九州ひとりでラリー2004

潮風の道 - 肥薩おれんじ鉄道 -


八代 7:16-(6109D)-7:54 上田浦 8:31-(6211D)-9:29 出水 10:05-(6317D)-11:10 川内 11:23-(2443M)-12:07 鹿児島中央
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海辺の小さな駅にディーゼルカーが到着 (上田浦)
[Nikon D100, AF Nikkor 50mm F1.4D]

整備新幹線開業区間の在来線は原則JRから切り離される。ここ鹿児島本線は八代〜川内(せんだい)間を第三セクターの肥薩おれんじ鉄道が引き継いだ。鹿児島本線もまた八代を境に北は全線複線、南はほとんど単線と様態が大きく違い、新幹線開業前の〔つばめ〕も八代の北と南では別の列車かと思わせるほどの速度差があった。このことが新幹線建設を先行させる大きな要因となったことは確かなのだが、切り離されて正真正銘ローカル線になった鉄路の行く手が厳しいであろうことも、また示している。

八代駅、もと肥薩線用のものを改装した専用ホームに待つのは軽快形のディーゼルカー。もともと交流電化区間なのだがおれんじ鉄道の車両は使用せず、JR九州車の乗り入れも行われていない(おれんじ鉄道車は新八代、隈之城へ「乗り出し」ている)。架線の電力を使うのはJR貨物の電気機関車だけだ。

一見無駄なように思えるが、価格の高い交流電車を単行運転することはかえってコスト高になる (2〜3両が標準ならばよいが)、JRから譲受あるいは購入するにしても車齢が高いし輸送力過剰、といって電化設備を廃止するとJR貨物にディーゼル機関車の配備が必要でこれも効率が悪い、ということでこのような形態になったという。


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夜明けからぐずついていた天気は雨に変わった。日奈久温泉(ひなぐおんせん)から右手車窓に八代海がひろがり、国道3号線を左に分ける肥後二見(ひごふたみ)を出るとすぐ左手に山が迫ってきた。ここからしばらく、線路と狭い道路だけが曲がりくねった海岸線と斜面のみかん畑に沿って走る。このシーンは車窓も走行風景も鹿児島本線のハイライトのひとつだったところで、それは今でも変わらない。

途中の上田浦(かみたのうら)に降りてみる。天気は回復しそうだ。ここは国道3号線から遠く離れている海辺の小さな集落で、線路沿いの道も通れるのは軽自動車までとあって、ほかに通過する交通もない。もともと特急の停まることのなかった駅はそれがなくなった今、一層静まり返って昔の姿に戻ったといえるかもしれない。

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新たに設置した駅名標の脇に ホーロー引きの看板も残る

低くて長いプラットホームは、使用する2両ぶんだけ大きくかさ上げされ、残りは草生していた。キロポストは鹿児島本線のものがそのまま立っており、その歴史を思い起こさせる。

ずいぶん立派な誇線橋がホームと駅前を連絡する。ペンキはまだ新しく、各駅とも転換を前提に新設・架け替えあるいは化粧直しなどを受けたようだ。もっとも今の列車頻度でこんな物が必要なのかという疑問は出るし、現にお年寄りの方は本当はいけないのだが線路を渡って登ってこられる。近所の方がほうきを手に「ときどき(掃除を)するんですよ」。駅周囲はきれいに保たれていた。


次の列車で旅を続ける。旧街道では「津奈木太郎」とよばれた湯浦(ゆのうら)津奈木(つなぎ)間の峠越え区間は、南側では数少ない複線区間。上り列車とすれ違い、折しも頭上を越す高架を新幹線が突っ切っていった。新水俣は初野信号所が駅に昇格したもので、現在のところおれんじ鉄道唯一の新設駅。新幹線駅が圧倒するように建つ脇に、さすがにホームは必要最小限のものが作られていた。

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鶴のイメージが見られる出水・新幹線口 旧駅舎の横におれんじ鉄道の小さな駅が

新幹線が寄らず広い構内をもてあまし気味の水俣を過ぎ、その新幹線が左側に寄り添ってくるところが袋〜米ノ津(こめのつ)間でここも名所。出水(いずみ)の新幹線駅は在来線の後ろ側に敷設され、JR駅舎は当然のことながら新幹線の下に移動、これまでとは正面玄関が反対になった。おれんじ鉄道も小さな駅舎に移転し、旧駅舎は取り壊しが始まるところだった。

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牛ノ浜の漁港を見下ろして列車は東シナ海沿岸へ (阿久根-牛ノ浜:列車は試運転 2003.12)
[Nikon D100, AF Nikkor 35mm F2D]

またのりかえて川内へ。夏休みの体験学習に向かうらしい子供たちが乗り込み、単行の列車はにぎやかになった。天気はいつか回復し、積乱雲の見える夏空が戻ってきた。窓はUVカットガラスなのだろう、車窓に見える風景のコントラストを一層強く、南国らしく見せる。