無人島長平の鳥島 |
天明5年(1785年)1月、高知県から出帆した長平の乗った船が遭難、伊豆諸島の鳥島に漂着した。 | ||
漂着時には他に3名の者がいたが、2年以内に相次いで死亡した。 | ||
1788年に大坂船が、1790年に薩摩船が鳥島に漂着し、十数名に増えた仲間と共に30石の帆船を建造、 | ||
1798年、無人島を脱出、八丈島に辿り着いた。そして13年ぶりに故郷へ帰還した。 | ||
この出来事を、小説『漂流』で描いた吉村昭によるとこの島に漂着し、脱出できた者の記録は15例以上ある。 | ||
天保12年(1841年)ジョン万次郎 ら5人が漂着したのも鳥島であった、彼らは3ヶ月でアメリカの捕鯨船に救助された。 | ||
鳥島漂流史 ジョン万資料室 / 江戸時代漂流記「出雲国清蔵の鳥島奇談」 / 難破船を呼寄せる八丈鳥 / | ||
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【三十石船】 全長五十六尺(約17m)、幅八尺三寸(約2.5m)、乗客定員28人〜30人。 | ||
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鳥島 座標: 30.483876,140.302963 wikimapia | ||
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明神礁 Myōjin-shō 伊豆諸島 | ||
この鳥島から北へ青ヶ島に向かう途中、ベヨネース列岩の東北 に海底火山、明神礁がある。 | ||
1952年9月24日、明神礁の噴火で海上保安庁調査船第五海洋丸の31名全員が死亡した。 | ||
明神礁 - Wiki / 31.919530,140.015259 / 明神礁 幻想諸島航海記 / 明神礁海域火山データベース 海上保安庁 | ||
青ヶ島 伊豆諸島 | ||
鳥島を脱出した生存者14名は、数日で青ヶ島を経て、八丈島 に辿り着いた。青ヶ島は有人島である。 | ||
青ヶ島 - Wiki / 青ヶ島村 - Wiki / 東京都青ヶ島村。日本国内で最も人口の少ない地方自治体。 | ||
青ヶ島 座標:32.456615,139.767036 wikimapia | ||
伊豆諸島地図 File:Map of Izu Islands.png - Wiki / 小笠原諸島地図 File:Ogasawara islands.png - Wiki / | ||
硫黄島 小笠原諸島 | ||
鳥島から、更に南の太平洋上に、太平洋戦争の激戦地、硫黄島がある。 / 硫黄島の戦い - Wiki | ||
日本側の戦死者は約21,900人にのぼった。 | ||
硫黄島 (東京都) - Wiki / 24.786735,141.308899 / | ||
硫黄島の戦いの経過 / 硫黄島戦資料他 / 沖縄戦・サイパン戦・硫黄島「玉砕戦」の文献リスト :鳥飼行博研究室 | ||
沖の鳥島 ( 日本最南端 ) 小笠原諸島 | ||
20.423001,136.073914 | ||
Template:伊豆・小笠原諸島の島々 - Wiki / 小笠原諸島 - Wiki / 伊豆諸島 - Wiki / | ||
第 2 章 伊豆小笠原諸島沿岸の現況 .pdf - 東京都港湾局 / | ||
南鳥島 ( 日本最東端 ) 小笠原諸島 | ||
24.286667,153.980556 / 南鳥島開拓秘話 幻想諸島航海記 / | ||
日本の領海等概念図 ( 海上保安庁 ) | ||
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長平漂流から帰還までの出来事 1785年〜1798年 | ||
1782年から1788年 天明の大飢饉 / 1782年 大黒屋光太夫の回船が遭難、漂流。 | ||
1783年 アメリカ独立戦争終結。イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認。 / 1785年 長平、遭難 | ||
1788年 天明の大火により京都の大半が焼失 | ||
1789年 バスティーユ襲撃、フランス革命始まる | ||
1791年 大黒屋光太夫、ロシア皇帝エカチェリーナ2世に謁見。 | ||
1792年 大黒屋光太夫、帰国 | ||
1798年 長平、帰郷。 | ||
1800年 伊能忠敬 、蝦夷を測量 | ||
1801年 高田屋嘉兵衛 、国後航路の発見・択捉島開拓 | ||
大黒屋光太夫と同時代であることが判る。 | ||
物流の発達に伴い、大量の貨物を運搬するため、外洋航海に耐えうる造船技術が発達したが、外洋航海の知識、技術が未発達で | ||
船体の沈没は免れたものの、舵、帆等の破損で操船不能となり漂流する。海運史上の特定の時期に発生するものである。 | ||
1841年に、ジョン万次郎らを救出したのは、アメリカの捕鯨船であった。 | ||
大西洋における灯火用の鯨油を採るための捕鯨は17世紀に入るとオランダとイングランドの大砲で武装した私掠船兼捕鯨船 | ||
同士の争いが起こった。17世紀末には、オランダの捕鯨会社がヨーロッパの鯨油市場を独占した。 | ||
18世紀には大西洋におけるクジラは激減、このためイギリス、アメリカの捕鯨船は太平洋へも進出した。 | ||
この時代の商業捕鯨は解体採油を船内で行い、肉等は殆ど捨て、1航海に4年あまりをかけるというものであった。 | ||
嘉永6年(1853年)の黒船来航の目的の一つが 捕鯨船の物資補給を目的とした寄港地の確保 (wiki)であった。 | ||
小笠原 新島 小笠原諸島 | ||
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小笠原 新島 座標:27.246944,140.874444
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