『冷たい密室と博士たち』☆☆☆☆ 森博嗣 講談社文庫(99.3月刊)
森博嗣、文庫化2作目。ご存知、犀川助教授と、女子大生西之園萌絵コンビのシリーズである。1作目の『すべてがFになる』は、ワタクシ的にはイマイチだったのだが、今回はなかなか楽しめた。前作は、あるトリックがどうしても納得いかず、それがどうにもひっかかって仕方なかったのだ。が、今回のトリックは文句のつけようがなかった。やはり、ミステリはこうでなくっちゃ!
題名からもわかるとおり、これは密室殺人の話である。ある晩ふたりは、犀川の同僚である喜多の冷凍実験室に、とある実験を見学に行く。この実験直後、二人の学生がいなくなっていることに皆は気付く。あちこち探してみると、なんとこの実験室で、二人は死体となって発見されたのだ。衆人環視、しかも密室状態の実験室で、いったい誰が、どうやって?萌絵、犀川、喜多はそれぞれこの謎に挑む。
状況設定が読者の前に続々と提示される。著者はこのテスト用紙をポンと投げ出し、「さあ、これを解いてみなさい」とでも言ってるかのようだ。無駄のない、端的な歯切れのよい文章も、慣れてくると心地よい。そして、最後に、この試験のきっちりした解答が明かされる。
コンビふたりの微妙な関係も興味深いところ。今回は、ひとつ進展があったので満足(笑)。シリーズものは、これだからやめられなくて困る。今後の展開が楽しみ。もう、これは全作読むしかないな。
『チグリスとユーフラテス』☆☆☆1/2 新井素子 集英社(99.2月刊)
新井素子、超お久しぶりのSF新刊。ファンはどれほどこれを待ち焦がれていたことか!ちなみに、これは彼女の30冊目の小説にあたるそうだ。
これは良くも悪くも実に彼女らしい小説だといえるだろう。作風が、昔と全く変わってない。いつもの、甘ったるいしゃべり口調のモトちゃん文体。これはまさに彼女しか書けないオリジナル。内容も、実に彼女らしいストーリーであった。今回の小説は、特に女性という性にこだわって書かれているのが特徴か。
人間が溢れすぎた未来の地球。人々は、宇宙への移住を開始する。そのある移民船が、惑星ナインに降り立つ。その移住は成功したかに見えたが、何百年か経った頃、理由は不明だが、徐々に子供が産まれなくなってしまう。ゆえに、人間はどんどん数が減ってゆき、とうとう「最後の子供」ルナが生まれる。
このルナが、この話の主人公である。周りの人々は死に絶え、彼女はついにこの星でたったひとりになる。このとき、ルナは70歳の老婆である。が、彼女はあくまで「最後の子供」なので、ブリブリの少女趣味の格好に子供っぽいしゃべり方。そして、淋しさと怒りのあまり、コールドスリープについている女性たちをひとりずつ起こしてゆく。
4章からなるこの小説は、ルナの起こした女性4人で構成されている。彼女等ひとりひとりの人生の意味を、ルナは問う。起こされた女性たちは、この星の現状と、ルナとの関わりを通して、自分の人生をふりかえるのだ。
3章までは、けっこうつらい展開である。著者が提示する問題は、あまりに重い。女性にとっての出産、仕事、芸術。が、ここで挫折してはいけない。4章の「レイディ・アカリ」までガマンして読んでみてほしい。ここで、物語が一気に広がる。レイディ・アカリというキャラクターに、新井素子の、最も彼女らしい部分が味わえる。くどいようだが、本当に彼女は相変わらず、あのまんまである。往年のファンは、「お帰りなさい」とでも言いたい気分になるのではなかろうか。
生クリームがたっぷりのったケーキにさらに粉砂糖をかけたような、ベタ甘のルナのセリフや、ちょっとくど過ぎるのではと思う著者の説明に多少辟易させられたが、まあ、これが新井素子のテイストだから仕方ないか。ひとりよがりな展開が若干あるのも否めない。著者のメッセージがストレートすぎるきらいもある。
でも、ワタクシ的には、最後の章がとてもよかったので許す。この展開、このラストにはまいった。やられた。ひとりの人間の人生の意味、生命の意味、種の意味、そんなものを大きく包み込むようなラストであった。まるで、著者が大きな腕で地球を、すべての生命を抱きしめているような、そんな暖かさを感じた。あの例の文章のくどさにガマンできる方であれば、読んで損はない1冊だと思う(でも、欲をいえば、もう少しあっさり味が好みかな、私は)。
『上海少年』☆☆☆1/2 長野まゆみ 集英社文庫(99.3月刊)
昔からの長野まゆみファンだった私の感じとしては、異色作。デビューの頃の作品は、一口で言うなら少年メルヘンといった趣だったのだが、これはちょっと違う。うーん、なまめかしい少年もの、かな。確かに彼女のテイストなのだが、昔は絶対に書かなかった(たぶん、意図的に避けていたのだと思う。でも、清らかな文章の奥に密かに脈打っているのは、ずっと感じていた)性的なものをどれもかなり前面に押し出している。しかも、どれも禁断の恋である。
この本は、それぞれ時代も場所も異なる、5つの短篇からなっている。「雪鹿子」は2.26事件の前夜、「満天星」は皇太子のご成婚のパレードの日、「幕間」は、学生紛争の最中、といった具合。どれも時代の雰囲気がよく出ており、ノスタルジーを誘う1冊に仕上がっている。
未亡人、姉と弟、従妹の恋人(つまり男同士)、といった禁断の関係を著者はあえて選んでいる。そこには、危険ゆえの甘い蜜がある。それでいて、容赦なく残酷なところもある。蜜と毒、これはまさに大人のためのメルヘンといえるだろう。著者が新しいジャンルに挑戦し、それが難なくはまっていると感じた。昔の作風とは全く違うが、これもやはり、まごうことなき長野まゆみの世界である。
『星虫』☆☆☆1/2 岩本隆雄 新潮文庫(90.7月刊)
例のださこんオークションで、山之口さんと競り合ってゲットした本(その節は大変失礼しました、山之口様)。ゆえに古本なので、発行は10年近く前。現在、品切れ重版未定。とてもいい本なのになあ。これは、第1回ファンタジーノベル大賞の最終候補作品だそう。これに限らず、ファンタジーノベル賞作品の寿命が短すぎますよ、新潮社様。
感触としては、とてもスタンダードな青春SF。主人公は、密かに宇宙飛行士になることを夢見ている女子高生、友美。彼女は、6歳の頃に迷子になった自分を助けてくれたおじさんにその夢を実現する術を教えられ、それ以来、毎晩マラソンを続けている。ある晩、流星雨のように夜空から星のようなものが降ってきて、友美の額にくっついた。世界中をゆるがす大事件が、ここから始まった…。
これが、「星虫」だったのだ。世界中の人間の額にくっついたそれは、付着した人間の感覚を飛躍的に増加させる。いったんは世間は星虫をもてはやすが、やがてだんだん大きく成長し始めるにつれて、拒絶し、迫害するようになる。が、友美はそれを憧れの宇宙から飛来したものだからといとおしむように扱う。そしてついに、星虫の所持者は彼女と、そのクラスメイトの寝太郎だけになり、ふたりは追われる身となる…。
まず、著者の設定した世界がとても魅力的。今の現実に限りなく近いのだが、大きく違うところがある。それは、人々が本当に宇宙へ行こうとしていて、その計画を具体的に練っているところ。今にも実現しそうで、読んでいると、わくわくしてくる。私も、この世界に生まれたかった!このあたりは、SF魂をくすぐられる。
もうひとつの魅力は、主人公達が真摯に夢を追いかけている姿。時にはぐらつくこともあるが、でもめげないそのまっすぐな姿勢はとてもさわやかで気持ちいい。彼女と寝太郎のやりとりも、いかにも青春もの、という感じ。
うん、どんなことでも無理だと思わずに夢を持ちつづけていれば、いつかはかなうかも、と思わせる爽快なお話であった。真っ正面から書かれた、ストレートで読みやすいSF。好感。
『王女マメーリア』☆☆☆1/3 ロアルド・ダール、ハヤカワ文庫(99.1月刊)
ロアルド・ダールは、前に特集でもちょっと紹介したけれど、実に上質の短篇を書く作家である。例えるなら、ベルギーの老舗の高級ビターチョコレート。短篇のひとつひとつ、どれも実に深い味わいがあって、ほろ苦い。
この本には、9つの短篇が収められている。日本オリジナル短篇集だそう。どれもいいのだが、私の特に気に入ったのは「ヒッチハイカー」、「アンブレラ・マン」、「古本屋」。
「ヒッチ・ハイカー」は、ある作家がドライブ中にあるヒッチ・ハイカーの男を拾う。職業的興味から、作家は彼の職業を尋ねる。が、男は言わない。男にのせられた作家は、スピードオーバーでパトカーに捕まって違反キップを切られてしまう。が、男には驚くべき特技があったのだ…。
「アンブレラ・マン」は、急に激しい雨になった夕方、傘を持たずに途方に暮れていた母と娘の前に見知らぬ老人が現れる。老人は、高級な傘をふたりに差し出し、丁寧な口ぶりで傘の代わりにタクシー代を1ポンドくれという。母は、少し躊躇したが、彼に傘を譲ってもらう。が、彼のあとをつけてみると、意外な事実が判明する…。
毒のあるオチのつけ方が、どれも絶妙。まさに短篇の職人芸。極上の一品、あなたもぜひご賞味を。
『エイジ』☆☆☆ 重松清、朝日新聞社(99.2月刊)
うーん、以前読んだ『ナイフ』や『ビフォア・ラン』がとても良かったので、ちょっと期待しすぎたきらいがあるかな。今回はワタクシ的にはいまひとつでした。
主人公は、中学2年生の男の子。オトナとコドモの中間。1番、ハンパな年頃。なんだかモヤモヤしてて、いろんなことがうざったくて、カッコ悪いことは死んでもイヤという暗黙のルールの中で生きている。
そんな彼、エイジの平凡な生活に、ある日、衝撃的なことが起こる。ずいぶん前から、自分の町で起きていた通り魔が捕まる。が、それは、エイジのとても身近な人間だった。以来、彼の心や彼の周囲のクラスメイト達はなんとなく浮き足立つ。反応はさまざまだ。エイジは、「もし自分だったら?」と考える。今までは想像もつかなかったが、気持ちをシンクロさせるうち、それも「あり」だ、と考えるようになる。自分の中にもそういった衝動はある、と。
エイジの周りのいろいろな人間との関わり合いが描かれる。家族(両親、姉)、親友、クラスメイト、片思いの女の子、なんとなくつきあうハメになる後輩の女の子、取材に来た記者…。一見ツッパった態度を取る彼だが、心の中ではさまざまに葛藤している。
この年代特有のモヤモヤした感じはよく書けていると思う。ところどころ、とてもいい描写はある。ただ、この小説には、重松清独特の清々しさがないように思う。例えて言うなら、大喧嘩したり悲しいことがあったりして、思いっきり泣いた後のすっきり感のようなもの。あれがないのだ。なんだか、不完全燃焼のまま終ってしまった感じ。それを書きたかったというのであれば、まあ仕方ないけれど。ラストの方のセリフ「負けてらんねーよ」に、多少は救われるのだが。きれいごとで終らせないところに、著者の現代社会に対する憂いが潜んでいるのかもしれない。
『エンダーのゲーム』☆☆☆1/2 オースン・スコット・カード、ハヤカワ文庫
(87.11月刊)
う〜ん、長かった!前に読んだ『消えた少年たち』も長かったけど、これはちびちび読んだので、更に長く感じました。読むのがしんどいわけではないのですが。カードは、ワタクシ的にはどれも文章が平易で読みやすい。
地球は、バガーという異星人から2度にわたる攻撃を受けていた。3度目の攻撃に備えるべく、政府はバトル・スクールを設立し、ここで司令官にさせるための優秀な少年を育てていた。
エンダーは、ここで訓練すべく選ばれた。そこは、ひたすら戦闘ゲームを繰り返す場所であった。彼は優秀であったがゆえに、あっという間に上のクラスに上がり、ゆえに過酷な日々を送る。
これがホントに過酷なの!か、かわいそすぎる!だってまだ6歳なのよ!とにかく、これでもかってくらいのヒドイ目にあいまくり。実は教官の愛のムチなんだけど、それにしてもあんまりだ!が、エンダーはホントに気性のやさしい、まっすぐないい子なのだ。思いやりのある、ゆえに戦うなんてことは本当は嫌いな子なのだ。最も心やわらかな少年期に、こんな辛い目にあってるというのに、彼は決してひねくれたりしない。実にけなげなのだ。そんな彼が、瞬く間に殺戮と戦闘のプロになってゆく。実に皮肉である。
この辺りのキャラクターの作り方は、やはりカードだなあと思う。どれを読んでも、彼の根本的なものの考え方は変わらない。それは、よく言及されるれるモルモン教の思想というのもあろう。が、私はそれよりは彼の人間としての暖かさを感じる。ひたすらに心清らかで、相手への愛情にあふれている。それが敵でさえも。
やがて、彼の卒業試験を迎える。そこで、意外な事実が判明する…。
結末のトリックも驚いたが、それよりもワタクシ的には、バガーうんぬんのラストのところがショックであった。バガーよりも、人類の方がよっぽど残虐である。コミュニケーションの取れない異種同士の接触の怖さにうならされた。これは深い深いテーマである。
とても面白かったのだが、読後、は〜っと溜息をついてしまうような話であった。それは「楽しかった〜」ではなく、どこか呆然とした重い溜息である。読後感は、『消えた少年たち』によく似ている。これは続編を読まねば。でも、今度は上下巻!さらに長いのだ〜!
『恋愛中毒』☆☆☆☆ 山本文緒、角川書店(98.11月刊)
実は、ワタクシ的には山本文緒はイマイチである。いや、イマイチであった、これを読むまでは。『ブルーもしくはブルー』、『ブラック・ティー』、『あなたには帰る家がある』など読んだが、どれもなんだか気に入らなかった。読後感がよくないのだ。どうも、もやもやした感じが残るのだ。なぜか?それを突き詰めて見ると、登場人物たちがみんな、やなヤツなのだということに思い当たった。悪い人間というのではない。人間、特に女性の心の中の一番どろどろした、ヘドロみたいなところを書くんだよね、この方。それがちょっと私にはヘビーで、周りの書評のお褒めには素直にのれなかった。今までは。
でも、この『恋愛中毒』はすごい。打ちのめされました、私。著者に向かって、「今まですみませんでしたあ!」と謝りたいくらい。恋愛というものの「毒」を、ここまで書かれたらもう、平伏するしかないです。余計なこと一切考えず、とにかく、没頭して読みました。
20代なかばの男性が、同じ職場の40代くらいの謎めいた無愛想な女性事務員に、ちょっと自分の恋人とのトラブルを解決してもらう。その夜、一緒に酒を飲んでいると、ふとしたきっかけで彼女は自分の過去を語り始めた。それは、今の彼女からは想像もつかないような話だった…。
で、彼女の過去が語られるのだが、これはもったいないので書かないでおこう。人間描写がとにかく、男性も女性もすごい。登場人物が、みなハンパじゃない。ピンボケした写真みたいなのでなく、プロの写真家が撮ったかのように鮮やかにくっきり浮き出ているのだ。そして、主人公の心情の描写の深さ、見事さ!私の貧困なボキャブラリーでは、誉め言葉が見つからない。もはや、今までの著作のような、主人公が「やなヤツ」かどうかなんて、もうどうでもいい。そんなことは問題にならない。
普通、恋愛小説といったら、綺麗にウツクシク書かれてるのがパターンだが、著者はその裏側から恋愛を描いた。恋って、ひっくり返せばこんなにダークなのだ。底が見えない、暗黒のブラックホールみたいに。甘口の恋愛小説に飽き飽きしてる方、ぜひご一読を!山本文緒の著作を全部読んだわけではないが、おそらく私のカンと独断で、これは彼女の最高傑作だろう。この本を、すごく良かったですよ、感動しましたよ、とは言わない。ただ、私はこの本に見事に強烈なアッパーカットをくらったと言っておこう。読むべし!
『ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王』☆☆☆1/2
上遠野浩平、電撃文庫(99.2月刊)
「ブギーポップ」シリーズ、第4弾。ずいぶんサクサク新刊が出るなあと思っていたが、読んでナットク。これ、バレンタインデーの一日の話なのだ。なるほど、2月に出さなきゃ面白くないよな。しかも私は、2月14日当日に読みました(笑)。pm5:09までに読み終えることができて、よかった。というのは、今回の作品は時間ごとの章立てになっているのだ。登場人物がかわるがわる、その章の主役になるという筋立ても、いつもと同じパターン。
寺月恭一郎という大実業家が遺した、バビロンの塔にもたとえられる、“ムーンンテンプル”という巨大なタワー。1ヶ月後の解体まで、ここを入場料をとって見世物にすることになった。バレンタインデーの日曜日、朝からさまざまな客が列を作って入場を待っていた。そこには、前のシリーズに登場した竹田啓司たちがいた…。
ところが、10時ジャストに、突然すべての緊急シャッターが落ちてしまい、入場した人々はみな閉じ込められてしまう。そして、歪曲王が、彼らひとりひとりの心の中に現れる…。
3作目の「パンドラ」に比べると、ブギー大活躍!である。まあ、むしろ「パンドラ」が番外編みたいなものだったような気はするが。雰囲気、テンポも1、2作目を引き継いでそのまんま。“歪曲王”に触れるとネタバレになってしまうので書けないが、泣かせどころもまずまず。続編としては及第点でしょう。次回作あたりでは、もうちょっと「おっ?」と思わせる展開にチャレンジしてもいいかも。
ただ、ふと思ったのだが、「ブギー」の感想って、私は20代以上の、しかもネットの方々のしか読んでないんだよね。電撃文庫のターゲットである(と断言は出来ないかもしれないが)、10代の子たちって、このシリーズを読んでどのような感想を持つのだろう。リアルタイムで高校生をやっている子たちに、「ブギーポップ」という女子高生の間で噂になっている存在、なんてものはどう写るのだろうか。ぜひ、一度聞いてみたいものである。
『球形の季節』☆☆1/2 恩田陸、新潮文庫(99.2月刊)
94年に親本が出てるのだが、もうとっくに入手不可となっていたのがついに文庫化されて、やっとお目にかかれた本。
舞台は、どこにでもあるような小さな田舎町。そこの4つの高校で、「5月17日に、如月山にUFOが来て、エンドウさんという子が連れていかれる」という奇妙な噂が広がる。弘範たちは、その噂の出所を調べはじめるが、やがて、本当に事件が起こる。さらに、新たな噂が広まり、生徒たちに浸透してゆく…。
おまじない、超能力(とまではいかなくても、何かを感じ取る力)といった、いろーんなネタの入った話である。ちょっと『六番目の小夜子』と雰囲気は似ている。学園で起こる噂、という設定も同じだし。なんだか正体ははっきりしないのだが、何かが起こりそうな予感が、物語をひっぱってゆく。
ただ、この小説の注目するべき点はもちろん学生たちにもあるのだが、実は主役は町そのものなのだ。ジャック・フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』を思い出すような話だが、あれよりずっと妖しげな感じである。『ゲイルズバーグ〜』は町が昔の夢を見ているが、こちらはもっとコワイというか、不吉な夢を見ているのだ。そして人々は、町の夢にとりこまれてゆく…。
といった設定、ネタ、町や高校生達の描写、すべて実にいいのだが、なんというか構成力がイマイチ足りなかったのでは、という気がする。すごくおいしいネタ使ってるのに、なんかとてももったいない。ネタ入れ過ぎで、消化しきれてないのかな。「あれ、あの話の振りはどうなったんだ?」というまま終わってしまったり。確信犯なら別にいいのだが。いっぺん、思いきって書き直してみたらすごい名作に生まれ変わるかも。(あれ?そういや、題名の意味は何だったんだろう?これも謎のままだなあ)
相変わらず、言うに言われぬ雰囲気をかもし出すことには長けている作家である。この点は誰にも真似できない独特のものを持っていると思う。この、「言うに言われぬ雰囲気」が合うかどうかで、好き嫌いが激しく分かれる作家であろう。こういう、漠然としたものが好みの方にはお勧め。
『バースデイ』☆☆☆ 鈴木光司、角川書店(99.2月刊)
映画やドラマ、コミックにまでなり、今や知らない人はいない「リング」3部作の番外編というか、続編。中篇3作が収められている。あの「リング」〜「ループ」世界がまた再び繰り広げられる。あの3部作を読んだ方は必読!である。なぜなら、3つ目の「ハッピー・バースデイ」という作品が、『ループ』の後日談であり、ラストでぼやかしたまま終わらせていた、全作品の最終結末であるから。そう、『ループ』の続きといえば良いだろうか。
最初の2作品は、いずれも女性が主人公の番外編。で、3つ目の「ハッピー・バースデイ」で、これが見事につながる。またしても、やってくれたな、鈴木光司!
まあ何はともあれ、このシリーズもこれでおしまいであろう。中途半端だった結末のもやもやが、やっとすっきり終わってくれた感じである。
実は『リング』は、ずうっと昔、本の雑誌のレビューで興味を持って読んだ。今や幻といわれる、初版のビデオテープのイラストが表紙の時だ(すごく発行部数が少なかったらしい)。こ、こ、こわかったですう〜!日頃ホラーなんて読まないからかもしれないけれど、今までの人生の中で最もこわかった本ベスト1である(ちなみに、コミックだと『童夢』大友克洋ね)。いやあな冷や汗をじっとりかきながら、こわくてひとりで部屋で読むのに耐えられず、家族がいる居間に降りて読んだ記憶がある。
それから『らせん』が出て、『ループ』。ああいうでかい話になるとは、いったい誰が想像したであろう。まあ、あれはあれで面白いしいいんだけど、私は『リング』は単体として、純ホラーとして置いといて欲しかった気がする。あの傑作が、○○(ネタバレのため、伏せ字)だったってのは、ちょっとがっかりだなあ。無理に3部作なんぞにしなくてもなあ、と思ったものである。
が、このシリーズ、ホラーというか、エンターテイメントとしては、ぐいぐい読ませるし、面白いと思う。えもいわれぬ不気味さ、妖しさが、本から立ちのぼってくる。ワタクシ的にはこの手は苦手だが、エンターテイメントとしては読んで損はないと思う。