Northwind Passage - 北風紀行 - (part-2)

悲願のあと - 三陸鉄道(北リアス線) -


盛岡 5:45=(106急行バス)=7:55 宮古 8:05-(107D)-9:37 久慈
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川内の「やまびこ産直館」で小休止

前夜降り出した雨がまだ冷たく吹きさらす盛岡駅前バスターミナルに立った。4月30日、早朝5時30分。

ここから八戸へは宮古経由で。わざわざ遠回りをするのは三陸鉄道の北リアス線にもう一度乗るためだ。同線は2年前に一回通っているが、そのときは行程の都合上夜だったので、何も見えなかった。

昨夜のうちに盛岡から宮古まで足を延ばしておけば朝の余裕はできるが、それだとバスにしろ列車にしろ闇の中を2時間走ることになる。一方盛岡を早朝にバスで発つと、この時期なら明るいが、寝坊と道路混雑・事故という不確定要素が心配。両者勘案したうえで、結局後者を選んだ。

もっとも寝坊についてはあまり心配していない。旅に出ると早起きになる人は多いと思う。地方だとコンビニを除けば店も早じまいだし、酒を飲まない人に旅先の夜は長すぎて、早寝した(それでも24時くらいにはなるが)ぶんだけ早起きになるのは当然なのかも。

盛岡駅で数人を乗せて発車、市内で若干の乗客を拾った「106急行バス」は国道106号線を区界(くざかい)峠へ向かう。山田線は、この区間はずっと北側だ。曲がりくねった山道を上り、頂上のトンネルを抜けると突然右側に線路が並んだ――区界駅。過ぎると前方から国鉄急行色がやってきた。盛岡支社ではキハ58とキハ52の一部を国鉄色に戻して、山田線・岩泉線・花輪線で走らせている。


バスは閉伊(へい)川と山田線を左に右に眺めて快調に走り、終着宮古駅前には5分の早着。もともと余裕を見込んで作られたダイヤなのだった。雨上がりの三陸鉄道・宮古駅改札を入ると、2両編成の久慈(くじ)ゆきは通学生で埋まっている。

盛線の終点、田老(たろう)に到着するとその生徒たちが下車しだす。しかし車内に留まる人も多数。降りないの? と思っていると、おもむろに上級生が腰を上げて「おはようございまーす」と挨拶に送られて降りてゆく。「しきたり」だった。

全員が降りてしまったあとは、乗客もまばらの車内でのんびり過ごす。さて前回見えなかったが北リアス線はどんな車窓なのかと期待すると、意外に山中を走るのだった。駅のある集落は海沿いに位置し、以前は陸の孤島だったのだろうと推察される。三陸沿線では鉄道の敷設が悲願であったことから、いわゆる「マイレール」意識が高いが、道路整備と沿線の過疎化で、三セク優等生といわれた三鉄も赤字に転落、苦しい経営が続く。

北緯40度の町、普代(ふだい)からは 久慈線。このあたりからトンネルの合間に海岸が見えるようになってきた。終着も近い陸中野田で「三陸縦貫列車」盛ゆきと離合。


国鉄という「色」 - 八戸線・十和田観光電鉄 -


久慈 9:57-(436D)-11:52 八戸 11:56-(571M)-12:14 三沢 12:35-13:02 十和田市 13:53-14:20 三沢
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機械にせよ人力にせよ、守られる「安全」は
「基本」と「確実」に基づく(階上)

久慈からは二戸や盛岡へのバスが通じており、八戸線はもう明るいうちに通ったところだし、他に方法はないか……と探したものの、どうも接続がよろしくない。結局ここも2時間列車に揺られることとなった。

と書くと辛抱の道中に思えるが、しかしこの路線は変化に富む車窓と、国鉄の雰囲気を今なお残す運転方式が飽きさせなかった。ここでも一部の車両は国鉄色――朱一色の首都圏色に戻され、先日はSL列車を復活、腕木式信号と通票閉塞(タブレット交換)という古きよき時代の光景の下を走った。東京から新幹線で3時間あまりで着く八戸から、こんな路線が接続するというのも趣深く、ぜひとも残してもらいたい鉄道光景である。


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対向列車が国鉄色を先頭に到着 信号機は腕木式 (階上)
[Nikon D100, AF Nikkor 50mm F1.4D]

そんなローカル線を堪能して終着の八戸で、すぐに東北本線へ乗継ぐ。駅には新幹線〔はやて〕と、それに接続する〔スーパー白鳥〕の姿があった。日本鉄道として全通してから約100余年、戸籍上は途切れたが線路脇のキロポストはいまも東京起点で刻まれている。600を超える数字には「遠路はるばる」という言葉がふさわしいが、その上を701系の普通電車が2両で走り、大きな駅の片隅に停まる姿はどこか寂しげでもある。


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三沢で途中下車し、十和田観光電鉄に入る。こぎれいな橋上駅舎のJR駅と対照的に十鉄(とうてつ)の駅は古びた建物で、一方車両はATSの導入を機に もと東急の7700系――VVVF制御の冷房車に入れ替えられた。地方のローカル電車にVVVFのインバータ音が鳴り響くのも時代なのだろう。先代の車両はやはり東急出身の3000形で、東急お得意の地方譲渡も二代目、三代目に入っている。

だいぶ散っている桜並木を横に終着の十和田市へ着くと、駅は開業当初の場所より手前に移されていて、ショッピングセンターに直結している。旧駅へ行くと、それまで活躍していた3000形が、東急グリーンの塗装で留置されていた。色は置き換え直前にリバイバルされたもので、この4月に一部区間で花見列車として復活運行したとのこと。駅前を流れる水路には桜の花びらが模様を描き、ここも名所の官公庁通りの桜はもう終わった頃だろうか。