− フリートーク Vol.5 −



2000/02/03

 今回から書き方を変える事にした。ここには最近の事だけを書き、ある程度時間がたったら別ページに移動して蓄積する方式にするつもり。

 今度の休み、長野県にある弟の下宿へ襲撃旅行をしようと夜、その弟宅に電話。大学の試験期間中だが全然構わないとの事。何でそんな事を思い立ったかと言うと、仕事の手が空いているうちに弟の住環境と長野のさぞかしきれいな星空を見たいと思っていたから。


2000/02/05

 昼過ぎに家を出て、弟の下宿へと向かう。それにしても私が高校生クイズ以外の事で関東を離れるのは極めて異例だ。閑話休題。途中で土産品を買って在来線で熊谷まで行き、そこから特急券を買って新幹線に乗り込む。自由席で窓際の座席が何とか空いていたので座って車窓の景色を眺めたりウトウトと寝たりして、目的地の上田駅に到着。弟の携帯に連絡を入れて待ち合わせの場所と時間を決める。それまでの間、上田城跡の公園を散策したりなど市内観光する。そして駅前のロータリーで弟を待つ頃には都会では見られない見事なまでの真っ暗な夜空になっていた。で、弟の愛車・セリカがやって来た。途中スーパーで食料を買ってから目的地である下宿に到着。市街地から非常にかけ離れており周囲は田んぼだらけでまさに車なしでは何も出来ない「辺境の地」にそこはある。間取りは1DKで風呂・トイレ別室。居間は8畳半の洋間と一人で住むには広々とした住環境は都会ではなかなか考えられない(だから自分の一人暮しの参考にはあまりならないかも)。

 まずは買った食料品(と言ってもドリンクと菓子中心だが)をつまみながらテレビを見る。ここはCATV完備(でも多チャンネルタイプではない)で在京局の番組をそのまま見られる。そこと同系列の地元局とを交互に切り替えるなどしながら見る。で、「上田ケーブルビジョン」は「ペット探して」などの地域密着型番組を流しており弟と「にこにこケーブルテレビ(ドラマ『ニュースの女』に登場するCATV局)だ!」などど話しこんだり、持参した『ヴァンパイアセイヴァー』や以前家から送られた『鉄拳3』で対戦。画面を見ていてハイレゾ(高解像度)モードである事を改めて認識し、「やっぱナムコは凄い」などと考え込んでしまう(職業病)。ところで私は家ではモノラルのテレビでPSソフトをやっているのだが、ここではステレオだ。音の感じが明らかに違う(これは会社でも感じた事だ)。結果は惨敗。対戦した回数は分からないが、1回も勝てなかった(それどころか1ラウンドも取れなかった)のは覚えている。

 夜9時半過ぎ、弟の車で遅めの夕食として市街地のファミレスへ行き、そこで互いの今の状況と今後の事などについて話す。11時過ぎにはアパートに戻り、アニメ『KAIKANフレーズ』を初めて見たりなど、2人して適当に過ごす。その最中、私は部屋の外に出る。今回の旅の目的の一つ、長野の星空を眺める為に。更にその夜景を写そうとカメラとミニ三脚を持参していており、備え付けの小さめの物置の上にセッティングするのだが、バランスを崩してカメラを地面に落としてしまい一部部品が破損する。慌てて状態をチェックしたが、最も重要なレンズは無事のようだった。それでも「スーパー夜景モード」に設定して撮影を試みるが、シャッターを切るのと一緒にフラッシュまで焚いてしまい明らかに失敗に終わる。夜景の方だが、確かに東京や横浜よりかは「真っ黒」な空で星もよく見えたが、その数は思っていたほど多くなく、ちょっと期待外れだった。中学の自然教室で行った福島県檜枝岐村での星空はそれはそれは美しかったので余計に強い幻想を抱いていた事もあったかも知れない。やはり上田市街地の灯りがマイナスだったか(実際そっち方向の空はボンヤリ白かった)。弟の話だともっと山に囲まれた所、近場では菅平高原あたりがいいらしい。部屋に戻り、適当にテレビを見て『ランク王国』を見終わった頃コタツの中でそのまま寝た。


2000/02/06

 朝起きたらすぐに外に出て前夜カメラを落とした所を検分すると、紛失していた部品が割れずにそのままの状態で見つかる。これならハメ直すだけで済みそうだ。その後は特に部屋を出る事無くテレビを見る。面白いのは『笑っていいとも! 増刊号』はCXでは午前10時からの2時間番組だが地元の長野放送では10時は中部ローカルの『テレビ博物館』で「いいとも」は10時30分からの1時間半番組になっている。更に12時台は『開運なんでも鑑定団』がTXNと信越放送(だったと思う)で放送されているのだが、内容(放送回)が異なっていたりもした。そんな感じで夕方まで過ごし、午後6時過ぎに荷物をまとめ、車で上田駅まで送って貰い、別れを告げて弟と別れる。しばらく周囲を徘徊したり土産を買ったりしてからホームに入り、新幹線に乗りこむも、自由席は既に満席状態で、仕方なくドア前の通路で座り込んで帰路についた。


2000/02/09

 家に帰ってしばらくすると珍しく私への電話が入る。兄から電話を代わるとホームページがどうたらと言うので番号調べてかけてきた不届き者かと思ったが、話を聞いているうちにスカパー!・フジテレビ721で放送中のクイズ番組『IQバトル! 20世紀』スタッフからのものである事が分かった。なんとこの番組の2次予選へのオファーだったのである。今回の成績は正解率50%そこそこで順位も100位以下だったのにどうして? という思いが強かった。今回の1次予選はシステムの不手際があり採点をどうするのかとの思いもあったがきちんと補正したらしい。多分挑戦者の各問題の正誤も記録していたものと思われる。正式な順位は教えて貰えなかったが、集合時間や諸注意の説明を受けて電話を切る。なんてこった! まさか2次予選へ行けるなんて。


2000/02/12

 IQバトルの2次予選に出るため、午前中に家を出て会場のフジテレビに向かう。12時過ぎにゆりかもめ新橋駅のホームに行くと、今まで見た事の無いような混雑ぶりで、便がすし詰め状態なのですぐに乗れない。ただでさえ輸送能力の弱いゆりかもめこれは痛い。多少ハラハラしたが、無事集合時間前にフジテレビの所定場所に到着した。スタッフに名前を告げて出席表明。持っていた名簿を覗いてみると私の1次予選の順位は150位台。こんな順位でもチャンスが回ってくるのか…。あたりには他の番組やオープン大会で見た顔ぶれがちらほらと。FQUIZで顔見知りのイチロー氏に声をかけ、いろいろ話すとどうも本日慶応のクイズサークルの開くオープン大会があってそちらに人が流れたらしい。今の時代、番組出場は(なおさらに)クイズ人(くいずびと)の夢だと思うのだがそのチャンスを蹴るとはそのモチベーションも変わったもんだと感じる。参加者達はスタッフから入構証を受け取り、引率にしたがってフジテレビ局内へと向かった。

 会場は15階の会議室。そこから臨海副都心への眺めは実に素晴らしい。入構証に書かれた番号に従って席につくとアンケート用紙があるので早速それを記入。結局書きたい事が全部書けないまま時間が来て回収されてしまった。トイレ休憩を経て制限時間20分・30問の筆記クイズが行われる。最初の方は全然ダメで前半はほぼ白紙状態。後半は打って変わって割とスラスラ書けたが「こりゃダメだ」。問題自体はそれ程難しいわけではなく、ツワモノにはこんなの余裕だろうなぁと思いながらペンを走らせていたものだ。この問題傾向なら8割は取れないと通過は無理だろう。次の面接までの間、スタッフが番組のVTRをセットする。スカパーには入っていないので見るのは当然初めて。最初の感想は「ノリがまんま『カルトQ』!」。全体的に地味な印象でCS番組である事を差し引いても寂しい感じが残る。最初の早押し「スピードバトル」は進行が非常にゆったりしていてイライラする事も。問題の解説をカルトQでは解答者に語らせる事でその人の個性を映し出していたが、IQバトルでは全て司会の2人がやってしまうので出場者の人となりが見えてこない。コーナー名は忘れたが、今世紀最後ウルトラの「クイズ完璧主義」に似たクイズではテーマを明かしてから問題を出していたが、問題が読まれ始めるや否や全員があたりをつけて(ヤマカンで)ボタンを押すという実にいじましい行為が目に付いた。水津本にも書いてあったが、こうゆうポイントを無視した解答権を得るだけの押しはクイズそのものをつまらなくしてしまう。この場合何も言わずに1問目を出して、その後でテーマを明かすべきだろう。で、出る問題に対して私には歯が立たない。分かる問題もいくつかあったがそれは他の皆も知っているような事ばかりで得点も12〜3点ぐらいの成績に終わった。

 番組が全て終わった丁度その頃、自分が面接を受ける番になった。私を含めた数名が別室に連れられ、スタッフ2名とのグループ面接が始まる。オファー時の電話では「簡単な面接」と言われていたが、その通り。スタッフに聞かれた事は「ここへ来るのは初めてですか?」「インターネット予選を受けたのは初めてですか? また、受けてみてどうでしたか?」の2点についての受け答えのみで、面接と言うよりはモニター回答と言う感じであった(まぁそれを通じてその人の人となりを見てはいるだろうけど)。だからペーパーでの力不足を面接で埋める事はまず出来ず、よっぽど失礼でテレビ的に問題のある人でもなければ(番組のコンセプトを鑑みても)単純にペーパーの結果で合否が決まると言っていい。最後にスタッフからペーパーの最高点は27点が2人で平均点は東京が16点台、大阪が17点台との報告。結果は合否に関わらず14日の夜に電話連絡するとの事(その場で合格者を発表してくれた方が良かったのに)。入構証を返却するのと共に記念品としてフジテレビのクリアファイルを貰い、やはりスタッフの先導によってフジテレビを後にした。

 まだ昼食を摂っていなかったので近くのマックで済ませたら都営バスに乗り込み、芝浦・秋葉原を回ってから家路についた。


2000/02/14

 昼過ぎに出社するとスタッフに本社から連絡要請を受けていたので本社に電話をする。応対した主任の話によると今いる会社との契約が先週付けで切れていた事を知らされ、再契約が確定するまで本社で待機するよう命じられたので慌てて開発機材の撤収に入る。まず開発ボードを取り外し、ダンボールのケースに片付ける。マシン本体は本社からの搬入時に使用したダンボール箱を残していたのをそのまま入れる。再契約の可能性が残されているのでマシンはそのまま置きっぱなしにして、次は私物の整理。そして退社際には両手に重い荷物が…。まるで無計画な子供の終業式の帰りのような状態で(苦笑)本社に帰還し、私物を置いて主任らに各種報告を行って退社した。

 家に帰ると母からIQバトル敗退の旨を伝えられる。分かってはいたけれど、この報を受けて内心ではちょっとガックリとした。これによって向上心に火が付くかと言うと疑問だ。だって2次予選ペーパーの問題をまだまとめてないくらいだから。FNSの予選を受けてた頃は必死こいて問題思い出したり答えを調べたりしていたものなんだけどなぁ…。


2000/02/17

 本社に行くと、営業から新しい仕事を受けるにあたっての面接をするよう通達される。今度はゲームの仕事ではない。一応その営業には前いた会社との再契約の可能性が残されている事と主任に相談しなければ…と伝えておいたが。まぁ詳しい事に付いては正式に決まってから(問題無い範囲で)書こうと思う。その後主任が出社して、先に書いた事について話すと例の会社に電話。するとこの会社への再契約の可能性が無くなった旨を伝えられる。その理由に関しては書いていい事かどうか分からないので書かない。でもこちらの落ち度によるものではない事は書いておく。それに伴い、ウチの会社の所有物であるマシンを回収しに今まで世話になったスタッフとの別れの挨拶を兼ねてその会社へ。開発室に入ると馴染みのスタッフがデスクをバラすなど本格的な撤収作業をしていた。私も梱包したマシンを一緒に仕事した安斎肇似のプログラマーと共に近くの宅急便屋へ運んで伝票を書いてメインの用件は完了。あとは今回の仕事の契約に関する受領書を受け取って本社へ戻った。辛かった時も楽しかった時もあったけど、終わってみればあっという間の3ヶ月であった。


2000/02/19

 今頃になって、18回高校生クイズの四国岡山・九州沖縄大会の番組のビデオを見終わる。大前氏曰く「高校生クイズ予選を担当する局の中で最も制作能力の無い」西日本放送が制作・編集した四国では出題時のアタックがハイハットを鳴らしただけみたいで貧弱に聞こえる。そして第1問「正解は、これだーーー!!」のあと、各予選開始時に大画面に映されたオープニングムービーが、完全にそのままの形で放送されてCMに入った。他地区の番組ではこのムービーは何らかの加工をして流している所が多かったと思うのだが。YES−NOクイズは最初の2問が放送された所で終わり、各県の勝ち残りチーム数をテロップ表示している。でも他では全然放送されなかった敗者復活クイズの問題も何問か流れた。国旗10択は3問程、準決勝もそこそこ流れ、決勝の通過クイズで地図を見て回るシーンではBGMが16回までのYES−NOクイズの移動時に流れたものだった。でもカットの度合いがかなり激しく、物足りなさが残るものだった。そして運大王決定戦・名前ビンゴ。抽選器械のガラポンを回す時福澤アナはいつも「ガラガラポンポン ガラポンポン〜…」と歌うのだが、画面に「回れガラポン 唄:福澤朗」というテロップが。あの歌にこんなタイトルが付いていたとは。そして次の文字を引こうとする時にヒゲのTプロデューサーが「ちょっと待って下さい」と止めて改めてチェックし「ビンゴでーす」と宣言し、福澤アナが「何とも切れ味の悪い結末でしょう」と言うくだりがそのまま放送され、後で「運大王決定!」と叫んで仕切り直していたのはカットされていた。こんな編集は東京では考えられん。場面変わって岡山駅で運大王の金光(こんこう)学園がやって来た時には「運大王音頭」なるBGMが流される。新幹線内では金光のおちゃらけたトークとは対照的に玉島高校がクイズの勉強をしている所が映る。そして他地区同様全国大会オープニングを流して番組は終わった。感想としては今風な編集で、大前氏から聞かされていた程ひどくはなかったものの、他局と比べるとサウンドやテロップなど、全体的な技術面で劣る感じは否めず、大会の展開はともかく、番組の完成度という点ではやはり今回最も低いものだったと言える(あの事前番組は論外)。北陸大会の番組なんか北日本放送による編集の仕方が尋常ではなかったし。

 続いて九州はタイトルテロップが明らかに福岡放送が作ったものだが、キー局のものと遜色がない程の出来映えで、制作能力の高さが伺える。YES−NOクイズ7問全てを紹介していたし、補欠合格決定戦の3択もちゃんと流している。その合間に沖縄大会の第1問(「最強の指南書:Q71」)と正解発表(ジェットスキーで正解側の壁を突き破るアレ)が流れてまた九州へ。列車内で行なわれた準決勝の後半は10問限定の3択。どんでん返し付きの結果発表を経ての決勝は、4県と3県の2組に分かれて行なわれた。それにしてもダブルチャンスありの形式なのに2択問題が数問出ていたのはどうゆう事だ!? 実際、2択を間違えてダブルチャンスとなり、事実上答えを教えているような事態がオンエアされただけで2回あったぞ。そうそう、沖縄はいきなり決勝になり、運大王も含めて1分そこそこで終わる。1時間枠であるにも関わらずかなり充実した番組に仕上がっており、福岡放送の番組制作能力を見せつけられた。…これで18回の地方大会のビデオを全部見終った。まだ北海道の番組は見てないけど(^_^;)。


2000/02/21

 先日書いた面接を受けに、会社の人と都内にある某社へ。仕事内容はインターネットバンキングシステムの開発。若い人なら一から教育してくれるとの事らしい。旬の(というよりこれから欠かせない)技術だし自分のスキルアップの意味でもこれはオイシイかなと思ったが、帰社後営業の人から不合格だった事を聞かされる。先方の求めるスキルに満たないのと面接時の態度がぶっきらぼうだったからだそうだが、私にはそのような覚えはないのだけれど。はぁ。


2000/02/23

 会社帰りに『ウルトラクイズ伝説』を購入。


2000/02/26

 少しずつ読んでた『ウルトラクイズ伝説』読了。各章見出しの○×問題で面白かったのはやはりQ4だろう(笑)。スタッフの視点によるウルトラのメイキング的内容が主でその苦労の程は伝わる。でも中にはかつて出版されたムックに書かれた事もあったので全面的に良かったとは言い難い。それよりも興味があるのは最後の「また旅に出るか」のくだりである。またウルトラをやってくれる事を一ファンとして期待したい。


2000/02/29

 年明け辺りから体調を崩しだし、その他のストレスなどもあって夜、特に仕事場の床の上で寝る時など「このまま目が覚めなかったらどうしよう」と思うようになり「死」というものについておぼろげに考えるようになっていた。そんな時、母方の祖父の訃報が我が家に飛び込んだ。母が伝え聞いたところによると祖父は数日前まで元気で外を出歩いたりもしていたそうで、この日の夕方布団に入ったところで文字通り眠るようにして逝ったとの事だった。


2000/03/03

 会社を休み、家族揃って祖父の葬式に参列する。司法解剖の結果(遺体が一旦警察に送られたので)、死因はやはり老衰で、あっという間に返されたそうだ。この為に長野から弟と北海道へ旅行中だった兄が急遽帰っていた。まず市内にある母の実家へ。祖母や叔父と挨拶をして、祖父の遺体とご対面。そう言えば死んだ人を見るのは生まれて初めてだ。ところで、私はこの祖父には殆ど印象に無い。何故って、物心ついた頃には祖母とは別居しており、近場の将棋センターに住み込んでいたから。生前の祖父と会ったのは確か1回くらいしかなかったと思う。飾られている写真と全然違う顔をしている。何でもあちこち探して数年前のものがやっと見付かったとの事だった。いろいろあってから出棺。そして一族揃って区内の火葬場へ。棺が全自動の火葬炉へ入れられ、シャッターが閉まると別室にて待機。参列者の中には今月入籍する叔父のフィアンセとその御両親もいる。このフィアンセの方は正月家に来ていたのだが、私は仕事で家にいなかったので今回初めて顔を合わせる。1時間たってもまだ呼び出しが来ない。叔父は「成仏できないのかなぁ」とボヤいている。一同まだかまだかと待ち焦がれ、やっと呼び出される。出て来た遺骨は、特に脚の所はほぼそのままの形を保っていた、どうやらかなり骨太だったようだ。私はその一片を箸のようなもので父と骨壷に納める。それを全員一度ずつ行なうと係の人が掃除をするかのようにまとめて納骨し、最後の頭部の骨を上に乗せて蓋をした。我々は火葬場を後にし、区内の料理屋での会食を最後にお開きとなり、それぞれは帰路に着いた。


2000/03/04

 PS2発売フィーバーぶりをテレビのニュース番組で見物。でも私は当面見送り。DOA2に惹かれなくはないが、まだまだ高い買い物なのと、今のロットは内部仕様が安定していないのは周知の通りだし。でも年内には買うんじゃないかな。


2000/03/14

 愛用のVAIOを使用中、突然スイッチが切れてしまう。アダプターは繋げていたのでバッテリー切れの類ではない。改めてスイッチを入れてみるが全く反応がない! 今までにも突然画面が消えて強制電源オフは何回かあったが、今回のようなケースは初めてだ。ったく、買って1年経ってないのに故障かよ。まだカスタマー登録していなかったので附属の葉書で保証書を取り寄せよう。


2000/03/17

 我がVAIOを一抹の思いでスイッチを入れると、なんと正常に作動した。あれは一体なんだったのだろうか。


2000/03/19

 ファミコンオープンに参加しに明治大学和泉台校舎へ。会場に着くと#quizの面々がたむろしているのを合流。全体の参加者数は58人と程々の人数。でも顔ぶれが結構豪華。高校生クイズの全国大会進出者が少なくとも4人いたし、『FNSちびっこクイズ王』で準決勝へ進んだ5人のうち実に3人来ていた。最初の50問ペーパークイズは広義のファミコン史からそのゲームをやっていないと分からないマニアックなものまでに及んでいたが、リアルタイムで経験してきた私には気分良くペンを進める事が出来た。それでも自己採点は26点くらいだったけど。そして結果は15位で通過。そう言えば「オープン大会」で筆記を通過したのは初めてだ(^_^;)。ペーパー敗者による2次予選「ローリングクイズ」を経て4組に分かれての2回戦・コース別クイズ。私は「クイズひとりにしないでっ」を選択。ここで私とずっと高校生クイズ予選の旅を共にしてきた原くんや、BBSアクティブのササックくんと初めて対戦する事に。そして原くんは怒涛の一抜けを決め、そのリアクションはまさに「爆発する表現」。でも私は早押しで1問も正解出来ずに敗退。面白かったのは通過をかけたアンケートクイズで、「クソゲーと言えば?」の設問に一同大爆笑。その時残っていた3人の回答は1人が「トランスフォーマーコンボイの謎」で残りの2名が「カラテカ」で一致し、会場は更なる笑いの渦に包まれた。コース別のイントロや準々決勝の「DQサバイバル」も大いに盛り上がったし、#quizからは「局長」ことUSKくんが準決勝まで駒を進め、この大会において一大勢力を形成したかも知れない。決勝は前半は対戦ゲーム七番勝負。使用されたゲームは

・アイスクライマー(1面限定のスコア勝負)
・六三四の剣(団体戦)
・つっぱり大相撲(場内「もろだし」コールが炸裂(笑))
・テトリスフラッシュ(3本勝負)
・ヨッシーのクッキー(3本勝負)
・エグゼドエグゼス(1面限定のスコア勝負)
・たけしの戦国風雲児(じゃんけんゲーム)

 後半はボードクイズで先に15P取るか30問出題して得点の高い方が優勝。オープン大会の決勝問題はいつもサッパリ訳が分からないのだが、今回はそこそこ分かる。結果、9対14で吉田隆弘氏が優勝してファミコンオープンは幕を下ろした。

 その後は#quizの面々と新宿へ焼肉を食いに行く。総参加人数12人という盛況ぶりで、ササック・自主規制神両君の(高校生クイズ全国大会出場者が付ける)名札の写真を撮ったりなど有意義なものだった(でも出来た写真はピンボケだった(;_;))。その後はチルコポルトに寄って松くんのビーマニバケモノプレイ鑑賞会を経て解散。


2000/03/22

 昼休みに書泉ブックタワーへ寄ったら兼ねてから話題の『全国高等学校クイズ選手権 史上最強の指南書』をフライング販売していたので速攻で購入。ページをペラペラとめくっていると…、ガク〜。16巻までのような構成を期待していたのにいざ現物を見ると『ウルトラクイズ虎の巻』のような問題の羅列+αという構成。各問題には一応どこの大会で出たかの記載はあるが、順番がメチャクチャ。特に全国大会分はどの場面で出たものかが分からないのが頂けない。きちんと大会・ブロック別+出題順に収録してもらいたかったし、少しくらい値段が上がってもいいから大会ドキュメントのページも欲しかった。YES−NOクイズの欄には「正解率」が載っているが、大ウソなのは明らかだし、カットされた問題もいくつかある。特に17回の「香港問題」は殆どがカット。確かにそのような問題で練習しても意味は無いし、クイズ番組では二度と扱われないネタであろう。しかし、どうゆう事が問題になるのかを学ぶには決して欠かせないものである。勝手に外されては困る。どうでもいいけど自作問題のページに載ってた人のうち、私は2人と面識があるのだが…。


2000/03/23

 内科へ入っても耳鼻科へ行ってもかねてからの咳が止まらず、周囲から結核の疑いを持たれてしまう。

「俺はまだ死にたくない! まだまだ生きてやりたい事は山ほどあるんだ!」

そこで会社を休んで市内の総合病院へ詳しい検査を受けに行く。呼吸器科への診察を申し込み、肺のレントゲン写真を撮ってから診察へ。医者からはレントゲンからは何ら異常は無く、ぜんそくでもないと告げられる。聴診でも打診でも異常は見当たらず、結局軽い気管支炎と診断されて薬を貰って病院を後にした。


2000/03/30

 会社の開発室に寄ると、とある机に東京ゲームショウ(TGS)ビジネスデーの招待券が2枚ある。出向中でたまたま本社に来ていた主任に聞くと某ゲーム会社から社長のツテで回ってきたらしい。我が部署の上の人間は皆業務系ソフトの仕事に入っており行けない模様。そこで手も空いている事だし自分が行きたいと主任に申し出ると「ああ、行っといで」。更に社長にも同意を得られ、いくつかの指令を受けた上でTGSビジネスデーへ行ける事になった。


2000/03/31

 午前9時、一旦出社して雑務をこなしてからチケットを持って一路幕張メッセへ。海浜幕張駅に着き、ホームの階段を降りるとビジネスデーなのにあのデカいDCのビニール袋を配っている。他の客を見ていると、スーツ姿の人もいれば、明らかに中高生くらいの人もいる。業者日の筈なのだがどうやってチケットを手に入れてくるのやら(やっぱコネだろうな)。駅の外に出ると…いた! ダフ屋が。目の前にはダフ行為禁止の看板が立てられているのによくやるもんだ。何をやってる千葉県警(笑)。「あの条例」にばっか力入れててこうゆうのには無関心なのか(爆笑)。一般日ではチケット売り場である入場口でチケットと引き換えに受け取った入構証に会社の名刺を差し込んだものを首にぶら下げる。入場すると、もはや見慣れた風景が(^_^;)広がっている。最初に目に付いたのはセガの入交社長によるネットワークゲームについての講演。少し聞いてみるが、一つの事にそんなに時間をかけていられないので適当なところでその場を去る。

 とりあえずブースを回ってパンフやチラシをゲットしつつ「貴名受」に自分の名刺を突っ込みまくる。こんな事やる人は無数いるしウチのような無名・零細企業ではまず意味が無いんだけどね。まぁ一応仕事で、会社を代表して来た訳だし。さて主任から「X−boxを見て来い」という指令を受けていたのだが、今回その展示は一切無かった。私自身も(ある意味PS2よりも)関心が高かっただけに残念だが発表されたばかりで一般公開にはまだ時期尚早なのだろう。まぁ秋に期待というところか。PCブースに寄ると、展示されているのはフライトシミュレーターや洋モノ中心で個人的に物足りない。そりゃあ18禁ものの出展はCESAが許さないだろうが、ファルコムなど老舗のPC系ソフトハウスもどんな小規模でもいいから出展して欲しいものだ。

 次は試遊台である。今までは長蛇の列で並んでまで遊ぼうという気にはとてもなれないものだが今回はゆったりとしたものなので積極的に遊んでみようという気になれる。取り敢えず気になったのを。PS2ではまず『DOA2』をゲーセンでやった時と同様かすみでプレイ。だが当たり判定がちとおかしくないか? 既に発売されているのだから製品版でしかるべきはずだが、まさか体験版とか未完成版? それだったらまだいいのだが(爆)。

続いてSCEブースで『ファンタビジョン』。もうアナログレバーをほとんどデタラメにグルグル回しつつボタンを連打していたら(いや、一応コンボとか狙ってもいたけど)花火がボンボンと開いていく感じで実際のプレイでは折角の綺麗な花火を見る余裕はあまり無かったりする。で、結局240万点くらいで終わったのかな。でもスコアランキングみたら相当低い方なのね。

 そして私としては最も関心の高い『DQZ』。前回一般で行った時は70分待ちとかでとても並んでまでやる気になれなかったが今回は20分待ち。時間的にも余裕があるのでこの待ち時間ならどうって事無い。そして試遊台の前に立ち実際に体験。今回はストーリーを楽しみたい人向けの「最初から」と戦闘やフィールド移動を楽しみたい人向けの「途中から」の2パターンが用意されており、私は後者を選択。このゲームにおける私の最大の関心事は「読み込み速度」でそれを実際に確かめる目的もあった(一応プログラマーなんで)。スタート地点の建物を適当に歩いたり視点を回転させたりしながら外に出ると、本当に切り替え速度が速い! これは戦闘シーンへのそれも同様で、メインプログラマー山名学氏の「下手をするとROMより速いかも」というコメントもまんざらウソではないなと思った。でも戦闘シーンのグラフィックはちょっと粗いところもあったし、敵キャラのアニメも攻撃時のみというのも寂しい。これはVIの時にも感じた事で、通常時でも息遣い程度のアニメーションを入れて欲しかった。その辺何とかならなかったのかなぁ。仕事柄VRAM容量の少なさは知ってるけどあの画面だったら何とかなると思うのだけれども。その後、待ち時間なしで2回目をプレイ出来てしまい、ビジネスデーの絶対的優位を思い知る。チケット獲得&行かせてくれた社長に感謝多謝である。

 スクウェアブースのシアターコーナーでは小池祥絵(だったかな?)をゲストに『オールスタープロレスリング』をディレクターとダラダラとした対戦をしてから天野喜孝・坂口博信両氏による『FFIX』の対談VTRを少し流しただけでつまんなかった。客が見たいのはこんな企画ではない筈だが。

 ジャレコブースではステステを初めてプレイ。矢印と言う非常に視覚的で分かりやすいDDRに対して「色」という概念的なオブジェは分かりにくく(まぁ慣れなんだろうけど)、全然とっつけなかった。「前・中・後」という字のオブジェだったらまだ分かりやすかったかも(笑)。せめて各色の位置関係が信号機に合わせてくれれば…。

 ナムコブースでは『鉄拳 TAG TOURNAMENT』をそこそこに、受けつけめいたところでアンケートに答えると体脂肪計を貰う。これは遊べそうだ。

 最後に物販コーナーを見て回り、エニックスブースでスライムぬいぐるみと、わたぼうのキーホルダーを購入して会場を後にし、会社に戻る。今回の感想としては、やはりPS2の台頭とネットワークに対する業界の期待が如実に現れたイベントで、コンピューターゲームの革命的未来の方向性を示し始めたと言えよう。仕事(技術者)モードではマシンの高性能化に伴いグラフィック・プログラミング共に膨大・複雑化し、技術・金銭面でのハードルが益々高くなっているのが素人でも分かるようになっている。開発費は上がる一方でもソフトの値段はそう簡単には上げられないけど、スーファミ時代のようなソフト1本1万円の時代の再来もそう遠い日ではないかも知れない。ネットワークにしたって電話代と通信速度の問題が解決しない限り劇的な普及はありえないのは昔から言われている事だし、一般家庭にも光ファイバーケーブルが普通に敷かれるようになるのは何年先の事だろうか。ま、そんな黎明期だからこそチャンスなんだけどね。

 帰社後、会社で定年間際の総務に本日ゲットした体脂肪計を使わせてみる。そしたら脂肪分は40%を超えていた。で、私も家で計ってみたら14%台だった。やはり遊べる。


2000/04/01〜02

 TGS一般公開日にも両日足を運ぶ。初日の役得に飽き足らないのか(笑)。さすがに3日連続はこたえたが、最終日終了後は幕張海岸にまで足を伸ばす。その辺については別ページに書いた通りだ。


その後の4月

 ふとした事から社内用の組織図を見る機会を得る。すると私は3月の人事異動でゲーム部署から離れていたのだった。そんな事は全く知らないぞ。席を移されたとは言え、辞令といった通告も無く、ひっそりとそうゆう事をする会社なんだなここは。で、現在の所属はビジネスソリューション事業部。「こんな仕事があるから出来る人を募集」する会社と、「こんな人材いるから仕事させて」という会社との橋渡しをする、いわば仲介業みたいな部署だ。私も技術者として所属しているのだが現在社内失業状態。やっている事と言えば電話応対や各社からやってくる案件・人材情報の整理や取引先へのFAX送信などの営業補佐、社長がピックアップした新聞記事のスクラップ作成、その合間に技術習得のための学習…。まぁ組織図には総務部とも兼部している事にはなってるけど。


2000/05/01

 GWに突入し、世間では9連休の所もあるのだろうが(有給取ったとかいうのは別にして)、ウチの会社は暦通りの出勤なので5連休。


2000/05/04

 数日前、使っていたMOがイジェクトピンを使ってもドライブから取り出せなくなる故障に見舞われたので横浜ソフマップに修理に出す。既に保証期限は過ぎており、相当の修理代を覚悟するよう言われる。確かに修理に出すより新たに新品を買った方が安上がりになる事はよくある。そこで店内でMOドライブの相場を調べると230Mもので約28000円。640Mものは36000円位だった。どちらにしてもこれだけの出費は痛い。


2000/05/08

 普段は私服で出勤している私だが、新たな仕事をゲットすべく面接があるのでスーツで出社。昼過ぎに共に面接を受けるメンバー数人と都内某所の某会社へ。メンバー1人ずつ面接していく方式で、だいぶ待たされて私の番。面接官は予め渡されている業務経歴書をもとに話を進める。今回の案件は某大手企業の工場管理システムのPCへの移植業務。だが今までここに書いた通り私の実務経験はPS用ゲームソフト2本のみ。具体的な担当部分や総ステップ数(記述したプログラム文の行数の事)、「シナリオを書く気はあるのか?」なんて事も聞かれたりした。要した時間は他の人に比べて短く、こりゃまたダメかなといった感じ。


2000/05/09

 この日は私服で来社。いつものように雑務をしていたら外出中の営業から電話。すると今日面接したいというオファーが。あまりにも突然だし私服だと言って一旦切る。しばらくしてまた電話がかかり、私服でもいいからと面接の段取りを伝えられる。昼食後、秋葉原駅に行って取引先の女性と落ち合いそのまま客先へ。手応えはやはりイマイチだった。

 帰社後の夕方、積み上げられたGW中の新聞に目を通し、例のウィルスの記事を見てふと「これをネタに『LOVEマシーン』の替え歌作れねーかなぁ」と思う。私には無理だけど。んでも、しかるべきサイトを見れば多分誰かが作って発表しているんだろうなぁ。きっと。


2000/05/17

 会社で日経新聞に目を通していると、先日逮捕された横浜のハンマー殴打犯が警視庁やTBSに「くいずです つぎのはんにんだーれだ?」などと書かれた声明文を送っていたという三面記事に目がとまる。ここにも「QUIZ」をパロる奴がいるんだなぁとちょっと複雑な気分に(^_^;)。なぁ、サーペント。おまえはどう思う(笑)。それにしてもこれをTBSにも送りつけていたのにはイカス(笑)。


2000/05/21

 愛機VAIOでFT用文章を打ちつつビデオに録っておいた『探偵! ナイトスクープ』を見る。今回から探偵局長が代わるので注目に値する。新探偵局長は上岡龍太郎をマネた間寛平…でも実際は全探偵の交代制で、顧問のキダタローの一存で決めるらしい。私はキダがやると予想してたんだけどまぁ、それはそれ。最初の依頼「日本でカポエラを極めたい」では途中のイメージ映像が笑え(探偵が松村だけに(^_^;))、次の「壊れた蓄音機を直したい」は小枝が暴れつつも蓄音機の専門店で修理して貰い、かけたレコードが素晴らしい音質で演奏されるという(モノラルテレビで見ていても、それは充分伝わる)結構いい話。この依頼はリーフサウンドスタッフCHEMOOL氏の個人サイトで事前に知っていたのだが、この回の本場関西での放送日の4月28日はリーフの新作『まじかる★アンティーク』の発売日でもある事に触れ、私も「ABC狙ったのか!?」と邪推。最後の「生まれて一度も体がつった事が無いので自分の体をつらせたい」は途中から何だか違う方向へ向かって行くが、結局依頼人の足の筋肉は“つりにくい”構造になっていた…でおしまい。それにしてもこの番組、関西では毎回高視聴率なのは有名だが、関東では放送時間帯がコロコロ変わる事に見られるように通用していないのは明らかで、むしろ「関東在住関西人」の受け皿という感じ。やはりこの“バカさ”は関東人の感覚には受け入れられないのだろう。関東は電波少年に代表される“ヤバさ”が受け入れられる要素だと思われる。逆に関西では受け入れられていないらしいけど。


2000/05/25

 スーツで出社し、社長に連れられて某社へ面接へ。仕事の概要の説明された後、質疑で英語力を問われたりして(その仕事のマニュアルが英語なので)今回もダメダメ。私の英語力など中学生以下だし(おまけに筆記体読めない書けない)。  給料日なので帰社時に銀行へ寄って金を下ろす。午後に本社で総務から受け取った明細書を見て改めて

安 安 安 安 安月給 あーー安月給
ゲッキューーー!!


なお、これは「マイコンBASICマガジン(電波新聞社)」の「読者の闘技場」に載っていたネタである。そして来月分からは更に住民税が圧し掛かる(泣)。これで今後生活できるかマジで不安(-_-;)。

 家に帰って『クイズ$ミリオネア』を見る。今回は東大生が一人出て来たが、この人の時だけ問題が変に難しくなかったか? 特に6問目あたりが。


2000/05/28

 やっぱりVAIOでFT用文章を打ちつつ雷波少年を見る。特に今回は絶対に見ておかねばと思っていた。先週中日が10連勝したので中日ファンの顔と名前が公開されるからだ(これ、一部の人には重大ニュースかも(笑))。その中日ファンの名は…

…なるほど。今度この名前をサーチエンジンにかけてどれだけヒットするかチェックしよう(笑)。個人的には巨人・中日両方のBクラス入りを期待しているのだが(爆)、首位攻防の展開も面白そうだ。なんかこの企画でペナントレースを楽しんでるなぁ>俺 それよりベイスターズどうした。


2000/05/30

 退社する際、いつも一緒に仕事をしている営業に「おごるから」と、近場の居酒屋で飲みに行かされる。普段酒は飲まない私だが(毎月行なわれる親睦会では皆が酒をあおる中自分だけコーラを飲んでいるくらい)今回ばかりはビール大瓶1本(+小料理)を平らげるハメに。おかげで店を出る時にはほろ酔いはしたであろう、視点が定まらなかった(でも意識はハッキリ残ってはいた)。


2000/05/31

 修理に出したMOドライブの見積もりが完了したとの連絡を受けていたので会社帰りの公衆電話で確認の電話(プッシュホン専用で、ダイヤル回線の我が家では確認出来なかった)。修理代を聞くと3万円オーバー! 迷った末私が選んだ道はキャンセルして新品を買い直す事だった。それでも5千円以上のキャンセル料が襲い掛かる事に。昔知人に言われていた事だが、この手のものは安物買いしなくても銭を失う。壊れたら下手に修理に出すよりも潔く処分した方がいいようだ。


2000/06/05

 会社帰りにソフマップで2台目となるMOドライブを購入。640MBものも購入の視野に入れてはいたが、やはり高額なので1台目と同様230MBものを選択。今回はワランティ(総合保証)にも加入しておき、3万円パッと払う。ワランティへの加入を尋ねず、こちらから言ってようやく取り持つ態度にはチトむかついたが。これには先日の故障の件(+修理代の高さ)に加え、ハードは本当に信用のある所で買わねばという教訓も含まれている。それにしてもこの出費は痛い…。


2000/06/06

 家に帰ると修理に出すも結局キャンセルした旧MOドライブが家に届いていた。キャンセル料は母が立て替えているので早よ払わねば(泣)。


2000/06/07

 出社して間もなく面接を受ける為まず秋葉原駅で待ち合わせ。担当者に連れられて来たのは某ゲーム会社。応接室に通されるとまず開発スタッフ2人による技術面接。事前に通達されていた、過去に自分の手掛けたプログラムのソースコードを提出し、仕事内容の説明や提出した職務経歴書を元にした質疑応答などを行なった後、今度は社長面接。こちらは経歴書を元にした質疑応答を中心に、開発スタッフとしてのチームワークを問うもの。前者では毎度の事ながら吃って上手く話せなかったが、後者は特にそんな事は無くきちんと話せたので、感触としては五分五分といったところだろう。終了すると担当者と別れて私はそのまま帰社。結果は今週中には出るそうだ。


2000/06/08

 昼休みに銀行へ行き、MOドライブ代や夏用スーツ代を下ろす。これで今月分の貯蓄がゼロに(;_;)。更に夏場は何かと入り用なので金が貯まらない。そして晩秋には引越し&一人暮しが待ち構えている。今住んでいる家は父の勤める会社の社宅なのだが、その父が今年の11月に定年退職するのでそれまでには引き払わなければならない。ボーナスも昇給も無いこの状況下でまともな生活が出来るのだろうか…。


2000/06/09

 夕方、営業から一昨日受けた面接の不合格が伝えられる。理由はスキル不足と面接時でのコミュニケーションが弱々しかったからとの事。


2000/06/10

 午後1時半、かねてから公式サイトで告知されていた高校生クイズの特番を見る。まず第1回の後楽園球場の様子が映し出されるも実質は昨年の再放送+αで、やはり番組の随所に出場者募集の告知テロップがこれでもかと流されていて、見ていてうんざりする程だった(もちろん、これが今回の番組の目的なのは重々承知しているが)。各系列局のHPといい、NTVのみならずネット一丸となって参加者の確保に必死になっているのがよく分かる。昨年同様関東の2問目以降のYES−NOクイズの様子が放送されたが、シンキングタイムの音楽と正解発表の映像は実際に会場に流れたものとは違う。あの音楽と正解映像は関東以外の予選で使われたもので、関東だけは独自のものを使っていた(あの近畿でさえ受け入れていた)。でも昨年はあった関東の決勝は放送されず。で、一応昔の映像も挿入されてはいたが(それでも当時の全国放送で使われた範疇のはず)、言い訳程度のシロモノでとても「総集編」と評価できるものではなかった。その中で米子東高校のスーパー八木橋と宮城一女の岡田(現姓・佐藤)明子さんの現在について紹介していたが、前者は例のエピソードを放送していたからまだ分かる。しかし後者は何の説明も無く突拍子に出てきた。だいだいこの人が優勝した当時参加者となる高校生の大半はまだ生まれていないと言うのに。これは誰かへの当て付けなのだろうか。でもどうして「昨年の再放送」というスタイルにこだわるのだろう。全国大会はいわば「エリートたちの戦い」なのだからあれを見た高校生が「出たい」と思わせる事が出来るのか疑問だ。せっかく懐かしい映像を引っ張り出しているんだから全編それで繋げれば絶対に面白い番組になっていたし、高校生ももっと関心を示してくれたかも知れなかったものを勿体無いよ。さて、この番組について当日の新聞のテレビ欄に書かれた「あおり」と私のコメントをここに書いておこう。

※昭和・平成激闘の記録(百歩譲ってウソではなかったってトコか…上に書いたように全然物足りなかったぞ)
※泣けた名場面(14・15回のスーパー八木橋のトコだけだったがな)
※笑った珍回答(これは100%大ウソ! 全く無し! 私は相馬高校の「もがみがよ」とか新潟明訓の「身を滅ぼす」とかが流れる事を期待していたのに(特に後者))
※今年も出場者大募集(これは120%本当だった)

 今回の番組を総括すると「半チクもいいところ」で、昔の映像にしろ昨年の再放送部分にしろあまりにも中途半端な編集で、不満だけが残るものだった。きっと編集スタッフが番組を分かっていないからだろう。もしかして資料的価値のある番組になるかも知れないと一応ビデオに録ってはおいたが、今年の事前番組に重ね録りする事にしよう。そして一言「ギャラはいらないから俺に編集監修をさせろ! 必ず面白いものにしてみせるから!」


2000/06/13

 こんな夢を見た。高校生クイズ九州大会の表彰式をしているところで、私はレポート用紙に逐一情報を書き込んでいる。と言う事は番組視聴ではなくライブ観戦の設定だ。表彰されていたのはラ・サール、宮崎西、熊本、佐賀西、長崎東。でも福岡・大分はこの夢には設定されてなかった。私は九州大会の観戦は諦めているので正夢にはならないのは確かだが、先程書いた学校のうち実際の代表になるのはいくつになるかな?

 初めて袖を通す夏用スーツで会社へ行き、終えて帰るとアタック25の予選通知葉書が届いていた。これまで何回か応募してきたがこの知らせは初めて来た。行なわれるのは次の日曜。でも私は今回も葉書落ちだとタカをくくっていたので何の準備もしていない。ペーパー落ちたら恥ずかしいよー。今の私には(20点満点中)16点取れる自信ないよ。


2000/06/18

 初めてのアタック25予選を受けに午後2時過ぎ、芝公園のABC東京支社へ。ロビーに入ると既に挑戦者でごったがえしている。実は先日、鹿児島クイズ愛好会の長でアタックに2度出場している本村昭人さんに予選の案内と対策問題数十問を作って貰っていたのでそれをプリントアウトしたものに目を通しつつ待つ。2時30分になるとスタッフが現れ、上の会議室へと案内される。受付で予選通知ハガキを渡し、男性は前から、女性は後ろから順に席につく。この回の参加者は60人くらいで男女比は2:1といったところ。予め置かれている黄色いアンケート用紙の項目について、一つ一つスタッフが懇切丁寧に説明している。得意分野(具体的に)は「ゲーム」、嫌いなジャンルには「スポーツ・時事」と書く。自己PRには旅行の事(ただし高校生クイズの事は伏せた)をいろいろ書こうとしているうちに時間切れとなる。続いて30問の筆記クイズで制限時間は8分。最初の方は順調に書き進められたが後半になって時事問題が続出し、私にはここを突かれるのが非常に痛い。どれだけダメかと言うと台湾の新総統や『永遠の仔』の原作者が書けなかったくらい。一通りやって見て解答欄の空白部分を数えてみる。…この点数では通れない! 自己採点は20点程度。時間が過ぎてスタッフが用紙を回収して採点に移る。しばらくして結果発表。予想通り私は不合格。次の面接に進めたのは7人程度で、女性は20人以上いて確か1人しか通らなかったと思う。本日のギャラ(スタッフ談)である番組特製シャーペンをカバンに入れ、大多数の脱落者と共にABCを会館を後にした。その後は折角ここへ来たからと東京タワーへの小さな旅を敢行する。それについては別に…。


2000/06/26

 昼休み、昼食を買って会社に戻ると間もなく面接があると聞かされる。食べてから行くので少し待ち合わせの時間を繰り下げて貰い、このあまりに突然の通告に腹を立てつつ会社を出る。向かった先は水道橋。会社の担当者と落ち合い、数分歩いた所にその客先の会社がある。着いたら早速面接に入り、いつもと大して変わらないような事を聞かれる。この時の私は調子が良く、聞かれた事に対して不思議にハキハキと答えられ、結果、その場で合格が決まり翌日からこの会社に通う事になった。

 6時を過ぎ、今回の仕事で使うマシンを本社から先方までタクシーで搬入し、定期の区間を切り替えてそのまま直帰。


2000/06/27

 9時に先方の会社に出社。まず搬入した機材を指定された席にセッティング。でもスペースがかなり狭く、しかもそう広くない部屋に十数人がひしめき合って非常に窮屈。今回の仕事は「某金融システムの機能追加」。これまでゲームの仕事のみをやっていた私にとっては初めての業務アプリの仕事でもある。当然スーツ着用のまっとうな会社(まぁむしろ本社や今までの職場が私服だったのが変だと言われていたけど)。本日は予め持って来たソフトをインストールするなどの環境構築を中心に行う。


2000/06/28

 前日の環境構築の続きとして社内LANのネットワーク設定を行う。前日分に書いた窮屈さに加え、客先で隙を見せられないので神経使うし外(ネット)に繋がっていない環境とあって、短期の仕事ながら早くも本社が恋しくなる。さっさと終わらせて早く本社に戻ろうと本気で思った(^_^;)。


2000/07/04

 夕方頃から激しい雷雨が降っているのが分かる。定時を過ぎて会社を出ると物凄い雨量。一応折り畳み傘は持って来てはいたがほとんど役に立っていない。歩く度に靴の中がグチュグチュして気持ち悪い。駅に着く頃にはすっかりずぶ濡れ。東京駅の地下通路では至る所で雨漏りがしており、駅員が対処に追われている。この生理的嫌悪感は一昨年の中部大会でのあの豪雨を思い出す。


2000/07/08

 昼、近くの公園で3km程のジョギングをしたらもう汗だくだく。家族を前にしてさっき着たばかりのTシャツを脱いでたら兄に「お前、太くなったなぁ」と言われる。「太った?」と返すと「いや、太ったっていうんじゃなくて」と言う。まぁ休み休みながらだいぶ前からジョギングや筋トレをやっていたからその成果の表れなのかも知れない。あと気になるのは腹の辺り。やっぱ腹筋が見えるようにはなりたいなぁ。うん。


2000/07/09

高校生クイズ四国岡山大会を見に行く。


2000/07/10

 朝6時、夜行バスが横浜駅に着くとそのまま家に帰る。シャワーを浴びてから体重を量ると、出発前より500g落ちている。現地ではドリンクを少なくとも2リットルは飲んでいたのに…。まぁ一日中歩いたらそれだけの脂肪が燃えたと言う事なのか?

 本日は会社の健康診断。内容は昨年と同じく尿・血液の採取に身長体重血圧視力聴覚の測定。そして肺のレントゲン撮影に医師の診察。身長は1ミリも変わらず(・_;)、体重では前回より2キロ近く増えていた。今朝のは一体なんだったんだ(爆笑)!! まぁ筋肉で増えた体重という事にしておこう(笑)。あとは相変わらずといったところ。


2001/07/15

 この日は関東大会前日祭(?)として横浜ジョイナス地下にある「カスカード」にて開かれた原健一主催の「ジャンボパフェ狩りオフ」に出席。他の参加メンバーは自主規制神・ペコ・きょうこじゃ・akahide・ノダシュー・はにわ・noin・ササック(敬称略)の総勢10名。一同は出された4個のジャンボパフェを前に心踊らせる。生クリームやアイスクリームが美味で(でも抹茶味のはダメだったな)皆満足げにほおばりながら談笑する。その中で私は「明日(の関東大会に)はまおとマリさん来ないかなぁ」と原くんと話していた。だかこのジャンボパフェには重大な欠陥があった。下の層にはコーンフレークが敷き詰められており、最初のうちはそのサクサク感とアイスの甘味が渾然一体となってたまらなかったのだが、すぐに食べ終えないと溶けたアイスが染み込みフニャフニャになって非常に不味くなるのだ。実際、早急に完食しなかった為全員がこれに大苦戦。そんな中で「パフェ奉行」原が奮闘するが結局完食は成し得なかったと思う。その後はゲーセンに場所を移し、皆がDDRや『タッチ・デ・ウノー! 2』に興じる中、私は稼動して間もないパラパラ風音ゲー『ダンスマニアックス』をやってみる。1回目は時折手を置く位置を上下逆になって苦戦しながらも(^_^;)割と楽しくやれた…が、2回目はノダシューとの同時プレイで、お互いの手がぶつかり合って非常にやりづらい! それにDDRのような中毒性もなく、その後もこのゲームに手をつけることは二度となかったのだった。その後は渋谷だか池袋だかへ行って食事をする行程だが横浜に住む私が食事だけのために東京まで行くのは面倒だし、翌日の関東大会に備えて体力を温存しておきたかったので離脱する事にした。


2001/07/16

 この日は関東大会


2001/07/22・23

 今度は今年の大失敗目玉企画「特別県」和歌山大会近畿大会の2連コンボ。


2001/07/28

 出社前に中国大会の様子を聞こうと局長の携帯にかける。まずはかねてからの関心事である、大画面が中国大会に初めて来た事を確認。それと決勝地が広島市街の中心地・紙屋町である事も突き止めたとのことで、それなら楽勝じゃんと話してから会社へ。

 仕事を終え、家に帰ってから中国ブロックの代表校を聞こうとまた局長の携帯に。すると決勝地は建設中の地下街の中で、見る事が出来なかったそうだ。さらに

「Eさんにこう言われましたよ。『藤田悪ぃなぁ、ここ予約しないと入れないんだ』」。

続いてサブMCがまたしても藤村アナだった事をボヤいていた。


2001/07/29・30

 中部大会を前に、初めての原邸襲撃。所在地からして家からはバスだけで行けると分かるので楽だ。約束の時間である午後3時ちょうどにバス停「浅間下」に着くと、当の原くんがお出迎え。近くのコンビニでジュースと菓子を買ってから10分くらい歩き、某マンションの1階にある原邸に到着。部屋は洋間1Kにバス・トイレ同室と、広さや間取りは先週行った局長邸とほぼ同じ。この立て続けの襲撃は年末の独立に向けての視察が主な目的。横浜駅まで徒歩20分で家賃6万ならまぁまぁか。原くんには「KYOSUKEさんの希望だと7万はかかる」と、6万が限度と考えてる俺にはキビシー言葉。2人が座れるよう部屋を少し整理してから高Q予選ビデオ鑑賞。まず原くん所有の10回北陸・11回東北を見てから私が持参した12回中部・13回中部・15回東北を順に見る。さらに私の「とっておき」ビデオを披露。それはかつて東海テレビが制作したトーク番組『スペンサーの喫茶店』に長戸氏が出演した回のものだ(ちなみに司会は田中義剛と大島智子。他にもウェイトレス扮するアシスタントがローカルタレント時代の加藤紀子だったり、エンディングテーマを歌ってたのは当時まだそれほど知られていなかったシャ乱Qだったりする)。何故かTVKで放送されてたのを録画しておいたのだ。確か93年の3月ごろだったと思う。原くんからはこれといった反応は見受けられなかったが、もしやこの番組の事知ってた? むしろ某HPで悪評高い『ソリトン』に神野芳治くんが映ってたのに反応してたからなぁ。気が付けば夜。夕食はカップヌードルをおごってもらい、翌日の中部大会に向けて11時前に2人とも原邸を出て横浜駅へ向かう。私は夜行バスで、原くんは「ムーンライトながら」で中部大会へと向かう。


2000/08/02

 会社帰りに秋葉原へ寄り、某ゲームショップで昨年9ヶ月にわたって手掛けてたソフトが手ごろな値段で売ってたので自費購入。そして家で現物を出して自分の仕事の成果を家族に報告。でも「そんな事より早く風呂入れ!」とか言われていたって無関心。これなら緘口令を敷くまでもないか。


2000/08/05・06

 「北へ。」Quiz Illumination.


2000/08/12

 この日は今年の高校生クイズ最後の予選である北陸大会だが、前回の北海道で金を使い過ぎた私は行かず、東京ビッグサイトでの夏コミに行ってた(爆)。13日も同様だ。…ってことは単に秤にかけてこっちを選んだだけじゃないのか!? うぅ、そういやコミケ行くために16回の近畿も蹴ったっけ(核爆)。後日知ったところによると、全国大会に向けての上京に乗じてコミケ行った高校生が少なくとも3人はいたらしいが。


2000/08/13

 この日もコミケ。でも生憎の雨模様。いろいろ回っていてもやっぱり最後は筑駒クイ研のスペースでダベりながら閉会を待つのは恒例化している(核爆)。

 家に帰ると田舎から上京中の従姉妹のKちゃんがいた。家に来るのは知ってたがスケジュールが合わずに会えないと思ってたのでちと驚き。で、夕食はKちゃんたっての希望で新横浜ラーメン博物館でする事に。そういやここ来るの初めてだ。館内に入り、地下に降りると雑誌で見た通りのノスタルジックな風景がこじんまりとしながらも眼中に飛び込んでくる。で、選んだのは札幌ラーメンの店。1週間前札幌へ行ったのに食べなかった札幌ラーメンを横浜で食べるとは…。そこは一番人気の店で1時間以上待ちの行列が出来ている。並んでる間、Kちゃん+弟と近況などの話をする。その中で聞きたかったのはやはり昨年結婚した旦那さんの事。髪を染めて反町隆史を気取ってるとか、桜坂に行きたいとのたまってるとかいう話を聞く。いよいよ店内。私が注文したのは醤油ラーメン。食べてみたらとにかくスープの味が濃い。Kちゃんが注文した味噌ラーメンのスープも勧められて飲んだがこちらも同様。とにかく強烈かつ独特の味わいだった。


2000/08/26

 高校生クイズの事前番組を見る。内容は全国のドロップアウトした高校生を受け入れる北海道の高校を舞台に教師と生徒の交流や日常を追う、前回と同じ流れを汲むドキュメンタリーだった(事前にテレビ雑誌で知ってはいたが)。確かに前回と同様、高校生クイズの冠を捨てればちゃんと見られるし、とてもよく出来た人間ドキュメンタリー番組ではある。だけど…それでも言いたい。

「こんなのは高校生クイズじゃない!!」

「あんな企画をやったら俺のような人間(高Qウォッチャー)がますます増えるぞ!」


深夜、事前番組の感想メールを番組宛てに送信。ここにその内容を紹介する。



 こん○○は、●●●●(本名)と申します。ここ数年、高校生クイズの
予選を見に全国を回っている者です。本日事前番組を視聴しました。
その感想と今後への要望をここに書きたいと思います…が、昨年
メールした内容を再び繰り返さなければならないようです。以下は
その昨年送付したメールの転載です。

-----------
 確かに良く出来た人間ドキュメンタリー番組だったと思いますし、
ここ数年のどうしようもないような企画よりは遥かに評価できると
言えます。が、それでも私は言いたいのです。「我々が本当に見たい
のはこのような企画ではない! そうゆう事は他でやって頂きたい!」
と。私は特定の人を長時間映すよりは、たとえ一瞬でも一人でも多く
の高校生を映してやるべきだと考えていますし、何よりも大会自体の
模様をもっと放送して欲しいのです。地方で放送される各地区大会の
番組も何度か視聴しましたが、まともな出来に驚き、どうしてNTV
ではそれが出来ないのだと憤慨する事しばしばです。これは中学時代
から事前番組を見続けててずっと思っている事です。ここ数年の事前
番組で最も出来が良かったのは第15回だったと考えています。余計
な企画も無く、ただ各地区大会の模様を淡々と流していただけでした
が、私には最も楽しめましたし、一般視聴者にとってもそれは変わら
ないと確信しています。
-----------

 昨年と同じ事、そして同好の士達が常々言っている事をまた繰り
返さなければならないと思うと悲しくて仕方ありません。それに
しても一体番組スタッフにはどのような声が届いているのでしょう
か? 是非知りたいものです。私としてはスタッフの方とトーク
バトルをしたいと思っていて(実際現場で軽くはしたのですが)、
今回の番組を視聴して一層その思いを強くしました。最後に、
これまでに書いた内容を要約します。

「お願いですから制作者はもっと視聴者の意見を聞いて下さい。
 我々が本当に見たいのは、このような企画ではないのです!!」


2000/09/01

 定時で切り上げて、買ったS−VHSテープをデッキに入れ、まさに待ち構えて高校生クイズの放送を見る。全体の感想を一言で言うと「詰め込み過ぎ・パクり過ぎ」。予選はたった15分しか流さなかったし(2時間30分の枠があるなら少なくとも45分は予選に充てるべきだと考えている)。全国大会の概要VTRは「ぶらり途中下車の旅」そのものだし(しかもナレーターをそこだけ滝口順平にするか)、鯨波駅の下車シーンはどんでん返しのつもりだろうが、あれは合格者と失格者の数が同じ場合に成り立つのであって、あんなに人数が違いすぎるとバレバレなんだよね。ところで日野春の敗者復活の絵で、皆さんはどれが一番いいと思いましたか? 私は高知南のが一番気に入りました。次点で山梨英和かな。原地区で高校生が地元の人のお世話になるところは彼らの人間性・実像を見せて「今時の高校生も捨てたものじゃないだろ」というメッセージを投げかけているのだなと解釈している。ちょっと「教養主義」っぽいなとは思うけど、あれはあれでいいと思う。だが問題は次の中島誠之助だ。「パクるにも程がある。これじゃ客(視聴者)逃げるぞ! せっかくキャラクターのあるチームが残ってるのに勿体無いよ」。パクリでもそれで面白ければ良いが、これは誰がどう見てもつまらないと思う。あの番組の見所は登場した「お宝」に高値が付くかもという期待感であり、これにはそれが「皆無」なのだから。だがどんなにつまらなくてもスペシャルゲストを呼んだ以上、中島の部分は短く出来ない、ある程度の放送時間を取らざるを得ないのでますます気だるさが増す悪循環の典型だ。私は新聞やテレビ雑誌の番組表に書いてあった「村の秘密を暴け! 財宝発掘クイズ」の文面を見て、かつて生ダラでやってた「お宝ハンティング」と推理クイズをミックスしたような企画を期待してたのに。土合駅での「心拍数早押しクイズ」は放送時間が短く、問題はもとより心拍数による展開の変動が分からず(これがこの形式のキモであるはずだが)、どうにも迫力に欠けた。準決勝後半のネーミングは何だか(高校生クイズでは「勝負の1分間クイズ」という名前だったはずだが)。マリさんや私も掲示板に書いたけど、やっぱ今回の全国大会は決勝が一番面白かった! 東大寺学園のV2にはちょっと期待してたけど川越の大逆転は見事ッス(編集で展開を捏造してなければの話だが(爆))。関係ないけど惜しくも準優勝に終わった東大寺のリーダーの名前が「剛志(読み方不明。「たけし」「つよし」「たかし」といった読み方があるし)」なんだね。もし優勝してればただのV2でなく「両チームのリーダーの名前が同じ(?)」という物凄い事になっていたのか。


2000/09/12

 昼間、兄が高校生クイズを決勝しか見ておらず、最初から見たいと言ったのでビデオを取り出して2人で見る。今回私は兄の挙動を逐一チェック。私が現場で散々迷った関東の第1問を即答で正解し、北海道の決勝を面白がり、FIRE号の走る映像を見て「貸し切りは高いだろう!」(そりゃヴァンテアンや香港やリーガロイヤルや石原慎太郎の比じゃないだろうよ)、日野春での「視聴者からクレームがつきかねない誤答」には予想通り大ウケ。中島誠之助登場シーンに「いいの!?」、準決勝には「はいダメ」と一刀両断(スーパーショックランド復活を熱望してるしな)。なぜ私が平日の昼間に家にいるのかというと、この日から1週間ほど2交代制の夜勤(午後9時から翌朝10時まで)生活に入るから。ただでさえロクに寝られない生活なのに…。え? どうして兄貴も(以下略)って? ノーコメント(爆)。


2000/09/その後

 テレビ雑誌で高校生クイズの視聴率が14.8%(関東地区)だったと知る。最初の感想は「これで21世紀は平和な夏が過ごせる?」でも女子チームが優勝した14回も同じ数値だったし、あの17回に至ってはこれより低かったはずだ。まぁあのE事務次官ディレクターが睨みをきかせているうちは安泰だと信じているけど(爆)。

 22日に契約満了により水道橋での仕事が終わり、23・24日は「東京ゲームショウ」を見に幕張メッセに行き、25日から本社に戻ってホッとしたのも束の間、ゲーム部署が抱えている仕事が追い込みに入り、ヘルプとしてゲーム2本の開発を並行してこなす。担当したのはアニメデータの作成だが結構プログラミング的思考が要求され、いろいろ計算しながらデータを打ち込んでいく。さらにそれと並行して次の仕事を取るべく面接を受けては落ちる日々がほぼ休みなく3週間ほど続く。


インデックスに戻る TOPに戻る