キングストンのトレンチタウンを見る |
キングストンのスラム街、トレンチタウンでレゲエ音楽は生まれた。 / Trenchtown -wiki | ||
ラスタファリ、レゲエは日本では、音楽とファッションの一分野のように感じられる。 暦は独自のものが | ||
あるのか、調べてみた。 | ||
★ ラスタファリの暦 | ||
ラスタファリの暦といっても独自の暦があるわけではない。グレゴリオ暦にエチオピア暦のクリスマスと正月を | ||
加え、ラスタファリ運動の 関連行事を加えたものである。もちろんジャマイカの国家の正規の祭日ではない。 | ||
ラスタファリはフランスでは、要注意のカルトとしてリストアップされている。 | ||
フランス政府の文書によってセクトと分類された団体一覧- wikipedia | ||
トレンチタウン / キングストン / ジャマイカ | ||
海外安全ホームページ: 危険・広域情報 /外務省 / キングストン危険地帯マップ - 在ジャマイカ日本国大使館 | ||
ラスタファリ運動の旗 ( エチオピア帝国の旗 ) エチオピア帝国- Wiki | ||
Religion in Jamaica - Wiki / Rastafari: Rastafarian history -BBC / ラスタファリアニズムとは / | ||
★ ラスタファリ運動 Rastafari ラスタファライ | ||
ラスタファリ運動またはラスタは、1930年代にジャマイカで発生し、1960年代に高揚した宗教運動。 | ||
ラスタファリアンは、エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世を、神として崇拝し、 | ||
ジャマイカのジャーナリスト・企業家のマーカス・ガーベイを預言者とする。 | ||
旧約聖書を聖典とし、エチオピアを約束の土地とする。 | ||
教義は宗派の間で異なり、聖書、ドレッドヘア、食物禁忌、大麻についての見方が異なる。 | ||
ラスタファリは、16世紀から19世紀にかけて、1,000万人以上のアフリカ人が奴隷として南北アメリカに | ||
輸出された大西洋奴隷貿易の遺産から発展した。これらの奴隷のうち70万人ほどがイギリス植民地の | ||
ジャマイカに送り込まれた。イギリス政府は、1834年にカリブ海の島での奴隷制を廃止したが、人種的偏見は | ||
続いた。多くのジャマイカのラスタは、米国のブラックパワー運動の影響を受けていた。マルコムX、マイケルX、 | ||
ジョージジャクソンなどの著名な指導者の死で、ブラックパワーが衰退した後、多くの黒人の若者がラスタファリに | ||
流れた。ラスタファリ運動は、宗教学者によって新宗教運動と社会運動の両方に分類されている。 | ||
運動を統括する中心的権威はなく、ラスタファリアンの間には多くの多様性が存在する。 | ||
ラスタファリは、1930年代ジャマイカで、アフリカ系ジャマイカ人の貧困層から始まった。 | ||
それは、マーカス・ガーベイなどのブラックナショナリストによるアフリカ帰還運動の影響を受け、ジャマイカで | ||
当時支配的な英国植民地文化に対する反動であった。1930年にエチオピア皇帝ハイレセラシエが戴冠したことで、 | ||
これをガーベイの予言の成就と説く路上説教者たちによって発展した。1950年代までに、ラスタファリはジャマイカ | ||
社会との対立関係にあった。1960年代と1970年代には、ラスタファリにインスパイアされたレゲエミュージシャン、 | ||
特にボブマーリーの人気を通じて、ジャマイカ国内と海外での認知度が高まった。 | ||
ラスタファリ運動は、ハイレセラシエとマーリーの死後、1980年代に衰退したが、運動は存続し世界に広がっている。 | ||
多くのラスタはラスタファリを宗教ではないとし、それを「生き方」「哲学」「精神性」と呼んでいる。 | ||
ラスタは、聖書はもともとアムハラ語 (エチオピア語のひとつ) で石に書かれていたと信じている。 | ||
多くのラスタは、ほとんどの白人キリスト教徒によって崇拝されている神は実際には悪魔である。そして、教皇は | ||
サタンまたは反キリストであると考えている。ラスタファリ運動は千年王国運動であり、現代は終末論的な終わりを | ||
迎えると考えている。この審判の日にはバビロンが倒れ、ラスタが選ばれ生き延び、人類が新しい時代に導かれる。 | ||
これは、義人が楽園であるアフリカに住む平和、正義、幸福の千年紀であると考えられている。 | ||
1980年代、多くのラスタは、審判の日は2000年頃(西暦のミレニアム)になると信じていた。 | ||
ラスタファリは、ラスタが自然の法則と見なしていることに従って、「自然に生きる」という考えを推進している。 | ||
そして西洋人とバビロンは、自然から離れ、怠惰で退廃的になっていると信じている。ラスタは通常、現代資本主義を | ||
批判的に見ている。彼らは産業革命以前の農業社会を希求している。 | ||
初期のラスタの儀式には男性と女性が一緒に参加したが、1940年代後半から1950年代にかけて、ラスタコミュニティは | ||
儀式のための性別分離を奨励するようになった。 | ||
1968年に、ジャマイカでレゲエが登場した。レゲエは、1970年代半ばに世界的に広く普及し、支持されるようになった。 | ||
しかし多くのラスタは、彼らの信仰を商品化したと感じて、レゲエに批判的である。ほとんどのラスタはレゲエ音楽を | ||
聴いていない。ラスタはまた、一般的にアルコール、タバコ、ヘロインやコカインなどのハードドラッグを避ける。 | ||
ラスタはまた、西洋医学を避け、手術、注射、輸血を拒否する。 ドレッドヘアは、1940年代に登場した。 | ||
★ エチオピア | ||
エチオピアは、 欧米のアフリカ分割の中で唯一独立を保ったアフリカ最古の独立国である。 | ||
軍事クーデターにより、最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が1974年に倒れ、1975年に帝国は滅亡。 | ||
700年にわたるエチオピア帝国の歴史は終わった。 | ||
★ Haile Selassie I (ハイレ・セラシエ、在位1930~1975) | ||
ソロモン王とシバの女王の直系子孫とされる。 / ソロモン - Wiki / シバの女王 - Wiki / | ||
★ Leonard Percival Howell レナード・ハウエル、(1898年6月 - 1981年) | ||
Leonard_Howell - Wiki / レナード・ハウエル - Wiki / ジャマイカ出身のラスタファリ運動の創設者。 | ||
★ エチオピア連邦民主共和国 現在のエチオピア政府 | ||
1974年のクーデターから、1987年まで社会主義エチオピア、1991年までエチオピア人民民主共和国、 | ||
1995年の憲法改正でエチオピアとなり、1995年の憲法改正によりエチオピア連邦民主共和国となった。 | ||
★ ジャマイカの宗教 | ||
宗教はプロテスタントが 61.3%、ローマ・カトリックが4%、その他(ラスタファリ運動、イスラム教、 | ||
ユダヤ教、無宗教者を含む)が34.7%である。 プロテスタントと言っても | ||
ジャマイカのプロテスタントはハイチのブードゥー教 やキューバのサンテリア のように、ジャマイカで | ||
独自の発展を遂げたものであり、アフロ・クリスチャン教会(ポコメニア)と呼ばれている。 | ||
2001年のジャマイカの国勢調査では、29,026人のラスタファリがカウントされた。 | ||
ジャマイカの総人口294.8万人(2019年世銀)。人口の0.01%にも満たないが、独特のビジュアルと | ||
心地良いレゲエのサウンドで、ジャマイカと聞けば、ラスタファリを連想するようになった。 | ||
レゲエ - Wiki / ハイレ・セラシエ1世 - Wiki / Rastafari - Wiki / ラスタファリ運動 - Wiki / | ||
ラスタファリア ンにとっての救済と「アフリカ人」らしさについて【pdf】-jstage | ||
アフリカ帰還への待望 : ジャマイカのラスタファリアンの夢と現実に ついてのスケッチ -kobe-u.ac | ||
★ ラスタファリの記念日 | ||
暦はグレゴリオ暦を使用しているが、クリスマスと正月はエチオピア暦のものを使用する。 | ||
エチオピア暦 - Wiki / Ethiopian_calendar - Wiki / | ||
ラスタファリ・カレンダー ( 日付は西暦 ) ジャマイカの正規のカレンダーではありません | ||
1月7日 エチオピア暦のクリスマス | ||
キリスト教は西暦330年にエチオピアに伝来。ラスタファリアンは、聖書のユダヤ人は黒人であるとしている。 | ||
4月21日 グラウネーション・デー / Grounation_Day - Wiki / Groundation - Wiki | ||
ハイレセラシエのジャマイカ訪問(1966年4月25日)を記念する日。 | ||
4月-5月 ファシカ ( FASCICA ) エチオピア暦のイースター / Fasika - Wiki / Orthodox Easter | ||
Ethiopian Easter Sunday in Ethiopia - Time and Date / エチオピアン・イースター Fasika / Ethiopian Easter | ||
7月16日 エチオピア憲法記念日 | ||
1931年にハイレセラシエがエチオピアで最初の憲法を施行したことを記念する。 | ||
7月23日 ハイレ・セラシエ1世の誕生日 | ||
ハイレセラシエ1世が1892年に生まれた日を記念する。 | ||
8月17日 マーカス・ガーベイ の誕生日 | ||
アフリカ王の戴冠を予言し、「アフリカ帰還運動」を推進したジャマイカの政治家、 マーカス・ガーベイの | ||
誕生日を記念する。 | ||
9月11日 エチオピア暦の新年 | ||
グレゴリオ暦の9月11日にあたるが、閏年の場合は9月12日となる。 | ||
11月2日 ハイレセラシエ1世の戴冠記念日 | ||
ハイレセラシエ1世の戴冠を記念する。 | ||
2月6日 ボブ・マーリーの誕生日を祝うこともある。 | ||
I Shot the Sheriff - Wiki / I Shot The Sheriff - Google 検索 / ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ - Wiki / | ||
レゲエとジャマイカ:ラスタファリと植民地から生まれたもの - udiscovermusic | ||
1966年4月25日 Grounation Day | ||
ジャマイカの空港に着いたハイレセラシエ皇帝搭乗機に押し寄せた大群衆 | ||
あまりの大群衆で搭乗機から降りることができないハイレセラシエ皇帝(中央) | ||
ジャマイカ政府のレセプションで、ハイレセラシエ1世に謁見するラスタファリ代表団の一人。 | ||
ハイレ・セラシエ1世 | ||
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ハイレ・セラシエ1世( Haile Selassie I, 1892年7月23日 - 1975年8月27日)は、 エチオピア帝国最後の皇帝。 | ||
アフリカ統一機構初代議長。皇帝就任前はタファリ殿下(ラス・タファリ)と呼ばれていた。 | ||
彼はエチオピア正教徒であった。国際的には開明君主と見られたが、国内的には失政悪政の連続であった。 | ||
1974年9月2日、左翼軍事政権のクーデターにより逮捕廃位され、 1975年8月27日に殺害された。 | ||
Jah Live -wiki / ( Bob Marley ) Jah No Dead ジャノデ(ッド) / (Burning Spear ) | ||
ジャマイカからエチオピアに戻ったハイレ・セラシエ皇帝は、エチオピア正教会の大司教に、ジャマイカには | ||
問題があるとし、正教を布教するようにと話した。当初、ラスタファリアンコミュニティの多くは教会を歓迎したが、 | ||
教会は、ハイレ・セラシエの神性を否定し、ハイレ・セラシエではなく、イエス・キリストの名によってのみ | ||
バプテスマを授けるというスタンスである。これはラスタファリアンにとって受け入れられない。 | ||
また、エチオピアのソロモン王と民族の叙事詩である「ケブラネガスト」を予言書と捉えるラスタファリアンの信仰を | ||
教会は、否認している。そして、ボブ・マーリーが亡くなる前にエチオピア正教会の洗礼を受けたとされるが、 | ||
ボブ・マーリーによる「回心」に関して教会が行った声明は、ラスタファリアンの大きな反発を受けた。 | ||
ラスタファリアンには教会に対して不信感がある。ラスタファリアンは、 今日の教会が、虐げられ抑圧された人々に | ||
寄り添うことなく、キリストの教えから逸脱していると考えている。 | ||
マーカスガーベイ | ||
マーカスガーベイ、Marcus Mosiah Garvey (1887年8月17日-1940年6月10日)は、ジャマイカ出身の政治活動家、 | ||
ジャーナリスト、実業家。UNIA-ACL、通称UNIAの創設者で、アフリカの暫定大統領を自称した。思想的には | ||
パンアフリカ主義者であり、ガーベイズムとして知られる。ジャマイカでは、彼は国民的英雄と見なされている。 | ||
ジャマイカでは、ガーベイは死後ほとんど忘れられていたが、1930年にジャマイカに出現した新宗教運動 | ||
ラスタファリに重要な影響を及ぼした。ラスタファリの運動によって彼への関心が復活した。 | ||
ガーベイは、1930年代からラスタを知っていたが、否定的に見ていた。ガーベイはカトリック教徒であった。 | ||
ガーベイはハイレ・セラシエを神とする教義を神への冒涜と見なしていた。それにもかかわらず、 | ||
多くのラスタは、ガーベイを預言者と見なし、洗礼者ヨハネがイエス・キリストの再臨を予言したのと同様、 | ||
ガーベイがハイレ・セラシエの戴冠を予言したと信じている。ジャマイカのラスタコミュニティ内では | ||
ガーベイについて多くの伝説や物語が語られている。ガーベイは、実際には死んだのではなく、アフリカに | ||
住んでいて生き続けている主張している。ジャマイカが独立した1962年、政府はガーベイをヒーローとして認定した。 | ||
1969年、ジャマイカ政府は、国民的英雄勲章を授与した。 彼の肖像は、ジャマイカドルの20ドル硬貨と50セント | ||
25セント硬貨にある。2012年、ジャマイカ政府は8月17日をマーカスガーベイの日と宣言した。 | ||
1920年、マーカスガーベイは、ラスタファリが予言とする演説を行った。 | ||
「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠するとき、解放の日は近い」。 | ||
"Look to Africa when a black king shall be crowned, for the day of deliverance is near." | ||
1930年のハイレセラシエの戴冠は、ラスタファリにとってマーカスガーベイの予言の成就であった。 | ||
ファースト・ラスタ | ||
レナードハウエル Leonard Howell -wiki / ジョセフ・ナサニエル・ヒバート Joseph Hibbert -wiki / | ||
アーチボルド・ダンクリー(Archibald Dunkley )、ロバート・ハインド(Robert Hinds) | ||
レナード・パーシバル・ハウエル ファースト・ラスタ | ||
レナード・パーシバル・ハウエル(1898年6月16日〜1981年1月23日) は、ジャマイカの 宗教家。 | ||
ハウエルは英国国教会の家庭に生まれた 。彼はラスタファリ運動の最初の説教者の1人であり(ジョセフ ヒバート、 | ||
アーチボルド ダンクリー、ロバート ハインズと共に)、最初のラスタとして知られている。 | ||
ラス・タファリ・マコネンがハイレ・セラシエ1世として戴冠したとき、 ハウエルは、ハイレ・セラシエが「地上に戻った | ||
救世主」であると主張し、「約束された鍵」という本を出版した。これにより、彼は逮捕され、反乱罪で裁判にかけられ、 | ||
2年間投獄された。ハウエルは、その反植民地主義的なメッセージが原因で脅威と見なされていた。 | ||
ハウエルはジャマイカのすべての労働組合、教会、警察、植民地当局と対立するようになった。植民地当局は早い段階から、 | ||
ハウエルの運動を鎮圧しようとした。ハウエルは、セントキャサリン教区にピナクルと呼ばれるコミューンを形成した。 | ||
最もカリスマ的なラスタファリアン リーダーの1人として、ハウエルは、ラスタファリアン運動の他の先駆者よりも著しく | ||
多く投獄された。今日、ハウエルはラスタファリアン運動の先駆者として記憶されている。 | ||
また彼の植民地支配に対する戦いに敬意を表して、汎アフリカ主義のリーダーと見なされている。 | ||
「約束された鍵」The_Promised_Key -wiki.en | ||
モーティマープランノMortimer Planno -wiki / Rastafari: Rastafarian history-BBC / George Padmore -wiki | ||
アフリカの年 -wiki / アジア・アフリカ諸国の独立年表-wiki / シャープビルとソウェトを見る / | ||
アメリカ大陸諸国の独立年表-wiki / 脱植民地化 -wiki / pioneers of the Rastafarian movement - google.search | ||
UNIA-ACLの旗 Pan African Flag 及び Black Nationalist Flag としても知られる。 | ||
【 UNIA-ACL 】
The Universal Negro Improvement Association and African Communities League | ||
UNIA-ACL は、米国へのジャマイカ移民である マーカスガーベイ と エイミー アッシュウッド ガーベイ によって | ||
設立された黒人民族主義者の友愛組織。この組織は 1920年代に勢力を拡大し、 1927年にガーベイがジャマイカに | ||
強制送還されるまで勢力を維持した。その後、影響力は低下したが、アフリカ系アメリカ人の運動に強い影響を与えた。 | ||
UNIA は1938年以前のジャマイカで最も影響力のある反植民地組織であった。 | ||
エイミー アッシュウッド ガーベイAmy Ashwood Garvey -wiki.en | ||
ラスタ・カラー | ||
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Rastafarian color - Google 検索 Pan-African_colours - Wiki 汎アフリカ色 - Wiki | ||
Black_Power - Wiki Pan-Africanism - Wiki パン・アフリカ主義 - Wiki | ||
バビロン(BABYRON) バビロン捕囚(前586年) | ||
バビロン捕囚 - Wiki 新バビロニアの王ネブカドネザル2世はユダ王国(南王国)を征服。生き残った人々の大半を | ||
バビロニアへ捕虜として連行。強制移住させた。バビロンは新バビロニアの都であった。 | ||
ラスタで言うバビロンは、汚濁にまみれた西欧文明の世界をさす。抑圧体制、警官の意味もある。 | ||
ザイオン(ZION) | ||
ザイオンは、シオンのこと。 聖書に出てくるエルサレム南東にある丘の名。のちにシオンはエルサレムの町全体を | ||
さすようになり「神の都」を意味する言葉としても使われている。 | ||
ラスタで言うザイオンは、アフリカ。のちにエチオピアをさすようになった。 | ||
ジャー(Jah ) ヤー、ヤハ、ヤフ | ||
唯一神ヤハウェ(ジャー)の化身である ハイレセラシエはエチオピア正教会のキリスト教徒であった。 | ||
エチオピア正教会をコプト教会の支配から独立させ、 教会に対する課税、聖職者に対する国法の適用などを行った。 | ||
ハイレ・セラシエ1世 - Wiki / Haile_Selassie -英語版wiki | ||
イヤリック(Iyaric)、ラスタファリアン英語。 / Iyaric - Wiki | ||
ラスタファリアンによって意図的に作り出された言語。ジャマイカクレオール語や英語に改変を加えたもの。 | ||
英語は、植民地言語であり、ネガティブな意味の言葉をポジティブなものに置き換える。負の意味合いを持つ言葉を | ||
回避する。言葉の意味を本来のものから変更するなどによって作り出された。 | ||
カリブ海域のクレオール言語【pdf】CORE.ac / Rastafari – Way of Life | JahWorks.Org | ||
Language and resistance: memories of slavery and Rastafari language | openDemocracy / Rasta Dictionary | ||
アイタル(Ital、I-tal ) / Ital -wiki | ||
アイタルフードは、ラスタファリの食べ物。はぼ菜食主義。 語源は、英語の「バイタル」から「v」を除いたもの。 | ||
ディアスポラ(Diaspora) African diaspora religions - Wiki | ||
語源はギリシャ語からきている。 かつてはユダヤ人・ギリシャ人・アルメニア人の民族離散に関係して使われていたが、 | ||
現在では共通のエスニック・アイデンティティを持つ移民コミュニティ一般を指し示すようになった。 | ||
イスラエルの失われた10支族 - Wiki / 古代イスラエル - Wiki / ユダ王国 - Wiki / | ||
出エジプト記 ( Book of Exodus ) | ||
出エジプト記 - Wiki / Book of Exodus - Wiki / 出エジプト記(文語訳) - Wikisource | ||
『出エジプト記』( Exodus)は、旧約聖書の『創世記』につぐ2番目の書。 | ||
モーセが、ユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語とシナイ山での神との契約がテーマとなっている。 | ||
The holy piby | ||
黒人の聖書またはラスタファリの聖典としても知られているThe holy pibyは、1920年代に米国で最初に出版された。 | ||
アンギラの ロバート・アスリー・ロジャースによって書かれたか編集されたもので、すぐに発禁にされた。 | ||
この本は、 Afro-Athlican Constructive Gaathly.という名前の新しい宗教を宣言している。 | ||
これは、次にラスタファリアニズムに進化する基盤であった。この本の要旨は、すべての黒人、アフリカ人は、神が選んだ | ||
人々であるというものである。今日、The holy pibyは多くのラスタファリアンから彼らの宗教的信念の主要なソースとして | ||
高く評価されている。原本は、米国議会図書館、カリフォルニア大学のカタログのいずれにも記載されていない。 | ||
Holy Piby - Wiki / Afro-Athlican Constructive Gaathly. - Google 検索 | ||
The holy piby | ||
★ ラスタ運動の宗派 Mansions_of_Rastafari - Wiki | ||
13の宗派があるが、有名なのは、ニャビンギ( Nyabinghi)、ボボアシャンティ(Bobo Shanthi)、イスラエルの十二部族 | ||
(Twelve Tribes of Israel )。 | ||
★ Nyabinghi ニャビンギまたはナイヤビンギ / Nyabinghi_(Mansion_of_Rastafari) - Wiki | ||
Nyabinghi Rastasは最も古い宗派で、最大のラスタファリグループ。バビロンとの妥協を拒否し、反白人色が強い。 | ||
商業音楽業界に進出したレゲエミュージシャンに批判的である。 彼らは、ハイレ・セラシエがヤハであ り、 | ||
イエスの生まれ変わりであるという考えを強調している。 ドレッドヘアは不可欠であると見なされており、 | ||
性別の役割が強く強調されている。 / Nyabinghi_rhythm - Wiki | ||
Ras Boanerges ラス ボアネルゲス(ボンゴ ワト) (1925 – 2000) | ||
ニャビンギ教団の第一人者の一人である彼は、自分自身をニャビンギ教団の創始者と見なしていた。 | ||
★ Bobo Ashanti, or Bobo Shanti ボボアシャンティ / Bobo_Ashanti - Wiki | ||
ボボアシャンティは、1972年 キングストン近くのブルベイでエマニュエルチャールズエドワーズによって設立された。 | ||
最も戒律が厳しい宗派。女性蔑視であり、反商業主義であり、選民思想からくる黒人優越思想である。 | ||
エドワーズは、ハイレ・セラシエを生ける神、自分自身をキリスト、そしてガーベイを預言者として、新しい | ||
三位一体の教義を提唱した。ボボアシャンティラスタは、長いローブとターバンで識別できる。 | ||
1994年にエドワーズが亡くなった後、後継者争いや権力闘争などが起こり、 メンバーが減少した。 | ||
チャールズ・エドワーズ(1915 – 1994) | ||
「黒いモーセ」として知られ、「エチオピア アフリカ黒人国際会議、神の救いの真の教会 (EABIC)」の創設者であった。 | ||
Charles_Edwards_(Rastafari) -wiki.en | ||
★ Twelve Tribes of Israel イスラエルの十二部族 / Twelve_Tribes_of_Israel_(Rastafari) - Wiki | ||
本部はキングストンのホープロードにある。1968年に「預言者ガド」ヴァーノンキャリントンによって結成された。 | ||
イスラエルの十二部族は、キリスト教やメシアニック・ジュダイズムに最も近い教義をもつ宗派として知られている。 | ||
この宗派はイエス・キリストを唯一の救い主として認めている。ハイレセラシエは重要ではあるが、イ エスの再臨とは | ||
見なされていない。ドレッドヘアとアイタリックダイエットは必須ではないと考えられており、入信資格は、あらゆる | ||
人種に開かれている。12部族は、1970年代に人気が高まり、 多くの中流階級の信者が集まり、「中流階級のラスタ」、 | ||
「アップタウンのラスタ」と呼ばれた。キャリントンは2005年に亡くなり、それ以来、イスラエルの12部族は執行 | ||
評議会によって率いられてきた。 この宗派は、さまざまな国に本部を置き、教勢を拡大している。ボブ・マーリーは、 | ||
この宗派のメンバーであった。 / ヴァーノンキャリントン((1936– 2005) Vernon_Carrington - Wiki.en | ||
ヴァーノン・キャリントン(1936 – 2005) | ||
多くの信奉者にとって、彼は預言者ガドとして知られていた。 | ||
★ シャシャメイン ( シャシャマネ) Shashamane - Wiki | ||
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エチオピアでは、 1995年に民族ごとに州が再編され、 オロモ人が多数を住める地域がオロミア州となった。 | ||
シャシャメインはオロミア州にある。 2021年11月時点で、エチオピアは11つの州と2つの自治区からなる。 | ||
オロミア州 -wiki / エチオピアの行政区画 -wiki | ||
Shashamane(オロモ語)は、首都アディスアベバから約240 kmにある。 この地区の住民の43.44%がエチオピア正教会、 | ||
31.15%がムスリム、23.53%がプロテスタント、1.3%がカトリックである。この街にシャシャメインコミュニティがある。 | ||
エチオピア世界連盟(EWF) Ethiopian World Federation Incorporated(EWF) | ||
エチオピア世界連盟(EWF)は当初、在米エチオピア人留学生で構成されていた 。1935-41年のファシスト・イタリアの | ||
エチオピア侵攻の際にエチオピアへの支援のために米国で設立され、、支部は南北アメリカにできた。やがて、ハーレムの | ||
黒人コミュニティから支持を得て、EWFの下に、エチオピア人以外のアフリカ系アメリカ人が参加するようになった。 | ||
米国外のEWFの最初の支部はジャマイカのキングストンに設立され、 1940年までにラテンアメリカとカリブ海のさまざまな | ||
地域にEWF支部ができた。1943年頃にはエチオピア人主導の組織ではなく、黒人の組織になった。1941年にエチオピアから | ||
イタリアが撤退、ハイレセラシエが王位に復帰後、イタリアとの戦争の間の支援に対してエチオピア世界連盟の | ||
メンバーに感謝するためにシャシャメインの土地を与えた。移民はすぐに始まり、人口は一時 2,000人を超えた。 | ||
しかし、1975年、左翼軍事政権に替わり、すべての土地が国有化された。 1986年、土地の一部が返還された。 | ||
2004年には、入植者の数は300人未満に減少した。 2007年、エチオピア暦のミレニアムで再び入植者が増加した。 | ||
2018年、エチオピアのラスタファリに在留許可証明書が発行された。 | ||
今日、シャシャメインコミュニティはラスタファリコミュニティであり、さまざまな宗派と所属で構成されているため、 | ||
国際的なラスタファリ運動を反映している。 | ||
1970年代以降は、"イスラエルの12部族"のメンバーが多数派を占めているため、主導権を握っている。 | ||
元皇帝メネリクとハイレセラシエを植民地主義者と見なすオロモ民族主義者は、このコミュニティに敵意を抱いている。 | ||
E A D U M C エチオ・アフリカ・ディアスポラ・ユニオン・ミレニアム・カウンシル | ||
ラスタ運動の最も古いナイヤビンギ・オーダー派は、ハイレ・セラ シエの即位した1930年にはじまった。 | ||
ラスタファリの宗派は、一人の開祖から始まり教義解釈を巡って分裂したものではなく、各宗派の創始者がそれぞれ啓示、 | ||
預言を得て始めたものである。このため宗派間には、教義、儀礼のあり方などで様々な差異がある。一方 | ||
現在、世界中で様々なラスタ関連商品が販売されているが、これらはラスタが製作販売しているものではなく | ||
ラスタ・コミュニティに還元されていない。2007年9月11日のエチオピア暦のミレニアムを前にした6月、13の宗派の代表が | ||
集まってラスタファリ・コミュニティの文化財の保存、保護、管理などの共通の利益、権利を促進することを目的として | ||
Ethio-Africa Diaspora Union Millennium Council (EADUMC)を結成 した。 | ||
Exploring Ras Tafari Culture -世界知的所有権機関(WIPO) | ||
ラスタファリの組織構造 | ||
ラスタファリは、バビロンの構造を複製することを望まず、 内なる神性に重点を置いているため、中央集権的で | ||
階層的な構造を避けている。ラスタファリグループの構造は、キリスト教の宗派の構造とは異なり、ハイチの | ||
ブードゥー教、キューバのサンテリア、ジャマイカのリバイバルシオンなどの他のアフリカのディアスポラの伝統の | ||
組織構造に似ている。ラスタファリ運動は, パン・アフリカニズムの要素を持ち、黒人若年、都市貧困層の文化運動 | ||
として広がっている。 | ||
★ エチオピア暦 | ||
■なぜ9月11日が正月なのか Ethiopian New Year Enkutatash (エンクタタッシュ)- Wiki | ||
正教会には現代でもユリウス暦を使用するものがある。 ただし全ての正教会がユリウス暦を使用しているわけではない。 | ||
ユリウス暦以前のローマ暦は1月1日が新年初日で、これはユリウス暦でも採用された。 | ||
しかし、ユリウス暦の導入後もこれとは異なる日付を新年初日とする地域があった。 | ||
エジプトのコプト暦では8月29日に新年が始まる。ビザンチン暦は9月1日に始まる。 | ||
エチオピア暦では、グレゴリオ暦の9月11日、もしくは12日が新年にあたり1ヶ月を30日として数える。 | ||
この為、12か月で360日になるが、残りの5日、6日は13月という月にして調整が行われている。 | ||
1月1日を新年初日とすることは、全てのユリウス暦採用地域で、 受け入れられたわけではなかった。 | ||
エチオピア正教会は、東方諸教会の一つ。1959年、独立教会となるまではコプト正教会の一部であった。 | ||
コプト暦は、古代エジプト暦(太陽暦)に起源をもち、コプト正教会で使われる。 | ||
年始はユリウス暦の8月29日、うるう年の前年は8月30日である。これは、西暦1900年から2099年の間は、 | ||
グレゴリオ暦の9月11日、うるう年は9月12日に相当する。これはナイル川が増水する時期である。 | ||
ユリウス暦8月29日は、エジプトの農事サイクルに合わせた年始の設定であった。 | ||
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■なぜ1月7日がクリスマスなのか Ethiopian Christmas ガンナ Ganna | ||
20、21世紀の間では、ユリウス暦の12月25日はグレゴリオ暦より約13日遅れとなる。ユリウス暦の12月25日が、 | ||
グレゴリオ暦の1月7日にあたるため、 グレゴリオ暦1月7日に「12月25日のクリスマス」が祝われる。 | ||
エチオピア暦変換 | ||
エチオピア暦 / エチオピア暦とグレゴリオ暦の相互変換。エチオピア暦の今日の日付。 | ||
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著者: 中村とうよう 初版発行: 1986年 出版社: ニューミュージックマガジン | ||
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-世界史用語解説
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聖書と黒人 黒人霊歌 | ||
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