「しるべ」とは、みちびき、指南、案内等の意味を持ちます。都市のなかでの人間の行為に直接指示を与えるのです。信頼を受けた選良として常に最良の行為を支持して欲しいとの願いを込めて「しるべ」と名付けました。 新湊市の市町村合併を見据えて! | 市政施行型 | 都市強化型1 | 都市強化型2 | 小杉町の考え | 小杉住民投票 | 抗議文回答 | 小杉離脱理由 |

しるべ政策研究会




 私は新湊市議会議員 菊民夫 です。 ■しるべ10月号特 2004■
市政談議 
民意を求めて

新産都市40年の総決算、幻の射水市



幻の射水市は新産都市の集大成
Date: 2004-06-08 (Tue) 更新記録(活動日誌)


昭和36年〜39年の新産都市構想 ■新産都市計画は国土の「地域格差の是正」が大きな柱であった。
 昭和39年4月4日に富山・高岡新産都市が正式にスタ−トした。当時の区域エリアは12市町村(富山 ・高岡・新湊・大門・大島・下村・小杉・戸出・中田・呉羽・婦中・砺波)であったが追加区域11市町村 (氷見・福岡・小矢部・山田・八尾・大沢野・細入・大山・立山・舟橋・水橋)を加え23市町村と拡大さ れた。当時も新産都市建設の成功には合併が必要と考えられていた。区域の拡大で合併は不成功に終わった。 国がやるべき事業に地方への負担金も課せられた。小さな市町村は財政に苦しんだ。国・県はより大きな市 町村で受けた方が財政的に有利だと考えていた。対抗意識の強い富山市(水橋・呉羽)・高岡市(中田・戸 出)は財政力指数(富1.152/高1.027)にものを言わせ、そのことを受け入れず近隣町村を吸収した。これ らの事を考えると「合併・射水市」は40年かかった新産都市の最後の集大成なのかも知れない。
 私は、昭和36年(小学校6年)、39年(中学3年)、当時によく耳にした言葉「正力の百万都市構想」 「射水平野の乾田化」「石油コンビナ−ト」「太閤山団地」「七美太閤山線」「臨港道路」「公害」等であ った。新湊市は臨海工業用地に立地した企業に40年代の10年間余り固定資産税を3年間減免した。一番 税収が伸び悩んだ時代であった。新産都市開発の恩恵は射水地域開発と言っても過言でないと思う。臨海部 と内陸部の造成にともない増加する人口のための太閤山ニュ−タウン建設や道路、公共施設に原野660f (200万坪)の土地開発が行われた。36年頃の小杉町の人口1万6千人に対して最終目標収容人口7万 4千人と計画した。県は事業期間を38年度〜59年度末とし1万6千人に計画変更した。規模縮小された 大きな要因は計画段階での臨海部の立地企業の遅れや、従業員の大半が自宅からの通勤であったことや戸建 住宅の増加等があげられる。
 富山新港の着工を危機として、39年の新産都市の指定を受けて40年、太閤山ニュ−タウンは富山新港 とともに計画の柱として重要な基幹事業であった。今、市町村合併議論の中で富山高岡広域圏の中間に位置 する新市「射水市」が埋没することなく、人口9万4千人を有する、富山県内の『第三の都市』としてひた むきに将来に夢を託し発展させたいものである。


平成16年、新産都市40年の総決算
○新産都市40年の総決算 2004(H.16)
港口切断(大橋建設は新産都市最後の集大成) 2002(H.14)
国土審議会地方産業開発特別委員会(第29回〜廃止) (2000H.12)
富山新港周辺の漁業権 1984(S.59)
○幻の繁栄新産都市20年の決算(発刊 北日本新聞社) 1984(S.59)
のびゆく富山県「野に山に海に」新港開港 1968(S.43)
富山高岡新産都市計画 1964(S.39)
計画支えた共同火力発電 1964(S.39)
日本海沿岸の開発拠点に 1964(S.39.04.01 北日本新聞報道)
昭和35年度〜富山県内市町村財政力指数の推移 1960(S.35)
日本海岸一の百万都市建設 正力松太郎 1960(S.35)







 合併で新市「射水市」の夢を語ろうぜ 



■ 反論!反論!小杉町に反論!

      @小杉町合併特別委員会の新聞報道 北日本 2004.1.30
      A新湊大橋私はこう考えます 2001
      B万葉線私はこう考えます 1997
      C市民病院私はこう考えます 1993
      D姫野・牧野問題私はこう考えます 2002
      E幻の繁栄新産都市20年の決算(富山・高岡の場合〜破たんした開発計画)  1984(S.59)

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