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色分け区分は国連の分類による。United Nations Statistics Division- Standard Country and Area Codes Classifications |
ファイル: アフリカ地図 africa.gif |
2013年8月22日 作成 第1版 Size:16KB width:598px height:668px Mime Type :gif |
ガンビアとギニアビサウがスペースの都合で国名を入れられなかった。セイシェル、コモロ、モーリシャス、 |
サントメ・プリンシベの島嶼国家も省略した。 |
2013年8月24日 第2版 Size:16KB width:598px height:668px Mime Type :gif |
スエズ運河とアデン湾、赤道、南北回帰線を追加した。 |
2013年9月9日 第3版 Size:16KB width:598px height:668px Mime Type :gif |
ガンビア、ギニア・ビサウ、サントメ・プリンシベ、コモロの国名を、なんとか、押し込んだ。 |
2013年9月15日 第4版 Size:20KB width:598px height:668px Mime Type :gif |
北アフリカ、南部アフリカ、東アフリカ、中部アフリカ、西アフリカと呼ばれる地域を色分けした。 |
区分は国連の分類による。United Nations Statistics Division- Standard Country and Area Codes Classifications (M49) |
2013年10月15日 第5版 Size:20KB width:598px height:668px Mime Type :gif |
色分けの説明を追加した。区分は諸説あるが、これは、国連の分類によるもの。 |
スワジランドが国名を変更 |
旧スワジランドは、 2018年4月19日、国名を「エスワティニ王国(Kingdom of Eswatini)」と改めることを宣言した。 |
日本では、2019年2月12日に同国の国名変更を閣議決定した。 / エスワティニ -wiki |
西アフリカの大西洋側にある島嶼国家は、マカロネシア と呼ばれる |
モロッコと西サハラの境界の沖合あたりにある、スペイン領カナリア諸島 。28.323725,-16.100464 |
セネガルの沖、バルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなるカーボベルデ 。15.982454,-23.845825 |
カーボベルデは、ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国に加盟している。 |
このマカロネシアにも入らない絶海の孤島がある。コートジボアールから南へ線を引き、アンゴラとナミビアの |
国境線を西へ延長した線が交わる辺り、ナポレオンが島流しされた、セントヘレナ島 である。-15.953407,-5.712891 |
2020年7月9日 作成 第1版 Size:8KB width:420px height:376px Mime Type :gif |
ファイル: カーボベルデ CapeVerde.gif |
カーボベルデ (Cape Verde/ヴェルデ岬諸島) |
15世紀から1975年までポルトガル領であった。 |
カーボベルデ諸島はアフリカ大陸西端から約375キロ離れた位置にある。 |
マウマウ団の乱のケニア山を見る / 奴隷海岸を見る / |
地域別インデックス(アフリカ) | 外務省 / 南スーダン - Wiki / 西サハラ - Wiki / スエズ運河 - Wiki / |
マリ北部紛争 (2012年) / 西アフリカ諸国経済共同体 - Wiki / マリ共和国 - Wiki / |
外務省 海外安全ホームページ|在留邦人向け安全の手引き(アフリカ) / 地域別危険情報一覧(アフリカ地域) / |
紅海 - Wiki / 紅海は紅く濁った海ではない。海水の透明度が高く、多くのサンゴが生息する美しい海である。 |
ジブチ - Wiki / アデン湾 - Wiki / 大地溝帯 - Wiki / アフリカ大湖沼 - Wiki / アフリカの地理 - Wiki / |
アデン湾と言えば、海賊対策で自衛隊の海外拠点が開設されたジブチ。 / アデン湾 自衛隊 - Google 検索 |
そして、アデンと言えば、「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも |
言わせまい──。」 / ポール・ニザン の アデン アラビア を連想してしまうだろう。 |
エジプトとスーダンの国境線は、北緯22度。エジプトとリビアは、東経25度。 |
アフリカの国 都市一覧(世界の天気&服装ナビ) | 地球の歩き方 / |
大洋州の時差 南北回帰線と赤道をGoogleMap 上に表示した項目を設置 |
春分 秋分 夏至 冬至 の日時 南北回帰線、熱帯収束帯 (熱赤道)、四季による地球への太陽光の当たり方、南半球。 |
ファイル: 東アフリカ地図 EastAfrica.gif |
Size:8KB width:270px height:323px Mime Type :gif 2013/8/20 |
ケニア山、キリマンジャロ、タンガニーカ湖、ザンジバルの位置関係を図示したかったので作成した。 |
このファイルの使用状況( File usage ): マウマウ団の乱のケニア山を見る |
ファイル: 南部アフリカ地図 south_africa_map.gif |
Size:8KB width:302px height:201px Mime Type :gif 2013/3/20 |
このファイルの使用状況( File usage ): ヨハネスブルグのシャープビルとソウェトを見る |
ファイル: 北アフリカ地図 chichukai.gif |
第1版 Size:8KB width:602px height:293px Mime Type :gif 2013/3/17 |
第2版 Size:8KB width:602px height:293px Mime Type :gif 2020/4/05 |
アフリカ単独の地図はあるが、このように地中海をはさんで図示したものが無かったので作成した。 |
このファイルの使用状況( File usage ): アルジェのカスバ地区を見る |
人類発祥の地 アフリカ |
人類の起源については、アフリカ単一起源説と多地域進化説の二つがある。 |
しかし、多地域進化説もヒト科の誕生の地がアフリカであるという点では、意見が一致している。 |
二説の違いは、いつアフリカから現生人類の祖先が出発したかにある。 |
人類歴史年表|人類|ヒト|歴史|誕生|進化|地球|化石 / |
エチオピア、ハダール遺跡 ユネスコ世界遺産 318万年前の猿人化石 |
1974年、エチオピア、アファール盆地、アワッシュ川下流域、ハダール遺跡で、ほぼ完全な 318万年前の化石人骨、 |
アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の女性の骨格が発見され、「ルーシー」の愛称が付けられた。 |
2000年にハダールに近いディキカで、推定3歳のアファール猿人の女児の人骨が発見された。こちらは、ルーシーより |
さらに15万年ほど古い332万年前のものとみられる。 |
アワッシュ川下流域は、1980年にユネスコの世界遺産リストに登録された。 |
アファール猿人は、脳容量は類人猿に近く、一方、直立二足歩行を行なっていた痕跡がある。 |
近年では、アファール猿人は、現代人の直接的な先祖ではないとされる。 |
現生人類ホモ・サピエンスの直接の先祖であると考えられているのは、同じくアワッシュ川中流域のヘルト・ボウリ |
(Herto Bouri )で1997年に発見、2003年に科学雑誌『ネイチャー』に発表したホモ・サピエンス・イダルトゥである。 |
こちらは放射年代測定により、およそ16万年前と年代決定されている。 |
List of human evolution fossils-wki / |
ハダール遺跡 / wikimapia |
エチオピア ハダール遺跡 - Google 検索 / アウストラロピテクス・アファレンシス - Wiki / |
Lucy (Australopithecus) -wiki / Awash River -wiki / |
人類の起源 / 人類の進化 - Wiki / 人類の知能の進化 - Wiki / アフリカ単一起源説 - Wiki / |
ミトコンドリア・イブ - Wiki / トバ・カタストロフ理論 - Wiki / |
エチオピア、オモ川下流域 ユネスコ世界遺産 |
オモ川下流域では、数百万年単位の様々な種類の化石人骨が出土しており、ホモ・ハビリスが使用した |
約250万年前の最古の打製石器も発見されている。 |
オモ川下流域 / wikimapia |
オモ川下流域 - Wiki / Lower Valley of the Omo - Google 検索 / Omo River - Wiki / |
Timeline of human evolution - Wiki / Human Evolution Timeline / Timeline of Humans / |
Human evolution - Wiki / Human Migration and Evolution. Human Migration out of Africa / |
エチオピア |
紀元前5世紀から紀元後10世紀、ソロモン王 とシバの女王 の後継を称するアクスム王国 が繁栄していた。 |
19世紀末、イタリアの侵略を受けたが、これを退けた(第一次エチオピア戦争 )。 |
これにより、他のアフリカ諸国が植民地化される中で、リベリアと共に、ただ2国、独立国として主権を保持した。 |
しかし、第二次エチオピア戦争 に敗れ、 1936年から1941年まではイタリアの植民地(イタリア領東アフリカ)となった。 |
エチオピアにも内乱の戦国時代はあったが、外国の植民地となったのは、この時だけである。 |
スペイン、ポルトガルによる世界征服の大航海時代にも、ポルトガルと国交を持っていた。 |
イタリアの敗戦により独立を回復した。 |
1973年、陸軍の反乱。1974年、皇帝ハイレ・セラシエ1世 は軍部によって逮捕・廃位。 / ラスタファリ運動 -wiki |
1975年12月に社会主義国家建設を宣言。 1987年の国民投票で、エチオピア人民民主共和国を樹立した。 |
歴史的遺跡の数々- Historical Attractions in Ethiopia / アクスム -wiki / エチオピア正教会 -wiki / |
エチオピア -wiki / イタリア領東アフリカ -wiki / エチオピア・エリトリア国境紛争-wiki / |
Category:エチオピアの世界遺産-wiki / |
大地溝帯 出アフリカ |
アフリカ大地溝帯 - Google 検索 / 大地溝帯と死海地溝帯 / シリア、デデリエ・ネアンデルタール / |
Great Rift Valley (geographical concept) - Wiki / Grosser Afrikanischer Grabenbruch − Wiki / |
カルメル山 - Wiki / ナハル・メアロット - Wiki / デデリエ - Google 検索 / |
Wikipedia Commons |
Human Migration out of Africa - Google 検索 / |