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旧郷社
延喜式内社
草 岡 神 社
草岡神社の”邪気を祓う”狛犬(左)と獅子(右)たち。
西参道入り口の狛犬
1,昭和44年に献納された狛犬
2, 弘化5年1月:1848(江戸末期に献獣)〜 大阪から北前船で運ばれたた狛犬
3、慶応3年(1867)奉納
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草岡神社の狛犬(と獅子(
当神社の祭神は大己貴命(です。御鎮座の年代は定かでないが、社伝には景行天皇40年(110)、日本武尊の東征の際、守護社として勧請されたと伝えられています。平安時代には清和天皇貞観9年(867)に正四位の位を授かると共に、寛治6年(1092)堀河天皇の勅願により玉依姫命を祀る下賀茂社(京都)に寄進され社領として下村加茂神社が中心とする倉垣庄内に22の末社が勧請され氏神として合祀され祭政一致が行われた。承応2年(1653年)の奥書『越中國式内等旧社記(前田侯爵家の蔵本が底本:現在最古)』には草岡神社(古明神村加茂社)が”旧社”であることを伝えています。
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草岡神社の狛犬は三対あり、一番古い物が参道脇の狛犬です。江戸末期の北前船西航路で大阪商人により運ばれた物で、弘化5年1月(1848)に奉獣されています。この狛犬の特徴から大阪型と呼ばれ尾は垂直に立ち扇形をしています。左の狛犬には角がみえます。明治15年に台座が地元の有志で修復され、昭和48年に再度下の台座が付け加えられた。それ以前と思われる狛犬は風化して石から読みとることができない。邪気を祓う狛犬は文献によれば、平安末期の清涼殿の几帳[きちょう]や御簾[すだれ]の裾の鎮子(おもし)に獅子か狛犬が置かれていたことが記されている。稲荷神社に狐、春日神社に鹿、弁財天には蛇、神社に狛犬と獅子等、特定の動物を神使((神道において神の使者)と呼ぶ。左右の狛犬を夫婦であると主張する神社もあるが、学説では否定されている。獅子と狛犬は左右一対をなして明ら
かに区分されている。一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は開いている。そして、向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の角があり口を閉じ%ている。両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いが、厳密には、角のない方の像を「獅子」、角のある方の像を「狛犬」と言い、1対で「獅子狛犬」と称するのが正しいとされている。
山内泰明著の神社建築s46(参考資料)
神社における狛犬を文献から検証すると、延喜式(巻第46)左右衛門府に「凡そ大儀の日、じ像を会員門の左に居く。事終わりて本府に返収す。右府は右に居く」。長岡京や平安京での元旦や即位式の大儀の際に朝堂院(八省院)の会員門(条坊都市の宮城に入る門:応天門・朱雀門・会昌門)に ”じ像” を置くことを定めている。左右一対の像ではないが"じ像"とは中国で信じられた霊獣のことで一角を持つ獣であれば日本での ”狛犬” と称すべきと考えられる。大儀の場に邪の入り込むのを防ぐ辟邪[へきじゃ]のためのものであったと推定される。狛犬は当初屋内安置(木造)であったが、鎌倉時代に入り風雪に耐えうる石造となってから親しみやすい作風が今日まで続いている。
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