01:2004.10.23土 | 本震の日 | 17:56本震M6.8(震度6強@小千谷・長岡は震度5強) 17:56+とき325号脱線 18:12震度6強@小千谷 18:34震度6強@小千谷 19:46震度6弱@十日町 |
02:10.24日 | 一夜明けて | |
03:10.25月 | 模索 | 山古志村全村避難 |
04:10.26火 | 信越本線・復旧 | 車中避難者にエコノミークラス症候群による死者発生 *イラクで邦人拉致 |
05:10.27水 | 大余震 | 10:40余震M6.1(震度6弱@広神村・長岡は震度5強) 妙見土砂崩れ現場で2歳児救出 |
06:10.28木 | ガスキター! | |
07:10.29金 | 明日はナガオカ | 山古志村「天然ダム」発生 |
08:10.30土 | FLY ME TO THE HOME | 新幹線 新潟〜燕三条再開 |
09:10.31日 | 滞在2日目にしてもう今まで体験した地震数を超えた気が | 「震度7だった」判明 *イラクの邦人、遺体で見つかる |
10:11.01月 | ドーン | 魚沼市・南魚沼市誕生 *新札発行 |
11:11.02火 | ジャングルでもないのになぜ迷彩服なのだろう? | 山古志の牛、ヘリ救出開始 *楽天、プロ野球新規参入決定 |
12:11.03水 | NG!的被害状況 | |
13:11.04木 | 新潟-長岡間 新幹線再開!…すぐ不通 | 08:57余震M5.2(震度5強@越路町・長岡は震度4) *ブッシュ再選 |
14:11.05金 | ナガオカ駅グレイト | |
15:11.06土 | 「片付け」ってのはかなり重力に逆らう行為だったんですね | 天皇皇后両陛下被災地へ |
16:11.07日 | 復路 | |
17:11.08月 | いつまで経っても「一ヶ月」 | |
18:11.09火 | 遅ればせながら | |
19:11.10水 | とき325号救出再開 | |
20:11.11木 | じょうめん | |
21:11.12金 | 東京は遠いですかと聞かれたら | |
22:11.13土 | どっちだ! | |
23:11.14日 | 遠距離被災 | *紀宮婚約、中越地震に配慮して発表延期 |
24:11.15月 | 耐雪と耐震 | |
25:11.16火 | 「じょうめん」続報と壁固定の副作用 | |
26:11.17水 | 最後の乗客 | |
27:11.18木 | 無事の便り | *奈良で小1女児誘拐・殺害 |
28:11.19金 | 新幹線12.28!? | |
29:11.20土 | 大災害は知らない人のところに起こるものだと思ってた | |
30:11.21日 | 避難所のいま | |
31:11.22月 | 箸を持ったままでした | |
32:11.23火 | 関越トンネルを過ぎると | |
33:11.24水 | 「お代は新潟へ払ってくれ!」 | 南長岡操車場仮設住宅入居開始 |
34:11.25木 | やらんば! | |
35:11.26金 | インクレディブル消防団員 | |
36:11.27土 | 午後の上生 | *ジェンキンス氏釈放 |
37:11.28日 | 震災後初 | |
38:11.29月 | 釧路沖震度5強 | |
39:11.30火 | あったてんがの | |
40:12.01水 | another year over, and a new one just begun | |
41:12.02木 | 年の瀬に必要な細長いもの2題 | |
42:12.03金 | ありがとう多摩の人 | |
43:12.04土 | 検索で来られた方、役に立たないページですみません | |
44:12.05日 | ゆく人 くる人 | |
45:12.06月 | さまよえるモヤシっ子 | |
46:12.07火 | ↑とボヤいていたら | |
47:12.08水 | 取り越し苦労ファイアウォール | 長岡最後の避難所(栖吉・六日市・山本)閉じる *横田めぐみさんの遺骨「別人」鑑定 |
48:12.09木 | 買いすぎですよ多摩の人 | *島田紳介傷害罪で略式起訴 |
49:12.10金 | 涙の指定券 | |
50:12.11土 | ときを待ちながら | |
51:12.12日 | 笑って話せるように | |
52:12.13月 | 再会系サイト | *ドンキホーテ放火 |
53:12.14火 | 「被災」は対人・「罹災」は対家屋だそーです | |
54:12.15水 | サプライズ善意 | |
55:12.16木 | ゴージャス健診よりも地震のときの休暇を特休にしてくれたほうが正直うれしいです人事さん | |
56:12.17金 | 幸い住むと人の言う | 初雪 |
57:12.18土 | 栖吉の土手から | |
58:12.19日 | どんな記念日なんかより | |
59:12.20月 | あやしいけれど懐かしい | |
60:12.21火 | 常在戦場! | 自衛隊撤収 |
61:12.22水 | トリガーのトリビア | |
62:12.23木 | 二ヶ月経過 | |
63:12.24金 | Red-Nosed TRAINdeer | |
64:12.25土 | 字のマチガイ率だけは上昇するのみで下がりません | スマトラ沖M8地震、その後M8.9に訂正 |
65:12.26日 | Forward-Look Express | スマトラ沖地震M9.0に再訂正 周辺10か国に津波、死者2万人以上 |
66:12.27月 | 赤い河の谷間 | 上越線・飯山線 全区間復旧 |
67:12.28火 | そのとき | 上越新幹線 全区間復旧 スマトラ沖地震犠牲者2万9000人確認 最終的には5万5000人の予測 |
68:12.29水 | シャワーマッサー+1 | スマトラ沖地震犠牲者7万7000人確認 |
69:12.30木 | 転がる石のように | 積雪1m超、被災家屋の倒壊発生 「雪降ろし隊」山古志村へ *奈良女児誘拐殺人犯 逮捕 |
70:12.31金 | 蛍の光 | スマトラ沖地震犠牲者12万4000人を超える |
71:2005 01.01土 |
除夜のストローク | |
72:01.02日 | Departure | *旧1万円札の偽札出回る |
* 01.17月 | 阪神淡路大震災から10年 | |
73:01.18火 | 特異日 | |
74:01.23日 | オラ、ささだんごちゃん! | 震災発生三ヶ月 |
* 01.27木 | 小千谷の旅館が積雪倒壊2名死亡 | |
75:01.30日 | 話は越後の | |
* 02.01火 | ほくほく線「はくたか」豪雪のため脱線 | |
* 02.05土 | 豪雪対処のため自衛隊災害派遣要請 | |
76:02.06日 | 豪雪Edition | |
77:02.20日 | 祭の季節 | |
78:03.20日 | 福岡西方沖地震 | |
* 03.25金 | 保全中の脱線車両とき325号、廃車(05.28土補遺) | |
* 04.01金 | 中之島町、越路町、三島町、山古志村、小国町が長岡市に合併 | |
* 04.25月 | *JR西・尼崎駅手前で福知山線列車が脱線、マンションに衝突 | |
* 05.04金 | 旧山古志村「牛の角突き」東山ファミリーランド仮設闘牛場で開催 | |
79:05.01日 | 天空の城・丸専 | |
80:05.21土 | 情熱大陸 | |
81:05.28土 | ありがとう | |
82:06.05日 | 群発 | |
83:06.20月 | 新たな震度5 | 柏崎〜旧小国で震度5 |
84:07.23土 | 東京キター! | 足立区で震度5強 |
85:08.02火 | フェニックス | 長岡まつり |
86:08.16火 | 宮城沖M7.2 | 最大震度6弱 |
87:08.21日 | ふたたび新たな震度5 | 旧小国で震度5強 |
88:10.08土 | パキスタン大地震 | パキスタン〜インド国境部でM7.6 |
89:10.16日 | めぐる季節 | |
90:11.06日 | 10.23復興イベント・レポート | |
91:2006.10.23月 | 二度目の10.23 |
01:2007.07.16月 | 平成19年中越沖地震 | 10:13本震M6.8(震度6強、震源;柏崎沖)
柏崎刈羽原発で火災 23:31京都府沖M6.6(最大震度は北海道で観測。異常震域) |
02:2007.07.17火 | 三年経たないうちに | 原発から放射性物質の海中への微量漏出発表 |
03:2007.07.18水 | 専門家 | 柏崎市長、東電に原発稼動停止命令 行方不明男性遺体で見つかる |
04:2007.07.19木 | ささやかながら新潟製品応援中 | 放射性物質の大気中への微量放出発表 |
05:2007.07.20金 | 情報交換 兼 点呼? | 「リケン」の被災により主要自動車メーカー工場操業停止 |
ex. 2011.03.11 東日本大震災 |
10.23土・本震の日
23:47up
(10.28 22:00補遺) 実家に電話するも携帯も固定も繋がらず。なぜか都内同士の携帯も繋がらず。アナウンサーは「新潟県中越地方で大きな地震がありました」としか言わない。「現地被害が壊滅的すぎて情報が入らない阪神大震災パターンでは」と言い出す人あり。主宰、BSNのサイトで新幹線の脱線を知り(ネットでは主宰の知る限りここが一番情報が早かった)、愕然。あわてて帰宅。 家に帰ると母から「大丈夫だから〜××ちゃんも大丈夫だから〜」と全く大丈夫じゃない口調の留守電が入っていた。なんで魚沼方面に住んでいる従妹の××ちゃんが出てくるのかもサッパリわからず。 ようやくテレビやネットに情報が入りはじめ、震度6強が3回あったことを知る。 20:00頃、やっと実家に繋がる。「めっちゃくちゃらて」と母親談。状況を聞いていると「うわー」と叫んで電話が切れる。あとで聞くと余震だった。また電話が通じなくなる。 長岡出身・長岡外在住の友人から電話。長岡の家に電話が通じないとのこと。うちは一度通じたことと、長岡の市街地では家屋が倒壊するほどではないらしいことを伝える。 22:00頃、家から電話。これから避難所に行くこと、ちょうど長岡に遊びに来ていた××ちゃんが大手通で被災して主宰宅に身を寄せていたことを知る。 副主宰宅に電話。無事を確認。 最初の「大きな地震が」という漠然としたものからどんどん具体的な被害が見えていく。ほんとに阪神大震災パターン。しかも未だ大きく揺れているらしい。従妹の××ちゃんは帰宅をこころみたものの道路寸断でUターン。今日もまた主宰親とともに近所の避難所泊ということに。携帯のバッテリも切れ、乾電池使用の充電器を探しに行くが、スーパーが店舗の前でカイロや水や簡単な食料を売っている以外、開いている店もなかったとのこと。
14:30up
22:20up
(11.20補遺)
00:25up
13:30up
13:20up
20:10up
11:00up
13:30up
21:00up
22:50up
19:10up
23:20up @往路(11.08補遺) 早起きして仕度。新潟〜長岡間に不安があるので、途中で汽車(あ…)が止まって避難所泊とかになった場合に備えて防寒装備。幸い東京も寒い朝で違和感ナシ。携行品は、
食品:フリーズドライ野菜・フリーズドライスープ・レトルトおでん・バナナバウム(<自分がスキなので…) 実はひとりで国内線に乗るのは初めてなので、ものすごく前もって家を出る。土曜なので朝ラッシュがないのがありがたい。中央線に乗ったとたんに雨が降り出したのもありがたい。キャリーバッグを引きずって歩くのに雨はとっても困るから。海外旅行ばりに出発時間の3時間も前に羽田入り。
ネット予約者は、自動チェックイン機にクレジットカードを通すだけで発券されるはず。通したら画面に私の名前と予約内容が。でも「確認」キーを押したら一転あやしい画面に。 そんなこんなでありすぎた時間はどんどんなくなり、こりゃいかんわと荷物を預け、自分も搭乗手続きへ。PCをバッグから、携帯と鍵をポケットから出してトレイに入れ、金属チェック無事通過。通過したところのテーブルには前の人のトレイがあったんだけど、上にはアメの包み紙(アルミ)が数十枚。なめ過ぎ&捨てなすぎ。 臨時便である新潟行きのゲートはえらく奥。道中、お土産屋はたくさんあるけどコンビニ的なものがない。実はこのとき主宰は顔面の痛みに苦しんでいて、ワセリンか何かを買える店を探していた。アホな話ですが、当分ゆっくり顔も洗えないかもと思って朝ゴシゴシ洗いすぎ…。 結局コンビニは見つからないまま搭乗時間。バスに乗せられて滑走路へ。これまたえらく遠くの滑走路。飛行機はちっちゃいのなんだろうなと思っていたけどちゃんと大きい機体だった。これが1日8往復の全便ほぼ満席とは。防寒具に身を固めて悲壮な顔つきをした震災組が圧倒的だけど、主宰の隣の席のスーツの男性2人組は普通に新潟市に出張らしく、おいしいお店の話とかしていた。被災地以外の世界は普通に動いてる。
雨の中、定刻どおりに離陸。15分くらいしてベルト着用サインが消える。と思ったら、 初めて降りる新潟空港は小ぢんまりした空港で、荷物を受け取りちょっと歩くともう外。新潟駅行きのバスは恐ろしい行列。1台乗れずにボーゼンとしているとタクシー相乗りの声がかかる。タクシーで新潟駅まで40分(渋滞タイム。普段は30分とのこと)、3000円くらい。 新潟駅には改札前に誘導の駅員さんが。信越線ホームと発時間を教えてもらい、切符購入。長岡まで1110円。新幹線のSきっぷの片道より高い気が。こんなときじゃなければ旅情ただようボックスシートの列車に乗って、1時間半の移動。防寒ルックにキャリーカートという人たちが2割、学生さんや買い物帰りといった日常生活中の人たちが6割、残り2割は空席というところ。新潟市から被災地への唯一の鉄道路線だから、ごったがえしているのかと思ったら。 車窓から見る風景は、まったく異状がない。下越はほとんど無傷。でも、三条のあたりから気になる光景が。田んぼや道のわきに積まれた土嚢。これはもしかしたら7.13水害の。素焼きの土管みたいなものが並んでいる田んぼもある。高井さんも書いておられたけど、人が一生に一度体験するかしないかの大災害が、半年を置かず同じ地区を襲うとは。見附を過ぎたあたりから風景はどんどん痛々しいものに。ブルーシートを被った屋根がところどころに現れ、倒れた塀やお墓が見える。 そして長岡。改札は半分何か修理しており、天井もところによって剥がれていた。新幹線乗り場のほうは照明を落としてあって暗い。セゾン…cocoloはシャッター。でも、1Fに降りると食品フロアは果敢にも営業していた。駅前にはバックパックと寝袋背負ったボランティアの若者がちらほら。親とヨーカドーで待ち合わせしているので地下道へ…と思ったけど工事フェンスを見てびびり、ぐるりと迂回して対岸へ。フと気になって寿屋を見ると、瓦がかなり落ちていた。戸は閉まっていて(いつも通り)静か。ヨーカドーは普通に営業していた。待ち合わせ場所で親の無事な姿を確認。尽きない地震すごかったトークを聞きながら家へ。 @家(11.12補遺) ヨーカドーで時計を見たら15:30。12:00羽田発の飛行機だったので、乗り物時間は3時間半。費用は飛行機\15,000+新潟空港からタクシー\1,000(相乗り)+信越本線\1,110で、計\17,110。ほぼ新幹線往復分。 駅から家までの間には、大谷石の塀がゴロゴロ落ちているところや屋根にブルーシートを被っているお宅あり。家の近くの道路はフチが陥没してアスファルトが浮いている。 主宰宅は揺れで散らばったものや割れたものをとりあえず隅にかためてある状態。お風呂はタイルが激しく落ちているけれど、水漏れ等はなく使えているとのこと。いつ死体になっても恥ずかしくないように避難所生活中も昼間は家に戻って手足洗ったり下着替えたりしていたという母の言葉がリアル怖。
落ちたと聞いた照明は完落ちではなく半落ちで、応急処置はしてあった。なぜか吊りケーブルがめちゃめちゃ長くなっていて、本体位置が私の頭の少し上程度に。ペンダントタイプじゃない代替器具発注中とのこと。玄関先と居間の窓には帽子と手袋と靴が置いてあって常時避難体制。私の部屋のある2階に上がってみると、廊下や部屋のいちめんに新聞が敷いてあった。一部は飛び散ったガラス対策、あとはネコ仮設トイレとのこと。本震後しばらく我が家のネコは2階に引きこもっていたそうで、「ミーちゃん、ミーちゃん」と下から呼ぶと(当時は怖くて2階に上がれなかったとのこと)、 東京では本震の日だけだったNHKの枠つき放送が、こちらではまだ続いている。避難勧告・ライフライン情報から開放しているお風呂や炊き出しのお知らせまで幅広い。炊き出しは「豚汁」とか「鮭汁」とかメニューまで出るのは驚き。新聞を見ると「うちの空いている部屋に住んで下さい」なんていう首都圏・近隣県の一般の方々からのお申し出が住所つきで載っていたりしてこれまた驚き。 母が風邪をひいて苦しそうなので、今日はバタバタせずに寝る体制。と言っても服のまま床にゴロゴロするだけなんですが。電気とテレビはつけっぱなし。
10.31日・滞在2日目にしてもう今まで体験した地震数を超えた気が(11.13補遺) 長岡市防災ページで月曜日からゴミ収集開始を知り、シャカリキに片付け。何度も余震があり、その都度母につられて帽子と上着を着用し玄関ダッシュ。今まで経験した「ユサユサ」という地震と違っていきなり「ガツッ!」と衝撃波が走るので、大地震に展開するのかそのままおさまるのかわからず、とりあえず逃げてみるしかない。心臓に悪い生活。今朝白のユニクロ前の道路の並木が一本もなく、真新しい切り株だけが並んでいるんだけど、もしかしたら余震での倒壊を警戒して切り倒してしまったのだろうか。午後からは身内の見舞いに川西へ。ネットで知ってたけど、鳥居のない平潟神社を見るのはショック大。河川敷には報道機関のものらしきヘリが一台。駐禁とかないんでしょーか。
15:45up
19:45up 毎朝大量にゴミ出し。燃える/燃えないに分けて出せとのことなんだけど、ガラスの破片がキラキラしている毛布ってのは燃えるゴミなのか燃えないゴミなのか。日中は壊れた家電とかガス器具とかの修理屋さんが入れ代わり立ち代わり。一週間くらい来てもらえないのかなと思っていたら即効来ていただけるのでありがたい。ボランティアセンターの人も戸別訪問中で、ボランティア発注用のFAX用紙を置いて行った。長岡市街地は比較的被害が少ないとはいえ、屋根にブルーシートを掛けた家だらけだし、平潟神社には鳥居がない。道路には「災害派遣」表示の自衛隊の大型車がしじゅう走っていて、ヘリも飛びまくり。主宰宅は山古志村の人たちの避難所に比較的近いので、自衛隊の巨大ヘリがびびるほど低空で飛んでいるのをけっこう見る。めちゃめちゃでかい機体で、飛んでいるだけでもワーグナーが聞こえてきそうな爆音と振動。
19:37up
20:40up
【寿屋】ただでさえやばいところに、今回の地震でさらにやばくなり、その影響で駅前の酒屋さんなどは、未だに夜は避難所にとまっている。とくに裏にある土蔵?の壁が崩れかかっています。 寿屋さんは小屋根の上に大屋根のものらしき瓦がバラバラ乗っていたのを主宰も目撃。建物自体は「ちゃんと立ってる!」と感激したんですが、そうですか、裏が…。厚生会館は、主宰のコドモの頃ちょうどこの文化の日に菊花展や市展、そして、錦鯉展でにぎわっていた思い出が。そのころでさえ新しくはなかったですから、避難所としては確かに危険でしょう。酒小屋はさすがと言うしか。戸は直ってるし(笑)。旧ナガオカの底力!
10:48up NG!的被害状況2(special thanks KATSUMIさん)。
11/3に高専の状況が記載されていましたが、写真をゲットしました。
16:50up
10:00up
気象庁HPよりも詳細な地震速報ページを教えていただきました。special thanks 先尾翼さん。
20:30up
駅のあちこちにこんな張り紙。大誤報だよ、もー 買い物帰りに自衛隊が例の炊飯車(正式名称知りません〜)で炊き出しをしている場所を通ったところ、隊員たちがゾロゾロとどこかへ向かって歩いていた。向かった方向を見ると、炊き出しスポットから道路1本隔てた空き地にテントが4ハリほど。彼らはあそこで生活しているのだろうか。どこか近隣の旅館からでも通っているのかなあと思ってたけど、テントで暮らしてゴハンは戦闘糧食なのかも?
11.06土・「片付け」ってのはかなり重力に逆らう行為だったんですね
21:10up
22:56up
09:10up @復路(11.13補遺) 長岡-(新幹線)-新潟-(空路)-羽田というルート。行きよりも新幹線ぶん復旧した。長岡-(代行バス)-越後湯沢-(新幹線)-東京というルートもあるけど、バス2時間半の関越道がボコボコだそうなので、乗り物酔いする主宰はびびって敬遠。16:35新潟発の飛行機だから、普通なら新潟空港に16:00に着けば間に合うんだけど、念のため昼前に家を出る。駅に行ったらcocoloから改札に上がる階段で「ヤッパ東京ラテ」を目撃してしまいプチ脱力。 新幹線改札付近には行列が。何だろうと思ったら、振替バスで湯沢まで行く人たちだった。いったんここで改札してバスまでみんなで移動するらしい。新潟行きは、3分後に一本、30分後に一本。3分後のは「とき」、30分後のは「MAXとき」。脱線した新幹線が転覆しなかったのは旧型の重い車両だったおかげ…という解説をTVで見たので、3分後の「とき」に乗るべく猛ダッシュ。フェンスで閉められている東京行きホームのエスカレータを横目で見ながら新潟行きホームへ。すぐに入線した「とき」に乗り込むと客の入りは3割くらい。 来たときとは逆に、どんどん無傷になっていく風景をながめながら新潟へ。1時間半かかった往路の3分の1以下で到着。空港行きバスは駅前バス乗り場から30分ごとに出ており、料金は\350。今度は乗りきれないほど満員ということもなく(でも満員)、普通の路線バスのノリで空港へ。行きに難航したチケットレス手続きも問題なく終了、時間が余りすぎて困った。羽田行きは終日満席なので、早めることもできないし。「ウラジオストック航空××便のお客さま…」とかのマニアックなアナウンスを聞きながら、新幹線のありがたさを噛み締める待ち時間。 ようやく搭乗時間になってゲートへ。飛行機は行きよりもひとまわり小さく、モニタも着いてない。スチュワーデスさんの救命胴衣の説明を初めてライブで見ました。目が合っちゃうので、じっくり見るのが恥ずかしいですね。
23:00up
21:00up
22:55up
うちのK貴の顔を、見ながら、ばばが はてさて主宰もハツミミ。ドコで区切っていいのかもわからない。「上面飾ってる」かなあ。赤ちゃんのオスマシ顔ってコトでしょーか? えーと、ここで「赤ちゃん?」と思った方も多いのでは。実は副主宰、先月出産しております。出てきたのはK貴くん男子0歳(<あたりまえ)。切迫流産で入院したりしていたため、元気になったら発表をと思っていたらこの地震。「外の世界はいつも揺れてるトコなんだな」とカン違いしてなきゃいいけど、K貴くん。本震のときは直前までずっと大泣きしていて、地震が始まってからは爆睡していたそーです。マグニチュード6.8のゆりかご。
21:50up 副主宰採取の怪語「じょうめんかざってる」の解答到着(special thanks じゅんじゅんさん)。
えー 「 じょうめんかいてる 」 とも言います 泣かないもん!って我慢してたけど、もー限界…ってときの表情ですね。うああ、いじらしい。投稿者さんは長岡市内にお住まいで、被災状況は。。。
近くの町も また裏のお宅や周囲のマンションが全部停電する中で 何故か我が家の通りだけが停電せずに済み 水も問題なく翌朝から普通に食事の用意も出来ましたが 日を追うごとにそれがかなり稀な環境だと知りました
でもこんな幸運な環境かもしれませんが でも思い出したくないほどのショックが今もあります ・・・じょうめんかいちゃうじゃないですか、もー。主宰は長岡を離れて5日経つのにいまだ道路とか建物のヒビ割れについつい目が行くし、電車も極力各停に乗ったりしています(遅刻ばっかですみません>職場)。震災前に比べて、なんというか、世界への信頼度が下がってしまった。本震も10/27の大余震も体験していないのにこうだから、ずっと現地にいるかたがたの不安感は計り知れないものがあるのではないかと。速攻で風邪ひいた私が言うのもなんですが、どうぞお身体に気をつけて。大地も街も(・○・)も平穏を取り戻す日が早く来てほしいなあ、ホント。 (・○・)たん、大人気(special thanks J.Rさん)。
ときのフラッシュを紹介されていましたが、こちらはどうでしょう?
童話 じょうえつしんかんせん とき(・○・)
童話 とき(・○・)
上越新幹線とき掲示板 各方面で(・○・)を称えてくださっている方々は新潟人なのか新潟外人なのかわかりませんが、新潟人にとっての新幹線の重さを痛感している今日このごろでございます。東京で暮らしながら故郷にも苦もなく行き来できるって、実はかなり贅沢なことだったのかも。次の帰省はナニで行ったらいいんだろ。振替バスは道路がかなりボコっているという話で不安。乗り物酔いするんで。。。ほんとモヤシっ子体質で情けないかぎり。 上のほう、補完終了。けっこうもう記憶がアヤフヤですみません。今朝もTVに余震の速報テロップ。そういえば、新潟での地震の速報って、ほとんどのTV局はまず「関東甲信越地方で地震」と表示されるんだけど、テレ朝だけは「北陸地方で地震」と出る。これはNT21でもそうだった。テレ朝系は「新潟=北陸」説支持ですか? 震災後3度目の日曜。今週末帰省組のみなさんは無事にお着きでしょうか。先日いただいたメールをご紹介(special thanks あかへびさん)。
私も仕事のめどが付いたので、来週実家に帰ろうと思います。 震災以来TVで地元の人インタビューが出まくったり帰省したりしていたので、主宰もすっかり耳と口がナガオカがえりしております。職場でもついつい「どーいが」とか言いそうに。それから、こんなメールもいただいておりまして…(special thanks Yさん)。
小生も長岡に両親を残したまま、東京で生活しております。 長岡の市街地の復旧ぶりはすごいですよー。でも、すべての土地でなにもかも元通りになるには長い時間がかかると思うので、心配エネルギーはちょっと小出しにしていかないともたないような気が。一番タイヘンなのは現地のみなさんですが、離れた場所でTV見ながらヤキモキしている遠距離被災状態も妙に体力消耗するものですし…。主宰は凹んできたら新潟製品を買うようにしています。ヨーグルトは「ヤスダ」、納豆は「大力」。 ちなみに現在の移動手段を大雑把にまとめるとこんな感じのよーです。
【最速】羽田-(空路)-新潟-(新幹線)-長岡 2h30・\18,000くらい 今朝もまた震度3。土砂降りで寒いという天気も心配。昨日に続いて遠距離被災状態のかたからメールいただきましたです(special thanks しゅりんくさん)。
ナガオカを離れて暮らすナガオカ人のみなさんの多くが、自分と同じ思いをしていることを知り、とても元気づけられました。
でも東京に戻ると、私の職場でも、先輩や仲間たちが、義援金を募ってくれました。
そーいや。 ……主宰も震災以来、泣きアプリがデスクトップに常駐というカンジで、2chのトップページにまで泣かされてしまったとプチ激白。今週は市役所派遣の家屋調査スタッフが市内を回っているようですが、ほとんどが他県からのボランティアだとか。全戸検査するそうで、それをデータ入力する人々もまたボランティアさんとのこと、ありがたいかぎりでございます。また、上の投稿者さんのご実家は、
私が帰省のたびシコシコとL字金具を取り付けておいた家具だけが無事でした。 とのことです。主宰宅も壁固定の家具は難を逃れていました。それでも床には家具たちがツイストした跡が。そうそう、上に書いた家屋調査、被害の少ない市街地部分は外観チェックのみのようです。赤・黄・青の判定用紙も貼られません。主宰の友人宅は壁とかかなりヒビ入ってるため、「どーしても」と立ち入り調査してもらったそうなのですが、「しっかりした造りですねえ」と逆に感心されて終わりだったとか。静岡在住で現在マイホーム準備中の友人からも、
今日も建築士さんと会ったのですが というメールが。(・○・)が横転を免れたのも雪落としのスカートや溝のおかげという説もあるし、豪雪仕様は耐震仕様との互換性が高いのかも。 「じょうめん」続報。special thanks じゅんじゅんさん…って、前回と同じ投稿者さんじゃないですか。もしかして「じょうめん」ユーザーはナガオカに副主宰母とこの人しか!?と思ったら。
親しい同級生数人に更新の件を知らせました
あ、これはもしかして語源は「渋面」? なんとなく日本語ジュラシック・パーク系の気配濃厚。
連日テレビクルーが押し寄せる不思議な環境の中で授業をしています
L字金具の話題が出たので語らせてください。
とにかく金具を買い求め、やっとこすっとこ起こしたタンスに取り付けました。さあ、これで一安心なのですが、とにかくしばらくは一番出口に近い部屋で家族全員寝ることにし、その部屋はしばらく無人でした。
主宰がナガオカから持ってきた風邪ウィルスが職場で繁殖しつつあり、申し訳ない今日このごろ。TVでは東京直下型地震の被害予想が発表されたなんていうニュースをやっている。首都圏は近所づきあいが全くない人々が密集して暮らしているから、本震後にどういう避難生活に突入するのか想像すらできない。
これは歩道をバリアフリーにするために切ったと聞いています。 そーでしたか。あの切り口の真新しさから考えると、本来ならあの週明けには切り株を撤去して歩道をならし…なんて作業が予定されていたのかも。それが、「災害派遣」の横断幕はためく自衛隊車が走りまくる道路になろうとは。投稿者さんもさぞビックリされていることでしょう…と思ったら。
ってか私がこの話を聞いたのは地震の約2時間前(^^; こ、これはビックリどころじゃないっすね。16:48発ならば、地震発生時に高崎くらいでしょうか。ちなみにこの投稿者さんの購入されたお土産はたぶん… そんな事を考えながら、肉の塊と思ったら舞茸の塊だった五十六カレー(落ち着いたら56種の内容送ります…ってもう情報入手済みかな?)を食べながら、長岡情報を拝見してますね。 56種類のξ…この変換はイイって…具材のひとつを今はじめて知りました。舞茸ですか〜。あと55種の続報もお待ちしておりますわ〜。
街で出会った知り合いに「大丈夫らったかね」と言うと、「大丈夫ずらねえこて!」となぜか逆ギレされることが多いと主宰母談。震災当初はスーパーで抱き合って泣いている姿も見られたとのこと、それに比べたら本来のオバさんらしさを取り戻しつつあるのではないかと。…にしても、何なんだ「ずら」って。
ようやくつながった電話で老母の安否を確認できました。
こってりたっぷりそして闊達のナガオカ弁は、なににも優る無事の便りでした。
この「まーで」or「まんで」。はて"げっぽをねらえ"にエントリあったかと、このたびお諮りの投稿。 最強東北弁「まんず」の係累がナガオカにもありましたか〜。このたびの現地インタビュー中に「おっかない」が多用されておりましたが、一応標準語ではあるものの、ほとんどのユーザーは東北方面だったりしますしねえ。あ、そういえば、上のほうに書い地震速報の地方名問題、この前の余震ではどの局も「新潟県で地震がありました」になってました。県外で揺れが観測されたところがなかったせいかも知れないけど。
新幹線復旧見通しキター! 予定日12.28。主宰が最初にこのニュースを見たのは携帯のニュースサイト@帰宅電車の中。喜ぶ勢い余って「11/28」と誤読してしまい、TVのニュースで真実を知って大ヘコミなのでした。いかに自分が新幹線復旧を熱望しているかをあらためて痛感したりして。12/28もあくまで見込みなので、年末帰省は別のルートも考えておかなきゃイカンかも。飛行機の臨時便はいまのところ12/21までですが、今日のJRの発表を受けて年末年始も運航する確率高そうな。でも、冬の
11.20土・大災害は知らない人のところに起こるものだと思ってた 長くなってきたので10月分を別ページに。こんなに長期に渡る大災害になるとは正直思っていませんでした。23日の夜は、明日にはみんな家に帰れて「ごーぎらったねえ」とか言いながら壊れ物を片付け…なんてことを考えていたような気がするなあ。。。 11月分も別ページにまとめました。最近は毎晩11時以降に揺れがある模様。相変わらず「ガツッ」という衝撃タイプであるものの、一撃でおさまるとか。内閣府11.19の発表では本震以来791回も揺られてるとのこと。主宰が長岡にいたときは666回という数字に「おお!」と思った記憶があるので、最初の2週で666回、次の2週で125回という計算。イイ減りっぷりではないかと。でも、今なお避難所生活中の読者さんもあり…(special thanks "さかまきでございます"さん)。
私の家は、市内の避難勧告地域にあります。
しかし、避難所暮らしというのは、やっぱり大変なんですね。
最近は、三食が自衛隊の炊き出しです。
ですが・・・
夜になると、ほかの避難者のいびきの大合唱です。
ところで、新潟では、ラジオが震災情報を伝える上で大活躍しています。
本震当夜のご報告一件到着(special thanks TAKAさん)。
やっとパソコンが使える状態になったので、敢えてこれまでの状況ご報告致します。
本震(10.23)時は、ちょうど夕食を終えたところでした。もちろん、すぐにライフラインはストップ。すぐ飛び出したものの、気がついた時は「箸」を持ったままでした。(笑)
そのころ、妻と子供が実家に行っていたので、心配で電話したらやはりつながりませんでした。
町の避難勧告は、すぐに発令されたんですが、避難所の確保なのか人員調整のためなのか、3日間は避難所に入れませんでした。が、ここは田舎。となり近所が親戚のような所なので、3時間後には近くの診療所の駐車場に200人が避難できるスペースを確保、暖房やTV・照明・携帯の充電なども確保されていました。すでに炊き出しも始まっていて、不自由さは感じませんでした。(避難所の方がかえって窮屈)
ところで、後になって分かったことですが、家の中の家具は全て西向きに置いてあったものが倒れ、東に向いていた食器棚は茶碗ひとつ割れていませんでした。お隣のおうちもそうだったそうです。パソコンも西向きにより落下して。。。
ちなみに、家のほうは外壁の漆喰にヒビが入った程度で、緑色の紙が貼ってあります。というより、こちらの集落約400世帯は全て「家屋被害なし」でした。周りの集落はかなりの被害があったようなんですが。。。
発生から一ヶ月経過でございます。まずは告知を1件(special thanks 田村@元長岡市民さん)。
長岡出身で、現在東京・横浜で活動している「ひなた」というインディーズバンドがい
ます。(テレ朝で月曜深夜にやってるストリートファイターズの月間人気ランキング、
現在6位のグループです)
□日付:11月30日(火)
関越自動車道で長岡入りしました。
関越トンネルを過ぎると今までのカラリと晴れた天気から一転、鉛色の雲が垂れ込めたいつもの新潟冬の天気。しだいに震源地に近づくにつれ、路面の隆起が激しくなり、制限速度50kmはダテじゃなかった。高速道路とはとても言えない「とりあえず通れる」と言った状態。とてもじゃないが50km以上出せません。ときおり激しく車がふっとびます。首都高速の10倍はひどい路面。傾く看板と波打ち歯抜けの遮音壁。そして小千谷、川口に差し掛かったとき、目を疑う光景が広がりました。TVで見てある程度は心構えをしたつもりでしたが、木造のほとんどの家屋が倒壊しており、上空には無数のヘリコプターと地上には自衛隊車輌。まるで映画の中の戦場のようで身が引き締まる思いでした。
そして長岡インター。見た目はそんなに変わった様子はないようでしたが・・。
家は壁にヒビが入った程度で済んでいましたが、家財道具はぐちゃぐちゃ。TVなんか飛んできた、と親が話していたので地震のすさまじさをみせつけられました。地震直後にライフラインが全てストップし、情報が全く入ってこないため、柏崎の原発に○朝○のミサイルが打ち込まれたとか今だから笑える情報が錯綜したそうです。
空き巣や詐欺も近所で被害にあった人がいるそうで、人が困ったときにそんな行為をする人間はろくな死に方をしねぇぞ、と激しい憤りを感じました。それと建設業者空前の高需要。話によると金を積んだ人優先、昔いじめられた発注者はいじめ返すといった状態らしく、まさに地獄の沙汰も金次第か、と少しむなしくなりました。
片付けも少し済んで落ち着いてから昔良く利用してたお店に行って、おばちゃんに「はい、よんひゃくごーじゅーえんね。」と言われた時はああ、長岡に帰ってきたなぁ、って感じでした。
おそるおそる長岡駅に行ったら、な、なんですか、あの宮崎アニメのようなロゴが貼り付けてあってびっくりというかえらい脱力感。なんとも駅全体のイメージが肩透かしのしまらないイメージになっちゃってました。昔駅ビルが出来て初めて見た時、SAISONのロゴが白くシャープに光って、シャッターの音楽家のイラストを見たときはなんともいえないおしゃれなイメージだったのに。コロコロだかココロだかならシャッターのイラストもトトロなんかにすりゃ良いのに。
それから久々に帰ってきたので旧友に食事でもしようと声を掛けたのですが、数人から「とてもそんな気分になれない」と言われ、街は急速に復興してますが、人々の心の傷は深いと改めて思い知らされ反省しました。
そしてNGを見てからどうしてもフレンドに行きたくなって、喜多町フレンドへ。車を降りた瞬間、ギョーザとイタリアンの混ざった独特のフレンドのにおいが!!ああ、なつかしい・・。覚張書店の2階なんかこのにおいが充満してて、学生の頃に飢えに悩まされた記憶が・・。看板、店内の雰囲気は見事にそのまま。店員の制服、三角帽子も変わってない!!
しかしレジで日焼けたメニューをみたら、カレーイタリアンだのハンバーグ付きだのバリエーションが増えていて一瞬困惑しましたが、迷わずギョーザとイタリアンを注文。ソフトが食べたかったんですが、レジのヤンキーねーちゃんに30半ば過ぎの男一人がソフトとも言えず断念。
カウンター内にはなんと丸専地下などで使われていたプラスチックの食券が字が全て消えているのにまだ存在していた!!!何色が何のメニューだったか覚えている人います?!黄色、紫、赤とか!店内は子供の歓声が響き、昔と少しも変わっていませんでした。残念ながら足踏み式の冷水機は見あたりませんでしたが、フレンドの開店当時からかたくなに進化を拒み(?)、時が止まっているような雰囲気はなんとも昔にタイムスリップさせてくれます。小さい頃、ソフトを食べながら買ってもらったおもちゃの梱包を解きたい衝動に駆られた思い出などがあざやかに思い出されます。
親におみやげぎょうさ。俺の親はフレンドのギョーザが大好物で昔良く食わされたおかげで俺がギョーザ嫌いになったほど。親にフレンドのお土産を渡したら「あーっきゃ、やー、なぁーつかしいねっかぁ。昔良く食べたねっかぁ」とえらく感動してくれました。昔の赤飯が入っているようなスチロール容器に餃子は蓋に楊枝で穴が開けられていたころのに比べて容器は少し小洒落てましたが、私イタリアンを食し、少しこげた臭いとミートソースのあの味・・・。もう涙ちょちょ切れでしたね。これこそ長岡が誇れるファーストフード!と確信しました。
昔の会社の後輩にもフレンドのことを聞いたら、共通しているのが「昔良く食べたが今は食べていない」というのが大半の意見。つまり長岡人にとってフレンドとは大人になる前に必ず通る道で、フレンドを卒業すると大人になるみたいな、マックのハッピーセットおもちゃ付きみたいな感じで長岡に深く根付いている食べ物なんだなぁ、と改めて思いましたよ。
長くなりましたが、被災された方の一日も早い復興をお祈りいたします。
泣き死ぬかと思った(・○・)フラッシュの次にご紹介いただいたのは…(special thanks J.Rさん)。
11/14の「すっかり耳と口がナガオカがえり」に同感ですw
信越線 柏崎〜長岡間11/29復旧キター! これで上越新幹線たにがわ+ほくほく線ルートがイイ感じに。 そして本日のおたよりは激震地・小千谷より(special thanks TETSUさん)。
24日まで実家のある小千谷に帰ってました。帰りは空港行きバスが遅れまくり、出発10分前に空港について、カウンターで「乗せて〜」と必死の思いを伝えながら、何とか飛行機に乗せてもらい、帰ってきました。(本当は15分前が搭乗手続き締め切りなので、アウト覚悟でした。)
で、小千谷&長岡の状況報告です。小千谷、とりわけ私の地元は被害がひどいらしく、我が家は全壊、1ヶ月経ってもガス復旧工事中でした。家族の代理で罹災証明をもらいに行くという、めったにない経験をしました。(もうこれっきりにして!!)
今、家族は長岡に避難中なので、毎日長岡から小千谷へ通っていましたが、小千谷に入ると地割れ・陥没・マンホールせり上がりの連続で、こういったものを見ると「小千谷へ来たなぁ」と実感する自分に激しく違和感を覚えました。
小千谷のことは語りつくせないので、次に長岡のこと。
あと、NGでたびたび取り上げられる「寿屋旅館」さんですが、中の明かりがしっかりついていて、営業を止めている旨の張り紙などもなく、普通に営業しているようでした。ただ、大手通の横断歩道側(NHKのライブカメラで地震発生直後の長岡、ということで取り上げられた映像の反対側)の入り口の扉が若干ゆがんでいるかな?という気がしました。
それと気になるお店を発見しました。長岡の旧操車場、今でいう仮設住宅の前に「こだわりの男の酒屋」という店がありました。一体どんなこだわりがあるのか? またどんな品揃えなのか、とっても気になります。
「がんばろう新潟」「がんばろって新潟」「がんばろう長岡」「立ち上がれ 団結中越」「立ち上がれ 団結小千谷」などさまざまなキャッチフレーズが街中にあふれていますが、とにかく「やらんば!!」という気持ちでいっぱいです。
やらんば!!<ついもう一度書いてみたくなり。確かに、がんばり系スローガンをシャウトする前にすでにやっている新潟人のほうが多い気が。 関越道片側1車線規制解除キター! 飛行機臨時便も1/4まで延長キター! でも、すぐには予約できず、JALさんANAさんともに11.29(月)12:00解禁。年末年始シフトでございます。震災当初はまだ紅葉もしていない秋口だったのに、いつのまにかそんなシーズンに。というわけで、その夜のできごとレポート一件(special thanks ぐれさん)。
震災当時、私は勤務先から、やっとこさっとこ自宅へたどりつき、玄関先にかけてあった消防団の防火服とヘルメットを出して、避難所の家族と合流、人数が多くて入りきれなかったので、別の避難所へ移動。私はそのまま消防団へ合流し、夜警となりました。
翌々日の夜、避難所の入り口の交通整理…入り口に車止められると、緊急車両が入れ無いので…をしていると、どこぞのとうちゃんが
それ以降、変な事聞かれましたよ。
「中学校が明日から授業やるすけ、出て行ってくれと言われたけど、ホントんがぁか?」
「おらこんち停電のがぁけど、なんで中学校と小学校だけ電気来てるが?」
「おらこんち、玄関の引き戸が開かんくなったいや。なぁ〜みてくんねか?」
孤立した(と思いこんでいる)団地に配給に行った時
今回の極め付け ゆうべ長岡はものすごい強風が吹き荒れたとのこと。明日も引き続き暴風雨の予報。天気図を見ると等圧線大杉の低気圧が北日本を北上中。これからは新潟上空に常に等圧線が混む季節、年末の空路はやっぱりモヤシっ子には無理かなあ。。。と、まだ悩んでいる主宰。そんなモヤシの神経にもやさしいメール到着(special thanks ykkさん)。
こんにちは。NG!からいろんな地域の様子が伝わってきますね。出産で里帰りしていて実家から戻ってきたばかりなので、市内の様子は近所しかわかりませんが駅の東西では全く様子が違うようですね。
我が家には2ヶ月半の息子がいるので、昼間は徒歩で買い物などをしています。
そのほぼ向かい側の江戸時代から創業の大和屋さんにどうしても寄りたくなり、上生菓子を少し買いました。昼時だったせいか、お客さんがあの狭いスペースに3,4人いたので繁盛しているなあって感じでした。
けど、大和屋さんの屋根にはブルーシートがかぶせてあったので、厳しい状況の中で再開しているんですね。まさにやらんば! 「わたしもできることがあったら何かやらんば!」の気持ちです。信越線再開は通勤通学の方々の希望になりますね。 昨日の大和屋さん情報に続いて、ナガオカ名物に関するご投稿(special thanks 田村@元長岡住民さん)。
前回のメールでネタ振りした五十六カレーの56種のξの一覧お送りします。
オニオン・マイタケ・トマトペースト・キャロット・ショーガ・チキン(ガラ)・ポーク(骨)・小麦粉・バター・サラダ油・ウスターソース・チャツネ・リンゴ・バナナ・マンゴー・醤油・食塩・砂糖・酵母エキス・ホワイトペッパー・ブラックペッパー・チリペッパー・ジンジャーパウダー・ガーリックパウダー・コリアンダー・カルダモン・クミン・フェンネル・ナツメグ・メース・グローブ・シナモン・アニス・オールスパイス・ディル・スターアニス・ローレル・セージ・フェネグリーグ・オレガノ・サボリー・キャラウエイ・マジョラム・タイム・ローズマリー・セロリ・バジル・ターメリック・パプリカ・マンダリン・オニオンオイル・ガーリックオイル・他4種調味料
との事なんですが、良く見るとショーガとジンジャーパウダーがあったり、オニオンとオニオンオイルがあったりとちょっと微妙です。実際の原材料の表示は
たまねぎ・まいたけ・トマト・にんじん・しょうが・鶏骨抽出スープ・豚骨抽出スープ・香味油・バター・カレー粉・小麦粉・ウスターソース・チャツネ(リンゴ由来を含む)・醤油・食塩・野菜抽出スープ・砂糖・酵母エキス・蛋白加水分解物・還元水飴・調味料(アミノ酸等)・カラメル色素・ph調整剤(リン酸塩、ビタミンC)・酸味料・香料・酸化防止剤(ビタミンE)
ですね。
…と書いた直後にもう転載。震災後初更新なのに非常に書いちゃ出しになってしまってこれまた申し訳ない〜、って、いつものことですか(笑)。
11.29月・釧路沖震度5強
未明に北海道で震度5強。震源は地震の巣・釧路沖。現地の人たちの脳裏に新潟の映像がよぎりまくっただろうなあ。いままで「新潟県中越地方」が圧倒的だった気象庁各地の地震情報が一日にして釧路だらけに。大きな地震ってのはどこでもいきなりMAXが来てそのあと余震がデクレッシェンドしていくものなんですね。逆なら準備もできるっちゅーのにもー。
11.30火・あったてんがの 11.24水掲載のフラッシュに続いて、PCで聞けるナガオカ弁サイトのご投稿〜(special thanks giikoさん)。
長岡出身、東京在住の者です。 こんなサイトを探索している彼も、それを報告してくださる彼女もホホえましい〜。これは長岡市がやっている「e-ネットシティながおか」の1コーナーですね。「新着ニュース」を見ると、このほのぼのコーナーが7.13水害と今回の震災に挟まれ…。
12.01水・another year over, and a new one just begun
昼ごろ電話がいつもと違う音で鳴り、取ってみたら「非常信号の試験です」みたいなメッセージが自動応答で流れたと主宰母談。NTTがそんなこと始めたんでしょうか? 受話器外れてます信号だったのではという気がしないでもないですが。ネコが電話の上を歩いて受話器が外れてたことが以前あったし。 大手通りも赤と緑のクリスマス仕様になったとのこと、着々と「普通」がやってきたってことでしょうか。そーいえばいままでの「常在戦場」ノボリ、迷彩のヘリがバラバラ飛んでいる下ではなんだか微妙だった気が(^-^;)。主宰の帰省はたぶん25〜6あたり、そのころには正月飾りかな。というわけで、時節柄なご商売のかたからご投稿。前回更新のナガオカ土産コーナーの…(special thanks GABAさん)。
小嶋屋さんの話がありましたので、カキコします。
長岡市内で言いますと、川崎の小嶋屋さん、今は無きすずらん通りの小嶋屋さん(無国籍の跡)が十日町小嶋屋さんの経営です。わりと最近出店したのが、R8の国道沿いの小嶋屋さん。こちらは川西町の本家が経営してます。長岡小嶋屋さんは、殿町とゼソン、ジャスコのそばにありますね。
同じ祖先から枝分かれして二度と交わらないなんて、なんだか進化の系統樹をみるような。本格インドカレーの得意な長岡セゾン店はかなり遠い枝に行ってるかも。そしてこの投稿者さん、リンク欄ご記入にあたり…。
リンク、悩みました。私の正体がバレてしまう(笑)
立川のデパートで復興支援・新潟駅弁フェアをやっているというので仕事帰りに寄ってみたら、すでに売り場には何も無く「本日分完売」の張り紙。残念のようなうれしいような。そもそも会場小さすぎっす、高島屋さん。最初、夕方の生モノ投げ売りカウンターかと。25日までだそーなので、再挑戦を誓って帰宅。「くびきの押し寿司」あるかなー。<食べたこと無いのです
12.04土・検索で来られた方、役に立たないページですみません 震災関係を検索中に漂着された方々がお土産にネタを置いて行ってくださることも多くなり…(special thanks 現在燕市民@30代さん)
中越地震関係でこちらまでたどり着きました。
さて、「ローカルCMアーカイブ」を拝見いたしました。 というわけで、震災後3度目の記事更新はローカルCMアーカイブでございます〜。 朝ナガオカの母から電話で起こされ何かと思ったら「吹っ飛ばされてないかねー」。す、すみません、目がさめたときにはすでに台風(…の成れの果て)一過の青空でした。むしろその後ヤツは北上したのでナガオカのほうが暴風圏に。そういえば先週末も暴風雨、なんだかタガが外れっぱなしですよ気象さん。今年の十大ニュースの上位には自然災害が入りまくりだろうなあ。TVでこんなに新潟弁を聞くことになろうとは。というわけで、報道関係者があまりにもアレだったのであわやアレしそうになったかたより(special thanks biwaさん)。
私は長岡市南部の在住ですが、避難所生活は免れました。家に炊き出し用ストーブがあったおかげです。
そうそう、長岡高専は技大に事務局が移っていて、一部技大で授業しているみたいですね。妹が技大に勤務しているのですが、事務局の人ははじめ事務用品を済まなそうに借りにこられていたそうです。それと、食堂で「高専より美味しいね」と喜んでいる高専生を微笑ましく眺めているそうです。大変だけど頑張って欲しいですね。
11.25木のご投稿で「普通に営業しているようでした」とある意味衝撃報告がなされた寿屋旅館。ことによるとマスコミ関係者で満員なんて事態もあったのかも。そーゆー人たちは旅行サイトで立地だけを見て予約しちゃうでしょーし…と思って楽天トラベルを見てみたら、寿屋載ってないし。市内のホテルの「投稿情報」を見ると、「キャンセルの連絡をしようにも電話が繋がらないのでここに書きます」なんて書き込みがあって生々しいですね。 そしてbiwaさん。震災の混乱のなかのご不幸、何と言ってよいやらです。いろいろと本当におつかれさまでございました。
初雪。朝起きたらうっすら白かったと主宰母談。でも雪化粧でも隠せないほどゴミだらけだったとか。ゆうべは台風27号変異の、台風よりすごい低気圧というよくわからないものが吹き荒れ、たいへんな一夜だったらしい。 本日発表されてました。12月10日(金)14:00、ひと月半ぶりに、上越新幹線「とき」予約開始でございますー!
職場の掲示板に今回の地震募金の集計と被災地に送りましたの貼紙が。募金やってたのは知っていたんですが、募金箱のそばに被災地出身者がいると、他の人にプレッシャーなのではないかという考えすぎアプリが立ち上がり、結局募金箱には近寄れず。非被災地在住ナガオカ人のみなさん、職場とかでの支援イベントとの距離の取り方に悩みませんかー!?…<叫ぶ必要もないですが。 新潟駅弁フェアにリトライするべく高島屋立川店へ行ったものの、またも「本日完売」という返り討ち。やっぱり仕事帰りの時間じゃ無理かなあ。売り場は先週の投げ売りコーナーみたいなところから催事コーナーの一角にランクアップしてました。角を曲がると「加島屋」さんという立地、駅弁フェアに商品が並んでいる間は、鮭イクラだらけな一角になってるんだろーなあ。 仕事帰りにハタと気付いた大事なこと。今日じゃないですか新幹線予約解禁! というわけで急遽みどりの窓口へ。記入台に置いてあった時刻表12月号は再開前ダイヤで、列車名のところに「とき」の名はあるものの、号数やタイムテーブルは真っ白という背番号のないエース状態。再開後ダイヤはA0紙プリントアウトの壁貼り。予約票に「とき」と記入する時点ですでに感無量、往路は新幹線再開前なので「たにがわ」ですが、これはこれで初めて書くのでやっぱり感無量。往路復路ともに第一希望で買えました。でも帰宅後サイバーステーションを見たらけっこう動きが。 震災発生からちょうど50日目。7.13水害にも遭われた地域のかたはもう150日近く被災状態ということに…(special thanks Miyakenさん)。
7月13日の洪水にも両親宅ばっちり呑み込まれてしまい、今年はダブル被災でした。地震に関して言えば、割れ物家財はほぼ全滅でした が、家屋の損壊は瓦が数十枚落ちが家があったりなかったり、窓ガラスが割れたり割れなかったり、塗り壁砂壁が割れたり割れなかったり、という程度でした。
先日用事があって長野新幹線に乗ったのですが、東京駅に「とき」が来ない現実を現場で確認したら、不覚にも目がうるうるしてしまいました。年末新幹線で 帰省する際には長岡駅ホームに到着する瞬間に大泣き必至なんじゃないかな?みんなも「アエロフロート機が無事着陸した瞬間」みたいに大喝采、やりましょう!
「とき」と印字された切符を手にした時点ですでに心で大喝采の主宰でございます。「とき」の脱線と高架橋上にしばらく晒されたねじれた車体は、この災害のヤなアイコンのひとつでしたが、再開決定&切符発売でようやく呪いが解けたような。ときが来れば癒される…と笑点みたいなコトを言ってみたり。 昨日に続いて水害被災地域ご出身のかたより(special thanks GENさん)。
7月の水害の時に新潟関連の情報を検索していてこちらのページを発見して以来楽しく拝見させて頂いておりましたところ、今度は中越地震で主宰さんのご実家も大変な目に遭われたそうで心配でしたが、NG!ならではといえる長岡駅や壽屋旅館などローカル風味あふれる情報の数々に、水害や地震のニュースでナチュラルな新潟弁が聞こえてきた時と同じ、うれしい様な切ない様な奇妙な安堵感を味わうことも多々ありました。今年被災された皆さんにはお見舞い申し上げるとともに、1日も早く、何の心配も無くまた長岡の思い出を笑って話せる様になる事を願ってやまない今日この頃です。
さて、今日はローカルCMのページを見ていて突如記憶の底からよみがえって来た… 大丈夫そうですね(笑)。というわけで、先週に引き続いて今週もローカルCMアーカイブ更新でございます〜。 こういうHPも長く続けていると思わぬ偶然もあるもので…(special thanks eikichiさん)。
今日は、お礼が言いたくてメールをいたしました。
それにしても今回の地震には驚き、うろたえました。
何も出来ない身ではありますが、一日も早い復興と被災者の皆さんが安心して眠れる夜が訪れることを願ってやみません。 丁寧なおたより恐縮です〜。でもこれはウチがドーコーというより、そのHPを見て「おや?」と思えた投稿者さんの高感度アンテナゆえではないかと。伏字は無論ハレンチな言葉が書いてあったためではなく、プライベート話題だからアレかなあと思ってアレしてみた次第でございます。お友達にNG!のことを話したら「××(<ハンドル)は俺だぜ!」と言われたというメールもいただいたことがあるので、もしかしてNG!投稿者さんは固まるところに固まっているのかも〜。 主宰宅に罹災証明書が到着。内容は「一部損壊」。主宰宅エリアは被害が少ないので、市役所の最初の調査はほぼ素通り状態だったのですが、歩くと床が沈む箇所とかあって再調査を頼んだところ、土台に3箇所のヒビ発覚なのでした。年末に帰ったときはゴルフボール転がしてみるか…。ちなみにこういう再調査は、 市役所資産税課に依頼するとタダ実施してもらえるそーです。 罹災証明の次には意外なものが到来。なんと義援金の申請書。どうやらコレ(PDF@県HP)らしい。県に寄せられた義援金が、罹災世帯すべてに全壊200万・大規模半壊100万・半壊25万・一部損壊5万の内訳で配分されるとのこと。こ、こんなの決まってたの知らなかったっす。親から「義援金を送るから口座番号を知らせろて手紙が来たてー」と聞いたときは、十中八九おれおれ詐欺かと。
12.16木・ゴージャス健診よりも地震のときの休暇を特休にしてくれたほうが正直うれしいです人事さん 先月アタマに職場の健康診断があり、帰省中だった主宰は受けられなかったのですが、どーしても受診してくださいと人事に言われてシブシブ(<ヨワムシなので…)指定病院へ。フツーに外来の受付に行ったところ、「健診センターは隣です」と案内された建物のゴージャスぶりにどびっくり。ルームウェアのような受診ルックの人々がラウンジのソファでくつろいでいる様子はスパ・リゾートかと。職場の会議室でメチャ混みのなか受診した皆さんに申し訳ないような…。 気象庁が「安全宣言はまだ」宣言。それを聞いてどーしろっちゅーんじゃと思いますが、地震予知は難しいからなあ…。 23時からのNHK「にんげんドキュメント」は山古志村の特集。主宰は実は山古志村に行ったことがなく、番組内で流れた「小さな旅」の映像で初めて震災前の村の風景を見ました。機械が入れにくい棚田だからこそ、農作業用に牛を飼う習慣が長く続いたのかなあ…なんて思ったり。それにしても、新潟弁ってホントどこの方言とも似てないですね。 今年もあと二週間を切ったのに妙にあたたかい今日このごろ。でもナガオカでは昨日…(special thanks めいめいさん)
今朝今年初?の雪が、八方台の後ろの山、のこぎり山に降り、山頂付近が白くなっていました。
おそらくご実家が近くと思います。この辺界隈はすっかり落ち着いています。 そして今日はNHKのロボコン特番。ナレーターの発音する「ナガオカ」は案の定「ナ↓ガ↓オ↓カ↓」。「ナガ↑オカ↓」なのにい。長岡高専さんはHPを見るとまだまだ大変そうですね。そして他の学校はというと…(special thanks "いい男"さん)。
長岡市内の一部の高校(情報を確認できないので怪しいですが、恐らく全部)の冬休みが大幅に短縮されることが決まりました。
文中なんだかバンカラな誤変換が(笑)。公立高校の冬休み、公務員の御用納め−1/御用始め+1ってコトですか。震災当初の休校をまき返すべく先生も必死なスケジュール。 最後の運休路線・上越線・飯山線もついにキター!(PDF9KB@JR東HP) 発表は遅かったのに再開は新幹線より1日早い12月27日。やっぱり大トリは新幹線さんに、ということですかねえ。スターに花道をゆずる老名優ってトコですか。 東京で見る震災関連のニュースが芸能人訪問と「仮設住宅にサンタさん」とかのイベント系一色になりつつある今日このごろ。なんだか便乗系催事のご報告も…(special thanks 田村@元長岡住民さん)。
横浜駅にちょこっと行ったのですが、駅前で新潟物産展みたいのをやってました。
話は変わりますが、シャワーマッサーは健在なのでしょうか?(苦笑) 震災editionにもついにこの言葉が。営業再開してるのかなあ。確認されたかたがおられましたらご一報を〜(笑)。 スーパーで「雪国まいたけ」を買ったらパッケージが「地震に負けるな!」版になってました。勝敗つけにくいって気もするなあ。かと言って「地震と引き分けろ!」じゃ勢いがないですけど。勝ち負けと言えば、地元でも熾烈な戦いが繰り広げられているらしく…(special thanks ぶーぶーさん)。
先日、何十年ぶりかで駅発長距離のバスに乗る機会がありました。
「うちは火ぃ燃すかまがあるんだんが、公民館には一度ももらいに行かんかっと。」
「うちは、マンマが炊けねんだ、一回だけオトサンが(だんな様のことですね)行ったれの。」
「○○んとこは、年寄りがいるすけ(遠慮しておばさまと書きましたが、あなたもどう見ても...)公民館に置いてもらったようらの。」
越後の人間は、一時TVで流行ったサバイバルゲームに参加したら、特に60〜80代のおばさま方の生き残り率はとても高いんじゃないか...っとちょっと嬉しく思ったのどかなバスの旅でした。
ついに市街地でも積雪。 このたびの地震は10月なので、この時期パターンからはズレてますが、国境の長いトンネル隔てて雪国と非雪国が接している中越は、この地殻の上下動のちょうど折れ線上にあるわけで、地下が断層だらけなのも無理ナイかも…なんて思ったり。 「フ」にしてはえらく長くなってしまった考察のあとは、昨日・一昨日に続いて新潟物産ネタ(special thanks ともみんさん)。
こんにちは。
栃尾の「あぶらげ」の話題で思い出しました。
実家のお風呂の修理がもうすぐ終わるそうで、家の中も人間もだいぶ落ち着きつつあるようです。 震災editionのインデックス部分、その日のニュースのメモ書きを加えてみました。参考資料はYomiuri Onlineの中越地震特集ページ。震災発生当時からの記事が並んでいて感慨深かったり便利だったり。そんなことをしながらNHKの震災番組を見ていたら、余震の速報テロップが。長岡震度4、最大震度も4。長岡から下越方面に向かって揺れたらしい…と、いま書いて気付いたんですが、「下越」は変換されないんですね。中越・上越はイケるのにナゼ? 新幹線試運転キター! くしくも愛らしい赤鼻フェイスでございます。
12.25土・字のマチガイ率だけは上昇するのみで下がりません
今年は早く帰省するので驚異的早期に(<自分前年比)年賀状着手。非被災地宛てか 新幹線、営業車両で試験走行キター! Yahooニュースを見に行ったら、いままで「上越新幹線脱線」だった 地域トピックス内カテゴリ名が2字消えて「上越新幹線」になってました。完全復活したらこのトピックスそのものが無くなるわけですね。このペースで「上越新」「上」と2文字ずつ消えていったらどうしよう。 長岡帰省シター! ルートは結局たにがわたん(<職場の谷川さん50代男性ではなく…)+上越線。所要4時間弱。空きボックスがない程度の座席埋まり率で、地元ユーザーがほとんど。たにがわ組は98%くらい代行バスのようでした。詳細は後日補遺予定(12.28補完しました↓)。たえず雪が降り続けている日で、昼間は「セメン出てる」状態だったのに今はもう真っ白でございます。
(12.28補遺) ホームに下りると、なつかしい湿っぽい寒さが。雪もかなり積もってるし進行形で降雪中。ほとんどの人が代行バスかほくほく線乗り換えのほうに行く中、私を含めて数人が上越線ホームへ。ホームにはすでに列車が入線していたもののまだドアが閉まって…と思ったら、中に乗客が。そーだ、ドア手で開けるんだよ!と遠い記憶が蘇る。中は各ボックスに一組という乗車率。私が入ったボックスの隣には冬休みボランティアっぽいワカモノ三人組。話をキキミミすると川口のボラセンに行くらしい。雪景色にしきりと感心していた。彼ら以外は小荷物な人が多いので、私同様帰省組あるいは地元の人という感じ。 停車駅とその様子は下記の通り。
越後湯沢 朝、ヘリの音で目が覚める。自衛隊は撤退したはずだから、たぶん今日開通の新幹線狙いの報道ヘリ。昨日から降り続いた雪で外は真っ白、完全復旧のニュース映像はかつての「JR SKI SKI」CMみたいになるかなあ、なんて思っていたら、最大震度5弱@守門。長岡は震度3。体感震度はそんなもんじゃないよっていう、地中でハツリ工事をやっているかのような揺れっぷり。発生時刻は18:30。くしくもあの「とき」325号、新潟駅に向かって走行中。無事完走の映像をNHKで見たときはもう泣くかと。全線一時停止&点検の後、2時間後に再開。雪も昼間の雨でおおむね融けちゃったし、予想外のことばかりでございます。 副主宰に会う@副主宰実家。副主宰は実家で産後の肥立ち中に被災。早産だったせいもあってその後も赤さんとともに入院したり退院したりしておりましたが、ようやく落ち着いた模様。遅ればせながら出産祝いを渡したら、「東京の人になったがーねー」と言われて「?」。どうやら「のし」のせいらしい。「内のし」っちゅーヤツで、のし紙をかけた上に包装紙をさらにかけるのが東京風、逆にナガオカのは「外のし」と言って、包装紙の外側にのし紙をかけるとか。そーいえば、主宰がナガオカにいたとき自宅に来たお中元とかお歳暮とかは「外のし」でした。「内のし」は並べたときに差出人がわかんないから、東京のほうが個人情報にキビしいっちゅーコトでしょーか。 副主宰宅では妊娠・出産・育児にまつわる、ココにはとても書けない話の数々を聞く。飛び交ったセリフを一部抜粋↓。 「そんなトコ指で届くの!?」「そんなに引っ張ったら壊れちゃうー!」「内側からも縫われてる…」「すごい勢いで噴き出すんだよね」「舌を丸めて…」「ここからオヤジ臭が」 この間、当事者のK貴くん男子0歳は「んっ」とか「あうっ」とかのファンキーな相槌を打ったり、抱っこしている副主宰に頭突きを喰らわしたりと、早くもツッコミの素養を発揮。最後のセリフだけ詳細を明かすと、K貴くんの全身は赤ちゃんのいいにおいなのに、おデコの生え際部分のみオヤジ脂の臭いがする、ということなのですが、そういえば前頭部って男性がアレになりやすい部分、男性ホルモンが集りがちってコトでしょーか。男児をお持ちのお母さま方、よろしかったら生え際クンクンしてみてくださいませ〜。 自分の部屋はあまりにも寒い&未点検のガスストーブを点けるのが怖いので、そこそこの片付けでお茶を濁し、親エリアの掃除と修理の手伝いに励む。昼間の明るいときに落ち着いてあちこちを眺めてみると、今まで気付かなかった壁のビビや、柱と壁の間に隙間が開いて向こう側が見える箇所等が見えてくる。住宅チェックのお約束、ゴルフボール転がしも恐る恐るトライしたところ、見えざる手に押されるがままコロコロrolling。私はアワ食ってるのに、そこにずっといる親のほうがノンキで、「春になったら××さん(知り合いの大工さん)に見てもらうて」。その春までが心配だっちゅーのにもー。小雪であることを心の底から願う。 大晦日。昨日の願い台無しな勢いで終日雪。紅白もゆく年くる年も長岡からの中継が入る。大規模災害〜連日の報道〜沈静化〜年末にしみじみと登場、というお約束な流れだけど、お約束に弱い主宰は「jupiter」でも「雪椿」でもうるうるきてしまった。絶対泣くから親に見られるの恥ずかしいなあと思ったものの、両親ともに爆睡かよ! マツケンは釘付けだったくせにぃ。年越しの瞬間には花火。窓の外は雪。いつしか年も すぎの戸を。
初のナガオカからの……と打ったところでノートン先生の定時スキャンが立ち上がり、激重動作に耐え 東京へ戻る日。完全復活した「とき」に初めて乗る。ホームの遠くに「とき」の丸顔が見えてきたらもう涙腺が。昨日・一昨日の雪が止んで上天気の中、「とき」はホントにこんな顔(・○・)してるんじゃないかと思うほど無邪気に高架を突っ走る。ガタつきも徐行もナシ。越後湯沢でほくほく線の待ち合わせに少々止まったものの、何事もなく完走。所要2時間。今年は曜日まわりがヤな感じで仕事始めが早いので、ほぼ満席の客の入り。 積もった雪とスピードのため外の景色に地震の痛手はほとんど見えず。来るときに乗った上越線とは見える風景がまるで違うのにかなり驚く。山深いなかの町を細かく縫って行く上越線は、車窓に山・谷・町・トンネル・鉄橋がめまぐるしく現れて、地震のことがなければかなり風光明媚な路線だと思う。でも、同時に地盤が細かく折りたたまれた地形なんだなあということも実感。自然がムチャしている様子を「美しい」と感じるなんて、人間の感覚って、生き物としてはちょっと素頓狂かも。 東京は大晦日に降った雪がまだ盛大に残っていた。主宰の住む多摩地区はほとんど同日のナガオカなみの積雪。空気が乾燥しているので、路面は乾いて凍り、雪国人でもコケそうなくらいツルツルでございます。 プロジェクトX観てたら速報が。「甲信越地方でやや大きな地震がありました」。「新潟県で」ではなくこの表記のときはけっこうデカいということ。家に電話してみると「おっかねかったてー」と母親談。昼間もけっこう弱い揺れがあり、気持ち悪いなとは思っていたそーで、久々にコートを手に玄関ダッシュしたとか。気象庁HPを見てみると、
21:50 M4.6 震度3(最大震度4@見附、栃尾、 守門、中之島)
親は「いまのは震度3と震度4らて」と言っているので、21:50のは2度の揺れがあったらしい。朝の11:08も同じ場所。本震の日も朝に小千谷で震度1があったそうなので、朝に微震があった日は要注意なのかも。新幹線もまた止まってしまった。「再開には今日いっぱいかかる見込み」と22:45からの関東甲信越ニュースで言っている。0時まで動かないってコト?
01.23日・オラ、ささだんごちゃん! 震災発生3か月目。東京ではほとんど報道されなくなり、丸3か月ということも親からの電話でやっと気付いた自分に激しくダメ出し。そんな忘れっぽい脳に喝を入れる衝撃情報が〜!(special thanks flogさん)
1/22の夕方、風邪で会社を早引けし、布団にもぐりながらテレビを点けるとやっていたのは「アンパンマン」、そこに出ていたのは
「ささだんごちゃん」
でございました。(ググって見たのですが、さすがにまだ画像は見つからず)
ちなみにこの娘、気は優しいですがものすごい力持ちでした。 ひえー、気が弱くて力無しの自分が恥ずかしい。原作者やなせたかしさんは、妙見で救出されたお子さんにアンパンマン・グッズをプレゼントされているので、ほんとに今回の地震を意識したキャラ造形なのかも。
…という記事を書いてupしたら、Yahooのヘッドラインに「3か月」ニュースが上がってました。「ほんやら洞」って、主宰の母親の実家・魚沼方面でも使う言葉ですが、灯篭ではなく「かまくら」を指していたような。
01.30日・話は越後の
ワイドショー観てたら小林幸子の紅白で着るはずだった幻の
今月6日の「日刊スポーツ」社会面に、記者の日替わりコラムで地震の話が載っていました。
なお、このコラムでは、NHKのことを「1チャンネル」と表記しています。新潟県出身者は、これでこの記事が東京で書かれたということがわかりますな(^^)。
また、この記事は日刊スポーツのHPで今でも見ることが出来ますので、是非ご一読を。
一読しました〜。たしかに「1チャン」発言してるので、東京在住新潟人っちゅーコトですか(笑)。「そうやんだて」とか言ってるので魚沼弁ですね。ほんとに訳文ナシなんでどびっくり。バックナンバーを見ると他にも中越地震ネタがいくつか。発生当日の在京ナガオカ人の姿を書いた「家族をつないだ携帯」は、主宰も同じような経験をしているのでうんうん頷きながら読んじゃいました。本震のとき、主宰も職場にいたんですが、いろんな部署の新潟出身者がぽつぽつとテレビのまわりに集まってきて、「電話通じる…?」「ダメ…」「ウチも…」というような会話を呆然と交わし…。
02.06日・豪雪Edition 1月26日から降り続いた雪は、被災旅館の浴場倒壊やほくほく線「はくたか」の脱線を引き起こし、ついには自衛隊に災害派遣要請する事態に。秋に発表された気象庁の暖冬予想って一体…。 積雪は長岡でも1m50に到達、19年ぶりの豪雪とのこと。消パイのある道路まで道つけし、戻ろうとしたら今つけた道がすでに無いという降りっぷりと主宰母談。そして主宰宅はなんとスノーダンプを新調。物置の奥から引っ張り出してきた旧機は鉄製で、あまりにもヘヴィすぎたかららしい。連日震災報道がなされていたころは、こんなに毎日TVで新潟弁を聞こうとはと思っていたけれど、それに続いて連日TVでスノーダンプを見る日々が来ようとは。 豪雪報道で東京の友人にドン引きされてしまうのは、ワラ製の箕・笠・カンジキがいまだ現役ということ。代用品が無いからしょーがないですよねえ。フードかぶると横が見えなくなるし。アイリスオーヤマさんあたりがポリカーボネイトの笠とか作ってくれたら売れるかも? そして、ナガオカの雪消しブレイクの友が例年この時期に限って数える単位が「個」から「箱」になるアレなわけですが…。(special thanks ShinJさん)
このあいだ長岡に帰ったとき気付いたのですが、39セールとレーメンでおなじみの美松が
『カプチーノ カフェ&ケーキ MIMATSU』
になっていました。外観もとてもこじゃれて素敵ですが、微妙なだささと安っぽさが大好きだった私はちょっと寂しく残念な気持ちになったことを付け加えておきます。
たしかにこれはお調子に! 正月帰省のときはぜんぜん気が付かなかったんですが、いつからなんでしょーか。横文字表記になっちゃって、あの裏庭の祠もストーンサークルとかに改装されてたらどーしよー!<だから何(笑)。
02.20日・祭の季節 今週末は雪しか祭。サブタイトルは震災復興祈願祭だそーです。なのに「花火がすごくて地震みたいらてー」と空気の読めない主宰母談。今月は行列のできる例の祭も開催中なわけですが、そこにただならぬ異変が起きているらしく…!(special thanks frogさん)
この3連休、NGファンの一部の方同様、私も妻の実家に雪下ろしに行って参りました。
今年から、美松の39セール、消費税が付いてるそうです。
「390円かと思ったら、払う時に410円になってるが〜て」
って、箱単位の値段で当然のように語られているのはさておいて、
「これじゃ39セールじゃね〜こって」
と、あちこちで聞かされました。美松さんも逆境なのでしょうか? 来年も当たり前のように「39セール」を名乗るのか、
いっその事「41(良い)セール」」とでも改名されるのか、注目されます。
これはゆゆしき大異変!<大げさ(笑) っていうか、いままで税込み39円だったんですかー!というほうに驚きが。消費税そのものでさえ3%から5%に上がっているのにすごいなあ。主宰のコドモのころから39円だったから、いまごろは1箱1009円くらいに値上がりしてセンキュ〜・セールになっていてもおかしくはないはず……と、デーブ・スペクターみたいなコトを言ってると、せっかく過ぎた寒波をまた招きそうなのでやめときます。雪下ろしヘルプに行かれたこの投稿者さんは、
個人的に(・○・)で行けなかったのが残念でしたが、高架を走る姿は見る事ができ(しかも降りしきる雪の中)、少しほっとした気分です。
この豪雪に耐える仕様の(・○・)や関越道があれだけの被害を受けたのかと思うと、地震のパワーにあらためて戦慄でございます。地震発電とか平和利用できないのかなあ。
何年目の正直?たまには事前に案内を出すのも良いのでは? あうっ、すっかり忘れていました、いろんな意味で幻の祭! しかしこれまたノートン先生の逆鱗に触れそうな(笑)。そして、こんなご投稿もいただいており…。(special thanks 魚沼んの新妻さん)
「○○○酒惚れた」などという歌もあるそうでとある会社の社歌になっています。
栃尾近郊には似たようなお祭りがあります。
中越は奇祭の宝庫。
ご紹介いただいた「とある会社」HPはすごいというか何というか。会社名も社歌に合っているというか合いすぎというか(笑)。某ブレイク工業を輩出したマイナーキャンペーンソング大賞に第二回があったなら、ぜひエントリー希望。
03.20日・福岡県西方沖地震 午前10時53分、福岡県沖でM7。最大震度6弱。これを書いているのは夜の10時台なんですが、これまでに90回近く余震が発生している模様。M7クラスの地震が半年ペースで襲来するなんて初めてでは。被害映像を観ていると、中越地震発生当時、どうすることもできずにTVとPCに張り付いていた頃の焦燥感が蘇る。でも、明るいうちの発生で被害の把握が早かったせいか、東京のTVは中越のときは数日やっていた画面分割すらなく通常編成。九州にゆかりのある人々には情報不足で不安な夜じゃないかなあ。大正以来、地震がない土地柄だって言うし。
そして、ビルのガラスが割れて紙のように降る映像は「東京で起こったら」不安をクリックしまくるわけですが、上の巻頭二行でリンクしたmemories2003かんぴろ記事のすぐ上が、くしくも東京大地震ネタ。こういうバラバラに地震予知研究している人たちがそれぞれのデータを持ち寄ればもっと精度が上がるんじゃないかと思うけど、誰もそれを言い出さないってコトは、イロイロなアレがソレなのかなあ。。。
05.01日・天空の城・丸専 雪が融けて復興セカンドシーズン開始…と先週の巻頭2行に書きましたが、なんだか復興大車輪な情報が(special thanks 中央特快最速伝説さん)。
震災復興のシンボルとして長岡に18階建てのビルを作るってニッポーのサイトでみました。
あ、コレですかねえ。丸専はたしかまだ営業していたと思うんですが(<失礼すぎ)、丸専が終了して別の施設で18階が埋まるのか、それとも18階建ての丸専というスゴいものができるのか。もしも後者だったらぜひ最上階展望レストランは「フレンド」に!
05.21土・情熱大陸 5/15のTBS系「情熱大陸」は、旧山古志村村長の長島氏(special thanks TETSUさん)。スポーツ選手や芸能人ばかりかと思っていましたが、こういう人も取り上げられるんですねえ。雲仙普賢岳のときのヒゲの市長さんなんかもそうですが、大災害が起きたとき、被災地にはなぜか印象的な首長が居合わせているというのが運命の不思議。
そして投稿者さん談、、「旧・山古志村は現・長岡市なのですよね。てことはNG!に投稿しても全然問題ないですよね」。まったく問題なっしんぐでございます。もともとそんなに厳密に線引きしていないっちゅー話もありますし(^^;)。
05.28土・ありがとう 尼崎脱線事故の驚愕さめやらぬこの時期に舞い込んだ衝撃情報(special thanks J.Rさん)。
ついに、とき(・○・)廃車が決まってしまったようです・・・。
10/23夕、東京にいた主宰の「ただごとじゃない!」感のヒキガネを引いたのは、BSNサイトの速報ウインドウに現れた「上越新幹線脱線」の文字でした。あの血の気がザっと下がる感覚は、今も生々しく覚えております。 群発地震。
6/5 14時50分頃 M3.1 最大震度2 与板
先週は東京で群発地震があったり九州で震度5弱があったり、あちこち揺れまくり。最近は流し台のCMでさえ「地震で中の物が飛び出さないロック付き!」なんて言っていて、「耐震」が「エコ」に並ぶ時代のキーワードになりつつある感じが。
先週末、長岡に行って来ました。 主宰も先月新幹線で帰省たときに、湯沢〜浦佐付近でトンネルとトンネルの間に一瞬仮設の集落が見えてハっとしたことがありました。雪が消えた後の山肌も赤や灰色の土砂崩れ跡があちこちに。主宰母は先日ウッカリ・アクシデントで怪我をしたのですが、病院で会う人の多くに「あんたも地震らかね」と言われるそうです。通院メイトには本震の瞬間に階段から落ちて失神し、地震のときの記憶がないという人もいるそーで。まあ、主宰も失神してもいないのに震災editionを見て「こんなことあったっけ?」と思うほど記憶ゴチャゴチャなんですけど。。。 13:03小国〜柏崎で震度5弱。その前夜というか未明に千葉で震度4があり、日中も岐阜でも震度3があるという揺れまくりの日。小国〜柏崎の地震は、いわゆる中越地震とは違う断層によるものとのこと。長岡の市街地は震源から離れているので震度2程度だったようですが、主宰母は「気持ち悪いてー、ウチが横に揺すぶられるがーて」と大びびり。直下型のタテ揺れよりも離れた震源のヨコ揺れのほうが怖いなんて、慣れっていうのはスゴい……。 16:35関東で地震。最大震度5強@足立区。震源は千葉北西部で、震度5ラインが東京湾を囲む。中越も震度2。 小火災や落下物での怪我、エレベータ・トラブルは数件発生しているものの、命にかかわる事故はいまのところ(19:50)報道なし。山手線・中央線ほか多くの路線は、発生後3時間以上経ったいまも運転見合わせ区間が。平日だったら主宰も帰宅困難者に。 発生時、主宰は多摩地区(震度4区域)の自宅にいたのですが、ユサユサと始まり、「あら?」と思っているうちにみるみるギシギシになっていくタイプの揺れを体験。そのときいた部屋から出たり戻ったり(<無駄な動き)、窓から外を見たりTVをつけたり……の間じゅう揺れていたので、けっこう長かった。いったん終息して、TVにテロップが出たあとも、再びゆるく長い余震が。しばらくしてNHKが相撲をやめてニュースを、民放は番組の切れ目にニュースを。現在(19:50)NHKは災害仕様の枠つき放送で通常番組、民放はすっかり通常番組でございます。 NHKのニュース10で「長岡大花火大会開幕…地震からの復興目指す老舗旅館の苦闘」。花火〜蓬平の旅館の営業再開レポートでした。流れた花火の映像は、水平方向に展開する真っ白な大型連発。おそらくフェニックスかと。夜空に広がるフサフサした光のかたまりは、まさに羽毛のようでした。うわーん、ナマで観たかった。
11:46宮城沖でM7.2、最大震度6弱。 東京ではゆっくりした船のような揺れがなかなかおさまらず、その感じが中越のときに酷似していたので、主宰はけっこう気が気じゃなかった。気象庁HPの地震ページは大混雑で繋がらず、職場にもかかわらず2chなんかにも行ってみたものの、どこもなかなか情報出ず。結局Yahooが一番早かった気が。
周囲では各部屋から廊下に出て様子見している人多数。「遠方の震度5」とか「海中の震度6」とか予想(けっこう当たっている)を始める人も多かった。中越地震で悲惨なシーンの数々をテレビで見たばかりの上に、その後やたらに地震が多いため、東京でも敏感になっている人が増加中……のいっぽう、「えっ、きょう地震なんてあったの!?」という豪胆派の声もランチタイムの食堂のあちこちで聞かれたのでした。過敏派はエアコンの風で書類が揺れてもドキッとするのにほんとにもー。
08.21日・ふたたび新たな震度5
11:29旧小国で震度5強。6月20日の柏崎〜小国の震度5と同様、中越地震とは異なる原因断層によるもの。場所は違ってもごく浅い震源の直下型というパターンは変わらない。震源が深かったり海中だったりすれば、宮城沖のときのような数秒前予知のシステムが使えるんだろうけど、中越はほんと防災関係者泣かせの場所かもしれない。
10.08土・パキスタン大地震
8日午前、パキスタン〜インドでM7.6の地震。ニュースを見ていたら現地特派員の人が「ユサユサという感じではなく小刻みにガタガタ揺れて…」と言っていて、中越地震みたいだなあと思ったらやはり震源の深さ10km。浅い震源の直下型。建物の崩れ方が普段地震の起きない土地のものっぽいので、今後中越並みに余震が続いたらと思うと恐ろしい。複数の村が「消えた」という怖すぎる報道は、誤訳であることを祈るのみ。。。
10.16日・めぐる季節
昨年の10月23日(土)、主宰はたまたま休日出勤しており職場で第一報を聞くことになりました。今週末も昨年と同じ用事で休日出勤、ちょうど丸1年も近いので内心ドキドキしておりましたが、当然取り越し苦労……と思ったら、本日夕方ガタガタと! N宮もビックリの主宰休日出勤トリガーか!と慌ててTVを見に行ったところ、正体は茨城のM5.1。内陸の震源なので、小刻みな揺れで、震源近くの人たちはかなり怖かったのではないかと。都内は震度4〜3だったですが、夕方のニュースでは軒並みトップ扱い。震度4クラスでこんなに警戒するようになったのは、そういえば中越以降じゃないかなあ。。。
2005.11.06日・10.23復興イベント・レポート 10月23日の復興イベント報告到着!(special thanks ぽこぺんさん)。
東京から団体臨時新幹線「がんばってますにいがた!! ありがとうキャンペーン号」(しかも旧とき型車両)(・○・)で長岡に降り立つと、タイコの歓迎と蓬平女将衆のお出迎え。
長岡では、「米百俵まつり」が行われていたわけですが、そこで「ガトリング汁」&「ガトリング巻き」なるモノを見かけました。これは、定番モノなんでしょうか。地元民でなければかなり???なネーミングでしたが、汁のほうは観光客も含め、大盛況だったようです。私は業務優先で、いざ汁をいただこうかというころには、哀しくも撤収されておりました。
ちなみに、JRでは新駅弁を続々と開発中のようです
(・○・)型車両を復興ツアーに起用するなんて粋なハカライ! いちばんのツッコミどころはガトリング巻&汁なわけですが、「巻」のほうはなんとなく細い海苔巻きを6本束ねたものが頭に浮かぶものの、「汁」のほうは謎すぎっす。河井継之助もまさか当時の大量破壊兵器が2世紀後に「巻」や「汁」になっているとは思いもしなかっただろうなあ。
2006.10.23月・二度目の10.23 携帯のデータフォルダを整理していたら、震災当時の画像がぽつぽつと出てきました。マジ「ぽつぽつ」なのは、携帯を構えていいのかどうか悩んでいるうちに機を逸するコトばっかだったからですねえ。。。
2007.07.16月・平成19年中越沖地震
10:13 本震 震度6強 M6.8
18:00
23:31
一夜明けて、死者9名、行方不明者1名に。「沖」じゃないほうのファースト中越地震では、その後の長い避難生活での不幸も多かったので、その教訓が生かせることを願うばかり。
そして、備忘録的に主宰宅反省メモ。 大災害が起きるといつも「専門家」の人たちがいろいろな説を唱えるものですが、今回のコレは、もうちょっと話をまとめてから出すべきなんじゃないかと。これじゃ、周期が短い揺れも長い揺れも地盤も家屋の構造もぜんぶ悪いってコトに。。。
主宰宅では、使っていない部屋とか戸棚の中とかの小規模被害がぽつぽつ発覚。立ててあったものが倒れているときは、ドミノ倒しのように同じ方向に倒れているとのことで、揺れが走った方向がわかる感じだとか。ニュースで見る柏崎の本震発生時の映像は、世界がぐるんぐるん振り回されている様子なので、被害の大きい地域と小さい地域では、震度は同じでも揺れの質が大きく違うのかも。 「X時の地震で起きてそれから寝ーらんねかった」が目下の近所の朝の話題と主宰ハハ談。こちらのテレビでは余震のテロップをほとんど見かけないのですが、テロップ対象外の震度3未満と深夜は頻発しているようですね。震度1でも直下のはかなりガツンと来るからなあ。。。 |
2011.03.11金 | 帰宅困難の夜 |
2011.03.12土 | ようやく帰宅 |
2011.03.13日 | 輪番停電 |
2011.03.14月 | 計画停電 |
2011.03.15火 | 原発アラート |
2011.03.16水 | 初出勤 |
2011.03.17木 | 物流と電流 |
2011.03.18金 | 一週目 |
2011.03.19土〜03.21月祝 | 三連休 |
2011.03.22火 | 「安定化が目前に迫っている」 |
2011.03.23水 | 一進一退 |
2011.03.24木 | 水騒動2日目 |
2011.03.25金 | 遠距離被災者と話す |
2011.03.26土 | ありがとう十日町 |
2011.03.27日 | 停電新編成 |
2011.03.28月 | マスク |
19:2011.03.29火 | 早じまい |
2011.03.30水 | 言葉がない |
2011.03.31木 | 年度末 |
2011.04.01金 | ウソと超現実 |
2011.04.02土〜04.03日 | またまた長岡 |
2011.04.04月 | スーツ |
2011.04.05火 | 石橋を鉄で巻いて渡る |
2011.04.06水 | 桜 |
2011.04.10日 | 保守 |
2011.04.11月 | 一か月 |
2011.04.12火 | ラインのいらないライフライン |
2011.04.16土 | 福島 |
2011.04.24日 | 悲しいニュース |
2011.04.30土 | フィルタ |
2011.05.01日 | もうひとつの世界 |
2011.05.02月 | さらにもうひとつの世界 |
2011.05.04水 | つながっている |
2011.06.24金 | 輪番ふたたび |
2011年3月11日(金) | |
14:46 |
最初の揺れ@仕事中。 長い揺れの後半に建物外へ避難。 非常階段を下りている間も大揺れで千鳥足になる。備品の防災ヘルメットをかぶっている人も多数。いっぽう、ノートPCやiPadを持って出て震源などを検索している21世紀派も。 夕方にかけて同様の揺れ4〜5回、避難したり戻ったりを3回。 主宰職場地域の震度は5弱でした。 |
17:30 | 退社時間。都内の鉄道はほぼ全滅。電話は引き続きダウン中、公衆電話のみ稼働。日頃はオブジェ状態だった職場唯一の緑電話が行列に。 |
19:00 |
「JRは終日再開せず」の発表。 主宰を含め、帰宅困難者多数発生。 知力自慢はアクロバティックなバス&私鉄乗り継ぎルートに臨み、体力自慢はgoogle mapの「ルート・乗換案内」機能で「徒歩」時間を検索して挑み(4時間とか)、財力&気力自慢はタクシー争奪戦に参戦。 「自転車を買って帰る。ウチ横浜だけど」という財力+体力+気力自慢の猛者なども。 非力組(含・主宰)、職場泊を決める。 |
19:30 |
職場泊組、晩ごはんに出かける。お店の多くが「地震のため臨時休業」の貼り紙。開いていたファミレスへ。大混雑。 店舗が面している幹線道路は、上下線とも車列が絶えない。時々救急車や重機が通る。 歩道にはリュックに防寒具に完全装備の長距離徒歩移動組らしき人々も。 |
20:30 |
内輪の徒歩組からぽつぽつと「到着」メール。 途中で多摩モノレールに乗ったとの報も。空中のレール一本にまたがっているモノレールが動いていることに衝撃。
ファミレス帰りにコンビニやパン屋さんで夜食朝食の買い出し。 空を見上げるときれいなオリオン。iPhoneユーザーが、星に向けただけで星座名を表示するアプリを見せびらかす。下に向けると南半球の星座を示すとのこと。す、すごい。 |
21:00 |
職場に戻り、なんとなくミーティングテーブルに集まる。真ん中にUstreamに繋いだPC(テレビがないので…)。 被害の甚大さと範囲の広大さに徐々に言葉を失う一同。 緊急地震速報もしょっちゅう入り、それに対応したりしなかったりの揺れも夜通し続く。震源が三陸沖・宮城沖・福島沖・茨城沖と南下していくのが不気味かつ異質。「このまま東海地震に連鎖するのでは」とびびる。そういえば、本震のときドコモのエリアメール来てないじゃん! |
2011年3月12日(土) | |
04:03 | 緊急地震速報の震源が一転「新潟県中越地方」に。焦って現地情報確認。早朝のせいか携帯も繋がった。 |
07:00 | JR中央線再開の報……と思ったら、すぐに運転見合わせの報。Twitterを「中央線」で検索するとがっかりなつぶやきばかり。 |
10:00 |
ニュースの中に原発関係が占める割合が高くなっていく。海外の中継(職場泊組に外国人がいるのでたまに切り替え)を見てもTsunamiからnuclear plantがトップニュースに。 海外サイトは単語や動画の作り方などが容赦なく、言葉がわからなくても怖い。 外から見た今の日本はかなり壊滅的状況なのかも知れない。 |
12:00 | Twitterにがっかりつぶやきがなくなってきたので、ようやく職場を出ることに。 |
13:30 |
自宅最寄駅着。 朝のうちは電車は過酷な混雑だったらしいけれど、この時間帯は通常の休日午後並み。 スーパーに寄って買い出し。そのあと「ミネラルウォーターとか買っておこうか」とふと思いコンビニへ。皆思うことは同じなのか在庫薄。菓子パンの棚もカラで驚く。 |
14:00 |
帰宅。 「たぶん倒れて/落ちているだろうな」予想リストのうち、実際に倒れて/落ちていたものは半分くらい。ガスが止まっていたのでメーターで復旧。 テレビを点けると全局災害特番。新たな被害も次々と。余震も津波も続いている。 中越地震のとき同様の重苦しい「これがいつまで続くのか」感に胸が詰まる。 |
2011年3月13日(日) | |||
12:30 |
マグニチュードは9.0と修正発表。国内観測史上最大。
原発停止による電力不足で、都内も輪番停電を行うかも知れないの報道。 |
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16:00 |
海江田経産相が会見で輪番停電の可能性を示唆。まずは節電で様子を見るとのこと。 買い物に出たら、デパートや駅ビルが「節電のため18:00に閉店します」の貼り紙。夜の電飾も落とすっぽい。これからしばらく東京の夜が変わる気が。
22:30
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東京電力、輪番停電あらため計画停電を明日から決行の発表。早っ。 | 停電時間と区域の情報がグダグダだけど、主宰宅あたりは午後から夕方のどこかと思っておけばいいことがなんとなくわかる。今からエビドリア2個(<冷凍食品)なんてとても食べられないので、冷蔵庫筐体の断熱能力に期待。 |
2011年3月14日(月) | ||
00:30 | ちょっと考えればわかるのに考え及ばなかった盲点が交通機関。電車たちがまた止まる。JRは発電所を持っているから大丈夫かと思っていたら、けっこう運休になるらしい。私的影響はエビドリアくらいだろうと思っていた自分の小ささが悲しい。 | |
09:00 |
計画停電初日。 第1グループ 6:20〜10:00 の時間帯のうち3時間程度 第2グループ 9:20〜13:00 の時間帯のうち3時間程度 第3グループ 12:20〜16:00 の時間帯のうち3時間程度 第4グループ 13:50〜17:30 の時間帯のうち3時間程度 第5グループ 15:20〜19:00 の時間帯のうち3時間程度 さらに電力不足の場合 第1グループ 16:50〜20:30 の時間帯のうち3時間程度 第2グループ 18:20〜22:00 の時間帯のうち3時間程度 第一Gは回避の発表があった直後に「やっぱりやる」と言いなおしたり、あいかわらずグダグダだけど、いま現在停電しているところはない模様。
でも電車は予定通り運休、主宰ユーズの中央線は1時間に2本くらいという超間引き運転らしい。 そんな自宅も午後から停電するグループ、水をためたり、ずっと使っていなかった保温ポットを掘り出したり。 車で出勤した同僚に電話で聞いたところ、渋滞しているうえに路上の空気がものすごく殺伐としているとか。あと、ガソリンが軒並み売り切れで、今日帰宅時に給油できなかったら明日から出勤できないとのこと。 |
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11:20 |
携帯(ドコモ)にこんなエリアメールが。
第3グループも回避検討中という時間帯にタイミング悪いけど、東電管内全員に配信していると思えばしょーがないかも。第1G開始予定時間前にちゃんと配信された人っているのかな。 |
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16:00 | 主宰宅付近の停電は回避された模様。この次のグループは決行の可能性大とのこと。夜なのに。でも、「輪番」だから、ウチにもそのうち夜番が回ってくるはず。 | |
17:15 |
第5グループ停電決行のニュース。 やっぱり日没後は消費電力が増えるということ。実は恥ずかしながら、電力は「作っちゃ出し」ということを今回の件で初めて知った。蓄電の技術開発にドーンと予算を付けてあげてください>節電担当大臣さん。 |
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18:00 |
勤務先から「明日も無理に出勤しなくて可」の連絡。 電車の予定が発表されないと何とも言えないなあ。主宰は車持ちだったのだけれど、実は今月譲渡してしまったのでした。くしくもあの本震の日に譲渡先が決まったという。運転苦手な主宰がこの非常シフトの道路に乗り出してもご迷惑なだけですよという神の啓示かも。 |
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21:30 |
停電は明日も続くとのこと。 今日と同じグループ分けなのか時間も一緒なのか発表はなし。中の人たちもわからないのかも。福島原発の燃料棒露出で、東電のキレ者チームは出払っているのではないかと。 大きな組織でも、本当に問題解決能力のある人は実はそんなにいなかったりするし。 その人々の頑張りを信じて、こちらは多摩の片隅で節電に励みます。今日はもう消灯して寝よう。もしかしたら、輪番停電より輪番生活のほうが節電になるのではって気も。みんなが一斉に電気を使うのを避ければいいわけだから……とはいえ、見張りがいるわけじゃないから守らないかなあ、8時就寝グループとか。 |
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22:00 |
寝ようと思ったら、市が防災メールの配信を始めたことを知る。 さっそく登録すると、明日の停電スケジュールが来た。主宰宅周辺は午前組。東電は市町村には情報を配っているらしい。情報が遅いのは東電じゃなくて市町村の問題だった。 昨日の内閣官房メールもそうだけど、世の中が重要事項のネット告知に見切り発車している感じ。携帯もPCも使わない人たちは、本人も知らないうちに振り落とされている。とんだ世の中に……って、本震の日のパン屋のおばあちゃんのセリフじゃん! |
2011年3月15日(火) | |||||||||
09:00 |
というわけで、本日も自宅待機。 福島第一原発2号機がさらに深刻な事態になっている。炉と外界の隔壁に損傷の疑い。東電の記者会見をちゃんと聞きたいのに、記者が煽り質問ばかりするのでろくに聞けない。東電広報さんの不倫でも暴くんじゃないかとゆー勢いで、内容よりインパクト優先が身につきすぎ。この現実は、ひかえめに報じてもかつてないインパクトでは。。。 |
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12:00 | 東北電力も計画停電を明日から実施とのこと。 | ||||||||
17:00 |
計画停電、長岡の旧市内は、東北電力サイトによると ・第6グループ・3/17 9:00-12:00 ・第8グループ・3/17 17:00-20:00 って感じでしょうか。 駅東/駅西でもなく川西/川東でもない謎区分け。中越地震のときも通りひとつはさんで停電したりしなかったりだったから、長岡の送電網はかなり複雑なのかも。 それにしても、どうして東京電力と同じフォーマットなのかと。EXCEL的一覧表のほうが、作る人もラクなのでは? 東京の主宰宅周辺に午前中予定されていた停電は、またも回避。同じグループの別の地区は停電しているので、グループの中にさらに小グループがある感じ。 地区のお店はそれにあわせて開店時間を決めているので、午前中休業のところが多数でシャッター商店街状態。大型店は従業員さんが出勤できないっていうのもありそうな。
コンビニは電池やパンやカップ麺やミネラルウォーターの棚がカラッポ。
ガソリン問題もますます悪化。 |
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19:30 |
実家の親から案の定「テレビ見たけど長岡毎日停電らて!」の電話が来る。 東北電力の概要発表だとそうなっちゃうんですよね。「続きはwebで」に行けない人もいるのになあ。あれっ、旭町(殿町のとなり)がなぜかポツっと第2グループに? ほんとに奇怪な送電網だなあ。
倒壊家屋から92時間ぶりに救助とか、胸を撫でおろすニュースも。
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22:31 |
明日朝イチで停電なので早寝していたら、大きな揺れ。 静岡で震度5強。 ほんとに南下しているのでは。。。心が折れないまでも、ジワジワと削られていく感じ。明日は出勤しようと相談していた同僚たちと再相談。するとだんだん「行こう!」という流れになり、消極派だった主宰も「行こう!」という気分に。 停電初日の混乱のなか果敢に出勤していく人々をテレビで見て「休めばいいのに」と思ったけれど、「出勤」という普通の行いが、この非常時への対抗手段でもあるのかも。そろそろみんな「普通」を切望し始めた。 |
2011年3月16日(水) | |||||
06:20 |
主宰宅はこの時間から停電予定。 その一時間前になんとか起きて身支度。停電したら出勤するつもりが、なかなかしない。Twitterなどを見ると同じグループの他地域では停電しているらしいので、主宰宅周辺はまた回避になった模様。 でも支度が済んでしまったので出勤。
主宰は平素はほぼ手ブラに近い小荷物派、しかしさすがにペットボトルやらカイロやら入れた大きなカバンを携行。
ところが電車からバスに乗り換えると状況一転。
08:30
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なんだかんだで定時に職場到着。 | 職場は15:20からの停電対象なのでダッシュで働く必要アリ。 オフィスは節電で照明は自然光のみ、エレベータも止めている。暖房も切っているのでダウン着たまま。お湯を沸かしたらポットを切って魔法瓶に……って、いまも魔法瓶と言うのかな。魔法って。
上司は停電初日で大混乱の月曜に、大阪の会議に行って帰って来た。
15:30
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職場が停電。 |
家がずっと回避だった主宰には初めての計画停電体験。15:00頃からPCを落としたり非常灯を確認したりバタバタ。予告時間を10分ほど過ぎて、「もしや回避か?」と思ったときにフっと照明が消えた。電話も繋がらずトイレも流れなくなるので退勤に。
外に出ると、当たり前だけど信号も消えていた。 |
2011年3月17日(木) | |||||||
08:30 |
主宰宅は今日は18:20 - 22:00の夜停電、帰宅後ずっと停電ということになるので、朝のうちに晩ゴハンを軽く作った。お湯を魔法瓶に入れたりも。 昨日と同じく大荷物……と言っても普段が小荷物すぎるのでこれで普通の女性の荷物サイズ……で出勤。
職場は午後から夕方まで停電。 年度末なので納期確認のメールを業者に入れると、「日本の物流の底力を見せてやりますよ!」と熱いメールが返ってきた。中越地震のときにも思ったけど、「プロ」たちはこういうときに本当に凄い。マスコミも買い占めなんて報道していないで、黙々と物流する人々や土木する人々とかをもっと報道すればいいのに。
12:30
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職場停電。 | みんなでしみじみとお昼(いつも頼んでいる仕出し弁当屋さんは普通に営業している)。 そうそう、職場の理系の人に「電気ってどうして貯められなくて『作っちゃ出し』なんですかあ?」と聞いたら、「そもそも電気は『流れ』だから貯められない」だそーな。ああ、だから『電流』なんですね。その後しばらく地熱発電とか宇宙ソーラー発電とか、脱原発の可能性の話題。 あとは三々五々に帰宅。
15:30
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海江田経産相の大規模停電危機の会見。都内の会社の多くが一斉に社員たちを帰したため、またも駅がプチパニックに。主宰は間一髪で帰宅し終わっていた。 | 帰りの電車では暖房も入っていたしドア上の液晶モニタも稼働。ああいうのを消していいから、JRの電気を東電に流せないものですか。 ちなみに液晶モニタで流れていたのは、原発に自衛隊ヘリと機動隊放水車がアタックのニュース。録画なのに手に汗にぎる。。。
18:30
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停電に備え、ごはんも食べ終わって、ふとんに湯たんぽも入れて電気も消してすっかり寝る体制(早っ)。そのまま少し寝てしまったんだけど、20:00頃に目が覚めたら停電してないし停電した形跡もなし。市から「一部で停電しています」のメールが来ていた。主宰宅は「一部じゃないほう」だったらしい。 |
明日は夕方停電の予定。明日こそ当たるだろうなあ。 |
2011年3月18日(金) | |||||||
09:30 |
職場が午前中停電なので、午後出勤の予定でいたら、上司から停電回避のメール。 震災発生以来、チームで携帯メール連絡網を作っている。 この震災を機に携帯メールの往来が激増した。市の防災メールも携帯に入れているし、「国民の皆様へ」も毎日のように来るので思い立って料金プランを変えた。いままでのは、普段は激安なのに、うっかりパケット多用するとありえない料金になるギャンブルプランだったのでした。 あ、上のリンクをよく読んだら、エリアメールは無料なんですね。同じドコモユーザーでも来たりこなかったりするのが謎。
というわけで、あわてて出勤の支度。
11:00
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出勤途中のエキナカのパン屋さんでお昼を買う。巷のパン不足はどこへやらのパンだらけで、棚から溢れんばかり。 | エキナカはJRの電気のためずっと営業できるとのこと。「がんばって焼いてます!」と若い女性の店員さん。惚れてまうやろ! ……と、駅ですがすがしい気分になったのに、バスで道路に出たらまたガソリンスタンド行列渋滞。ホント、電車とクルマで人格が変わるとしか。
12:00
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職場は夕方から二巡目の停電予定があるのでまたシャカリキに仕事。 | ……シャカリキのつもりなんだけど、簡単なことを間違ってばかりで能率めちゃ悪い。もともと落ち着きのあるほうではないものの、さらにオッチョコチョイになっている。上司や同僚からも、「フワフワするよね」「ずっと落ち着かない」の声。みんな心が削られている。
17:30
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職場は二巡目の停電も回避に。久々に定時まで仕事。 |
先週のいまごろは、帰宅困難者になっていた。あの夜が明ければもう復興が始まると思っていたのに。 職場で話を聞くと、都内でも海側のほうは被害がけっこう多い。マンションの給水塔が倒れて上層階が水びたしという人も。
帰路の中央線の液晶モニタで、ハイパーレスキュー隊が原発に集結のニュース。
主宰宅付近の停電は夕番。帰ったら街が真っ暗なはず……と思ったら電気が点いていた。職場同様、回避だった模様。 |
2011年3月19日(土)〜3月21日(月祝) | |
3/19土 |
三連休。家でモヤモヤしていても仕方ないので、長岡に帰省することに。
東京駅までの中央線は座席が埋まる程度の乗車率。普段に比べたらガラガラでは。暖房が切れていることに気付く。いままでも通勤ラッシュであったかかっただけで切っていたのかも。液晶モニタは点いている。
東京駅も連休初日にしては空いている。ただ、両親+小さな子供+ペットという年末年始のようなユニットが目につく。観光ではなく帰省移動が多いのかも。これまた思うことは皆いっしょ。
新幹線乗車中に、職場の定年した元上司からメール。仙台在住の職場OBから現況メールが来たので、仲間に転送してほしいとのこと。トラフィックを増やさぬよういちいち確認メールを送らないようにしていた。 そうそう、仕事といえば、ドル76円のときに、ウチの職場ではありえない勢いで手続きした海外送金が、みづほ銀行のシステムトラブルで一日遅れた。為替介入で円安になったので、全員でくずおれるほどの差損が。円安になったほうが海外からの援助金が目減りしないからイイこともあるのだ、と凹んだ心に言い聞かせる。 そして長岡着。 東京ほどじゃないにしても、駅は照明を落とし気味。cocoloの「FLO」が「材料が届かないため休店」の張り紙があったけど、「近々届く見込みになったので予定より早く再開」の但し書きが。流通は確実に戻っている感じ。
実家に着いて新聞やテレビを見たら、東京と違うのは避難者受け入れ情報の多さ。避難者向けの告知も多い。 |
3/20日 |
好天の連休2日目。 つい最近まで豪雪話を聞いていたような気がするのに、長岡の市街地にはほとんど残っていなくてビックリ。道路も家々の屋根もカラカラ。ただ、住宅街の空き地や、家と家の間のところどころに極端に大量の残雪。屋根から下ろした雪ですね。 主宰宅も裏手がそうなので、イザというときの避難経路確保のために総出で雪かき。やっと開通した!と思ったところに、裏のおばあちゃんが「バカ稼ぐねか」と登場。開通一番乗りの栄誉をアッサリ持っていく。
長岡も燃料不足で、ガソリンは給油一回10リットル制限とのこと。 夜になって、石巻の倒壊民家の中からおばあちゃんと孫が救出されたというニュース。10日間閉じ込められていたことに。おばあちゃんはものすごくしっかりとした喋りで大丈夫そう。孫は体温が三十度ないとか。16歳とのことなので、回復力に心から期待。原発も外部電力が回復しつつあり好転の兆し。 |
3/21月祝 |
ゆうべから降り始めた雨が続いている。水力発電所がパワーアップするので雨上等。 昨日救出された16歳は首尾よく温めてもらえたようで無事回復した模様。ほっとしつつ帰路につく。 新幹線から見る景色もずっと雨。そして東京も雨。この日も計画停電は全グループ休止であるものの、節電モードで街は暗く電車もガラガラで寒い。慣れたせいか、人々は淡々としている。いつも行くスーパーではパンが復活。このまま慣れと流通改善のコラボで首都圏が落ち着きを取り戻していくとうれしいんだけど。 好転するかと思われた原発は引き続き不安定。2号機から白煙、3号機から黒煙。東京都日野市の一般のかたが測っているガイガーカウンタは大きな変化はないので、枝野さん会見の通り「問題のない」問題かも。ここしばらくのいろいろなことで、自分内「問題」基準がしじゅうキャリブレーションですよ、もー。 |
2011年3月22日(火) |
震災後二度目のワークウィーク開始。 駅が暗いのもエスカレータが動いていないのも慣れてきた。朝ラッシュの混乱もなく、なんとバスの渋滞もない。 職場は午後停電の予定でまた加速モード……でやっていましたら、回避の連絡が。ひと安心していたら、停電予定時間20分前にネットワークがふっつり落ちた。どうやらウチの部署だけ。ネットワークグループのウチだけ停電設定を解除していなかった模様。ネットワーク管理者は震災後ほとんど不眠不休なので、責めるに責められず。いろんなところでいろんな人が戦っている。
仕事から帰ったら郵便受けに都知事選の投票券が。 その都知事が涙で迎えた東京消防庁ハイパーレスキューに続いて大阪市消防隊も福島に出動。なんと三重県の一般の会社まで。もーほんと頭が下がりますとしか。昨夜の煙も収束中とのこと、流れはいい方に向かっていると思いたい。中央線の液晶テレビでも、アメリカの偉い人が「イイ感じ」と言っていた……ってあまりにもウロおぼえすぎるので検索しましたら、コレですね。「安定化が目前に迫っている」。原文はThe fact that offsite power is close to being available for use at plant equipment is perhaps the first optimistic sign that things could be turning around. うーん、外部電源復旧が前提ってこと?
今日は主宰宅は夜停電。 |
2011年3月23日(水) |
昨夜から福島・茨城系の余震が多く、通勤電車の中でも携帯の緊急地震速報が来てびびる。車内のあちこちでもバイブやアラームが。電車が止まるのかなと思ったら、へーきで走行。実際揺れは来なかった。JRの予知システムは携帯のとはまた別の?
今日は職場は停電ナシなので、久々に通常ペースで仕事……をしていたら、あちこちでざわめきが。 都もミネラルウォーターを配布すると言うけれど、毎日の生活は1本や2本のミネラルウォーターでどうにかなるものではないので、もしかしたら、人の大移動が起こるかもという気もする。主宰の知人の会社はすでに関西へ社員を移した。外資は特に過敏。外国系の航空会社は乗務員を成田から関空などに移していて、成田便は成田〜関空(ここで国際スタッフに交代)〜海外の目的地、と2ステップ運行している。
主宰の生活圏の取水系はいまのところ異状ナシだけど、今後はわからず。 今日の主宰宅周辺の停電は夕番。帰宅の頃には復旧しているというイイ時間帯。停電地区のターミナル駅には、停電明け待ちらしき人が大量にうだうだしていた。募金の人々もいたり地区の自警団の人々もいたりでゴチャゴチャです。 |
2011年3月24日(木) |
今日は職場も家も停電なし。他の地域もおおむね回避。火力発電所が一部回復したため余裕が出てきたとのこと。 火力発電所が暴走という話はまず聞かないのに、原子力はどうしてこんなにままならないのだろう。やっぱり人間の手におえない力なのかなあ。でも発見してしまったんだし。完璧に制御する方法について考えている研究者が、きっといまこの瞬間も世界のどこかにいるのだろうけれど。 いっぽうで、秋葉原通り魔犯に死刑判決。被告の実家、たしか東北だったはず。史上最大の災害に見舞われた故郷に何を思っているのかなあ。。。 水騒動は「乳児摂取制限解除」が出たものの、都心ではいまだミネラルウォーター買い占めが続いている模様。自販機でも水だけ売り切れとか。主宰宅周辺ではそんなでもない。多摩地区の水道は地下水がメインなところが多いので、空から降って来た放射性物質が入り込む確率は少ないとのこと(入っても地層を通って水脈に合流する頃には減衰している)。地下水だったなんて、今回のことで初めて知った。なんだかイナカっぽ……まあ、実際イナカなんですけどね(^^;ゞ
スーパーでは、カラッポの棚が日々変わる。昨日はタマゴがなくて牛乳があったのに、今日は牛乳が無くてタマゴは棚いっぱい。 |
2011年3月25日(金) |
震災発生後まる二週。 中越地震のときの二週目はどんなだっただろうとココをPage upしてみたら、天皇皇后両陛下被災地入りですよ。今回の今日、そんなこととても考えられない。やっぱりこの災害は規模が違う。
本日も職場・家とも停電なし。昨日発表されているので、無駄な準備をすることもなくて助かる。 年度末激務は関係ない部署なのに、日に日に憔悴していくのが職場の仙台出身者。本震の日に職場泊仲間だった人。同じ部屋の人に聞くと、ほとんど口をきかないとのこと。ランチルームにも来なくなってお昼休みも席コモリ。トイレでばったり会ったので話してみると、傷んだ故郷への悲しみと、じゅうぶんな生活ができているくせに「水が」「野菜が」とパニックになっている東京への苛立ちを切々と。「だいたい、東京のための原発なのに」と。 主宰は中越のときは遠距離被災者だったけれども、今回は彼女の言う「東京」側にいるので、気のきいた返しはできなかった。「みんな不安なんだよ」としか。実際、いまの東京の雰囲気は異様。隣が誰かもわからないまま密集している東京で、そこが本当に「被災地」になったとき耐えられる自信がないのかも。ずっと身体の奥底にあったその不安が、いま胸元までせり上がっている感じ。 ……という話をしている間、別の階のトイレまで遠征したとゆーMさんKさんすみません。「チラっとのぞいたら深刻そうで入れなかった」って(^^;。 |
2011年3月26日(土) |
朝イチで甲子園・佐渡高校VS智弁和歌山戦。残念な結果でしたが、初出場だし相手が相手だし。文理は大差で勝ち上がったそうで、二回戦も期待大。それにしても、春の選抜に新潟が2校出る時代が来ようとは。
今週末も全グループで停電なし。
「信濃川から水を盗んで作ってたというアレ」について。
こんなの東京じゃまったく報道されてないー! 十日町自身も3/12未明の地震で大被災してるのに、しかも相手はかつての敵なのに、まるで上杉謙信のごとき高潔さ。
こうなってみると水力発電をもっと増やせばよかったのにと思うけど、それはそれで脱ダムの問題が。
……と現実逃避している間に、「屋内退避」だった原発30km圏内が「自主避難」に(3/25 枝野官房長官会見)。 |
2011年3月27日(日) |
先週末は帰省していたので、今週末は震災発生後はじめての休日モード。東京電力の使用状況グラフを見ながら洗濯したり電子レンジを使ったり。 こうしてあらためてグラフを見てみると、ほんと、一日の生活サイクルを3グループくらいに分ける輪番生活が効果的のような気が。
スーパーに買い物に行ったら、今日はタマゴも牛乳もあるけどティッシュとトイレットペーパーがカラ。輪番欠品ですね。もうずっとないのは使い捨てカイロとヨーグルトと納豆。カイロは被災地に回っている(はず)と思うけど、ヨーグルトと納豆は主力工場がぜんぶ東北なのかも。
夕方に明日の停電予定の発表。今週からグループが細分化。でも、ちょっと思った感じと違うなあ。同じグループでも停電した/しないがあって、それが分かれると思っていたのに、新分割でも同グループ。 |
2011年3月28日(月) |
震災発生以来3回目のワークウィーク開始。 ……の朝に大余震。7:24、東北地方日本海側が震源という緊急地震速報が出て「えっ」と思ったら、実際揺れたのは太平洋側。宮城で震度5強。 中越地震のときも余震はいつまでも続いていた。二か月経ったお正月でもまだかなり揺れていた気が。しかもあの冬は豪雪だった。自然はホント容赦ない。中越は冬に向かう時期の災害だったけど、今回は春夏に向かっての災害。春がひとまずのインターミッションになるといいとほんとに思う。
そうそう、日々の報道を見ていて、同じ寒い時期の災害でも中越のときから進化してるなあと思えることが。それは、避難している人々のほとんどが、マスクをしていること。 レディ・ガガほか参集の全額寄付アルバム"Songs for Japan"がiTunes Storeで各国のきなみ一位。ランキング画面が日の丸だらけで、オリンピックかサッカー代表選のスタンドみたいな。世界中の人たちがこの日の丸アイコンをポチっとしてくれたかと思うと感無量。 |
2011年3月29日(火) |
帰り際に仙台出身者と話しこんでしまって遅くなる。電車に乗ったのは19時台。えらくガラガラで驚く。いままでは17時台から終電近くまで延々と満員電車だったのに。そういえば自分自身こんな帰宅時間になったのは震災後初めてかも。人々が早く帰るようになったとは聞いていたけど、これほどとは。 電車の中の異変といえば、吊り広告が激減した。いえ、本来の「吊り」の部分はちゃんとあるんだけれど、網棚の上のほうに並んでいる広告枠が穴だらけ。出稿者がいないのか、流通の混乱でポスターが届かないのかはわからない。このまま広告がなくなって、電車内もテレビみたいにACだらけになったらどうしよう。ちなみに一部で話題の「たのしい なかまが ポポポポ〜ン♪」は、東京ではもうトンと見なくなりました。 家の最寄り駅に着き、買い物しようと思ってお店に入ったらすぐ閉店の音楽が。今日は停電は全グループ回避なので、節電シフト。世の中全体が早じまいになって夜道が暗い。 帰宅したら、サッカー日本代表チャリティマッチがもう後半。やっぱ現代表圧勝か――と思ったところでカズ・ゴール! なんという少年マンガ展開。最後の両チーム握手シーンで、カズと握手する日本代表たちが小学生のような笑顔でほほえましかったです。
そうそう、昨日、東京では桜が咲いたそうで。 |
2011年3月30日(水) | |
勤め先の社命で関西に避難していた知人が東京に帰って来た。海外出張者も成田から直接飛んでいる。こうして徐々に普通に戻って行くのだろう、と思っていたら、友人の身内が福島原発に行くことをふいに知る。仕事柄、近々被災地には行くことになるんだろうなとは思っていたけれど。何と言っていいかわからない。友人自身も、言うつもりはなかったとのこと。本人が懸命に普通にしようとしているので、こっちも全力で普通にした。 いっぽう、義援金を騙るスパムメールも来るように。
もう呆然。 |
2011年3月31日(木) |
平成22年度の最終日。 年度末は激務で終わりが見えない感があるのが毎年のことだったけれど、今回は特に長かった。ちゃんと納まった感もなく、明日から新年度が始まる感もあまりなく、っていうか、積み残しもたくさんあるから、しばらくは3月32日、3月33日、3月34日……と続いていくものと。
そうそう、職場の窓から見える桜が数輪咲いてました。 |
2011年4月1日(金) |
新年度スタート。そして、エイプリルフールだったということに昼ごろ気が付いた。吉例エイプリルフール企画、これまたすっかり忘れておりました。桜TOPと同じく自粛ではなくマジ忘れ。 ↑ということがウソで、どこかに仕掛けてあるとゆーこともホントにないですからっ、と言えば言うほどウソっぽくなるというウソ・スパイラル。ややこしい日だなあ、もー。
昨日はサルコジ大統領来日。日帰りなのは、今日までいるとエイプリル・フールかと思われるから――というのはウソ。 |
2011年4月2日(土)〜4月3日(日) |
先々週に帰省したばかりなのに家事都合でまた帰省。 東京の親戚たちに会い、東京での停電グループとかモノがないとかの話を長岡でする不思議。いまさらながらの本震の日の話も。親戚たちも帰宅困難者に。そういえば、いつのまにか「東日本大震災」が正式名称になった模様。 気仙沼沖で倒壊した民家の屋根に乗って漂流中の犬救出。映像はロイターなどで世界配信されている。レスキューした海保の人たちもうれしそうなのがうれしい。 そうそう、寿屋旅館が工事の足場で覆われていてどびっくり。よもやホテル・コトブキにリニューアル!?と思ったら、駅からのペデストリアンデッキの工事だそうで。養生シートには寿屋の巨大な案内板。ゴシック体で書かれた「寿屋旅館」って、なんだかものすごい違和感が(^^;。 |
2011年4月4日(月) |
いつのまにか枝野官房長官が防災服からスーツになっている。「官僚たちのノリのきいた防災服」をビートたけしとかに言われたからかなあ。非常時だし東京も余震が多発しているから防災服でいるのは別にいいと思うんですけどねえ。むしろ問題の本質は「ノリのきいた」のほうじゃないかと。中越地震発生翌日に知事に就任した泉田さんなんて、防災服の馴染み具合が半端なく。むしろスーツのほうが常ならぬ感じがするという(^^;。 上に書いた漂流犬、飼い主さんのもとに戻れたようですね。救出時の動画ニュースはなんとBBCで動画再生1位に。犬好き過ぎっすよイギリス人。 |
2011年4月5日(火) |
枝野さんがスーツになったからというわけでもないけれど、出勤時のカバンを通常モードに戻してみた。気温が上がったり日が長くなったりで電力も余裕があり停電もほぼ中止、街にも少しずつ活気が戻ってきた感じ。 ニュースで東北新幹線が今月中に全線復旧予定ということを知る。中越のときは二か月以上だったからめちゃ早い。多くの橋脚には鉄板巻きの耐震工事済みだったこと、早期地震検知システムが効果的に作動したことなど、慎重な準備のたまもの。中越地震の経験が生かされているという報道にもぐっとくる。JR東のwebには鬼工事の様子が。日本の土木力はほんとに鬼神のごとくです。 |
2011年4月6日(水) |
東京の桜が満開。少し遅い多摩の桜もここ数日の陽気で追い付け追い越せの勢いで、陽当たりのいいところでは満開に。週末に長岡で見た桜はつぼみ未満の冬モード、東京ではとうに終わっている梅すらもまだ咲いていなかった。この時期はほんとに景色が大きく違う。 職場の外国人スタッフたちがおおむね戻って来た。原発の建屋水素爆発のあたりから脱兎のごとく東京脱出していたもの。「大使館が逃げろと言うから」とか「母国の家族が心配しちゃって」とか口々にモジモジと言っている。みなバツが悪そうなのがちょっと面白い。別に逃げたこと責めてませんってば。 |
2011年4月10日(日) |
統一地方選。東京都知事は投票前から石原慎太郎余裕の横綱相撲、開票早々に大差で当確が。大仏建立とか遷都とか、昔の大イベントはほとんど「相次ぐ天災で乱れた人心を鎮めるために」的なことが教科書に書いてあったけど、今回はオリンピック招致がそれになったりするんでしょうか。 当確インタビューは、「任期を全うされますか?」「やるよ。死なない限りね」(^^;。 他の地方も軒並み保守復活。いま変革を求めている人なんていませんよという感じ。「変化」は人があえて起こそうとしなくても、勝手にやって来るんですよねえ。運命は 従う者を連れて行き あらがう者を引きずって行く。 |
2011年4月11日(月) |
発生から一カ月、そして先週木曜に続いてまたも大余震。関東では夕立ち的な豪雨が。ずぶぬれ地区とカラカラ地区が狭い範囲で入り乱れている不思議雨。北関東では雹も降ったとか。中越地震の前は豪雨であとは大雪だった。今年は少し手加減してほしいと願うばかりです>自然さん |
2011年4月12日(火) |
実家が中越地震にあって帰省したときの携行品で、いちばん役に立ったのはレトルト食品でもペットボトルでもなく通信カード(<時代^^;)を入れたノートパソコンでした。 ある程度救援の手が入ったあとの被災地で必要なものは「情報」ということ。そのうち、老若男女問わず触れられるのが、ラジオというわけで(special thanks ラーマンさん)。
新潟県中越大震災や新潟県中越沖地震にて地元に必要な情報を放送したコミュニティー放送、今回の震災でも多くの地域で臨時災害放送局が開設されています。
りんごラジオのブログ、最初にある写真が印象的です。
山元町出身の演歌歌手「こおり健太」さんのブログ
亘理町の「わたりさいがいエフエム」は愛称「FMあおぞら」
亘理町ホームページでの開局のニュース
立上げ時の様子が載っているブログ
なお、今回の震災にて他にもどのような臨時災害放送局が出来たか知りたい方はこちらを御覧下さい。
<おまけ>
非常時のラジオ放送は、ラインなしで手に入るライフラインですよねえ。主宰も帰宅困難の夜以来、小型のをバッグに入れてます。 |
2011年4月16日(土)〜17日(日) |
また長岡に帰省中。先週末はまだ冬の雰囲気だったのに、急激に陽気がよくなり日差しも空気も春模様。福島江の桜もみるみるうちに咲きました。 そういえば、福島江ってどうして「福島」なんだろう?と思ってぐぐってみたら、工事に尽力した桑原久右衛門の出身地、福島村(現在の長岡市福島町)に由来とのこと。見附の手前、押切のほうですね。いま「福島」といえば世界的にもあの「Fukushima」なわけですが、「福」の「島」だから本来はとても吉名。こっちでテレビを見ていると、新潟ローカル枠の途中から「ここからは県内に避難されている福島のみなさまへ」と福島のニュースコーナーが始まることが定番に。原発情報や避難情報に混じって、お花見や学校再開などの吉報も。 |
2011年4月24日(日) |
悲しいニュース。福島県から新潟県長岡市に避難している小学6年の男子児童(11)が、転入先の小学校で同級生に蹴られ入院。子供の単純な残酷さからなのか、もっと根深いものがあるのかはわからないけれど、いたたまれない。
>男子児童は既に回復し26日に退院予定。「学校に行きたい」と話しており、 というのが救いと言えば救いです。 どの世代でも、どういう問題でも、おかしな反応をする人というのは残念ながら必ず一定数存在する。でも、おかしくない人もまた必ず一定数存在するから大丈夫!というのがいままでの経験上の個人的感想。ただ、長岡は小さな町なので、分母が小さいのがちょっと難しいところなんですけどね。。。 |
2011年4月30日(土) |
東京開催だったはずの今シーズンのフィギュアスケート世界大会が、震災の影響でモスクワで代替開催。 日本勢は男子は小塚が銀、女子は安藤が金。男子の高橋はエッジがはずれ、織田は同種のジャンプ跳び過ぎルール違反で残念なことに。ってゆーか、織田のこのミスはすごい既視感が(^^;。女子は、村上は悪くなかったのに辛ジャッジでちょっとかわいそうな。 そして、浅田真央ちゃんですよ、もー(<すでに切なくなっている)。激ヤセしていてビックリしました。あんな細い足でジャンプ跳べるのかと、と思ったら跳んでましたけど、こちらも辛ジャッジでしたねえ。フィギュアに限らず、採点競技はジャッジが相手によってフィルタを変えるところがあるのがモヤモヤするところ。
そんなフィギュアを見ながら主宰がやっていたのは、浄水ポットのセットアップ。 ……という話を友達にすると、「いままで生水だったの!?」とビックリされるわけですが、大雑把な主宰は自分の浄水フィルタ管理能力のほうに不安があり(^^;。今回も工事による濁りが取れたら使わなくなる気がします。ウチの水(しかも沸かさない生水)しか飲んだことない犬が、長生きしたのでまあいいか、とこれまた大雑把に思ったり。 |
2011年5月1日(日) | ||
気付けば5月。3〜4月とバタバタしていたのでマジ驚きですよ、もー。 とはいえ例年よりは肌寒い気がするし、台風のような強風が吹き荒れる日も多く。自然はホント無頓着キャラでございます。そうそう、沖縄はもう梅雨入りだそうで。関東甲信越は一ヶ月後くらいでしょうか。 そんな、天気予報では「関東甲信越」なはずの新潟ですが……(special thanks 先尾翼さん)。
たはは、「東北・新潟は別番組」〜。まあ、「東北は別番組」のテロップで、問答無用で新潟も別番組になってしまうよりはソフト対応かと。でも、新潟の民謡はお座敷系の関東と同ブロックになるよりは、東北のほうがしっくり来るような?ってのも正直なトコロ(^^;。
主宰も十日町方面には親戚がありまして、数日間車庫で(高床式の1階)暮らしたと言っていました。浅い震源の直下型という、中越地震パターンですよね。未明でしたし、この冬の豪雪も大量に残っていた時期でしたし。。。なのに首都圏のニュースでも、ネットの支援サイトでも、対象県に長野はないという。 |
2011年5月2日(月) |
夕方、オサマ・ビン・ラディン死亡のニュース。米特殊部隊がパキスタンの潜伏先を急襲、銃撃戦の末に射殺したとのこと。 アメリカからは大喜びする群衆の映像の中継が。日本人にもテロの犠牲者がいるにもかかわらず、同じテンションで喜ぶ空気がないのは、いまの日本が「命が失われる」ことにナーバスになっているせいなのかも。大人は「世界はいろいろある」と切り替えることができるけど、小さな子供のいる人などは説明に困るだろうなあと思うことしきり。 |
2011年5月4日(水) | |
5月1日に書きました、栄村のトマトジュースについて(special thanks 先尾翼さん)。
なんと素敵なリレーション!と思ってAmazonを見に行きましたら、すでに売り切れておりますね。「見過ごされた被災地」を見過ごせない人々がたくさんいるんだなあと思うと胸が熱くなり。 |
2011年6月24日(金) | |
梅雨も明けないうちに猛暑襲来@東京。 まあ夏に暑くなるのは当たり前のことなので、春のうちから節電についての議論はさかんで、サマータイムとか輪番操業とかいろいろ言われてきましたが、その想定を上回るロケットスタートの夏突入でございます。自然はホント空気読まないなあ。さすが元祖「天然」。
主宰職場では実験的に輪番エアコンを実施。13時〜14時までは部署A、14時〜15時までは部署B……という感じ。 そして、4/12に書きました、コミュニティー放送局について続報が(special thanks ラーマンさん)。
神戸の「ラジオ関西」と「FMながおか」がサポートというのもなかなか感慨深いですね。学生ボランティアを出している流通科学大も神戸の大学ですし。リレーする災禍と復興。こんなところにも輪番が――って、災禍のほうはもう輪が途絶えてほしいなあ、ホント。 |