『戦争責任論の盲点』

 

丸山眞男

 

 (注)、これは、丸山氏の『戦争責任論の盲点』の抜粋である。みすず書房「戦中と戦後の間、1936−1957」の596ページから601ページの内、最初2ページは、前置きとして、私の判断で要約にした。なお傍点個所は太字にした。

 

 〔目次〕

   冒頭2ページ分の前置き要約

   残り5ページ分の全文

 

 (関連ファイル)           健一MENUに戻る

   『共産党の丸山批判・経過資料』

   『志位報告と丸山批判詭弁術』

   宮本顕治  『‘94新春インタビュー』『11中総冒頭発言』の丸山批判

   志位・不破 『1994年第20回大会』の丸山批判

   共産党   『日本共産党の七十年』丸山批判・党史公式評価

   石田雄   『「戦争責任論の盲点」の一背景』

   田口富久治『丸山先生から教えられたこと』。丸山批判問題

            『丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」』

   水田洋   『民主集中制。日本共産党の丸山批判』

            『記憶のなかの丸山真男』

   武藤功   『丸山眞男と日本共産党』

   H・田中   『市民のための丸山眞男ホームページ』

   Google検索『丸山眞男』

  冒頭2ページ分の前置き要約 要約内容については、宮地に責任がある

 知識人の戦争責任問題があちこちで提起されるようになった。戦争責任をわれわれ日本人がどのような意味で認め、どのような形で今後の責任をとるかということは、やはり一度は根本的に対決しなければならぬ問題で、それを回避したり伏せたりすることでは平和運動も護憲運動も本当に前進しないところに来ている。

 むしろ知識人に問題をはじめから限定するところに誤解や曲解が生まれるのであって、あらゆる階層、あらゆるグループについて、いま一度それらにいかなる意味と程度において戦争責任が帰属されるかという検討が各所で提起されねばならぬ。

 そこでの二つの論理がある。

 第一は、一億総ザンゲ説である。その正体は、緊急の場合に直面した支配層の放ったイカの墨である。この論理は「五十歩百歩説」に帰着する。それは五十歩と百歩のちがい、況んや一歩と百歩の巨大なちがいに目をつぶることによって、結局、最高最大の責任者に最も有利に働くことになる。

 第二は、戦争責任の問題を白か黒かの二分法で片付ける論理である。それは歴史的理解として正確でないばかりか、責任問題を今後のわれわれの思考や行動決定に積極的にリンクさせる上で有効ではない。この「白黒」論理は全体主義と総力戦の実体をあまりに単純化するために、しばしば四十九歩が免責されて、五十一歩が糾弾されるという奇妙な結果をもたらす。同時に心理的効果として一方の安易な自己正義感と他方のふてぶてしい居直りとの果てしない悪循環を起こす。戦争責任の国民的規模での検討は、憤怒・怨恨・嫉妬などの感情が議論に入り込んで来るのは避け難いが、やはり泥仕合に導き易いような問題の立て方はなるべく慎んだ方がいい。

  残り5ページ分の全文 以下省略個所はない

 問題は白か黒かということよりも、日本のそれぞれの階層、集団、職業およびその中での個々人が、一九三一年から四五年に至る日本の道程の進行をどのような作為もしくは不作為によって助けたかという観点から各人の誤謬・過失・錯誤の性質と程度をえり分けて行くことにある。例えば支配者と国民を区別することは間違いではないが、だからとて「国民」=被治者の戦争責任をあらゆる意味で否定することにはならぬ。少なくも中国の生命・財産・文化のあのような惨憺たる破壊に対しては、われわれ国民はやはり共同責任を免れない。

 国内問題にしても、なるほど日本はドイツの場合のように一応政治的民主主義の地盤の上にファシズムが権力を握ったのではないから、「一般国民」の市民としての政治的責任はそれだけ軽いわけだが、ファシズム支配に黙従した道徳的責任まで解除されるかどうかは問題である。「昨日」邪悪な支配者を迎えたことについて簡単に免責された国民からは「明日」の邪悪な支配に対する積極的な抵抗意識は容易に期待されない。ヤスパースが戦後ドイツについて、「国民が自ら責任を負うことを意識するところに政治的自由の目醒めを告げる最初の徴候がある」といっているのは平凡な真理であるが、われわれにとっても吟味に値する。

 しかしすぐれて政治的な意味で戦争責任が帰属するのはいうまでもなく権力体系に座を占めた人および種々の政治的エリットである。それに比較すれば知識人が知識人として――という意味は政治家や役人としてでなく――負う戦争責任などは現実の役割において問題にならぬ。さて政治的エリットの責任を論ずる場合に、二つの点に注意したい。

 第一は、政治家と実業家、政務官と事務官といったような職名や地位から連想される政治性の濃淡を、現実の政治的役割の大きさと混同してはならぬということ。職業政治家の構成する「政界」は実質的な政策決定の場としてますます重要性を減少して行ったのが軍国日本の現実であった。

 第二に、具体的な政治力学はつねに「体制」勢力と「体制」勢力との対抗関係――そのいずれが国民をつかむか、によって変動すること。したがって「体制的」勢力が国を戦争に引き込んで行く可能性は逆にいえば、反体制指導者とアクティブがどこまで有効に抵抗を組織するかにかかっている。この二点に注意しながら、我が国の戦争責任とくに政治的な責任問題の考え方をふりかえってみるとき、そこに二つの大きな省略があったことに思い至る筈である。一つは天皇の戦争責任であり、他は共産党のそれである。この日本政治の両極はそれぞれ全くちがった理由によって、大多数の国民的通念として戦争責任から除外されて来た。しかし今日あらためて戦争責任の問題を発展的に提起するためには、どうしてもこの二者を「先験的に」除外するドグマを斥けねばならぬ。天皇はいうまでもなく「体制」の最後の拠点であり、共産党はまた、体制のシンボルである。両者の全くちがった意味での責任をとりあげることは、この両極の間に色々のニュアンスを以て介在する階層やグループの戦争責任を確定し、その位置づけを明らかにする上にも大事なことのように思われる。ここではごく簡単に問題の所在だけを示して見よう。

 天皇の責任については戦争直後にはかなり内外で論議の的となり、極東軍事裁判のウェッブ裁判長も、天皇が訴追の対象から除かれたのは、法律的根拠からでなく、もっぱら「政治的」な考慮に基づくことを言明したほどである。しかし少くも国内からの責任追求の声は左翼方面から激しく提起された以外は甚だ微弱で、わずかに一、二の学者が天皇の道義的責任を論じて退位を主張したのが世人の目を惹いた程度である。実のところ日本政治秩序の最頂点に位する人物の責任問題を自由主義者やカント流の人格主義者をもって自ら許す人々までが極力論議を回避しようとし、或は最初から感情的に弁護する態度に出たことほど、日本の知性の致命的な脆さを暴露したものはなかった。

 大日本帝国における天皇の地位についての面倒な法理はともかくとして、主権者として「統治権を総攬」し、国務各大臣を自由に任免する権限をもち、統帥権はじめ諸々の大権を直接掌握していた天皇が――現に終戦の決定を自ら下し、幾百万の軍隊の武装解除を殆ど摩擦なく遂行させるほどの強大な権威を国民の間に持ち続けた天皇が、あの十数年の政治過程とその齎した結果に対して無責任であるなどということは、およそ政治倫理上の常識が許さない。事実上ロボットであったことが免責事由になるのなら、メクラ判を押す大臣の責任も疑問になろう。しかも、この最も重要な期間において天皇は必ずしもロボットでなかったことはすでに資料的にも明らかになっている。にも拘らず天皇についてせいぜい道徳的責任論が出た程度で、正面から元首としての責任があまり問題にされなかったのは、国際政治的原因は別として、国民の間に天皇がそれ自体何か政治的もしくは政治的存在のごとくに表象されて来たことと関連がある。

 自らの地位を政治的に粉飾することによって最大の政治的機能を果たすところに日本官僚制の伝統的機密があるとすれば、この秘密を集約的に表現しているのが官僚制の最頂点としての天皇にほかならぬ。したがってさきに注意した第一の点に従って天皇個人政治的責任を確定し追及し続けることは、今日依然として民主化の最大の癌をなす官僚制支配様式の精神的基礎を覆す上にも緊要な課題であり、それは天皇自体の問題とは独立に提起さるべき事柄である。(具体的にいえば天皇の責任のとり方は退位以外にはない。)天皇のウヤムヤな居据りこそ戦後の「道義頽廃」の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の先触れをなしたことをわれわれはもっと真剣に考えてみる必要がある。

 共産党――ヨリ正確には転向コンミュニストが戦争責任の問題について最も疚しくない立場にあることは周知のとおりである。彼等があらゆる弾圧と迫害に堪えてファシズムと戦争に抗して来た勇気と節操とを疑うものはなかろう。その意味で鶴見俊輔氏が非共産主義者にとって戦争責任をとる、具体的な仕方として、あらゆる領域で共産党を含めた合議の場を造る必要を説いているのは正論と思う。しかしここで敢てとり上げようとするのは個人の道徳的責任ではなくて前衛政党としての、あるいはその指導者としての政治的責任の問題である。

 ところが不思議なことに、ほかならぬコンミュニスト自身の発想においてこの両者の区別がしばしば混乱し、明白に政治的指導の次元で追及されるべき問題がいつの間にか共産党員の「奮戦力闘ぶり」に解消されてしまうことが少なくない。つまり当面の問いは、共産党はそもそもファシズムとの戦いに勝ったのか負けたのかということなのだ。政治的責任は峻厳な結果責任であり、しかもファシズムと帝国主義に関して共産党の立場は一般の大衆とちがって単なる被害者でもなければ況や傍観者でもなく、まさに最も能動的な政治的敵手である。この闘いに敗れたことと日本の戦争突入とはまさか無関係ではあるまい。敗軍の将はたとえ彼自身いかに最後までふみとゞまったとしても依然として敗軍の将であり、敵の砲撃の予想外の熾烈さやその手口の残忍さや味方の陣営の裏切りをもって指揮官としての責任をのがれることはできない。戦略と戦術はまさにそうした一切の要素の見透しの上に立てられる筈のものだからである。

 もしそれを過酷な要求だというならば、はじめから前衛党の看板など掲げぬ方がいゝ。そんなことは夙くに分かっているというのなら、「シンデモラッパヲハナシマセンデシタ」式に抵抗を自賛する前に、国民に対しては日本政治の指導権をファシズムに明け渡した点につき、隣邦諸国に対しては侵略戦争の防止に失敗した点につき、それぞれ党としての責任を認め、有効な反ファシズムおよび反帝闘争を組織しなかった理由に大胆率直な科学的検討を加えてその結果を公表するのが至当である。共産党が独自の立場から戦争責任を認めることは、社会民主主義者や自由主義者の共産党に対するコンプレックスを解き、統一戦線の基礎を固める上に少からず貢献するであろう。

(思想の言葉、「思想」昭和三十一年三月号、岩波書店)

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   『志位報告と丸山批判詭弁術』

   宮本顕治  『‘94新春インタビュー』『11中総冒頭発言』の丸山批判

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   共産党   『日本共産党の七十年』丸山批判・党史公式評価

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   田口富久治『丸山先生から教えられたこと』。丸山批判問題

            『丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」』

   水田洋   『民主集中制。日本共産党の丸山批判』

            『記憶のなかの丸山真男』

   武藤功   『丸山眞男と日本共産党』

   H・田中   『市民のための丸山眞男ホームページ』

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