音楽とあんまり関係ない日記 / 11月
by BoogieWoogie Ace Hirota


2002年11月25日(月)
StrawHatが昨日を最後に閉店しました。 ストローはマスターがぼくらよりも少し歳下ということで、 お客さんも若めの人が多かった。 そして、ちゃーんとステージを見て聴いていてくれたし、反応もよかった。 とてもやりやすいいい店だったのになぁ。惜しい店をなくしました。
考えてみるとぼくらが定期的に出ていた店というのは、 閉めちゃったり移転したりが多いみたい。 矢場町Armadilloは本郷に移転し、今池BottomLineBar&Grillはパーティスペースになってしまった。 八事LittleLukeは閉店で、5年ほど出たStrawHatもこのたび閉店。 ちなみに結婚式で演奏すれば離婚も近い。 実に縁起の悪いバンドなのである。 決して問題を起こしているとか、悪事を働いているとかいうことはないんだけどなぁ。 さあ、次のエジキはどこだ?

2002年11月18日(月)
今年は秋が短かった。夏が終わって「もうアロハはちょっと…」とか思っているうちに、 すでにツイードのジャケットで会社に行ったりする。 この秋頃からぼくの中では味噌煮込みがちょっとしたブームである。 新栄 Country Joe の近くに「オヨヨン」という店がある。 何がオヨヨンなのか、どうオヨヨンなのかさっぱりわからないのだが、 このオヨヨンはうどん屋である。 ここの味噌煮込みがたいへんおいしい。 ぼくは名古屋歴35年半だからか赤味噌が好きである。 だから味噌煮込みはもともと好きだが、このオヨヨンの味噌煮込みで再認識したようだ。 オヨヨンに限らず最近はひと月に3〜4度味噌煮込みを食べている。
ブームといえばもう一つ。ブームというよりは単なるお気に入りなのだが、 「ソフレ」という入浴剤をこの秋から愛用している。 ぼくは別に乾燥肌とかではないのだが、冬場になると背中や腰がよくかゆくなる。 かゆみというのはかけばかくほどかゆくなるという理不尽なものだ。 しかし、あまり見た目がいいものではないのでなかなか憂うつなものだった。 この秋試しにこれを購入してみたが、なかなかいいものだ。 ピタリとかゆみがなくなったというほどではないが、 以前にくらべるとはるかに楽になった。 世の中にはいいものがあるものだ。
調子にのってさらに書いてみよう。 長久手町のStraw Hatはいよいよ次の日曜日をもって閉店である。 おとといの土曜日わがBoogieWoogieはワンマンとしては最終のライブだった。 おかげさまでたくさんのお客様に来ていただいて、たいへん楽しい一夜だった。 今回は「である」調で書いてしまっているので、 「ありがとうである」と書くわけにもいかずちょっと今困っているのだが、 要は感謝の意を表したいわけである。 そんなわけでStrawHatラストウィークとなった今週は、緊急ユニット、セッションなど目白押しだ。 毎日のように店はイベントを仕込んで最後の週を盛り上げている。 ところが世の中ドラマーとベーシストというのはあまりいないようで、 いくつかのユニットやセッションに参加することになったぼくは明日から毎日出席することになっている。 楽しみではあるがいい歳こいて身体がもつんだろうか、と密かに心配している。 寝れる日は早く寝よ、と決心をするのであった。
どうも今日は「だからどうした」というネタばかりだなぁ。

2002年11月11日(月)
日記なのに昨日のことを書くのは気がひけるのだが、書いてしまおう。 昨日は久しぶりにスーパー銭湯へ行った。 緑区の桃山の湯である。 夕方5時ごろから行ったので、大変混んでいた。 サウナなどざっと数えたのだが30人以上も入っていた。 素っ裸のおっさんが30人も集合するような場所というのはなかなか異様である。 昨日、サウナのテレビは相撲、九州場所だった。 5時ごろからというのは上位の取り組みが多く、立ち会いに時間がかかる。 サウナというのはガマン、ガマンの場である。 30人のおっさんが「この取り組みの結果を見るまで…」という想いで暑さにたえている。 取り組みも汗だくだが見ている方も汗だくである。 そして一つ取り組みが終わるごとに5〜6人のおっさんが、 まるで花道を帰るように汗だくの体をゆらしながら出て行く。 息が合わず立ち会いの時間が伸びると、アタマから湯気の出るイキオイである。 いったい何なんだこの空間は?と思いつつ、 自分も汗をぼたぼた落とし、「あそこで右を差せれば…」などと考えながらサウナを後にするのである。

2002年11月6日(水)
先週のことなので今更書くのもなんだが、日記を将来読み返したときのために書きとめておく。 アルマジロのがんさんが亡くなった。 会社の友人と昼飯を食っていると、アルマジロの元従業員けいちゃんから電話で、 がんさんが危篤であるとの報が入った。 昼休み後、急ぎの仕事だけを片づけ地下鉄で病院へ行き、がんさんに会った。 「会った」といってももう意識もなく、 ぼくは手を握っているばかりで呼びかける言葉もなくベッドの横に立っていただけだった。 そして翌朝、亡くなったという連絡が入った。 お通夜には大勢の人が集まっていた。あとで聞くと500人もの人が来たそうだ。 お葬式には行かなかったが、さぞたくさんの人が集まったことだろう。 アルマジロにはブギウギ結成の年から出ていた。5〜6年ぐらいも続いただろうか。 今は本郷だが当時は矢場町にあった。がんさんはいつも酔いどれだった。 そしてぼくらのことを「あと10年もやっとったらうまなるわぁ」などと言っていた。 その頃から12年もたったが、どうなのだろうか。


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