NG!-震災Edition-

01:2004.10.23土本震の日17:56本震M6.8(震度6強@小千谷・長岡は震度5強)
17:56+とき325号脱線
18:12震度6強@小千谷
18:34震度6強@小千谷
19:46震度6弱@十日町
02:10.24日一夜明けて
03:10.25月模索山古志村全村避難
04:10.26火信越本線・復旧車中避難者にエコノミークラス症候群による死者発生
*イラクで邦人拉致
05:10.27水大余震10:40余震M6.1(震度6弱@広神村・長岡は震度5強)
妙見土砂崩れ現場で2歳児救出
06:10.28木ガスキター!
07:10.29金明日はナガオカ山古志村「天然ダム」発生
08:10.30土FLY ME TO THE HOME新幹線 新潟〜燕三条再開
09:10.31日滞在2日目にしてもう今まで体験した地震数を超えた気が「震度7だった」判明
*イラクの邦人、遺体で見つかる
10:11.01月ドーン魚沼市・南魚沼市誕生
*新札発行
11:11.02火ジャングルでもないのになぜ迷彩服なのだろう?山古志の牛、ヘリ救出開始
*楽天、プロ野球新規参入決定
12:11.03水NG!的被害状況
13:11.04木新潟-長岡間 新幹線再開!…すぐ不通08:57余震M5.2(震度5強@越路町・長岡は震度4)
*ブッシュ再選
14:11.05金ナガオカ駅グレイト
15:11.06土「片付け」ってのはかなり重力に逆らう行為だったんですね天皇皇后両陛下被災地へ
16:11.07日復路
17:11.08月いつまで経っても「一ヶ月」
18:11.09火遅ればせながら
19:11.10水とき325号救出再開
20:11.11木じょうめん
21:11.12金東京は遠いですかと聞かれたら
22:11.13土どっちだ!
23:11.14日遠距離被災*紀宮婚約、中越地震に配慮して発表延期
24:11.15月耐雪と耐震
25:11.16火「じょうめん」続報と壁固定の副作用
26:11.17水最後の乗客
27:11.18木無事の便り*奈良で小1女児誘拐・殺害
28:11.19金新幹線12.28!?
29:11.20土大災害は知らない人のところに起こるものだと思ってた
30:11.21日避難所のいま
31:11.22月箸を持ったままでした
32:11.23火関越トンネルを過ぎると
33:11.24水「お代は新潟へ払ってくれ!」南長岡操車場仮設住宅入居開始
34:11.25木やらんば!
35:11.26金インクレディブル消防団員
36:11.27土午後の上生*ジェンキンス氏釈放
37:11.28日震災後初書いちゃ出し更新!
38:11.29月釧路沖震度5強
39:11.30火あったてんがの
40:12.01水another year over, and a new one just begun
41:12.02木年の瀬に必要な細長いもの2題
42:12.03金ありがとう多摩の人
43:12.04土検索で来られた方、役に立たないページですみません
44:12.05日ゆく人 くる人
45:12.06月さまよえるモヤシっ子
46:12.07火↑とボヤいていたら
47:12.08水取り越し苦労ファイアウォール長岡最後の避難所(栖吉・六日市・山本)閉じる
*横田めぐみさんの遺骨「別人」鑑定
48:12.09木買いすぎですよ多摩の人*島田紳介傷害罪で略式起訴
49:12.10金涙の指定券
50:12.11土ときを待ちながら
51:12.12日笑って話せるように
52:12.13月再会系サイト*ドンキホーテ放火
53:12.14火「被災」は対人・「罹災」は対家屋だそーです
54:12.15水サプライズ善意
55:12.16木ゴージャス健診よりも地震のときの休暇を特休にしてくれたほうが正直うれしいです人事さん
56:12.17金幸い住むと人の言う初雪
57:12.18土栖吉の土手から
58:12.19日どんな記念日なんかより
59:12.20月あやしいけれど懐かしい
60:12.21火常在戦場!自衛隊撤収
61:12.22水 トリガーのトリビア
62:12.23木 二ヶ月経過
63:12.24金 Red-Nosed TRAINdeer
64:12.25土 字のマチガイ率だけは上昇するのみで下がりません スマトラ沖M8地震、その後M8.9に訂正
65:12.26日 Forward-Look Express スマトラ沖地震M9.0に再訂正
周辺10か国に津波、死者2万人以上
66:12.27月 赤い河の谷間 上越線・飯山線 全区間復旧
67:12.28火 そのとき 上越新幹線 全区間復旧
スマトラ沖地震犠牲者2万9000人確認
最終的には5万5000人の予測
68:12.29水 シャワーマッサー+1 スマトラ沖地震犠牲者7万7000人確認
69:12.30木 転がる石のように 積雪1m超、被災家屋の倒壊発生
「雪降ろし隊」山古志村へ
*奈良女児誘拐殺人犯 逮捕
70:12.31金 蛍の光 スマトラ沖地震犠牲者12万4000人を超える
71:2005
01.01土
除夜のストローク
72:01.02日 Departure *旧1万円札の偽札出回る
* 01.17月 阪神淡路大震災から10年
73:01.18火 特異日
74:01.23日 オラ、ささだんごちゃん! 震災発生三ヶ月
* 01.27木 小千谷の旅館が積雪倒壊2名死亡
75:01.30日 話は越後の
* 02.01火 ほくほく線「はくたか」豪雪のため脱線
* 02.05土 豪雪対処のため自衛隊災害派遣要請
76:02.06日 豪雪Edition
77:02.20日 祭の季節
78:03.20日 福岡西方沖地震
* 03.25金 保全中の脱線車両とき325号、廃車(05.28土補遺)
* 04.01金 中之島町、越路町、三島町、山古志村、小国町が長岡市に合併
* 04.25月 *JR西・尼崎駅手前で福知山線列車が脱線、マンションに衝突
* 05.04金 旧山古志村「牛の角突き」東山ファミリーランド仮設闘牛場で開催
79:05.01日 天空の城・丸専
80:05.21土 情熱大陸
81:05.28土 ありがとう
82:06.05日 群発
83:06.20月 新たな震度5 柏崎〜旧小国で震度5
84:07.23土 東京キター! 足立区で震度5強
85:08.02火 フェニックス 長岡まつり
86:08.16火 宮城沖M7.2 最大震度6弱
87:08.21日 ふたたび新たな震度5 旧小国で震度5強
88:10.08土 パキスタン大地震 パキスタン〜インド国境部でM7.6
89:10.16日 めぐる季節
90:11.06日 10.23復興イベント・レポート
91:2006.10.23月 二度目の10.23

01:2007.07.16月平成19年中越沖地震10:13本震M6.8(震度6強、震源;柏崎沖)
柏崎刈羽原発で火災
23:31京都府沖M6.6(最大震度は北海道で観測。異常震域)
02:2007.07.17火 三年経たないうちに 原発から放射性物質の海中への微量漏出発表
03:2007.07.18水 専門家 柏崎市長、東電に原発稼動停止命令
行方不明男性遺体で見つかる
04:2007.07.19木 ささやかながら新潟製品応援中 放射性物質の大気中への微量放出発表
05:2007.07.20金 情報交換 兼 点呼? 「リケン」の被災により主要自動車メーカー工場操業停止

ex. 2011.03.11 東日本大震災


10.23土・本震の日

23:47up
主宰宅・副主宰宅とも家具倒壊多数(主宰宅では照明器具が落下)であるものの、人的被害ナシ。午後9時段階では水道×電気○butテレビ×(ガスは使ってる場合じゃないので未確認)。主宰宅は午後10時に近所の集会所へ避難。

(10.28 22:00補遺)
午後6時頃、主宰、休日出勤していた職場(東京多摩地区)で震度2〜3を数回体験。しばらくして「震源が新潟でけっこう大地震」と聞く。ネットを見ても情報なし。テレビを見に行くと震度6が2回あったとのこと。NHKにときおり映る長岡の夜景。信濃川沿いのNHKから撮っているのか、灯りがまばらな町並み。停電なのかもともと灯りの少ない地区なのかいまひとつわからない。

実家に電話するも携帯も固定も繋がらず。なぜか都内同士の携帯も繋がらず。アナウンサーは「新潟県中越地方で大きな地震がありました」としか言わない。「現地被害が壊滅的すぎて情報が入らない阪神大震災パターンでは」と言い出す人あり。主宰、BSNのサイトで新幹線の脱線を知り(ネットでは主宰の知る限りここが一番情報が早かった)、愕然。あわてて帰宅。

家に帰ると母から「大丈夫だから〜××ちゃんも大丈夫だから〜」と全く大丈夫じゃない口調の留守電が入っていた。なんで魚沼方面に住んでいる従妹の××ちゃんが出てくるのかもサッパリわからず。

ようやくテレビやネットに情報が入りはじめ、震度6強が3回あったことを知る。

20:00頃、やっと実家に繋がる。「めっちゃくちゃらて」と母親談。状況を聞いていると「うわー」と叫んで電話が切れる。あとで聞くと余震だった。また電話が通じなくなる。

長岡出身・長岡外在住の友人から電話。長岡の家に電話が通じないとのこと。うちは一度通じたことと、長岡の市街地では家屋が倒壊するほどではないらしいことを伝える。

22:00頃、家から電話。これから避難所に行くこと、ちょうど長岡に遊びに来ていた××ちゃんが大手通で被災して主宰宅に身を寄せていたことを知る。

副主宰宅に電話。無事を確認。


10.24日・一夜明けて(11.20補遺)

最初の「大きな地震が」という漠然としたものからどんどん具体的な被害が見えていく。ほんとに阪神大震災パターン。しかも未だ大きく揺れているらしい。従妹の××ちゃんは帰宅をこころみたものの道路寸断でUターン。今日もまた主宰親とともに近所の避難所泊ということに。携帯のバッテリも切れ、乾電池使用の充電器を探しに行くが、スーパーが店舗の前でカイロや水や簡単な食料を売っている以外、開いている店もなかったとのこと。


10.25月・模索

14:30up
主宰宅(川崎地区)電気○水道△電話○。地面に小規模陥没あり。コンビニ営業中but商品ナシ(主宰母談「柿の種しか買えなかった」)。今夜も車の中や避難所で過ごす予定の人多数。避難所では飲み物や菓子パン等の配布あり。

22:20up
主宰宅、電気○水道△(濁)ガス×。小規模避難所を閉じて小中学校に統合の方向。主宰母、PM5:56恐怖症に感染。最初の地震発生時間になるとドキドキするそう。主宰、長岡入り方法を模索中。飛行機はカセットガスとか持ち込めないな…

(11.20補遺)
××ちゃんはこの日の朝「海のほうを回って(本人談)」帰宅。まさか太平洋まで出たわけじゃないだろうから、柿崎まわりと思われます。


10.26火・信越本線・復旧

00:25up
模索のヒントが突然に。信越本線復旧予定キター。26日午後3時頃から再開の見通し。
羽田―(飛行機1h)→新潟―(信越本線ふつうは1h30)→長岡
東京―(長野新幹線2h15)→長野―(信越本線ふつうは4h)→長岡
というところでしょうか。

13:30up
避難所で風邪ひき多数。地区の医師フル回転&毎晩救急車で運ばれる人あり。また、避難所の出入りには行方不明者を出さないため女子寮のごとき検問が。在宅者にはパンとペットボトル水を町内会より配布。北陸ガス職員の戸別点検くる。ガス復旧間近&コンロ系は現地で買えるそうなので、主宰、10.28に空路で長岡行きを決意。国内線.comを見ると噂ほど激混みではなく、空いてるところをポチっとな。でも次に見たときには×だらけ。めまぐるしく変わる予約状況。一度見てオール×だった人もリロードすると変わるかも。


10.27水・大余震

13:20up
急展開。10:40の震度5強の余震で長岡駅封鎖。新潟市からの確実な移動手段消滅。主宰、親に怒られ自分もびびり、明日の長岡行きを断念。主宰親は「被災地を移動する子供を心配する」という新たなアプリをインストールする余力がない感じ。せっかくかなり日常に戻った感じだったのに断層のバカバカ。仕事は文化の日の飛び石まで休みを取ったので、東京の自宅にひきこもり連絡係になる予定。
「同じ日に行きます」メールを下さった方々、どうぞご家族とご相談を。

20:10up
長岡駅、封鎖解除。崩落危機ニュースに「セゾン(まだCOCOLOに馴染まず…)が崩れ落ちるのか……」と呆然としたけど無事でなにより。しかし信越本線は、昨日14:00の再開から1日ももたずに不通に。主宰親はふたたび避難所へ。避難所は今回の大余震で人が増え、高ストレス状態である模様。主宰、仕切直しで長岡行きをまた模索。柏崎ルートはこんな感じなので、やはり信越線復旧待ちか。そろそろある種のサバイバーズ・ギルトみたいなものが湧いてきて、入浴時とか鬱になる。へたれですみません。<「へたれ」に相当するナガオカ弁すら浮かばないし。


10.28木・ガスキター!

11:00up
信越本線 新潟−長岡 復活。主宰、飛行機を10.30に予約変更。キャンセルはお金かかるけど変更は何回でもタダで簡単にできるので(国内線.com)ありがたい。避難所は昨日の大余震でストーブが撤去され寒々しいことに。コンビニではおでんが売り切れ、ツユだけ無料でふるまったりしているらしい。肉まんやレンジで作る揚げ物系はまだ売っているとのこと。気象庁発表の今後3日間のM6クラスの余震確率は20%。雨の20%はけっこう降る。この余震さえ止まれば少しは先が見えてくる気がするんだけど。はやく「あのときはおーめにあったてー」とか言える日が来てほしい。

13:30up
ガスキター! 昨日の大余震の前に発表された予定と変わってないのはすごい。立会いがないと開栓できないようなので、対象地区のみなさまはご在宅を…って、主宰宅、出かけてるっちゅーねん。出先に「スグカエレ」call。

21:00up
北陸ガスさんの巡回に親の帰宅が間に合ってほんとにガスキター! そして郵パックもキター! 主宰が25日にネットで送ったふるさと小包の水とレトルト粥セット。関越ルートはダメだろうと思い富山の郵便局の商品をポチっとしたもの。中2日で届いた。ということは被災地区からもネット通販できるということ。
自宅にこもってずっと電話番しながらテレビっ子&ネットっ子している主宰は、たまに外に出るとあまりに「日常」な風景に少しクラクラしたりする。こっちじゃヒトゴトなんだなあ。。。と思いながら長岡行き用品として携帯ラジオを買いに行ったらすべて売り切れ。「新潟の地震のあとこうなった」と店員さん談。メーカーも製造が間に合わないとのこと。非被災地も防災ブーム。主宰はあんまり客観的に見れなくなっているのでよくわからなかったけど、やはり未曾有の災害なんだと思う。

22:50up
↑でマジメに締めたのにナンですが、親に「(ゆうパックの)お粥どう?」と聞いたら、「こういうのはイザというときのためにとっとくて」。いまが「イザ」じゃないのかよー!


10.29金・明日はナガオカ

19:10up
明日の出発準備にバタバタ。部屋でじっとテレビっ子してるより動き回っているほうが元気が出ますね。27日の大余震のあたりから、たまに吐き気に襲われたりしてたんですが。明日行く新潟空港って見るのも降りるのも実は初。普段は東京〜新潟は就航していないということすら今回の事態で初めて知った。長岡駅は出入り可能でもセゾンは…cocoloはまだ閉まっているとのこと。駅周辺では自衛隊や全国のTV局の中継車がいるという。違う街の話みたいだなあ。

23:20up
それでは明日、帰省決行します。「帰省」と「決行」の単語の緊張感のギャップがステキ。


10.30土・FLY ME TO THE HOME

@往路(11.08補遺)

早起きして仕度。新潟〜長岡間に不安があるので、途中で汽車(あ…)が止まって避難所泊とかになった場合に備えて防寒装備。幸い東京も寒い朝で違和感ナシ。携行品は、

食品:フリーズドライ野菜・フリーズドライスープ・レトルトおでん・バナナバウム(<自分がスキなので…)
薬品:風邪薬・胃腸薬・ビタミンサプリ・のど飴・乗り物酔い止め
雑貨:軍手(布/ゴム張り)・貼るカイロ・マスク・電池・ゴミ袋
情報:ノートPC・PHSカード

実はひとりで国内線に乗るのは初めてなので、ものすごく前もって家を出る。土曜なので朝ラッシュがないのがありがたい。中央線に乗ったとたんに雨が降り出したのもありがたい。キャリーバッグを引きずって歩くのに雨はとっても困るから。海外旅行ばりに出発時間の3時間も前に羽田入り。

ネット予約者は、自動チェックイン機にクレジットカードを通すだけで発券されるはず。通したら画面に私の名前と予約内容が。でも「確認」キーを押したら一転あやしい画面に。

媒 体 残 留
と黒い画面に赤い文字。初めてなので「チケットレスってこういうものなのかなあ」と思いながら荷物を預けにいったところ、やっぱり「チケットレスでも搭乗券は発券されます」とのこと。機械のところに行ったら相変わらず「媒体残留」。ペーパージャムを起こしているのねとジワっと理解。ビギナーなのにアンラック。近くにいた女性スタッフさんに泣きながら(<心で)訴えると有人の購入窓口に並んでくれという。行ってみたらものすごい行列で、泣きながら(<心で)並ぶ。20分ほど並んで順番が来て、ようやく機械から私のチケットを出してもらった。

そんなこんなでありすぎた時間はどんどんなくなり、こりゃいかんわと荷物を預け、自分も搭乗手続きへ。PCをバッグから、携帯と鍵をポケットから出してトレイに入れ、金属チェック無事通過。通過したところのテーブルには前の人のトレイがあったんだけど、上にはアメの包み紙(アルミ)が数十枚。なめ過ぎ&捨てなすぎ。

臨時便である新潟行きのゲートはえらく奥。道中、お土産屋はたくさんあるけどコンビニ的なものがない。実はこのとき主宰は顔面の痛みに苦しんでいて、ワセリンか何かを買える店を探していた。アホな話ですが、当分ゆっくり顔も洗えないかもと思って朝ゴシゴシ洗いすぎ…。

結局コンビニは見つからないまま搭乗時間。バスに乗せられて滑走路へ。これまたえらく遠くの滑走路。飛行機はちっちゃいのなんだろうなと思っていたけどちゃんと大きい機体だった。これが1日8往復の全便ほぼ満席とは。防寒具に身を固めて悲壮な顔つきをした震災組が圧倒的だけど、主宰の隣の席のスーツの男性2人組は普通に新潟市に出張らしく、おいしいお店の話とかしていた。被災地以外の世界は普通に動いてる。

雨の中、定刻どおりに離陸。15分くらいしてベルト着用サインが消える。と思ったら、
「10分後に着陸態勢に入りますのでお手洗いはいまのうちに…」
なんてアナウンスが。じゅ、10分ですか!と思わず心のツッコミ。近いんだなあ、新潟。と思っているうちにもう着陸準備タイム。悪天候でめちゃめちゃ揺れて泣きそうに。追い討ちをかけるように
「お手洗いは使用できません。ご気分が悪くなったかたはお座席前の紙袋を…」
というアナウンス。幸い紙袋のお世話になることはなく無事着陸。

初めて降りる新潟空港は小ぢんまりした空港で、荷物を受け取りちょっと歩くともう外。新潟駅行きのバスは恐ろしい行列。1台乗れずにボーゼンとしているとタクシー相乗りの声がかかる。タクシーで新潟駅まで40分(渋滞タイム。普段は30分とのこと)、3000円くらい。

新潟駅には改札前に誘導の駅員さんが。信越線ホームと発時間を教えてもらい、切符購入。長岡まで1110円。新幹線のSきっぷの片道より高い気が。こんなときじゃなければ旅情ただようボックスシートの列車に乗って、1時間半の移動。防寒ルックにキャリーカートという人たちが2割、学生さんや買い物帰りといった日常生活中の人たちが6割、残り2割は空席というところ。新潟市から被災地への唯一の鉄道路線だから、ごったがえしているのかと思ったら。

車窓から見る風景は、まったく異状がない。下越はほとんど無傷。でも、三条のあたりから気になる光景が。田んぼや道のわきに積まれた土嚢。これはもしかしたら7.13水害の。素焼きの土管みたいなものが並んでいる田んぼもある。高井さんも書いておられたけど、人が一生に一度体験するかしないかの大災害が、半年を置かず同じ地区を襲うとは。見附を過ぎたあたりから風景はどんどん痛々しいものに。ブルーシートを被った屋根がところどころに現れ、倒れた塀やお墓が見える。

そして長岡。改札は半分何か修理しており、天井もところによって剥がれていた。新幹線乗り場のほうは照明を落としてあって暗い。セゾン…cocoloはシャッター。でも、1Fに降りると食品フロアは果敢にも営業していた。駅前にはバックパックと寝袋背負ったボランティアの若者がちらほら。親とヨーカドーで待ち合わせしているので地下道へ…と思ったけど工事フェンスを見てびびり、ぐるりと迂回して対岸へ。フと気になって寿屋を見ると、瓦がかなり落ちていた。戸は閉まっていて(いつも通り)静か。ヨーカドーは普通に営業していた。待ち合わせ場所で親の無事な姿を確認。尽きない地震すごかったトークを聞きながら家へ。

@家(11.12補遺)

ヨーカドーで時計を見たら15:30。12:00羽田発の飛行機だったので、乗り物時間は3時間半。費用は飛行機\15,000+新潟空港からタクシー\1,000(相乗り)+信越本線\1,110で、計\17,110。ほぼ新幹線往復分。

駅から家までの間には、大谷石の塀がゴロゴロ落ちているところや屋根にブルーシートを被っているお宅あり。家の近くの道路はフチが陥没してアスファルトが浮いている。

主宰宅は揺れで散らばったものや割れたものをとりあえず隅にかためてある状態。お風呂はタイルが激しく落ちているけれど、水漏れ等はなく使えているとのこと。いつ死体になっても恥ずかしくないように避難所生活中も昼間は家に戻って手足洗ったり下着替えたりしていたという母の言葉がリアル怖。

落ちたと聞いた照明は完落ちではなく半落ちで、応急処置はしてあった。なぜか吊りケーブルがめちゃめちゃ長くなっていて、本体位置が私の頭の少し上程度に。ペンダントタイプじゃない代替器具発注中とのこと。玄関先と居間の窓には帽子と手袋と靴が置いてあって常時避難体制。私の部屋のある2階に上がってみると、廊下や部屋のいちめんに新聞が敷いてあった。一部は飛び散ったガラス対策、あとはネコ仮設トイレとのこと。本震後しばらく我が家のネコは2階に引きこもっていたそうで、「ミーちゃん、ミーちゃん」と下から呼ぶと(当時は怖くて2階に上がれなかったとのこと)、
ミ〜・・・
というカボソイ返事があったとか。たしかにあちこち汚れてる。ペットトイレシートを持ってきてあげればよかった。当のミーさんはようやく落ち着きを取り戻し、このときは外出中。というわけでミーさん抜きで夕食。もうお店も開いているし電気・水道・ガスもOKなので、普通にあったかい食事。

東京では本震の日だけだったNHKの枠つき放送が、こちらではまだ続いている。避難勧告・ライフライン情報から開放しているお風呂や炊き出しのお知らせまで幅広い。炊き出しは「豚汁」とか「鮭汁」とかメニューまで出るのは驚き。新聞を見ると「うちの空いている部屋に住んで下さい」なんていう首都圏・近隣県の一般の方々からのお申し出が住所つきで載っていたりしてこれまた驚き。

母が風邪をひいて苦しそうなので、今日はバタバタせずに寝る体制。と言っても服のまま床にゴロゴロするだけなんですが。電気とテレビはつけっぱなし。


10.31日・滞在2日目にしてもう今まで体験した地震数を超えた気が(11.13補遺)

長岡市防災ページで月曜日からゴミ収集開始を知り、シャカリキに片付け。何度も余震があり、その都度母につられて帽子と上着を着用し玄関ダッシュ。今まで経験した「ユサユサ」という地震と違っていきなり「ガツッ!」と衝撃波が走るので、大地震に展開するのかそのままおさまるのかわからず、とりあえず逃げてみるしかない。心臓に悪い生活。今朝白のユニクロ前の道路の並木が一本もなく、真新しい切り株だけが並んでいるんだけど、もしかしたら余震での倒壊を警戒して切り倒してしまったのだろうか。午後からは身内の見舞いに川西へ。ネットで知ってたけど、鳥居のない平潟神社を見るのはショック大。河川敷には報道機関のものらしきヘリが一台。駐禁とかないんでしょーか。


11.01月・ドーン

15:45up
無事に長岡におります。ようやく更新する余裕が。余震も日に日に減っています。一度だけ、「ドーン」と音がしてから揺れるタイプのを夜中に体験。昨日・一昨日分は後日補完。(補完しました↑。11.13)


11.02火・ジャングルでもないのになぜ迷彩服なのだろう?

19:45up
ゆきさんからトップページが見れなくなっているとのご指摘&修復法を教えていただく。ノートに繋いでいるPHSが悪さをしているらしい。修復してみましたが、見えてますでしょーか。

毎朝大量にゴミ出し。燃える/燃えないに分けて出せとのことなんだけど、ガラスの破片がキラキラしている毛布ってのは燃えるゴミなのか燃えないゴミなのか。日中は壊れた家電とかガス器具とかの修理屋さんが入れ代わり立ち代わり。一週間くらい来てもらえないのかなと思っていたら即効来ていただけるのでありがたい。ボランティアセンターの人も戸別訪問中で、ボランティア発注用のFAX用紙を置いて行った。長岡市街地は比較的被害が少ないとはいえ、屋根にブルーシートを掛けた家だらけだし、平潟神社には鳥居がない。道路には「災害派遣」表示の自衛隊の大型車がしじゅう走っていて、ヘリも飛びまくり。主宰宅は山古志村の人たちの避難所に比較的近いので、自衛隊の巨大ヘリがびびるほど低空で飛んでいるのをけっこう見る。めちゃめちゃでかい機体で、飛んでいるだけでもワーグナーが聞こえてきそうな爆音と振動。


11.03水・NG!的被害状況

19:37up
母から避難所経由の風邪をもらう。まだ私の部屋が片付いてない&余震に備え玄関に近い1部屋にネコまで密集して寝起きしているので無理もない。今日は余震が多く風邪でフラフラしているのか余震でユラユラしているのかよくわからず。夕方からはものすごい雷雨で、なんだか気象庁の実験施設で暮らしているみたいです。急を要する片付けはおおむね済んだので、休み休み作業。昨日、今日までだった休暇を今週一杯まで伸ばす連絡を入れといてよかった。モヤシっ子ですみません。和室は京壁がどこも上から数ミリずり下がり、部屋の隅は砂だらけ。この砂をノリで貼り付けたようなモロい壁ってのは、いったいどういう利点があってあみだされた技法なんですか大工さん。

20:40up
NG!的被害状況(special thanks りたさん)。

【寿屋】ただでさえやばいところに、今回の地震でさらにやばくなり、その影響で駅前の酒屋さんなどは、未だに夜は避難所にとまっている。とくに裏にある土蔵?の壁が崩れかかっています。
【高専】斜面の崩落の恐れアリで、立ち入り禁止になっていた。
【まいまいひめ】地震の直後、付近の停電により多くの住民が姫の周りに集まっていた。
【酒小屋】24日の日曜にはかたづけをし、早々に営業再開!店の人の話だと本震で戸が開きにくくなっていたが、27日の余震でスムーズになった、と言っていた。
【ちけん様(平潟神社)】本震で鳥居が倒壊。
【蒼柴神社】被害多数、宮司の自宅倒壊。参道の橋も片側が落ちている。
【厚生会館】一応避難所扱いにはなっているが、ここに集まった住民はすべて阪之上小へ誘導されていた。

寿屋さんは小屋根の上に大屋根のものらしき瓦がバラバラ乗っていたのを主宰も目撃。建物自体は「ちゃんと立ってる!」と感激したんですが、そうですか、裏が…。厚生会館は、主宰のコドモの頃ちょうどこの文化の日に菊花展や市展、そして、錦鯉展でにぎわっていた思い出が。そのころでさえ新しくはなかったですから、避難所としては確かに危険でしょう。酒小屋はさすがと言うしか。戸は直ってるし(笑)。旧ナガオカの底力!


11.04木・新潟-長岡間 新幹線再開!…すぐ不通

10:48up
8:57、大きな余震。ガガガガッと道路工事のような揺れ。外に出ると電線がナワトビのように波打っていた。震度は長岡4、最大は越路町で震度5強。その一時間くらい前にガツッていうひと揺れだけのがあったので、余震の予震だったのかも。それは震度も震源もわからず。「うわっ」と思ってもTVの速報も気象庁ページも動きがないことが多い。この余震で今日から再開の長岡発下り新幹線がまた止まってしまった。そういえば10/27の大余震のときはその日再開(<「その前日再開」でしたね。カン違いすみません〜)の下り信越本線が止まった。長岡発着の列車の再開日は要注意なんでしょうか。主宰は直前まで台所のお皿の片付けをしていて、ちょうど一休みしていたところ。皿の山のなかにいなくてよかった。みなさんお怪我はありませんでしたか。

NG!的被害状況2(special thanks KATSUMIさん)。

11/3に高専の状況が記載されていましたが、写真をゲットしました。
(2ちゃんねるで拾ってきました。安全です。)
http://www.geocities.jp/team_kz/index.html
貴サイトは多くの高専OB/OGがアクセスしていると思います。
連絡板のようになってしまうので恐縮ですが、よろしかったらアップをお願いいたします。

悠久山〜高専付近を探索されたかたのページのようです。地割れがすごい…。

16:50up
「天才バカボン」なんてやっててびっくりなのだー。


11.05金・ナガオカ駅グレイト

10:00up
家庭内風邪アウトブレイクの一昨日から居住空間を一部屋増やし、布団で眠るようになったのでだいぶ調子がよくなってきました。親は長期戦になることが明白/主宰は東京に戻らなきゃならない日が迫っているので、できるだけ「とりあえず」から脱却して体力の消耗を防ごうという路線。昨日の余震で止まっていた下り新幹線・信越線とも昨日のうちに無事再開。主宰宅近くでは陥没した道路の修復工事をやっていたんだけど、作業員さんは余震のあと10分くらい重機から降りていただけで再開、その日のうちに修理完了していた。こういうときはほんとに各方面のプロたちの技能と勤勉さに頭が下がる。

気象庁HPよりも詳細な地震速報ページを教えていただきました。special thanks 先尾翼さん。
地震加速度情報ページ
by地震予知総合研究振興会。

20:30up
久々の好天。買い物に行くと地元の人たちの薄着っぷりに驚く。ミニスカにハイヒールなんて人もいる。全身ユニクロのエアテックにスッピン(化粧道具を持ってこなかった)といういでたちの主宰は激しく浮いてたり。駅周辺はもう「被災地」感が希薄。お店はほとんど開店しているし、欠品で空いている棚もナシ。震災関係の告知よりもクリスマスケーキや年賀状印刷のポスターなんかが目立つほど。これが先週NHKの全国ニュースで「倒壊」を報じられた駅ですか。

駅のあちこちにこんな張り紙。大誤報だよ、もー

買い物帰りに自衛隊が例の炊飯車(正式名称知りません〜)で炊き出しをしている場所を通ったところ、隊員たちがゾロゾロとどこかへ向かって歩いていた。向かった方向を見ると、炊き出しスポットから道路1本隔てた空き地にテントが4ハリほど。彼らはあそこで生活しているのだろうか。どこか近隣の旅館からでも通っているのかなあと思ってたけど、テントで暮らしてゴハンは戦闘糧食なのかも?


11.06土・「片付け」ってのはかなり重力に逆らう行為だったんですね

21:10up
早朝にガガガ・タイプの地震で起こされる。2:53長岡震度3、最大震度4。こういう機関銃のような地震は震度の数字より体感恐怖がデカい。思わず上着を手に取りました。あんなバイブレーション、どういう地下の動きで起こるんだか。今日は天皇皇后被災地入りなので、エラい人がそっと「もう余震ナシ」宣言をしたのかと思ったものの、まだまだ続く気配。日中もしじゅう揺れていて、転倒に備えて横にしているモノをなかなか起こす気になれない。気象庁の予報は「今後一ヶ月は…」から変わらないし、いっそのこと人間も横になって暮らしたらいいですか。そんなこんなで明日は東京。自分の部屋はとうとう片付けられなかった…というか、もともと片付いてはいなかったんですけど。

22:56up
22時過ぎにまた強めの地震。今日は有感13回とのこと。でも、「ドーン」と地響きがするのは無くなったし、だんだん馴染みのある揺れ方のものも増えてきた…って、こんなことに喜ぶようになろうとは。でも今回のは風呂あがりでTシャツいっちょだったのでびびりました。結局最後まで洗髪と入浴はセパレーツ。服を脱がずに髪を洗い、乾かしてから入浴という無防備時間を極力減らす作戦。街でもシャンプーのみ300円とかシャンプー&ブロー1000円とかいう張り紙の美容室をたくさん見る。本震のとき入浴中or洗髪中の人はどうしたんだろう。TVではNHKの24時間災害特番。今年は確かに災害多かった。体育館暮らしの不都合点はその都度言われているんだから、自治体はパーテーションと簡易ベッドくらい非常用物資に加えられないものかなあ。21世紀人に「雨露しのげれば…」的生活はもはや無理なのではって気がする。


11.07日・復路

09:10up
長岡を離れる日。9日間いたわけだけどまさかその間ずっと余震がおさまらないとは。ニュースでしきりと言われていた寒さはさほどではなかった。本震の頃が一番強かったんじゃなかろうか。晴れた日は暖かくて、外に出ると春先みたいなうららかさ。そうそう、ずっと思っていたんだけど、やたらハチが飛んでいる。ハチの巣が倒壊して帰るところがないのだろうか…と書いていたらまた地震。久々に「ドン」と来た。08:46長岡震度3、最大震度3。うわ、震源ですか。余震がおさまらないというより次々に別の断層が動いているような気が。ひととおり動き終わったらおさまるのか(後日、4つの原因断層が確認されたという報告が。中越の地下はシワだらけの複雑な地形らしい)。

@復路(11.13補遺)

長岡-(新幹線)-新潟-(空路)-羽田というルート。行きよりも新幹線ぶん復旧した。長岡-(代行バス)-越後湯沢-(新幹線)-東京というルートもあるけど、バス2時間半の関越道がボコボコだそうなので、乗り物酔いする主宰はびびって敬遠。16:35新潟発の飛行機だから、普通なら新潟空港に16:00に着けば間に合うんだけど、念のため昼前に家を出る。駅に行ったらcocoloから改札に上がる階段で「ヤッパ東京ラテ」を目撃してしまいプチ脱力。

新幹線改札付近には行列が。何だろうと思ったら、振替バスで湯沢まで行く人たちだった。いったんここで改札してバスまでみんなで移動するらしい。新潟行きは、3分後に一本、30分後に一本。3分後のは「とき」、30分後のは「MAXとき」。脱線した新幹線が転覆しなかったのは旧型の重い車両だったおかげ…という解説をTVで見たので、3分後の「とき」に乗るべく猛ダッシュ。フェンスで閉められている東京行きホームのエスカレータを横目で見ながら新潟行きホームへ。すぐに入線した「とき」に乗り込むと客の入りは3割くらい。

来たときとは逆に、どんどん無傷になっていく風景をながめながら新潟へ。1時間半かかった往路の3分の1以下で到着。空港行きバスは駅前バス乗り場から30分ごとに出ており、料金は\350。今度は乗りきれないほど満員ということもなく(でも満員)、普通の路線バスのノリで空港へ。行きに難航したチケットレス手続きも問題なく終了、時間が余りすぎて困った。羽田行きは終日満席なので、早めることもできないし。「ウラジオストック航空××便のお客さま…」とかのマニアックなアナウンスを聞きながら、新幹線のありがたさを噛み締める待ち時間。

ようやく搭乗時間になってゲートへ。飛行機は行きよりもひとまわり小さく、モニタも着いてない。スチュワーデスさんの救命胴衣の説明を初めてライブで見ました。目が合っちゃうので、じっくり見るのが恥ずかしいですね。

23:00up
東京。TVで「ディープインパクト」をやっているけどいま最も見たくないジャンルの映画だなあ。部屋でじっと座っているとなんだか揺れているような気がしてしょうがない。こんなときにどうかと思ったけど、職場へのお土産に瑞花の詰め合わせを買った。物資にこと欠かなくなった長岡にいま必要なのはぶっちゃけ現金のような気がして、普段の帰省じゃ遣わないお金を遣ってみたりして。っていうか普段も土産くらい買えよって話ですが。あ、そうそう、帰りの飛行機に田中真紀子女史がひとりで乗っていてどびっくり。


11.08月・いつまで経っても「一ヶ月」

21:00up
10.30〜10.31の記録をボチボチと補い始めました。今日もまた最大震度5強の余震。前回5を超えたのは11.04だから、中3日かあ。気象庁が警告していた震度5が来たからもういいじゃんと思うけど、今日の発表はまだ「今後一ヶ月は…」。


11.09火・遅ればせながら

22:55up
ゆうべ来た副主宰からのメール。

うちのK貴の顔を、見ながら、ばばが
「じょうめんかざってる」
さてどんな意味でしょう。
私はまったく聞いたことがなかったんだけど、知ってる?

はてさて主宰もハツミミ。ドコで区切っていいのかもわからない。「上面飾ってる」かなあ。赤ちゃんのオスマシ顔ってコトでしょーか? えーと、ここで「赤ちゃん?」と思った方も多いのでは。実は副主宰、先月出産しております。出てきたのはK貴くん男子0歳(<あたりまえ)。切迫流産で入院したりしていたため、元気になったら発表をと思っていたらこの地震。「外の世界はいつも揺れてるトコなんだな」とカン違いしてなきゃいいけど、K貴くん。本震のときは直前までずっと大泣きしていて、地震が始まってからは爆睡していたそーです。マグニチュード6.8のゆりかご。


11.10水・とき325号救出再開

21:50up
早朝3:43に震度4。最大震度5弱・見附。動いてるなあ震源。これで実家のガスがまた止まってしまった。北陸ガスに母が問い合わせたところ、各戸のマイコンメーターが作動したためとのことで、解除ボタンで無事復活。発生から半月経ってまだガスが止まるほどの余震って。そんな中、とき325号の救出作業が始まった。ついつい「救出」と書いてしまうのは、(・○・)(タイトル画下「乗車」をクリックで始まります。音アリ)のせいですか。


11.11木・じょうめん

副主宰採取の怪語「じょうめんかざってる」の解答到着(special thanks じゅんじゅんさん)。

えー 「 じょうめんかいてる 」 とも言います
どんな様子かと言いますと 赤ちゃんにも使いますが 例えば子供に向かって嫌なことを言ったとしますよね するとワーンと泣くのに対して ぐっと我慢するけど 堪えられない、 という瞬間に うっうっ・・・ そしてふえーんという感じの そういう時の表情です
私の娘が小さい時 叱られて我慢して そして今にも、 というその顔を見ては 亡祖母が 「 おまえの (私の) じょうめんかいた顔とおんなじ顔で泣くがーな 」 と言っておりました

泣かないもん!って我慢してたけど、もー限界…ってときの表情ですね。うああ、いじらしい。投稿者さんは長岡市内にお住まいで、被災状況は。。。

近くの町も また裏のお宅や周囲のマンションが全部停電する中で 何故か我が家の通りだけが停電せずに済み 水も問題なく翌朝から普通に食事の用意も出来ましたが 日を追うごとにそれがかなり稀な環境だと知りました
悠久山通りの親戚宅や また山田町にある家のお墓を見に行き 本当に衝撃でしたので・・・

でもこんな幸運な環境かもしれませんが でも思い出したくないほどのショックが今もあります
普段結構威勢がいい方なのですが ダイエットせずとも体重が落ちてしまったり 自身の中ではかなりこたえてしまいました
皆で気持ちをひとつにしてがんばっていきたいと思っています
それでは新幹線のフラッシュもありがとうございました

・・・じょうめんかいちゃうじゃないですか、もー。主宰は長岡を離れて5日経つのにいまだ道路とか建物のヒビ割れについつい目が行くし、電車も極力各停に乗ったりしています(遅刻ばっかですみません>職場)。震災前に比べて、なんというか、世界への信頼度が下がってしまった。本震も10/27の大余震も体験していないのにこうだから、ずっと現地にいるかたがたの不安感は計り知れないものがあるのではないかと。速攻で風邪ひいた私が言うのもなんですが、どうぞお身体に気をつけて。大地も街も(・○・)も平穏を取り戻す日が早く来てほしいなあ、ホント。


11.12金・東京は遠いですかと聞かれたら

(・○・)たん、大人気(special thanks J.Rさん)。

ときのフラッシュを紹介されていましたが、こちらはどうでしょう?
絵本化の話も少しづつですが検討されています。

童話 じょうえつしんかんせん とき(・○・)
http://www.geocities.jp/mile_stone555/toki325.html
現在までのストーリーです

童話 とき(・○・)
http://www.geocities.jp/t325c/325C_04.html
こんなハッピーエンドになってほしいです。

上越新幹線とき掲示板
http://toki.uh-oh.jp/t/325/index.html
TOPのバナーがかわいいです。

各方面で(・○・)を称えてくださっている方々は新潟人なのか新潟外人なのかわかりませんが、新潟人にとっての新幹線の重さを痛感している今日このごろでございます。東京で暮らしながら故郷にも苦もなく行き来できるって、実はかなり贅沢なことだったのかも。次の帰省はナニで行ったらいいんだろ。振替バスは道路がかなりボコっているという話で不安。乗り物酔いするんで。。。ほんとモヤシっ子体質で情けないかぎり。


11.13土・どっちだ!

上のほう、補完終了。けっこうもう記憶がアヤフヤですみません。今朝もTVに余震の速報テロップ。そういえば、新潟での地震の速報って、ほとんどのTV局はまず「関東甲信越地方で地震」と表示されるんだけど、テレ朝だけは「北陸地方で地震」と出る。これはNT21でもそうだった。テレ朝系は「新潟=北陸」説支持ですか?


11.14日・遠距離被災

震災後3度目の日曜。今週末帰省組のみなさんは無事にお着きでしょうか。先日いただいたメールをご紹介(special thanks あかへびさん)。

私も仕事のめどが付いたので、来週実家に帰ろうと思います。
と思ったら今日も強い余震が!実家に電話かけたら「おこ、へぇ、慣れたいや。」てな感じでした。
しかし俺の部屋が手付かずのようなので、帰ります!
会社の人はみんな心配して、「山古志って長岡から遠いんですか?」と聞かれ、「ああ、こてざいご」って思わず言ってしまい、「はっ」と思ったらもう遅い。みんなきょとんとして「なんですか?」ってな感じでした。ああ、こって長岡人らて。なじょも。

震災以来TVで地元の人インタビューが出まくったり帰省したりしていたので、主宰もすっかり耳と口がナガオカがえりしております。職場でもついつい「どーいが」とか言いそうに。それから、こんなメールもいただいておりまして…(special thanks Yさん)。

小生も長岡に両親を残したまま、東京で生活しております。
しかしながら、いい年をして失業してしまい、逆に援助してもらっているような有様で、親不孝の極み、心が苦しいです。
ニュースを見て、泣いてしまうこともあり、せめて、この冬だけでも雪が降らないでいてほしいと思います。
被災した友人のサイトや、IMからも、地震のこわさがひしひしと伝わってきます。
小生の母校のホームページがいまだに回復していないのも心配です。
いったい長岡はどうなってしまうのでしょうか。

長岡の市街地の復旧ぶりはすごいですよー。でも、すべての土地でなにもかも元通りになるには長い時間がかかると思うので、心配エネルギーはちょっと小出しにしていかないともたないような気が。一番タイヘンなのは現地のみなさんですが、離れた場所でTV見ながらヤキモキしている遠距離被災状態も妙に体力消耗するものですし…。主宰は凹んできたら新潟製品を買うようにしています。ヨーグルトは「ヤスダ」、納豆は「大力」。

ちなみに現在の移動手段を大雑把にまとめるとこんな感じのよーです。

【最速】羽田-(空路)-新潟-(新幹線)-長岡 2h30・\18,000くらい
【次点】東京-(新幹線)-越後湯沢-(代行バス)-長岡 4h30〜5h30・\7,650(長岡〜湯沢間は乗車券料金のみ)
郡山まわり(東北新幹線)・長野まわり(長野新幹線)はともに 7h・\14,000くらい


11.15月・耐雪と耐震

今朝もまた震度3。土砂降りで寒いという天気も心配。昨日に続いて遠距離被災状態のかたからメールいただきましたです(special thanks しゅりんくさん)。

ナガオカを離れて暮らすナガオカ人のみなさんの多くが、自分と同じ思いをしていることを知り、とても元気づけられました。
まったく、不覚ながら私も震災後しばらくはニュースを見てぼろぼろ泣いてました。
とにかく、自分というものがいかに精神的に長岡、そして中越という基盤、OS上で稼動しているのかを痛切に再認識させられました。数日間フリーズ状態でしたもの。
(先日まで帰岡して実家の様子を確認し、現在は現地同様セーフモードで再起動済。)

でも東京に戻ると、私の職場でも、先輩や仲間たちが、義援金を募ってくれました。
中越という土地の名前すら聞いたことのなかった全国の多くの方々が、われわれのザイゴにあたたかい手を差し伸べてくださっていることに、また涙、涙…(歳のせいと言う説あり)。たくさんの人々の思いが、われわれのふるさとを支えてくれているんですよね。そんな思いに慰められた遠距離被災者の方も多いのではと察します。
先日実家には埼玉県秩父から建築士のボランティアさんが来てくれたのですが、秩父の家を出るときお子さんに「パパ、死なないでね…」と真顔で言われたと、我が家の点検をしながら笑って話してくださいました。そうだよね、不安だよねぇ。ごめんね。
そんな方々のふるさとも、この中越のように、多くの人々の思いが詰まった、美しく、心安らげるところであり続けることを祈らずにはいられません。

そーいや。
長岡市のシンボルマーク(長岡市章)は、「不死鳥」をかたどったものでしたね。
山古志など、より被害が深刻な地域を含んだ新長岡市がまもなく誕生するわけですが、思えば戊辰戦争、第2次大戦の大空襲と、長岡の歴史は失意と再起の連続です。
ふるさとの力を、また不死鳥のように輝く長岡と中越の姿を、信じたいと思います。

……主宰も震災以来、泣きアプリがデスクトップに常駐というカンジで、2chのトップページにまで泣かされてしまったとプチ激白。今週は市役所派遣の家屋調査スタッフが市内を回っているようですが、ほとんどが他県からのボランティアだとか。全戸検査するそうで、それをデータ入力する人々もまたボランティアさんとのこと、ありがたいかぎりでございます。また、上の投稿者さんのご実家は、

私が帰省のたびシコシコとL字金具を取り付けておいた家具だけが無事でした。
家具は(チェーンとかじゃなく)L字金具で固定、これは予想以上に効果アリです。

とのことです。主宰宅も壁固定の家具は難を逃れていました。それでも床には家具たちがツイストした跡が。そうそう、上に書いた家屋調査、被害の少ない市街地部分は外観チェックのみのようです。赤・黄・青の判定用紙も貼られません。主宰の友人宅は壁とかかなりヒビ入ってるため、「どーしても」と立ち入り調査してもらったそうなのですが、「しっかりした造りですねえ」と逆に感心されて終わりだったとか。静岡在住で現在マイホーム準備中の友人からも、

今日も建築士さんと会ったのですが
「新潟は豪雪地帯が多くてもともと基礎がとてもしっかりした
丈夫な家が多いのが阪神ほどの被害が出てない理由のひとつ」
と言われてたです。

というメールが。(・○・)が横転を免れたのも雪落としのスカートや溝のおかげという説もあるし、豪雪仕様は耐震仕様との互換性が高いのかも。


11.16火・「じょうめん」続報と壁固定の副作用

「じょうめん」続報。special thanks じゅんじゅんさん…って、前回と同じ投稿者さんじゃないですか。もしかして「じょうめん」ユーザーはナガオカに副主宰母とこの人しか!?と思ったら。

親しい同級生数人に更新の件を知らせました
するとA子曰く 「 うちも今でもフツーにじょうめんかざるって言うよ〜 」 との事
また投稿後に気づいたのですが 我が家では 「 じょうめん 」 と並行して 「 じゅうめん 」 とも言ってましたが どっちがポピュラーなのでしょうか?
激しく疑問です ( いやどっちもポピュラーじゃないか笑 ) 

あ、これはもしかして語源は「渋面」? なんとなく日本語ジュラシック・パーク系の気配濃厚。
また、このかたのお子さんの学校に山古志村からの編入生多数とのことで…

連日テレビクルーが押し寄せる不思議な環境の中で授業をしています
たぶんこのままおそらく卒業式も一緒なのでしょうね
きっときっと忘れられない卒業式になる事でしょう
本当にこのままずーっと余震がおさまりますように・・・

阪神大震災の遠距離被災組だった友人に訊いたら、半年経ってもまだ帰省するたびに「うわ〜」と思う光景だったと言っていました。半年って、4月かあ。新幹線はもしかしたらそのくらいまでかかるかも知れませんね。
そして防災グッズ続報(special thanks indigoさん)。

L字金具の話題が出たので語らせてください。
私は長岡に隣接する某トータルファッションシティ(どこがじゃ!?)に住むものです。 本震の翌日、倒れたタンスが娘のベッドを集中攻撃していたことに恐怖を感じた私は市内のホームセンター(コ・コココケッコー♪のところ)にL字金具を買いに行きました。
店内は電気もついておらず、店頭でいきなり店員に何を買いに来たのかと問われました。
L字金具だと言うと、案内するからついてきてくれと言われました。
なんでも地震の後、店内の点検もせずに営業しているため何が落ちてくるかわからないとのこと(!!)あまりウロウロせず、必要なものだけ買ってさっさと帰ってくれという感じでした。

とにかく金具を買い求め、やっとこすっとこ起こしたタンスに取り付けました。さあ、これで一安心なのですが、とにかくしばらくは一番出口に近い部屋で家族全員寝ることにし、その部屋はしばらく無人でした。
そしたら27日の大余震。また家の中は無残な有様に。すわ問題のタンスはどうなった!?と2階へ行ってみると、倒れてはいませんでした、いませんでしたが・・・・。
L字金具がカベを引っ張って、カベがむりやり引っぺがされたような状態になっていました。
その影響で、その壁を挟んで反対の部屋の壁(ちょうど背中合わせになっている部分)がごっそりと落下しておりました。

あうー、難しい防災グッズ選び。「倒れない」ゆえの被害はなかなか想定できませんからねえ。主宰宅でも、中身がガラス戸をブチ破って飛び出し部屋をキラキラな惨状にした据付戸棚がございます。現在はガラス戸も中身もない純粋戸棚としてポツンと佇んでおりますが…。そーいえば、震災後しばらくは、投稿者さん談のコケッコーのホームセンターのように、店員さんガイドツアーつき状態で営業していたお店は多いようですね。


11.17水・最後の乗客

主宰がナガオカから持ってきた風邪ウィルスが職場で繁殖しつつあり、申し訳ない今日このごろ。TVでは東京直下型地震の被害予想が発表されたなんていうニュースをやっている。首都圏は近所づきあいが全くない人々が密集して暮らしているから、本震後にどういう避難生活に突入するのか想像すらできない。
下のほうで書いた、今朝白ユニクロ前の並木が切り倒されている問題に続報が(special thanks 田村@元長岡住民さん)。

これは歩道をバリアフリーにするために切ったと聞いています。
地震の前に切り倒されてるのを見てますし、地震前に話を聞いてるので間違いないでしょう。

そーでしたか。あの切り口の真新しさから考えると、本来ならあの週明けには切り株を撤去して歩道をならし…なんて作業が予定されていたのかも。それが、「災害派遣」の横断幕はためく自衛隊車が走りまくる道路になろうとは。投稿者さんもさぞビックリされていることでしょう…と思ったら。

ってか私がこの話を聞いたのは地震の約2時間前(^^;
そして私が長岡を離れたのが地震の1時間前でした。
ちなみに私が駅に行ったのは23日の16:40。
次の「とき」が16:48発だったので次の新幹線にしようと思ったのですが、窓口のお姉ちゃんが席が1つだけ空いてるし、次の便は満席だからと推薦してくれたのと珍しくお土産をすでに買っていた事から急いでホームに向かったのでした。
もし次の便にしていたら生島某と一緒に線路を歩いてたんでしょうか?

こ、これはビックリどころじゃないっすね。16:48発ならば、地震発生時に高崎くらいでしょうか。ちなみにこの投稿者さんの購入されたお土産はたぶん…

そんな事を考えながら、肉の塊と思ったら舞茸の塊だった五十六カレー(落ち着いたら56種の内容送ります…ってもう情報入手済みかな?)を食べながら、長岡情報を拝見してますね。

56種類のξ…この変換はイイって…具材のひとつを今はじめて知りました。舞茸ですか〜。あと55種の続報もお待ちしておりますわ〜。


11.18木・無事の便り

街で出会った知り合いに「大丈夫らったかね」と言うと、「大丈夫ずらねえこて!」となぜか逆ギレされることが多いと主宰母談。震災当初はスーパーで抱き合って泣いている姿も見られたとのこと、それに比べたら本来のオバさんらしさを取り戻しつつあるのではないかと。…にしても、何なんだ「ずら」って。
というわけで、今日はナガオカ弁に緊張の糸をぽよよんと弾かれたかたからのメール(special thanks 第六十九国立銀行さん)。

ようやくつながった電話で老母の安否を確認できました。

「あたしゃ忘いてしもたろも、オトさんが言いなさるには40年前の新潟地震らって
こんがのおっかねげのことはねかったてや。
まーでまーで、落ちるもん、んーな落ちてしもてごうぎのことんがあて」

一人称が「オレ」ではないあたり、戦後アプレくぐったちょっとモダンなナガオカおんなですが、それでも68歳。
こってりたっぷりそして闊達のナガオカ弁は、なににも優る無事の便りでした。

この「まーで」or「まんで」。はて"げっぽをねらえ"にエントリあったかと、このたびお諮りの投稿。
「ああもう、ほんとうにねえ」的間投詞で、東北弁の「まんず」に相当しそうです。語幹もいっしょ。
故郷罹災の不幸に追い討ちをかける残酷な投稿ですが、新潟は東北の一部という、新潟県民のもっとも忌み嫌う(TM主宰)分類の、傍証となるかもしれません。

最強東北弁「まんず」の係累がナガオカにもありましたか〜。このたびの現地インタビュー中に「おっかない」が多用されておりましたが、一応標準語ではあるものの、ほとんどのユーザーは東北方面だったりしますしねえ。あ、そういえば、上のほうに書い地震速報の地方名問題、この前の余震ではどの局も「新潟県で地震がありました」になってました。県外で揺れが観測されたところがなかったせいかも知れないけど。


11.19金・新幹線12.28!?

新幹線復旧見通しキター! 予定日12.28。主宰が最初にこのニュースを見たのは携帯のニュースサイト@帰宅電車の中。喜ぶ勢い余って「11/28」と誤読してしまい、TVのニュースで真実を知って大ヘコミなのでした。いかに自分が新幹線復旧を熱望しているかをあらためて痛感したりして。12/28もあくまで見込みなので、年末帰省は別のルートも考えておかなきゃイカンかも。飛行機の臨時便はいまのところ12/21までですが、今日のJRの発表を受けて年末年始も運航する確率高そうな。でも、冬の裏日本日本海側上空ってバカ揺れしそうな気がしまくり。柏崎〜長岡の信越線が復旧したら長野ルート、しなかったら郡山ルートで新潟から新幹線ってトコかなあ。


11.20土・大災害は知らない人のところに起こるものだと思ってた

長くなってきたので10月分を別ページに。こんなに長期に渡る大災害になるとは正直思っていませんでした。23日の夜は、明日にはみんな家に帰れて「ごーぎらったねえ」とか言いながら壊れ物を片付け…なんてことを考えていたような気がするなあ。。。


11.21日・避難所のいま

11月分も別ページにまとめました。最近は毎晩11時以降に揺れがある模様。相変わらず「ガツッ」という衝撃タイプであるものの、一撃でおさまるとか。内閣府11.19の発表では本震以来791回も揺られてるとのこと。主宰が長岡にいたときは666回という数字に「おお!」と思った記憶があるので、最初の2週で666回、次の2週で125回という計算。イイ減りっぷりではないかと。でも、今なお避難所生活中の読者さんもあり…(special thanks "さかまきでございます"さん)。

私の家は、市内の避難勧告地域にあります。
そのため、家自体は、壁が2,3カ所はずれて、ほとんどの漆喰がはがれ、瓦が4、5枚はずれ、水道管がとれて、風呂の床が抜けて、元々傾いていた家が、さらにもう1〜2度傾いた程度で済んだんですが、避難勧告に従い、近所の避難所へ避難しました。

しかし、避難所暮らしというのは、やっぱり大変なんですね。
最初のうちは、三食ともコンビニおむすび、時には仕出し弁当の時もありました。
宮城のボランティアの人がそばを作ってくれたこともあって、新聞に載ったみたいですが、そのとき、私の母の隣にいたおばちゃんたちを写していったらしく、「新聞に載り損ねた」と、母が悔しがっていましたっけ。

最近は、三食が自衛隊の炊き出しです。
ご飯とみそ汁、あとはそのとき次第。
といっても、きんぴらゴボウか、ウインナーか、牛丼のことがあったり、汁物をかねて、おでんのこともありました。
一汁一菜ならぬ、一汁半菜。ちょっとかなしい、かも。
それでも、三食食べられるし、救援物資のパン(長期保存可能なやつ、です)とか、ジュースとか、おやつはたくさんあります。
新聞も、朝日、読売、新潟日報、スポーツ報知、長岡新聞に、赤旗まであります。
読売と日報は、夕刊もきます。新潟では、読売の夕刊は販売していないはずなんですがね。
ボランティアには、いろんな人がきてくれます。
共産党は真っ先に飛んできました。
様々な病院の医療チームも避難所を巡回してくれています。
残念ながら、避難所で風邪がはやっています。母も診てもらって、ただで薬をもらっていました。
避難所の体育館には畳がひいてあります。宮城県からの贈り物です。
風呂もあります。自衛隊のテントもあります。
NHKはテレビをおいていきました。エフエム新潟は「パパラビジョン」なる、FM文字多重放送掲示板を設置しています。
無料電話が5台、無料の携帯充電器もあります。
ちなみに、Docomo専用なので、auを使っている私には、関係ないことですが・・・。
ほかにも、当面の生活に必要な物資は、冗談抜きで、腐るほどあります。

ですが・・・

夜になると、ほかの避難者のいびきの大合唱です。
そして、せき込む声が重なります。
普段、ベットで寝ているものに、せんべい布団は堪えます。
そろそろ、帰りたくなりました・・・

ところで、新潟では、ラジオが震災情報を伝える上で大活躍しています。
NHKは、震災後しばらくの間、ラジオ第一放送とFM放送で、同じラジオ第一放送の内容を流していましたし、小千谷、川口地区では、臨時のFM放送でラジオ第一の放送を流しています。
長岡のコミュニティFM FMながおかでは、臨時災害放送として、普段20Wの出力を50Wにあげて、長岡市および周辺市町村に向けて災害情報を流しています。
十日町市では、FM雪国の協力で、市役所が臨時FM放送局を開局して、情報を流しているそうです。
停電時、テレビは映らないけど、ラジオは聴くことができます。
そのことを改めて感じる出来事でした。

ラジオは東京でもいまだ品薄です。売り場には「新潟中越地震の影響で…」という張り紙。長岡市防災ページを見ると、本日9時現在で長岡市内21箇所の避難所に1117人の方々が。主宰宅は避難所に5泊しましたが、その時点ですでに風邪蔓延状態だったそうです。みんなカリカリしてケンカ多発だったそうですし。ほんと、体育館をオープンのまま使うという避難所設営の方法はどうにかならないものでしょうか。広域避難所に指定されている体育館は、「人が長期間暮らすことがある」ということを前提に、エアコンつけたり断熱材入れたりパーテーション用意したりっていう改修の動きが出ないものかなあ。普段使う生徒さんたちも、寒い/暑いなか体育やらなくて済むし。


11.22月・箸を持ったままでした

本震当夜のご報告一件到着(special thanks TAKAさん)。

やっとパソコンが使える状態になったので、敢えてこれまでの状況ご報告致します。

本震(10.23)時は、ちょうど夕食を終えたところでした。もちろん、すぐにライフラインはストップ。すぐ飛び出したものの、気がついた時は「箸」を持ったままでした。(笑)

そのころ、妻と子供が実家に行っていたので、心配で電話したらやはりつながりませんでした。
が、本震から30分後に県外の親戚から携帯に連絡があったので、あっ、と思いその親戚から妻の携帯にかけてもらって、無事を確認したしだいです。
それから1時間ほどしてから、手元が暗いことに気づき(当時月明かりで結構明るかったが)、明かりに使えるものを用意しました。その時既に、インバータ(シガーライターソケット→AC)や白色LEDのライト(8灯×2)が車にありましたが、不安なので熱帯魚の水槽に使っていた照明をインバーターにつないで、明かりにしてました。

町の避難勧告は、すぐに発令されたんですが、避難所の確保なのか人員調整のためなのか、3日間は避難所に入れませんでした。が、ここは田舎。となり近所が親戚のような所なので、3時間後には近くの診療所の駐車場に200人が避難できるスペースを確保、暖房やTV・照明・携帯の充電なども確保されていました。すでに炊き出しも始まっていて、不自由さは感じませんでした。(避難所の方がかえって窮屈)

ところで、後になって分かったことですが、家の中の家具は全て西向きに置いてあったものが倒れ、東に向いていた食器棚は茶碗ひとつ割れていませんでした。お隣のおうちもそうだったそうです。パソコンも西向きにより落下して。。。

ちなみに、家のほうは外壁の漆喰にヒビが入った程度で、緑色の紙が貼ってあります。というより、こちらの集落約400世帯は全て「家屋被害なし」でした。周りの集落はかなりの被害があったようなんですが。。。

緑判定でよかったでした。いきなりドンとくるタイプの地震はホント逃げ出すのに精一杯で、何かを持ち出すどころか、持っていたものを置くヒマもないようですね。主宰母の知り合いは料理中で、気付いたら手におナベを持って飛び出していたそうです。家具がすべて西向きに倒れていたってことは、揺れが東から西に向かって走ったということでしょうか。主宰宅は規則性が見当たらないので、地盤の性質によるのかも。


11.23火・関越トンネルを過ぎると

発生から一ヶ月経過でございます。まずは告知を1件(special thanks 田村@元長岡市民さん)。

長岡出身で、現在東京・横浜で活動している「ひなた」というインディーズバンドがい ます。(テレ朝で月曜深夜にやってるストリートファイターズの月間人気ランキング、 現在6位のグループです)
この「ひなた」が、新潟中越地震支援チャリティと称するワンコインライブを開きます。
入場料500円で、チケット売り上げはすべて義援金となります。

□日付:11月30日(火)
□タイトル:新潟中越地震支援チャリティ
ひなたワンマンライブ
□会場:TACCS1179
(新宿区上落合1-17-9 西武新宿線 下落合駅線路沿い西へ1分)
□開場18:30
□開演19:30
□入場料:500円
詳細はhttp://followup.co.jp/hinata/i/を参照してください。

フライヤーをこちらに置きました〜。JPEG 183KB。転載許可は投稿者さんが取ってくださってます。
続いては、先週末帰省組のかたからのご報告(special thanks あかへびさん)。

関越自動車道で長岡入りしました。

関越トンネルを過ぎると今までのカラリと晴れた天気から一転、鉛色の雲が垂れ込めたいつもの新潟冬の天気。しだいに震源地に近づくにつれ、路面の隆起が激しくなり、制限速度50kmはダテじゃなかった。高速道路とはとても言えない「とりあえず通れる」と言った状態。とてもじゃないが50km以上出せません。ときおり激しく車がふっとびます。首都高速の10倍はひどい路面。傾く看板と波打ち歯抜けの遮音壁。そして小千谷、川口に差し掛かったとき、目を疑う光景が広がりました。TVで見てある程度は心構えをしたつもりでしたが、木造のほとんどの家屋が倒壊しており、上空には無数のヘリコプターと地上には自衛隊車輌。まるで映画の中の戦場のようで身が引き締まる思いでした。

そして長岡インター。見た目はそんなに変わった様子はないようでしたが・・。
自宅に到着し、親と再会。
「どんげらった?」
「まーでさ、おらあんげ思いしたの始めてらいや。へぇ、死ぬかと思ったてぇ。」
と瞬時に長岡弁を使い分けている俺に気づき、ああ、英語がしゃべれる人ってこんな感じなんだろうな、なんて少し自分に関心したりして・・。

家は壁にヒビが入った程度で済んでいましたが、家財道具はぐちゃぐちゃ。TVなんか飛んできた、と親が話していたので地震のすさまじさをみせつけられました。地震直後にライフラインが全てストップし、情報が全く入ってこないため、柏崎の原発に○朝○のミサイルが打ち込まれたとか今だから笑える情報が錯綜したそうです。

空き巣や詐欺も近所で被害にあった人がいるそうで、人が困ったときにそんな行為をする人間はろくな死に方をしねぇぞ、と激しい憤りを感じました。それと建設業者空前の高需要。話によると金を積んだ人優先、昔いじめられた発注者はいじめ返すといった状態らしく、まさに地獄の沙汰も金次第か、と少しむなしくなりました。

片付けも少し済んで落ち着いてから昔良く利用してたお店に行って、おばちゃんに「はい、よんひゃくごーじゅーえんね。」と言われた時はああ、長岡に帰ってきたなぁ、って感じでした。

おそるおそる長岡駅に行ったら、な、なんですか、あの宮崎アニメのようなロゴが貼り付けてあってびっくりというかえらい脱力感。なんとも駅全体のイメージが肩透かしのしまらないイメージになっちゃってました。昔駅ビルが出来て初めて見た時、SAISONのロゴが白くシャープに光って、シャッターの音楽家のイラストを見たときはなんともいえないおしゃれなイメージだったのに。コロコロだかココロだかならシャッターのイラストもトトロなんかにすりゃ良いのに。

それから久々に帰ってきたので旧友に食事でもしようと声を掛けたのですが、数人から「とてもそんな気分になれない」と言われ、街は急速に復興してますが、人々の心の傷は深いと改めて思い知らされ反省しました。

そしてNGを見てからどうしてもフレンドに行きたくなって、喜多町フレンドへ。車を降りた瞬間、ギョーザとイタリアンの混ざった独特のフレンドのにおいが!!ああ、なつかしい・・。覚張書店の2階なんかこのにおいが充満してて、学生の頃に飢えに悩まされた記憶が・・。看板、店内の雰囲気は見事にそのまま。店員の制服、三角帽子も変わってない!!

しかしレジで日焼けたメニューをみたら、カレーイタリアンだのハンバーグ付きだのバリエーションが増えていて一瞬困惑しましたが、迷わずギョーザとイタリアンを注文。ソフトが食べたかったんですが、レジのヤンキーねーちゃんに30半ば過ぎの男一人がソフトとも言えず断念。

カウンター内にはなんと丸専地下などで使われていたプラスチックの食券が字が全て消えているのにまだ存在していた!!!何色が何のメニューだったか覚えている人います?!黄色、紫、赤とか!店内は子供の歓声が響き、昔と少しも変わっていませんでした。残念ながら足踏み式の冷水機は見あたりませんでしたが、フレンドの開店当時からかたくなに進化を拒み(?)、時が止まっているような雰囲気はなんとも昔にタイムスリップさせてくれます。小さい頃、ソフトを食べながら買ってもらったおもちゃの梱包を解きたい衝動に駆られた思い出などがあざやかに思い出されます。

親におみやげぎょうさ。俺の親はフレンドのギョーザが大好物で昔良く食わされたおかげで俺がギョーザ嫌いになったほど。親にフレンドのお土産を渡したら「あーっきゃ、やー、なぁーつかしいねっかぁ。昔良く食べたねっかぁ」とえらく感動してくれました。昔の赤飯が入っているようなスチロール容器に餃子は蓋に楊枝で穴が開けられていたころのに比べて容器は少し小洒落てましたが、私イタリアンを食し、少しこげた臭いとミートソースのあの味・・・。もう涙ちょちょ切れでしたね。これこそ長岡が誇れるファーストフード!と確信しました。

昔の会社の後輩にもフレンドのことを聞いたら、共通しているのが「昔良く食べたが今は食べていない」というのが大半の意見。つまり長岡人にとってフレンドとは大人になる前に必ず通る道で、フレンドを卒業すると大人になるみたいな、マックのハッピーセットおもちゃ付きみたいな感じで長岡に深く根付いている食べ物なんだなぁ、と改めて思いましたよ。

長くなりましたが、被災された方の一日も早い復興をお祈りいたします。

主宰も長岡にいた間、友達とは会わなかったし、家族で外食もしませんでした。普段は楽しかったことが楽しめない、という人は多いみたいです。現地のみなさんは復旧作業+余震の警戒+普段の仕事という三重タスクをこなし続けているわけですからねえ…。主宰はもう現地にいないクセに「普段の仕事」すらボケ倒しておりますが。この前は書類の提出に行くのに総務省系ビルと法務省系ビルを間違えて恥ずかぴい思いを。
駅壁面の丸文字「cocolo」は、ナガオカ人の脳内では「SAISON」に変換されているよーで、かなりの人がフツーに「セゾン」と呼んでおられます。主宰も 倒壊誤報のとき、頭に浮かんだ崩れゆく駅の映像に付いていたのはやっぱり「SAISON」のロゴでした。あれはホント、新幹線脱線と1,2を争う愕然ニュースだったなあ。。。


11.24水・「お代は新潟へ払ってくれ!」

泣き死ぬかと思った(・○・)フラッシュの次にご紹介いただいたのは…(special thanks J.Rさん)。

11/14の「すっかり耳と口がナガオカがえり」に同感ですw
地震のニュース見ながら携帯メール打とうとするとうっかり訛りが出そうに・・・。
って方言話で思い出したんですが、『熱湯』さんという方が『ホットウェルタンク』というサイトで自作のフラッシュをいくつか公開しているのですが、そのうちの一つ、「スイート・スイート・スイートホーム」はたぶん世界で唯一の新潟(中越のどこか)弁でしゃべるフラッシュ作品です。
細かい言い回しやイントネーションがもう最高の出来です、これで部屋にいながらにして新潟気分が味わえます。
標準語の字幕も出るので新潟成分を含まない人でも安心w

中越喋りのフラッシュは、トップ画いちばん右のおねえさんをクリックすると始まります。コテコテすぎないさりげない訛りっぷりがすばらしい〜。どーやって音声録ったんだろー!


11.25木・やらんば!

信越線 柏崎〜長岡間11/29復旧キター! これで上越新幹線たにがわ+ほくほく線ルートがイイ感じに。
東京-(たにがわ1h35)-越後湯沢-(ほくほく50min)-直江津-(信越本線1h30)-長岡
乗車時間4時間弱、おねだんは\10,000ちょっと、特急北越が動いていればプラス\1,500くらいというところ。詳しくはこちらをどーぞ。

そして本日のおたよりは激震地・小千谷より(special thanks TETSUさん)。

24日まで実家のある小千谷に帰ってました。帰りは空港行きバスが遅れまくり、出発10分前に空港について、カウンターで「乗せて〜」と必死の思いを伝えながら、何とか飛行機に乗せてもらい、帰ってきました。(本当は15分前が搭乗手続き締め切りなので、アウト覚悟でした。)

で、小千谷&長岡の状況報告です。小千谷、とりわけ私の地元は被害がひどいらしく、我が家は全壊、1ヶ月経ってもガス復旧工事中でした。家族の代理で罹災証明をもらいに行くという、めったにない経験をしました。(もうこれっきりにして!!)

今、家族は長岡に避難中なので、毎日長岡から小千谷へ通っていましたが、小千谷に入ると地割れ・陥没・マンホールせり上がりの連続で、こういったものを見ると「小千谷へ来たなぁ」と実感する自分に激しく違和感を覚えました。

小千谷のことは語りつくせないので、次に長岡のこと。
長岡駅周辺は見た感じでは正常に機能しています。長岡駅は崩れてませんよ。ただ、入り口から2回へ上がる階段のところで壁のタイルが数枚はがれてました。

あと、NGでたびたび取り上げられる「寿屋旅館」さんですが、中の明かりがしっかりついていて、営業を止めている旨の張り紙などもなく、普通に営業しているようでした。ただ、大手通の横断歩道側(NHKのライブカメラで地震発生直後の長岡、ということで取り上げられた映像の反対側)の入り口の扉が若干ゆがんでいるかな?という気がしました。

それと気になるお店を発見しました。長岡の旧操車場、今でいう仮設住宅の前に「こだわりの男の酒屋」という店がありました。一体どんなこだわりがあるのか? またどんな品揃えなのか、とっても気になります。

「がんばろう新潟」「がんばろって新潟」「がんばろう長岡」「立ち上がれ 団結中越」「立ち上がれ 団結小千谷」などさまざまなキャッチフレーズが街中にあふれていますが、とにかく「やらんば!!」という気持ちでいっぱいです。

やらんば!!<ついもう一度書いてみたくなり。確かに、がんばり系スローガンをシャウトする前にすでにやっている新潟人のほうが多い気が。
ニュースを見ていたら、この震災が台風23号とともに激甚災害に指定されるとのこと。続く天気コーナーでは今年は暖冬という長期予報。今後しばらく自然はナマぬるくあってほしいなあ、ほんと。


11.26金・インクレディブル消防団員

関越道片側1車線規制解除キター! 飛行機臨時便も1/4まで延長キター! でも、すぐには予約できず、JALさんANAさんともに11.29(月)12:00解禁。年末年始シフトでございます。震災当初はまだ紅葉もしていない秋口だったのに、いつのまにかそんなシーズンに。というわけで、その夜のできごとレポート一件(special thanks ぐれさん)。

震災当時、私は勤務先から、やっとこさっとこ自宅へたどりつき、玄関先にかけてあった消防団の防火服とヘルメットを出して、避難所の家族と合流、人数が多くて入りきれなかったので、別の避難所へ移動。私はそのまま消防団へ合流し、夜警となりました。

翌々日の夜、避難所の入り口の交通整理…入り口に車止められると、緊急車両が入れ無いので…をしていると、どこぞのとうちゃんが
とうちゃん:「おい、おめぇ消防団らか?」
私: 「はい。そうですが。」
とうちゃん:「まんま、まら来ねぇがぁか?いつ来るがぁれ!」
と、言われても、それは消防の守備範囲では無いので、体育館の市の職員に聞いてくれと言うと、
「なぁ、そんげがもわからんがぁか」
まぁ、こういう時だからしょうがないか。

それ以降、変な事聞かれましたよ。

「中学校が明日から授業やるすけ、出て行ってくれと言われたけど、ホントんがぁか?」
(答)こんげ時に授業もへったくれもないでしょう。だっかがそんげ噂流したがでしょ。
すかさず本部に通報。

「おらこんち停電のがぁけど、なんで中学校と小学校だけ電気来てるが?」
(答)ほら、あそこに電源車てがんが来ててのし…(以下略)

「おらこんち、玄関の引き戸が開かんくなったいや。なぁ〜みてくんねか?」
(答)もうしゃけねのし。おら明日、会社に行かんばならんがぁて(と何気に逃げ。てか、それは大工さんに頼んでよ。)

孤立した(と思いこんでいる)団地に配給に行った時
町内かいちょ「じゃ明日の朝、またお願いします。」
消防団員「どうぞ、御気をつけて〜。」
消防団員@車中「おえおえ、ここってどういがぁや。さっき配給なんか要らね言うてたがんに、『明日の朝』らぁ〜?しかもここって俺らの管轄外らねかやぁ!」
…かいちょさん、意地張らんと町内まとめて避難所に来て下さい。(懇願)

今回の極め付け
「おめさん、消防んがぁか?」
「はい」
「地震なんとかならんがぁか!」
(答)こればっかしゃの〜(^^;;

たははは、非常時に制服(?)を着ている人は何でもできる人と思われがちなもので。でも、やっとこさっとこご帰宅後、迷うことなく耐火服を手に取るなんて素晴らしい。「やっとこさっとこ」の部分は投稿者さんのホームページに詳しく載っております。


11.27土・午後の上生

ゆうべ長岡はものすごい強風が吹き荒れたとのこと。明日も引き続き暴風雨の予報。天気図を見ると等圧線大杉の低気圧が北日本を北上中。これからは新潟上空に常に等圧線が混む季節、年末の空路はやっぱりモヤシっ子には無理かなあ。。。と、まだ悩んでいる主宰。そんなモヤシの神経にもやさしいメール到着(special thanks ykkさん)。

こんにちは。NG!からいろんな地域の様子が伝わってきますね。出産で里帰りしていて実家から戻ってきたばかりなので、市内の様子は近所しかわかりませんが駅の東西では全く様子が違うようですね。
市内にいる多くの被災された方々やその他市町村の皆様にも心からお見舞い申し上げます。

我が家には2ヶ月半の息子がいるので、昼間は徒歩で買い物などをしています。
柳原分庁舎(旧市役所)は立ち入り禁止のようです。階段部分が壊れているんだとかで、今は突き出た部分に足場が組まれています。

そのほぼ向かい側の江戸時代から創業の大和屋さんにどうしても寄りたくなり、上生菓子を少し買いました。昼時だったせいか、お客さんがあの狭いスペースに3,4人いたので繁盛しているなあって感じでした。
その近くのコメサン(花・緑・苗のお店)も営業再開していました。クリスマス用のシクラメンやポインセチアがたくさん置かれていて元気になりそう。

けど、大和屋さんの屋根にはブルーシートがかぶせてあったので、厳しい状況の中で再開しているんですね。まさにやらんば! 「わたしもできることがあったら何かやらんば!」の気持ちです。信越線再開は通勤通学の方々の希望になりますね。

あうー、こっちまでお花を見ながらお菓子をいただいたようなホっとした気持ちになりました。現地のかたからのメールになごませていただいてどーする。こちらこそ「やらんば!」でございます。2ヶ月半才児さんなら副主宰のトコのK貴くんと同級生ですね。ご出産おめでとうございます。赤さん生まれるわ震災は来るわで大忙しでしょうけど、どうぞお身体に気をつけて。


11.28日・震災後初書いちゃ出し更新!

昨日の大和屋さん情報に続いて、ナガオカ名物に関するご投稿(special thanks 田村@元長岡住民さん)。

前回のメールでネタ振りした五十六カレーの56種のξの一覧お送りします。

オニオン・マイタケ・トマトペースト・キャロット・ショーガ・チキン(ガラ)・ポーク(骨)・小麦粉・バター・サラダ油・ウスターソース・チャツネ・リンゴ・バナナ・マンゴー・醤油・食塩・砂糖・酵母エキス・ホワイトペッパー・ブラックペッパー・チリペッパー・ジンジャーパウダー・ガーリックパウダー・コリアンダー・カルダモン・クミン・フェンネル・ナツメグ・メース・グローブ・シナモン・アニス・オールスパイス・ディル・スターアニス・ローレル・セージ・フェネグリーグ・オレガノ・サボリー・キャラウエイ・マジョラム・タイム・ローズマリー・セロリ・バジル・ターメリック・パプリカ・マンダリン・オニオンオイル・ガーリックオイル・他4種調味料

との事なんですが、良く見るとショーガとジンジャーパウダーがあったり、オニオンとオニオンオイルがあったりとちょっと微妙です。実際の原材料の表示は

たまねぎ・まいたけ・トマト・にんじん・しょうが・鶏骨抽出スープ・豚骨抽出スープ・香味油・バター・カレー粉・小麦粉・ウスターソース・チャツネ(リンゴ由来を含む)・醤油・食塩・野菜抽出スープ・砂糖・酵母エキス・蛋白加水分解物・還元水飴・調味料(アミノ酸等)・カラメル色素・ph調整剤(リン酸塩、ビタミンC)・酸味料・香料・酸化防止剤(ビタミンE)

ですね。

にゃるほど、カレー粉フォルダやソースフォルダの隠しファイルがアレでコレ。いずれ土産コーナーに転記せねばなりますまい。記事の更新がすっかり滞っていてどーも申し訳ないです。

…と書いた直後にもう転載。震災後初更新なのに非常に書いちゃ出しになってしまってこれまた申し訳ない〜、って、いつものことですか(笑)。


11.29月・釧路沖震度5強

未明に北海道で震度5強。震源は地震の巣・釧路沖。現地の人たちの脳裏に新潟の映像がよぎりまくっただろうなあ。いままで「新潟県中越地方」が圧倒的だった気象庁各地の地震情報が一日にして釧路だらけに。大きな地震ってのはどこでもいきなりMAXが来てそのあと余震がデクレッシェンドしていくものなんですね。逆なら準備もできるっちゅーのにもー。


11.30火・あったてんがの

11.24水掲載のフラッシュに続いて、PCで聞けるナガオカ弁サイトのご投稿〜(special thanks giikoさん)。

長岡出身、東京在住の者です。
今日彼氏の家に着てみたら、彼がこんなサイトを発見していました。
こんなに流暢に長岡弁をしゃべるページがほかにもあったのかとびっくりしました!!
うちのばあちゃんのしゃべり方そのまんまです・・・

http://www.e-net.city.nagaoka.niigata.jp/hakken/01_minwa/01_mizusawa.html

こんなサイトを探索している彼も、それを報告してくださる彼女もホホえましい〜。これは長岡市がやっている「e-ネットシティながおか」の1コーナーですね。「新着ニュース」を見ると、このほのぼのコーナーが7.13水害と今回の震災に挟まれ…。


12.01水・another year over, and a new one just begun

昼ごろ電話がいつもと違う音で鳴り、取ってみたら「非常信号の試験です」みたいなメッセージが自動応答で流れたと主宰母談。NTTがそんなこと始めたんでしょうか? 受話器外れてます信号だったのではという気がしないでもないですが。ネコが電話の上を歩いて受話器が外れてたことが以前あったし。
ってなわけで、震災40日目にして12月1日。恒例Xmas Topにしてみました。


12.02木・年の瀬に必要な細長いもの2題

大手通りも赤と緑のクリスマス仕様になったとのこと、着々と「普通」がやってきたってことでしょうか。そーいえばいままでの「常在戦場」ノボリ、迷彩のヘリがバラバラ飛んでいる下ではなんだか微妙だった気が(^-^;)。主宰の帰省はたぶん25〜6あたり、そのころには正月飾りかな。というわけで、時節柄なご商売のかたからご投稿。前回更新のナガオカ土産コーナーの…(special thanks GABAさん)。

小嶋屋さんの話がありましたので、カキコします。
小嶋屋さんは、先代は川西町の方。その息子さんたちが、十日町、長岡でお店を持ち、3店舗に。
長岡小嶋屋さんは、その息子さんが亡くなり、奥さんが継がれました。よくある話で、自然と実家とは疎遠になり・・・・・
十日町小嶋屋さんも、代が変わりました。
今は、川西、十日町、長岡であまり行き来は無いもよう。ひょっとして全然ないかも。

長岡市内で言いますと、川崎の小嶋屋さん、今は無きすずらん通りの小嶋屋さん(無国籍の跡)が十日町小嶋屋さんの経営です。わりと最近出店したのが、R8の国道沿いの小嶋屋さん。こちらは川西町の本家が経営してます。長岡小嶋屋さんは、殿町とゼソン、ジャスコのそばにありますね。

同じ祖先から枝分かれして二度と交わらないなんて、なんだか進化の系統樹をみるような。本格インドカレーの得意な長岡セゾン店はかなり遠い枝に行ってるかも。そしてこの投稿者さん、リンク欄ご記入にあたり…。

リンク、悩みました。私の正体がバレてしまう(笑)
でも、長岡で商売してるから、長岡人に宣伝した方がいっかと。
え〜い、ここは清水の舞台から飛び降りたつもりで。

あわわわ、ウチはたぶんナガオカ外読者さんのほうが多いと思うので、市内の人々への宣伝にはならないかも…。せっかく清水ダイブして下さったのにすいませんー! 申し訳ないので、もいちどリンク張ってみたりします。イイ米のあるところにはイイこれらもできるわけですね。


12.03金・ありがとう多摩の人

立川のデパートで復興支援・新潟駅弁フェアをやっているというので仕事帰りに寄ってみたら、すでに売り場には何も無く「本日分完売」の張り紙。残念のようなうれしいような。そもそも会場小さすぎっす、高島屋さん。最初、夕方の生モノ投げ売りカウンターかと。25日までだそーなので、再挑戦を誓って帰宅。「くびきの押し寿司」あるかなー。<食べたこと無いのです


12.04土・検索で来られた方、役に立たないページですみません

震災関係を検索中に漂着された方々がお土産にネタを置いて行ってくださることも多くなり…(special thanks 現在燕市民@30代さん)

中越地震関係でこちらまでたどり着きました。
中越地震で被害を受けられました方々に、心よりお見舞い申し上げます。
わたしの身の回りには被害がなかったのですが(燕市は被害が少なかったように思います)、友人知人では被害を受けた方がおられます。
わずかではありますが、速攻で募金もさせていただきました。
頑張ろって、新潟!!

さて、「ローカルCMアーカイブ」を拝見いたしました。
懐かしい記憶に怒涛のように押し流されつつ、投稿させていただきます。

というわけで、震災後3度目の記事更新はローカルCMアーカイブでございます〜。


12.05日・ゆく人 くる人

朝ナガオカの母から電話で起こされ何かと思ったら「吹っ飛ばされてないかねー」。す、すみません、目がさめたときにはすでに台風(…の成れの果て)一過の青空でした。むしろその後ヤツは北上したのでナガオカのほうが暴風圏に。そういえば先週末も暴風雨、なんだかタガが外れっぱなしですよ気象さん。今年の十大ニュースの上位には自然災害が入りまくりだろうなあ。TVでこんなに新潟弁を聞くことになろうとは。というわけで、報道関係者があまりにもアレだったのであわやアレしそうになったかたより(special thanks biwaさん)。

私は長岡市南部の在住ですが、避難所生活は免れました。家に炊き出し用ストーブがあったおかげです。
ところで11月のはじめ、長く寝たきりだった祖母が亡くなったのですが…祖母の血縁がほとんど関西におり、余震の続く中、通夜・葬儀をいたしまして。その時、祖母の末の弟、私にとって母方の大叔父が万難排して 長岡入りしてくださったのです。我が家にお泊めできる状態ではないのでホテルを確保しようとあちこち電話しましたが、マスコミが占拠している状態で「部屋は無い!」と言われ、途方に暮れました。困った父に
『あの、寿屋は…』
と言いかけたとき、居合わせた家族親族に
「ダメだ!」
…あの時寿屋に電話したらどうだったのか妙に気になります。

そうそう、長岡高専は技大に事務局が移っていて、一部技大で授業しているみたいですね。妹が技大に勤務しているのですが、事務局の人ははじめ事務用品を済まなそうに借りにこられていたそうです。それと、食堂で「高専より美味しいね」と喜んでいる高専生を微笑ましく眺めているそうです。大変だけど頑張って欲しいですね。

11.25木のご投稿で「普通に営業しているようでした」とある意味衝撃報告がなされた寿屋旅館。ことによるとマスコミ関係者で満員なんて事態もあったのかも。そーゆー人たちは旅行サイトで立地だけを見て予約しちゃうでしょーし…と思って楽天トラベルを見てみたら、寿屋載ってないし。市内のホテルの「投稿情報」を見ると、「キャンセルの連絡をしようにも電話が繋がらないのでここに書きます」なんて書き込みがあって生々しいですね。

そしてbiwaさん。震災の混乱のなかのご不幸、何と言ってよいやらです。いろいろと本当におつかれさまでございました。


12.06月・さまよえるモヤシっ子

初雪。朝起きたらうっすら白かったと主宰母談。でも雪化粧でも隠せないほどゴミだらけだったとか。ゆうべは台風27号変異の、台風よりすごい低気圧というよくわからないものが吹き荒れ、たいへんな一夜だったらしい。
12月も二週目に入ってそろそろ帰省の切符を取りたいんだけど、上越新幹線は「たにがわ」でさえいまだ予約解禁日未定。その様子見している人が多いせいか、空路もガラガラ。そろそろバスも大丈夫だろうか?と思って道路公団復旧情報(PDF)を見ると、「山本山クラック:走行に支障なしのため未補修」なんて文字がモヤシの神経を揺らし。。。


12.07火・↑とボヤいていたら

本日発表されてました。12月10日(金)14:00、ひと月半ぶりに、上越新幹線「とき」予約開始でございますー!


12.08水・取り越し苦労ファイアウォール

職場の掲示板に今回の地震募金の集計と被災地に送りましたの貼紙が。募金やってたのは知っていたんですが、募金箱のそばに被災地出身者がいると、他の人にプレッシャーなのではないかという考えすぎアプリが立ち上がり、結局募金箱には近寄れず。非被災地在住ナガオカ人のみなさん、職場とかでの支援イベントとの距離の取り方に悩みませんかー!?…<叫ぶ必要もないですが。
そうそう、ずっと謎なんですけど、「義援金」と「義捐金」はどう使い分ければいいんでしょ?


12.09木・買いすぎですよ多摩の人

新潟駅弁フェアにリトライするべく高島屋立川店へ行ったものの、またも「本日完売」という返り討ち。やっぱり仕事帰りの時間じゃ無理かなあ。売り場は先週の投げ売りコーナーみたいなところから催事コーナーの一角にランクアップしてました。角を曲がると「加島屋」さんという立地、駅弁フェアに商品が並んでいる間は、鮭イクラだらけな一角になってるんだろーなあ。


12.10金・涙の指定券

仕事帰りにハタと気付いた大事なこと。今日じゃないですか新幹線予約解禁! というわけで急遽みどりの窓口へ。記入台に置いてあった時刻表12月号は再開前ダイヤで、列車名のところに「とき」の名はあるものの、号数やタイムテーブルは真っ白という背番号のないエース状態。再開後ダイヤはA0紙プリントアウトの壁貼り。予約票に「とき」と記入する時点ですでに感無量、往路は新幹線再開前なので「たにがわ」ですが、これはこれで初めて書くのでやっぱり感無量。往路復路ともに第一希望で買えました。でも帰宅後サイバーステーションを見たらけっこう動きが。


12.11土・ときを待ちながら

震災発生からちょうど50日目。7.13水害にも遭われた地域のかたはもう150日近く被災状態ということに…(special thanks Miyakenさん)。

7月13日の洪水にも両親宅ばっちり呑み込まれてしまい、今年はダブル被災でした。地震に関して言えば、割れ物家財はほぼ全滅でした が、家屋の損壊は瓦が数十枚落ちが家があったりなかったり、窓ガラスが割れたり割れなかったり、塗り壁砂壁が割れたり割れなかったり、という程度でした。

先日用事があって長野新幹線に乗ったのですが、東京駅に「とき」が来ない現実を現場で確認したら、不覚にも目がうるうるしてしまいました。年末新幹線で 帰省する際には長岡駅ホームに到着する瞬間に大泣き必至なんじゃないかな?みんなも「アエロフロート機が無事着陸した瞬間」みたいに大喝采、やりましょう!

「とき」と印字された切符を手にした時点ですでに心で大喝采の主宰でございます。「とき」の脱線と高架橋上にしばらく晒されたねじれた車体は、この災害のヤなアイコンのひとつでしたが、再開決定&切符発売でようやく呪いが解けたような。ときが来れば癒される…と笑点みたいなコトを言ってみたり。


12.12日・笑って話せるように

昨日に続いて水害被災地域ご出身のかたより(special thanks GENさん)。

7月の水害の時に新潟関連の情報を検索していてこちらのページを発見して以来楽しく拝見させて頂いておりましたところ、今度は中越地震で主宰さんのご実家も大変な目に遭われたそうで心配でしたが、NG!ならではといえる長岡駅や壽屋旅館などローカル風味あふれる情報の数々に、水害や地震のニュースでナチュラルな新潟弁が聞こえてきた時と同じ、うれしい様な切ない様な奇妙な安堵感を味わうことも多々ありました。今年被災された皆さんにはお見舞い申し上げるとともに、1日も早く、何の心配も無くまた長岡の思い出を笑って話せる様になる事を願ってやまない今日この頃です。

災害のことを検索していてウチにたどりついた方は、肩が抜けるほど肩すかしなのではないかと心配しておりますが、大丈夫でしょうか。

さて、今日はローカルCMのページを見ていて突如記憶の底からよみがえって来た…

大丈夫そうですね(笑)。というわけで、先週に引き続いて今週もローカルCMアーカイブ更新でございます〜。


12.13月・再会系サイト

こういうHPも長く続けていると思わぬ偶然もあるもので…(special thanks eikichiさん)。

今日は、お礼が言いたくてメールをいたしました。
というのも、**の更新で取り上げられた**さんが高校の同級生だったのです。
何の気なしにリンク先に飛び、読み進めていくと「おや?」と思う内容が盛りだくさんで。
恐る恐るメールを出してみたらビンゴでした。
私は既に家族ともども長岡を離れているためなかなか彼女と会う機会もなく、今回の地震でもどうなったかと心配をしていたところでした。
NG!で取り上げられなかったら、彼女のここ数年の近況を知ることはなかったかもしれません。

それにしても今回の地震には驚き、うろたえました。
幸い、長岡在住の友人知人、親戚は無事でしたがこれからますます寒くなる中で、被災者の皆さんのご苦労を思うと胸が痛くなります。
友人がSゆり幼稚園に勤務しているのですが中沢の園は建物がもう鉄骨のみになってしまったそうです。
園児がいる時間帯でなかったことが、不幸中の幸いだったと思います。

何も出来ない身ではありますが、一日も早い復興と被災者の皆さんが安心して眠れる夜が訪れることを願ってやみません。

丁寧なおたより恐縮です〜。でもこれはウチがドーコーというより、そのHPを見て「おや?」と思えた投稿者さんの高感度アンテナゆえではないかと。伏字は無論ハレンチな言葉が書いてあったためではなく、プライベート話題だからアレかなあと思ってアレしてみた次第でございます。お友達にNG!のことを話したら「××(<ハンドル)は俺だぜ!」と言われたというメールもいただいたことがあるので、もしかしてNG!投稿者さんは固まるところに固まっているのかも〜。


12.14火・「被災」は対人、「罹災」は対家屋だそーです

主宰宅に罹災証明書が到着。内容は「一部損壊」。主宰宅エリアは被害が少ないので、市役所の最初の調査はほぼ素通り状態だったのですが、歩くと床が沈む箇所とかあって再調査を頼んだところ、土台に3箇所のヒビ発覚なのでした。年末に帰ったときはゴルフボール転がしてみるか…。ちなみにこういう再調査は、 市役所資産税課に依頼するとタダ実施してもらえるそーです。


12.15水・サプライズ善意

罹災証明の次には意外なものが到来。なんと義援金の申請書。どうやらコレ(PDF@県HP)らしい。県に寄せられた義援金が、罹災世帯すべてに全壊200万・大規模半壊100万・半壊25万・一部損壊5万の内訳で配分されるとのこと。こ、こんなの決まってたの知らなかったっす。親から「義援金を送るから口座番号を知らせろて手紙が来たてー」と聞いたときは、十中八九おれおれ詐欺かと。


12.16木・ゴージャス健診よりも地震のときの休暇を特休にしてくれたほうが正直うれしいです人事さん

先月アタマに職場の健康診断があり、帰省中だった主宰は受けられなかったのですが、どーしても受診してくださいと人事に言われてシブシブ(<ヨワムシなので…)指定病院へ。フツーに外来の受付に行ったところ、「健診センターは隣です」と案内された建物のゴージャスぶりにどびっくり。ルームウェアのような受診ルックの人々がラウンジのソファでくつろいでいる様子はスパ・リゾートかと。職場の会議室でメチャ混みのなか受診した皆さんに申し訳ないような…。

気象庁が「安全宣言はまだ」宣言。それを聞いてどーしろっちゅーんじゃと思いますが、地震予知は難しいからなあ…。


12.17金・幸い住むと人の言う

23時からのNHK「にんげんドキュメント」は山古志村の特集。主宰は実は山古志村に行ったことがなく、番組内で流れた「小さな旅」の映像で初めて震災前の村の風景を見ました。機械が入れにくい棚田だからこそ、農作業用に牛を飼う習慣が長く続いたのかなあ…なんて思ったり。それにしても、新潟弁ってホントどこの方言とも似てないですね。


12.18土・栖吉の土手から

今年もあと二週間を切ったのに妙にあたたかい今日このごろ。でもナガオカでは昨日…(special thanks めいめいさん)

今朝今年初?の雪が、八方台の後ろの山、のこぎり山に降り、山頂付近が白くなっていました。
息子を園に送る時に土手から見えたので、「お〜!雪だ〜」と教えてやると、「ホントだ!雪だ!!しゃっこそ〜!」
・・・5歳といえども長岡人。とっさにでるのは「しゃっこい」なんですね。
ちなみに7歳の兄との今の流行語は「なにいってが〜て」と「なにやってが〜て」です。使うタイミングが非常に良いので結構本気でカチンときたり、がっくりと脱力してしまう母です。

おそらくご実家が近くと思います。この辺界隈はすっかり落ち着いています。
ヘリも飛ぶ回数が減りました。本震数日後、土手に座ってとびかうヘリを見上げ、起きている事に実感がわかず、ヘンな涙がこぼれたものです。
長岡は地域によって被害に差があり、被害が少ない地域では震災がもう風化し始めていると記事で読みました。確かに私も日常がもどりまるで何も起きていない錯覚をしてしまいます。これから冬本番・・・様々な不安を抱えている多くの方々も、少しでも明るい新年を迎えられる事を祈っています。

12月6日のは雪ではなくてアラレだったそうなので、たぶん昨日が初冠雪ですね。投稿者さんがヘリを見上げた土手は栖吉の土手かなあ。。。

そして今日はNHKのロボコン特番。ナレーターの発音する「ナガオカ」は案の定「ナ↓ガ↓オ↓カ↓」。「ナガ↑オカ↓」なのにい。長岡高専さんはHPを見るとまだまだ大変そうですね。そして他の学校はというと…(special thanks "いい男"さん)。

長岡市内の一部の高校(情報を確認できないので怪しいですが、恐らく全部)の冬休みが大幅に短縮されることが決まりました。
市内暴行では12/28より冬休み、翌年1/5より授業開始と1週間の冬休みです。公立校なので他校でも同じでしょう。

文中なんだかバンカラな誤変換が(笑)。公立高校の冬休み、公務員の御用納め−1/御用始め+1ってコトですか。震災当初の休校をまき返すべく先生も必死なスケジュール。
栖吉川・高校とくれば例のアレというわけで、今回は河のほとりの高校ネタ更新でございます〜。


12.19日・どんな記念日なんかより

最後の運休路線・上越線・飯山線もついにキター!(PDF9KB@JR東HP) 発表は遅かったのに再開は新幹線より1日早い12月27日。やっぱり大トリは新幹線さんに、ということですかねえ。スターに花道をゆずる老名優ってトコですか。


12.20月・あやしいけれど懐かしい

東京で見る震災関連のニュースが芸能人訪問と「仮設住宅にサンタさん」とかのイベント系一色になりつつある今日このごろ。なんだか便乗系催事のご報告も…(special thanks 田村@元長岡住民さん)。

横浜駅にちょこっと行ったのですが、駅前で新潟物産展みたいのをやってました。
ただ、イゴネリや車麩、油揚げと一緒にお焼きがあったのがなんとも…
へぎそばも製造元は長野県でした(名称はへぎそばですが、別にへぎが付いているわけ ではなく、単に海草入りって事みたい)

ありがちな信越の混同でございます。でも魚沼方面は野沢菜とか常食してるしなー。油揚げは、主宰がよく行くスーパーで地震前から実演販売やってます。ネギ味噌を挟んでホットプレートで焼いたりして。商品名は「栃尾揚げ」。地元民でも略さずフルに「栃尾の油揚げ」と言っているのにい。あ、「アブラゲ」と圧縮はしますか。
そしてこの投稿者さん、新潟物産展を見てナニを思われたのか。。。

話は変わりますが、シャワーマッサーは健在なのでしょうか?(苦笑)

震災editionにもついにこの言葉が。営業再開してるのかなあ。確認されたかたがおられましたらご一報を〜(笑)。


12.21火・常在戦場!

スーパーで「雪国まいたけ」を買ったらパッケージが「地震に負けるな!」版になってました。勝敗つけにくいって気もするなあ。かと言って「地震と引き分けろ!」じゃ勢いがないですけど。勝ち負けと言えば、地元でも熾烈な戦いが繰り広げられているらしく…(special thanks ぶーぶーさん)。

先日、何十年ぶりかで駅発長距離のバスに乗る機会がありました。
終点は小国。昼間のバスは、ほどよく空いていてその日はきちんとオシャレをしてリュックを背負った「町帰り」と見られるおばさま方がおしゃべりを楽しんでおりました。
聞くともなしに聞いていると、

 「うちは火ぃ燃すかまがあるんだんが、公民館には一度ももらいに行かんかっと。」
と、どうやら『支援物資を受けなかった自慢』。

 「うちは、マンマが炊けねんだ、一回だけオトサンが(だんな様のことですね)行ったれの。」
その一回が悔やまれてならない。といった風情の悔しそうなおばさま。

 「○○んとこは、年寄りがいるすけ(遠慮しておばさまと書きましたが、あなたもどう見ても...)公民館に置いてもらったようらの。」
っと、元気自慢も加わり、話題は、土の恵みで生きる素晴らしさへ…(もちろん長岡弁で)。

越後の人間は、一時TVで流行ったサバイバルゲームに参加したら、特に60〜80代のおばさま方の生き残り率はとても高いんじゃないか...っとちょっと嬉しく思ったのどかなバスの旅でした。

うおー、まさに「地震に負けるな!」。対自然勝負は長年の雪との戦いで慣れてるのかなあ。「隣んちはセメン出てるっけんウチも出さんばらて!」魂ですね。あ、これじゃ「近所に負けるな!」か(笑)。


12.22水・トリガーのトリビア

ついに市街地でも積雪。
それでフと思い出したんですが、以前、雪が地震の引き金になるという記事を読んだことが。
GPS観測すると、日本の地盤は冬に日本海側に沈み込んでいるそうで、それはどうやら積雪の重みによるのだそーなのです。
だから、雪国の地震は雪がなくなって地盤が反発する春夏に起こりやすく、逆に雪のない地域では、雪国に地盤が引っ張られている秋冬に起こりやすいとのこと(詳細はこちら)。

このたびの地震は10月なので、この時期パターンからはズレてますが、国境の長いトンネル隔てて雪国と非雪国が接している中越は、この地殻の上下動のちょうど折れ線上にあるわけで、地下が断層だらけなのも無理ナイかも…なんて思ったり。

「フ」にしてはえらく長くなってしまった考察のあとは、昨日・一昨日に続いて新潟物産ネタ(special thanks ともみんさん)。

こんにちは。
多摩地区在住のネイティヴ・ナガオカンです。

栃尾の「あぶらげ」の話題で思い出しました。
先日、有楽町に用があり、帰りに無印良品有楽町店に寄ったのですが、そこに、あったのです。
大力納豆と、栃尾のあぶらげが。
即買いでした(笑)。
夕食に出したところ、ダンナが思いのほか喜んでくれて(ダンナは神戸出身、長岡在住歴4年)、 私も長岡に帰りたくなりました。
ちなみにあぶらげは1枚284円、納豆は126円でした。
他にも、全国の美味しいものがたくさん、スーパーの牛乳売り場みたいな冷やす棚で売られておりました。

実家のお風呂の修理がもうすぐ終わるそうで、家の中も人間もだいぶ落ち着きつつあるようです。
地震の翌日に長岡に帰って、1週間向こうにいましたが、1週間いただけで、ちょっとした物音や震動にもびくびくするようになってしまい、元に戻るまでしばらく大変でした。
お正月は都合で帰ることができませんが、上越線やときたん(・○・)が頑張って走る姿を見るのが、今から楽しみです。

おおお、多摩の人〜。無印に無印以外の良品もあるんですねえ。まるで盆と夏休みが一緒に来たような!<来てますよ毎年。お正月はお先にときたん(・○・)乗らせていただきますー。行きはたにがわたんですが。あ、職場にいる谷川さん(50代・男性)をタン呼びしているみたいでちょっとヤかも〜。


12.23木・二ヶ月経過

震災editionのインデックス部分、その日のニュースのメモ書きを加えてみました。参考資料はYomiuri Onlineの中越地震特集ページ。震災発生当時からの記事が並んでいて感慨深かったり便利だったり。そんなことをしながらNHKの震災番組を見ていたら、余震の速報テロップが。長岡震度4、最大震度も4。長岡から下越方面に向かって揺れたらしい…と、いま書いて気付いたんですが、「下越」は変換されないんですね。中越・上越はイケるのにナゼ?


12.24金・Red-Nosed TRAINdeer

新幹線試運転キター! くしくも愛らしい赤鼻フェイスでございます。


12.25土・字のマチガイ率だけは上昇するのみで下がりません

今年は早く帰省するので驚異的早期に(<自分前年比)年賀状着手。非被災地宛てか
被災地宛てかによって書くテンションが激しく上下して、なんだか精神的船酔いが〜。


12.26日・Forward-Look Express

新幹線、営業車両で試験走行キター! Yahooニュースを見に行ったら、いままで「上越新幹線脱線」だった 地域トピックス内カテゴリ名が2字消えて「上越新幹線」になってました。完全復活したらこのトピックスそのものが無くなるわけですね。このペースで「上越新」「上」と2文字ずつ消えていったらどうしよう。


12.27月・赤い河の谷間

長岡帰省シター! ルートは結局たにがわたん(<職場の谷川さん50代男性ではなく…)+上越線。所要4時間弱。空きボックスがない程度の座席埋まり率で、地元ユーザーがほとんど。たにがわ組は98%くらい代行バスのようでした。詳細は後日補遺予定(12.28補完しました↓)。たえず雪が降り続けている日で、昼間は「セメン出てる」状態だったのに今はもう真っ白でございます。

(12.28補遺)
新幹線に乗るべく武蔵野線経由で大宮へ。新座駅のチャイムが「鉄腕アトム」に変わっていたのに驚き、理由を考えているうちに到着。新幹線に乗り換え、朝ごはんのパンとか食べて包み紙を捨てに行ったらゴミ箱がどこにもなく、「警戒のため撤去しております」の張り紙が。自衛隊派遣(もちろん中越じゃなくてイラクの)延長の余波かなあ。今回は小さいカバンだからゴミなんて入れる場所ないよとジタバタしてたらもう湯沢。ガーラ行きなのでモタモタしていられない。

ホームに下りると、なつかしい湿っぽい寒さが。雪もかなり積もってるし進行形で降雪中。ほとんどの人が代行バスかほくほく線乗り換えのほうに行く中、私を含めて数人が上越線ホームへ。ホームにはすでに列車が入線していたもののまだドアが閉まって…と思ったら、中に乗客が。そーだ、ドア手で開けるんだよ!と遠い記憶が蘇る。中は各ボックスに一組という乗車率。私が入ったボックスの隣には冬休みボランティアっぽいワカモノ三人組。話をキキミミすると川口のボラセンに行くらしい。雪景色にしきりと感心していた。彼ら以外は小荷物な人が多いので、私同様帰省組あるいは地元の人という感じ。

停車駅とその様子は下記の通り。

越後湯沢
10:40車体をドガチャカいわせながら発車。在来線の長距離列車って久々に乗るのでこの揺れと音がフツーなのか再開初日ゆえなのかわからず。でも、すでに今日数本走ってるはずだから、これでフツーなんだろうなあ。
石打〜大沢
このあたりの家々はどの家も屋根の形が個性的。みんな雪落としの工夫を競っている感じ。片屋根ありトンガリ帽子ふうあり。地震の被害はまるでなし。
上越国際スキー場前
スノボ担いだ若者が数人降りる。駅前に見える駐車場はほぼ満車で、ちょっとホっとした。
塩沢
駅の向こうに関越道が見える。走っていたのは3台連なる大型バス。代行バスに違いない。駅に止まっている間に抜かれてしまった。負けるな上越線!と自分が運転しているわけでもないのに迷惑な正太郎くん乗客。
六日町
塩沢を過ぎたあたりから積雪量がどんどん減っていく。そのかわり現れてくるのがブルーシート。補強に巻いた金網むき出しの高架の上を車がびゅんびゅん走っていてびびる。
五日町
ミニスカ女子高生が数人降車。ここでもやっぱり東京では希少なくらい豪快露出のナマ脚。でも、アンダーにジャージ装備という寒冷地名物ハニワ女子も目撃、いくぶんホっとしたりして。
浦佐
この駅前後はしばらく新幹線の高架と併走。橋脚は無事なのか思わず凝視…って、さっきから脚ばかり見てますね。
八色
この駅を越えて小出に至るトンネルの前でえらく徐行。なんだか緊張してしまう。トンネルの中では壁面を凝視してしまったけど、目につく肌荒れはナシ。
小出
けっこう乗客が入れ替わる。隣のボックスのボラ青年たちは、今日から小出から先も運行するということを知らなかったらしく、「これで川口まで行けるよ!」とビックリしていた。発車前に「この先は徐行運転です」アナウンス。すでに徐行してるじゃんと思ったら、這うような徐行が始まった。さっきまでの徐行はまだ「歩き」だったんだなあ。
越後堀之内
線路の上を横切る高架の道路の盛り土が崩れていて、雪のなか多くの作業員さんが工事中。このあたりからちょっと絶句する光景が展開する。
北堀之内
山崩れ跡が続く。山肌には上から下までを巨大な爪で引っかいたような縦の線。わずかに残った木々は全て下を向いている。下には大量の倒木。やがて和南津トンネル。壁面はところどころに色の違う箇所。その次の中山トンネルを抜けると川口の町。家並みの中に点在する倒壊した家とその周囲に群がる重機。薄く積もった雪のカサブタ効果で見た目の生々しさは軽減されているものの、復旧作業には邪魔なんだろうと思う。線路も実際まだまだ補修中で、この列車が通るあいだ作業の手を止めて線路脇に避けている作業員さん集団をあちこちで見る。
越後川口
前の列車が停車しているとのことで、ホームでしばし停車する旨のアナウンス。隣ボックスのボラ青年が降り、乗ってきたのは地元女子の二人組。久々に会ってどこかに出かける感じで、友達の安否情報を交換し合っていた。ほかにもけっこう多数の乗客。私のボックスにもニット帽の似合うご老人が。15分の停車の後に発車(11:57)。天王トンネルを抜けるとまた大きな山崩れの跡。木々のあった土壌部分が落ちて赤い粘土層がむき出し。さらにその下の岩盤部分が出ているところも。そういう箇所はほぼ垂直に切り取られているのでカサブタ雪すら積もらず。
小千谷
(12:10)駅のすぐ裏のビルは外壁が落ちたまま。ガードレールも曲がったまま。駅近くの養鯉池は水槽の隔壁が粉々。榎トンネルに差し掛かる手前で進行方向左にものすごい大崩落を見る。信濃川に山が一歩踏み出したような状態。赤い土砂のなかに家ほどもある巨石もゴロゴロしている。列車はその山のトンネルへ突っ込んでいく。本気でびびる。突入前に現れたのは「山古志村」の文字。半壊の観光看板だった。トンネルは入り口こそ鉄骨でガードされていたものの、中は意外なほど傷跡がない。出たところにまた看板――「妙見」。さっきの大崩落があの現場とようやく気付く。
越後滝谷
長岡が近づいてきたものの、まだまだ被害は重篤。駅に差し掛かる前の町並みはブルーシートだらけで民家の灯油タンクは傾げている。よく火事が出なかった。一階が斜めになっているお宅もある。電柱もどれも微妙に斜め。もともと斜めの支柱と組み合わせたタイプのものもあるので、雑多な角度の混在にクラクラしたりする。この駅でもなかなか発車しない。ようやく発車したと思ったら、さらに速度が落ちて舐めるような徐行。発車後すぐの場所に仮設住宅が見えた。
宮内
大きな建物急増。コロナの工場は外壁がかなり落ちているものの、住宅街に入るとブルーシートはほとんどナシ。駅を過ぎたあたりからドッグランに放された犬のようにシャカリキに走り出す。むろん私じゃなくて列車が。
長岡
徐行に慣れた目がチカチカするようなスピードで宮内を駆け抜け、「南操車場の仮設が見える」とメモるのが終わらぬうちにホームイン(12:47)。
雪は雨になっていた。家に電話すると、少し前に余震があったとのこと。滝谷での停車はそのせいかも。今回は小荷物で来たので、セ…cocoloで少し買い物。東口への渡り廊下の天井はまだ剥がれたままでした。


12.28火・そのとき

朝、ヘリの音で目が覚める。自衛隊は撤退したはずだから、たぶん今日開通の新幹線狙いの報道ヘリ。昨日から降り続いた雪で外は真っ白、完全復旧のニュース映像はかつての「JR SKI SKI」CMみたいになるかなあ、なんて思っていたら、最大震度5弱@守門。長岡は震度3。体感震度はそんなもんじゃないよっていう、地中でハツリ工事をやっているかのような揺れっぷり。発生時刻は18:30。くしくもあの「とき」325号、新潟駅に向かって走行中。無事完走の映像をNHKで見たときはもう泣くかと。全線一時停止&点検の後、2時間後に再開。雪も昼間の雨でおおむね融けちゃったし、予想外のことばかりでございます。


12.29水・シャワーマッサー+1

副主宰に会う@副主宰実家。副主宰は実家で産後の肥立ち中に被災。早産だったせいもあってその後も赤さんとともに入院したり退院したりしておりましたが、ようやく落ち着いた模様。遅ればせながら出産祝いを渡したら、「東京の人になったがーねー」と言われて「?」。どうやら「のし」のせいらしい。「内のし」っちゅーヤツで、のし紙をかけた上に包装紙をさらにかけるのが東京風、逆にナガオカのは「外のし」と言って、包装紙の外側にのし紙をかけるとか。そーいえば、主宰がナガオカにいたとき自宅に来たお中元とかお歳暮とかは「外のし」でした。「内のし」は並べたときに差出人がわかんないから、東京のほうが個人情報にキビしいっちゅーコトでしょーか。

副主宰宅では妊娠・出産・育児にまつわる、ココにはとても書けない話の数々を聞く。飛び交ったセリフを一部抜粋↓。

「そんなトコ指で届くの!?」「そんなに引っ張ったら壊れちゃうー!」「内側からも縫われてる…」「すごい勢いで噴き出すんだよね」「舌を丸めて…」「ここからオヤジ臭が」

この間、当事者のK貴くん男子0歳は「んっ」とか「あうっ」とかのファンキーな相槌を打ったり、抱っこしている副主宰に頭突きを喰らわしたりと、早くもツッコミの素養を発揮。最後のセリフだけ詳細を明かすと、K貴くんの全身は赤ちゃんのいいにおいなのに、おデコの生え際部分のみオヤジ脂の臭いがする、ということなのですが、そういえば前頭部って男性がアレになりやすい部分、男性ホルモンが集りがちってコトでしょーか。男児をお持ちのお母さま方、よろしかったら生え際クンクンしてみてくださいませ〜。


12.30木・転がる石のように

自分の部屋はあまりにも寒い&未点検のガスストーブを点けるのが怖いので、そこそこの片付けでお茶を濁し、親エリアの掃除と修理の手伝いに励む。昼間の明るいときに落ち着いてあちこちを眺めてみると、今まで気付かなかった壁のビビや、柱と壁の間に隙間が開いて向こう側が見える箇所等が見えてくる。住宅チェックのお約束、ゴルフボール転がしも恐る恐るトライしたところ、見えざる手に押されるがままコロコロrolling。私はアワ食ってるのに、そこにずっといる親のほうがノンキで、「春になったら××さん(知り合いの大工さん)に見てもらうて」。その春までが心配だっちゅーのにもー。小雪であることを心の底から願う。


12.31金・蛍の光

大晦日。昨日の願い台無しな勢いで終日雪。紅白もゆく年くる年も長岡からの中継が入る。大規模災害〜連日の報道〜沈静化〜年末にしみじみと登場、というお約束な流れだけど、お約束に弱い主宰は「jupiter」でも「雪椿」でもうるうるきてしまった。絶対泣くから親に見られるの恥ずかしいなあと思ったものの、両親ともに爆睡かよ! マツケンは釘付けだったくせにぃ。年越しの瞬間には花火。窓の外は雪。いつしか年も すぎの戸を。


01.01土・除夜のストローク

初のナガオカからの……と打ったところでノートン先生の定時スキャンが立ち上がり、激重動作に耐え
ながらの賀正でございます。PCだけじゃなく新しい年もまた脅威にさらされないものであることを祈念。


01.02日・Departure

東京へ戻る日。完全復活した「とき」に初めて乗る。ホームの遠くに「とき」の丸顔が見えてきたらもう涙腺が。昨日・一昨日の雪が止んで上天気の中、「とき」はホントにこんな顔(・○・)してるんじゃないかと思うほど無邪気に高架を突っ走る。ガタつきも徐行もナシ。越後湯沢でほくほく線の待ち合わせに少々止まったものの、何事もなく完走。所要2時間。今年は曜日まわりがヤな感じで仕事始めが早いので、ほぼ満席の客の入り。

積もった雪とスピードのため外の景色に地震の痛手はほとんど見えず。来るときに乗った上越線とは見える風景がまるで違うのにかなり驚く。山深いなかの町を細かく縫って行く上越線は、車窓に山・谷・町・トンネル・鉄橋がめまぐるしく現れて、地震のことがなければかなり風光明媚な路線だと思う。でも、同時に地盤が細かく折りたたまれた地形なんだなあということも実感。自然がムチャしている様子を「美しい」と感じるなんて、人間の感覚って、生き物としてはちょっと素頓狂かも。

東京は大晦日に降った雪がまだ盛大に残っていた。主宰の住む多摩地区はほとんど同日のナガオカなみの積雪。空気が乾燥しているので、路面は乾いて凍り、雪国人でもコケそうなくらいツルツルでございます。


01.18火・特異日

プロジェクトX観てたら速報が。「甲信越地方でやや大きな地震がありました」。「新潟県で」ではなくこの表記のときはけっこうデカいということ。家に電話してみると「おっかねかったてー」と母親談。昼間もけっこう弱い揺れがあり、気持ち悪いなとは思っていたそーで、久々にコートを手に玄関ダッシュしたとか。気象庁HPを見てみると、

 21:50 M4.6 震度3(最大震度4@見附、栃尾、 守門、中之島)
 19:58 M3.6 震度?(最大震度2@十日町、 川西町)
 11:08 M3.9 震度1(最大震度2@見附、栃尾、 守門、入広瀬)

親は「いまのは震度3と震度4らて」と言っているので、21:50のは2度の揺れがあったらしい。朝の11:08も同じ場所。本震の日も朝に小千谷で震度1があったそうなので、朝に微震があった日は要注意なのかも。新幹線もまた止まってしまった。「再開には今日いっぱいかかる見込み」と22:45からの関東甲信越ニュースで言っている。0時まで動かないってコト?
とか何とか言ってたら23:09北海道釧路沖で震度5強。一時間おきにテロップが入る夜。


01.23日・オラ、ささだんごちゃん!

震災発生3か月目。東京ではほとんど報道されなくなり、丸3か月ということも親からの電話でやっと気付いた自分に激しくダメ出し。そんな忘れっぽい脳に喝を入れる衝撃情報が〜!(special thanks flogさん)

1/22の夕方、風邪で会社を早引けし、布団にもぐりながらテレビを点けるとやっていたのは「アンパンマン」、そこに出ていたのは

「ささだんごちゃん」

でございました。(ググって見たのですが、さすがにまだ画像は見つからず)
ささだんごをモチーフとした笹色の髪型(特に後ろ姿)で、ささだんごを作ってみんなに振る舞う明るい娘でした。
くるくると紐をほどき、バナナの皮のように笹を向く食べ方もちゃんと描写されており、「これは新潟県民がスタッフにいるのか?」と思わず画面に見入ってしまいました。
すると「あんた、誰ら?」など、台詞に中越ナマリが2、3回混じっていた!
(基本は「オラ、ささだんごちゃん」という、典型的イナカモノの台詞でしたが(^_^;)

ちなみにこの娘、気は優しいですがものすごい力持ちでした。
多くは語らずとも強い新潟人を表現したかのように。
「新潟がんばれ!」のメッセージが入っていたような深読みをしてしまいました。
やっぱりスタッフに中越人がいたんじゃないかなぁ。。。

ひえー、気が弱くて力無しの自分が恥ずかしい。原作者やなせたかしさんは、妙見で救出されたお子さんにアンパンマン・グッズをプレゼントされているので、ほんとに今回の地震を意識したキャラ造形なのかも。

…という記事を書いてupしたら、Yahooのヘッドラインに「3か月」ニュースが上がってました。「ほんやら洞」って、主宰の母親の実家・魚沼方面でも使う言葉ですが、灯篭ではなく「かまくら」を指していたような。


01.30日・話は越後の

ワイドショー観てたら小林幸子の紅白で着るはずだった幻の装置衣装がお披露目されてました。これをさかのぼること約一ヶ月、年明け早々のスポーツ紙に幸子姐さん紅白ネタが衝撃的フォーマットで掲載されていたらしく。(special thanks しぶたんさん)

今月6日の「日刊スポーツ」社会面に、記者の日替わりコラムで地震の話が載っていました。
そのコラムを書いたのは加茂市出身の記者で、女性と思われる2名が、大晦日の小林幸子について話すという体裁でしたが、そこに使われている言葉がコテコテの長岡弁(注釈無し)でした。県内でも中越以外の人は使わない言葉、いきなり全国紙に載っちゃって、はたして全国でどれだけの人が理解できるんだろ・・・・と思いました。

なお、このコラムでは、NHKのことを「1チャンネル」と表記しています。新潟県出身者は、これでこの記事が東京で書かれたということがわかりますな(^^)。

また、この記事は日刊スポーツのHPで今でも見ることが出来ますので、是非ご一読を。

一読しました〜。たしかに「1チャン」発言してるので、東京在住新潟人っちゅーコトですか(笑)。「そうやんだて」とか言ってるので魚沼弁ですね。ほんとに訳文ナシなんでどびっくり。バックナンバーを見ると他にも中越地震ネタがいくつか。発生当日の在京ナガオカ人の姿を書いた「家族をつないだ携帯」は、主宰も同じような経験をしているのでうんうん頷きながら読んじゃいました。本震のとき、主宰も職場にいたんですが、いろんな部署の新潟出身者がぽつぽつとテレビのまわりに集まってきて、「電話通じる…?」「ダメ…」「ウチも…」というような会話を呆然と交わし…。


02.06日・豪雪Edition

1月26日から降り続いた雪は、被災旅館の浴場倒壊やほくほく線「はくたか」の脱線を引き起こし、ついには自衛隊に災害派遣要請する事態に。秋に発表された気象庁の暖冬予想って一体…。

積雪は長岡でも1m50に到達、19年ぶりの豪雪とのこと。消パイのある道路まで道つけし、戻ろうとしたら今つけた道がすでに無いという降りっぷりと主宰母談。そして主宰宅はなんとスノーダンプを新調。物置の奥から引っ張り出してきた旧機は鉄製で、あまりにもヘヴィすぎたかららしい。連日震災報道がなされていたころは、こんなに毎日TVで新潟弁を聞こうとはと思っていたけれど、それに続いて連日TVでスノーダンプを見る日々が来ようとは。

豪雪報道で東京の友人にドン引きされてしまうのは、ワラ製の箕・笠・カンジキがいまだ現役ということ。代用品が無いからしょーがないですよねえ。フードかぶると横が見えなくなるし。アイリスオーヤマさんあたりがポリカーボネイトの笠とか作ってくれたら売れるかも?

そして、ナガオカの雪消しブレイクの友が例年この時期に限って数える単位が「個」から「箱」になるアレなわけですが…。(special thanks ShinJさん)

このあいだ長岡に帰ったとき気付いたのですが、39セールとレーメンでおなじみの美松が

『カプチーノ カフェ&ケーキ MIMATSU』

になっていました。外観もとてもこじゃれて素敵ですが、微妙なだささと安っぽさが大好きだった私はちょっと寂しく残念な気持ちになったことを付け加えておきます。
思わず写メを撮り、長岡人の友人に送りつけ「美松が調子に乗ってるよ!」(失礼すぎる…!)とメールしたのですが、「だから何?」と五文字で返信されました。そりゃそうですね。

たしかにこれはお調子に! 正月帰省のときはぜんぜん気が付かなかったんですが、いつからなんでしょーか。横文字表記になっちゃって、あの裏庭の祠もストーンサークルとかに改装されてたらどーしよー!<だから何(笑)。


02.20日・祭の季節

今週末は雪しか祭。サブタイトルは震災復興祈願祭だそーです。なのに「花火がすごくて地震みたいらてー」と空気の読めない主宰母談。今月は行列のできる例の祭も開催中なわけですが、そこにただならぬ異変が起きているらしく…!(special thanks frogさん)

この3連休、NGファンの一部の方同様、私も妻の実家に雪下ろしに行って参りました。
そこで知った驚愕の事実。(大げさ)

今年から、美松の39セール、消費税が付いてるそうです。

「390円かと思ったら、払う時に410円になってるが〜て」

って、箱単位の値段で当然のように語られているのはさておいて、

「これじゃ39セールじゃね〜こって」

と、あちこちで聞かされました。美松さんも逆境なのでしょうか? 来年も当たり前のように「39セール」を名乗るのか、 いっその事「41(良い)セール」」とでも改名されるのか、注目されます。

これはゆゆしき大異変!<大げさ(笑) っていうか、いままで税込み39円だったんですかー!というほうに驚きが。消費税そのものでさえ3%から5%に上がっているのにすごいなあ。主宰のコドモのころから39円だったから、いまごろは1箱1009円くらいに値上がりしてセンキュ〜・セールになっていてもおかしくはないはず……と、デーブ・スペクターみたいなコトを言ってると、せっかく過ぎた寒波をまた招きそうなのでやめときます。雪下ろしヘルプに行かれたこの投稿者さんは、

個人的に(・○・)で行けなかったのが残念でしたが、高架を走る姿は見る事ができ(しかも降りしきる雪の中)、少しほっとした気分です。
関越高速や一般道でも、久しぶりに雪の壁を見る事ができ、懐かしさを感じました。
でもこの冬は降らんでくれ、と祈っていた時に限って降るのだから、祈るのはやめる事にしました。(^_^;

この豪雪に耐える仕様の(・○・)や関越道があれだけの被害を受けたのかと思うと、地震のパワーにあらためて戦慄でございます。地震発電とか平和利用できないのかなあ。
そして、ふたたび祭ネタなんですが…。(special thanks 田村@元長岡住民さん)

何年目の正直?たまには事前に案内を出すのも良いのでは?
http://www.tochio.net/hodare/ ←これ(笑)
今年は3/14だそうです。

あうっ、すっかり忘れていました、いろんな意味で幻の祭! しかしこれまたノートン先生の逆鱗に触れそうな(笑)。そして、こんなご投稿もいただいており…。(special thanks 魚沼んの新妻さん)

「○○○酒惚れた」などという歌もあるそうでとある会社の社歌になっています。

カップリングの「ヨルトノ」(夜の殿町)というのもすごいですが・・・。
(こっちの方がよりNG!的かも。)

栃尾近郊には似たようなお祭りがあります。
旧小出「しねり弁天」、旧堀之内「雪中花水祝い」・・・。
どちらも御神体様に乗ったり、担いだり・・・。

中越は奇祭の宝庫。
もう、ビバ越後の奇祭!!このパワーで震災に負けるな!って感じでしょうか。

ご紹介いただいた「とある会社」HPはすごいというか何というか。会社名も社歌に合っているというか合いすぎというか(笑)。某ブレイク工業を輩出したマイナーキャンペーンソング大賞に第二回があったなら、ぜひエントリー希望。
そして、「NG!的」と読者さん談の「ヨルトノ」ですが、NG!でも乗りこなせない気がする暴れ馬ぶりなんですけどっ。キャッチコピーは「60年代の歌謡曲をベースに熱いリズムで歌う故郷(長岡)への思い」でございます〜。


03.20日・福岡県西方沖地震

午前10時53分、福岡県沖でM7。最大震度6弱。これを書いているのは夜の10時台なんですが、これまでに90回近く余震が発生している模様。M7クラスの地震が半年ペースで襲来するなんて初めてでは。被害映像を観ていると、中越地震発生当時、どうすることもできずにTVとPCに張り付いていた頃の焦燥感が蘇る。でも、明るいうちの発生で被害の把握が早かったせいか、東京のTVは中越のときは数日やっていた画面分割すらなく通常編成。九州にゆかりのある人々には情報不足で不安な夜じゃないかなあ。大正以来、地震がない土地柄だって言うし。

そして、ビルのガラスが割れて紙のように降る映像は「東京で起こったら」不安をクリックしまくるわけですが、上の巻頭二行でリンクしたmemories2003かんぴろ記事のすぐ上が、くしくも東京大地震ネタ。こういうバラバラに地震予知研究している人たちがそれぞれのデータを持ち寄ればもっと精度が上がるんじゃないかと思うけど、誰もそれを言い出さないってコトは、イロイロなアレがソレなのかなあ。。。


05.01日・天空の城・丸専

雪が融けて復興セカンドシーズン開始…と先週の巻頭2行に書きましたが、なんだか復興大車輪な情報が(special thanks 中央特快最速伝説さん)。

震災復興のシンボルとして長岡に18階建てのビルを作るってニッポーのサイトでみました。
建設地は今丸専が建ってるとこだとか。
あそこにNEXT21みたいなのがずどーんと建つんでしょうか??

あ、コレですかねえ。丸専はたしかまだ営業していたと思うんですが(<失礼すぎ)、丸専が終了して別の施設で18階が埋まるのか、それとも18階建ての丸専というスゴいものができるのか。もしも後者だったらぜひ最上階展望レストランは「フレンド」に!


05.21土・情熱大陸

5/15のTBS系「情熱大陸」は、旧山古志村村長の長島氏(special thanks TETSUさん)。スポーツ選手や芸能人ばかりかと思っていましたが、こういう人も取り上げられるんですねえ。雲仙普賢岳のときのヒゲの市長さんなんかもそうですが、大災害が起きたとき、被災地にはなぜか印象的な首長が居合わせているというのが運命の不思議。

そして投稿者さん談、、「旧・山古志村は現・長岡市なのですよね。てことはNG!に投稿しても全然問題ないですよね」。まったく問題なっしんぐでございます。もともとそんなに厳密に線引きしていないっちゅー話もありますし(^^;)。


05.28土・ありがとう

尼崎脱線事故の驚愕さめやらぬこの時期に舞い込んだ衝撃情報(special thanks J.Rさん)。

ついに、とき(・○・)廃車が決まってしまったようです・・・。
廃車、即解体ではないようですが寂しいものがありますね。

10/23夕、東京にいた主宰の「ただごとじゃない!」感のヒキガネを引いたのは、BSNサイトの速報ウインドウに現れた「上越新幹線脱線」の文字でした。あの血の気がザっと下がる感覚は、今も生々しく覚えております。
この大災害を象徴する大事故でありながら、人的被害は0だった「とき」脱線。もとより旧型の丸顔車両、時速210kmでの脱線の衝撃を受け止めた車体の営業復帰は無理だろうなあとは思っておりましたが、現実にその報を聞くとやっぱり凹んじゃいますね。何らかの形でリサイクルされることは確実でしょうから、生まれ変わった(・○・)にいつかどこかで出会えることを祈念。
ちなみにJR東がこの旧とき325号に配した引退の日付は、「3/25」でありました。


06.05日・群発

群発地震。

6/5 14時50分頃 M3.1 最大震度2 与板
6/5 12時42分頃 M2.9 最大震度2 与板
6/5 12時17分頃 M3.6 最大震度4 三条

先週は東京で群発地震があったり九州で震度5弱があったり、あちこち揺れまくり。最近は流し台のCMでさえ「地震で中の物が飛び出さないロック付き!」なんて言っていて、「耐震」が「エコ」に並ぶ時代のキーワードになりつつある感じが。
そして、本震の被害もまだ癒えるには遠いらしく……(special thanks frogさん)。

先週末、長岡に行って来ました。
関越自動車道は、今だに小千谷付近の波打ちは修理中で、ポンポン跳ねる乗り心地に震災はまだ癒えていない事を感じました。越後川口〜六日町の間辺りで、仮設住宅の集落も見えますし。

主宰も先月新幹線で帰省たときに、湯沢〜浦佐付近でトンネルとトンネルの間に一瞬仮設の集落が見えてハっとしたことがありました。雪が消えた後の山肌も赤や灰色の土砂崩れ跡があちこちに。主宰母は先日ウッカリ・アクシデントで怪我をしたのですが、病院で会う人の多くに「あんたも地震らかね」と言われるそうです。通院メイトには本震の瞬間に階段から落ちて失神し、地震のときの記憶がないという人もいるそーで。まあ、主宰も失神してもいないのに震災editionを見て「こんなことあったっけ?」と思うほど記憶ゴチャゴチャなんですけど。。。


06.20月・新たな震度5

13:03小国〜柏崎で震度5弱。その前夜というか未明に千葉で震度4があり、日中も岐阜でも震度3があるという揺れまくりの日。小国〜柏崎の地震は、いわゆる中越地震とは違う断層によるものとのこと。長岡の市街地は震源から離れているので震度2程度だったようですが、主宰母は「気持ち悪いてー、ウチが横に揺すぶられるがーて」と大びびり。直下型のタテ揺れよりも離れた震源のヨコ揺れのほうが怖いなんて、慣れっていうのはスゴい……。


07.23土・東京キター!

16:35関東で地震。最大震度5強@足立区。震源は千葉北西部で、震度5ラインが東京湾を囲む。中越も震度2。

小火災や落下物での怪我、エレベータ・トラブルは数件発生しているものの、命にかかわる事故はいまのところ(19:50)報道なし。山手線・中央線ほか多くの路線は、発生後3時間以上経ったいまも運転見合わせ区間が。平日だったら主宰も帰宅困難者に。

発生時、主宰は多摩地区(震度4区域)の自宅にいたのですが、ユサユサと始まり、「あら?」と思っているうちにみるみるギシギシになっていくタイプの揺れを体験。そのときいた部屋から出たり戻ったり(<無駄な動き)、窓から外を見たりTVをつけたり……の間じゅう揺れていたので、けっこう長かった。いったん終息して、TVにテロップが出たあとも、再びゆるく長い余震が。しばらくしてNHKが相撲をやめてニュースを、民放は番組の切れ目にニュースを。現在(19:50)NHKは災害仕様の枠つき放送で通常番組、民放はすっかり通常番組でございます。


08.02火・フェニックス

NHKのニュース10で「長岡大花火大会開幕…地震からの復興目指す老舗旅館の苦闘」。花火〜蓬平の旅館の営業再開レポートでした。流れた花火の映像は、水平方向に展開する真っ白な大型連発。おそらくフェニックスかと。夜空に広がるフサフサした光のかたまりは、まさに羽毛のようでした。うわーん、ナマで観たかった。


08.16火・宮城沖M7.2

11:46宮城沖でM7.2、最大震度6弱。
室内プールの天井材が落ちる等の被害があり、負傷者80人超。中越のときも、長岡駅の天井材がはげしく剥がれ落ちていたことを思い出す。民家ではどちらかと言うと天井は無傷で、壁材のほうが剥がれたりヒビが入ったりしていたので、空間が小さいと壁に、大きいと天井に被害が出る傾向があるのかも。

東京ではゆっくりした船のような揺れがなかなかおさまらず、その感じが中越のときに酷似していたので、主宰はけっこう気が気じゃなかった。気象庁HPの地震ページは大混雑で繋がらず、職場にもかかわらず2chなんかにも行ってみたものの、どこもなかなか情報出ず。結局Yahooが一番早かった気が。

周囲では各部屋から廊下に出て様子見している人多数。「遠方の震度5」とか「海中の震度6」とか予想(けっこう当たっている)を始める人も多かった。中越地震で悲惨なシーンの数々をテレビで見たばかりの上に、その後やたらに地震が多いため、東京でも敏感になっている人が増加中……のいっぽう、「えっ、きょう地震なんてあったの!?」という豪胆派の声もランチタイムの食堂のあちこちで聞かれたのでした。過敏派はエアコンの風で書類が揺れてもドキッとするのにほんとにもー。


08.21日・ふたたび新たな震度5

11:29旧小国で震度5強。6月20日の柏崎〜小国の震度5と同様、中越地震とは異なる原因断層によるもの。場所は違ってもごく浅い震源の直下型というパターンは変わらない。震源が深かったり海中だったりすれば、宮城沖のときのような数秒前予知のシステムが使えるんだろうけど、中越はほんと防災関係者泣かせの場所かもしれない。


10.08土・パキスタン大地震

8日午前、パキスタン〜インドでM7.6の地震。ニュースを見ていたら現地特派員の人が「ユサユサという感じではなく小刻みにガタガタ揺れて…」と言っていて、中越地震みたいだなあと思ったらやはり震源の深さ10km。浅い震源の直下型。建物の崩れ方が普段地震の起きない土地のものっぽいので、今後中越並みに余震が続いたらと思うと恐ろしい。複数の村が「消えた」という怖すぎる報道は、誤訳であることを祈るのみ。。。


10.16日・めぐる季節

昨年の10月23日(土)、主宰はたまたま休日出勤しており職場で第一報を聞くことになりました。今週末も昨年と同じ用事で休日出勤、ちょうど丸1年も近いので内心ドキドキしておりましたが、当然取り越し苦労……と思ったら、本日夕方ガタガタと! N宮もビックリの主宰休日出勤トリガーか!と慌ててTVを見に行ったところ、正体は茨城のM5.1。内陸の震源なので、小刻みな揺れで、震源近くの人たちはかなり怖かったのではないかと。都内は震度4〜3だったですが、夕方のニュースでは軒並みトップ扱い。震度4クラスでこんなに警戒するようになったのは、そういえば中越以降じゃないかなあ。。。


2005.11.06日・10.23復興イベント・レポート

10月23日の復興イベント報告到着!(special thanks ぽこぺんさん)。

東京から団体臨時新幹線「がんばってますにいがた!! ありがとうキャンペーン号」(しかも旧とき型車両)(・○・)で長岡に降り立つと、タイコの歓迎と蓬平女将衆のお出迎え。
女将衆からはミニ笹だんご×2と、宿の名前入り麺棒(なぜ?)の入った袋を渡されました。

長岡では、「米百俵まつり」が行われていたわけですが、そこで「ガトリング汁」&「ガトリング巻き」なるモノを見かけました。これは、定番モノなんでしょうか。地元民でなければかなり???なネーミングでしたが、汁のほうは観光客も含め、大盛況だったようです。私は業務優先で、いざ汁をいただこうかというころには、哀しくも撤収されておりました。

ちなみに、JRでは新駅弁を続々と開発中のようです
長岡駅では「震災復興祈願弁当 フェニックス花火長岡」ぐらいですが新潟駅では「540円(ごしえん と読む)感謝弁当」  「がんばってます!! にいがたありがとう 勝が一番だ!!弁当」「復興宝船弁当」などが発売中だそうです。

(・○・)型車両を復興ツアーに起用するなんて粋なハカライ! いちばんのツッコミどころはガトリング巻&汁なわけですが、「巻」のほうはなんとなく細い海苔巻きを6本束ねたものが頭に浮かぶものの、「汁」のほうは謎すぎっす。河井継之助もまさか当時の大量破壊兵器が2世紀後に「巻」や「汁」になっているとは思いもしなかっただろうなあ。
そうそう、そのガトリング家老の生涯が、なんと年末ドラマになる模様。中村勘三郎主演、日本テレビ系「河井継之助―駆け抜けた蒼竜」だそーです。


2006.10.23月・二度目の10.23

携帯のデータフォルダを整理していたら、震災当時の画像がぽつぽつと出てきました。マジ「ぽつぽつ」なのは、携帯を構えていいのかどうか悩んでいるうちに機を逸するコトばっかだったからですねえ。。。

2004/10/30の新潟空港。ガラーン...
アスファルト陥没というか隆起というか
長岡駅倒壊デマ否定ハリガミ@CoCoLo
自衛隊テント
炊飯車(<たぶんもっとカッコいい正式名称があるものと。。。)


2007.07.16月・平成19年中越沖地震

10:13 本震 震度6強 M6.8
14:30
当分新潟に大災害は来ないと思いこんでいたのに、悪い夢でも見るような。主宰親は外出していたため出先からの電話で無事は確認できましたが、副主宰はじめ友人関係は電話がぜんぜん通じずメールの返事待ちでございます。
こっちのTVはNHKの速報になぜか「ジャスコ小千谷店休業」なんてのが出たりするテロップ書いちゃ出し状態で、しばらく事態把握が困難な気配です。みなさまのご無事と、被害がこれ以上広がらないことをひたすら祈念。

18:00
主宰の親戚知人関係はおおむね無事でした。やはり海に近づくほど被害がひどいようで、柏崎在住の友人は地割れで車庫から車が出せない状態だそうです。そして、ちょっと見上げただけで、5〜6機のヘリが確認できるとか。報道ヘリは1台だけ飛ばして映像をシェアするってのは無理なんですかねえ。。

23:31
京都沖M6.6が北海道を揺らすというおかしな地震が。最初、テロップ出し間違いかと思った。


2007.07.17火・三年経たないうちに

一夜明けて、死者9名、行方不明者1名に。「沖」じゃないほうのファースト中越地震では、その後の長い避難生活での不幸も多かったので、その教訓が生かせることを願うばかり。
ただ、驚いたのが、上越新幹線が本震当日の夜に復旧し、今日はすでに通常ダイヤであること。前回主宰は交通手段の確保にかなりエネルギーを奪われたので、これはたいへん喜ばしいことではないかと。

そして、備忘録的に主宰宅反省メモ。
 ・細長い花瓶とか人形とかフツーに高い棚の上に置いていた → 総落ち
 ・災害ダイヤルについて打ち合わせする気すらなかった → 本震後しばらく連絡取れず
なんというか、すっかり「もうこのへんには大地震は来ないだろー」シフトでした。
イイワケ的に言い換えれば、3年経たないうちに、こんなに元通りになるってこと。そうそう、被災地のご家族などに差し入れしたいかた、「ふるさと小包」とかの通販便利ですよ。水もレトルト食品もありますし。


2007.07.18水・専門家

大災害が起きるといつも「専門家」の人たちがいろいろな説を唱えるものですが、今回のコレは、もうちょっと話をまとめてから出すべきなんじゃないかと。これじゃ、周期が短い揺れも長い揺れも地盤も家屋の構造もぜんぶ悪いってコトに。。。


2007.07.19木・ささやかながら新潟製品応援中

主宰宅では、使っていない部屋とか戸棚の中とかの小規模被害がぽつぽつ発覚。立ててあったものが倒れているときは、ドミノ倒しのように同じ方向に倒れているとのことで、揺れが走った方向がわかる感じだとか。ニュースで見る柏崎の本震発生時の映像は、世界がぐるんぐるん振り回されている様子なので、被害の大きい地域と小さい地域では、震度は同じでも揺れの質が大きく違うのかも。
東京(多摩ですが…)で主宰がよく行くスーパーでは、ブーム継続中の「ふんわり名人きなこもち」が欠品で、「来週入荷予定」のハリガミが。米菓ファンにも地震の影響。


2007.07.20金・情報交換 兼 点呼?

「X時の地震で起きてそれから寝ーらんねかった」が目下の近所の朝の話題と主宰ハハ談。こちらのテレビでは余震のテロップをほとんど見かけないのですが、テロップ対象外の震度3未満と深夜は頻発しているようですね。震度1でも直下のはかなりガツンと来るからなあ。。。


2011.03.11金 東日本大震災

2011.03.11金 帰宅困難の夜
2011.03.12土 ようやく帰宅
2011.03.13日 輪番停電
2011.03.14月 計画停電
2011.03.15火 原発アラート
2011.03.16水 初出勤
2011.03.17木 物流と電流
2011.03.18金 一週目
2011.03.19土〜03.21月祝 三連休
2011.03.22火 「安定化が目前に迫っている」
2011.03.23水 一進一退
2011.03.24木 水騒動2日目
2011.03.25金 遠距離被災者と話す
2011.03.26土 ありがとう十日町
2011.03.27日 停電新編成
2011.03.28月 マスク
19:2011.03.29火 早じまい
2011.03.30水 言葉がない
2011.03.31木 年度末
2011.04.01金 ウソと超現実
2011.04.02土〜04.03日 またまた長岡
2011.04.04月 スーツ
2011.04.05火 石橋を鉄で巻いて渡る
2011.04.06水
2011.04.10日 保守
2011.04.11月 一か月
2011.04.12火 ラインのいらないライフライン
2011.04.16土 福島
2011.04.24日 悲しいニュース
2011.04.30土 フィルタ
2011.05.01日 もうひとつの世界
2011.05.02月 さらにもうひとつの世界
2011.05.04水 つながっている
2011.06.24金 輪番ふたたび


2011年3月11日(金)
14:46 最初の揺れ@仕事中。
長い揺れの後半に建物外へ避難。
非常階段を下りている間も大揺れで千鳥足になる。備品の防災ヘルメットをかぶっている人も多数。いっぽう、ノートPCやiPadを持って出て震源などを検索している21世紀派も。
夕方にかけて同様の揺れ4〜5回、避難したり戻ったりを3回。
主宰職場地域の震度は5弱でした。
17:30 退社時間。都内の鉄道はほぼ全滅。電話は引き続きダウン中、公衆電話のみ稼働。日頃はオブジェ状態だった職場唯一の緑電話が行列に。
19:00 「JRは終日再開せず」の発表。
主宰を含め、帰宅困難者多数発生。
知力自慢はアクロバティックなバス&私鉄乗り継ぎルートに臨み、体力自慢はgoogle mapの「ルート・乗換案内」機能で「徒歩」時間を検索して挑み(4時間とか)、財力&気力自慢はタクシー争奪戦に参戦。
「自転車を買って帰る。ウチ横浜だけど」という財力+体力+気力自慢の猛者なども。

非力組(含・主宰)、職場泊を決める。

19:30 職場泊組、晩ごはんに出かける。お店の多くが「地震のため臨時休業」の貼り紙。開いていたファミレスへ。大混雑。
店舗が面している幹線道路は、上下線とも車列が絶えない。時々救急車や重機が通る。
歩道にはリュックに防寒具に完全装備の長距離徒歩移動組らしき人々も。
20:30 内輪の徒歩組からぽつぽつと「到着」メール。
途中で多摩モノレールに乗ったとの報も。空中のレール一本にまたがっているモノレールが動いていることに衝撃。

ファミレス帰りにコンビニやパン屋さんで夜食朝食の買い出し。
コンビニ前で公衆電話を使ったところ、災害仕様に切り替わっておりタダに(通話後お金が戻ってくる)。
パン屋のおばあちゃんはしきりと「地震怖かった」トーク。「とんだ世の中だわねえ」のシメに、「『世の中』の問題じゃないのでは」と一同モヤモヤするも、おばあちゃんのキャラに押されてついつい「ですよねー」。

空を見上げるときれいなオリオン。iPhoneユーザーが、星に向けただけで星座名を表示するアプリを見せびらかす。下に向けると南半球の星座を示すとのこと。す、すごい。

21:00 職場に戻り、なんとなくミーティングテーブルに集まる。真ん中にUstreamに繋いだPC(テレビがないので…)。
被害の甚大さと範囲の広大さに徐々に言葉を失う一同。
緊急地震速報もしょっちゅう入り、それに対応したりしなかったりの揺れも夜通し続く。震源が三陸沖・宮城沖・福島沖・茨城沖と南下していくのが不気味かつ異質。「このまま東海地震に連鎖するのでは」とびびる。そういえば、本震のときドコモのエリアメール来てないじゃん!

2011年3月12日(土)
04:03 緊急地震速報の震源が一転「新潟県中越地方」に。焦って現地情報確認。早朝のせいか携帯も繋がった。
07:00 JR中央線再開の報……と思ったら、すぐに運転見合わせの報。Twitterを「中央線」で検索するとがっかりなつぶやきばかり。
10:00 ニュースの中に原発関係が占める割合が高くなっていく。海外の中継(職場泊組に外国人がいるのでたまに切り替え)を見てもTsunamiからnuclear plantがトップニュースに。
海外サイトは単語や動画の作り方などが容赦なく、言葉がわからなくても怖い。
外から見た今の日本はかなり壊滅的状況なのかも知れない。
12:00 Twitterにがっかりつぶやきがなくなってきたので、ようやく職場を出ることに。
13:30 自宅最寄駅着。
朝のうちは電車は過酷な混雑だったらしいけれど、この時間帯は通常の休日午後並み。
スーパーに寄って買い出し。そのあと「ミネラルウォーターとか買っておこうか」とふと思いコンビニへ。皆思うことは同じなのか在庫薄。菓子パンの棚もカラで驚く。
14:00 帰宅。
「たぶん倒れて/落ちているだろうな」予想リストのうち、実際に倒れて/落ちていたものは半分くらい。ガスが止まっていたのでメーターで復旧。
テレビを点けると全局災害特番。新たな被害も次々と。余震も津波も続いている。
中越地震のとき同様の重苦しい「これがいつまで続くのか」感に胸が詰まる。


2011年3月13日(日)
12:30 マグニチュードは9.0と修正発表。国内観測史上最大。

原発停止による電力不足で、都内も輪番停電を行うかも知れないの報道。
冷凍食品とか食べてしまったほうがいいのか、非常食として取っておいたほうがいいのか悩ましい。
コンビニにパンがないのも被災地優先流通のためと知る。
節電も優先流通も、一庶民が地道に協力できることなので、むしろ精神的にありがたい。
職場泊組に仙台出身者がいて、本震直後にとりあえずメールでご家族の無事を確認しているけれど、これから「日常」に戻るまでの長い時間を考えるとこちらも辛くなった。
中越のときは、帰省できなくて東京でオロオロしている頃がいちばんメンタル的にキツかったなあホント。。。

16:00 海江田経産相が会見で輪番停電の可能性を示唆。まずは節電で様子を見るとのこと。
買い物に出たら、デパートや駅ビルが「節電のため18:00に閉店します」の貼り紙。夜の電飾も落とすっぽい。これからしばらく東京の夜が変わる気が。
22:30 東京電力、輪番停電あらため計画停電を明日から決行の発表。早っ。
停電時間と区域の情報がグダグダだけど、主宰宅あたりは午後から夕方のどこかと思っておけばいいことがなんとなくわかる。今からエビドリア2個(<冷凍食品)なんてとても食べられないので、冷蔵庫筐体の断熱能力に期待。

2011年3月14日(月)
00:30 ちょっと考えればわかるのに考え及ばなかった盲点が交通機関。電車たちがまた止まる。JRは発電所を持っているから大丈夫かと思っていたら、けっこう運休になるらしい。私的影響はエビドリアくらいだろうと思っていた自分の小ささが悲しい。
09:00 計画停電初日。
第1グループ  6:20〜10:00 の時間帯のうち3時間程度
第2グループ  9:20〜13:00 の時間帯のうち3時間程度
第3グループ 12:20〜16:00 の時間帯のうち3時間程度
第4グループ 13:50〜17:30 の時間帯のうち3時間程度
第5グループ 15:20〜19:00 の時間帯のうち3時間程度
さらに電力不足の場合
第1グループ 16:50〜20:30 の時間帯のうち3時間程度
第2グループ 18:20〜22:00 の時間帯のうち3時間程度

第一Gは回避の発表があった直後に「やっぱりやる」と言いなおしたり、あいかわらずグダグダだけど、いま現在停電しているところはない模様。

でも電車は予定通り運休、主宰ユーズの中央線は1時間に2本くらいという超間引き運転らしい。
主宰職場は「自己判断で出勤」になったので、現在自宅で様子見中。

そんな自宅も午後から停電するグループ、水をためたり、ずっと使っていなかった保温ポットを掘り出したり。

車で出勤した同僚に電話で聞いたところ、渋滞しているうえに路上の空気がものすごく殺伐としているとか。あと、ガソリンが軒並み売り切れで、今日帰宅時に給油できなかったら明日から出勤できないとのこと。

11:20 携帯(ドコモ)にこんなエリアメールが。

国民の皆様へ

3月11日に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、電力需給がきわめて厳しい状況になっていることを受け、本日から、東京電力管内において計画停電が実施されます。本日は初日であり、立ち上がりの午前中は、特に徹底した節電をお願いいたします。皆様のご協力をお願いいたします。

(政府 内閣官房)

第3グループも回避検討中という時間帯にタイミング悪いけど、東電管内全員に配信していると思えばしょーがないかも。第1G開始予定時間前にちゃんと配信された人っているのかな。

16:00 主宰宅付近の停電は回避された模様。この次のグループは決行の可能性大とのこと。夜なのに。でも、「輪番」だから、ウチにもそのうち夜番が回ってくるはず。
17:15 第5グループ停電決行のニュース。
やっぱり日没後は消費電力が増えるということ。実は恥ずかしながら、電力は「作っちゃ出し」ということを今回の件で初めて知った。蓄電の技術開発にドーンと予算を付けてあげてください>節電担当大臣さん。
18:00 勤務先から「明日も無理に出勤しなくて可」の連絡。
電車の予定が発表されないと何とも言えないなあ。主宰は車持ちだったのだけれど、実は今月譲渡してしまったのでした。くしくもあの本震の日に譲渡先が決まったという。運転苦手な主宰がこの非常シフトの道路に乗り出してもご迷惑なだけですよという神の啓示かも。
21:30 停電は明日も続くとのこと。
今日と同じグループ分けなのか時間も一緒なのか発表はなし。中の人たちもわからないのかも。福島原発の燃料棒露出で、東電のキレ者チームは出払っているのではないかと。
大きな組織でも、本当に問題解決能力のある人は実はそんなにいなかったりするし。
その人々の頑張りを信じて、こちらは多摩の片隅で節電に励みます。今日はもう消灯して寝よう。もしかしたら、輪番停電より輪番生活のほうが節電になるのではって気も。みんなが一斉に電気を使うのを避ければいいわけだから……とはいえ、見張りがいるわけじゃないから守らないかなあ、8時就寝グループとか。
22:00 寝ようと思ったら、市が防災メールの配信を始めたことを知る。
さっそく登録すると、明日の停電スケジュールが来た。主宰宅周辺は午前組。東電は市町村には情報を配っているらしい。情報が遅いのは東電じゃなくて市町村の問題だった。
昨日の内閣官房メールもそうだけど、世の中が重要事項のネット告知に見切り発車している感じ。携帯もPCも使わない人たちは、本人も知らないうちに振り落とされている。とんだ世の中に……って、本震の日のパン屋のおばあちゃんのセリフじゃん!


2011年3月15日(火)
09:00 というわけで、本日も自宅待機。
福島第一原発2号機がさらに深刻な事態になっている。炉と外界の隔壁に損傷の疑い。東電の記者会見をちゃんと聞きたいのに、記者が煽り質問ばかりするのでろくに聞けない。東電広報さんの不倫でも暴くんじゃないかとゆー勢いで、内容よりインパクト優先が身につきすぎ。この現実は、ひかえめに報じてもかつてないインパクトでは。。。
12:00 東北電力も計画停電を明日から実施とのこと。
17:00 計画停電、長岡の旧市内は、東北電力サイトによると
第6グループ・3/17 9:00-12:00
第8グループ・3/17 17:00-20:00
って感じでしょうか。
駅東/駅西でもなく川西/川東でもない謎区分け。中越地震のときも通りひとつはさんで停電したりしなかったりだったから、長岡の送電網はかなり複雑なのかも。
それにしても、どうして東京電力と同じフォーマットなのかと。EXCEL的一覧表のほうが、作る人もラクなのでは?

東京の主宰宅周辺に午前中予定されていた停電は、またも回避。同じグループの別の地区は停電しているので、グループの中にさらに小グループがある感じ。

地区のお店はそれにあわせて開店時間を決めているので、午前中休業のところが多数でシャッター商店街状態。大型店は従業員さんが出勤できないっていうのもありそうな。

コンビニは電池やパンやカップ麺やミネラルウォーターの棚がカラッポ。
その余波なのか、町のパン屋さんに行列が。バケットとかの焼き上がり時間に並んでいるのかと思ったら、お店に入るための行列と聞いてどびっくり。職場近くの"とんだ世の中"おばあちゃんのパン屋にも、今頃もしや行列が?

ガソリン問題もますます悪化。
車通勤だった同僚が、とうとう今日から通勤できなくなった。1キロおきにGSがあるような大きい道路は、給油待ちの車列で左車線がほぼ潰れたりしているとか。

19:30 実家の親から案の定「テレビ見たけど長岡毎日停電らて!」の電話が来る。
東北電力の概要発表だとそうなっちゃうんですよね。「続きはwebで」に行けない人もいるのになあ。あれっ、旭町(殿町のとなり)がなぜかポツっと第2グループに? ほんとに奇怪な送電網だなあ。

倒壊家屋から92時間ぶりに救助とか、胸を撫でおろすニュースも。
自衛隊が救出した人の数も昨日までで16,000人に迫るとのこと。これまた胸が熱くなる。

日付 11日・12日 13日・14日(1700現在)
救助者数(名) 3,200 12,700 15,900
防衛省3月14日発表
22:31 明日朝イチで停電なので早寝していたら、大きな揺れ。
静岡で震度5強。
ほんとに南下しているのでは。。。心が折れないまでも、ジワジワと削られていく感じ。明日は出勤しようと相談していた同僚たちと再相談。するとだんだん「行こう!」という流れになり、消極派だった主宰も「行こう!」という気分に。
停電初日の混乱のなか果敢に出勤していく人々をテレビで見て「休めばいいのに」と思ったけれど、「出勤」という普通の行いが、この非常時への対抗手段でもあるのかも。そろそろみんな「普通」を切望し始めた。

2011年3月16日(水)
06:20 主宰宅はこの時間から停電予定。
その一時間前になんとか起きて身支度。停電したら出勤するつもりが、なかなかしない。Twitterなどを見ると同じグループの他地域では停電しているらしいので、主宰宅周辺はまた回避になった模様。
でも支度が済んでしまったので出勤。

主宰は平素はほぼ手ブラに近い小荷物派、しかしさすがにペットボトルやらカイロやら入れた大きなカバンを携行。
駅までの道も停電していない……と思ったら、駅が真っ暗で驚いた。
自販機や改札は動いているので、節電の模様。
暗い中に大勢の人影が蠢いている光景に最初はぞくっとしたけれども、暗さ以外は普通の通勤風景だとだんだんわかってきた。
行く人来る人が自然に分かれる動線、女性車両に乗ろうとして「ありゃりゃ失礼」と出て行くオジさん。
ちなみに「女性車両は中止しております」のアナウンスが流れている。
通勤の人々は善良で規律正しい。
普段は鬱陶しかった朝ラッシュの光景が、こんなに頼もしく思えたことはなかったです。高架の車窓に広がる空も晴れていて、「ニッポンきっと大丈夫!」と思わず目頭熱くなる。

ところが電車からバスに乗り換えると状況一転。
幹線道路は噂通りの渋滞。ガソリンスタンドの行列で左車線がホントに埋まっている。交差点を越えても並んでいるので、他の車の右折左折が困難に。電車で見せたあの規律正しさはどこへ。
日本人は電車族とクルマ族で系統が違うのか、あるいは電車に乗ると規律正しくなりクルマに乗ると無軌道になる人種なのか。

08:30 なんだかんだで定時に職場到着。
職場は15:20からの停電対象なのでダッシュで働く必要アリ。
オフィスは節電で照明は自然光のみ、エレベータも止めている。暖房も切っているのでダウン着たまま。お湯を沸かしたらポットを切って魔法瓶に……って、いまも魔法瓶と言うのかな。魔法って。

上司は停電初日で大混乱の月曜に、大阪の会議に行って帰って来た。
「キャンセルしたら」の声に「東京がダメになっていると思われる。大丈夫だ!と言いに行く」と決行。
仙台の業者さんは
 >動作確認は済んでいるのですが出荷ルートが確保できません。
 >たいへん申し訳ありません。
なんて驚異の生真面目メールを。
職場泊をともに過ごした仙台出身者はすっかり遠距離被災状態。仙台の業者さんすごいよ!と伝える。

15:30 職場が停電。
家がずっと回避だった主宰には初めての計画停電体験。15:00頃からPCを落としたり非常灯を確認したりバタバタ。予告時間を10分ほど過ぎて、「もしや回避か?」と思ったときにフっと照明が消えた。電話も繋がらずトイレも流れなくなるので退勤に。

外に出ると、当たり前だけど信号も消えていた。
繁華街に出るとおまわりさんだらけ。計画停電の場所と時間をきっちり発表しないのは、ワルモノに準備時間を与えないためという説があるけどホントかな。


2011年3月17日(木)
08:30 主宰宅は今日は18:20 - 22:00の夜停電、帰宅後ずっと停電ということになるので、朝のうちに晩ゴハンを軽く作った。お湯を魔法瓶に入れたりも。
昨日と同じく大荷物……と言っても普段が小荷物すぎるのでこれで普通の女性の荷物サイズ……で出勤。

職場は午後から夕方まで停電。
昨日よりさらにダッシュで仕事。節電のためみんなコートのまま。主宰はJRのみなので知らなかったけれど、私鉄は車内の暖房を切っているとのこと。自家電源のあるJRはすごいなあ……って、その電気、信濃川から水を盗んで作ってたというアレ

年度末なので納期確認のメールを業者に入れると、「日本の物流の底力を見せてやりますよ!」と熱いメールが返ってきた。中越地震のときにも思ったけど、「プロ」たちはこういうときに本当に凄い。マスコミも買い占めなんて報道していないで、黙々と物流する人々や土木する人々とかをもっと報道すればいいのに。

12:30 職場停電。
みんなでしみじみとお昼(いつも頼んでいる仕出し弁当屋さんは普通に営業している)。

そうそう、職場の理系の人に「電気ってどうして貯められなくて『作っちゃ出し』なんですかあ?」と聞いたら、「そもそも電気は『流れ』だから貯められない」だそーな。ああ、だから『電流』なんですね。その後しばらく地熱発電とか宇宙ソーラー発電とか、脱原発の可能性の話題。

あとは三々五々に帰宅。

15:30 海江田経産相の大規模停電危機の会見。都内の会社の多くが一斉に社員たちを帰したため、またも駅がプチパニックに。主宰は間一髪で帰宅し終わっていた。
帰りの電車では暖房も入っていたしドア上の液晶モニタも稼働。ああいうのを消していいから、JRの電気を東電に流せないものですか。

ちなみに液晶モニタで流れていたのは、原発に自衛隊ヘリと機動隊放水車がアタックのニュース。録画なのに手に汗にぎる。。。

18:30 停電に備え、ごはんも食べ終わって、ふとんに湯たんぽも入れて電気も消してすっかり寝る体制(早っ)。そのまま少し寝てしまったんだけど、20:00頃に目が覚めたら停電してないし停電した形跡もなし。市から「一部で停電しています」のメールが来ていた。主宰宅は「一部じゃないほう」だったらしい。
明日は夕方停電の予定。明日こそ当たるだろうなあ。

2011年3月18日(金)
09:30 職場が午前中停電なので、午後出勤の予定でいたら、上司から停電回避のメール。
震災発生以来、チームで携帯メール連絡網を作っている。
この震災を機に携帯メールの往来が激増した。市の防災メールも携帯に入れているし、「国民の皆様へ」も毎日のように来るので思い立って料金プランを変えた。いままでのは、普段は激安なのに、うっかりパケット多用するとありえない料金になるギャンブルプランだったのでした。
あ、上のリンクをよく読んだら、エリアメールは無料なんですね。同じドコモユーザーでも来たりこなかったりするのが謎。

というわけで、あわてて出勤の支度。
ゆうべの湯たんぽの中の水で食器洗ったり、節約モード。ちなみにこの湯たんぽは、昨秋に大往生したウチの老犬が使っていたもの。小さいのに2リットルくらい入るし、貯水用にも便利。イイ置き土産ありがとう、犬。

11:00 出勤途中のエキナカのパン屋さんでお昼を買う。巷のパン不足はどこへやらのパンだらけで、棚から溢れんばかり。
エキナカはJRの電気のためずっと営業できるとのこと。「がんばって焼いてます!」と若い女性の店員さん。惚れてまうやろ!
……と、駅ですがすがしい気分になったのに、バスで道路に出たらまたガソリンスタンド行列渋滞。ホント、電車とクルマで人格が変わるとしか。
12:00 職場は夕方から二巡目の停電予定があるのでまたシャカリキに仕事。
……シャカリキのつもりなんだけど、簡単なことを間違ってばかりで能率めちゃ悪い。もともと落ち着きのあるほうではないものの、さらにオッチョコチョイになっている。上司や同僚からも、「フワフワするよね」「ずっと落ち着かない」の声。みんな心が削られている。
17:30 職場は二巡目の停電も回避に。久々に定時まで仕事。

先週のいまごろは、帰宅困難者になっていた。あの夜が明ければもう復興が始まると思っていたのに。
中越地震の一週目には、飛行機の臨時便が出ていてこんな非力な主宰でも被災地に入っていた。主宰親も避難所を出て家にいた。
今回の災害はほんとに先が見えにくい。

職場で話を聞くと、都内でも海側のほうは被害がけっこう多い。マンションの給水塔が倒れて上層階が水びたしという人も。

帰路の中央線の液晶モニタで、ハイパーレスキュー隊が原発に集結のニュース。
中越地震のとき、ハイパーレスキュー隊は希望のアイコンだった。あの妙見の崖から再生の光が射し始めた気がする。今回もどうかうまくいってほしいと全力祈念。

主宰宅付近の停電は夕番。帰ったら街が真っ暗なはず……と思ったら電気が点いていた。職場同様、回避だった模様。
同僚たちに聞いた感じでは、いままで予定どおり停電したところと回避だったところがちょうど半々。二巡目もガッツリ来たというところもあれば、いままで一回も停電していないというところも(主宰宅付近も)。
明日の土曜日は全面回避の発表。これからしばらく、ウィークディは輪番停電で、週末だけフリーという日々が続くのかも。電気料金も、携帯の上限プランみたいなの(月XXキロワットまでとか)募れば手を上げる人もいるのでは。


2011年3月19日(土)〜3月21日(月祝)
3/19土 三連休。家でモヤモヤしていても仕方ないので、長岡に帰省することに。

東京駅までの中央線は座席が埋まる程度の乗車率。普段に比べたらガラガラでは。暖房が切れていることに気付く。いままでも通勤ラッシュであったかかっただけで切っていたのかも。液晶モニタは点いている。
隣の席の人が読んでいる新聞に「最後の切り札 ハイパーレスキュー」の見出し。思うことは皆いっしょだなあ。放水はうまくいっている様子!

東京駅も連休初日にしては空いている。ただ、両親+小さな子供+ペットという年末年始のようなユニットが目につく。観光ではなく帰省移動が多いのかも。これまた思うことは皆いっしょ。
東海道新幹線のきっぷ売り場は行列(通常程度)だけど、東北上越長野側には誰もいない。今回は本当に被災地との断絶期間が長い。

新幹線乗車中に、職場の定年した元上司からメール。仙台在住の職場OBから現況メールが来たので、仲間に転送してほしいとのこと。トラフィックを増やさぬよういちいち確認メールを送らないようにしていた。
hub役を買って出た元上司は、現役時代から仕事さばきがうまかった。ふと気付いたら、仕事関係者で「この人とは仕事しやすいなあ」と思っていた相手ほど、今回のことで言動が熱い。前に書いた「日本の物流の底力を見せてやりますよ!」の人もそう。仕事スキルというより、共感力みたいなものなのかも。

そうそう、仕事といえば、ドル76円のときに、ウチの職場ではありえない勢いで手続きした海外送金が、みづほ銀行のシステムトラブルで一日遅れた。為替介入で円安になったので、全員でくずおれるほどの差損が。円安になったほうが海外からの援助金が目減りしないからイイこともあるのだ、と凹んだ心に言い聞かせる。

そして長岡着。

東京ほどじゃないにしても、駅は照明を落とし気味。cocoloの「FLO」が「材料が届かないため休店」の張り紙があったけど、「近々届く見込みになったので予定より早く再開」の但し書きが。流通は確実に戻っている感じ。

実家に着いて新聞やテレビを見たら、東京と違うのは避難者受け入れ情報の多さ。避難者向けの告知も多い。
夜にはハイパーレスキューの会見。成果アリの模様! 「隊員の家族には申し訳なかった」の隊長さんの言葉が重い。

3/20日 好天の連休2日目。
つい最近まで豪雪話を聞いていたような気がするのに、長岡の市街地にはほとんど残っていなくてビックリ。道路も家々の屋根もカラカラ。ただ、住宅街の空き地や、家と家の間のところどころに極端に大量の残雪。屋根から下ろした雪ですね。
主宰宅も裏手がそうなので、イザというときの避難経路確保のために総出で雪かき。やっと開通した!と思ったところに、裏のおばあちゃんが「バカ稼ぐねか」と登場。開通一番乗りの栄誉をアッサリ持っていく。

長岡も燃料不足で、ガソリンは給油一回10リットル制限とのこと。
北部体育館や新産の体育館は、福島などの人たちの避難所に。新幹線で湯沢のスキー場にさすがに誰もいないな…と思っていたんだけど、湯沢の旅館でも避難者受け入れ中だった。

夜になって、石巻の倒壊民家の中からおばあちゃんと孫が救出されたというニュース。10日間閉じ込められていたことに。おばあちゃんはものすごくしっかりとした喋りで大丈夫そう。孫は体温が三十度ないとか。16歳とのことなので、回復力に心から期待。原発も外部電力が回復しつつあり好転の兆し。

3/21月祝 ゆうべから降り始めた雨が続いている。水力発電所がパワーアップするので雨上等。

昨日救出された16歳は首尾よく温めてもらえたようで無事回復した模様。ほっとしつつ帰路につく。

新幹線から見る景色もずっと雨。そして東京も雨。この日も計画停電は全グループ休止であるものの、節電モードで街は暗く電車もガラガラで寒い。慣れたせいか、人々は淡々としている。いつも行くスーパーではパンが復活。このまま慣れと流通改善のコラボで首都圏が落ち着きを取り戻していくとうれしいんだけど。

好転するかと思われた原発は引き続き不安定。2号機から白煙、3号機から黒煙。東京都日野市の一般のかたが測っているガイガーカウンタは大きな変化はないので、枝野さん会見の通り「問題のない」問題かも。ここしばらくのいろいろなことで、自分内「問題」基準がしじゅうキャリブレーションですよ、もー。


2011年3月22日(火)
震災後二度目のワークウィーク開始。
駅が暗いのもエスカレータが動いていないのも慣れてきた。朝ラッシュの混乱もなく、なんとバスの渋滞もない。

職場は午後停電の予定でまた加速モード……でやっていましたら、回避の連絡が。ひと安心していたら、停電予定時間20分前にネットワークがふっつり落ちた。どうやらウチの部署だけ。ネットワークグループのウチだけ停電設定を解除していなかった模様。ネットワーク管理者は震災後ほとんど不眠不休なので、責めるに責められず。いろんなところでいろんな人が戦っている。

仕事から帰ったら郵便受けに都知事選の投票券が。
都知事選に誰が出るかなんてことがトップニュースだった頃がいかに平和だったかと。
回避かと思われた東穀バル……一括変換ムリ……東国原氏はすべりこみ出馬。現都知事も引退かと思っていたけど、実はあの本震の日に出馬表明してたんですね。
そういえば、一昨日の雪消し開通一番乗りおばあちゃんのお茶飲み話に「人間への天罰らて」的な言葉が何度も出て、どこの都知事かと(^^;。

その都知事が涙で迎えた東京消防庁ハイパーレスキューに続いて大阪市消防隊も福島に出動。なんと三重県の一般の会社まで。もーほんと頭が下がりますとしか。昨夜の煙も収束中とのこと、流れはいい方に向かっていると思いたい。中央線の液晶テレビでも、アメリカの偉い人が「イイ感じ」と言っていた……ってあまりにもウロおぼえすぎるので検索しましたら、コレですね。「安定化が目前に迫っている」。原文はThe fact that offsite power is close to being available for use at plant equipment is perhaps the first optimistic sign that things could be turning around. うーん、外部電源復旧が前提ってこと?

今日は主宰宅は夜停電。
湯たんぽシフトでいたら、またも回避になった模様。7時に寝る予定だったけど(<早っ)起きてコレ書いたり。


2011年3月23日(水)
昨夜から福島・茨城系の余震が多く、通勤電車の中でも携帯の緊急地震速報が来てびびる。車内のあちこちでもバイブやアラームが。電車が止まるのかなと思ったら、へーきで走行。実際揺れは来なかった。JRの予知システムは携帯のとはまた別の?

今日は職場は停電ナシなので、久々に通常ペースで仕事……をしていたら、あちこちでざわめきが。
都心の水道水に基準超の放射性ヨウ素
このところの雨天で、みんな「もしや」と思っていた事態。乳児の摂取制限が出たので、これはパニック来るんじゃないのと思ったらやっぱり都心ではミネラルウォーターが速攻で売り切れた模様。

都もミネラルウォーターを配布すると言うけれど、毎日の生活は1本や2本のミネラルウォーターでどうにかなるものではないので、もしかしたら、人の大移動が起こるかもという気もする。主宰の知人の会社はすでに関西へ社員を移した。外資は特に過敏。外国系の航空会社は乗務員を成田から関空などに移していて、成田便は成田〜関空(ここで国際スタッフに交代)〜海外の目的地、と2ステップ運行している。

主宰の生活圏の取水系はいまのところ異状ナシだけど、今後はわからず。
いま東京に届いている放射性物質は先週に福島で急上昇したときの分だろうから、原発がこのまま収まればこれ以上増えることはないはず。ヨウ素は半減期が8日と短いし。ということでひたすら原発鎮静待ち。
なのに、3号機が黒煙を上げて抵抗中。一進一退か。。。

今日の主宰宅周辺の停電は夕番。帰宅の頃には復旧しているというイイ時間帯。停電地区のターミナル駅には、停電明け待ちらしき人が大量にうだうだしていた。募金の人々もいたり地区の自警団の人々もいたりでゴチャゴチャです。


2011年3月24日(木)
今日は職場も家も停電なし。他の地域もおおむね回避。火力発電所が一部回復したため余裕が出てきたとのこと。

火力発電所が暴走という話はまず聞かないのに、原子力はどうしてこんなにままならないのだろう。やっぱり人間の手におえない力なのかなあ。でも発見してしまったんだし。完璧に制御する方法について考えている研究者が、きっといまこの瞬間も世界のどこかにいるのだろうけれど。

いっぽうで、秋葉原通り魔犯に死刑判決。被告の実家、たしか東北だったはず。史上最大の災害に見舞われた故郷に何を思っているのかなあ。。。

水騒動は「乳児摂取制限解除」が出たものの、都心ではいまだミネラルウォーター買い占めが続いている模様。自販機でも水だけ売り切れとか。主宰宅周辺ではそんなでもない。多摩地区の水道は地下水がメインなところが多いので、空から降って来た放射性物質が入り込む確率は少ないとのこと(入っても地層を通って水脈に合流する頃には減衰している)。地下水だったなんて、今回のことで初めて知った。なんだかイナカっぽ……まあ、実際イナカなんですけどね(^^;ゞ

スーパーでは、カラッポの棚が日々変わる。昨日はタマゴがなくて牛乳があったのに、今日は牛乳が無くてタマゴは棚いっぱい。
野菜は茨城産の白菜がセール品なのに売れ残っていて、四分の一どころか八分の一カットくらいの細さの兵庫産がほぼ完売。兵庫産の白菜なんて、いままでこのお店で見たことなかった。


2011年3月25日(金)
震災発生後まる二週。
中越地震のときの二週目はどんなだっただろうとココをPage upしてみたら、天皇皇后両陛下被災地入りですよ。今回の今日、そんなこととても考えられない。やっぱりこの災害は規模が違う。

本日も職場・家とも停電なし。昨日発表されているので、無駄な準備をすることもなくて助かる。
職場は年度末。先週ほとんどまともに仕事していないから、それはもう鬼進行。でも、先週アタマの「国民の皆様へ」なんてメールが毎日来ていた頃の騒然とした状態よりは、激務のほうがよほど楽。

年度末激務は関係ない部署なのに、日に日に憔悴していくのが職場の仙台出身者。本震の日に職場泊仲間だった人。同じ部屋の人に聞くと、ほとんど口をきかないとのこと。ランチルームにも来なくなってお昼休みも席コモリ。トイレでばったり会ったので話してみると、傷んだ故郷への悲しみと、じゅうぶんな生活ができているくせに「水が」「野菜が」とパニックになっている東京への苛立ちを切々と。「だいたい、東京のための原発なのに」と。

主宰は中越のときは遠距離被災者だったけれども、今回は彼女の言う「東京」側にいるので、気のきいた返しはできなかった。「みんな不安なんだよ」としか。実際、いまの東京の雰囲気は異様。隣が誰かもわからないまま密集している東京で、そこが本当に「被災地」になったとき耐えられる自信がないのかも。ずっと身体の奥底にあったその不安が、いま胸元までせり上がっている感じ。

……という話をしている間、別の階のトイレまで遠征したとゆーMさんKさんすみません。「チラっとのぞいたら深刻そうで入れなかった」って(^^;。


2011年3月26日(土)
朝イチで甲子園・佐渡高校VS智弁和歌山戦。残念な結果でしたが、初出場だし相手が相手だし。文理は大差で勝ち上がったそうで、二回戦も期待大。それにしても、春の選抜に新潟が2校出る時代が来ようとは。

今週末も全グループで停電なし。
そうそう、停電しても走っているJRの独自電源について、こんなご投稿をいただきました(special thanks ラーマンさん)。

信濃川から水を盗んで作ってたというアレ」について。
今回の震災による電力不足に対して、3/14に「十日町市からの提案によって」河川維持流量を低減(取水量を増加)し、発電量を増やせることになったそうです。
記事を掲載しているサイトはこちら
http://journal.mycom.co.jp/series/trivia/091/index.html
JR東日本からの告知はこちら(社長からのお礼も載っています)
http://www.jreast.co.jp/shinanogawa/discharge.html

こんなの東京じゃまったく報道されてないー! 十日町自身も3/12未明の地震で大被災してるのに、しかも相手はかつての敵なのに、まるで上杉謙信のごとき高潔さ。
記事はパっと見「量を減らした」ように見えますが、川の流量を減らしてJRの発電に回す水量を多くしたということですね。主宰が中央線で通勤できるのも、エキナカでパンが買えるのも、十日町市のおかげだったとは。本当にありがとうございます。東京は東京だけじゃ何もできない。

こうなってみると水力発電をもっと増やせばよかったのにと思うけど、それはそれで脱ダムの問題が。
もしかしたら、数少ない巨大施設で発電するハイリスク・ハイリターンな今の状態から、ローリスク・ローリターンなミニ発電所にシフトしたほうが安全なのかも。コンピュータだって、昔のSFでは巨大なマザーコンピュータだったけど、いま普及しているのは一人一人のパソコンだし。パーソナル発電機(パソ発?)時代が到来したならば、パソコンと同じく、ユーザーの個性が出るに違いなく。Macユーザーはデザイン優先で風車とか、こだわり屋さんはパーツ集めて自作とか。体育会系は自転車ダイナモ。

……と現実逃避している間に、「屋内退避」だった原発30km圏内が「自主避難」に(3/25 枝野官房長官会見)。
この週末は大移動になっているのかも。移動手段のない人はどうするのかと思ったら、東京消防庁がサポートする模様。
自主避難の場合、避難所をどうやって探すのか報道のどこにも書いてない。現地の市町村のHPはトラフィックを増やしちゃ悪いので行っていないけれど、書いてあったりするのだろうか。


2011年3月27日(日)
先週末は帰省していたので、今週末は震災発生後はじめての休日モード。東京電力の使用状況グラフを見ながら洗濯したり電子レンジを使ったり。
こうしてあらためてグラフを見てみると、ほんと、一日の生活サイクルを3グループくらいに分ける輪番生活が効果的のような気が。

スーパーに買い物に行ったら、今日はタマゴも牛乳もあるけどティッシュとトイレットペーパーがカラ。輪番欠品ですね。もうずっとないのは使い捨てカイロとヨーグルトと納豆。カイロは被災地に回っている(はず)と思うけど、ヨーグルトと納豆は主力工場がぜんぶ東北なのかも。
そして、ミネラルウォーターについては、「1歳未満のお子様をお持ちのかた、妊娠中のかたのみお売りしています」のアナウンス。購入時に母子手帳を呈示とのこと。多摩地区でもついに。でも、自販機ではまだ普通に売っているので、都心ほどの恐慌ぶりはない感じ。

夕方に明日の停電予定の発表。今週からグループが細分化。でも、ちょっと思った感じと違うなあ。同じグループでも停電した/しないがあって、それが分かれると思っていたのに、新分割でも同グループ。
そしてまたたく間に停電情報ツールが充実。Google Mapとかすごいなあ。これ、今後の地価に影響しそうな気が。


2011年3月28日(月)
震災発生以来3回目のワークウィーク開始。
……の朝に大余震。7:24、東北地方日本海側が震源という緊急地震速報が出て「えっ」と思ったら、実際揺れたのは太平洋側。宮城で震度5強。
中越地震のときも余震はいつまでも続いていた。二か月経ったお正月でもまだかなり揺れていた気が。しかもあの冬は豪雪だった。自然はホント容赦ない。中越は冬に向かう時期の災害だったけど、今回は春夏に向かっての災害。春がひとまずのインターミッションになるといいとほんとに思う。

そうそう、日々の報道を見ていて、同じ寒い時期の災害でも中越のときから進化してるなあと思えることが。それは、避難している人々のほとんどが、マスクをしていること。
中越のとき主宰の親がいた避難所はカゼが大流行で、親も伝染り、そこから主宰も伝染り、もともとない体力をさらに削られるとゆー情けない事態になっていた。マスクが救援物資に入っていることは本当に大進化だと思う。防寒にもなるし。

レディ・ガガほか参集の全額寄付アルバム"Songs for Japan"がiTunes Storeで各国のきなみ一位。ランキング画面が日の丸だらけで、オリンピックかサッカー代表選のスタンドみたいな。世界中の人たちがこの日の丸アイコンをポチっとしてくれたかと思うと感無量。


2011年3月29日(火)
帰り際に仙台出身者と話しこんでしまって遅くなる。電車に乗ったのは19時台。えらくガラガラで驚く。いままでは17時台から終電近くまで延々と満員電車だったのに。そういえば自分自身こんな帰宅時間になったのは震災後初めてかも。人々が早く帰るようになったとは聞いていたけど、これほどとは。

電車の中の異変といえば、吊り広告が激減した。いえ、本来の「吊り」の部分はちゃんとあるんだけれど、網棚の上のほうに並んでいる広告枠が穴だらけ。出稿者がいないのか、流通の混乱でポスターが届かないのかはわからない。このまま広告がなくなって、電車内もテレビみたいにACだらけになったらどうしよう。ちなみに一部で話題の「たのしい なかまが ポポポポ〜ン♪」は、東京ではもうトンと見なくなりました。

家の最寄り駅に着き、買い物しようと思ってお店に入ったらすぐ閉店の音楽が。今日は停電は全グループ回避なので、節電シフト。世の中全体が早じまいになって夜道が暗い。

帰宅したら、サッカー日本代表チャリティマッチがもう後半。やっぱ現代表圧勝か――と思ったところでカズ・ゴール! なんという少年マンガ展開。最後の両チーム握手シーンで、カズと握手する日本代表たちが小学生のような笑顔でほほえましかったです。

そうそう、昨日、東京では桜が咲いたそうで。
↑と、伝聞なのは、主宰のいる多摩ではまだだから。つぼみはずいぶん大きくなっているので、一週先くらいかな。福島の人たちの避難所になっている味の素スタジアム(調布)周辺も、同じ頃に開花するものと。


2011年3月30日(水)
勤め先の社命で関西に避難していた知人が東京に帰って来た。海外出張者も成田から直接飛んでいる。こうして徐々に普通に戻って行くのだろう、と思っていたら、友人の身内が福島原発に行くことをふいに知る。仕事柄、近々被災地には行くことになるんだろうなとは思っていたけれど。何と言っていいかわからない。友人自身も、言うつもりはなかったとのこと。本人が懸命に普通にしようとしているので、こっちも全力で普通にした。

いっぽう、義援金を騙るスパムメールも来るように。

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Subject: 立ち上がろう!仙台!! 義援金キャンペーン
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誰かの大きな支えになる。。。
東日本大震災。
首都圏を巻き込んだ大型の自然災害により、
壊滅的な街、いまだに電気が通わない街、
電気使用に制限がある街。
世界一安全と言われた日本の原発を含め、
大混乱・大惨事…である。
そこで今回は。。。
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もう呆然。
文章がほんのりおかしいのは、書き手のいくらかの良心が手を乱しているからだと信じたい。


2011年3月31日(木)
平成22年度の最終日。
年度末は激務で終わりが見えない感があるのが毎年のことだったけれど、今回は特に長かった。ちゃんと納まった感もなく、明日から新年度が始まる感もあまりなく、っていうか、積み残しもたくさんあるから、しばらくは3月32日、3月33日、3月34日……と続いていくものと。

そうそう、職場の窓から見える桜が数輪咲いてました。
と書いたところで、恒例の桜TOPをすっかり忘れていたことに気付いたり。自粛ではなく、マジ忘れ(^^;。今はちょっと余裕がないので、長岡のが咲いた頃にでも。


2011年4月1日(金)
新年度スタート。そして、エイプリルフールだったということに昼ごろ気が付いた。吉例エイプリルフール企画、これまたすっかり忘れておりました。桜TOPと同じく自粛ではなくマジ忘れ。
↑ということがウソで、どこかに仕掛けてあるとゆーこともホントにないですからっ、と言えば言うほどウソっぽくなるというウソ・スパイラル。ややこしい日だなあ、もー。

昨日はサルコジ大統領来日。日帰りなのは、今日までいるとエイプリル・フールかと思われるから――というのはウソ。
フランスからは、国立新美術館にポンピドゥ・センターのコレクションも来ている。作品の被曝を怖れて会期短縮で引き揚げてしまうかなと思ったけれど、いまも果敢に展示中。大統領といい、さすが原子力大国。
自国の原発産業の不安払拭の思惑があるんだろうけれど、思惑で動けるレベルの事故なのだと思えば心強い。思惑上等!


2011年4月2日(土)〜4月3日(日)
先々週に帰省したばかりなのに家事都合でまた帰省。
東京の親戚たちに会い、東京での停電グループとかモノがないとかの話を長岡でする不思議。いまさらながらの本震の日の話も。親戚たちも帰宅困難者に。そういえば、いつのまにか「東日本大震災」が正式名称になった模様。

気仙沼沖で倒壊した民家の屋根に乗って漂流中の犬救出。映像はロイターなどで世界配信されている。レスキューした海保の人たちもうれしそうなのがうれしい。

そうそう、寿屋旅館が工事の足場で覆われていてどびっくり。よもやホテル・コトブキにリニューアル!?と思ったら、駅からのペデストリアンデッキの工事だそうで。養生シートには寿屋の巨大な案内板。ゴシック体で書かれた「寿屋旅館」って、なんだかものすごい違和感が(^^;。


2011年4月4日(月)
いつのまにか枝野官房長官が防災服からスーツになっている。「官僚たちのノリのきいた防災服」をビートたけしとかに言われたからかなあ。非常時だし東京も余震が多発しているから防災服でいるのは別にいいと思うんですけどねえ。むしろ問題の本質は「ノリのきいた」のほうじゃないかと。中越地震発生翌日に知事に就任した泉田さんなんて、防災服の馴染み具合が半端なく。むしろスーツのほうが常ならぬ感じがするという(^^;。

上に書いた漂流犬、飼い主さんのもとに戻れたようですね。救出時の動画ニュースはなんとBBCで動画再生1位に。犬好き過ぎっすよイギリス人。


2011年4月5日(火)
枝野さんがスーツになったからというわけでもないけれど、出勤時のカバンを通常モードに戻してみた。気温が上がったり日が長くなったりで電力も余裕があり停電もほぼ中止、街にも少しずつ活気が戻ってきた感じ。

ニュースで東北新幹線が今月中に全線復旧予定ということを知る。中越のときは二か月以上だったからめちゃ早い。多くの橋脚には鉄板巻きの耐震工事済みだったこと、早期地震検知システムが効果的に作動したことなど、慎重な準備のたまもの。中越地震の経験が生かされているという報道にもぐっとくる。JR東のwebには鬼工事の様子が。日本の土木力はほんとに鬼神のごとくです。


2011年4月6日(水)
東京の桜が満開。少し遅い多摩の桜もここ数日の陽気で追い付け追い越せの勢いで、陽当たりのいいところでは満開に。週末に長岡で見た桜はつぼみ未満の冬モード、東京ではとうに終わっている梅すらもまだ咲いていなかった。この時期はほんとに景色が大きく違う。

職場の外国人スタッフたちがおおむね戻って来た。原発の建屋水素爆発のあたりから脱兎のごとく東京脱出していたもの。「大使館が逃げろと言うから」とか「母国の家族が心配しちゃって」とか口々にモジモジと言っている。みなバツが悪そうなのがちょっと面白い。別に逃げたこと責めてませんってば。


2011年4月10日(日)
統一地方選。東京都知事は投票前から石原慎太郎余裕の横綱相撲、開票早々に大差で当確が。大仏建立とか遷都とか、昔の大イベントはほとんど「相次ぐ天災で乱れた人心を鎮めるために」的なことが教科書に書いてあったけど、今回はオリンピック招致がそれになったりするんでしょうか。
当確インタビューは、「任期を全うされますか?」「やるよ。死なない限りね」(^^;。

他の地方も軒並み保守復活。いま変革を求めている人なんていませんよという感じ。「変化」は人があえて起こそうとしなくても、勝手にやって来るんですよねえ。運命は 従う者を連れて行き あらがう者を引きずって行く。


2011年4月11日(月)
発生から一カ月、そして先週木曜に続いてまたも大余震。関東では夕立ち的な豪雨が。ずぶぬれ地区とカラカラ地区が狭い範囲で入り乱れている不思議雨。北関東では雹も降ったとか。中越地震の前は豪雨であとは大雪だった。今年は少し手加減してほしいと願うばかりです>自然さん

2011年4月12日(火)
実家が中越地震にあって帰省したときの携行品で、いちばん役に立ったのはレトルト食品でもペットボトルでもなく通信カード(<時代^^;)を入れたノートパソコンでした。
ある程度救援の手が入ったあとの被災地で必要なものは「情報」ということ。そのうち、老若男女問わず触れられるのが、ラジオというわけで(special thanks ラーマンさん)。

新潟県中越大震災や新潟県中越沖地震にて地元に必要な情報を放送したコミュニティー放送、今回の震災でも多くの地域で臨時災害放送局が開設されています。
その中で、コミュニティー放送局が無かった宮城県山元町とその隣町である亘理町における臨時災害放送局の立ち上げに「FMながおか」が協力したそうです。
山元町の「やまもとさいがいエフエム」、愛称は「りんご放送」だそうです。
日刊スポーツの記事
「復興の町で響く「リンゴの唄」/ルポ」
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110325-752657.html?__from=mixi

りんごラジオのブログ、最初にある写真が印象的です。
http://ringoradio.cocolog-nifty.com/blog/

山元町出身の演歌歌手「こおり健太」さんのブログ
「新潟県長岡の皆様方へ!!」
http://koorikenta.com/archives/50610862.html

亘理町の「わたりさいがいエフエム」は愛称「FMあおぞら」
新潟日報の記事
「FMながおか、放送局設置を支援」
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/21239.html

亘理町ホームページでの開局のニュース
「臨時災害放送局が開局」
http://www.town.watari.miyagi.jp/index.cfm/10,16249,66,193,html

立上げ時の様子が載っているブログ
http://blog.study.jp/ygu_gakusai/2011/03/3221807.html

なお、今回の震災にて他にもどのような臨時災害放送局が出来たか知りたい方はこちらを御覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/臨時災害放送局

<おまけ>
新潟県中越沖地震にて活躍したコミュニティー放送局「FMピッカラ」、ここで良く流れていた歌が、歌手KOKIAさんとファンである被災者との交流により生まれた「私にできること」
今回の震災に合わせてy**t***に動画が投稿されていたので紹介します。
「私にできること〜pray for JAPAN〜 」
また、「私にできること」のカップリング曲である「Lacrima」は柏崎へ慰問に来た時の感じた事を歌った歌だそうです。

非常時のラジオ放送は、ラインなしで手に入るライフラインですよねえ。主宰も帰宅困難の夜以来、小型のをバッグに入れてます。
KOKIAさん、中越のときのあの「とき」のフラッシュのBGM「ありがとう」のかたですよね、と書いているだけで思い出し泣き。「私にできること〜pray for JAPAN〜 」「Lacrima」そして「ありがとう」も「上越新幹線とき」フラッシュも、著作権がアレかも知れないので直リンクはしませんが、ぐぐればサクっと出てきます。


2011年4月16日(土)〜17日(日)
また長岡に帰省中。先週末はまだ冬の雰囲気だったのに、急激に陽気がよくなり日差しも空気も春模様。福島江の桜もみるみるうちに咲きました。
そういえば、福島江ってどうして「福島」なんだろう?と思ってぐぐってみたら、工事に尽力した桑原久右衛門の出身地、福島村(現在の長岡市福島町)に由来とのこと。見附の手前、押切のほうですね。いま「福島」といえば世界的にもあの「Fukushima」なわけですが、「福」の「島」だから本来はとても吉名。こっちでテレビを見ていると、新潟ローカル枠の途中から「ここからは県内に避難されている福島のみなさまへ」と福島のニュースコーナーが始まることが定番に。原発情報や避難情報に混じって、お花見や学校再開などの吉報も。

2011年4月24日(日)
悲しいニュース。福島県から新潟県長岡市に避難している小学6年の男子児童(11)が、転入先の小学校で同級生に蹴られ入院。子供の単純な残酷さからなのか、もっと根深いものがあるのかはわからないけれど、いたたまれない。

 >男子児童は既に回復し26日に退院予定。「学校に行きたい」と話しており、
 >27、28日に行われる修学旅行へも参加を希望している

というのが救いと言えば救いです。

どの世代でも、どういう問題でも、おかしな反応をする人というのは残念ながら必ず一定数存在する。でも、おかしくない人もまた必ず一定数存在するから大丈夫!というのがいままでの経験上の個人的感想。ただ、長岡は小さな町なので、分母が小さいのがちょっと難しいところなんですけどね。。。


2011年4月30日(土)
東京開催だったはずの今シーズンのフィギュアスケート世界大会が、震災の影響でモスクワで代替開催。

日本勢は男子は小塚が銀、女子は安藤が金。男子の高橋はエッジがはずれ、織田は同種のジャンプ跳び過ぎルール違反で残念なことに。ってゆーか、織田のこのミスはすごい既視感が(^^;。女子は、村上は悪くなかったのに辛ジャッジでちょっとかわいそうな。

そして、浅田真央ちゃんですよ、もー(<すでに切なくなっている)。激ヤセしていてビックリしました。あんな細い足でジャンプ跳べるのかと、と思ったら跳んでましたけど、こちらも辛ジャッジでしたねえ。フィギュアに限らず、採点競技はジャッジが相手によってフィルタを変えるところがあるのがモヤモヤするところ。
ともあれ、男子は全員入賞、女子は安藤優勝で浅田入賞だから、ゴーギなことと言えましょー。

そんなフィギュアを見ながら主宰がやっていたのは、浄水ポットのセットアップ。
主宰宅の給水タンクがどーにかなってしまったらしく修理が入ったのですが、その後しばらく水が濁りますとのことで、急遽買ってきたとゆー。震災以来品薄と聞いていたものの、大型スーパーでけっこうフツーに買えました。あ、でも、放射性物質も取るかも?という噂が流れている国産の高額機種は無かったです。

……という話を友達にすると、「いままで生水だったの!?」とビックリされるわけですが、大雑把な主宰は自分の浄水フィルタ管理能力のほうに不安があり(^^;。今回も工事による濁りが取れたら使わなくなる気がします。ウチの水(しかも沸かさない生水)しか飲んだことない犬が、長生きしたのでまあいいか、とこれまた大雑把に思ったり。


2011年5月1日(日)
気付けば5月。3〜4月とバタバタしていたのでマジ驚きですよ、もー。
とはいえ例年よりは肌寒い気がするし、台風のような強風が吹き荒れる日も多く。自然はホント無頓着キャラでございます。そうそう、沖縄はもう梅雨入りだそうで。関東甲信越は一ヶ月後くらいでしょうか。

そんな、天気予報では「関東甲信越」なはずの新潟ですが……(special thanks 先尾翼さん)。

やはり新潟は東北の一部に編入か?という現実を突きつけられて新潟から帰ってきました。
主宰の震災からちょくちょく長岡帰省されているのでご存じかと思い、NG内を観て回りましたが記事がUPされてないようなのでお知らせします。

去る4月23日、親父の依頼(地デジTVの設置・設定)で十日町に帰省しておりましたが、NHK総合土曜の19時30分からの番組が全国放送とは違う事を発見。全国放送ではこの時間は「検索deゴーとっておき世界遺産」で、新潟でもこの番組の予告をしていましたがその画面の右下に小さく、「東北・新潟は別番組」と注意書きがでていて”??何やるんだ?”と思っていました。

19時30分、親父がチャネルをNHK総合に合わせるとそこには
「第32回 NHK東北民謡コンクール」−優勝大会−
のオープニング画面。

出演者は東北6県の代表+新潟県代表という構成。
  なんということでしょう! NHK東北民謡コンクールは今年で32回ということはず〜〜〜っとむかしからNHK歌謡番組的には新潟=東北扱いだったんでしょうか?

この番組震災前の2月27日に宮城県多賀城市民会館で収録したとテロップが出てまして、会場も来場された地元の人もその後の震災で罹災されたと思うと少し複雑な思いで番組を見ていました。

たはは、「東北・新潟は別番組」〜。まあ、「東北は別番組」のテロップで、問答無用で新潟も別番組になってしまうよりはソフト対応かと。でも、新潟の民謡はお座敷系の関東と同ブロックになるよりは、東北のほうがしっくり来るような?ってのも正直なトコロ(^^;。
2月27日収録、たしかに複雑なものがありますね。ほんと、3.11前と後では、異世界な気がします。そして、3.11以降でも、分岐した世界が。。。

3月12日の長野栄村・新潟十日町(松之山、松代地区)地域の地震。被害甚大です。
親父の話だと「中越地震のときより揺れた」とのこと。東日本大震災が余りにも大きいため首都圏のニュースには全くという程取り上げられませんが気に留めましょう。
http://sakaemura-net.jugem.jp/
http://tunan-marugoto.seesaa.net/article/190414597.html
http://matome.naver.jp/odai/2130003171547749101

主宰も十日町方面には親戚がありまして、数日間車庫で(高床式の1階)暮らしたと言っていました。浅い震源の直下型という、中越地震パターンですよね。未明でしたし、この冬の豪雪も大量に残っていた時期でしたし。。。なのに首都圏のニュースでも、ネットの支援サイトでも、対象県に長野はないという。
ただ、Amazonの「復興支援 食べて・飲んで・使って 東日本を応援」コーナーでは、東北の物産に混じって「さかえむらトマトジュース」がありますね。おおっ、「トマトジュース」カテゴリで2位!


2011年5月2日(月)
夕方、オサマ・ビン・ラディン死亡のニュース。米特殊部隊がパキスタンの潜伏先を急襲、銃撃戦の末に射殺したとのこと。
アメリカからは大喜びする群衆の映像の中継が。日本人にもテロの犠牲者がいるにもかかわらず、同じテンションで喜ぶ空気がないのは、いまの日本が「命が失われる」ことにナーバスになっているせいなのかも。大人は「世界はいろいろある」と切り替えることができるけど、小さな子供のいる人などは説明に困るだろうなあと思うことしきり。

2011年5月4日(水)
5月1日に書きました、栄村のトマトジュースについて(special thanks 先尾翼さん)。

なんでリストにない被災県の長野の「さかえむらトマトジュース」が?と思ったら扱いは仙台市の寿産業という販社なんですね。
これを買うと、仙台市の会社も潤うし、栄村も潤うという仕組み。
日本は繋がっています。
トマトジュース好きとしては見逃せません。一箱注文しました。

なんと素敵なリレーション!と思ってAmazonを見に行きましたら、すでに売り切れておりますね。「見過ごされた被災地」を見過ごせない人々がたくさんいるんだなあと思うと胸が熱くなり。
被災地界隈はトマトのほかにもお蕎麦も名産、妻有そばや松代そばは、長岡はもとより東京でもデパ地下やスーパーで普通に買えるのがうれしいところです。


2011年6月24日(金)
梅雨も明けないうちに猛暑襲来@東京。
まあ夏に暑くなるのは当たり前のことなので、春のうちから節電についての議論はさかんで、サマータイムとか輪番操業とかいろいろ言われてきましたが、その想定を上回るロケットスタートの夏突入でございます。自然はホント空気読まないなあ。さすが元祖「天然」。

主宰職場では実験的に輪番エアコンを実施。13時〜14時までは部署A、14時〜15時までは部署B……という感じ。
無エアコンの時間帯は室温32度に湿度80%とかになったりして、みんな髪の毛チリチリ&顔テカテカですよ、もー(^^;。脇の下に保冷剤をはさむとゆー医療仕様のクールダウンテクニックを使う人も出始めたり。震災発生当初はダウン着て仕事してたのになあ。
週末からは涼しくなるらしいのが救いです。みなさまもどーぞご自愛を。

そして、4/12に書きました、コミュニティー放送局について続報が(special thanks ラーマンさん)。

 「FMながおか」の技術支援により5月17日に「南三陸災害エフエム」が、6月8日に「たかはぎ災害エフエム」が開局しました。
両局とも「FMながおか」だけでなく色々な放送関係者が協力して開局に漕ぎ着けています。

「たかはぎ災害FM」開局 市民に安心安全発信
(開局に当たって、コミュニティFM局の市川FMとFMながおか、さらに茨城放送が技術指導などで協力した。)
http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13075403554639

宮城・南三陸町に災害FM開局 神戸、長岡の局が支援
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051701000789.html

大学生が災害FM開設(動画)
http://www.47news.jp/movie/general_national/post_3765/

南三陸にFMを! 学生からの活動レポート
http://www.umds.ac.jp/news/2011/2011earthquake/minami-sanriku-all.html

南三陸災害エフエムのサイト
http://minamifm.blog.fc2.com/

以前紹介した「りんごラジオ」は常設化へ動き出したようです。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110617t15027.htm
山元町の「りんごラジオ」、亘理町の「FMあおぞら」共に開局以来様々な人が訪れているようです。

山元町「りんごラジオ」、ブログ
http://ringo-radio.cocolog-nifty.com/
亘理町「FMあおぞら」、あおぞら日記
http://www.town.watari.miyagi.jp/index.cfm/22,0,126,272,html

神戸の「ラジオ関西」と「FMながおか」がサポートというのもなかなか感慨深いですね。学生ボランティアを出している流通科学大も神戸の大学ですし。リレーする災禍と復興。こんなところにも輪番が――って、災禍のほうはもう輪が途絶えてほしいなあ、ホント。