私の郷土研究

著者:古明地光久

山梨の田舎暮し」は、書籍やテレビなどで見られる「田舎暮しの夢物語」とは大いに異なる。基本的人権という日本国民の大切な権利において、許容できないほどの違和感を覚えることがある。よそ者に対する侮辱、恫喝、暴力などは、それほど珍しいことではない。とりわけ、2000年9月15日の出来事は超弩級の打撃を私の心に与えた。と同時に、今から65年前に行われた「県民気質調査=綜合郷土研究」の結果と殆ど同じであることを体験し、郷土研究、とりわけ「人間の気質に与える環境の影響」に並々ならぬ関心をもつようになった。

さて、信頼できる郷土研究とは、長期にわたる実例の収集と、それらの冷徹な分析によってのみ可能となるのではなかろうか。ここで、「冷徹な分析」とは、「郷土愛」なんぞという、狭い範囲の人間にしか通用しない、曖昧な概念で色付けされたものではなく、科学的思考と手段とによって問題の根源を解析することなのである。場合によっては、遺伝子レベルでの体質解析も有力な武器となるであろう。「山梨の田舎暮し」は、「事実の収集」に多くの労力を注ぎ、「冷徹な分析」を心掛け、数世紀を視野に入れた、精度の高い郷土研究の一資料として役立てたいと願う。当然のことながら、私の死後も継続して掲載されることを期待したい。1936年の「綜合郷土研究」、1999年の「山梨の田舎暮し」、そして2060年の「?」、2120年、2200年、・・・と積み重ねてゆけば、かなり精度の高い資料が得られるはずである。

山梨県には、「山梨県環境首都憲章」や「山梨幸住県計画」、また話しに聞くところによれば、山梨芳醇(豊潤)県構想など、「郷土を想う心」に満ち溢れた「素晴らしき理念・理想」が存在する。しかし、現実の世相(新聞に見る「山梨の暮し」)は、理念の美しさとは裏腹に、なにかしら殺伐とした暴力的底流を感じる時がある。


徳川幕府が県民気質を悪性にした!?:
惜しい哉、武田滅亡の後は徳川直轄領となり代官政治が繰返された。これが各種の文化に影響して消極の面影を濃厚に現し、折角生気溌剌たる甲州文化に沈滞の色を見せた。その主たる理由は、代官は何処までも代官であり、最後の全責任を負わない中継官吏である。要求を下に徹すは上に対して己の役を守るだけの心境である。心から染み出る様な民衆愛撫の責任感を持つことが薄く、取るだけ取るが、その根底培養に熱が無い。お役目だけの指導が繰り返された結果は、甲州気質を悪性にした。「綜合郷土研究」