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俊寛の鬼界ヶ島  
鹿児島県 鹿児島郡 三島村 大字 (薩摩)硫黄島

 
   能、歌舞伎で知られる俊寛は、後白河法皇の側近で、鹿ヶ谷の俊寛の山荘で行われた平家打倒の密議が発覚、
  薩摩国鬼界ヶ島へ配流された(鹿ケ谷の陰謀)。俊寛僧都山荘址は大文字山の西側中腹、標高312メートルの地点
  平清盛は、後に娘の徳子の安産祈願の恩赦を行ったが、俊寛は赦免されなかった。
  鬼界ヶ島については諸説あるが、火山島であり硫黄が産出しており、平安時代末期からこの島が流刑地であった
 ことなどから、硫黄島(鹿児島県)の可能性が高い。
  太平洋戦争の激戦地、硫黄島は東京都である。
 
硫黄島(鹿児島県): 30.791835,130.29356
 
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 鬼界ヶ島 については、 奄美大島の東海上にある 喜界島 (28.316944,129.939444)とする説もあるが、こちらは火山島では
 ない。風景描写からみて硫黄島が妥当と考えられる。
 ただし平家物語は、史実を下敷きにしたフィクションであり史書ではない。
 
 
 鬼界ヶ島に流された三人の年齢
 1177年 鹿ヶ谷の陰謀、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島へ配流。34歳
 1178年 成経(22歳)と康頼(32歳)のみ赦免。 俊寛35歳
 1179年 俊寛、有王と面会後死去。俊寛36歳
 
 
 
 
 鬼界ヶ島に流された三人の明暗
 鹿ケ谷の山荘で藤原成親・西光・俊寛などが、平家打倒の密議を行った。
 首謀者の【西光】(後白河院の"第一の近臣")は五条西朱雀で斬首、藤原師経、藤原師平ほか郎党三名も六条河原で斬首。
 西光  /  西光の最期  / 
 首謀者の【藤原成親】(正二位・権大納言、後白河院の側近) は、成親の妹を妻にしている平重盛(清盛の嫡男)の説得に
 よって一旦、備前国児島に配流されたが、餓死させられた。 / 藤原成親の申し開き
 成親の嫡男、【藤原 成経】(正三位・参議)は、備中国へ流され、更に俊寛・平康頼と共に薩摩国鬼界ヶ島へ流されたが、翌年
 中宮徳子の安産祈願の大赦で、康頼とともに赦免された。その後、成経は再び後白河院に出仕、宰相中将まで昇進した。
 【平 康頼】(官位は六位・検非違使・左衛門大尉。後白河法皇の近習)。
 康頼は帰京後、東山の双林寺の山荘に住み、 平家滅亡後の1186年には源頼朝によって、阿波国麻殖保の保司に任命された。
 首謀者の【俊寛僧都】は、白河院の勅願寺、法勝寺の執行(上級管理職)。鬼界ヶ島に残され死亡した。
 鬼界が島流人の赦し文  / 赦し文の到着  / 鬼界が島の俊寛  /  藤原成経・平康頼の帰京  / 
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 大隅諸島
 
大隅諸島:30.789037,130.297852
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  俊寛(能面)
 
俊寛(能面) |独立行政法人日本芸術文化振興会文化デジタルライブラリー
 
 
 
 
 






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