第41回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ
   〜ライプツィヒ1723年-VII 〜  


2000/2/21  19:00  東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
 *同一プロダクション  2000/ 2/26 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル


J.S.バッハ/教会カンタータ

    《われ悩める人,誰ぞわれを救わん》 BWV48
    《エフライムよ,われ汝をいかになさんや》 BWV89
    《その御名にふさわしき栄光を主に捧げまつれ》 BWV148
    《われ信ず,尊い主よ,わが不信仰を助けたまえ》 BWV109


指揮:鈴木雅明

独唱:鈴木美登里(S)、ロビン・ブレイズ(CT)、ゲルト・テュルク(T)、浦野智行(B)

オブリガート:島田俊雄(トランペット/コルノ・ダ・テラルシ/ホルン)、
        三宮正満、尾崎温子(オーボエ)、江崎浩司(オーボエ/オーボエ・ダ・カッチャ) 

合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン *全メンバーはこちら(01/08/21更新)

    コンサート・ミストレス:若松夏美
    通奏低音:鈴木秀美(チェロ)、櫻井茂(コントラバス)、二口晴一(ファゴット)、
           鈴木雅明(オルガン、チェンバロ)、今井奈緒子(オルガン)


  
これがコルノ・ダ・テラルシ
スライドをのばしたところです。
コンセルトヘボウ管との来日公演の合間にBCJ公演を楽しまれた
マエストロ、リッカルド・シャイー氏とマエストロ、マサアキ・スズキ
(撮影:三浦興一さん)
もちろん、島田さんの自作楽器
BWV109では全音下げるスライドが
必要なため、苦労されたとのこと。

BACH Collegium JAPAN
第41回定期演奏会

巻頭言

 皆様、ようこそおいでくださいました。2000年という記念すべき年をどのように迎えられたでしょうか。
 最近、インタヴューなどで「バッハ演奏の魅力は?」と聞かれることが多くなりました。「魅力」、と言われても、演奏する身にとって、バッハの音楽はあまりに巨大な生き物なので、なかなか客観視することができないのです。例えどのような冷静なアナリーゼをもって臨んでも、すべての瞬間に予想をはるかに越えたエネルギーが溢れ、小賢しい計算は吹き飛んでしまいます。バッハの魅力とは、結局そのような音楽エネルギーにあるのかもしれません。
もっとも、一歩身を引いて見てみると、このような音楽エネルギーは、瞬間的な和声や旋律からだけでなく、作品の周到な構造からくる、ということがわかります。就中、音楽の設計基盤とも言うべき調性の問題、特にレシタティーヴォの調性は、非常に興味深い視点です。

 今回取り上げる4曲のカンタータのうち3曲が、曲の冒頭とは異なった調性で終わり、調が完結していません。例えば、BWV148は、冒頭の華やかなニ長調から、ロ短調とト長調のアリアへと進むので、一見、関係調に終始するかと思いきや、最後のレシタティーヴォでなぜか半音下がり、結局嬰ヘ短調という、全く意外な調性で終結コラールを迎えます。このコラールの歌詞が残されていないだけに、何か歌詞との特別な関係があったのではないか、と勘ぐりたくなりますが、残念ながら手がかりは皆無です。
 BWV48と89は、全体として通常の調構成を持っており、BWV48では唯一、終結コラールも冒頭曲と同じト短調で終わります。しかし、その第2曲変ホ長調で始まるアルトレシタティーヴォには、思わぬ驚きが隠されています。冒頭の変ホ長調は、三位一体を象徴するフラット3つの調性として、バッハが信仰告白との関連の中でしばしば用いる調性です。しかしこのレシタティーヴォでは、罪の毒に蝕まれていく肉体を歌うにつれてフラットが増え、『この世は病と死の家』で変イ長調、さらに『肉体は墓に至るまで苦しみを担い続ける』ところで変ロ短調へと移ろいます。そしてついに、魂にも及ぶ罪の『最も強き毒』 den staerksten Gift という言葉の瞬間、変ホ短調のドミナントは、一気にホ長調のドミナントへと突入してしまうのです。つまり、健全なつもりであった変ホ長調に代表されるフラットの世界は、一瞬のうちに罪にまみれたシャープ(=クロイツ)の世界へ転落してしまうのです。この劇的な転調は明らかに『罪の毒』がもたらしものであり、そのように腐った魂と肉体をイエスが健やかに癒されることを歌う第5曲目レシタティーヴォの健全な調性とのコントラストは、唖然とするほどです。
 さらに注目すべきは、BWV109です。やはり第2曲目のテノールレシタティーヴォでは、ソロパートに全く異例のfとpの指示があります。希望(f)と不安(p)の間をテノールが揺れ動くうちに、変ロ長調から始まった曲は、ハ短調、変ホ長調を経てニ短調へ、そしてここではまだ『不安』が勝利をしめたのか、ついにはホ短調で終わってしまいます。次に不安に苛まれる魂がホ短調で歌うアリアは、心の不安な揺らぎを表して、三連符と符点の複雑なリズムを行き来し、信仰の勝利を待望するアリア(第5曲)の明るいヘ長調と対照を成すのです。ニ短調の両端楽章に囲まれたホ短調とヘ長調のアリアが、不安に満ちた不信仰と信仰の希望を対比する。何と見事な構成ではないでしょうか。

 音楽は、瞬間の連続にほかなりません。しかし、その瞬間の繋がりには、摂理的な意味が込められています。バッハのカンタータは、単に個々の単語を音楽化したものではなく、作品の構造全体が、そのテキストの全体を表現していると言っても過言ではないのです。そのような意味を発見する時こそ、真にバッハの「魅力」に捉えられた時、といい得るでしょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
 

 1992年からスタートしたバッハ・コレギウム・ジャパン〔バッハ:教会カンタータ・シリーズ〕も、いよいよ2000年=バッハ没後250年という記念の年を迎えました。その始めとなる本公演では、魂の内面を描いたひときわ内省的な4つのカンタータを取り上げます。
 罪の猛毒に蝕まれたキリスト者の心身がイエスを通じて健やかにされるまでを描く第48番、この世への神の憤りとその報復の警告と罪を知る”われ”がイエスの血の贖いの考察をする第89番、内的な葛藤に苦しむ弱い魂が、神の助けによる平安に至るまでを描く第109番、”恵みの日”としての安息日の意義を追求する第148番。
 バッハのカンタータは、喜びや悲しみ、苦悩といった人間が出会う様々な感情に応えてくれる「日々の糧」であり、「人生の伴走者」となりうる希有な音楽です。新世紀の息吹を、バッハの懐深い精神世界とともに体験することに致しましょう。

(00/01/04、チラシ掲載文より)

【トピックス】(コンサート前後に「早耳情報」に掲載した記事から)

《「バッハ・イヤー」最初のBCJ公演・録音に、国内外から取材が殺到。》

 国内ではNHKが「芸術劇場」(ステージドア)で、録音風景の取材と鈴木雅明さんのインタビューを行い、3月12日(日)夜、22:00〜放送されました。
 また、オランダからはオランダ福音テレビが「バッハ」のドキュメンタリー番組の一環として、ドイツからはミュンヘンの Deutsches Allgemeines Sonntagsblatt (ドイツ一般日曜新聞?)が神戸を訪れました。 オランダのテレビ局の取材では、カンタータ109番の1曲目を特に取り上げたいとのことで、さすが!です。
 さらにオランダからは熱烈なBCJの「おっかけ」ファンの方も“来日”! この方はオランダで「プレリュード」というレコード店を経営していらっしゃる方で、ブレーメンの音楽祭にもいらっしゃったそうです。今回はBCJ公演を聴くためだけに来日されたとのこと。今年は日蘭修好 400年の年でもあるそうですから、同じBCJファン同志、末永く共に応援していきたいものです! (00/03/13)
 上記の時の取材をもとにした記事が、3月6日(月)付『産経新聞』の「地球楽信」に掲載されました!
 タイトルは「バッハ・イヤーに引っ張りだこ 〜BCJが10周年」。2/26の神戸での演奏風景の写真も掲載された大きな記事です。その中で、ドイツからの音楽担当新聞記者の「彼ら(BCJ)の演奏は世界的演奏団体のベスト・スリーの一角を占める存在。ドイツ語の発音は完璧で、目をつぶればドイツ人の団体が演奏しているとしか思えない。・・・」という談話や、オランダからの“追っかけ”さん(ケース・コウドスタール氏:実はアムステルダム郊外で大きなレコードショップを経営されている方)の「他の演奏家のアルバムを買おうとしているお客さんにも、もっといいのがあるといって彼ら(BCJ)のアルバムを薦めている」とのお話も紹介されています。ちなみに、そのお客さんもすっかりBCJにはまり、BCJのCDを揃えてくださったそうです!(これはじかにうかがったお話です)
 記事の最後は鈴木雅明さんの「・・・必要なのは作品が何を言い、自分自身がそれをどう訴えたいかということでしょう」という言葉でしめくくられています。機会がありましたら是非ご覧ください!  (情報をお寄せいただいた松田信之さんに感謝いたします。) (00/03/09)
 上で紹介した『産経新聞』の記事について、鈴木秀美さんから2点、ご指摘を頂戴いたしました。
(1)オランダからの“追っかけ”さんのお名前は、オランダ語でOUは「アウ」と発音されるので、「ケース・カウトスタール』が正しい。
(2)ケース・カウトスタールさんのお店は、アムステルダム効外の『選りすぐったものだけを置いてある小さな(レコード)店』でございます。・・・とのことでした。
 ケースさんはこちらに滞在中BCJのメンバーの方たちとほとんど行動を共にされていたので、秀美さんともきっと色々なことをお話しされたのでしょうね。ケースさん、神戸公演ではオルガンバルコニーから満たされた表情でBCJの演奏に耳を傾けていらっしゃいました。ちなみに私もオルガンバルコニー席で(もちろん立ち見で)神戸公演を楽しませていただきました。
 鈴木秀美様、ご指摘ありがとうございました。『産経新聞』関係者の皆様がこのページをご覧になっていらっしゃいましたら、是非何かの機会に訂正をお願いいたします! (00/03/12)

【コメント】
 バッハ・イヤー最初のBCJ公演ということで上記のように大変注目された公演でしたが、並んでいる曲目は知名度としては高くないカンタータばかり。しかし、この4曲、ライプチッヒ最初の年のバッハの意気込みと工夫の数々を見事に伝えてくれるものでした。中でも圧倒されたのがBWV109での張り裂けんばかりの叫び救いを乞い願う切実さは今までになく心に迫ってきました。(アンコールはなし) なお、当HPアクセスカウンター50000番の前後賞(!)をお取りになって、この公演に向けたBCJの合唱練習を見学された金原さんからお寄せいただいた文章をこちらに掲載させていただいておりますので、是非ご覧ください。
 また、上の写真でもおわかりいただけるように、この時期に名門アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を率いて来日公演中だった名指揮者のリッカルド・シャイー氏が東京公演を楽しまれました(写真は休憩時に楽屋を訪問された時のもの)。BCJのバッハをCDで聴いて関心を持たれたそうで、前半の2曲を一階中央席で、休憩後は、何と普段は聴衆を入れないオルガン前の席でBCJのカンタータを楽しまれていました。後半は聴衆からシャイー氏の姿もよく見え、そのリアクションも我々は楽しませていただきました。もちろん、曲が終わるごとの盛大な喝采は我々ファンとまったく変わりませんでした。終演後再びステージそでにお出でになったシャイー氏は周囲に向かって「exllent instruments!」と話していらっしゃったそうです。何でもBCJをシャイー氏ゆかりのコンサートシリーズにも招待したいとのお申し出もいただいたとのことで、大変楽しんでいただいたのではないかと思います。
 この後、レコーディングをはさんで行われた神戸公演(2000/02/26、15:00、松蔭女子学院大学チャペル)にもうかがうことができ、昨年2月の公演に続いてチャペルでのカンタータを楽しませていただきました。 (矢口) (00/03/28)
 この時の神戸でのレコーディングとコンサート中の「緋田シェフのカンタータ料理日記」こちらです! そうそう、あのBWV109の最終コラールサムゲタン・パワーだったんですね! (01/08/21追記)

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