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 大黒屋 光太夫が漂着したアムチトカ島(アリューシャン列島)
大黒屋 光太夫のアムチトカ島  

 
 江戸時代後期、 現三重県鈴鹿市の回船(貨物船)の船頭であった大黒屋 光太夫は、1782年、江戸へ向かう船が駿河沖で暴風にあい
 7か月あまり漂流。アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着した。 この島でロシア人に遭遇。ともに暮らす中でロシア語を習得。
 1787年、彼らとともに島を脱出。 ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世 に謁見して帰国を願い出、
 漂流から約9年半後の1792年に帰国した。
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 アリューシャン列島のアムチトカ島

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アムチトカ島座標: 51.465051,179.082642
 
 
 カムチャッカ半島のニジネカムチャック(Nizhne-Kamchatsk) / 島を脱出 最初に向かったニジネカムチャック
ニジネカムチャック座標:56.233333,162.533333
 
 
 大黒屋 光太夫が、遭難してから帰国するまでの日本及び世界の状況
 
 1782年〜1788年 天明の大飢饉 (近世の日本では最大の飢饉)
 1787年 天明の打ちこわし (この年、全国で発生した打ちこわしの総称)
 1788年 天明の大火 (京都で発生した火災、当時の京都市街の8割以上が焼失した)
 1789年 バスティーユ牢獄襲撃 (フランス革命の始まり)
 1792年〜1795年 パリ・コミューン (フランス革命下、パリに成立した市民自治政府)
 
 
 この当時、アリューシャン列島はロシア領であった。ロシア領と言っても先住民と毛皮猟師がいるくらいであった。
 1648年、ロシアの探検家が発見していたが、1728年、ヴィトゥス・ベーリングがアラスカまでを再発見した。
 19世紀前半にロシアはアラスカに植民を行ったが、あまりの遠隔僻地であり、 1867年にアメリカ合衆国に売却した。
 ロシア皇帝アレクサンドル2世の時代である。この年11月、日本では大政奉還があった。 / アラスカ購入 - Wiki
 
 
 大黒屋 光太夫のペテルブルクへの往路
 復路はこのコースを逆行して、オホーツクから、根室、函館を経由して江戸へ向かった。
 
 
 大黒屋 光太夫が拝謁したエカテリーナ2世の関連年表
 1762年1月、夫ピョートル3世即位。
 1762年7月クーデターでピョートル3世を退位させ、自ら即位(エカテリーナ2世)。33才
 1772年、ポーランド分割によってベルラーシを獲得。
 1774年、対オスマン帝国戦争で黒海沿岸地方へ進出。商船のボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の自由航行権を獲得した。
 1773年、ヴォルガ川流域でのドン・コサックや少数民族などによる大規模な反乱(プガチョフの乱)を1775年鎮圧。
 1775年4月、ロシアはトルコ側が条約に違反したとして、クリミア半島の領有を進めた。
 1776年、黒海艦隊を編成、クリミア半島に、セヴァストポリ要塞建設を開始。
 
 エカテリーナ2世 は、 露土戦争(1768年-1774年、1787年-1791年)に勝利してウクライナの大部分やクリミア・ハン国を併合、
 バルカン半島進出の基礎を築くなど領土を拡大、大帝と称される。
 ロシアの文化、教育の整備にも力を注ぎ、女子貴族のためのスモーリヌィ女学院を設立、ロシア語辞典の編纂事業に着手、
 ボリショイ劇場や現在のエルミタージュ美術館の基礎を築くなど啓蒙的専制君主でもあった。
 1796年、満67歳で死去。
 
 
 
 
 
 アリューシャン列島
 
  二次大戦での太平洋の戦いは、中部及び南部太平洋の戦いが良く知られているが、北部太平洋のアリューシャン列島でも
 繰り広げられた。アッツ島、キスカ島はアムチトカ島より西にある。
 キスカ島 - Wiki /  アッツ島の戦い - Wiki /  アッツ島沖海戦 - Wiki / 大洋州の時差 (太平洋諸国の時差)  / 
 
 
  アッツ島の守備隊全滅は、太平洋戦争における日本軍の最初の全滅であり、大本営発表で、玉砕と初めて表現された。
 玉砕第一号である。大本営は自らの無能無策を隠蔽するために、玉砕を美化した。この後、玉砕は相次ぐ。
 アッツ島 「玉砕」 無能な「大本営」の大罪: フロイデ  /  アッツ島玉砕戦:山崎保代大佐への玉砕命令  鳥飼行博研究室 
 玉砕 隠された真実  /  アッツ島玉砕  / キスカ島撤退作戦 - Wiki / 
 アムチトカは、アメリカ政府によって核実験場に指定され、島で行われた地下核実験は、1965年10月(Long Shot)、1969年
 10月(Milrow)、1971年11月(Cannikin) の3回。しかし反対運動のため、アメリカは、それ以後のアムチトカでの核実験を
 断念し、島は自然保護区となった。
 包括的核実験禁止条約 - Wiki /  地下核実験制限条約 - Wiki /  核実験 - Wiki / 
 アリューシャン列島の島々には、先住民が居り、定住者もいたが、二次大戦で島民が疎開。戦後は無人島となった。
 現在は、自然保護区となり、立ち入りが制限されている。
 行政区分はアラスカ州になるが、アラスカ標準時ではなくハワイ・アリューシャン標準時となっている。 /  世界の時間
 
 
 
 
 
 
 
 

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