渡邊順子が踊る「瀕死の白鳥」を見てきました。
渡邊順子は1991年にスラミフィ・メッセレル振付、谷桃子指導で初めて「瀕死の白鳥」を踊りました。この稽古の映像が残っていますが、それはそれは厳しいものです。「ダメ。もう一度!」という谷桃子の叱咤。フラフラで足がもつれながらも踊り続ける渡邊順子。 「まだダメ。プロになりたいんでしょ!!」と再度の怒号。疲れ果てて目もうつろになっても、渡邊順子は、再び必死に立ち上がり、懸命に踊りを繰り返すのです。まさに真剣勝負の迫力でした。 以来、渡邊順子はこの谷桃子の教えを忠実に守り、毎年のように「瀕死の白鳥」を踊ってきました。私にとって、渡邊順子と言えば「瀕死の白鳥」、「瀕死の白鳥」と言えば渡邊順子であり、私は毎年、彼女の「瀕死の白鳥」を見るのを楽しみにしてきました。
今回は神奈川県民ホールの大舞台。彼女はいつになく意気込んでいました。彼女は自身のブログに、「瀕死の白鳥」はクラッシック・バレエの基本的なパで踊る。『瀕死の白鳥』は基本中の基本だから難しい。
きちんとした足のポジション第4は、あまりにも基本的な足すぎる。ここは少し踊りらしく変えたほうがいい。
パドブレ、アラベスク、それに頑張ってアチチュードも入れた方がいい。
クラッシック・チュチュを着て踊るのだから脚のラインをどこまでも美しく見せ、身体全体からバレリーナの雰囲気を滲ませたい。
日々、ストレッチをして踊り込めば、身体も一層締まってくる。今回は、日々努力をしましたと言い切れる『瀕死の白鳥』を踊りたい。」と意気込みを語っていました。
そして本番の数日前、彼女からメールを頂きました。「レッスンも頑張ってました。多分、今までの渡邉順子の瀕死とはひとあじ違った味があると思います。
古傷の足も痛めましたが、痛めても今までにない心地良さの中で踊れると思います。今回の渡邉順子の瀕死は、感謝の気持で踊りを表現できると思います。」
私は、「足を痛めた」というメールに不安がよぎりました。渡邊順子は、右足の古傷という爆弾を抱えています。もしこれが再発したら・・・、舞台は???。
そして向かえた4月27日。青い照明の中、下手から観客に背を向けて、渡邊順子の登場。観客の視線は容赦なく彼女の背中に突き刺さります。
いたたまれなくなり振り向いてしまうという人もいる程のこの場面、
渡邉順子は、耐えぬいて、舞台の反対側の上手近くまで、観客に背を向けたまま踊り続けました。
小さく刻むパド・ブーレは正確で美しく、波打つ腕は、まるで骨が無いかのごとくしなやかでした。
舞台の上手近くに来て、ゆっくりと、正面を向いた表情は、穏やかで自信に溢れ、私は、「足の怪我も大丈夫のようだ。これは、いけるぞ。」と思いました。この長〜い後ろ向きの踊り、これが「ひとあじ違った味」なのか、と思いました。その後は正に渡邊順子の世界。しっとりと、情感たっぷりに、死に至る白鳥を演じました。
「アラベスク、アチチュードも入れた方がいい」と言っていた彼女、頑張ってこれを決めてくれましたが、バランスのキープがやや短かった。バランスのところで、もう少し粘って、長〜くキープしてくれたらと思うのは贅沢でしょうか・・・。
そしてフィニッシュ。もうこれが限界というくらい、ぎりぎりまで後に体を反らして、もがき苦しむ白鳥を表現。とうとう力尽きて舞台中央に倒れ込みうずくまった瀕死の白鳥を残して、次第に照明が暗くなっていく。真っ暗になったとき、にわかに拍手が湧き起こりました。再び照明が点った時、ひときわ拍手が高まりました。
深々と頭を下げる渡邊順子。さすがにホッとしたのでしょう、穏やかな晴れ晴れとした笑顔でした。「うまく踊れた」という喜びの中に、「感謝の気持で踊りを表現できると思います。」と言った彼女の気持ちが感じられました。
私のすぐ後ろの席から、「素敵だわ!!!」という、溜め息のような女性の声。私は自分のことのように嬉しくなりました。
興奮覚めやらぬままに、楽屋に、渡邊順子さんを訪ねました。舞台の薄暗い青い照明の下とは違う明るい楽屋の中。
渡邉順子さんは、舞台を終えたままの純白なクラシック・チュチュとトゥシューズで、向かえてくれました。
こんなに間近でチュチュ姿のバレリーナと会ったのは初めてでしたし、輝くばかりに美しい順子さんの姿に見とれて絶句していると、「いかがでしたか?」という彼女の声。ハッと我に返り「とても良かったと思います。」と答えました。
「そうでしょうか」と彼女は恥ずかしそうに呟きましたが、笑みが浮かんだ表情には、嬉しさが溢れていました。
自分では上手くいったと思っていても、やはり観客の目が気になっていたのでしょう。
「10月には、もっと本格的に先生に付いて踊ります。」と抱負も口にしていた渡邊順子さん。さぞ疲れていたことでしょう、長居は無用と早々に楽屋を後にしました。
その夜、彼女からメールが届きました。メールの最後は「舞台がある時はお知らせしますので、また、進化する渡邉順子の舞台を見に来てください。」と結んでいました。
バレエダンサーの寿命は短い。40代半ばで肉体的限界とも言われています。パリオペラ座では42歳を定年にしているほどです。その意味では、渡邊順子はすでに若いとは言えないかもしれません。でも、彼女は、毎日のたゆまぬ稽古と不屈な精神力で、むしろ年齢を重ねるにつれ、内面的な表現の美しさが増してきています。
渡邊順子の舞台には、いつも新鮮な輝きがあります。彼女はいつも「進化する渡邉順子を見せるんだ。」と自分に言い聞かせ、常に技術を磨き、精神を鍛え、たゆまぬ努力を重ねて、進化を続けているのです。
頑張れ、渡邉順子!!!。
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山口さんの感想の中に「自分のことのように嬉しくなる」と言う文章をみて「私もよく分かるわ〜〜」と思いました。
私も今、自分が習っている先生のことを褒めていただくと嬉しく思うんです。
山口さんが楽屋を訪ねて下った後にはJUNバレエスクールの生徒とご父兄が見えて、
「うん。先生の手って本当に白鳥さんみたい!」と感想を言っていただくと、「え!そうですか!」と嬉しくなる。
生徒達も私の「瀕死」を見たことがある生徒もいれば、初めて見る子もいる。
そう、先生はこの踊りが好きでもう19回も踊っている。
私にこの「瀕死の白鳥」を教えて下さった先生の名前はスラミフィ・メッセレル。 メッセレル先生が習った先生は「瀕死の白鳥」で世界的にも有名なアンナ・パブロワを教えたエリザベータ・ゲルダ先生。 「瀕死の白鳥」を指導して下った先生は日本を代表するバレリーナの谷桃子先生。 今は谷先生のお弟子さんのレッスンと故メッセレル先生の縁のある東バの先生のレッスンを受けています。 「師恩」と言って子どもが母親に親孝行するように、バレエを習った先生に先生孝行できることが 生徒にとっても先生にとっても嬉しいことです。 感謝する気持ちを忘れず、もくもくとレッスンに励むことが上達の一歩だと思います。 足を一番ポジションにして背筋を伸ばして立つ。 オープンクラスでまったく知らない先生のクラスを受けた時、質問されました。 「普段はどこでレッスンしていますか」、「今はカルチャースクールです」、「私もカルチャースクールで教えたことがありました〜」 私がレッスンを受けている姿勢からどんな先生にバレエを習っているのか、この先生には分かるんだろうな〜〜。 だからこそ、自分が習っている先生が褒められた気持ちになると自分も嬉しい。 結婚して一度はバレエを辞めて主婦になっても、またバレエを続けられたことや生徒にバレエを教えるようになったこと。 今でも舞台に立っている事に感謝している。 最近ではピアニストのいる稽古も受けにいけるようになり、続けることの大切さを実感しています。 バレエを習い、バレエの先生と出会い。自分がバレエの先生になって。 いつか、自分の生徒がバレエの先生になる日が訪れるかな〜〜とも最近思うようになりました。 JUNバレエスクール 渡邉順子 |