竜馬と寺田屋

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この寺田屋についての写真はkojiさんよりいただいたものです。
なお下の海軍操練所の碑の写真も頂きました。
綺麗な写真本当にありがとうございました。




寺田屋に入る

   寺田屋

 伏見の中心街だった大手筋を行き竜馬通りと呼ばれる納屋町商店街を南に折れると寺田屋に着く。
 江戸時代、ここは伏見と大坂をつなぐ三十石船の発着点だった。だから寺田屋は淀川に濯ぐ宇治川の支流に架かる蓬莱橋のたもとにある。三十石船はここから宇治川を下り、淀川を経由し大阪へと入る。従って寺田屋は、大坂と京都を行き来する旅人にとって現在のターミナルホテルといった存在であった。

 ここは竜馬の定宿だった事でも有名で、その竜馬が襲撃された「寺田屋事件」で名をはせた宿でもある。

   寺田屋事件

 慶応2年(1866年)1月23日の深夜、寺田屋事件は起こった。
それはまさに薩長同盟を成立させた2日後だったのである。
 薩長同盟成立に対する竜馬の動きは幕府にとって脅威であり、その命を狙うのに充分な動機付けとなっていたのである。

 その日の寺田屋では女将のお登勢、後に竜馬の妻となるお竜(りょう)、長州藩士で槍の名手・三吉慎蔵が竜馬を出迎えた。史書によれば、竜馬到着時刻は深夜0時頃で、風呂に入った後、竜馬は2階の奥の間で、三吉と酒を飲みながら、話しをしていたという。

 折から伏見奉行所の捕吏(ほり)は竜馬を狙っていたが、まさにこの時も寺田屋周辺を固めて、女将のお登勢を門口に呼び出していた。
 物陰に潜み宿を取り巻く捕吏の気配に気づいたのは、階下裏手の風呂で入浴していたお竜であった。彼女は素っ裸のまま裏手の階段を駆け上がり急を告げた。

 その知らせを聞いた竜馬が拳銃を取り出し、三吉が槍を構えたところで捕吏が2階へと殺到してきた。
 だが、竜馬の北辰一刀流の腕前と、三吉の宝蔵院流槍術の力量を知る捕吏達は、部屋に入れず入り口の辺りで及び腰でいたが、やっとの思いで御用提灯の薄明かりの中で目つぶしに火鉢の灰を投げ、袖溺手の棒を操り出した。
 その時に竜馬の拳銃が火を吹くと、捕吏達はどっと退いたが、すぐまた寄せてきた。竜馬はとっさに拳銃で跳ね除けたが、右手の親指を切り裂かれてしまった。 さらに竜馬の銃声が響くと、捕吏がどっと退き、その隙に竜馬と三吉は裏階段を駆け下りて、寺田屋を脱出、背中合わせの人家を突っ切り、近くの材木置き場へ隠れた。

 捕り物が始まった時お竜は、すぐさま裏口を抜け出して寺田屋から一丁ほど離れた伏見の薩摩屋敷へ急を知らせるために走った。
 材木置き場に潜んだ竜馬だったが、乱闘の間に左手人差し指の動脈も切られいて、出血がはなはだしく、ここで三吉も救援を求めて薩摩屋敷へ向かい、知らせを受けた薩摩屋敷の留守居役だった大山彦八と吉井幸輔がすぐに竜馬救援に向かい、川舟の船底に竜馬を隠して屋敷に運び、竜馬は九死に一生を得た。
 これがいわゆる、寺田屋事件である。

 


海軍操練所の碑(神戸)





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