「ミシュラン東京」雑感
『ミシュランガイド東京2008』のプレスリリースがあった。ミシュランについては毀誉褒貶が激しいし「興味ない」と言う「食通」も多い。たしかにミシュランは数あるレストランガイドのひとつに過ぎない。だけどミシュランがフランス料理の水準を高めたという側面もある。だから無視するのではなく、せっかく東京版ができたのだから、それを生かして東京の食空間をよりよくして欲しいと思う。そのためには無視しないことが重要だと思う。野次馬根性も含めて。
さてその内容だが、和食や中華についてはわからないけれど、フランス料理についていえば全般的には「なるほど」という感想をもった。(といっても、該当店のごく一部にしか行ったことがないので根拠薄弱な感想に過ぎないが。)
一週間前に訪れたばかりのピエール・ガニエールは予想とおり二つ星。料理はガニエールらしく創造力/創造力たっぷりのもので、おいしく納得という料理は三ツ星に値する。だけどフランスの三ツ星店で感じた店の風格や、底の底までリラックスできるサーヴィスはなかった。バーコーナーがあったり、凝った(当然男女別の)トイレがあったりというのはそれなりの「格」を示すものだけど、それは星をとるための必要条件(他方でトイレ共同のすし店が三ツ星だったりする)。サーヴィスだって悪くはないが「とにかく楽しませてくれる」フランスの三ツ星と違う。率直に言ってレヴェルが違う。
ナレ編集長の率いるミシュランは、「星は料理に対するもので、内装やサーヴィスはフォークで表す」と公言している。でもそれは「たてまえ」であって、実際にはケースバイケースだろう。
東京ミシュランの三ツ星店は残念ながらどこにも行ったことがない。三ツ星がつくことで予約がとりにくくなり、また値段もあがるかもしれないから、ますます縁遠くなるだろう。
今回三ツ星をとった店のなかで「ジョエル・ロブション」には「タイユバン・ロブション」時代に3回行ったことがある。当時とグランシェフが同じなので、まさか三ツ星になるとは思わなかった。もちろんロビュションのスペシャリテは言葉を失う素晴らしさだったが、それ以外はどうってことない「普通においしい」料理だった。内装を変えたのがよかったのか、シェフが急に上手になったのか?
2006年3月開店のカンテサンスが三ツ星をとったのはさすがというより他ない。内装の(比較的貧しい)パリの「アストランス」が三ツ星をとったのはナレ編集長の方針を象徴するものだけど、そこで責任ある地位を勤めていた岸田周三シェフの店だけに、注目店ではあった。日本人がフランス料理店を開き、フランス人の審査に耐えて三ツ星をとるというのは相当な快挙。行きたいなぁ。
同じく三ツ星のロオジエは、以前一度予約をとったけれど都合が悪くなりキャンセルしたことがあるのが悔やまれる。値上がり+予約いっぱいを恐れる。
二つ星では「リストランテASO」が面白い。「ひらまつ」の平松シェフの教え子だけど、師を超えた。「ひらまつ」東京店は最近レヴェルがあがったというので、もしかしたら二つ星を取るのでは?と思っていたけれど、平松シェフがパリ店に力を入れているとしたら、東京店は一つ星がふさわしいのかな。10年前に行った時には平松シェフは経営の多角化に熱心で、料理をつくっていなかったからひどいものだった。復活したと思っていたのになぁ。
「ル・マンジュ・トゥー」も注目店ではあったけれど、行ったことないのでなんとも。仲良しシェフの店「北島亭」や「ラ・ブランシュ」が星を一つさえもとれなかったのと明暗を分けた。
私が行ったことのある店のいくつかは星一つをとった。10日前に訪れた「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」には正直驚いた。シェフはパリのタイユヴァンで肉部門のパート・シェフを勤めた実力派だけど、私が食べた料理は魚を除いて「普通においしい」ものだった。ポーションの小ささが印象に残っている。「ミシュラン調査員が来ましたか?」と聞いたら「来ましたけれど・・・」という反応だった。まずはめでたしめでたし。
「ジョージアンクラブ」は納得の一つ星。箱とサーヴィスはいいし、料理は標準的な一つ星。「タテル・ヨシノ」の料理はかなりいい。うーん、星二つには何が足りないのかな?
「ミラヴィル」を訪れたのは随分前なので今とは違うだろうけれど、小さいお店、小さいポーションという印象。
最後に星をとらなかった(とれなかった)お店について。
なにより驚いたのが「コート・ドール」。ランチに3回行っただけだけど、誠実堅実な料理は星一つには十分だと思うのだが。
また意外だったのは「北島亭」。料理のレヴェルの高さは定評あるところ。私が行った時にはサーヴィスが悪すぎて(飲食店としてあってはならない、ここには書けないような内容の問題があった)レストランを楽しめなかった。味だけ考えれば一つ星なんだけど。
「オテル・ドゥ・ミクニ」の星なしには納得。10年前にはまだ厨房に立っていた三國シェフの腕は相当なものだけに、これを機会に復活して欲しい。
ミシュランにたいする反発から「東京のすべての店をまわっていないじゃないか」という批判がある。しかしそれはないものねだりというもので、すべての料理店をまわるなどということは不可能であるし、評価というのは対象を限定しておこなうのが原則である。この類いの批判は、実はミシュランを絶対的な権威とみなしている心情の裏返しとして出てくるのではないか。ミシュランは客観的な評価でないし、数あるガイドの一つにすぎない。他のガイドブックにそのような批判が出されるであろうか?
また「ミシュランよりも信頼する友人の評価の方が大事である」という批判もある。そうした優れた友人をもっている「強者」にはミシュランなど必要ない。判断材料がない人にとって一定の情報を与えるのがミシュランの役割なのである。好みの合う人が利用すればよい。
東京版は写真入りで、そのための料理費用は店もちであることを批判する人もいる。英語版が同時に出版されていることからもわかるように、ミシュラン東京には日本料理を世界に紹介するという役割がある。そのためには料理の写真入りの方がわかりやすい。また、費用の問題だが、もしミシュラン持ちにしたらガイドブックの価格に転嫁されるのだから、それがよいかどうかについて議論がありうるとは思うが、ひとつの方法であると思う。大事なことはミシュランと店が癒着しないことが保証されることである。
ミシュランの良いところは、「賞味期限」が一年であること。来年どうなるのかが楽しみ。
妄言多謝。
(2007年11月19日)
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