Northwind Passasge - 北風紀行 -
敗北 - 山田線・岩泉線 -
盛岡 13:41-(3646D:リアス)-15:22 茂市 15:30-(685D)-16:23 岩泉
盛岡と宮古を結ぶ列車はたった4往復しか走っていない。この両市に流動がないわけではない。山田線がこうまでなってしまったのは、国道106号線を走る急行バス「106急行」に乗客を奪われたためだ。盛岡駅の山田線のりばは、その置かれている現状を象徴している。
新幹線ホームの下、忘れ去られたような存在の1番ホーム (それでも正面改札に直結しているのだが) から出る快速〔リアス〕。キハ58の2両編成で、非冷房車。発車するころに2両編成の座席は程よく埋まった。同時発車の〔スーパーはつかり〕とちょっとだけ併走する。
ひとつめの上盛岡で早くも下車客、上米内(かみよない)でさらに下車。しかし宮古まで行くと思しき乗客もそこそこ多い。この列車はここから陸中川井まで1時間以上も停車しない。昨今は特急列車でも1時間以上走り続けるのは少ないというのに。それだけ途中駅間の流動が少ないということだろう。とくに上米内〜区界(くざかい)間は人家がほとんどなく、途中の大志田(おおしだ)には1.5往復が停車するのみ。地方へ行くと、道路に「○○駅→」という案内標識をよく目にするのだが、上米内を出てすぐのところに、「大志田駅→」という標識がある、それくらいの場所だ。
山田線は「連査閉塞方式」を現在も採用する唯一の路線という。山間部で無線などが届きにくい (当然携帯電話も圏外) ことも関係するのか。タブレットこそ使わないものの、閉塞は駅間で通信したうえで開通させる非自動閉塞方式で、交換可能駅では駅長がホームで列車を迎える。通過列車でも同じだ。
深山を抜けて区界高原にさしかかると、前方にバスの姿が見えた。宮古・浄土ヶ浜へ向かう106特急バスだ。ここでは快調に飛ばしてバスを一旦抜き去ったが、やがて閉伊(へい)川の谷が険しくなるとスピードが落ち、抜き返される。線路が川沿いをトレースするのに、あちらはトンネルをどんどん貫通させてまっすぐ走るからその差は開く一方。茂市(もいち)に着く頃にははるか先に消えていた。ホームに降り立つと、ひんやりした空気に肌寒いと感じる。
スタフを納めたタブレットキャリア。スタフ閉塞では通票一つだけが行ったり来たりしている (岩泉) |
岩泉線もまた、人里離れた山中を細々と走る極超ローカル路線。終点岩泉の近くに有名な龍泉洞(りゅうせんどう)があるが、山田線と同様に列車はアテにされておらず、昼間に列車の走らない典型的なローカル線ダイヤだ。三陸鉄道開業後は、宮古へ行くにはバスで小本(おもと)へ出たほうが便利だから、なおさらだ。盛岡へも早坂高原経由のバスが主だ。
岩泉線内はスタフ閉塞、車掌は乗務する。キハ52単行に地元客と乗りつぶし派の観光客が半々。岩手和井内(いわてわいない)までは朝1往復の区間列車があるが、その先は一日3往復。全国有数の閑散線区である。
列車は押角(おしかど)トンネルに向けて登ってゆく。並行する国道340号線は道が悪いため、いったん特定地方交通線の指定を受けたのに、国鉄が撤回を申し出て存続されるという経緯がある。
1時間弱で終点、岩泉駅。線路は小本まで建設される計画で、三陸鉄道が岩泉線ともども引き受ける話が出たとか出なかったとか……。立派な駅舎の建つ駅前広場は、やはりと言うべきなのだろうか閑散としていた。
改集札は行っていないが、出札は委託されている。
「入場券とかは?」
「ないんですよ」
「じゃあ近くの駅まででも」
「二升石(にしょういし)ですか」
「ですね」
「こんなの (硬券ではないが常備券) でいいですか」
「はい」
……岩泉駅で業務委託のおばちゃんと。
岩泉 17:20-(686D)-18:12 茂市 18:32-(658D)-18:58 宮古 19:05-(125D)-20:28 久慈
今日中に久慈(くじ)に着いておくと、後の行程が楽だ。前述の通り小本までのJRバス路線があるのだが、あいにく接続のよい便は休日運休。岩泉線・山田線を乗り継ぎ宮古に着く頃には、すっかり日が暮れてしまった。来年末以降「IGRいわて銀河鉄道」「青い森鉄道」のために再訪する必要があるため、その時にでもくりはら田園鉄道とか南リアス線とあわせて昼間走破しようと思う。
三陸鉄道は言わずと知れた国鉄特定地方交通線転換第三セクターの第一号。当時は新鮮に見えた、白い車体に赤青を大胆に彩る36(サンリク)形車両も、今となっては国鉄の重厚な雰囲気が漂う。
駅長に見送られて発車。旧宮古線も線路規格はよく、トンネルでリアス式海岸を串刺しにしていく。田老(たろう)からは三鉄で新規開業した区間。トンネルもさらに長くなり、エンジンの音を響かせて突っ走る。
宮古からの地元客は田野畑(たのはた)までに全員降りてしまった。一人だけの観光(?)客を乗せて列車はもくもくと暗闇を走る。次の普代(ふ だい)から旧久慈線に入ると足は少し落ち、終点一つ手前の陸中宇部で一人地元客が乗車して、静まり返った久慈の町に到着した。