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死刑台のエレベーター
1957年・フランス
社長夫人の愛人・ジュリアンは、夫人と共謀して社長を殺すことを計画する。
夫人から手に入れた社長自身の拳銃を使い、自殺に見せかけた密室殺人は成功したように思えたが、
壁を登るのに使ったロープをそのままにしてきたことに気づいた。
彼はそれを取りに戻るため、ビルのエレベーターに乗り込むが、
全ての人の退社を確認した警備員は、エレベーターの電源を落として帰ってしまう。
エレベーターに閉じ込められたジュリアンは何とか脱出を試みるが、上手くいかない。
そうしているうちに、路上に駐車したままになっていた彼の車を若いカップルが盗んで乗り回し、
行き着いたモーテルでドイツ人観光客を射殺して逃げてしまい、
ジュリアンはドイツ人殺しの容疑者として指名手配される。
昔の映画はあまり得意ではないのですが、これは面白かったです。
セリフで気持ちを表現することが多いアメリカ映画と違い、
最小限のセリフと役者の表情で言葉を語らせているところが良かったです。
余計な効果音がほとんどなく、バックに流れるジャズがカッコいい。
主人公が自分が起こした事件とは別の事件の容疑者になってしまうという、
ストーリーの運び方もとても上手いし、テンポも良い。
ラストが少しあっけない気もしましたが、秀作だと思います。
レベル4
浮き雲
1996年・フィンランド
ヘルシンキでかつて名門と呼ばれたレストランで給仕長を務めるイロナ(カティ・オウティネン)は、
市電の運転手の夫・ラウリ(カリ・ヴァーナネン)と慎ましくも幸せな生活を送っていた。
しかし不況の煽りを受け、ある日突然ラウリは解雇を言い渡される。
再就職もままならない状況に、ラウリは酒に溺れる日々が続く。
そんな中、イロナの勤めるレストランもオーナーが変わることとなり、従業員全員が解雇されてしまう。
突然収入を無くしてしまったこの中年夫婦の再就職は困難とトラブルの連続で、
とうとうお金も底をつき、彼らは車もアパートも手放さなければならなくなった。
彼らが全てを失った時、イロナの前の職場の支配人が彼らにレストラン経営をしないかと持ち掛ける。
1997年キネマ旬報ベスト10の第3位の作品。
普通の生活をしていたはずが、物語が進むにつれて、どんどん不幸になっていく中年夫婦。
こういう作品は、ハッピーエンドじゃないとシャレになりません。
1996年の製作なのですが、どこか昔っぽい雰囲気のある作品でした。
セリフはとても少なく、言葉にしない仕草で夫婦の心情を表しているのですが、
フィンランド人が皆そうなのかと思ってしまうほど、彼らが無表情なのが気になりました。
評論家の間では評価は高かったようですが、私にはちょっと分かりませんでした。
レベル3
魅せられて
1996年・アメリカ
19歳のアメリカ娘・ルーシー(リブ・タイラー)は、詩人だった母親の自殺後、
自分の出生の秘密と父親をめぐる謎を解明するために、
4年ぶりにイタリアのトスカーナの母の級友たちを訪ねる。
そこでルーシーは白血病で余命少ない作家のアレックス(ジェレミー・アイアンズ)と打ち解け、
自分がまだ処女であることなどを打ち明ける。
アレックスもまた、美しい少女の出現に生気をとり戻しつつあった。
しかし、数日後には彼女が処女であるという噂は広まり、
不信感を抱いたルーシーはアメリカに帰ろうとする。
そこへトルコ旅行から帰ってきたルーシーの初恋の男性ニコロ(ロベルト・ジッティ)が帰ってくる。
リブ・タイラー見たさに観た作品だったのですが、完全にオヤジ趣味のヒドイ映画でした。
『魅せられて』なんて邦題を付けた人もよく理解してるというか、何というか・・・。
とにかく、リブ・タイラーが綺麗な以外は全く見どころがありません。
19歳で美人でプロポーション抜群で、おまけに処女だという少女がやってきたということで
心の中は異常に活気立っちゃってる男たちが鼻に付くだけ。
何か、完全に監督がリブ・タイラーを前に暴走しちゃってる気がしました。
男性陣はこういう作品は観てるだけで楽しいのかしら。
確かにね、リブ・タイラーはおっぱい見せて、スカートからパンツも見せて頑張ってるんですけどね。
レベル1
アナコンダ
1997年・アメリカ
伝説の部族、シリシャマ族を取材するため、テリー(ジェニファー・ロペス)ら
7人のクルーがアマゾンの奥地にやって来た。
船で川を上って探索している途中、彼らは船を岸に乗り上げて立ち往生している
サローン(ジョン・ボイド)という男を助ける。
シリシャマ族を見たことがあるというサローンは、クルーを現地に案内しても良いと言う。
テリーたちは彼を疑いながらも、案内役を任せることにした。
しかし彼の本当の目的は、全長14mにも達する幻の大蛇アナコンダの捕獲であった。
この映画はかなり色んなところで叩かれていたので、
どんなに酷い作品なんだろうと思って観ていました。
確かに、登場した時から怪しげな匂いをプンプンさせているジョン・ボイドが
思った通りの悪い奴であったりと、ストーリーに意外性は全く無く、
全て想像通りに進んでいく作品でしたが、世間で言われているほど酷くは思わなかったのです。
子供ヘビがいっぱい出てきたところなんか怖い(・・・というより気持ち悪い)と思いましたし。
しかし、主役の“アナコンダ”が登場したところでようやく納得。
なんでしょうか、あれ。想像よりずっと小さかったし、作りもの丸出しで全く怖くなく、
身体に巻きつかれるシーンなんて思わず笑ってしまうほど可笑しいのです。
“アナコンダ”よりずっとジョン・ボイドの方が怖いというのも何だか。
彼の怪演は、完全に主役であるはずの“アナコンダ”を食っていました。
この映画の見どころは“アナコンダ親父”の表現に納得です。
レベル2
リターン・オブ・キラートマト
1995年・アメリカ
巨大トマトの襲撃から25年。
アメリカではトマト禁止法が制定され、トマトの栽培、輸入は一切出来なくなっていた。
トマト大戦の英雄フィンレターは、トマト抜きのピザの店を開店し、
そこで働くフィンレターの甥のチャドは、町はずれの研究所にいるタラという女性に夢中。
しかし、その研究所ではトマトを人間の姿に変え、音楽で自由に操ることで
あの恐怖を再び呼び戻そうという恐ろしい計画が遂行されていた。
そして、タラこそが研究所の教授がつくり上げた“トマト人間”であった。
ある日、教授の冷酷さに耐え兼ねたタラは研究所を逃げ出し、チャドの元にやって来る。
チャドは喜ぶが、彼女と接しているうち、彼女がどこか変なことに気づく。
一方、タラの逃亡を知った教授は、別の“トマト人間”を派遣し、彼女を取り戻そうとする。
『アタック・オブ・キラートマト』の続編。
11年を経て、前作の監督・スタッフが再結集して作られた作品です。
くだらないギャグの連発でストーリー性がほとんど無かった前作に比べると、
この続編の方は、ギャグよりもストーリーに重点を置いていて、
くだらないながらも、ギャグ映画としてはなかなか面白く観ることが出来ました。
トマトがスタローンの『ランボー』に変身したり、出来損ないトマトに“FT”と名付けたり、
『ゴッドファーザー』のテーマまがいのものが流れたりと、
盛り込まれている映画のパロディが、今回は多少分かったのも面白く思えた理由の一つ。
それに、何と言っても最大の見どころは売れてない頃のジョージ・クルーニーが
準主役で出演していることでしょう。
物語中盤で監督が突然出演し「予算が無くなったからタイアップが必要だ」と、
コーラやビールの商品を前面に出してCMを始めるギャグセンスは前作同様。
でも私がこの作品を観ていたのがNHK−BSだったので、
それらの商品名が全部字幕上ではカットされてるのが逆に可笑しかったです。
レベル4
アタック・オブ・キラートマト 完璧版
1989年・アメリカ
ある日、ひとりの主婦が台所でトマトに襲われて死亡した。
その後、トマトジュースを飲んだ男性がもがき死んだり、
ペットの犬がトマトに食べられてしまう、という怪事件が続出。
政府は直ちに極秘の特殊部隊を送り込むが、トマトの襲撃はとどまるところを知らず、
遂には巨大化したトマトが各地に現れ、人類を襲い始めた。
はりぼての巨大トマトが人間を襲う、という究極のアホアホ映画。
1995年製作といっても、実際に製作されたのは1978年で、
その超低予算で製作されたという伝説のカルトSFに、
どうでもいいようなインタビューシーンを追加しているだけのディレクターズカット版なのです。
ギャグのセンスは『おれたちひょうきん族』級。
明石家さんま主演のドラマで『心はロンリー、気持ちは・・・』というドラマがありましたが、
あのセンスにも非常に良く似ています。
とにかく、くだらないものを観る覚悟を持って観ないと、とてもじゃないですが観ていられません。
色々な映画のパロディが盛り込まれているそうなのですが、
1978年以前の作品をあまり知らない私には、それもよく分かりませんでした。
“1963年 ヒッチコックは『鳥』を監督した。鳥の大群が人間を襲撃する映画だ。人々は笑った。
1975年 700万羽の鳥が町を襲い、人々は必死に撃退した。今度は誰も笑わなかった”
という冒頭のテロップのセンスはかなり好きですが、それ以外はくだらなすぎて笑える部分がありません。
トマトを撃退する方法が“発情期の恋”という耳障りな音楽をかけること、というオチを見て、
ティム・バートンの『マーズ・アタック!』が、この作品のパロディをやっていた、
ということを初めて知ったことだけが収穫でした。
レベル2
ブエノスアイレス
1997年・香港
旅の途中で知り合ったゲイのカップル、ウィン(レスリー・チャン)とファイ(トニー・レオン)は、
気持ちがすれ違い、言い争いになって途中で別れてしまった。
しかし、しばらくしてブエノスアイレスで二人は再会する。
ウィンの気まぐれに愛想をつかしていたファイは、彼の誘いを断るが、
ある日、怪我をしたウィンがファイの部屋に倒れ込んできたことをきっかけに、
ウィンはファイの部屋に住みついてしまい、ふたりの同居生活が始まった。
ウィンのわがまま放題の振る舞いに付き合っているうち、
ファイは、職場の後輩チャン(チャン・チェン)の存在に心の安らぎを覚え始める。
男同士の恋愛を描いた映画というと、どうしても“色メガネ”を持って見てしまい、
過剰なセリフをやりとりされると、げんなりしてしまう部分もあります。
冒頭のウィンとファイのベッドシーンはけっこう衝撃的ですが、
それでも『太陽と月に背いて』でディカプリオがそういうシーンを演じたのを見た時の方がショックでした。
この作品が思ったよりすんなり受け入れられたのは、
冒頭のベッドシーン以外にはふたりが必要以上に絡み合っているシーンがない上、
セリフが最小限に絞られ、全てウィンとファイの行動と心の演技で語られているからでしょう。
ぶつかり合う二人の気持ちが、なんだか見ていて切なくなってくるのです。
ワガママ男のウィンに、一生懸命尽くすファイ。
お互い好きなのに素直になれなくて喧嘩したり、嫉妬して相手を縛り付けようとしたり・・・。
男と女の恋愛に置き換えてしまえば何てことないやりとりの中で、
ふと見せる男同士だからこその悲しさが、物語の重要なポイントとなっています。
言葉にしないだけに観ている者にもはっきり分からなかったウィンとファイの本当の気持ちを、
ラストシーンで見せる行動ではっきりさせるという手法も見事。
観終わった時には、彼らが男同士だったことなどは自分の中では関係なくなっていました。
レベル4
愛を奏でて
1992年・アメリカ
ジョージー(ホリー・ハンター)はワシントン州の小さな島で、
夫ニック(ビル・プルマン)や母親、祖母たちと仲良く暮らしていた。
しかし結婚以来8年間、一晩も離れて生活したことがなかったニックに3週間の出張の仕事が入ると、
ジョージーは大きな不安に駆られ、彼に同行する女性の同僚に激しく嫉妬する。
そんな気持ちの不安定さから、ジョージー自身も自分の仕事で出会ったカメラマンに心惹かれ、
それを知ってしまったニックとの間に、気持ちの溝が出来てしまう。
そんな中、少し痴ほうぎみの祖母の世話をしていた母親が倒れてしまい、
ジョージーは祖母の身の回りの世話をしなくてはならなくなる。
後に共にオスカー女優となったホリー・ハンターと『ID4』の大統領ビル・プルマンが主演、
ジョージーの姉役には、同じくオスカー女優、フランシス・マクドーマンドが出演し、
夫婦の浮気問題や老人介護問題を通じて、
家族の絆という非常に興味深いテーマを描いているのですが、
いま一つパッとしない作品でした。
この作品で一番重要であると思われるホリー・ハンター演じるジョージーの気持ちが、
全く理解出来ないのが、その原因でしょう。
オスカーを受賞した彼女の『ピアノ・レッスン』での“心”の演技にかなり泣かされた私なので、
彼女が上手い人だということは充分承知しています。
この作品で彼女の上手さを生かしきれなかったのは、完全に甘い脚本と演出のせいだと思います。
せっかく興味深いテーマに良い役者を揃えた作品なのに、ヘボヘボ作品になってしまっていて残念です。
レベル2
フェイク
1997年・アメリカ
1978年、FBI捜査官のジョー(ジョニー・デップ)は、
囮(おとり)捜査官としてマフィア組織に潜入することを命じられた。
彼はドニーと名乗り、マフィア組織に属するレフティ(アル・パチーノ)に近づく。
忠実に仕事はこなすものの出世には縁がないレフティは、ドニーを弟分として可愛がり、
行動力に溢れた彼の姿を見るうちに、諦めていた出世の夢を再び抱くようになる。
そうやって見事に組織に潜入することに成功したジョーは、
仕掛けていた盗聴器やビデオテープを定期的にFBIに届けるという仕事をこなしていたが、
一方ではマフィアとして暴力行為に加担しなければならず、
彼の中でジョーとドニーという2人の人間の境界線が、次第に曖昧になって行った。
実際に囮捜査官としてマフィアに潜入した経験を持つ、元FBI捜査官の手記に基づいて映画化した作品。
6年に及ぶその捜査を終えた実在のその元捜査官は、今は仮名で秘密の場所に暮らし、
騙されていたマフィアたちは、その首に50万ドルの懸賞金をかけているそうです。
実話ベースの作品というのは、事実を見せることに重点を置き過ぎ、
その経緯を辿るだけにとどまるものが多く、作品としては面白くないことがほとんどなのですが、
この作品では、ジョーとレフティの二人の友情や葛藤などが深く描かれていて、
その人間ドラマはとても見ごたえのあるものでした。
実話ベースという制限の中で、素晴らしい脚本と演出、そして二人の主役の演技力によって、
フィクション以上に説得力のあるドラマを作り上げているのです。
ラストの、レフティの「お前だから許せる」という言葉と、身の回りの物を全て外して出掛ける姿、
そして、その囮捜査の功績を称えられて表彰された時のジョーの悲しげな表情にグッときました。
レベル4
北京原人 Who are you?
1997年・日本
2001年、北京原人の頭蓋骨を手に入れた日本の生命科学研究所は、
そこからDNAを採取して増殖させ、北京原人そのものを再生する実験に着手していた。
実験は成功して親子と思われる3人の北京原人が蘇り、
彼らにはそれぞれタカシ、ハナコ、ケンジと名付けられた。
しかし、北京原人の頭蓋骨の本来の所有者である中国がタカシとケンジを誘拐してしまい、
ひとり取り残されたハナコは、そのショックから体調を崩し倒れてしまう。
それを見た研究所の科学者・竜彦(緒方直人)は、ハナコを連れて中国へと向う。
公開当時に宣伝用のポスターを見て「こんなの観に来る人がいるのかなぁ」と思った記憶があります。
案の定、客の入りは悲惨だったようですが、後に口コミで“バカ映画”として脚光を浴び、
レンタル開始当時には、一部で超有名作となっていました。
バカを承知でやってるならまだしも、この作品は制作費に20億円もの巨額を投じ、
“愛と感動の物語”と銘打った、大真面目な作品なのです。バカですね〜。
タイトルからして既に変です。
「あんた誰?」って尋ねられた北京原人にしてみれば、
「そりゃ、こっちのセリフだよ」と言いたいところなのではないでしょうか。
ラストシーンで、とても都合よく別の実験によって再生されていたマンモスに乗って去って行く北京原人を見送りながら、
目を潤ませて「自由になれ〜っっ!」と叫ぶ緒方直人を見て、
「自分たちで勝手に再生しておいてそのセリフはないんじゃないの?」と思ったと同時に、
「役者って大変なのね」と思ってしまった私でした。
私ふうに解析すれば、あの名作SF映画『猿の惑星』の路線を狙ったはずが、
見事に外してしまった・・・といったところでしょうか。
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