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リゴベルタ・メンチュウさんの手紙

 
 今日はアメリカの地上軍特殊部隊の投入が行なわれて2日目です。
 少し前にノーベル平和賞のリゴベルタ・メンチュウさんがブッシュ大統領当てに書かれた手紙です。

大統領閣下、
 まずはじめに、先日十一日の火曜日にあなたの国で起こった痛ましい出来事を耳にして、お国の方々に申し上げた連帯と慰めの気持ちをあらためて表明させていただきます。 と同時に、このようなテロリズムの行いに対する深甚な怒りと非難とを私が皆さんと共有 するものであることをご理解ください。
 この数日間、私は事態の発展を追ってまいりましたが、そこから今もっとも必要なのは硬直な反応ではなく、反省であることを確信しています。怒りではなく、冷静な知恵。復 讐ではなく、正義の模索、それこそが求められているのではないでしょうか。私は訴えてきました、世界中の人々の良心に、メディアに、平和の探求を倫理的使命とする著 名な人々に、国家元首や国際機関の指導者たちに、沈着さこそが私たちの行いを照らすのだと。
 にも関わらず、大統領、昨晩あなたが議会でなさった演説を聞いて、私はあなたの言葉がもたらすかもしれないことへの恐れを抑えることができません。あなたは国民に「いままで経験したことがないような大規模な軍事行動」に備えるよう呼びかけられた。 軍人たちには、誇りを持って戦いに赴けとおっしゃった、世界中の人々を巻き込む戦争へと。
あなたは、進歩、多元主義、寛容、自由、そうしたものの名において、自由の恩恵も文明の果実も分け与えられていない私たちのような人間にどんな選択も許そうとはなさらない。あなたが守ろうとされている自由や文明、それはあなたの国民のため、それだけでなく私たちのようにいまだかつて一度も
テロリズムに同情したことなどない者たちのためにあるのではないのですか。私たちはテロの犠牲者なのですから。

私たちにもあなた方とは異なる文明があり、それに誇りを抱いています。そして、日々生きながら、差別や無視がいつか認知と尊敬に変わる日を待ち望んでいるのです。私たちの魂の奥底には、かつて私たちの同胞に対して犯された民族虐殺の痛みがまだ疼いています。他国の戦争で死んだ者たちを埋葬するのはもうたくさんだ、そう心底から思っている私たち。そんな私たちにとって、あなたがご自分を絶対視する傲慢さを共有することはできない、あなたが私たちに押しつけようとする唯一の道を共に歩むことはできません。「世界のあらゆる地域のあらゆる国家はいまや決断を迫られている、我々と共にあるか、それともテロリストと共にあるかの」と決めつける、そんなあなたとは。
今年の初め、私はこの地球の男たち、女たちといっしょに、次のような千年紀平和のための倫理基準を宣言しました。
 正義なくして平和はありえない
 平等なくして正義はありえない
 発展なくして平等はありえない
 民主主義なくして発展はありえない
 
人々とその文化の尊厳およびアイデンティティに対する尊敬なくして民主主義はありえない今日の世界において、これらはすべて稀有な価値であり実践です。とはいえ、それらがあまりにも不平等な形で分配されているために、無力感や絶望、憎悪を増幅する結果になっています。
あなたの国が現実の世界秩序のなかで果たしている役割、それは中立とはほど遠いものです。昨夜私たちが期待していたのは冷静な演説、反省と自己批判の言葉でした。でも私たちの耳を撃ったのは、受け入れることのできない脅迫でした。
 あなたがおっしゃるように「この争いの経過は分からない」、わたしもそう思います。でもあなたが「その結果は分かるのだ」と高らかに宣言されたとき、私のからだに唯一くっきりと入り込んできたのは、甚大で不必要な犠牲が払われるだろうということ、そしてまたもや途方もない嘘が語られている、という確信でした。
 戦争を宣言される前に、あなたにお願いしたいのは、違った形の世界の指導者としてのあり方を考えていただきたいということです。それは、征服ではなく説得です。
「目には目を」という野蛮人にとっての正義、中世の暗黒時代の人間の思考を私たちは過去千年かかって克服してきたことを人類は示すことができるのです。神や創世について違う考え方をもっている人々を尊敬することを学ぶためには、新たな十字
軍など不要です。進歩がもたらしてくれる成果を連帯して分かち合い、地球上にいまだ残っている資源をより良く守り、そしてひとりの子供も飢えたり教育を欠いたりすることがないような世界を築くこともできるのです。

一縷の望みを抱き、心よりの気持ちを込めて、


リゴベルタ・メンチュウ・トゥム
ノーベル賞受賞者
善意と平和の文化大使


BSE擬似疾患の新たな展開


 牛海綿状脳症が疑われている牛の脳と脊髄をのぞいた体が肉骨粉に加工されていたことがわかりました。千葉県は国のサーベイランスに協力して、脳と脊髄を検査機関に送ったものの、その残りのすべての部位を飼料工場に送って肉骨粉に。これではあまりにも、杓子定規すぎます。何のための脳と脊髄の検査だったんでしょう。現在、肉骨粉の行方と、白井市の乳牛と一緒に生産された北海道の生産牧場の牛の行方を調査しています。
 NHKの番組をご覧になった方も多いと思いますが、イギリスやEUと同じように牛海綿状脳症の人への感染を防ぐための実効性ある対策が必要です。そのためには、農水省の情報公開と縦割りでない対策が前提です。県庁の職員も連日遅くまで、対応に終われています(2001.9.18)
 さてその後、関宿町や千葉市にも牛海綿状脳症(BSE)の疑いのある牛と同じ生産者から購入された牛が存在していることが判明し、隔離されました。農水省はEU並みの検査体制が整うまで、30ヶ月令以上の牛を屠畜場に出荷しないよう生産者に求めました。また、飼料として使用不可能な肉骨粉の隔離、焼却を推進していくことになりました。千葉県議会の中にも、農林水産常任委員会を中心に対策協議会が作られることになりました。私も委員になりました。明日第1回の会議が開催されますので、また新しい情報について、お知らせします。(2001.9.19)


産業産業廃棄物と私たちの暮らし


 
首都圏で98年度に生じた産業廃棄物のうち、約124万トンが首都圏の外で処理されていることが、環境省のまとめで分かった。「自域内処理」が原則の一般廃棄物(家庭用ごみなど)でも、全体の12%にあたる32万トンが首都圏の外で処分されており、地方へのごみ持ち出しは産廃、一般廃棄物ともに増加傾向だ。東京が出した産廃が、首都圏内で減量され、さらに他県へ運ばれて最終処分される構図が浮かび上がった。(毎日01.06.24)
第8回廃棄物問題全国交流集会。1日目の現地見学会、市原と銚子という二つのコースのうち、約60人の人たちと共に市原の4ヶ所ほどを回る組に参加した。市原市は広い市域に海浜部に工業地域、山間部にはたくさんのゴルフ場がある。そして、ちょっと市街地をはずれると目につくのが回りを塀で囲んだ産業廃棄物や、残土の処分場、自社処分と呼ばれる小規模焼却炉による処分場だ。
バスの中から、仰ぎ見た手島並みの量を誇る産廃の山も自社処分ということで、申請も要らず、何がどれくらいあるのか、規定をはるかに超して燃やされているのは何なのか、住民はそれを知ることさえできない現状だ。そのほかに、とくに印象的だったのは、リサイクルセンターと銘打ったところ。おそろしい量のビニールシートや事務用品、ペットボトルなど雑多なプラスティックを再生原料として分別し、中国などに輸出しているという。毎日200リューベの産廃が運び込まれ、80リューベが再生のため運び出されるという。話のとおりだとしても、毎日120リューベが残っていく計算だ。すでに、山といっても良いくらいの量となっていた。敷地の奥がほりかえされ、1ヶ月ほど前に見た人によると廃棄物の置き場は奥へ奥へと拡大されているようだった。確かに15人くらいのひとたちが手作業で分別、しかし、廃棄物の量に比べあまりにも微々たる作業量だといわざるをえない。リサイクルは表面の仕事、実際は産業廃棄物の処分場のように思われた。立ち上がれば人間の背丈を越えそうな大きな土佐犬が飼われていた。
 もうひとつはみかん畑のすぐ目と鼻の先にあった、自社処分という焼却炉。臭いと音、煙がすごい。明らかに規定量を越して燃やしていたとして、県がゴミの搬入を禁止するとともに、規定にのっとった焼却をするよう改善命令がだされているが、地元の人の観察では、相変わらず多量を燃やし続けているという。県の担当者のはなしでも職員が訪問した時だけ、焼却をやめるという。説明をきく間も、ショベルでゴミをふるう音がうるさくて話が聞こえないこともたびたび。ここは野焼きをしていたものがいつのまにか焼却炉をそなえ、周辺住民に何の説明もなく、産廃を燃やしつづけて県の指導ということになった。法の不備はあるにせよ、事業者が環境を汚染したことが告発されず、改善命令というなまぬるいことになるのは合点が行かない。
千葉県では、堂本知事になって、産業廃棄物処分場への立ち入りなどこれまで県職員の権限だったものを現場にもっと近い市町村職員に分権することとし、8月末から実施された。また、自社処分場の小型焼却炉許可申請の法制化を国に要請し、県条例化も準備している。
改正リサイクル法、循環型社会形成推進基本法、家電リサイクル法、そして今後建設資材リサイクル法、自動車のリサイクル制度と法律、制度は次々と実施されるが、法が特定の廃棄物しか対象としていないことや、裏の処分ルートが存在するかぎり、不法投棄や自社処分という抜け道はなくならないと思う。全ての廃棄物違法処分は安い処理費用で建築廃材や産廃を処分したいという事業所や私たち生活者の選択のなせるワザだ。 自分たちが行なう何気ない選択例えば家の建替えの際その廃材の処里費用が格安な方を選ぶことなどが、こういう産業廃棄物の問題を引き起こしていることを認識すべきだ。
 新品を買った方が修理して使うより安い、修理のための部品が短期間しかないなどというものづくりのありかたを根本的に変えていくためには、やっぱりこの国の政治を生産優先から環境優先に大きく変えていく以外にない。(2001.9.12)


教科書問題と首相の靖国参拝

 いま、丁度教科書選定の時期。多くの歴史学者や文学者などから批判され、検定に際してものすごい数の誤りが指摘され、検定通過後にも5、6ヶ所が訂正された「新しい歴史教科書」。実際読んでも、こんな教科書が採択されるはずがないと思う。
 しかし、残念ながら採択するところが出てきた。東京都の養護学校、和歌山県の養護学校である。数量的には限りなく少ない教科書の使用現場だ。石原知事が採択の実績をむりやり作ったということだろう。弱い立場のそうした現場を選んだということに怒りを感じる。
 この問題だらけの教科書は決して子供たちに手渡してはならないと思う。すでに1972年からポーランドとドイツのあいだでは互いの歴史教科書の自己中心的な記述を指摘する作業がはじまっているという。日韓でも、研究者による歴史共通認識や共通教科書へのとりくみが活発化しており、こういう方向こそが目指されるべきと考える。

 その問題と同じように今騒がれている首相の靖国参拝については、行かない方が良いと思う私にも一種の戸惑いがある。行くべきと強く働きかけてきた団体もあり、絶対行くべきでないと反対している団体、政党もある。しかし私をはじめ戦後生まれの市民にとっては、靖国そのものが特別なビビッドなイメージを喚起するものでなく、(もちろん、教科書や報道などで学びある程度のイメージはあるが、)それをめぐる賛成反対の陣営の議論の声高さに違和感を感じるからであろう。片方は、死者を悼む気持ちの何処が悪い、お前にはないのか、外国から非難されてそれに従うのかというような論調だし、片方は靖国参拝は戦争賛美だ、平和を求める行為の対極にある行為だ侵略戦争の反省が足りないというような論議になってしまう。
 どちらかの陣営の意見に自分をあてはめていくのではなく、その戸惑いを冷静に検証してみることが大切であると思う。
 幸い、新聞各紙の特集で、歴史や憲法などさまざまな観点から、冷静な議論も読むことができる。東京裁判、戦後補償、靖国神社と政府など色々な問題点がここに突出していることがわかる。靖国そのものについても、元々は明治維新の犠牲者を祀るものだったが日清、日露、第1次、第2次世界大戦の戦死者も祀るようになったということだ。埋葬されている墓地でもないのに、そこに神として祀られているというのはまさに宗教の世界の話だ。望まない人まで、合祀していることも矛盾だ。
 沖縄の『平和の礎(いしじ)』のような軍人も民間人も戦争の犠牲者全てを忘れないように記憶し、悼むことの出来る場所が神道に詳しくないわたしには理解しやすい。
 戦争の犠牲者を悼むことが新たな国際関係の悪化を招くこと自体が靖国参拝の根本的な問題点を示していると思う。(2001.8.13)


 年に1度の一般質問

 

↑ 2001.6.27 千葉県議会にて
 

 年に一度の一般質問を6月27日(水)に行ないました。持ち時間30分の中で選び抜いた8項目について一般質問を行ないました。

 2年前、当選して最初に驚き、かつ怒ったことですが、県議会では、市議会のときは毎回行っていた一般質問が1年に1回しかできません。わたしは、議会改革の委員会に質問回数を増やすよう意見を出しています。でもまだ増やせません。そこで、つい、貴重な時間の中にたくさんの項目を盛り込んでしまうのです。

 質問全文及び答弁要旨はどうぞこちらでお読みください。

 今、国政も大きく動いています。国会で問題となっている京都議定書を私たちの身近な問題として取り上げました。早急に発効させるよう意見書も出しました。
1.京都議定書の早期批准
2.選択制夫婦別姓
3.おもちゃへの塩化ビニル規制
4.沖縄米兵暴行事件

 市民ネット提案の意見書はどうぞこちらでお読みください。

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活性化する千葉県議会

 

↑ 2001.4.20 千葉県議会にて

 3月25日の堂本知事誕生から3ヵ月がたちました。
 今、初めての定例議会が始まっています。 補正で出された予算も、児童虐待対策、ドメスティックバイオレンス対策、市原の射撃場の鉛汚染への対応、産業廃棄物不法投棄への対応と、現実の問題に着実に対応したものでした。すでに、公約だった県民会議も4回を数え、あき子ホットラインも開設。1043通のメールがよせられたそうです。情報公開では、知事交際費が副知事分も含め、全面公開となりました。
 
 代表質問中で、印象的だったのは、ある会派から憲法9条について聞かれ、
『自分が1年間参加したコソボの平和委員会で、誰に遠慮することなく
正しいと思ったことを発言できたのは、日本がこの50年武器を輸出せず、
世界の平和に貢献してきたから、そして平和主義の憲法を持っていたからだ』
と堂本さんが答えたことでした。
 自分の言葉で語る堂本さんの答弁、自民党の野党的質問など、議会は活性化しています。

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堂本知事と新しい千葉県政

 
↑↑ 先日2時間ほど時間があき、急に思い立って 美容院に行ってきました。(初めての美容院です。) 新しいへアスタイル、けっこう気に入ってます。

 堂本知事誕生から1ヶ月、自民党小泉総理は国民との対話など堂本知事同様の政策を掲げて誕生した。あたかも市民から選ばれたような人気に支えられ、テレビ国会中継の視聴率が高まっている。小泉総理は憲法改正論者で、危険だという人もいるが、政治家は自分の考え方、政策をはっきり言葉で表現すべきものであり、それを聞いて始めて国民は選択が可能になると言う点で私は小泉氏を評価している。しかし、崩壊寸前だった自民党がもうしばらく政党としての存在を永らえることになった点は残念だと思う。
 とにかく、堂本知事誕生から、わずか1ヵ月半で千葉県政は大きく変化しつつあるように思う。堂本知事は懸案だった三番瀬について、関係市町村より早く主な市民団体と会った。産業廃棄物不法投棄問題や山火事、市原市の鉛汚染、建設業従業員宿舎火事への対応など、すばやい対策が目を引いている。新聞や、マスコミへも頻繁に登場し(毎日千葉テレビで9時半からのニュースに知事のコーナーまで出現)そのため県政への関心が高まっている。

 6月議会には、政策予算が計上され、更に堂本色がはっきりしてくると思うが、NPO支援、DV対策、男女共同参画条例への踏み込んだ予算付けがなされる見込みである。

 宮城県に負けない情報公開を公約に掲げた堂本知事になって、情報公開も前進しそうである。今回、部長段階での予算の概要が示されるようになった。議会でも、一般質問の回数を増やす、予算特別委員会を作るなどの議会改革に向けて、すでに各会派が改革案を出し合い、議会運営委員会で論議が始まった。ネットでは、議会の財政改革、県民に開かれた議会のありかたを中心に改革案を提出した。

 選挙で堂本さんを送り出したネットだが、議会の中では一人会派であり、今後自民党のなかの利権を継続したい勢力が堂本さんにどのような対応をしてくるのか懸念されるところである。これまで、無縁だった知事室がぐっと近くなった実感は感じている。(2001.5.18)

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堂本効果現わる!

〜政治変革の流れが加速〜

 
↑今はもう解散してしまったけど 『21世紀の千葉を創る県民の会』にて
 千葉県知事選挙後、地方自治の場だけでなく中央でも小泉総理が誕生するなど、政治変革の流れが加速したように思います。このことは宮城に始まった新しいタイプの知事を生み出した市民たちの静かな運動の広がりの延長線上にあると思います。もちろん、千葉で15年前、市民ネットワークが生まれてここまで広がったのも同じ背景でしょう。それは、『政治参加を自然のこととして受け止める市民』の出現です。
 堂本知事は公約どおり、80市町村における県民会議(仮称)を始めました。知事への直通FAX、メールも備わり、これまでとは違う県政のスタンスが少しずつ県庁職員にも、議会のなかにも浸透し始めています。

 新知事になって最初の議会運営委員会にある会派から昨年同様の議会改革案が出されました。昨年は自民党の賛成が得られず、取り上げられませんでしたが、今年は自民党の会派が賛同し委員長も、「それでは各会派にも、改革案があると思うので、出し合って検討し、可能なものは6月議会から取り入れましょう」と発言。1人会派からも改革案が出せることになりました。県議会情報公開検討会でも自民系の委員長が「知事さんも日本一の情報公開って言ってる事だし・・」などと発言したりしています。実際に議会がどう変わるかはこれからのことですが、堂本効果は確実に現れてきています。(5月1日)

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“春の南房総3日間の旅”

Memory of Chibakenchizisen

 

↑2001.3.12. フラワーラインにて

 3月8日の告示から、25日投票日まで、いろんなことがありました。わたしにとって印象的なのは、なんといっても、“春の南房総3日間の旅”。

 3月12日JR君津駅に7時50分に集合、うぐいすは私を含め2人、運転手、堂本さんと秘書の総勢5人。通勤時間が過ぎ聞く人もない君津駅での駅頭街宣、反応の乏しい街中を走り、その後元農水省大臣田名部正省さんと合流し、フェリーの発着する富津金谷港で演説。南へ南へと選挙カーで街宣、御宿では、地元の勝手連の先導で街中を細かく回り、館山では花屋のおばちゃんたちにひとりひとりあいさつ、心強い応援の言葉をもらいました。
 その日の最後は鴨川、kidsというイタリアンレストランでのパーティ、堂本さんとブラジルの環境サミットからのお付き合いというKさんの築200年という農家を改造した御宅で民泊。凍えるほどの寒さでした。早朝から夜までのスケジュールで疲れきった運転手が洋服のまま倒れこむように眠ってしまい、その横で、堂本さんがニューヨークからの国際電話で取材を受けていたのが思い出されます。こうして1日目が終わったのですが、南房総には、堂本さんを支持する環境派の人たち(サーファーも)が数多く住んでいることを知り、素晴らしい海や山の景観は人を癒してくれる千葉の財産であることを実感しました。(
4月27日)

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全国で、唯一の公的ワクチンメーカー「血清研究所」

《千葉県血清研究所 視察》

(2000.12.4)

 12月4日、市川の血清研究所を視察した。元軍の血清などを作っていた施設で、昭和21年からという長い歴史を誇る研究所で、公的な機関としてはただ一箇所インフルエンザ、日本脳炎などのワクチンを製造しているメーカーでもある。

 前の議会報告でも、お伝えしたが、今年、日本脳炎のワクチンが国の定めたマニュアル通りに作っていなかったということで、廃棄処分にされた。メーカーとして、取引先に迷惑をかけないよう、代わりのワクチンを手当てするための費用が1億4千万ということだったが、今回の委員会でその後の経過について、質問したところ最終的には、3億5千万ほどの損害になるとのことだった。前に聞いたものに加え、それ以外のワクチンも廃棄するためとのこと。昨年、インフルエンザのワクチンが国家検定を通らなかった時の損害額も1億5千万ほどというが、一般企業だったら、もう少し、責任の所在を明確にする動きが出てくるのではないだろうか。

 訪れた研究所は、市川市の文教地区にあり、すぐとなりは、高校だった。コンパクトな敷地の中に、古い赤レンガの建物、皇族お手植えのいちょうなどもあり、歴史を感じさせるたたずまいだった。建て増しして、4つの建物が連続して建っており、事務棟、製造棟、製品棟、検定棟などがあった。動物を使っている試験動物室もあり、バイオ施設の安全基準P2が必要とされる施設である。やはり、製造、検定、試験研究部分が一番管理も厳しく、見学する側も緊張を感じた。製剤実験用のウサギ、サルが飼われていた。製造棟では製造作業が休みの日で、直接は見ることができなかったが、脳炎のワクチンを作るために、毎年60万匹のマウスが使われている。マウスの脳で、日本脳炎のウイルスを培養するのだ。インフルエンザワクチンはにわとりの受精10日後の卵を使う。週2回1回7万個の卵が使われる。新型のH5型インフルエンザワクチンはバイオハザードレベル2.5という考え方で、これから製造ハードの改良工事が予定されていた。

 ただ、建物全体の建替えなどは、独立採算の中で、費用を準備することはできず、むずかしいようだった。最盛時には、300人を超える人員だったそうだが、現在は職員80人と100人のパート職員で営業している。かつて、議会の中で、血清研究所不要論があったという。研究所もそういう論議が再燃しないようピリピリしているように感じている。わたしが、今回の不祥事に関して持った感想と同じだ。何故、公的機関がワクチンメーカーなのか、昨年6人しか、かからず、1人の死亡者も出なかった日本脳炎の予防接種そのものが本当に必要か、現在、議会の委員会では、研究所必要派が多いが今後も血清研究所について、見ていきたい。(2000.12.6)

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仲間との出会いが最高の財産

シンポジウム『女性県議と語ろう』》

(2000.11.25)

 安田千代子さんの話を聴いた。 日赤の総婦長をされていた方で、55歳で退職後、友人4人で共同生活をされた。一時、マスコミなども取り上げた方で、記憶の中に、そのことはかすかに残っていたが、その方が、我孫子に住み、現在もかくしゃくしておられること、この場がその方のお話を聞くチャンスだとは思わなかった。

 11月25日、柏の葉のさわやか県民プラザで、女性県議と語るシンポジウムが催され、私達の出番のあと、同じ会場でこの方の講演が始まった。

 別の部屋で、DVのかながわの“みずら”の活動について聴く学習会が行われていたので、時間の途中でそちらに回ろうと思っていたのに、話にひきつけられて、最後まで、動くことができなかった。

 80歳をこえ、これほど知的に、人をひきつける話の出来る人をみて、心から感動した。少し前に長野で、園田天光光さんの話を聞いて感激した以上だった。

お一人がなくなられて、現在は3人で,共同生活をしておられるが、家、財産、私生活は別、食事は365日一緒という関係で、職場から数えると40年以上を共に過ごしてこられた。

 「老年期は誰にとっても初体験」、「老年期は病年期」、「家族とは,愛情を持った人の集まり」、「看護と家族の関係深さ、看護の質は看護する人の質、家族の質は家族を構成する一人一人の質」、など、珠玉のような知恵の言葉がぽんぽんと出てくる。「高齢者にとって、JRとスーパーと病院が近いことが何より大切」「老人期に必要なのは、年相応の健康、孤独を避けること、お金、社会参加」と話された。自宅では、高齢一人暮らし女性のためのサロン、中国からの留学生のためのサロン、女性大学卒業生のためと、近くのスーパー、エスパの従業員のためのエスパの会と、週に3回サロンを開いておられる。

 前日に、ヒッチコックで、若手のジャズメンの演奏を聞いたとき、真珠やダイヤモンドをたくさんもらったような(持ってないけど)ありがたい幸福感があったが、今日はそれにも勝ってありがたく、話はもとより、安田さんの存在そのものが、宝石のように尊く感じた。ぜひ千葉市のネットでもお呼びして、大勢の人にお話を聞いてもらいたいと思う。最後に、「人間として生きることを自覚してからが本当の人生、だから私の人生は始まったばかり、仲間との出会いが最高の財産」と結ばれました。(2000.11.25)

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男女平等社会は成熟社会

 今年の9月3日、千葉市の女性センターで市民による千葉県男女平等参画条例の発表会がありました。市民ネットワークの議員、会員、女性団体の会員が、1年間をかけた成果を発表しました。前半は三井マリコさんと松田敏子さんの講演、そして、第2部では、前文にはじまる条例文をそれぞれの作成者が思いを込めて発表しました。

 市民の手で条例案を作ろう、という声が上がったのは、さらに遡って、昨年の8月、その2ヶ月前に成立した男女共同参画社会基本法の学習会を催した時のことでした。男女共同参画の実現を21世紀日本の最重要課題に位置付けたことなど評価すべき点もありますが、法の名称が“男女平等”ではなくて、国会で多数を占める自民党男性議員に配慮した“共同参画”となったことや、女性だけが選択を迫られるコース別人事などの間接差別を明確に禁止しなかったこと、オンブズの設置も罰則もなくて、労働や教育の場における差別の解消に果たして有効か等疑問の声があがりました。それぞれの地域の状況に合わせた条例が必要、千葉県に男女平等条例を作ろうとその場で、「男女平等条例を実現する会」が作られました。

 基本法は都道府県が基本計画を作ることを義務付けていますが、条例は義務ではありません。しかし、先進的な自治体例えば東京都、埼玉県、出雲市などで、すでに制定に向けた準備が進められている段階でした。

千葉県では、女性県議の会が知事に要望書を提出、毎回の議会でも質問をしていましたが、条例を作るつもりはないという答弁が繰り返されていました。そこで、作ってくださいというだけでなく、市民の手で、条例を作り、議会や、行政に提案していこうということになったのです。北海道でもすでに市民案が発表されており、私達の市民案にも大いに参考になりました。

千葉県の女性たちが特有に抱える問題を探るために、各種の意識調査などに目を通すグループと、全国で形になりつつある条例の素案などを取り寄せ、比較検討するグループに分かれました。そして、出来上がった市民案素案を法務に携わる専門家にも見てもらい、意見を聴き完成させました。

発表会の当日は全国から、140人もの参加者があり、県内の行政担当者の参加もあって、関心の高さ示しました。参加者からも活発な意見が出され、さらにこれらの意見を生かした条例案とすることを約束して会は終了しました。

市民が条例を作るという動きはこれまで余りありませんでしたが国会で、NPO法や、災害被災者支援法など市民から発せられた法案が成立することになり、自治体でも数は少ないけれど、市民参加条例、介護保険総合条例などが、市民の手で、議会に上程される例が、出てきました。私達の男女平等参画条例もその流れの中にあったと思います。市民案はその後富山などでも、作られています。

今世紀の初め、ほとんどの国で女性に参政権はありませんでした。財産相続などの法的権利からも女性は排除されている国がほとんどでした。労働においても、子育て、介護などを含む家庭の中の仕事や農作業など、無くてはならないものであるにもかかわらず、報酬の支払われない仕事でした。

今世紀女性は少しずつ社会的に認められた労働に進出、同時に法的にもその地位を高めていきました。北欧などの男女平等を推進する国々をはじめフランス、韓国などでは、政治の場への女性の参加を保障するクオータ制も制度化されました。先進国においては政策決定の場に進出する女性も増え、ドメスティックバイオレンス対策など、法の整備が進みつつあります。しかし、第3世界の国々では、経済のグローバル化に伴い国そのものが債務をかかえて、女性のための施策に税金が使われず、また東西冷戦の終了によりおこった地域紛争のなかで、女性の人権は未だに脅かされています。

日本では、憲法にも男女同権が謳われている国として、戦後をスタート、女性の参政権確保により、初めて、国会に女性議員が誕生しました。1975年の国際婦人年、メキシコでの第1回世界女性会議および、翌年からの国連婦人の10年、そして、1985年ナイロビ世界会議、女子差別撤廃条約批准と雇用機会均等法の制定、1991年育児休業法、1993年パートタイム労働法、1995年の第4回世界女性会議などを通し、女性の地位向上への意識が高まって昨年、男女共同参画社会基本法が成立し、現在にいたっています。

しかし、冒頭にも述べたように、基本法で間接差別の禁止を明確にできなかったこと、罰則が無かったこと、などに示されているように、日本においては、まだ、本当の意味での平等社会への歩みは道半ばです。強固な男女役割分業意識が、男女共同参画というわかりにくい言葉を法律の名称に持ってこざるをえなかった原因ですし、女性が大半を占めるパート労働者の賃金は男性の35.7%(99年)でしかなく、社会保険への加入もきわめて低い状況であり、性による差別をはっきりと示しています。政府はILOの勧告にもかかわらず、いまだにパートタイム労働条約を批准しておらず、そのことが、パート労働者の待遇が改善されない原因の一つになっています。不況の中で、母子家庭などの収入は悪化し、追い討ちをかけるように昨年は児童扶養手当を受けられる収入上限を引き下げられました。教育の場においても隠れたカリキュラムといわれる男女別名簿がいつまでたってもなくならない現状があります。

2000年国連女性ニューヨーク会議では、1995年の北京会議で世界の各国が合意した行動綱領の進捗状況やその後の5年間に生じた新たな課題をどうするかということが話し合われ、その結果が「成果文書」として、総理府のホームページで提供されています。北京会議から引き続き女性、少女に対する暴力の問題、労働の場における差別をなくしていくため各国政府のとるべき施策が整理されています。新しい課題としては、グローバリゼーションが貧しい国をさらに貧しくし、その国の中でも女性の生活をさらに厳しいものにしていることがあげられています。

 性別役割分業の意識が非常に強い日本においても、少しずつ変化の兆しが見えています。なんといっても、男女共同参画社会基本法が1999年6月に成立したことが大きいといえます。

男女平等は女性が今の男性のようになるということではありません。それは男女が共に、働き、子育てにかかわり、地域社会でも人間関係を持って、多様な価値観のなかで、個性的な生き方が許容される成熟社会でもあると思います

自殺者が、中高年を中心に3万人を超えつづけ、少年が希望の無い犯罪に走る閉塞社会を変えるのは、男女平等社会の実現なのかもしれません。(2000.11.23)

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木更津に房総バリアフリーオンブズマン誕生

《房総バリアフリーオンブズマン連絡会議設立》

(2000.11.15)

 11月15日は交通バリアフリー法が施行された日です。

それを期して、房総バリアフリーオンブズマン連絡会議が設立されました。

代表の佐久間さんは電動車椅子で、モバイルのパソコンを持ち、ドライバーを持って、 あちこちの建物や道路のバリアを実力で、突破しながら、歩き回っている方です。

木更津では、それは目立つ存在だったということ。事務局長として、市原ウイズエヴリワンの倉田さん、それに、リュウマチで車椅子になった高橋さん、レスパイトサービスを行っている渡辺さん、君津視覚障害ネットワークから3人が参加されていました。パソコンネットで、声を掛け合い、27人が創設メンバーとなりました。

 さて、私は、県オンブズに参加している関係でこの設立総会に呼ばれました。県オンブズからは、代表の菅野さん、千葉市の村越さん、佐倉の藤崎さん、八千代の柳沢さん、木更津の河辺さんが参加。県議会からは千葉市の中央区公明党の吉野さんが参加しました。

 総会後、木更津ネットの安川さんと播津干潟と、三日月ホテルのスーパー銭湯を見ようと出かけましたが、播津干潟は壮大で、歩いても歩いても海につかないし、日が暮れて,雨の中歩いているとまるで墨絵の世界でした。鴨撃ちの鉄砲おじさんたちとすれ違いました。4、5人いました。海のそばにテントを張って、早朝の鴨家に備えている人もいました。三日月ははるか向こうに見えていました。というわけで、また別の機会に行ってみたいと思います。(2000.11.21)

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産廃処分場の拡張をとめたい

−ふるさとの渓谷を思う−

 最近、インターネットを始め、菊池の同級生のホームページを見たのがきっかけで、 自分のふるさとが産廃処分場問題で、揺れているのを知りました。

 あのなつかしい菊池渓谷の近くに産業廃棄物の最終処分場ができていて、さらに拡張されようとしているとのことでした。

菊池市は八方ガ岳と、鞍岳など山々に囲まれた盆地で、南北朝時代からの文化を持ち、 市民の多くが春は桜見、秋にはなば取りに行くのを楽しむ小さなまちです。人口は2万7千人ですが、私が小学生の頃市制施行されたときは3万人を超えていたと記憶していま すので、少しずつ減ってきたようです。

 おどろいたのは、裁判などとても考えられない高齢化した人たちが、その産廃処分場 に反対して、なんと住民の2分の1をはるかに超える16,551人が原告となった行政訴訟 裁判を起こしているということでした。その後、実家にきいたところやはり原告になっていました。
 もうひとつ胸に迫るものがあったのは、このホームページの作成者の文章が自省的で 、透徹した理性を感じさせるものだったことです。この問題は1981年に始まっていますので、20年の間の経験が彼をそういうひとにしたのか、元々そういう人であったのかは わかりませんが。その静かな文章を読んだ時、何回か帰省した機会にも知らないままで過ごしてきたことを恥ずかしく思いました。

その後、市民運動の事務所に連絡をとり、資料などを送ってもらいました。ホームペー ジのアドレスは
http://www.kikuchi-net.ne.jp/sanpai/nijinokai.htm
ですので、ぜひご覧になっていください。

命をはぐくむ水源(私たちは菊池渓谷とはいわず、水源と言っていました)近くに多くの産業廃棄物が埋め続けられさらに拡張されそうになっていることに対し、何とかこれを中止してもらいたいと心から願っています。

千葉県でも、首都圏からの産廃や残土の持込が絶えず、全国に先駆けて、残土条例を制定しましたが、市条例に比べて、規制が緩やかなため、新たな問題も生じており、今議会にも、残土条例の見直しを求める請願が出されるようです。常に県内数箇所で、地元住民と事業者との間で、問題が生じており、県議会でも毎回質問に取り上げられています。発生者責任をもっと厳しく規定すると共に産業廃棄物処分場は水源地には作れないよう、法整備を行うべきです。

私達が便利で、豊かな生活をすればするほど、ゴミは生まれ、そのゴミが水を汚し、土を汚染し、最終的には私達の暮らす環境や、体そのものを侵していく。環境を守れといいつつ、過剰な消費生活を続けたり、使い捨てに目をつぶるのは自己矛盾です。私達都市住民が自らの生活を考え、変えることが環境を守ることになります。(2000.11.14)

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やっぱり新しい時代がはじまっている

《全国女性議員サミット》

(2000.10.29)

 新幹線の長野駅に降り立つと、“歓迎!全国女性議員サミット”の横断幕。ようこそと書いた手書きのポスターを持ったひとたちも随所に立っていて、案内をしてくれた。タクシー乗り場でも、ほとんどが全国から来た女性議員で、知りあいの顔もあった。市民も含め全国から500人、長野市内から1100人が集まった。全体会でおどろいたのは、その人数だけでなく、その人たちを前に堂々とユーモアを交えて話す代表の樽川さんの話、一区切りごとに大きく入る拍手はちょうど、アメリカ大統領の演説風景のようだった。当選したばかりの田中康夫知事も新鮮なスピーチだったが樽川さんには食われっぱなしだった。

 第2部は各政党の女性国会議員によるパネルディスカッション。女性議員を増やすには、というテーマで会場からの意見も交えて時間いっぱいの議論が行われた。社民党の土井たか子さん、自民党の森山真弓さん、共産党の吉川春子さん、民主党の小宮山洋子さん、公明党の大森礼子さん、無所属の会の堂本暁子さん、そして、元衆議院議員の園田天光光さん。

 何れも論客だったが、戦後最初の総選挙で26歳で、議員となった園田さんの美しい日本語、筋道の通った語りが印象的だった。80歳を超えてなお、文化や国際交流の団体理事などを兼任して活躍されていた。歴史の仲の人物と思っていた人にお会いできて興味深かった。こうした人たちの努力の上に、現在があると感じた。

しかし、最初の総選挙から、50年以上が過ぎているのに、女性議員の数は世界で100番目にも入らない低さ、35人の衆議院議員をはじめ、地方議員比率は増えてもやっと7%の日本である。

 政策決定の場に女性を半分近く出していくことは、私達女性が誇りと自信を持って生きていける社会を作るための効果的な方法だが、まだまだ実現にはほど遠い。日本社会の性別役割分業システムは相当に強固である。

 2日目は6つの分科会にわかれ、私は「女性施策」の分科会で発表を行った。市民ネットという市民の政治参加のあり方、この10年で、2人から7人へ増えてきた経過、男女平等参画条例の市民案提案を行ったことなどを報告した。

 全国の女性議員も、地方に行けばいくほど、市よりも町、村には自民系無所属が多い。また、女性ゼロの議会もまだまだ4割以上ある。しかし、どんなところでも頑張る女性議員が活動している、その人たちの後ろには、たくさんのおんなの人たちの顔が見える気がした。やっぱり新しい時代がはじまっている。 (2000.11.08)

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市民がつくった条例案

千葉県男女平等参画条例 市民案素案

・男女平等参画条例の市民案の全文はこちらから

 2000年9月3日(水)、一年以上かけて、準備してきた男女平等参画条例の市民案発表を三井マリコさんと松田敏子さんをゲストに千葉市女性センターで行った。市民ネットワークが企画した男女共同参画社会基本法学習会をきっかけに出来た「男女平等条例を実現する会」(代表 出納いずみ)25人のメンバーが力を合わせ、とうとう《市民案素案》を作ったのだ。

 私も1メンバーとして参加、ネットの代理人も、竹内悦子谷口多恵山口晴美高野晴美吉本貴美子が参加。ネットメンバーも女性部会を中心に四街道、佐倉、千葉市から参加した。ネット以外のメンバーは千葉市、市川市から参加した。たくさんの人の力を合わせた素案だった。

 女性センターの3階ホールに、120人が集まった。遠くは、富山から、水戸市からは男女4人の市議会議員が来てくれた。県内の多くの市から参加があったことは、予想以上に、この活動への関心が高いことを感じさせられた。女性県議の会の栗山代表も参加してくださった。

 第一部で、三井さんから、ノルウェーの話、松田さんからは国内の基本法、計画を中心とした話、第2部で、作成したメンバーがフルに出演して、条例案の特徴などを語った。それから、会場からの意見をポストイットに書いてもらった。30以上の意見が出され、それについて、メンバー、ゲストからのコメントを中心に論議。あっという間の3時間だった。

 参加してくださった市民の皆さん本当にありがとうございました。そして、出納さんはじめ、一年間頑張ったメンバーはすごい。このあとは、さらに、専門家、市民の意見を反映させ、なんとか、県議会、あるいは、男女共同参画課へ、働きかけ、実現への道を探りたい。(2000.9.8)

「ノルウエーでも日本とおんなじ状況だった。 川の流れにまかせてていいの?」  三井 マリ子さん
「千葉県に男女平等参画条例をつくろう!」 国内の基本法や千葉県の動きを中心に 松田 敏子さん

ポストイットを使ったワークでは、会場から 多くの多様な意見が寄せられました。
市民素案の特徴を説明する、 男女平等条例を実現する会のメンバー(代表)

 

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千葉県に、男女平等参画条例を

『マリ子と敏子とみんなで語る 男女平等参画条例』 (2000.9.3)

 昨年8月に、ネットの女性部会が企画して、6月に施行された「男女共同参画社会基本法 」をみんなで読もうという会をもった。題して、「みんなで読めばこわくない、男女共同参画社会基本法」というものだった。固いテーマであり、内容的にもほんとに読んで、意見を出すだけのシンプルな学習会だったが、わりと多くの人たちがきてくださって、ネットの会議室がいっぱいになった。その場で、千葉県にも条例を作りたい、市民から提案をしていきたいという声が出て、自主的に参加者が募られ、12人が手をあげた。

 その後、25人にまで増えたこの会は「男女平等条例を実現する会」と名づけられ、積極的な学習、資料の収集などにあたった。千葉県内の女性の意識調査、農村女性、パートタイマーなどの調査等を調べ、もう一方では、東京都埼玉県出雲市など既に先行して出された条例を分析した。その後、全体の構成、章立て、章化へと進み、やっと、最近完成させた。完成といってもこれは、あくまで、市民向けに発表し、県や市の行政、議会などに関心を持ってもらうための素案であると思っている。

 9月3日に三井マリコさん、松田敏子さんにも、来て頂いて市民案の発表会をやることにしました。ネット会員だけでなく、関心のある人たちが力を合わせて、条例実現のためにこの一年間頑張ってきました。ぜひ、応援してください。9月3日は千葉市女性センター1時半からです。

2000.8.22 県庁 県政記者クラブにて記者会見 千葉日報記事 読売新聞記事

イベント『マリ子と敏子とみんなで語る 男女平等参画条例』(2000.9.3)のこと、条例素案の特徴などを説明。 
男女平等条例を実現する会のメンバー
ぜひ、多くの人にこの素案を知ってほしい…
記者の方の質問に耳を傾けます。

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高知人はラテン系?

地方議員勉強会 (2000.8.6〜8.7)

 関西の市民派議員が多く参加する、「地方議員勉強会」(長谷川俊英氏主催)に参加し高知を訪れた。まず橋本大二郎知事の公舎で、3時間の懇談。橋本さんを高知県の知事にと署名運動をした高橋さんの話では高知県人はラテン系だそう。太平洋に向かって開かれたそんな気質がよどんだ高知県政を一新するための活動に多くの人たちを動かしたそうだ。
 橋本さんは予想より小柄な美しい人で、日本人形のような端正な顔と、しみやしわ一つない顔なのに、その手が幅広でがっちりとしていたのが目についた。こんな感想を述べるほど席が近かったということだ。40人ほどの参加者の質問に答えたり、時には質問者への鋭い反論もあって、あっという間の3時間だった。橋本さんは行政改革ではなく、行政システム改革を進めている。行政と企業そして市民の仕事分担を見直す最も基本的な改革だ。
(←にぎやかな高知の商店街)

 初日の午前中、早く着いた私は、高知市の商店街を歩いた。久しぶりに見るにぎやかな商店街だった。何処までも続くアーケードでは、日用品から高級品まで魅力ある店が数多くあった。ファッションや小物の店などでは、青山や渋谷のような個性的な店舗がいくつも見られたし、県庁に近い“ひろめ市場”では取れたばかりの海産物が手に入り、魚の刺身などを安価で食べられるため、家族連れでいっぱいだった。商店街の規模も小さく、最近ではその賑わいもすっかり大店舗に奪われている我が千葉市の商店街と比較せずにはいられなかった。そこで、商店街の賑わいについて質問した。県として、特別な施策はないということだった。商店街の自主自立的な新しい取り組みと、高知市の積極的支援、何より、独立した商圏が確立していることが大きいようだ。

 翌日は高知市に市民参加のコミュニティ計画の話を聞いた。鎌倉などが有名だが、高知市の取り組みはずっと早かった。高知市は町内自治会への補助金を伝統的に出していない。(連合会に対しては200万を出しているそうだ)とくに特徴的なのはまちづくりパートナーという職員。市の若手職員のなかから、公募で106名が選ばれ,住居地ベースで、班を編成。地区計画作りには1市民として参加した。きっかけは 自治会主催の清掃などの時、市の職員がゴルフバッグを持って車で通り抜けたことが苦情になったことだそう。20年前に市民参加で地区カルテづくりを始めたが、市域の3分の2を襲った水害のため、継続を断念。しかし、水害救助のボランティア団体がその後の街づくりの中心になったそうだ。

(→自然体験公園「のびのび広場」にて)
 

 勉強会の最後に訪れた女性センター“ソーレ”では、勉強会のメンバーと別れを告げ、7月の富山で行われた全国フェミニスト議員連盟(岩橋が共同代表)の夏合宿で、知り合った女性団体のメンバーと再会、来年は高知で、女性と政治シンポジウムを行いたいということで、打ち合わせを行った。その際、センターの職員もまるで主催事業のように参加してバックアップを約束して下さったのが驚きだった。(2000.8.9)

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総選挙、そして6月議会

千葉県2000年6月定例県議会(2000.6.22〜7.11)

 総選挙では、多くの国民が与党3党に対してNOと意思表示をした。しかし、結果的には3党の政権は安定多数を獲得した。これは都市住民の一票が軽いこと、小選挙区では、現職が有利であることなどによる。比例区では民主党を支持した市民の方が多かったのにもかかわらず、小選挙区では、2万7千票もの大差で、自民の現職大臣が当選した。
 しかし、若者や、女性が多く当選したあの選挙は、確実に自民党中心の政権を終らせる方向を示した選挙だったと思う。その後の、そごうの倒産、久世金融再生委員長の辞職など、選挙結果は微妙に影響をあたえた。森政権の危うさは自民党全体の危うさであろう。自民党の時代が終わり、新たな枠組みの方向性が示されたように思う。
 目を地方に向けると、日本社会で、いろいろな市民の政治的な動きが活発化している。とくに、女性の活動が目立つ。昨年6月、男女共同参画社会基本法が成立、都道府県に行動計画の策定を義務付けた。それを受け、東京都、埼玉県などでは男女共同参画条例が制定され、各自治体で市民が条例の制定を求めている。これまでと違うのはただ要求するだけでなく自分達が調査、策定した条例の市民案を行政に提出する例が多く見られる。千葉市でも、『男女平等条例を実現する会』が昨年9月から活動を始めた。この9月3日には女性センターで市民案を発表する予定だ。
 子どもの人権条例を県に提案していこうと準備しているのは『子どもサポートネット』。こうした動きは千葉県に政治する市民が育っていることを明らかに示している。
 6月の千葉県議会は、残念ながらそうした社会の動きとは対照的に自民党圧倒多数のなかで、「学校の歴史教科書」を書き換えよという意見書が一字の修正もなく採択。県議会にものびやかな社会の風をもっと吹き込みたい。(2000.8.9)

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ウィメンズカウンセリングちばの設立

ウィメンズカウンセリングちば設立記念イベント(2000.6.3)

6月3日、ウィメンズカウンセリングちばの設立記念イベント、上野千鶴子さんと河野貴代美さんの対談は女性センターの200人のフロアが超満員だった。親しい友人同士でもあるお二人の会話には面白かったり、考えさせられたりする点が多かったが、印象に残ったのは、上野さんが困難に対処する場合、心の問題とそれ以外の例えばお金や制度の問題とに分けて考えるべきと言う立場であり、河野さんは一番大変なのは心の問題、どう対処して良いかもてあましてしまう自分の気持ちの問題を解決する手助けが必要だと言っていたのが印象的だ。

 ウィメンズカウンセリングちばの立ち上げは、差別や暴力など女性が直面する問題に、ひとりではなく、エンパワーしてくれる仲間ができたという意味で、心強い。しかし、民間での立ち上げということでその経営の前途には厳しいものがある。

(交流会でのあいさつ→)

 

 ちょうど、いま、国連女性会議2000年ニューヨーク会議が行われている。船橋邦子さんによるとこの会議は北京会議以降の5年間の成果を文書としてまとめる事を大きな目的にしているが、ぜんぶで、302の文書のうち合意されたのが30に過ぎないということで、イスラム諸国やカトリック、アルジェリア、リビア、パキスタンなどとアメリカ、北欧、日本などの諸国との意見の相違が大きいようだ。

 女性の人権の問題が2000年を迎えて、一気に政治課題に駆け上がったという感じがしている。女性の人権の問題は子どもの人権とも、貧困の問題とも大いに関係がある。総選挙が近いが女性議員を国政の場にも増やしていくことが必要だ。もちろん、女性だったら誰でもということでなく、ジェンダーの視点をもった議員を増やす選挙にしたい。 

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環境自治体会議はおもしろい試みである。

環境自治体会議in水俣(2000.5.24〜25)

 私は今回はじめて参加したが、市長さん、町長さんや、職員さんたちと、間近に話せる。事務局がNPOだから、会議の運営なども市民感覚である。
比較的、小さな市や、町が多いのだが、日野市や鎌倉市、釧路市などもはいっているし、川崎市が政令指定都市としては唯一、はいっているのが光っている。

92年に設立され第1回目が北海道の池田町で行われている。今回は第8回目の会議となった。水俣は本当に海と山の美しいところである。水俣川が海に注ぐ河口近くに会場となる市民会館や、もやい館、市役所などがあった。第1日目の特別セッションで、水俣病の患者の杉本栄子さんの話が当時患者が置かれたきびしい状況を感じさせてくれた。以下、要約

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茂道という地区で最初の発病者となった彼女の母親を漁師の父親が病院に入院させて帰ると、親戚代表の叔父がたずねてきて開口一番、なんで親戚に相談も無く病院に入院させたのかとなじったという。網元をしていた彼女の父は看病のため、漁に出られず当時20歳の彼女に網元の仕事を託した。網元は網子にきてもらわなければ漁に出られない。1軒1軒網子の家をたずねても漁に必要な20人にきてもらうことができなかった。歩いていて下肥をかけられたこともある。悲しくて、親戚の家に行ったがおじが包丁を突きつけて、村を出て行くように迫った。その包丁で刺されても死んでもよいとその時思った。父は、自分は漁師しかできないので、出て行くといっても出て行けない、今はしけだからじっとまつしかないといった。そうして10年がたった。父はなくなったが母は今も元気である。自分も一時は寝たきりだったが、今朝もシラスを捕ってきた。人をうらむなよと教えてくれた父に感謝している。

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夫や母親などの発病に動転しているときに、親戚など身近な人たちから非難され遠ざけられるつらさ。それをほとんどの家族が経験した。その心の傷は未だに癒えていないだろう。水俣病は人の健康だけでなく、地域コミュニティの崩壊をもたらした。その回復を水俣は模索してきた。港につながれた船の綱がいつのまにかもつれてどうしようもなくなった、それをときほぐしてもういちど繋ぎ直そうという‘もやいなおし”が水俣市の合言葉である。最近、刊行された『水俣市民は水俣病にどう向き合ったか』という本には患者でない市民の赤裸々な声が載せられているが、やっと本音が話せるようになったということなのだろう。環境自治体会議そのものの報告はまた今度。

      


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