Northwind Passasge - 北風紀行 -
懐古 - 八戸線・大湊線・弘南鉄道 -
久慈 7:15-(430D)-9:24 八戸 9:38-(1001M:はつかり1号)-10:09 野辺地 10:32-(3725D:しもきた)-11:22 大湊
5月1日。曇り空の下、夜が明けた。
キャリアに入れたタブレット。駅本屋に見える赤色のタブレット授受器。レバーの並ぶ転轍機小屋、そこから腕木式の出発・場内信号まで延々と延びる連動ワイヤー。そして、ホーム切り欠き式の構内踏切。
八戸線は、全国ほとんどの場所で消えてしまった「国鉄」の雰囲気をいまも色濃く残す路線。久慈駅ホームに見えた「タシカト」確認は健在なのだった。(タ : タブレット、シ : 信号、カ : 客扱い、ト : 時計) 国鉄時代には「ニ(荷扱い)」があって「タシカニト」確認だった、ということは後になって知った。なるほど、紙が貼ってあったのは「ニ」を消すためなのか。
腕木式信号機を見やって交換列車が到着 (侍浜) [Nikon F5, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D (IF), RDPIII] |
列車は海沿いを淡々と走り、通学の中高生とおばあちゃんの声が車内に響く。終点二つ手前の本八戸で通票閉塞区間は終わり、右側から八戸臨海鉄道が合流すると、終点八戸。駅は東北新幹線の受け入れ準備に忙しい。来年末には東京まで3時間である。
2001年5月現在、八戸線の腕木式信号機設置駅は階上, 種市, 陸中八木, 侍浜。
野辺地駅はレールバスで知られた南部縦貫鉄道への接続駅。その南部縦貫線が休止となってもう4年になる。連休中2年ぶりに車両公開が行われたそうだが、施設の疲労は見た目かなり進んでおり、反転攻勢のきっかけとなるかもしれない東北新幹線の青森延伸まで持つのか微妙と思われたが、果たしてこの6月に廃止への手続きが取られることになった。
本州最北の鉄路、大湊線。強風にしばし列車の運行が妨げられることもあるという。野辺地から下北までほぼ一直線、流れる車窓は北海道の趣。快調に飛ばしていたが、線路上に異物発見! 停車してみると落ちていたのは鯉のぼり。すぐ近くに泳いでいたのが、紐が切れてしまったようだ。
本州最北の駅は大畑(おおはた) (下北交通。旧国鉄大畑線) だったが3月末で廃止。その起点だった下北 (北緯41度16分49秒) が、大湊 (41度16分39秒)、竜飛海底 (41度15分16秒:JR北海道) をわずかに押さえて最北に昇格。
大湊 11:28-(3728D:しもきた)-13:03 青森 13:55-(2044M:かもしか4号)-14:24 弘前 - 黒石 - 弘前 19:29-(2045M:かもしか5号)-20:08 青森
青森駅の先には青函連絡船「八甲田丸」が繋留されている。八甲田丸は14年前、北海道へ渡る青函航路で行きも帰りも乗った思い出の船。公開されているが、見学するだけの時間はない。残念だが、駅前の「青森ベイブリッジ」からその姿を写真でとらえることにする。
さて、弘前ではこの時期「弘前さくらまつり」が開かれている。手にしているのは周遊きっぷ「青函ゾーン」、ちょうど行けるところだ、というわけで〔かもしか〕に乗り込んで弘前へ、駅前から直通バスに乗って弘前城へ行ってみた。ソメイヨシノは既に散りかけだったが、シダレザクラが天守近くでまだ残っていた。
弘南鉄道弘南線は、もと東急7000系が津軽富士・岩木山の姿を眺めて走るローカル私鉄。ステンレス車両の一部は「倉庫」として使われている。長野・上田交通でもこんな姿を見た。メンテナンスフリー車体ならではの活用形。
弘南線は弘前平野を回り込むような形で黒石に向かう。一方奥羽線の川部からは国鉄黒石線が伸びていた。特定地方交通線だった黒石線の経営は弘南鉄道に引き継がれ、ディーゼルカーを購入、当時離れていた駅を移転統合までしたが、客数が延びず1998年3月に廃止、専用ホームに線路が赤錆びたまま残っていた。