志位・5中総のダブルペテン規定
共産党犯罪史、3連続誤りを無視隠蔽
党勢力の鋏状二股裂激痛データも沈黙隠蔽
(宮地作成)
〔目次〕
1、4回目の国民運動→ペテン「戦後政治史でも初の野党・市民共闘」
1回目、1960年、60年安保闘争における共産党の対応と誤り
2回目、1963年、原水禁運動と分裂、分裂の主因共産党
3回目、1964年、公労協4・17半日ゼネストと中止の主因共産党犯罪
4回目、2016年、参院選で共産党1人区「条件つき降伏作戦」
「共産党アレルギー」「イデオロギーの壁」抜取拒絶での「降伏作戦」
共産党犯罪史、3連続誤りを無視隠蔽
2、志位恐怖の条件つき降伏作戦→ペテン「選挙共闘・統一候補」成立
〔関連ファイル〕 健一メニューに戻る
『志位「新提案」想定通り=マスコミ注目度bP・2カ月間だけ』
『志位「国民連合政府」構想・「選挙共闘」宣伝→4カ月間で破綻』
妨害分裂棘抜き取りなしには、参院選惨敗・自公過半数維持
1、志位のダブルペテン規定−共産党犯罪史、3連続誤りを無視隠蔽
〔小目次〕
1、4回目の国民運動→ペテン「戦後政治史でも初の野党・市民共闘」
1回目、1960年、60年安保闘争における共産党の対応と誤り
2回目、1963年、原水禁運動と分裂、分裂の主因共産党
3回目、1964年、公労協4・17半日ゼネストと中止の主因共産党犯罪
4回目、2016年、参院選で共産党1人区「条件つき降伏作戦」
「共産党アレルギー」「イデオロギーの壁」抜取拒絶での「降伏作戦」
共産党犯罪史、3連続誤りを無視隠蔽
2、志位恐怖の条件つき降伏作戦→ペテン「選挙共闘・統一候補」成立
1、4回目の国民運動→ペテン「戦後政治史でも初の野党・市民共闘」
志位は、5中総において、次のように規定した。
志位報告『第5回中央委員会総会』2016年4月11日
「日本の戦後政治史でも初めての野党・市民の共闘を必ず成功させよう。5野党党首合意は、野党は共闘を望む多くの国民の声に応えた、画期的な意義をもつものです。とくに三つの点を強調したいと思います。
一つは、時の政権を打倒することを正面の目標に掲げて、野党が全国的規模で選挙協力を行って国政選挙にのぞむというのは、日本の戦後政治史でも初めてのたたかいとなるということであります。きたるべき参議院選挙は、広範な市民・国民の運動と、野党との共同の力で、選挙戦をたたかうことになります。これも、日本の戦後政治史で初めてのたたかいであります。」
この規定には、(1)真実と、(2)ペテン規定との両面が混在している。
(1)、「広範な市民・国民の運動と野党との共同の力で選挙戦は、戦後政治史で初めてのたたかい」とは、「選挙戦」だけを見れば、真実である。
(2)、最初の大見出し「戦後政治史でも初めての野党・市民の共闘」になると、ペテン規定の面・詭弁になる。「野党・市民の共闘」なら、「初めて」でなく、今回は4回目になる。志位は、1回目〜3回目を無視・スルーをした。無視の理由は何か。共産党にとって、都合が悪い要因があるのか。
問題が複雑で、テーマも多岐にわたるので、基本的にリンクでの説明とする。
〔小目次〕
1回目、1960年、60年安保闘争における共産党の対応と誤り
2回目、1963年、原水禁運動と分裂、分裂の主因共産党
3回目、1964年、公労協4・17半日ゼネストと中止の主因共産党犯罪
4回目、2016年、参院選で共産党1人区「条件つき降伏作戦」
「共産党アレルギー」「イデオロギーの壁」抜取拒絶での「降伏作戦」
共産党犯罪史、3連続誤りを無視隠蔽
1回目、1960年、60年安保闘争における共産党の対応と誤り
60年安保闘争において、大量動員の中心は、社会党と総評だった。共産党は、オブザーバー参加だった。私(宮地)は、就職2年目だった。全損保労働組合の支部・東海地区協議会・愛知県労働組合評議会の役員になっていた。学生時代から、警職法反対デモに参加し、赤旗日刊紙も購読していた。
安保闘争が高揚する中で、全損保・全生保・金融労働組合の隊列ができ、名古屋栄町で統一行動の度に数千人規模のじぐざくデモを行った。東京へも夜行列車で数回行った。その中で、共産党に入党した。60年安保闘争の全経過を直接体験した。
十数年後、高校時代の友人3人が京都でその総括をめぐり、徹夜で話し合った。
(1)、私(宮地)は、岸内閣の国会民主主義蹂躙にたいする民主主義擁護の正当なデモだったとした。
(2)、京大助教授は、当時の京大院生で、革マルで、国会突入を図った。彼は、その状況を「革命情勢だった」と規定した。その判断から、共産党を「葬式デモ」と非難した。
(3)、市役所幹部は、当時の社青同メンバーで、火炎瓶を持って、新宿擾乱に参加していた。彼も、「革命情勢だった」と主張した。
3人の意見相違は、徹夜激論でもまったく一致しなかった。リンクの『60年安保闘争考』は、安保闘争と共産党との関係・詳細経緯を分析している。
『60年安保闘争考』安保闘争と共産党との関係・詳細経緯
『画像』大量の写真
私(宮地)は、オブザーバー参加共産党のデモ方針が、正しかったと評価している。しかし、他参加勢力にたいする方針には、誤りがあった。『画像』大量の写真にあるような、共産党批判の学生団体にたいするトロツキスト断定と排除、樺美智子死亡にたいする「反党分子・トロツキスト」規定と完全無視は重大な誤りだった。ただし、私(宮地)は、共産党員だったので、共産党側の誤りに気付かなかった。
このテーマも複雑で、評価が一致していない。当時の日本共産党は、ソ中共産党隷従政党だった。日本共産党・宮本顕治によるソ中両党指令に隷従した反国民的政治犯罪行為が原水禁運動分裂の主因である。リンク多数で説明に代える。隷従党首宮本顕治の命令に屈服した上田耕一郎は、分裂策動論文キャンペーンの主犯者だった。
(1)1963年→(2)1984年→(3)2011年
運動・理論面での反国民的な分裂犯罪史
『原水禁運動の歴史と教訓 - Gensuikin』1963年
『原水禁運動分裂経過に対する赤旗論文の詐術考』共産党との関係・詳細経緯
「反原発」「脱原発」は「平和利用」拒絶=反科学だと排斥→分裂路線
加藤哲郎『日本マルクス主義はなぜ「原子力」にあこがれたのか』共産党批判
第七章 平野義太郎と日本共産党の「平和利用論」
3 原水禁運動を分裂させた共産党の「社会主義の防衛的核」
4 脱原発運動に反対した共産党の「平和利用」の論理
不破哲三『「科学の目」で原発災害を考える』原子力発電未完成→原発から撤退
志位和夫『第2次提言−3、原発技術は未完成』原発からの撤退、原発ゼロ
上田耕一郎『ソ連核実験と社会主義の軍事力の評価』ソ連核実験は防衛的と支持
3回目、1964年、公労協4・17半日ゼネストと中止の主因共産党犯罪
この時期も、日本共産党は、ソ中両党への隷従政党である。しかも、宮本顕治は「療養」名目で、中国に3カ月間滞在中だった。スト中止は、宮本顕治が中国から指令した。彼の命令なしに、党中央労対部がそんな重大決定を出せる組織ではない。宮本顕治は「知らなかった」と真っ赤なウソをつき、労対部3人に「自己批判書」を発表させた。彼は、トカゲの尻尾きり犯罪の常習者である。リンクで詳細に検証した。
『4.17ゼネスト - Wikipedia』1964年
半日ゼネスト中止の誤りのとき、中国滞在中の宮本顕治指令?
幸子HP『職場における4・17半日ゼネスト、1964年』青春群像
4回目、2016年、参院選で共産党1人区「条件つき降伏作戦」
「共産党アレルギー」「イデオロギーの壁」抜取拒絶での「降伏作戦」
共産党犯罪史、3連続誤りを無視隠蔽
これは、多数のファイルで検証してきた。志位は、イタリア共産党の「歴史的妥協路線」失敗経験に無知・無視で、43年後に二番煎じの誤りを犯し、有権者騙しを展開している。
二番煎じの誤りとは、「共産党アレルギー」「イデオロギーの壁」抜取拒絶では、正式な「野党共闘」→「選挙共闘」などできるはずがないという政党間情勢・ヨーロッパ党史を無視した提案だったことを指す。現実にできていない。誤りの原因は、志位恐怖である。
志位報告『第5回中央委員会総会』2016年4月11日
根拠1−民進党「協力」と共産党「選挙共闘」との隔絶度
根拠2−学者文化人・有権者のイタリア史無知と幻想
「政策協定」のみと「政策・組織協定」との違い
廃案運動への効用と党員参加へのマイナス面
2、志位恐怖の条件つき降伏作戦→ペテン「選挙共闘・統一候補」成立
志位「第3次作戦」とは、「共産党アレルギー」抜取拒絶での「降伏作戦」を指す。次の3番目である。志位は、3連続誤りを無視隠蔽したままで、「選挙協力、野党統一候補が実現」とペテン規定をしている。
3連続誤りとは、次である。志位は、それらを無視隠蔽した。
〔1〕、2015年9月19日、志位「新提案」=「国民連合政府」構想
廃案運動成果の独り占め陰謀作戦
〔2〕、2015年11月22日、大阪ダブル首長選挙−自民・共産癒着
廃案勢力内「裏切り者」作戦−シールズも共産癒着で自民支援
〔3〕、2016年2月22日、都道府県委員長会議−他野党との無協議
1人区共産党候補者取り下げ宣言=無条件降伏作戦
実質は、無条件でなく、「共産党アレルギー」抜取拒絶での「降伏作戦」である。
「選挙共闘」などできるはずがない誤った提案
赤旗『全国都道府県委員長・参院選候補者会議への』志位委員長の報告2月22日
志位は、5中総において、「野党共闘の到達点」として、「参議院選挙の全国32の1人区での選挙協力」と規定した。
「現在までのところ、12選挙区――青森、宮城、栃木、山梨、長野、鳥取・島根、山口、徳島・高知、熊本、長崎、宮崎、沖縄で野党統一候補が実現しています。十数選挙区で野党統一候補のための協議が進められています。わが党は、32の1人区のすべてで野党統一候補を実現するために全力をつくすものであります。」
しかし、「選挙協力、野党統一候補が実現」の実態レベルはどうなっているのか。民進党は、たんなる「協力」とし、「選挙協力」と言ったことがない。「野党統一候補を実現した」とも言わない。それは、「合意」過程が、志位の共産党得票率激減恐怖に基づき、事前協議もない時点で、共産党が一方的に1人区立候補をやめると「条件つき降伏作戦」を選択したからである。
「共産党アレルギー」「イデオロギーの壁」抜取拒絶のままでの「他政党との歴史的妥協路線」の失敗は、1973年イタリア共産党提案で証明ずみだった。ただ、マスコミや共産党支持の学者文化人は、志位恐怖という根底原因を恣意的に無視・隠蔽している。
半日ゼネスト中止の誤りのとき、中国滞在中の宮本顕治指令?
(2)、核・原子力問題にたいする共産党3回の誤り・妨害分裂犯罪
(1)1963年→(2)1984年→(3)2011年
運動・理論面での反国民的な分裂犯罪史
43年後の志位・二番煎じは、最初から失敗を運命づけられていた。ただ、民進党は、1人区共産党2万票を「協力という曖昧日本語・人参で降伏志位の赤色馬面を引き寄せ、ただ貰い」できるのなら、恐怖志位に「協力」言語をくれてやっただけである。
「ただ貰い」ほど安いものはない。一方、「ただ貰い」の方が結果として、高くつくかもしれない。2016年7月参院選において、有権者がどのような審判を下すか。
志位は、5中総において、赤旗拡大目標・方針を「前回参院選時の回復・突破」と抽象的に一言だけ報告した。「拡大月間」も指令しなかった。従来は、国政選挙3カ月間前でも「拡大月間」を命令し、選挙と「党勢拡大運動」の二本立て方針を決定していた。なぜ沈黙か?
読者拡大については、「しんぶん赤旗読者では、前回参院選時の回復・突破に、目標と期日を明確にして挑戦しましょう」と言っただけだった。回復数値も沈黙隠蔽した。
鋏状二股裂拡張データも沈黙・隠蔽をした。そもそも、「前回参院選時の部数」はいくつだったのか。その「回復」には可能性があるのか。データを確認する。
志位は、具体的減紙部数を公表すると、21.5万党員・1.5万地区委員≒支部長が赤旗拡大のやる気をなくす=賽の河原の石積み運動参加拒否率が激増するという恐怖に慄いているのか?
そこで、まず、赤旗部数推移を計算する。
10年1月第25回大会、HN145.1万部−(H25万部・N120万部)
13年7月参院選、HN部数?
14年1月第26回大会、HN124.1万部−H21.8万部・N102.3万部である。4年間で、21.0万部・14.4%減だった。
(表1) 13年1月〜12月末の赤旗公表毎月HN増減パターン
参院選前・少量拡大→参院選後・大量減紙→第26回大会前・少量拡大
総選挙後−大量減紙 |
参院選前−少量拡大 |
参院選後−大量減紙 |
26回大会前−少量拡大 |
年計 |
|||||||||
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
|
HN |
12286 |
3270 |
9103 |
3158 |
5055 |
5239 |
27615 |
7175 |
1875 |
2251 |
4509 |
7660 |
33452 |
H |
1896 |
364 |
1145 |
119 |
778 |
595 |
5411 |
904 |
280 |
263 |
594 |
1860 |
|
N |
10390 |
2906 |
7958 |
3039 |
4277 |
4664 |
22204 |
6271 |
1595 |
1988 |
3915 |
5800 |
|
12年度志位報告3万部減+13年度3万3452減=2年間計6万3452減
13年7月前回参議院選挙時の赤旗HN部数はどれだけだったのか。
(1)、参院選7月後6カ月間のHN増減−7月〜9月3万6665部減+10月〜12月1万4420部増=計2万2245部減
(2)、14年1月第26回大会HN124.1万部+前6カ月間計2万2245部=13年7月参院選時点126万3245部
2016年4月末の赤旗HN部数はいくつか。16年4月末115万8651部。
(表2) 16年1月〜12月の赤旗公表毎月HN増減パターン
7月参院選
|
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10 |
11 |
12 |
年計 |
HN |
4060 |
1456 |
5267 |
2674 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
H |
1023 |
391 |
196 |
334 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
N |
3037 |
1065 |
5071 |
2340 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
年累計 |
4060 |
5516 |
10783 |
8109 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
衆院選後 |
47576 |
53092 |
58296 |
55622 |
|
|
|
|
|
|
|
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|
14年衆院選後12月11355減+15年度計32161減+16年1〜4月8109減=17カ月間計5万1625部減!
「大運動」3カ月半拡大数計13045→後、10・11・12・1・2月5カ月で14756部減=「大運動」拡大数吹っ飛ぶ!
15年9月末「大運動」終了時点HN117万6000部→16年4月末115万8651部
14年1月第26回大会HN124.1万−16年4月末115万8651部=2年4カ月間で8.24万部減!
「前回参院選時の部数」はいくつだったのか。その「回復」には可能性があるのか。データを確認する。
2013年7月参院選時点の部数126万3245部−2016年4月末時点115万5977部=参院選7月までの3カ月間「回復」目標10万7268部!
まさに、恐怖志位の荒唐無稽きわまる3カ月間「回復」目標である。さすがに、威張って、5中総指令を出した志位も、参院選までに10万7268部を増やせとは言えなかった。鋏状二股裂実態に沈黙・隠蔽せざるをえなかった。
それでも、従順な赤色思考停止羊化した地区委員・支部長1万5千人は、4月度に(1)参院選までの短期購読者、(2)自腹3カ月間買取→参院選後減紙申請予定部数を、都道府県委員会に報告した。志位・小池を狂喜させるテクニックを6回目もまたまた発揮した。
なぜ、赤旗部数は、大量減紙が続くのか。1980年以降36年間にわたって、増加に転じた年度は一度もない。
〔原因5〕、21.5万党員・1.5万地区委員の賽の河原石積み運動参加拒絶率激増中
(表3) 地区委員≒支部長1.5万人の参加拒絶数・率
HN拡大成果は、ほとんどが地区委員=支部長によるもの
減紙率=賽の河原の石積み運動後5カ月間の減紙÷HN拡大数
回 |
時期−公表地区数315 |
HN拡大数 |
成果地区委員数 |
参加拒絶地区委員 |
拒絶率 |
後5カ月間減紙 |
減紙率 |
根拠 |
第1回 |
11年7月4日〜12年9月、拡大運動連続15カ月間 |
4354減 |
ほぼ全員0? |
15000? |
100%? |
30748 |
/ |
5 |
第2回 |
13年9月〜12月党大会前〜14年1月、5カ月間 |
15031 |
15031以下 |
0? |
0%? |
34748 |
231.1% |
7 |
第3回 |
14年5月15日〜7月末、2カ月半 |
12410 |
12410以下 |
2590 |
17.2% |
19583 |
157.8% |
8 |
第4回 |
総選挙直前・14年11月、1カ月間 |
3607 |
3607以下 |
11393 |
75.9% |
6561 |
181.9% |
8 |
なし |
15年4月統一地方選前2月、1カ月間 |
5224 |
5224以下 |
9776 |
65.1% |
40769 |
780.4% |
9 |
第5回 |
15年6月10日〜9月末、3カ月間半 |
13054 |
13054以下 |
1946 |
13,0% |
14756 |
113.0% |
9 |
5中総 |
16年4月11日〜7月10日参院選投票、3カ月間 |
? |
|
|
|
|
|
|
地方議員・候補者以外の一般党員は、ほぼ全員が賽の河原の石積み運動参加拒絶
第2回の減紙数は、4カ月間数値、第3回後の減紙数は、5カ月間数値。根拠は(表)数
この(表3)データは何を示しているか。
(1)、赤旗HN拡大成果は、地区委員・支部長1.5万人中の一部%しか挙げていない。315地区委員会中、参加拒絶地区委員・支部長の拒絶率は、2014年11月〜15年にかけ、75.9%・65.1%ときわめて高い。拒絶率は、異常に激増した。
(2)、「拡大月間」「躍進月間」の党中央指令は、315地区委員会総会すべてが拡大目標を討論し、地区委員・支部長1.5万人の全員100%が賛成した。赤旗HN部数ピーク1980年以降の36年間にわたり、党勢PHN拡大方針に反対した常幹・幹部会員・都道府県委員長・地区委員長は一人もいなかった。それだけでなく、地区委員・支部長1.5万人でも反対者は皆無だった。その性質は、まさしく「赤色・大政翼賛総会」が、36年間続いた反民主主義システムだったことを証明するデータである。
(3)、1980年赤旗部数ピーク355万部以降、赤旗が減り続けても、各種の全総会・党会議・党大会で、「計画的党勢拡大路線と目標・方針に全員一致」がなされてきた。そんな政党の異様な党内民主主義実態をどう考えればいいのか。スターリン時代の党会議・党大会における「全員起立、歓声ウラー、スターリン万歳、鳴り止まぬ拍手」がないだけで、本質は、スターリン時代とまったく同一の「官僚主義的中央集権制」会議である。
以上 健一メニューに戻る
〔関連ファイル〕
『志位「新提案」想定通り=マスコミ注目度bP・2カ月間だけ』
『志位「国民連合政府」構想・「選挙共闘」宣伝→4カ月間で破綻』
妨害分裂棘抜き取りなしには、参院選惨敗・自公過半数維持