1945年 アメリカ軍が東京大空襲東京の空襲は、1944年(昭和19年)11月14日以降に106回行われている。そのうちの5回が特に大規模(1945年(昭和20年)の@3月10日、A4月13日、B4月15日、C5月24日未明、D5月25日-26日)で、死者数が著しく多い@の1945年3月10日の空襲を「東京大空襲」と呼ぶことが多い。(出典: 東京大空襲 - Wikipedia ) 「中韓、憲法、自虐史観、みんな 白黒つけんかい!」(「WiLL 2014年1月号」所収)(注:百田尚樹氏と金美齢氏の対談です。) から、百田尚樹氏の発言(p68-69)を引用します。なお、引用文中の太字は、当サイト管理人が施したものです。 |
(前略) 百田 東京大空襲がどれだけひどかったか。アメリカ軍は日本人、それも軍人ではなく女子供を含む民間人をできるだけたくさん殺すために、東京の下町で木造の民家密集地である墨田区や浅草を狙った。どうやったら日本人を効果的に殺せるかを考え、日本家屋の作れる日系人の職人たちをハワイから大量に呼び寄せてアメリカの砂漠に日本の木造家屋を作り、焼夷爆弾を使って焼きつくす「予行演習」までしていたんです。 昭和二十年三月九日深夜、三百二十五機のB29は上空一千メートルの低空で飛んできた。空襲警報が鳴り、住民は防空壕に逃げ込んだのですが、B29は何もせずに房総半島を抜けて行ったので、日付が変わった頃、警報が解除された。住民がやれやれと家に戻ってきたところへ、Uターンして来たB29が爆弾を投下して大量虐殺に及んだのです。 それによって東京は大火災になりましたが、これも我々が普段想像する火事とは規模が違います。何十万戸の家が一斉に燃え、それで起こった火災旋風で、秒速百メートルの火の風が人々を襲った。火を免れた人も酸素を奪われて死にました。アメリカ軍は一夜にして十二万人という人間を殺したのです。町を焼き払った煙は一万五千メートルの成層圏にまで達したのですから、その凄まじさがわかります。続いてアメリカ軍は名古屋、大阪と焼きつくした。広島、長崎では原爆を落として人体実験をやった。 (後略) |
産経ニュース ≫ 【阿比留瑠比の視線】米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない(2015年1月12日付の記事) この記事の全文を引用します。なお、引用文中のタイトル以外の太字は、当サイト管理人が施したものです。 |
2015.1.12 14:30 【阿比留瑠比の視線】 米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない 戦後70周年を迎える平成27年は、歴史認識をめぐる「歴史戦」の年になる。米紙ニューヨーク・タイムズなどは早速、日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらか−。 そんなことをぼんやり思いながら昨年末の休暇中、高校書道部を舞台にした漫画「とめはねっ!」(河合克敏著)を読んでいて、思わず息をのんだ。 作中、見開きで大きく紹介されていた昭和20年3月10日の東京大空襲を題材にした元教師の書家、井上有一氏の書「噫(ああ)横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)があまりに衝撃的だったからだ。 「アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄」「親は愛児を庇(かば)い子は親に縋(すが)る」「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる」「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」 書幅いっぱいに埋め尽くすように書かれた文字は、積み重なり、苦しみながら焼き殺された人々に見える。自身は一命を取り留めたものの教え子を失った井上氏が、血涙で書いたかのような印象を受けた。 約10万人が死亡した東京大空襲は、非戦闘員の殺傷を目的としており、もとより国際法違反である。米田建三・元内閣府副大臣の調査によると、東京大空襲の「作戦任務」(同年3月9日付)の目標は、軍事施設ではなく「東京市街地」と明記されている。最初から一般住民を標的にしていたことは明らかなのだ。 また、東京大空襲・戦災資料センターが東京都から寄贈された被害者の名簿3万人分のうち、年齢が分かる人について調べた結果がこの空襲の性質を表している。 それによると、被害者の年齢層で最も多いのは0〜9歳の20%で、次いで10〜19歳の18%だった。実に4割近くが未成年だったのである。これは通常の戦争遂行行為ではなく、米軍による子供の大量虐殺(ジェノサイド)にほかならない。 しかも米国は戦後、こうした自らの罪を日本人の目から隠そうとした。明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪(ゆが)めたもの」(明成社)によると、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲で、例えば米軍の東京大空襲での国際法違反行為を指摘したこんな文章を削除した。 「無辜の一般市民に対して行へる無差別的爆撃、都市村邑(そんゆう)の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌(しんしゃく)の破壊、病院船に対する砲爆撃等、計(かぞ)へ来らば例を挙ぐるの煩に堪へぬほど多々あつた」(信夫淳平氏「我国に於(お)ける国際法の前途」) 「米国は原子爆弾と中小都市焼爆で日本全土を荒廃し数百万人の非戦闘員を殺傷せしめた」(石原莞爾氏・宋徳和氏対談「満州事変の真相」) 米国は、自分に都合の悪い歴史は堂々と修正し、歴史から抹殺しようとしてきたのである。当時、日本に対する空襲について「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」(ボナー・フェラーズ准将)と自覚していたのは間違いない。 焼夷(しょうい)弾を使用した夜間無差別爆撃に踏み切ったカーチス・ルメイ少将の下で、作戦計画作成に当たったロバート・マクナマラ元国防長官は記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」(2003年公開)の中でこう赤裸々に証言している。 「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし、負けていればだ」 だが、戦勝国は全部を正当化し、敗戦国はすべてを我慢するなどという状態が70年以上ももつわけがない。米国は傲慢になりすぎない方がいい。(政治部編集委員・あびる るい) |
(参考) JA6DFN HP ≫ 戦争の世紀 20世紀 ≫ 東京大空襲/噫(ああ)横川国民学校(概要) イノベーションの南 ≫ 高校書道部コミック『とめはねっ!』で「噫(ああ)横川国民学校」を知る(2014年7月7日付) うみかぜの趣味の部屋 ≫ 2008年03月 |