡回バスがやってきた。30分ほど市の中心部を揺られた。
岡山ゆき〔いなば4号〕は、JR西日本でも消えかかっている国鉄色の特急。駅弁を買ってホームに出ると既に列ができていた。1車両定員50〜60人なので大したものではない。
智頭から智頭急行に入る。〔スーパーはくと〕で既に通った道だが夜だったので、風景を眺めるのははじめてになる。沿線人口は多いとはいえないが、陰陽直結の使命が高い路線でカーブも少ない。智頭を過ぎる頃から地面が白くなりだし、次第に山の木々も白くなってきた。いま話題の宮本武蔵を過ぎ、長いトンネルを抜けると山陽地方。雪がだんだん減って行き、佐用あたりでなくなった。
三菱自工前で |
水島臨海鉄道は「臨海鉄道」の例にもれず、臨海工業地帯の貨物輸送を担いつつ、倉敷〜水島の旅客輸送を行っている。旅客列車は倉敷駅の隅にある「倉敷市」駅から発車する。最近までキハ20が走っていたが、新車に変わった。
速度は貨物列車に合わせているのか40〜50km/h程度で、もうすこし速く走ってもいいんじゃない? と言いたくなるようなゆっくりとした歩み。交換駅は貨物列車にあわせて長い構内が印象に残る。一駅ごとに乗客を少しずつ降ろし、水島で残ったのは明らかに走破目的の数人。次の終点・三菱自工前までは昼間の旅客列車運転がない、工場地帯らしいダイヤである。すでに冬休みにかかる土休日とあっては退勤客もなし、またとろとろと走って倉敷市に戻った。
傾いた冬の陽射しが影を長く伸ばす |