Northwind Passage - 北風紀行 - (part-2)

石狩平野一周 - 室蘭本線・札沼線 -


苫小牧 6:15-(1463D)-7:43 岩見沢 8:00-(129M)-8:42 滝川=(タクシー)=新十津川 9:40-(5426D/556D)-12:13 札幌

平野を快調に飛ばすディーゼルカーの車窓には、いかにも北海道らしい風景がひろがっていた。5月3日、苫小牧から室蘭本線で岩見沢へ向かう。

「山線」から幹線の座を奪った室蘭本線もその勢いは苫小牧(とまこまい)までで、沼ノ端(ぬまのはた)から札幌へ向かう千歳線を左に分ければ、その先は一日10本のワンマン列車が走るローカル線に変貌する。複線なのは、かつて夕張・岩見沢付近の炭坑から石炭を運んだからで、ここは国鉄動力近代化計画で急激に活躍の場を狭められた蒸気機関車が、その最後の勇姿を見せた舞台だった。

牧歌的な雰囲気は石狩平野にさしかかるにつれて少しずつ変わり、あたりは田んぼが増えてきた。万字(まんじ)線――という名前を知る人も少なくなってきたろう…第一次特定地交線――が分岐していた志文(しぶん)から岩見沢まで、操車場跡再開発の関係で西側に大きく迂回していく。最近付け替えたにしては年月の経っていそうな築堤に見えるが、貨物線(複線の一部?)だったらしい。向きを変えた列車の前方右手には旧路盤がまっすぐ延びていた。

函館本線の普通列車で滝川(たきかわ)へ。途中の砂川(すながわ)からは「上砂川線」――函館本線支線と、歌志内線の2線が分岐していたが、歌志内線は第二次特定地交線で1988年にバス転換。ここだけは廃止直前だったが乗った。一方、線籍上は函館本線のためローカル線問題から長らく避けられていた上砂川線も 1994年にバス転換されてしまい、構内の外れから延びていた路盤はなかば自然に回帰している。


滝川から札沼(さっしょう)線の新十津川(しんとつかわ)へは石狩川をはさんで約4kmほど。適当なバスがなさそうで歩いて行こうかと考えたが、大荷物を背負って行くうちに……

「新十津川駅までお願いします」

あえなく挫折、流してきたタクシーを拾った。乗り遅れたらなんにもならない。

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町外れの駅に列車が到着 (新十津川)
[Nikon D100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D(IF)]

札沼線の「沼」は、留萌本線の石狩沼田である。ここはローカル線によくある「未成線」ではなく、もともと通じていた新十津川〜石狩沼田間を1972年に閑散区間として廃止し現在の姿になったもの。沼田や滝川へは国鉄(JR)バスで連絡していたが、先ごろ全廃された。線名が実態を表しておらず、また沿線に大学が多いことでつけた愛称「学園都市線」の方が通りがよさそう。

新十津川まで残された理由は定かでないが、このあたりも人口希薄で、いま浦臼(うらうす)〜新十津川間を走る列車は一日わずかに3往復。新十津川(しんとつがわ)町はそこそこの規模と見たが、人の流れは滝川に向いており、町外れにポツンと建つ駅の周辺は時間が止まっているかのようだ。

駅から100mほど先に線路の終端があり、その先にはすでに住宅が建て混んでいる。滝川に繋いだら……なんて思ってしまうが、3往復のためにそんなことをして何になるのかと考えると、たぶん何にもならないだろう。

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あたりはアイドリングの乾いた音が響くのみ (新十津川)車窓は「額縁」(鶴沼-浦臼)

そんな状況にしては多めに見えた下車客の代わりに、タクシーで乗りつけた数人が折り返す。空いているのをいいことに窓を目一杯開けて涼風を入れた。進行右手には頂に雪を残す山、左手には田畑。札沼線は石狩平野を回り込むように北縁に沿って走っている。

石狩当別で小休止、2両を増結する。増結車は輸送力増強のため50系(51形)客車から気動車に化けたキハ141・142だった。すでにJRから普通客車の姿は消えている。札幌近郊、そして市内に入ると列車本数、乗客とも段違いに増えてきた。


終息


札幌 19:27-(4:北斗星4号)-11:12(11:45頃) 上野
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羊ヶ丘のお約束!?羊…
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T38のもう一つの見所(?) 展望トイレ

北大に行きポプラ並木を眺め、話題の獣医学部も拝見(?)し、ラーメン横丁をそそくさと通り地下鉄東豊線にも乗って、羊ヶ丘に行けばちょうど結婚式をやっていたり……とそれなりの観光を経て札幌駅。開業間もないJRタワーの展望台 "T38" に向かった。

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JRタワー"T38"よりすすきの方面を展望

ずっと良かった天気が急に悪くなって「視界がよろしくございません」というが、30分待ちとのこと。これでは……と思ったが、夕食を取ってもう一度見てみることにした。すると今度は5分待ちで上がれて、確かに良好とはいえないが、それでも繁華街の灯が美しい。北側に目をやると、こちらが意外に発展しているのに気づく。

そうこうするうちに〔北斗星4号〕の発車時刻が近づいてきた。



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霧の朝 (平泉付近)あの啄木碑の横に到着(上野)

Uターンラッシュにはまだ早い列車は混んでいる風には見えないのに、指定された寝台は上段だったので、下段の空いているベッドに替えてもらう。シャワーを浴びて眠りにつき、目が覚めると盛岡に停まっているようだ。そういえば青い森・IGRの「走破」はこれが最初だな。もう一眠りして夜が明けると霧の中を走っていた。

工事で徐行区間があったとかで生じた10分の遅れが、東京に近づくにつれて普通電車のダイヤを乱さぬように走るので増幅していく。たびたび「申し訳ございません」と謝られても、こちらはもう急がないのでどうでも良いのだが。

終着が昼ごろとあっては最後まで乗り通す人も少なく、がらんとした車内には長距離列車のまったりとした空気が流れる。結局30分ほど遅れて上野終着。降り立つ人はわずかなものだった。